ダーキニー (オウム真理教)

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ダーキニーとは、オウム真理教教祖の麻原彰晃愛人たちのことである。

概要[編集]

オウム真理教出家信者の戒律には、「不邪淫」というものがあり、配偶者恋人以外との性行為オナニーが禁止されていた。また、夫婦であっても出家したら別々に住むことを強制された[1]

ところが、麻原本人は「最終解脱者」とされ、戒律をも超越する存在とし、麻原専用の一種のハーレムを設けていた。麻原は大奥制度を確立した徳川家光の生まれ変わりとされたため、同様の組織を設けても構わないという理屈である。宗教的な理由としては、「若い女性を高い次元に導いてやるために、左道タントライニシエーション(性行為)を最終解脱者の義務として施さなければならない」という論法が用いられた。

ダーキニーは延べ約30人おり、富士山総本部の第1サティアン上九一色村の第2サティアンに住んでいた。第2サティアンには常時10~15人が住んでいた。ダーキニーとされた女性は、ホーリーネームに「ダーキニー」という名前が入っていることが多かった[2]

名前の由来は、愛欲神荼枳尼天の梵語発音のダーキニーから来たものと思われる。

選出過程[編集]

  1. 書類選考
    オウム真理教では、入信時に顔写真を撮ることになっていた。これらの写真は教団本部に送られ、麻原好みの女性が選考された。選考された女性は再度写真撮影が行われ、麻原に写真が提出された。
  2. 面談
    選ばれた女性は本部に呼び出され、麻原本人が直に面接した。
  3. 性行為テスト
    選ばれた女性は、麻原による左道タントライニシエーション(性行為)が行われた。この時点で処女だった場合、ダーキニーになることができた。

麻原の性的嗜好[編集]

  • およそ15歳から25歳までの多数の若い女性信者と「左道イニシエーション」という修行と称して性交していた。若い女性ばかりが選考されたのは、麻原が処女を好み、固執したからである。
  • また、女性信者の陰毛を名前のラベルを付けた小瓶にコレクションしていた。押収された小瓶は100本近くあったという。
  • 精液を飲ませる行為を、神の血液を与える神聖な儀式として行っていた。また愛人同士で麻原の精液を口移しさせたりもした。
  • 若い頃の麻原は、自分の性器を「ずいぶん小さい」と悩んでいたという[3][4]。しかし、「大きい性器を持ち合わせている者」は(前世での性的カルマが根深いため)解脱に至るのに苦労する。むしろ小さい者の方が有利であると悟り、そのことをサマナたちに説法したという[3][4]

特権[編集]

  • 教団内で高い礼遇を受ける権利
  • 運転手付の車に乗れる権利[1]
  • 私服を購入し着用できる権利[1]
  • 作りたての食品を食べることができる権利
  • 麻原の故郷である熊本の名産品メロンの「お下げ渡し」を受ける権利[1]

ワーク[編集]

ダーキニーは、一般の出家信者と同様にワークに従事する義務があり、普段は第2サティアン1階のラーメン工場で働いていた[5][6][1]

ダーキニーはその性格上、危険な非合法活動に参加することは稀であったが、中には滝本弁護士サリン襲撃事件の実行に携わったダーキニーもいた。

ダーキニー以外の愛人[編集]

麻原は、ダーキニー以外にも女性幹部を中心に若い女性を中心に好んで愛人にしていた。

麻原の妻子以外の女性で、最も教団内の地位が高かったマハー・ケイマ正悟師こと石井久子は、1986年のオウム入信以後、麻原の地方出張に付き添うなど身の回りの世話をするうちに麻原に寵愛され、双子を含む3人の子供を産んだ。また、麻原が逮捕された時点で17歳と20歳だった女性信者2人には、麻原との間にそれぞれ2人の子どもが産まれた[1]。麻原の四女である松本聡香によると、麻原の愛人は延べ100人に及び、正妻の松本知子以外に4人の信者に自分の子供を15人産ませたという[2]

これほど大勢の愛人の存在は、松本知子も知る所であった。四女の証言によると、­セックスをするために尊師の部屋によばれる女性は夜毎異なり、正妻である知子は­、尊師が愛人たちとセックスしている部屋の前で「イニシエーション」の間中うろうろしてい­た[2]。しかし薬剤師リンチ殺人事件の公判では、愛人の話が出た途端、知子は「そんな人がいたなんて」と泣き崩れたという[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 「オウムと女たち 事件のまわりには常に女の影があった」『週刊朝日増刊 オウム全記録』朝日新聞出版、2012年7月、p.48~51
  2. ^ a b c 松本聡香『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』徳間書店、2010年4月30日
  3. ^ a b 「尊師ファイナルスピーチIV 92/4/17 第二サティアン タントラヤーナのプロセス」より
  4. ^ a b 『オウム真理教大辞典』pp.79-80
  5. ^ オウム真理教では食事も修行の一環とされ、食品にカルマが付くのを防ぐために、食料関係の業務はステージの高い者に限定されていた。つまり、ラーメン工場で働くこと自体が一種のステータスシンボルであった。
  6. ^ 週刊ポスト』2000年3月10日号

参考資料[編集]

  • 東京キララ社編集部 編 『オウム真理教大辞典』ISBN 4380032094
  • 週刊ポスト』2000年3月10日号
  • 『週刊ポスト』2000年3月17日号