遠藤誠一

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遠藤誠一
誕生 (1960-06-05) 1960年6月5日(56歳)
北海道札幌市
ホーリーネーム ジーヴァカ
ステージ 正悟師
教団での役職 第一厚生省大臣
入信 1987年
関係した事件 松本サリン事件
地下鉄サリン事件
判決 死刑(上告棄却)

遠藤誠一(えんどう せいいち、1960年6月5日 - )は元オウム真理教幹部。確定死刑囚北海道札幌市出身。ホーリーネームジーヴァカ。教団内でのステージは正悟師で、1994年6月に教団に省庁制が採用されてからは厚生省大臣になり、後に第一厚生省大臣となった(第二厚生省大臣は土谷正実[1]。教団内では薬物購入の責任者であった[2]

来歴[編集]

北海道札幌北高等学校卒業の後帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。1986年、同大学院畜産学研究科獣医学専攻修了と同時に獣医師の資格を取得。京都大学大学院医学研究科博士課程に進学。専攻は遺伝子工学ウイルス学1987年3月にオウム神仙の会に入信。1988年11月9日、博士課程中退とともにオウム真理教に出家した。

高校時代の同級生によると、「お母さん思いのおとなしい青年だった」との事である。

入信後[編集]

1988年に教祖の麻原彰晃が出版した著書「マハーヤーナ・スートラ 大乗ヨーガ経典」の広告では、推薦文を寄せた読者の一人として写真とメッセージが掲載されている(肩書きは「京都大学大学院生」)。その中で遠藤は、「一切のものは原因と結果の連続に過ぎない」という麻原の言葉に、長く心を縛り付けていた重荷から解放されるような安らぎを感じ、ここまで真理を公開した麻原に何とか報いなければならないような気がしたと述べている。

1990年2月、第39回衆議院議員総選挙真理党の候補者として旧千葉4区から出馬し落選。

1989年11月に大師となり、1994年7月に正悟師となる。

事件への関与[編集]

坂本堤弁護士一家殺害事件のきっかけの一つになった「愛のイニシエーション」で麻原彰晃DNAの効果の是非が話題になったが、麻原から血液を採取しDNAやリンパ球を培養した人物でもある。第7サティアンに隣接したプレハブ建物・ジーヴァカ棟(CMI棟)を研究施設として与えられ、ボツリヌス菌炭疽菌ペスト菌などの細菌兵器の培養をおこなっていた。「キリストのイニシエーション」で使用されたLSDなども製造した。サリンの製造においては土谷正実とともに中心的人物であった。

1995年4月26日、富士山総本部に立てこもっていたところを発見され、土谷とともに逮捕される。松本サリン事件実行犯地下鉄サリン事件共同正犯VXガス襲撃事件などで殺人及び殺人未遂などの罪で起訴された。

2002年10月11日第一審2007年5月31日控訴審ともに死刑判決が下された。2011年11月21日、上告審である最高裁第1小法廷において上告棄却。同年12月12日に判決訂正申し立ての棄却決定、死刑判決が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは13人目。この判決をもって、当時特別指名手配中であった被疑者3名(平田信菊地直子高橋克也)を除く、オウム真理教事件で起訴された被告人全員の公判が終結した。2016年現在、東京拘置所収監されている。

脚注[編集]

  1. ^ メディアは終始厚生省大臣と呼んでいた(土谷を「化学班キャップ」と称したため)。
  2. ^ 筑紫哲也ニュース23(1995年放送)

関連事件[編集]