石井久子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
石井久子
ホーリーネーム マザー・シャクティー・ケイマ[1] → マハー・ケイマ
ステージ 正大師
教団での役職 大蔵省大臣
入信 1984年

石井 久子(いしい ひさこ)は、元オウム真理教の幹部。

人物

幼少期より負けず嫌いで文武両道だったが、女であることを理由に両親に大学進学を認められず短大を卒業後、保険会社に入社。その後、会社の同僚だった飯田エリ子に誘われ、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」に入会。その後、保険会社を退社して出家[2] 。教団の中ではかなり早い段階で正大師となった。

1989年坂本堤弁護士一家殺害事件で遺体の処理に参加する[3]

1990年第39回衆議院議員総選挙には真理党から旧東京3区から立候補したが落選した[4]。同年11月7日に国土法違反事件(教団の熊本県波野村進出に関わる騒動)で逮捕される。杉本繁郎が裁判で証言したところによると、この時、麻原は毎日山梨県上九一色村から熊本まで飛行機で訪れ接見に来ていた[5]

また、杉本は麻原と石井がホテルで同じベッドにいるところも目撃している。この時麻原はイニシエーションだと弁明したという。実際に麻原との間に子ども4人(死産1人)を産んでいる。麻原と石井の関係は正妻である松本知子[6]も知っており、松本知子は麻原を殴ったり包丁を振り回したりしたという[7]

省庁制を採用した後は、大蔵省大臣となった[8]

1995年に一連のオウム真理教事件の発覚、それに関係した犯人隠避などで起訴され懲役4年の実刑判決を受けた事がきっかけとなり、教団を離脱した。裁判では麻原の空中浮揚を本当に見たと主張した[9]

関連項目

著書

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 2003年 p.15
  2. ^ 毎日新聞社会部『冥い祈り 麻原彰晃と使徒たち』1995年 p.126-127
  3. ^ 松本智津夫 第25回公判 岡崎一明証人 検察官主尋問(97・2・13)
  4. ^ 東京3区”. ザ・選挙. 2013年7月14日閲覧。
  5. ^ 青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』2007年 p.207
  6. ^ ちなみに松本知子も旧姓は石井
  7. ^ 青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』2007年 p.207-210、p.355
  8. ^ 降幡賢一『オウム法廷7-「女帝」石井久子』(朝日新聞社、2001年)
  9. ^ 青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』2007年 p.205

参考文献

  • 『オウム法廷7―「女帝」石井久子』(朝日新聞社、2001年)ISBN 978-4022613301

外部リンク