ハルマゲドン

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黙示録を著すパトモス島のヨハネ、 ヒエロニムス・ボス画(1505)

ハルマゲドンアルマゲドンハーマゲドンと表記される場合もある、: Ἁρμαγεδών: Armageddon日本語では最終戦争)とは、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地[1]を表す言葉の片仮名音写。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である(戦争を終わらせる最後の戦争。一説では大艱難の頂点がハルマゲドンとも言われている)。

キリスト教の教理[編集]

聖書[編集]

ヨハネの黙示録16章にはこのように書かれてある[2][3]

それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります」。第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。また一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。 — ヨハネの黙示録16章1節から21節(口語訳)

キリスト教終末論の相違点[編集]

キリスト教終末論には相違点がある。

ハルマゲンドンの戦いとゴグ・マゴクの戦い[編集]

二つの終末戦争をハルマゲンドンの戦いと、ゴグ・マゴクの戦いについて、前千年王国説では、二つの異なる戦いとし、無千年王国説後千年王国説 では同一の戦いとする[4]

注意すべき点[編集]

岡山英雄は注意すべき点として「獣と地上の王たちとその軍勢」と「キリストとその軍勢」の戦いであること、戦いの武器は、「鋭い剣」、「神のことば」であること、この戦いによって、すべての悪が滅亡するのは目的の一つに過ぎず、キリストの花嫁である教会の結婚こそが重要であるとする[5]

最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。 — ヨハネの黙示録21章9節(口語訳)

キリストの勝利[編集]

尾山令仁は、悪霊の支配下にある地上の支配者たちとの軍勢と、主の軍勢との戦いであるので、この世のいかなる戦争とも異なる戦いであり、メギドの丘で行われるわけではなく、悪とその勢力が滅ぼされるキリスト勝利の戦いであるとする[6]

奥山実はハルとメギドという二つの言葉からできているこの語は「虐殺の丘」を意味し、竜であるサタンと獣である独裁者と偽預言者からの悪霊に集められた者が、主の軍勢と戦い、子羊の軍勢が勝利すると説明する[7]

教会への迫害[編集]

ウィリアム・ヘンドリクセンは、反キリストのリーダーシップのもとに、汚れた者たちが教会に恐ろしい迫害を加える時がハルマゲドンであると教える。ヘンドリクセンによれば、反キリストは目的をとげられず、邪悪な者たちの軍勢に神の怒りが注がれ、悪魔が「火と硫黄の池に投げ込まれ」るという。[8]

その後[編集]

ハルマゲドンの後に起こることについては、教派によって解釈が異なる。ハルマゲドンは最後の審判と直接の関係はないが、キリスト教の教理では、最後の審判の後に、キリスト者にとって天国に行く喜びのときだが、不信者は地獄に落ちるとされる[9][10]

しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。 — ヨハネの黙示録21章8節(口語訳)

比較宗教学[編集]

メギドの丘からの眺望。北東の方角にイズレル谷(en:Jezreel Valley)とタボル山(en:Mount Tabor)を望む。

比較宗教学によれば、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世メギドの戦いなど)。このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。世界の終末的なの戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。

現代の文化との関わり[編集]

SF小説SFアニメSF映画などサイエンス・フィクション作品、特に終末ものにもこの構図は使われつづけている。1998年に公開された映画『アルマゲドン』は善と悪の決戦を描いたものではないが、“巨大小惑星の地球への衝突、そしてそれによる地球上の全生物の滅亡”という、その終末的雰囲気からこの名をつけたのだろう。

日本では、1972年昭和47年)に連載の始まった永井豪の漫画『デビルマン』がハルマゲドンを扱っていたものの、当時はこの言葉の意味を知る人は少なかったようである(永井談)。しかし1983年(昭和58年)に、角川春樹制作のアニメ映画『幻魔大戦』が公開された際、「ハルマゲドン接近」というキャッチコピーがテレビや雑誌で多用され、キリスト教信者でない日本の若者にもこの単語が普及する。

やがて、五島勉の著書による『ノストラダムスの大予言』本がブームになり、オウム真理教が、教義においてハルマゲドンの到来を主張し、1995年平成7年)の地下鉄サリン事件以降、ワイドショーで度々報じられ、幅広い年代にまで「誤ったハルマゲドン」が広く知られるようになった。

カルトとの関係[編集]

歴史上、ハルマゲドンを含む終末思想は、しばしばカルトの信者獲得や教祖自己実現に利用されやすく、アメリカでのブランチ・ダビディアンによる事件や、日本での地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の事件などを引き起こすことが少なからずあった。

レヴィアタンによる破壊、 ギュスターヴ・ドレの挿絵(1865)

脚注[編集]

  1. ^ 土井かおる『よくわかるキリスト教』PHP研究所、2004年、p.27
  2. ^ ヨハネの默示録(文語訳) 第16章
  3. ^ ヨハネの黙示録(口語訳) 第16章
  4. ^ 『子羊の王国』p.182
  5. ^ 『子羊の王国』p.183-184
  6. ^ 『啓示』p.235
  7. ^ 『世の終りが来る』p.180-181
  8. ^ ウィリアム・ヘンドリクセン著、鈴木英昭訳『死後と終末』p.267-271 つのぶえ社
  9. ^ 怒れる神の御手の中にある罪人
  10. ^ 『ウェストミンスター信仰基準』新教出版社

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]