飯田エリ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
飯田エリ子
誕生 1961年1月18日
神奈川県
ホーリーネーム サクラー
ステージ 正悟師
教団での役職 東信徒庁長官
判決 懲役6年6ヶ月(控訴棄却)

飯田 エリ子(いいだ えりこ、1961年1月18日 - )は元オウム真理教幹部。神奈川県横浜市出身。血液型はO型。ホーリーネームは始めラクシュミー、後にサクラー

教団内のステージ正悟師で、省庁制が採用された後は東日本の信者を統括する東信徒庁長官だった。最古参のメンバーでもあり、まだ家庭的で和気藹々としたヨガサークル「オウム神仙の会」を石井久子とともに作っていた主要人物だった。また、一般人を勧誘して入信させる才能はオウム真理教信者中No.1であった。

来歴[編集]

文化女子大学附属杉並高等学校を経て、文化女子大学短期大学部生活造形学科を卒業し、デパート店員を経て、日産火災海上保険に入社。病弱で体重は38キロほどまで痩せたこともあり[1]1984年、健康のために麻原彰晃ヨーガ教室鳳凰慶林館に通い始め、会社の同僚であった石井久子を誘いそのままオウム神仙の会に入会。その後、保険会社を退社して出家した。

1987年初め頃には同教団信者の宮前一明と恋愛関係にあった。1990年第39回衆議院議員総選挙には真理党から東京都第11区から立候補したが落選した。

事件への関与と裁判[編集]

1990年ボツリヌス菌の培養に関与した[2]

1995年目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件では逮捕監禁致死罪に問われ逮捕起訴された。一連のオウム真理教事件指名手配犯らの、逃走幇助の指揮官だったともされている。

1996年10月26日第一審では懲役7年、1998年9月10日控訴審では懲役6年6ヶ月の判決が下された。上告をせず刑が確定し、2002年8月25日に刑期満了で出所した[3]。服役中の2002年3月に脳内出血で倒れ、二度の手術により車椅子に乗れるほどに回復したが、記憶に深刻な障害を負っているという[4]

関連事件[編集]

脚注[編集]

  1. ^ オウム出版『マハームドラー』 p.15
  2. ^ 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所 A16=飯田
  3. ^ 「オウム飯田元幹部が満期出所=仮谷さん拉致事件などで服役」 時事通信 2002年8月25日
  4. ^ 青沼陽一郎 『「復活オウム」の陰に消えた「二人の美人幹部」衝撃の消息情報』 週刊新潮 2003年1月16日号