NINTENDO64

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NINTENDO64
N64.jpg
NINTENDO64本体
メーカー 任天堂株式会社
種別 据置型ゲーム機
世代 第5世代
発売日 日本の旗 1996年6月23日
アメリカ合衆国の旗 1996年9月29日
欧州連合の旗 1997年3月1日
フランスの旗 1997年9月1日
CPU 64bit 93.75MHz NEC VR4300カスタム (MIPS)
GPU SGI Reality Co-Processor 62.5 MHz 64-bit RCP
対応メディア ロムカセット
対応ストレージ コントローラパック
コントローラ入力 ケーブル接続 x 4
外部接続 50PIN拡張コネクタ
オンラインサービス 64DD
売上台数 日本の旗 554万台
世界 3293万台[1]
最高売上ソフト マリオカート64
互換ハード iQue Player
前世代ハードウェア スーパーファミコン
次世代ハードウェア ニンテンドーゲームキューブ
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NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂株式会社より1996年に25,000円(税別)で発売された家庭用ゲーム機スーパーファミコンの次世代機種。

略称は「64(ロクヨン)」、「N64」など。1993年の開発発表時のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」、正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」(日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「ウルトラファミコン」だった。 生産は既に終了しており、2007年10月31日をもってファミリーコンピュータスーパーファミコン等と共に公式修理サポートを終了した。NINTENDO64で発売されたゲームソフトの一部は、Wiiのゲームソフト配信サービスであるバーチャルコンソールで購入、プレイすることができる。

概要[編集]

1990年代中期に「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応した。メディアは従来と同じくロムカセット式である。ファミコンやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は竹田玄洋が率いる開発第三部がハード開発を行った。開発第三部はROMカートリッジの特殊チップの開発を行っていた部署である。当時任天堂はこれと並行して次世代機としてのCD-ROM機を製作。上村雅之らによるとほぼ完成していたとされるが、それを没にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は山内社長により「ウルトラファミコン」として発表されていた。

第5世代としては最も後発であり、64ビットCPUパースペクティブ補正Zバッファを初めて採用しているなど、他の機種に比べて3Dポリゴンの演算能力が高く、当時のゲーム機の水準より高性能なものになっている[2]。CPUは、当時グラフィックスワークステーションメーカーだったシリコングラフィックス(SGI)と提携して開発が行われ、メインにはRISCMIPS R4300カスタム、32ビットRISCのR3000をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」、メインメモリには、当時はまだ珍しかった高速なRambus DRAMを採用するなど、先鋭的なハードウェア構成となっている。64ビットのR4300カスタムは最高122MIPSの処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つであるPlayStationの搭載するCPUの約4倍の処理能力にあたる。ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、先代機種のスーパーファミコンの35倍もの性能を持っている。

また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。これはプログラミングによってあらかじめハードウェアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、更なる性能向上を図ったものである。例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『ヨッシーストーリー』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『最強羽生将棋』、『F-ZERO X』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『マリオカート64』等)を、メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。

ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー(Chris Stamper)がコンサルタントとして半年間参加。開発のイニシアチブは任天堂が取っているが、設計提案については25%が任天堂、75%はSGIが占めた。

ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なっており、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。

コントローラは三つ又の独特な形状を採用。コントローラ中央にアナログスティック「3Dスティック(サンディスティック)」を装備し、新しいゲーム感覚をアピールした。しかし、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。「レフトポジション」、「ライトポジション」、「ファミコンポジション」など、握り方が多数存在する特異なコントローラである。主に十字キーと3Dスティックで操作するレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、A・B・Cユニット等の各種ボタン類と3Dスティックで操作するライトポジションのソフトが大半を占めた。 また、それまでは2つが主流だったコントローラー端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。

それまでのファミリーコンピュータ(NES)やスーパーファミコン(SNES)は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、韓国を除く全出荷地で「NINTENDO64」という名称に、本体の型番もNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX)(XXXには出荷国のコードが入る。日本ならJPN)に統一された。

発売された1996年当時はRCAコンポジット端子を備えたテレビが既に普及していたことにより、前世代機のスーパーファミコンまで本体に内蔵していて、出荷国の放送規格に合わせるために、出荷国によって基板を作り分けしなければならない要因であったRFユニットを外付け・別売にし、本体側の電源端子の形状も統一され、ACアダプター部分を除く分類ではカラーテレビの規格がNTSC方式を採用する日本・韓国向けのもの(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用するアメリカ合衆国カナダ向けのもの(カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL方式を採用するヨーロッパ(主にEUの西欧諸国)とオセアニアオーストラリアニュージーランド)向けのものの3つに絞られている。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在のハイニックス半導体)が「ヒョンデ・コンボイ64」の名称を付けて発売し、本体には「컴보이64(コンボイ64)」と「NINTENDO64」のロゴが併記された。

最終的に日本国内では554万台、国外で2738万台、計3292万台が出荷された。中国は当時の中国の法律問題や違法コピーを危惧していたことから本機は出荷されなかったが、本機をベースにして携帯型・ダウンロード専用としたiQue Playerが2003年に発売された。

仕様[編集]

CPU
RCP
RDRAM
  • CPU:MIPS 64ビットRISC R4300カスタム 93.75MHz
  • メディアコプロセッサ:Reality Co-Processor (RCP) 62.5MHz
    • SP(サウンド及びグラフィックス演算プロセッサ:Signal Processor):32bitCPUコア(MIPS4命令のスカラユニット)、16ビットの固定小数点を8列同時実行できる積和演算機(最大500MIPS)を搭載し、ポリゴンの頂点演算や光源、Z値の計算などを行う。さらに、より高精度な頂点座標の算出や色補間データの生成をするためのサブ・ピクセルポジショニングを行う。
    • DP(ピクセル描画プロセッサ:Display Processor)
  • メモリ:RAMBUS DRAM 36Mbit(標準4.5MB、メモリー拡張パック増設時9MB) 最大転送速度: 4500Mbit/秒 (562.5MB/s)
  • ポリゴン表示能力:最大10万ポリゴン/秒
  • 最大解像度:256×224 - 640×480ドット
  • 色数:RGBA21bitカラー 最大32bitカラー 8bit階調の色混合機能(アルファブレンディング)
  • サウンド機能:ステレオADPCM音源 16bit(チャンネル数の概念はなく、RCPの配分で変動する。100%をサウンドに使うと100チャンネルほど出せるとされる)
  • メディア:ロムカセット 容量:8MB - 64MB

沿革[編集]

  • 1993年お盆頃 - SGIと正式合意。
  • 1993年8月22日 - 第5回初心会展示会で任天堂がSGIと共同で64ビット機を開発することが公表された(プロジェクトリアリティ)。価格は250ドル以下、95年末発売を予定。
  • 1994年5月 - アメリカのE3で64ビット機の本体外観写真を公開、仮称は「ウルトラ64」になったと発表。
  • 1994年10月15日 - 第6回初心会ソフト展示会で、ウルトラ64のデモ映像公開。
  • 1994年10月 - アメリカのアーケードゲームのトレードショー(Amusement Manufacturers Of America)で、アーケードゲームとして公開された。ソフトは『キラーインスティンクト(Killer Instinct)』(対戦型格闘ゲーム 開発:レア社)と『クルージンUSA(Cruis'n USA)』(レースゲーム 開発:ミッドウェイゲームズ)だった。
  • 1995年秋 - 正式名称が「NINTENDO64」に決定。
  • 1995年9月14日 - 第7回初心会展示会でNINTENDO64とコントローラを公開。価格と発売日(1996年4月21日)を発表。『スーパーマリオ64』と『カービィボウル64』をプレイアブル出展。64DDの発表。
  • 1996年3月7日 - NINTENDO64の発売日を6月23日に延期すると発表。
  • 1996年6月23日 - NINTENDO64を発売。希望小売価格25,000円(税別)。
  • 1997年3月14日 - 本体価格を16,800円(税別)に改定[3]
  • 1998年7月1日 - 本体価格を14,000円(税別)に改定。
  • 1999年12月1日 - 本体のカラーバリエーションにクリアブルークリアレッドを追加。
  • 1999年12月11日 - 64DDランドネットサービス申込者に配布。
  • 2000年2月24日 - ランドネットサービスが開始される。
  • 2000年7月21日 - 本体に「ポケットモンスター」の人気キャラクターピカチュウをあしらった「ピカチュウNINTENDO64」を発売。価格は据え置き。
  • 2001年2月28日 - ランドネットサービスが終了。
  • 2001年9月14日 - 次世代機「ニンテンドーゲームキューブ」国内販売開始。
  • 2001年12月20日 - ハドソンが日本国内ではNINTENDO64最後のソフトとなる『ボンバーマン64』を発売。
  • 2007年10月31日 - 「部品の確保が困難になった」としてNINTENDO64の修理サポートを終了。

苦戦[編集]

当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる。64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期による発売の遅延(ライバル機より2年近くも遅れた)により、登場時にはプレイステーションが市場を占拠し始めていたことが大きかった(NINTENDO64が発売された96年6月時点でプレイステーションの累計出荷台数は270万台を超えていた。97年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、98年3月末時点は315万台。対するプレイステーションは97年3月末時点で累計出荷台数650万台、98年3月末時点で1151万台だった[4])。開発環境の問題や64DD構想が難航したために更なるサードパーティー離れの参入メーカー不足によるソフト不足の現象が起き、普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代の「プレイステーション」はもとより、国内では「セガサターン」にさえ及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をソニー・コンピュータエンタテインメントに明け渡すことになった。

この時代の次世代ゲーム機戦争の特徴は3Dを導入したハードが登場したことであり、それに伴いソフトの開発環境が激変した。開発言語が従来のアセンブリ言語からC言語へ変わり、開発人員も増大した。NINTENDO64の発売2年前に登場したソニー・コンピュータエンタテインメントのプレイステーションはソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々ソニースーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂はソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいたため、プログラムのライブラリを作るという発想がなく、ましてやそれをサードパーティに配布するノウハウなどなく、当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた。

任天堂自体はファミコン・スーパーファミコン時代よりソフト開発が早くなったとしていたが、発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が2年も発売が遅れるほどハード機能に依存した製作に突入してしまう事態が起きる[要出典]。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初はディスクシステムと同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れすぎたのが響き、ほとんど定着しなかった。

NINTENDO64は発売初期からすでに慢性的な参入メーカー不足によるソフト不足に見舞われ、特にハード発売より約3ヶ月は、サードパーティはおろかハードメーカーである任天堂からも新作ゲームが1本も発売されないという深刻なものだった。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売にこぎつけたものすら半分ほどで、残りのものは発売中止となった。

サードパーティ離れで致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇るRPGシリーズが離れたことであり、ファイナルファンタジーシリーズは大容量メディアであることを理由に、ドラゴンクエストシリーズは普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけにいずれもプレイステーションに移籍。RPG不足は後々まで尾を引いた。

また当時は対戦格闘ゲームの絶頂期でもあり、セガサターンは『バーチャファイター』、プレイステーションは『鉄拳』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、NINTENDO64は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で格闘ゲームを開発しない[5]独自路線を取った。同時期はプレイステーションやセガサターンとのマルチプラットフォーム作品が度々登場していた。しかし、NINTENDO64はCD-ROM不採用のハードウェアであることや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多かったため、マルチプラットフォーム化された作品が非常に少なく、対戦型格闘ゲームなどは後期になっても不足した。

ハードの価格においても、プレイステーションは発売時39800円、セガサターンは44800円と高価格だったが、NINTENDO64は25000円という高性能の割りに安い値段を打ち出した。しかし、NINTENDO64発売前にプレイステーションとセガサターンは熾烈な価格競争を始め、NINTENDO64発売時にはプレイステーションは19800円、セガサターンは20000円まで価格を下げており、NINTENDO64は価格優位性を全く活かせなかった。NINTENDO64は1997年3月14日に一度目の値下げが行われ16,800円となり、最終的に1998年7月1日に行われた二度目の値下げで14,000円となった。

日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、スーパーマリオ64ゴールデンアイ 007がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2063万台とSuper Nintendo Entertainment System(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂のようにプログラマが独自でやることが多く、プログラム問題が起きなかった。64DDは元々日本限定だったのでそれに伴う騒動が起きなかった。RPG・格闘ゲーム問題についても北米は日本と違いRPGにさほど人気がなかった。

宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお陰で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている[6]。新作ソフトの発売も、日本国内においては2001年12月発売の『ボンバーマン64』が最後だったが、北米では2003年夏まで新作ソフトが発売され続けた。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『トニーホークプロスケーター3』が「PlayStation 2」、「ニンテンドーゲームキューブ」、「Xbox」など、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開されたことは、北米での成功を表している。

ハード・ソフトの評価[編集]

発売されたソフトは日本国内では全206タイトルに過ぎないが、人気を博したソフトや、作品として極めて高く評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。

特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などはそれぞれかなりの人気を獲得し、売上も好調だった。本ハードで初めて登場したマリオパーティシリーズは、現在も続編が発売される人気タイトルとなっている。また、売り上げこそ劣るものの『実況パワフルプロ野球』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、シリーズ屈指の作品として現在も根強く支持されている。

周辺機器として発売された「振動パック」や、コントローラーの3Dスティックといったいくつかの試みは後々のゲーム機に影響を残している。当時としては圧倒的な3D表現能力を低価格で実現したことは高く評価され、『タイム誌』の1996年「MACHINE OF THE YEAR」に選出された。

1997年グッドデザイン金賞を受賞している。

2001年にはNINTENDO64において任天堂最後のソフトとなる『どうぶつの森』が発売。当時はN64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによってたちまち品薄状態を生み出し、ニンテンドーゲームキューブニンテンドーDSを経て現在も続く任天堂の看板タイトルとなった経緯がある。

その他[編集]

  • NINTENDO64というネーミングは、コピーライター糸井重里が命名した。
  • ニンテンドゲームキューブニンテンドDSなどと違い、NINTENDO64は「ニンテンド64」が公式なカタカナ表記である。これは「ニンテンドー64」と表記してしまうと「ー(長音)」が、形式番号などの「-(ハイフン)」と間違われる可能性があったからである。
  • 型番に見られる「NUS」は、「Nintendo Ultra Sixty-four」の略といわれている。
  • 3Dスティックはサンディスティックと呼ぶのが正しい。テレビ雑誌等でスリーディースティックと呼称する場合があったが、これは誤りで、任天堂の広報が対応する場合、スリーディーと言われるとその場で訂正することがあった。
  • 発売当初は『スーパーマリオ64』(1996年)、『マリオパーティ』(1st ver、1998年)など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にそういったことを勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていても使用頻度によってはかなりの短期間で、「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。
  • 発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子に「はがさないでください」という赤いシールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『ドンキーコング64』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。
  • 後年には本体色を従来の黒色から半透明の青や赤に変更したクリアバージョンや、「ポケットモンスター」の人気キャラクター、ピカチュウを本体にあしらった「ピカチュウ NINTENDO64」が発売された。希望小売価格は14,000円。64DDと同梱版のクリアブラックバージョンや、トイザらス限定のゴールドバージョンなどもある。特にクリアブラックは64DD以上に少ないため珍しい。
  • スーパーファミコン用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である。
  • 対戦型格闘ゲームが少ないため、ホリ電機(現・ホリ)がジョイスティックを発売しなかった珍しいハードでもある(アメリカでは別の会社から1種類だけジョイスティックがリリースされている)。

周辺機器[編集]

任天堂純正[編集]

コントローラ
パック
コントローラ
ブロス
振動パック
専用カセット
メモリー拡張パックと接続の様子
ターミネータパックとイジェクタ
64GBパック
VRSユニット
マイクとカバー
RFモジュレータとAV仕様ファミリーコンピュータ用のRFモジュレータの比較
バイオセンサー
型番 名称 備考
NUS-001 NINTENDO64 1996年6月23日発売。本体カラーバリエーションは、当初はブラックのみだったが、1999年12月にはクリアカラーの「クリアブルー」、「クリアレッド」が発売された。この他にもトイザらス限定のカラーリングや福岡ダイエーホークスのリーグ優勝を記念して発売された限定バージョンなどが存在する。
NUS-002 ACアダプタ 本体に直流電源を供給するアダプタ。本体に同梱。
3.3V 2系統、12V 1系統の合計3系統。
NUS-003 RF
モジュレータ
本体をテレビにRF接続させるための変換器。コンポジットビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。
スーパーファミコンジュニアニンテンドーゲームキューブでRF接続する際にもこれが必要。
なお、AV仕様ファミコン用で代用すると、問題がある[7]
NUS-004 コントローラ
パック
コントローラの拡張コネクタに接続して対応ソフトのゲームデータを保存することができる。
データ容量は256Kbit(32KB)。保存領域は全123ページあり、データのページ数はソフト毎に異なる。
NUS-005 コントローラ
ブロス
三ツ又の特徴的な外観で、左側には十字キーと側面のLトリガーボタン、右側に主要操作を担うAボタン(青)・Bボタン(緑)と、補助操作を担うCボタンユニット(黄)、側面のRトリガーボタンを配する。中央にはSTARTボタン(赤)と、3Dスティック(サンディスティック)と呼ばれる入力デバイスがある。3Dスティックは倒す角度によって信号に強弱がつけられ、立体空間での微妙な操作を実現した。また、背面中央にはZトリガーボタンと拡張用コネクタ(コントローラポート)が装備されている。ゲームの内容によって3種類の使い方ができるのが特長で、左と中央を持つレフトポジション、右と中央を持つライトポジション、左右を持つファミコンポジションがある。カラーバリエーションは多く、グレー、ブラック、ブルー、レッド、イエロー、グリーン、ブラック&グレー、クリアブルー、クリアレッド、ピカチュウバージョン ブルー&イエロー、ピカチュウバージョン オレンジ&イエローの11色。一個が本体に同梱。
NUS-006 カセット N64のゲームプログラムを格納した専用メディア。
本体上部のスロットに挿入する。データ容量は8MB - 512MBで、転送レート5.3MB/sec.。
海外版とは下部の切り欠きの形が異なり物理的に挿入できない。
NUS-007 メモリー拡張
パック
旧称「ハイレゾパック」。4MBの増設メモリで、本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに接続、メモリ容量を倍加できる。上部の放熱口は赤色になっている。ソフトによってはメモリ拡張が必須となっており、そういったソフトには同梱されて発売されることもあった。また、64DDを使用する場合も必要になる。必須ではないが対応しているソフトも存在し、画面解像度の向上等の効果がある。非対応ソフトでも接続したままで問題は無いので取り外す必要はない。ただし説明書には取り外すことを推奨するものもある。
NUS-008 ターミネータ
パック
本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに予め接続されている。ターミネーターはバスの終端に配置された未接続のコネクタの信号反射などを抑える役目がある。メモリー拡張パックを接続するときには取り外す。メモリー拡張パック接続後は基本的に使い道はないが、売却時にはこれに戻さないと減額の対象となる場合がある。
NUS-009 RFスイッチUV アンテナ線を介してテレビに接続させるための混合器。
ビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。
NUS-010 64DD 本体下部の50PIN拡張コネクタに接続するディスクドライブ。64DDが正式名称だが、発売前はNINTENDO64 DISK DRIVEとも呼ばれていた。
NUS-011 64DDディスク 64DDのゲームプログラムを格納した専用メディア。
データ容量は約64MBだが、その内約38MBは追記用の領域になっている。
DDD(ダイナミック・データ・ディスク)という呼称もあった。
NUS-012 ターミネータ
パック イジェクタ
メモリー拡張パックに同梱。
ターミネータパックを「てこ」の要領で取り出すことができる。一度メモリー拡張パックに取り替えれば戻す必要はないので、その後は売却時まで使用する機会はない。
NUS-013 振動パック コントローラの拡張コネクタに接続する。
内部にバイブレータが内蔵されており、その振動によってゲームの臨場感を高めることができる。使用には単4電池が必要となる。最初の対応ソフトは『スターフォックス64』。
NUS-014 クリーニング
カセット

本体のカセット用コネクタをクリーニングするカセット。日本未発売。

NUS-015 クリーニング
パック

コントローラの拡張コネクタをクリーニングするパック。日本未発売。

NUS-016 クリーニング
スティック
カセットやパックをクリーニングするスティック。日本未発売。
NUS-017 マウス ボール式の2ボタンマウス。
コントローラポートに接続する。『マリオアーティスト ペイントスタジオ』に同梱されたのみであり、ランドネット会員しか正式に入手することができなかった。そのためマウス対応と表示されているソフトは64DD関係のソフトに限られるが、『デザエモン3D』のように対応しているカセットソフトも存在する。なお、非対応ゲームでも使用は可能で、マウスの動きが3Dスティック、左ボタンがAボタン、右ボタンがBボタンの役割を果たす。
NUS-019 64GBパック コントローラの拡張コネクタに接続する。
ゲームボーイゲームボーイカラーのカートリッジを本体に繋げるアダプタ。これが使用できるのは一部の対応ソフトのみであり、使用方法としてはプレイデータをリンクさせるものである。『ポケモンスタジアム』シリーズと『ポケットモンスター』シリーズの組み合わせのように特別に対応したソフトを除けば、スーパーファミコンにおけるスーパーゲームボーイのように、ゲームボーイソフトをテレビでプレイするための周辺機器としては使用できない。また、コントローラにつけるには少々重すぎるのか、きちんと装着したにもかかわらず存在自体を感知できなかったり、操作中にエラーが出たりすることも多い。
スーパーゲームボーイ3(仮)が出る予定もあったが発売されず、次世代機のニンテンドーゲームキューブゲームボーイプレーヤーが出るまでの5年間はゲームボーイカラー専用のゲームは64GBパック対応ゲーム以外テレビではできなかった。
NUS-020 VRSユニット Voice Recognition System(音声認識システム)の略。「声」をゲームの操作に利用できる
画期的な機器だが、対応ソフトは『ピカチュウげんきでちゅう』『電車でGO!64』の2本のみ。
NUS-021 マイク 単一指向性のモノラルコンデンサマイクVRSユニットキャプチャーカセットに付属。
NUS-022 マイク
ホルダー
マイクを固定して首から提げるタイプのホルダー。VRSユニットに付属。
NUS-023 スマートメディア専用カセット 汎用メモリーカード「スマートメディア」を挿入できるカセット。
画像編集ソフト『マリオのふぉとぴー』に同梱。類似した周辺機器に、ゲームキューブ用SDカードアダプタがある。
NUS-025 コントローラ用マイクホルダー マイクをコントローラに固定するタイプのホルダー。VRSユニットに付属。
NUS-026 マイクカバー 球状の黄色いスポンジで、マイクに入る風や息などのノイズを軽減する。マイクに付属。
NUS-028 キャプチャー
カセット
RCAジャック(映像、音声L・R)とマイク用ミニジャックがついたカセットで、
映像や音声を取り込むことができる。『マリオアーティスト タレントスタジオ』に同梱。
ファントム電源が供給されている為、専用マイク等のコンデンサマイク以外は絶対にミニジャックに接続してはいけない。
NUS-029 モデム 通信速度28.8kbpsの専用モデムカセット。モジュラジャックは背面にある。
NUS-101 ピカチュウNINTENDO64 2000年7月に発売された。このモデルは、本体にポケットモンスターのキャラクター「ピカチュウ」があしらわれたものとなっている。電源ランプの位置が本体正面からピカチュウのほっぺ部分に移動しており、従来モデルよりも若干サイズが大きくなった。また、底面にあったEXTポートがふさがれている為、64DDを使用することが出来なくなっている。それ以外の機能は従来モデルとの変更は無い。
「ブルー&イエロー」のカラーリングは発表時はブルー部分がバイオレットに近い色合いだったが、後に青に近い色に変更されている。
NUS-A-BIO バイオセンサー コントローラの拡張コネクタに接続し、センサーがついたクリップを耳たぶに装着して使用する。
プレイヤーの脈拍数を測定し、脈拍の変化をゲーム内容に反映させるというもの。対応ソフトは『テトリス64』のみ。
任天堂ではなくセタからの発売だった。
NUS-NMSJ 通信カートリッジ モジュラーケーブルで電話線を通じて通信をすることができるソフトのカセット。セタから発売された『森田将棋64』のみ。カートリッジと通信用の機構が一体化しており、接続も容易なため、簡単に扱うことができる。
不明 64GBケーブル ゲームボーイを画面付きコントローラとして使用するためのケーブルが試作されていたが、その機能を活用したゲームの開発は滞り発売には至らなかった。しかしこの構想は後継機のゲームキューブとゲームボーイアドバンスで実現することとなる。
SHVC-008 ステレオAVケーブル 映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。
SHVC-009 S端子ケーブル 映像と音声をテレビに出力するケーブル。

ステレオAVケーブルより高い画質で出力できる。スーパーファミコンと共用。

その他、64DDにはファミリーコンピュータ用の機器などが一部流用できる。

他社製品[編集]

電車でGO!64専用コントローラ
発売元 型番 名称 備考
アスキー ASC-0901 アスキーパッド64 連射機能付きのコントローラ。外観は純正コントローラと大差ないが、連射スイッチとスタートボタン付近が異なっている。A/B/Z/L/Rボタンに連射が設定できる他、ホールド機能も搭載[8]
ASC-0905 つりコン64 釣り竿型のコントローラその名の通り釣り竿の形をしたコンローラー。対応ソフトは『糸井重里のバス釣りNo.1』、『バスラッシュ』。
タイトー TCPP-20003 電車でGO!64コントローラ 電車でGO!64』専用のコントローラ。コントローラコネクタ3に接続して使用する。
ハドソン HC-739 ジョイカード64 連射機能付きのコントローラ。純正とグリップの形状が大きく異なる他、連射スイッチ付近が盛り上がっている。3Dスティックのアジャスト機能がある。A/B/Zボタンに連射が設定できる他、スローショーション機能(スタートの連射)を搭載[9]
ホリ HN6-01 ステレオAVケーブル64 任天堂純正のステレオAVケーブル(SHVC-008)の互換品。
HN6-02 - 6(カラーにより異なる) ホリコマンダーN64 連射機能付きのコントローラ。左右のグリップが純正と大きく異なり、丸っぽくなっている。A/B/Zボタンに連射が設定できる[10]
HN6-07 - 9,12 - 13,19,20,22 - 24(カラーにより異なる) ホリパッドミニ64 コンパクトなコントローラ。純正コントローラとゲームキューブコントローラの中間のような形状になっている[11]

この他にも、多くの機器が発売されている。

ゲームソフト[編集]

同時発売ソフト[編集]

参考文献[編集]

  • 井上理「任天堂 驚きを生む方程式」(2009年、日本経済新聞出版社)
  • 武田亨「It’s The NINTENDO」(2000年、ティーツー出版)

脚注[編集]

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  1. ^ 任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表 (PDF)” (日本語). 任天堂. 2013年4月24日閲覧。
  2. ^ PlayStationは固定小数点演算かつZソートで、セガサターンは変形スプライトで3Dグラフィックを描写
  3. ^ 任天堂、64ビットゲーム専用機「NINTENDO64」を3月14日から16,800円に値下げ”. PC Watch (1997年2月21日). 2012年8月23日閲覧。
  4. ^ 滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡』
  5. ^ 武田亨『It's The Nintendo』。ただし、後に『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』という対戦アクションを開発し、人気シリーズになった
  6. ^ 武田亨『It's The Nintendo』
  7. ^ [1]
  8. ^ [2]
  9. ^ [3]
  10. ^ [4]
  11. ^ [5]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]