中沢新一

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中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本人類学者、思想家、宗教学者明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授

概説[編集]

構造主義クロード・レヴィ=ストロースジャック・ラカンポスト構造主義ジル・ドゥルーズジュリア・クリステヴァなどの思想家、また南方熊楠折口信夫柳田国男などの日本民俗学の研究者、そして、自身修行を体験したチベット仏教などから影響を受けた宗教学者。本来は文化人類学の一分野である宗教人類学を専門としているが、分野を限らず活動し、一部で「新しいアカデミズムのスタイル」として受け入れられ人気を博した[1]。体験記・エッセイ・論文のどれであるのか判別しにくい文章を特徴とする[1]

若き日にもっとも親近感を覚えたのはキリスト教であり聖書の熱心な読者であった。しかし、マルクス主義やキリスト教と自身の育った風土との違和感を同時に感じる。聖書の中では十字架に付く前のがリラヤ時代のイエスに親近感を覚え、この時期のイエスは仏教にも通じるほどに思想を美しい言葉で語っていたと評しているが、愚かな大衆の期待で十字架に付くイエスの痛ましさと、その体験から発生した外傷性神経症から発生する宗教である点に特に違和感を覚える。当初はサル学をやりたい思いを抱き、サル学者がサルに囲まれている写真に異様な感動を受ける。人間動物との間隔の開きの少なさは中沢に涅槃に入った際のブッダ弟子たちよりも多くの動物に囲まれている姿に「対照的な関係」を見出し、ユダヤ教やキリスト教に見るようなとの気の遠くなるような非対称性を前提とした神の前での人間の平等とは対照的な仏教の対象的な距離感に惹かれる。また、学生時代より井筒俊彦に強い影響を受ける。河合隼雄との対談では、中沢は井筒がイスラム教から入り仏教ユダヤ教キリスト教にも何でも深い理解を持ち、宗教の枠組みを超えたメタ宗教の可能性を構想し、その後円熟してしだいにイスラム教と仏教を同等に捉え「アッラー」は普通言われている「」ではなく、イスラム教が最も深いところで理解している「アッラー」というのは仏教が言う「真如」と同じだと発言したと述べている。その後は著書『大乗起信論』で、仏教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教などありとあらゆる宗教が井筒の思考内で合流し、どの宗教も単独では歴史上実現できなかった宗教の夢のようなものを現出させて見せた。仏教は単なる宗教の一つではなく、諸宗教が宗教であることの限界を超えてメタ宗教を目指す過程で必ず仏教のような思想形態があらわれるというのが井筒の思想であった。こうした思想に大変共感し井筒がイスラム世界に沈潜したことを踏まえ、自分自身も1つの宗教にとことん沈潜するべきと考え、それが仏教であり、チベット仏教僧侶の世界であったと述べた。。[要出典]また、中沢自身は同時に自分は仏教徒ではあるが宗教学者ではないとも述べている[2]

2011年東日本大震災以降は、エネルギー問題、現代における政治参加の問題についても思考しており、実践的な活動として2013年には「グリーンアクティブ」を設立した。[要出典]

略歴[編集]

山梨県山梨市出身。 ラブレーやサド、メルロー=ポンティなどの外国文学を愛読する一方、共産党員であり在野の民俗学研究者でもあった父・厚に連れられ、しばしば山梨県内の遺跡や民俗信仰の痕跡に調査に出かけていたという。[要出典]早稲田大学文学部に入学するも、翌年には東京大学教養学部理科二類に入学し、生物学者を目指す。植島啓司に誘われて宗教学者の柳川啓一の講義を聴講し、それがきっかけで宗教学に転じて文学部宗教史学科に進む[3]

東京大学文学部宗教史学科で柳川啓一のゼミに所属。柳川は、宗教の中心にあるのは、人は儀礼において「聖なるもの」を体験することで子どもから脱して大人になることができるという「イニシエーション」であるとしており、宗教学者は本を読むだけでなく、イニシエーションを直接体験しなければならないため、柳川ゼミでは、聖なるものを体験させてくれる宗教を見つけて「潜り込み」調査をする、自ら信者になって体験するということが行われていた[4]。中沢はその対象にチベット密教を選び、大学院人文科学研究科博士課程在籍中の1979年(昭和54年)、チベット密教修行のためにネパールへ赴いた。チベット学者の石濱裕美子によると、中沢がチベット密教に興味を持ったきっかけは、ドイツ人アナガーリカ・ゴーヴィンダドイツ語版またはラマ・ゴーヴィンダ、本名エルンスト・ロタル・ホフマン(1898年 – 1985年)[5]の自伝的著作『白雲の彼方に』である[6]カトマンズ盆地のボードナートに住んでいた亡命チベット人ラマであるケツン・サンポ・リンポチェフランス語版(1920年-2009年)に師事し、亡命ニンマ派の初代管長ドゥジョム・リンポチェ英語版やその跡を継いだディンゴ・ケンツェー・リンポチェ英語版にも会った。中沢が師と仰ぐケツン・サンポ(転生活仏ではないが後にケツン・サンポ・リンポチェと尊称される)は、ゲルク派の僧院で学問を修めたことのあるニンマ派のラマで、還俗して在家密教行者(ンガッパ)となった人物である。1959年にインドに亡命し、翌年ダライ・ラマ14世の要請でドゥジョム・リンポチェの代理として日本に派遣され[7]、10年間、東洋文庫の研究員を務めながら東京大学などでも教鞭を執っていた[8]。チベット学者の山口瑞鳳は彼は東洋文庫で自分の助手をしており、日本語が堪能であったと述べている[9]。以後、ネパール、インド、シッキム、ブータン等で、ゾクチェンと呼ばれるチベット思想や瞑想修行法を学ぶ[10]。「仏教の出てくる根源」への関心から行ったこの修行の影響が、後の中沢の思想を大きく特徴づけるものとなる[11]。1981年、チベット難民の住む土地での寺院建立に向けて、ケツン・サンポとの共著名義で『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』を出版する[12]

1982年にネパールより帰国。博士課程を満期退学し、1983年04月から1993年まで山口昌男のもとで東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手を務める。

1983年、『チベットのモーツァルト』(せりか書房)を発表。同書は、同じく現代思想的な内容を扱った浅田彰の『構造と力』とともに同年の話題書となり、2冊は人文書としては異例の売り上げを果たした。中沢・浅田のふたりは、前後にデビューした他の若手研究者とともに「ニュー・アカデミズムの旗手」と呼ばれた。

1987年から1988年に東京大学で中沢を教官として受け入れるか否かを巡り騒動が起きる(東大駒場騒動)。1989年から1991年は国際日本文化研究センター研究員を務める。1992年(平成4年)、南方熊楠についての包括的な研究『森のバロック』(せりか書房)を発表。最新の社会学、カルチュラル・スタディーズなど現代思想の表舞台には背を向け、『東方的』(91年)、『森のバロック』、『はじまりのレーニン』(94年)など、反時代的な人物や思想を取り上げる反時代的な書物を書き上げることに熱中したという[13]

1993年に『チベット死者の書』として知られるニンマ派の『バルド・トェ・ドル』やそれに関連するゾクチェンの思想について述べた『三万年の死の教え - チベット『死者の書』の世界』を発表。NHKで放映された『NHKスペシャル チベット死者の書』[14]の脚本も担当し、評判を呼んだ。著者によれば、本書は『バルド・トェ・ドル』の仏教としての正統性を問う以前に、その思想を人類の精神史という普遍的な文脈において論じようとしたものである[15](チベット学者の山口瑞鳳は、埋蔵経典である『バルド・トェ・ドル』は偽経であると批判している[16])。

1993年から2006年は中央大学総合政策学部教授、2006年から2007年は中央大学総合政策学部客員教授。2000年代中盤から、コピーライター・タレントの糸井重里の人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に講演を掲載。2006年、多摩美術大学芸術人類学研究所 (IAA) 所長に就任(2015年現在の所長は鶴岡真弓)、同大学美術学部芸術学科教授を務める(2011年以降は客員教授)。2011年、日本文明の潜在能力を目覚めさせ21世紀に必要とされる「新しい学」の創出をめざす「明治大学 野生の科学研究所」 (ISS) が設立され、その所長に就任。2013年(平成25年)より河合隼雄学芸賞選考委員[17]を務める。ゾクチェン研究所所長でもある[18]

評価[編集]

中沢の最初の単行本である『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』(1981年、出版元は新宗教阿含宗の関連会社である平河出版社)に対しては、仏教学者の袴谷憲昭は、日本においてチベット密教を無批判に礼賛する傾向を牽引したと評している。『虹の階梯』出版当時、アメリカはチベット仏教ブームにあったが、これは1960年代のアメリカのヒッピー文化の延長線上のもので、チベット仏教の神秘的密教的側面のみを強調し、これを無批判に礼賛する傾向にあった。この傾向は、日本においても中沢を一種の理論的リーダーとする若者のあいだで強まっていき、1993年秋のNHKの一連のテレビ放送でピークに達した。袴谷は、オウム真理教の事件もチベット密教ブームのピークを象徴するものであったと述べている。[19]山口瑞鳳は、『虹の階梯』の末尾にあるチベット語からの翻訳は誤訳が多く、中沢のチベット語のレベルは高いものではないため、彼がチベットで実践できた修業は駆け出しのニンマ派の僧がする程度であったのではないかと指摘している[9]

中沢は日本文化人類学会にも日本宗教学会にも所属したことが一度もなく、特定の学会におけるポジションや権威とは無縁ということもあって、アカデミズムの世界で中沢の研究について論じられる機会は極端に少なかった。[要出典]松村一男はこれについて、「なぜ中沢の神話論・宗教論が宗教学の枠内で論じられることがないのかといえば、それは皆、それを論じることで自分の研究の範囲の狭さが明らかになることを恐れているからかと思われる。そうした試みを行った場合には、弁明が伴う」[20]と述べ、「これはゲーテフンボルトフロイトユング、そして日本での柳田、折口、吉本隆明などと同じく、名前を冠した「中沢学」という、世界を丸ごと理解しようとする試み」(29頁)として、『カイエ・ソバージュ』の総合性を評価している。 吉本隆明は、「日本の知識人の中でも一種の珍品」として一休とも比較しながら「人類の精神の考古学」という言葉を用いて高く評価している[21]。編集者の松岡正剛は、中沢の語り口と編集能力を高く評価し、「さまざまな世界素材を解読しながら次々に動かしていく編集的プロセス」は自分と共通であると述べている(ただし、結論は異にするという)。また、一般の学術論文の多くはトピカ(場面、場所。適切な論点の配置と所在)が頭から抜け落ちているため、その論理が活躍できる場面がわからないという傾向があるが、中沢の語りは「場面」を持っており好ましく感じると評している。[22] 作家の島田雅彦、収集家・小説家の荒俣宏糸井重里も中沢の著作を高く評価しており、糸井は中沢のように違う道を行く人を学者は邪魔しないでほしいと擁護している[23]。政治家の岩井國臣は、中沢の動きもニューエイジ運動のひとつであると述べ、彼の『野生の思考』(2012年)は世界を変えていくに違いないと述べている[24]。政治学者の中島岳志は、『日本の大転換』(2011年)を、原発事故を思想的に考察し、「世界が目指すべき新たな道を構想する壮大な文明論」であると高く評価している[25]

学問的厳密性を欠いた独特の著述スタイルに対しては、見田宗介などからの多くの批判が継続的にある。チベット学を代表する山口瑞鳳ゾクチェンを大きく取り上げる中沢への批判的見解を早くから示した。山口はゾクチェンを現世肯定の修道無用論であると断じ、これを奉ずるニンマ派は種々の教義を寄せ集めた折衷主義であって、民衆には根強く支持されてきたが、チベット仏教界の主流派からは軽蔑されたと指摘している[26]袴谷憲昭は1988年の「偽仏教を廃す」、1989年の「中沢新一批判 - 現代の摩訶衍」で中沢の仏教理解を批判し、吉本隆明梅原猛・中沢新一の共著 『日本人は思想したか』(1995年)について、「仏教の基本的な『常識』さえ知らず好き勝手な発言を繰返している」「本書を書評の対象に選んだのは、かかるいかがわしいものをただ売るに任せることはできなかったからに過ぎない」と断じ、あいまいで説明不足な箇所や単純で基本的な誤りも少なくないと苦言を呈している[9]。仏教の中観思想を高く評価する評論家の宮崎哲弥も、初期から中沢を批判している[27]。『アースダイバー』(2005年)は地形ブームの端緒になったが、地学研究者からは自然科学的に見て誤りがあると指摘されている。一方、学者のあいだでも、蓮實重彦浅田彰などその特殊性を評価する人物もいる[要出典]

フランクフルト・ゲーテ大学の日本文化学研究者リゼット・ゲーパルトは、政治的には「日和見主義」、「従来の専門的学問の否定と平行して、知に対するエッセイ風の姿勢があらわれる。この背後には、十九世紀末の耽美主義者やディレッタントやダンディのリバイバルがある」と評している[28]

山脇直司は、中沢新一を、実名は伏せつつ、「タレント学者」と評している。また、ニュー・アカデミズムと称されていた中沢の思想が、日本だけでしか通用しない「ガラパゴス化の産物」だと思っていたとも述懐している[29]

宗教学者の堀江宗正は、中央大学などでの比較宗教論の講義をまとめた『カイエ・ソバージュ』について、著者オリジナルの思想が前面に出ており、仮に一般向けとしても、宗教学・神話学・人類学などの学問の啓蒙書と言えるのか疑問を呈した上で、研究書ではなく「実践的な思想の書である」と評している。中沢の議論は魅力的で、一部の学生を強く魅了したであろうが、冷めた見方をすれば、個人主義と合理主義に反対し普遍的共同体主義と非合理主義を賛美する立場であり、要約すると「人間も動物も自然も、皆兄弟である」という中沢の思想は、反近代主義的なロマン主義の一つのヴァージョンに過ぎないという。そして中沢の発言には、「対称性を実現しようとするあまり、無自覚に、外部との非対称性を打ち立て、自らを特権化する傾向を読み取ることができる」と指摘し、元々中沢が目指していた思想的実践から外れているのではないかと述べている。[30]

宗教学者の大田俊寛は、『日本の大転換』(2011年)について、「反ユダヤ主義の傾向を隠し持った日本文化優越論、意識革命に立脚した共産思想喧伝のパンフレット」であり、その思考形態は、「ナチズムヤマギシ会という農業ユートピア、オウム真理教のような全体主義カルトのそれと基本的に同型であ」り、「要するに農業が大事」という以上の具体案を読み取ることはできない、と評した[31]

ノンフィクション作家の岩上安身は、『はじまりのレーニン』(1994年)について、ソ連崩壊後に登場したほとんど唯一のレーニン賛美の書であるトンデモ本と酷評し、中沢はレーニンを「コスモス的秩序の中に安住する凡人には到底、到達できない深遠な真理を体現していた『アデプト(成就者)』」であるとしているが、オウム真理教が教義確立のタネ本にしたといわれる『虹の階梯』の筆者が、麻原が唱えたテロル正統化と同じ論理でロシア革命を全面的かつ絶対的に正当化していると評して問題視し、激しく批判している[32]。また、宮崎哲弥や山口瑞鳳の一連の批判に答え、自分がどういった思想家であるか自ら明らかにしてほしかったと述べている[27]。なお、レーニンの唯物論思想などをテーマにした『はじまりのレーニン』は、政治学者の白井聡がレーニン研究を始めるきっかけになった[33]

中沢の著作はオウム真理教への影響が大きく、事件前から教団と関わり麻原を高く評価していたが、事件後はオウムから距離を取りつつ批判し、宗教学者の島田裕巳のような糾弾を受けることなく、以前ほどではないにせよ活躍を続けている[30]。中沢のオウム真理教との関わり方や発言、事件に対する態度には批判も少なくない。オウム真理教関連の評価の詳細は、次節を参考のこと。また、中沢は宗教学会と関わっておらず、このような経緯もあり、宗教学者には中沢を苦々しく思う人も少なくない[30]

中沢自身は、自らの「芸術人類学」について、熟考を重ねていおり、また一度大失敗をしているから、そうそう間違いはしないだろうと思う、と述べている[23]。また、自分は宗教の実際を知っているから、どういったことが起こるかを経験でわかるが、そういったことを知らない人間が先生をしていることには疑問を感じるとも述べている[23]

オウム真理教事件[編集]

袴谷憲昭は、中沢新一の『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』(1981年、平河出版社)は、オウム信徒の聖典とも目されていたと述べている[19]。オウム真理教の元代表野田成人は、教団の中では教祖である麻原彰晃の書籍以外は読んではいけないことになっていたが、『虹の階梯』はタネ本として半ば公になっており、教団内にふつうに存在し皆が参照していたと述べている[34]。宗教学者の大田俊寛は、ポアという言葉をオウム真理教に教えたのは、『虹の階梯』であると指摘している[34]

中沢は宗教学の立場から新宗教についても論じ、1980年代の末に、自身のチベット仏教の研究からも影響をうけているオウム真理教に関心を示し、発言をしていた[35][36]1995年(平成7年)地下鉄サリン事件など一連の事件がオウム真理教による組織的犯行であることが発覚すると、中沢も批判の対象とされた[37]

事件後の1992年には、中沢は朝日新聞において、麻原とは2回対談したが「彼は一種の天才的な直観力を持っており、密教の実践については並みの学者より深く正確だった」と評した[38]。1993年7月には、青土社の雑誌「imago」の特集号として「オウム真理教の深層」を責任編集し、自身は、河合隼雄と元信者である高橋英利との鼎談、同じくオウム事件に関して批判を集めていた博物学者の荒俣宏、人類学者で信者だった坂元新之輔の両者との対談、クンダリニー・ヨーガを軸に宗教としてのオウムをとらえた論考[39]「『尊師』のニヒリズム」を寄稿している[40][41]。1995年5月、雑誌週刊プレイボーイに「オウム信者への手紙」を発表[42]。 以上のように、事件直後には教団に関して多くの発言を残したが、その後は積極的な発言はおこなっていない。その理由について本人は「マスコミの表面に出ている議論は、あの教団がもっているものに触れていない」「あの教団については、未だにわからない部分がある」と語っている[43]。宮崎哲弥は、賛否はともかくオウム真理教を擁護したことで批判を受けながらも筋を通した吉本隆明山崎哲に比して、中沢の態度は逃げであると評している[27]。 事件後、かつて共にニューアカデミズムブームの中心にいた浅田彰は、中沢と対談し「バカが本を誤読して暴走したからといって、本の著者に責任はない」と中沢を擁護した[44]

事件後、中沢は、自分と同じく強い批判に曝されたショスタコーヴィッチハイデッガーの伝記を熟読し、深く傷つきながらも作品の中にその傷をあらわさない彼らの姿勢に学んだ、と述べている[45]

福岡の講演会で坂本弁護士一家失踪事件に関し「創価学会をはじめとする宗教団体への調査の結果、どの宗教もオウムの仕業じゃないといった。別の組織によって八丈島へ連れて行かれ、埋められた」と聴衆に向かって発言。講演後に新聞記者にそのことについて聞かれて「嘘に決まってるじゃない」と一言。「自分の立場を有利に進めていくためには、どんなことでも言ってしまうわけよ。あの人は学会の植木等だよ、あのくらい調子よけりゃ、許せる部分もあるけどね」と小林よしのりに評される(別冊宝島229でのテリー伊藤との対談「お笑いオウム真理教」にて)[46]。中沢の発言については、ノンフィクション作家の岩上安身も、中沢は直接話したことと正反対のことをメディアで発言しており、言うことがころころ変わると評している[27]

中沢は自らが関わったオウム事件について総括していない[34]。また、チベット学者や仏教学者から批判にも応じていない。 宮崎哲弥は、オウム真理教の教義が佐保田鶴治のヨーガ哲学と中沢の『虹の階梯』に拠るところが大きく、ともに新宗教阿含宗系の出版社が版元であることに留意を促し、中沢は、オウム思想の母体を造った責任も含めて「ゾクチェンの毒、如来蔵思想の危険性を自ら認めるべき」であると述べ、こういった総括を行わない中沢の言説を日本の知的良識を代表する朝日、岩波といった出版社が引き受けている現状に疑問を呈している[27]

大田俊寛は、中沢は学問的フレームワークを十分に時間をかけて習得した形跡がなく、ニューアカ・ブームの波に乗って著名な知識人となり、非常に無自覚な仕方でオウムの運動を後押しており、オウム事件を総括しないのではなく、できないのではないかと述べている[34]。そして事件当時、中沢は「方向性を見失ったオウム信者たちを今後は自分が引き受け、彼らに生き方の指針を示す」といったことを発言したが、研究者という立場にありながら軽々しく事態に介入し、グルの代わりに生き方を示すようなメッセージを軽薄に発してしまったことには大きな問題があったと厳しく批判し、「宗教学者として、近代における宗教の在り方や問題をどのように捉えるかという、学問的フレームワークを持っているべきだった」と指摘している[34]

仏教学者の福田孝雄は、1992年の朝日新聞の中沢の記事について、麻原との2度の対談で評価を下しているが、2回程度の対談で「そのすべての能力や宗教的境地の深浅の程度が、はたして分かるものだろうか」、そもそもそういった判断ができるほど密教学者や修行者と人間的交流があったのかと疑問を呈し、宗教学の客観的・実証的立場を忘れ、主観的価値判断に基づく評価を普遍化しようという目的による発言としか思えないと批判している[38]。また同記事で、中沢は麻原について「結局、彼は宗教を利用した革命家だったのではないか」と述べているが、そうであるなら最初から革命家であって真正の宗教者ではないと指摘している[38]

宗教学者の島田裕巳は『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房 2007年4月)を出版し[47]苫米地英人[48]呉智英[49]なども、オウム真理教に関連して中沢批判を発表している。

また、中沢の弟子筋の文化人類学者佐藤剛裕は、大田俊寛の中沢批判に対しtwitter上で、太田の批判は山口瑞鳳や島田裕巳の「私怨に満ちた言説」を引き継ぐものであると発言し、大田と論争になっている[50]

発言[編集]

中国・チベット問題[編集]

中華人民共和国におけるチベット問題についてもたびたび発言をしている。ロバート・サーマン『なぜダライ・ラマは重要なのか』(講談社,2008年)の紹介文では、「中国はダライ・ラマを受け入れるとき、はじめて真の発展をとげることができるが、拒絶すれば、中国人の魂は市場経済のなかに、沈んでいってしまうだろう」と述べている。

また、ペマ・ギャルポとの対談[51]でも中国が市場経済にソフトランディングしていこうとしているが、独裁政権と市場経済は両立しないとしたうえで、十億人の人口を抱える中国の崩壊は地球規模の問題であると指摘し、「いろんな形で私たちが智慧を出し合い、干渉をおこなっていかなければならないと思います」と述べている。

家族[編集]

曾祖父の徳兵衛が甲府・日下部教会(日本メソジスト教会)を中心にキリスト教の布教を行いつつ民俗研究を行った山中共古とともに受洗し、自身も民俗研究も行った。祖父中沢毅一は徳兵衛とともに受洗した飯島信明の娘を妻とし、同様にキリスト教徒で一高教授を務め、昭和天皇に進講したこともある海洋生物学者(荒俣宏『大東亜科学綺譚』参照)。

父親の中沢厚は市議会議員(日本共産党所属)で民俗学者。叔父の中沢護人も日本共産党に所属した科学技術史家(製鉄に関する民俗学研究も行った)[52]。妻は「タンタンの冒険旅行」など多くの作品を手がける翻訳家の川口恵子。義理の叔父(叔母の夫)は日本史学者網野善彦。遠縁に作家芹沢光治良がいる。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『チベットのモーツァルト』せりか書房、1983 講談社学術文庫2003年
  • 『雪片曲線論』青土社、1985 中公文庫1988年
  • 『野ウサギの走り』思潮社、1986 中公文庫1989年
  • イコノソフィア 聖画十講』河出書房新社、1987 河出文庫1989年
  • 『虹の理論』新潮社、1987 新潮文庫1990年、講談社文芸文庫2010年
  • 『悪党的思考』平凡社、1988 平凡社ライブラリー1994年
  • 『バルセロナ、秘数3』中央公論社、1990 中公文庫1992年 講談社学術文庫 
  • 『東方的』せりか書房 1991 のち講談社学術文庫 
  • 『森のバロック』せりか書房、1992 講談社学術文庫2006年 ※南方熊楠論考、文庫は抄版
  • 『幸福の無数の断片』河出文庫 1992 ※文庫のみ
  • 『ゲーテの耳』河出書房新社、1992 河出文庫1995年
  • 知天使のぶどう酒』河出書房新社、1992 河出文庫1995年
  • 『三万年の死の教え―チベット「死者の書」の世界』角川書店、1993 角川文庫ソフィア1996年
  • 『リアルであること』メタローグ、1994 幻冬舎文庫1997年
  • 『はじまりのレーニン』岩波書店、1994 同時代ライブラリー1998年、岩波現代文庫2005年
  • 『哲学の東北』青土社、1995 幻冬舎文庫1998年
  • 『純粋な自然の贈与』せりか書房、1996 講談社学術文庫2009年
  • 『ポケットの中の野生』岩波書店、1997 新潮文庫2004年 ※書き下ろしのゲーム論
  • 『女は存在しない』せりか書房 1999 
  • 『佐久夜』静岡新聞社 2001 小著
  • 『フィロソフィア・ヤポニカ』集英社 2001 ※西田幾多郎田辺元論考、講談社学術文庫2011年
  • 『緑の資本論』集英社、2002 ちくま学芸文庫2009年
  • 『人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈I〉』講談社選書メチエ 2002 
  • 『熊から王へ―カイエ・ソバージュ〈II〉』講談社選書メチエ 2002 
  • 『精霊の王』講談社 2003
  • 『愛と経済のロゴス―カイエ・ソバージュ〈III〉』講談社選書メチエ 2003 
  • 『神の発明 カイエ・ソバージュ〈IV〉』講談社選書メチエ 2003 
  • 『対称性人類学 カイエ・ソバージュ〈V〉』講談社選書メチエ 2004 
  • 『僕の叔父さん 網野善彦集英社新書 2004 
  • アースダイバー』講談社 2005 ※天皇・東京論
  • 『芸術人類学』みすず書房 2006 
  • 『三位一体モデル TRINITY』東京糸井重里事務所 2006 
  • 『ミクロコスモス I〜II』四季社 2007 のち中公文庫 
  • 『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 2008
  • 『狩猟と編み籠  対称性人類学II』講談社<芸術人類学叢書1> 2008 ※カイエ・ソバージュの続刊
  • 『鳥の仏教』新潮社  2008 ※チベット語仏典から初訳と解説、新潮文庫2011年
  • 『日本の大転換』集英社新書 2011
  • 『野生の科学』講談社 2012 
  • 『惑星の風景 中沢新一対談集』青土社 2014
  • 『日本文学の大地』KADOKAWA/角川学芸出版 2015
  • 『チベットの先生』角川文庫ソフィア2015(1997年に刊行された『知恵の遥かな頂』〔ラマ・ケツン・サンポ著/中沢新一編訳〕を大幅に加筆・改題したもの

共著[編集]

編著[編集]

  • 1989年『東洋の不思議な職人たち』平凡社・東洋文庫ふしぎの国2
  • 1989年『神々と妖精たち』 平凡社・東洋文庫ふしぎの国9 
平凡社東洋文庫500点刊行記念の別冊
  • 1991年『南方熊楠コレクションⅠ 南方マンダラ』 河出書房新社・河出文庫
  • 1991年『南方熊楠コレクションⅡ 南方民俗学』河出書房新社・河出文庫
  • 1991年『南方熊楠コレクションⅢ 浄のセクソロジー』河出書房新社・河出文庫
  • 1991年『南方熊楠コレクションⅣ 動と不動のコスモロジー』河出書房新社・河出文庫
  • 1991年『南方熊楠コレクションⅤ 森の思想』河出書房新社・河出文庫

共編[編集]

翻訳書[編集]

  • 『サーカス アクロバットと動物芸の記号論』ポール・ブーイサック著 せりか書房 1977.12
  • 『鯰絵-民衆的想像力の世界』コルネリウス・アウエハント著 共訳 せりか書房 1979.10
  • 『衣裳のフォークロア』P.G.ボガトゥイリョフ著 松枝到共訳 せりか書房 1981.9
  • 『セメイオチケ2 記号の生成論』ジュリア・クリステヴァ著 共訳 せりか書房 1984.7
  • 『記号の横断』ジュリア・クリステヴァ編著 共訳 せりか書房 1987.11
  • 『せかいのはじまり』(世界おはなし名作全集 第12巻)小学館 1990.10
  • 『チベットの聖者ミラレパ』エヴァ・ヴァン・ダム著 法蔵館, 1994.7
  • 『サンタクロースの秘密』クロード・レヴィ=ストロース著 せりか書房, 1995.12
  • 『禅の言葉』マルク・ドゥ・スメト編 紀伊国屋書店, 1996.6
  • 『インディアンの言葉 北米インディアンの記録から』ミッシェル・ピクマル編 紀伊国屋書店 1996.9
  • 『ブッダの言葉』マルク・ドゥ・スメト編 小幡一雄共訳 紀伊国屋書店 1996.12
  • 『知恵の遥かな頂』ラマ・ケツン・サンポ著 編訳 角川書店, 1997.7
  • 『ダライ・ラマ、イエスを語る』ダライ・ラマ 角川書店, 1998.5
  • 『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック編 石川雄午共訳 めるくまーる 1998.8
  • 『グレイ・アウル 野性を生きた男』ラヴァット・ディクソン著 馬場郁共訳 角川書店 2000.6
  • 『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』ダライ・ラマ,ファビアン・ウァキ著 角川書店, 2003.3
  • クロード・レヴィ=ストロース 『パロール・ドネ』 講談社選書メチエ2009.6  ※講演・講義録 
  • 『料理民俗学入門』イヴォンヌ・ヴェルディエ著 くくのち学舎, 2009.9

雑誌掲載論文・随筆[編集]

  • 「「赤マタ・黒マタ」祭祀の構造」『沖縄文化研究』2巻、法政大学、1975年。
  • 「斬り殺された異人――通底器としてのフォークロア」『伝統と現代』第38号、伝統と現代社、1975年。
  • 「街路の詩学――見世物芸の記号論分析にむけて」『思想』通巻640号、岩波書店、1977年。
  • 「鯰絵――構造人類学と日本学」〔C.アウエハント、小松和彦との共著〕『思想』通巻71号、岩波書店、1980年。
  • 「夢の作業と共同体の祭り」『伝統と現代』第43号、伝統と現代社、1980年。
  • 「意識の胎生学――タントラ仏教の身体論について」『思想』通巻698号、岩波書店、1982年。
  • 「柔らかい暴力機械」『現代詩手帖』26(7)、思潮社、1983年。
  • 「テクストの預言者」『現代詩手帖』26(11)、思潮社、1983年。
  • 「ゴジラの来迎――もう一つの科学史」『中央公論』98(14)、中央公論社、1983年。
  • 「アジア・アフリカにおける象徴と世界観の比較研究」〔高知尾仁との共著〕『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』49号、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1983年。
  • 「音、その分子的革命」『音の宇宙模型 -Sound Cosmodel-「夜想Extra」』ペヨトル工房、1984年。
  • 「アジア・アフリカにおける象徴と世界観の比較研究」〔宮崎恒二との共著〕『アジア・アフリカ言語文化研究所通信』52号、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1984年。
  • "The zero logic of disease; a critique of violence". Monumenta Serindica 15, 117-166, (Tokyo: Institute for the Study of Languages and Cultures of Asia and Africa.) 9. 1986年
  • 「神仏習合について――宗教学の視点から」『国文学 解釈と教材の研究』 32(7)、中央公論社、学燈社、1983年。
  • 「すばらしい日本捕鯨」季刊誌『ルプレザンタシオン』第1号、筑摩書房、1991年。
  • 「古代的マトリックス」季刊誌『季刊仏教』法蔵館、1994年。
  • 「縄文・ミシャグチ・道祖神――環太平洋神話学への一試論」『東北学Vol.9』、東北文化研究センター、2003年。
  • 「患者を生かす看護のポイエーシス」『ナーシング・トゥデイ』18(2)、日本看護協会出版会、2003年。
  • 「苦行と快楽」、岩波講座『宗教/5 言語と身体 : 聖なるものの場と媒体』所収、岩波書店、2004年。
  • 「国文学と人類学」、『人文論叢』第79集、二松学舎大学、2007年。
  • 「なぜ今、チベット仏教か」季刊誌『ジッポウ』6号(2008夏号)特集「平和なれチベット」ダイヤモンド社、2008年。
  • 「経済とは何か 原点から考える」『INES特別レポート』新時代戦略研究所、2008年。
  • 「対称性の思考としてのアニミズム」『人と動物の関係学1 動物観と表象』岩波書店、2009年。
  • 「脳内トポロジーとしての地図学」『仮想地球の試み 地域と地球をつなぐ』京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科、2010年。
  • 「民藝を初期化する」『Art Anthropology 05』多摩美術大学芸術人類学研究所、2010年。
  • 「特集 農業と女性――JA愛知東女性部の活動と組織原理」〔石倉敏明、天野移山、川井真との共著〕『共済総合研究』通巻70号、JA共済総合研究所、2015年。
  • 「二つの「自然」 (特集 現代思想の新展開2015 : 思弁的実在論と新しい唯物論) -- (未来の自然)」『現代思想』43(1)、2015年。

論文[編集]

映画字幕翻訳[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 仲正昌樹 著 『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 NHKブックス、日本放送出版協会、2006年
  2. ^ 河合隼雄『仏教が好き!』(朝日新聞出版 朝日文庫 2008年6月30日
  3. ^ 安藤礼二編「年譜」『虹の理論』 講談社文芸文庫、2010年、320頁。
  4. ^ 宗教学者"世代超え"対談・島田裕巳×大田俊寛(中編)「島田さんがオウム擁護派と見なされたのには、4つの理由があった」 日刊サイゾー
  5. ^ アナガーリカ・ゴーヴィンダはチベット仏教を学び、インドで教鞭を取るとチベット仏教をプロモートする組織を立ち上げ活動した。彼のチベット仏教の理解はあまり正確ではなかったものの、その著作は欧米で広く読まれ、スピリチュアルな体験を求める人々を魅了し大きな影響を与えた。
  6. ^ 石濱裕美子 『世界を魅了するチベット―「少年キム」からリチャード・ギアまで』、2003年
  7. ^ ラマ・ケツン・サンポ 『知恵の遙かな頂』 角川書店、1997年、249頁。
  8. ^ ケツン・サンポ・リンポチェ略歴 ゾクチェン研究所
  9. ^ a b c 袴谷憲昭書評 「吉本隆明・梅原猛・中沢新一著, 『日本人は思想したか』」」、『駒澤短期大學佛教論集 2』、駒澤大学1996年10月、 133-147頁。
  10. ^ 「季刊セムSems」第3号、1999年、ゾクチェン研究所。
  11. ^ 『惑星の風景』青土社、2014年、98頁。
  12. ^ 安藤礼二編「年譜」『虹の理論』 講談社文芸文庫、2010年、323頁。
  13. ^ 安藤礼二編「年譜」『虹の理論』 講談社文芸文庫、2010年、326頁。
  14. ^ 映画監督の宮崎駿は本映像について、映画「もののけ姫」制作時にくり返し観たと述べている。http://www.ghibli.jp/tibet/top.html
  15. ^ 『三万年の死の教え - チベット『死者の書』の世界』角川文庫ソフィア、186頁。
  16. ^ 山口瑞鳳「中沢新一氏とNHKが持ち上げる「チベット死者の書」はエセ仏典」『諸君!』』26(6)、1994年、154~161頁。
  17. ^ http://www.kawaihayao.jp/gakugei.html
  18. ^ Dzogchen Institute Japan: About (2916年1月5日閲覧)
  19. ^ a b 袴谷憲昭書評 「松本史朗著 『チベット仏教哲学』」」、『駒澤短期大學佛教論集 4』、駒澤大学1998年10月、 163-181頁。
  20. ^ 『神話思考1』言叢社、2010年、28頁 - 29頁
  21. ^ 「はじめての中沢新一」ほぼ日https://www.1101.com/nakazawa/2005-12-20.html
  22. ^ (書評)中沢新一著『対称性人類学』2004 講談社選書メチエ(松岡正剛の千夜千冊)
  23. ^ a b c 初めての中沢新一 アースダイバーから芸術人類学まで 第50回 ほぼ日刊イトイ新聞 2006-02-07
  24. ^ ネオゲルマン異教とニューエイジ運動 岩井國臣 2012年8月4日(土)
  25. ^ 原発の超克へと、渾身の文明論 中島岳志 ブック・アサヒコム 2011年10月16日
  26. ^ 山口瑞鳳 『チベット 下』 東京大学出版会、改訂版2004年、269-282頁。
  27. ^ a b c d e 「中沢新一の思想責任 ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち」、上田高史 編集 「宝島30 5月号」 1995年、宝島社
  28. ^ 『現代日本のスピリチュリティ』岩波書店、2013年、68 - 69頁
  29. ^ 山脇直司2013「〈駒場をあとに〉西部劇から四半世紀の想い出と所感」『教養学部報』554号、東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部HP、2013年7月12日掲載
  30. ^ a b c 堀江宗正書評 「中沢新一著、『カイエ・ソバージュ』(全5巻)」」、『宗教研究 79(1)』、日本宗教学会、2005年6月30日、 127-136頁。
  31. ^ 中沢新一『日本の大転換』への批判 宗教学探究:大田俊寛の研究室 2011.10.29
  32. ^ 岩上安身「中沢新一レーニン礼賛の驚くべき虚構」『諸君!』』1997年、1月号
  33. ^ 白井聡 『未完のレーニン』 講談社〈講談社選書メチエ〉、2007年、あとがき。
  34. ^ a b c d e 〈対談〉元アーレフ代表・野田成人×宗教学者・大田俊寛(前編) 『自ら「グル」になろうとした中沢新一ら研究者たちの罪と罰』”. 日刊サイゾー (2011年8月31日). 2015年12月22日閲覧。
  35. ^ 坂本堤弁護士一家殺害事件を巡って麻原彰晃と対談。教団が事件に関係していないことを、麻原本人に確認した上で、「(現代社会の宗教への無理解に曝されているオウム真理教を、宗教学者としては)弁護する義務を感じる」と発言。『SPA!』1989年12月6日号
  36. ^ 「麻原さんは嘘をついている人じゃないと思った」『週刊ポスト』1989年12月8日号「オウム真理教のどこが悪いのか」など
  37. ^ 別冊宝島33号 独占手記・元オウム信者の告発「僕と中沢新一さんのサリン事件」宝島社
  38. ^ a b c 福田孝雄「現代社会と仏教 : 特にカルトの盛行に関連して」」、『駒澤大学佛教学部論集 28』、駒澤大学1997年10月、 279-296頁。
  39. ^ 島岩オウム真理教の捉え方」、『北陸宗教文化 13』、北陸宗教文化研究会、2001年3月、 305-327頁。
  40. ^ 『imago 1995年8月臨時増刊号』 総特集=オウム真理教の深層 責任編集=中沢新一 青土社
  41. ^ 同誌に寄稿した人物には他に、哲学者の鵜飼哲や社会学者の吉見俊哉、ロシア文学研究者で翻訳家の亀山郁夫などがいる。
  42. ^ 週刊プレイボーイ1995年5月30日号
  43. ^ ゲンロンチャンネル http://ch.nicovideo.jp/genron-cafe
  44. ^ 「オウムとは何だったのか」『諸君!』1995年八月号
  45. ^ 「憲法九条を世界遺産に」太田光と共著、集英社新書、2006年
  46. ^ 別冊宝島229 オウムという悪夢』
  47. ^ 島田裕巳『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房 2007年4月)
  48. ^ 苫米地英人『スピリチュアリズム』にんげん出版、2007年。
  49. ^ 呉智英坪内祐三福田恒存から断筆・筒井康隆まで戦後論壇この50人・50冊」『諸君!』1997年、11月号
  50. ^ 中沢新一批判をめぐる論争 togetter.com
  51. ^ 『ayusーいのち』(2008年11月号、アーユス仏教国際協力ネットワーク発行)[1]
  52. ^ 杉本仁「山梨県におけるキリスト教と民俗学-山中共古から中沢新一まで-」『甲斐』(第118号、2009年2月)

関連人物・項目[編集]

外部リンク[編集]