岐部哲也

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岐部哲也
誕生 (1955-05-12) 1955年5月12日(62歳)
大分県国東市
ホーリーネーム マハーカッサパ
ステージ 正悟師
教団での役職 防衛庁長官
入信 1986年
関係した事件 建造物侵入
判決 懲役1年

岐部 哲也(きべ てつや、1955年5月12日 - )はオウム真理教の元幹部。ホーリーネームマハーカッサパ大分県出身。省庁制が採用された後は「防衛庁長官」となる。

来歴[編集]

大分県立大分舞鶴高等学校を経て阿佐ヶ谷美術専門学校でデザインを専攻した。卒業後はデザイナーとしてデザイン会社に就職し、レコードジャケットの制作に携わり、松任谷由実のアルバムなどを制作[1]

オウム真理教[編集]

入信[編集]

1986年9月に教団前身のオウム神仙の会に入信。付き合っていた女性がオウムに入信したのをやめさせようと一緒に通ううちに傾倒した。1987年6月に出家。入信後もオウム真理教の出版物の装丁など、デザイン関係を手がけていた。写真撮影の技術にも優れており、教祖「麻原彰晃の空中浮揚」写真も岐部が撮ったものである。

第39回衆議院議員総選挙[編集]

1990年第39回衆議院議員総選挙真理党公認で、当時の旧東京10区から立候補して落選した。 この際に、選挙に立候補するかどうかをオウムとしては珍しく幹部による多数決が採用されたが、結果は10:2で賛成派が勝利。反対した2人は上祐史浩と岐部であった[2]

裏ワーク[編集]

麻原は教団が保有するMi-17ヘリコプターサリン噴霧などのテロを行うことを構想しており、岐部はアメリカに派遣されヘリコプターの免許を取得した[1]。また、ラジコンヘリの操縦も任されたが訓練中に大破してしまった[3]

逮捕・実刑[編集]

1995年4月8日に無断で地下駐車場に侵入した建造物侵入罪逮捕された。裁判の結果、懲役1年の実刑判決を受けた。建造物侵入行為自体は大きな実害をもたらしてはいない罪状で前科のない者が執行猶予が付かずに実刑判決になるのは異例であるが、密造された自動小銃部品の隠匿という計画の悪質さと部下の信者を違法行為に巻き込んだ教団幹部の責任を重く判断されたためであった。オウム事件で実刑判決が確定したのは初めて。翌年に府中刑務所を出所した。

出所後[編集]

その後、教団には戻らず身元引受人となった栃木県の寺院で過ごした後、四国で家族と暮らす。

不起訴処分事件[編集]

2004年7月7日警察庁長官狙撃事件において岐部に酷似した人間が狙撃犯の逃走ルートとは反対方向である警察署の前を自転車で通ったとする複数の目撃証言から、狙撃役の逃走を支援するダミー役を果たしていた疑いが強いと警察に判断され、殺人未遂容疑で逮捕されたが、証拠不十分で7月28日釈放され、9月17日に不起訴となった。

脚注[編集]

  1. ^ a b 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』 2003年 p.43
  2. ^ 『オウム解体』宮崎学vs上祐史浩(雷韻出版 2000年5月1日
  3. ^ 渡邉学『南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について』 2009年 南山宗教文化研究所

関連書籍[編集]