都沢和子

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オウム真理教徒
都沢 和子
誕生 (1965-05-19) 1965年5月19日(54歳)
東京都葛飾区
ホーリーネーム ウッパラヴァンナー
ステージ 正悟師
教団での役職 西信徒庁長官
入信 1987年
関係した事件 住居侵入事件
判決 懲役1年(控訴棄却)
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都沢 和子(みやこざわ かずこ、1965年5月19日 - )は、オウム真理教の元幹部。東京都出身。ホーリーネームウッパラヴァンナー省庁制が採用された後は、「西信徒庁長官」となった。

来歴[編集]

昭和女子大学短期大学部英米文学科在学時にESS(英語による弁論サークル)に所属し、早稲田大学ESA所属の上祐史浩に出合う。卒業後は住友化学工業に勤務するが、恋人の上祐がオウム真理教に入信したことを知り、後を追って1987年4月入信、6月に出家する[1]

出家後は名古屋支部長などを歴任した。教団の出版物やビデオに出演し、教団の顔の一人として信者を獲得していった[2]

岡崎一明によると、異性(上祐ではない)と交際していることを理由に麻原から「ポアしかない」と死刑宣告されたが、岡崎・石井久子早川紀代秀が麻原に抗議したため阻止されたという[3]

1995年1月9日山梨県上九一色村サティアンから教祖麻原彰晃の家庭医であった女医の信徒が逃走。名古屋市の実家から強制的に連れ戻すよう麻原から指示を受けた都沢は、監視のために付近のマンションに侵入した容疑で指名手配され[4]5月10日警視庁赤坂警察署出頭逮捕された。

1995年10月31日名古屋地方裁判所懲役1年の判決1996年3月5日名古屋高等裁判所控訴棄却され、確定した。 裁判では「修行を捨てる気はない」「オウムで修行したことは正しいと思っている」と述べていた [5]

当初は教団に戻りたいとしていたが[4]、その後教団を脱会し、苫米地英人による脱洗脳カウンセリングを受けた。

脚注[編集]

  1. ^ 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 p.128
  2. ^ 「逮捕のオウム・都沢容疑者“男性信者獲得” “教団の顔”」 読売新聞 1995年5月11日
  3. ^ 佐木隆三『大義なきテロリスト』 p.293
  4. ^ a b 降幡賢一『オウム法廷―グルのしもべたち〈上〉』 p.9-11, 47-51
  5. ^ 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録〈2〉』 1997年 p.309