石川公一

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石川公一
誕生 1968年
徳島県小松島市
ホーリーネーム サルヴァニー・ヴァラナヴィシュカンビン
ステージ 正悟師
教団での役職 法皇官房次長
入信 1990年
判決 不起訴

石川 公一(いしかわ こういち)は、オウム真理教の元幹部。ホーリーネームサルヴァニー・ヴァラナヴィシュカンビン徳島県出身。省庁制が採用された後は、「法皇官房」の実質的な責任者[1]であった。教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。

来歴[編集]

徳島県小松島市開業医の家庭に生まれた。父親は衆議院議員後藤田正晴の後援会会長。徳島大学教育学部附属中学校卒業後、灘高等学校に進学。1987年東京大学理科Ⅲ類に現役合格。3年次から東京大学医学部医学科に進学したが、ヨーガに関心を持ったことがきっかけで、大学を休学し1990年オウム真理教に入信、同年8月3日に出家。教団内では麻原彰晃の三女の家庭教師をつとめ、また各種イニシエーションの開発を行った。高校時代からの友人だった富永昌宏がオウム真理教に入信したのは、石川の影響による。

1995年3月20日地下鉄サリン事件の謀議を決定した3月18日のリムジン謀議ではサリン散布が決定されたリムジンに同乗していたが、サリン散布に積極的な発言が確認できなかったことから、起訴されなかった。1995年4月8日に都内のホテルに偽名で記入した有印私文書偽造容疑で逮捕4月29日に19歳女性を拉致監禁した事件で監禁罪再逮捕されるが、5月20日に処分保留で釈放されて、後に不起訴となった。オウム真理教に対する摘発が進む中で、休学中だった東京大学を自主退学する。

その後、教団を脱会し、中央大学法学部に再入学。司法試験合格を目指したが失敗。中央大学卒業後、偽名で九州大学医学部を受験し合格したが、オウム真理教の幹部だったこと並びに偽名の使用が教授会から問題視され、合格取消処分を受けた。

2004年7月7日警察庁長官狙撃事件に関与したと警察当局に判断され、捜査の過程において島田裕巳宅爆弾事件の容疑で別件逮捕された。狙撃事件前日に、現場近くの国道警察官職務質問されており、教団施設から押収した資料に狙撃事件について記した石川のメモもあった。しかし、証拠不十分で7月28日に釈放され9月17日に不起訴となった。

苫米地英人は石川こそが麻原の側近中の側近で中沢新一の影響を受けて教義を作り上げたオウムの洗脳の張本人であり、石川は中沢が教鞭を執る中央大学に再入学していると述べている[2]

オウム真理教では、食品がどんなに傷んでいても食べなければいけないという教義があった。石川は1ヶ月以上放置されカビだらけになったそばの生麺を、「ちょっとすっぱいけど、何とかいけますね」と食べるなど、熱心な信仰を持っていた[3]

注釈[編集]

  1. ^ 「法皇官房長官」は麻原の三女である。
  2. ^ 実話ナックルズ2004年5月号
  3. ^ 野田成人のブログ「ホームレス差別」2009年5月3日。

関連項目[編集]