香川恵美子

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たぐち えみこ
田口 恵美子
プロフィール
本名 田口 恵美子(2001年 - )
香川 恵美子(出生名)
出身地 日本の旗 日本 香川県高松市
生年月日 (1965-10-18) 1965年10月18日(58歳)
血液型 O型
最終学歴 立教大学文学部史学科卒
職歴 TBSアナウンサー
活動期間 1988年 - 1998年
ジャンル スポーツ
配偶者 田口壮
出演番組・活動
出演経歴 各種スポーツ中継
JNNおはようニュース&スポーツ
ビッグモーニング
筑紫哲也NEWS23
など
備考
TBSアナウンサー時代は、「香川恵美子」名義で活動。アナウンサー時代より、ライターとしても活動。2001年の田口壮との結婚以降は「田口恵美子」名義で活動。
田口 恵美子
(香川 恵美子)
誕生 (1965-10-18) 1965年10月18日(58歳)
日本の旗 日本 香川県高松市
職業 アナウンサー
ライター
言語 日本語
最終学歴 立教大学
活動期間 1995年『ノイズ・オンリー あるがままのスポーツシーン』
配偶者 田口壮
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香川 恵美子(かがわ えみこ、1965年10月18日[1][2] - )は、ホリプロスポーツ文化部のアナウンスルームに所属するフリーアナウンサーで、元・東京放送(TBS)アナウンサー昭和時代の最後(1988年)にTBSへ入社したアナウンサーの1人で、同局が「スポーツアナウンサー」として採用した最初の女性でもある。

TBSを1998年に退社してからは、ライターとしても活動している。2001年田口壮(当時はNPBオリックス・ブルーウェーブ外野手)と結婚したことを機に、本名を田口 恵美子(たぐち えみこ)に変更。結婚後は、この本名を公の活動にも用いている。

来歴・人物[編集]

実父もアナウンサー[3]で、父方の叔父は栗林公園(香川県高松市)内の動物園(2004年3月に閉園)で園長を務めていた。恵美子は叔父の園長在任中に動物園内の園長宅で出生したが、本人によれば、「物心が付いた頃には東京都内で生活していた」とのことである。

佼成学園女子高等学校から立教大学文学部史学科へ進学[1]。高校では陸上競技部やり投に取り組んでいた[4] が、肘を傷めたことがきっかけで競技生活を断念した。大学ではバレーボール部に所属。当時はスポーツの現場を取材する記者を志していて、在学中の就職活動ではスポーツ紙の入社試験にも臨んでいたという。TBSのアナウンサー試験を受けたのは、「スポーツアナウンサーとして採用することを条件に、男女を問わず門戸を開く」という試みが初めて為されていたことによる。

大学卒業後の1988年4月に、TBSへアナウンサー第24期生として入社。同期は佐古忠彦清原正博向井政生[5]杉山真喜人で、いずれも香川と同じく「スポーツアナウンサー」として採用された[6][7]

TBSへの在籍中は、スポーツ中継のリポーターや、報道・情報番組(テレビの『筑紫哲也 NEWS23』など)のスポーツキャスターを担当。さらに、同局の女性アナウンサーとしては初めて、プロ野球マラソン・陸上競技の中継で実況を任されていた。同局が日本国内向けの放送権を保有していた世界陸上アテネ大会(1997年)のテレビ中継では、投擲系の3種目(室伏広治が日本代表として世界陸上に初めて出場した男子ハンマー投など)を実況。1992年バルセロナオリンピック・女子マラソン競技のテレビ中継(TBS制作)では、(男子を含めた)日本国内向けのマラソン中継で初めて、オートバイの後部座席からのレース実況(バイクリポート)に臨んでいた[8]。その一方で、新聞や雑誌で数々のエッセイを連載。1995年には、『ノイズ・オンリー あるがままのスポーツシーン』と題したスポーツエッセイ集を、自身初の著書として発表した。

1997年毎日放送TBS系列の準基幹局)の社員と結婚したが、翌1998年に離婚。1998年12月31日付でTBSを退社して[6][7]からは、活動の拠点をアメリカ合衆国に移した[9]うえで、少年犯罪関連の取材を始めた。本人は、TBSからの退社に至った背景に「『一会社員』であるはずの女性アナウンサーが、いつの間にか『女子アナ』と称してタレントのように扱われるようになったことへの戸惑い」[10]を挙げていて、退社後の1999年双葉社から発売された著書『自分らしく―Go forward』でも前述した半生や「元・スポーツキャスター」としての本音を明かしている。

2001年にオリックス・ブルーウェーブ外野手(当時)の田口壮と再婚して[9]からは、「田口恵美子」名義で活動。田口が海外FA権の行使によってメジャーリーグ(MLB)セントルイス・カージナルスへ入団した2002年から、2010年オリックス・バファローズ(ブルーウェーブの後継球団)でNPBに復帰するまでは、アメリカで再び生活していた[9]2007年には心労の蓄積が原因でパニック障害を一時患っていた[11]ものの、田口がシカゴ・カブスへ移籍した2009年には、NHKのスポーツ情報サイト内で『パパはメジャーリーガー』というコラムを連載[12]。その後は、メジャーリーグ婦人会の活動や、マイナーリーグにおける田口の苦闘などを綴った書籍を出している。

詳細情報[編集]

出演番組[編集]

※いずれも、TBSアナウンサー時代。

ラジオ
テレビ

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 外部リンク(TBSホームページ内プロフィール)を参照。
  2. ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』P206に掲載のプロ野球アナウンサー名簿内プロフィール。
  3. ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』P207より、「越智正典時代の新鋭野球アナだった。」との記述あり。
  4. ^ 『all TBS 紳士・淑女録』P7(原資料P34)より、「脚線美は、高校時代の槍投げで鍛えられた」との記述あり。
  5. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P30では、「向井正生」表記
  6. ^ a b c d e 『TBS50年史』資料編P239より参照。
  7. ^ a b c d e f g 『TBSアナウンサーの動き』P30より参照。
  8. ^ ホリプロのスポーツ文化部が「田口恵美子」名義で公表している略歴を参照
  9. ^ a b c d e 著書『メジャーリーガーの嫁 〜ヨメだけが知る田口壮の挑戦、その舞台裏〜』プロフィール
  10. ^ 女性アナとプロ野球選手の結婚が減っている事情…「付き合ったら結婚するしかない」90年代、00年代にあった“現場の”価値観”. Sportiva. p. 1 (2021年11月22日). 2024年2月18日閲覧。
  11. ^ 元TBSアナ田口恵美子 パニック障害だった…壮絶生活に涙1」『スポーツニッポン』、2014年7月23日。2024年2月18日閲覧。
  12. ^ 参考:「パパは大リーガー 〜ワールドシリーズ編〜」 - 『NHKスポーツオンライン』内『ちょっと読ん得?』より、2009年10月26日付掲載記事(リンク先は、インターネットアーカイブ2009年11月1日付保存キャッシュ)。
  13. ^ 参考:1998年初場所当時の放送スケジュール(1月19日放送分のキャスターとして、香川恵美子の名が明記) - 当時のTBSホームページより(リンク先は、インターネットアーカイブ1998年1月12日付保存キャッシュ)
  14. ^ 『TBS50年史』資料編P239および『TBSアナウンサーの動き』P30では、「マンデナイトベースボール」と誤記。
  15. ^ 『TBSアナウンサーの動き』P30では、「ニュース&スポーツ」と明記。

参考資料[編集]

  • '98プロ野球12球団全選手百科名鑑(『ホームラン』3月号増刊。1998年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 付録のDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録されたPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
      • 『all TBS 紳士・淑女録』第10回(1992年6月25日発行の社内報P28 - 35に掲載)の再録(全8ページ)
  • 各外部リンク

関連項目[編集]

外部リンク[編集]