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2014年8月20日 (水) 14:31時点における版
高市 早苗 たかいち さなえ | |
---|---|
生年月日 | 1961年3月7日(63歳) |
出生地 | 奈良県奈良市 |
出身校 | 神戸大学経営学部経営学科 |
前職 | 近畿大学経済学部教授 |
所属政党 |
(無所属→) (自由党→) (新進党→) 自由民主党(清和政策研究会→無派閥) |
称号 | 経営学士(神戸大学 1984年) |
配偶者 | 山本拓(夫) |
公式サイト | 衆議院議員 高市早苗 |
選挙区 |
(奈良県全県区→) (奈良1区→) 奈良2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1993年 - 2003年 2005年 - 現職 |
内閣 | 第1次安倍内閣 |
在任期間 | 2006年9月26日 - 2007年8月27日 |
高市 早苗(たかいち さなえ、本名:山本 早苗(やまもと さなえ)、1961年(昭和36年)3月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自民党政務調査会長(第55代)。内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・科学技術政策・食品安全・イノベーション・少子化対策・男女共同参画)を務めた。
来歴
奈良県奈良市生まれ。奈良県立畝傍高等学校、神戸大学経営学部経営学科卒業。神戸大では経営数学を専攻した。大学卒業後、松下政経塾に入塾(第5期生)。
1987年、アメリカ合衆国へ渡り、左派リベラルでフェミニズム運動の急先鋒だった民主党下院議員、パトリシア・シュローダーの個人事務所で見習待遇のフェロー(無給で雇用契約なし)として勤務した。なお、1988年からは「アメリカ合衆国議会立法調査官(コングレッショナル・フェロー)として議員を補佐した」と高市は説明しているが、「立法調査官」という肩書きは評論家の桃井真と話し合って意訳したものであった[1][2]。高市の経歴については、高市の滞米中の暮らしぶりを知る当時のワシントン特派員が「実際の仕事はコピー取りみたいなもんです」と評していたと伝える報道もあった[3][2]。
1989年に日本に帰国し、亜細亜大学系列の日本経済短期大学(現・亜細亜大学短期大学部)助手に就任。1992年には関西ハイビジョン・コンソーシアムを設立し、会長に就任する。同年、第16回参議院議員通常選挙に奈良県選挙区から保守系無所属として出馬したが、落選した。当初は自由民主党奈良県連に公認を申請したが、公認は受けられなかった[要出典](自民党公認候補は服部三男雄)。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区から無所属で出馬し、得票数トップで初当選した(実は新党さきがけに公認申請し拒否された。当選同期に安倍晋三・田中真紀子・熊代昭彦・塩崎恭久・岸田文雄・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨など)。首班指名選挙では、無所属ながら自由民主党総裁・河野洋平に投票(首相に選出されたのは細川護煕)。1994年、政策集団「リベラルズ」に参加し、リベラルズを母体に自由党(柿澤自由党)が結党され、党首の柿澤弘治が羽田内閣で外務大臣に就任し、与党入りする。同年7月、自民党を離党した海部俊樹を党首に自由改革連合を結成し、同年末に新進党に合流。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い、奈良1区から新進党公認で出馬し、再選。11月5日に新進党を離党。首班指名選挙では、自民党総裁の橋本龍太郎を支持した。新進党離党後、当面は無所属に留まる意向を示していたが、1ヶ月後の12月27日に自民党に入党した。新進党離党の理由には「総選挙前、新進党の税制調査会で徹底的に議論した上で「大規模な減税は不可能」という結論を出したにもかかわらず、小沢一郎新進党党首が総選挙の公示日に突然、十八兆円の大規模減税策を公約に掲げたこと」を挙げている[4]。自民党への入党については、「時間がもったいなくなっちゃった」と述べた[3]。
自民党入党後は清和政策研究会(三塚博→森喜朗→町村信孝派)に所属し、小渕内閣で通商産業政務次官に就任。2000年の第42回衆議院議員総選挙では比例近畿ブロック単独で出馬し、3選。当選後、不人気な森喜朗首相の「勝手補佐官」を下村博文、世耕弘成、山本一太らと共に自称し、討論番組などで森内閣を擁護した。2002年、第1次小泉改造内閣で経済産業副大臣に就任。また、きょうと青年政治大学校の講師も務める[要出典]。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では、奈良1区で民主党の馬淵澄夫に敗れ、比例復活もならず落選した。当時の総裁派閥である清和研現職で落選したのは高市のみであった。2004年、山本拓と結婚。近畿大学経済学部教授に就任。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、小泉純一郎首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案に反対し自民党を離党した滝実の刺客として、奈良2区に国替(奈良1区は奈良市長だった鍵田忠兵衛が立候補)し、滝を破って国政に復帰した(滝も比例復活)。元々奈良2区の奈良全県区時代からの地盤で後援者も多数おり、また以前から高市は自身の議員便りを奈良1区の有権者だけではなく、奈良2区の有権者にも郵送しており、国替といってもそんなに違和感なく選挙活動を進められたとのこと[要出典]。
2006年、第1次安倍内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・科学技術政策・少子化対策・男女共同参画・食品安全)に就任し、初入閣。
2007年5月、青少年保護のための有害情報対策を協議する諮問会議を政府内に設置する考えを表明し、記者会見で青少年保護育成条例を47都道府県中唯一制定していない長野県の対応を批判した。8月15日の終戦記念日に、第1次安倍内閣の閣僚で唯一靖国神社に参拝した。高市も当初、公務を優先し参拝しない意向だったが[5]、全閣僚の終戦記念日の靖国神社参拝見送りを避けるため、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長・島村宜伸[6]から要請を受け、当日の夕方に急遽参拝を行った[7]。
2008年、青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の作成に携わる[要出典]。同年8月、福田康夫改造内閣で経済産業副大臣に就任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、新党日本を離党し衆議院解散後に民主党に入党していた滝実に奈良2区で敗れるが、比例近畿ブロックで復活し、5選。
2010年1月、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案を提出。2011年清和研を離脱し無派閥となる。
2012年、自民党広報本部長に就任した。12月の第46回衆議院議員総選挙で6選。選挙後、自民党政務調査会長(第55代)に就任。同ポストに女性が就任するのは自民党では初[要出典]。
政策・主張
原子力関連
- 地下式原子力発電所政策推進議員連盟に所属し、地下式原子力発電の検討を行っている[8]。
- 日本の核武装については、将来にわたって検討すべきでないとしている[9]。
福島第一原子力発電所事故に関する発言
- 2013年6月1日、兵庫県神戸市での講演会時に、自由民主党政務調査会会長の立場として、原子力発電所の再稼働について「東京電力福島第一原子力発電所事故で死者が出ている状況ではない。」として、原子力発電所再稼働を主張した。その後、発言について批判が挙がると、高市は自らの発言について「誤解されたなら、しゃべり方が下手だったのかもしれない」と釈明した。しかし、野党のみならず、自民党福島県連や同党参議院議員の佐藤正久[10]、自民党員からも「不謹慎だ」と批判された[11]。福島県連は「高市氏の発言は、福島県の現状認識に乏しく、亡くなられた方々、避難されている方々をはじめ、県民への配慮が全くない。不適切で、強い憤りを感じる。」「原発事故の影響による過酷な避難で亡くなられた方、精神的に追い詰められて自殺された方など、1400人を超える福島第一原子力発電所事故に伴う、災害関連死が認定されている。」と批判し、党本部に抗議文を提出した[12]。
- これに対して高市は「福島の皆さんが辛い思いをされ、怒りを持ったとしたら、申し訳ないことだった。お詫び申し上げる。」と謝罪した。そのうえで「私が申し上げたエネルギー政策のすべての部分を撤回する。」と述べた[13]。
外国人参政権反対
2010年3月の第174回国会で、1959年当時日本に残っていた在日朝鮮人約61万人のうち徴用労務者はわずか245人で、在日朝鮮人は自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれであり、日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もいないとする当時の日本政府の見解を紹介し[14][15][16][17]、総務大臣(当時)の原口一博が同年1月に語った[18]強制連行論を外国人参政権付与の根拠とすることに異議を唱えた。
日米地位協定
旧姓続称を認める制度改正
- 戸籍上の姓は“山本”、普段は旧姓の高市としている[20]。
- 旧姓続称を認める制度改正には賛成している[21]が、鳩山由紀夫内閣時代の民主党などの選択的夫婦別姓法案には、夫婦別姓以外に多くの制度変更が盛り込まれているとして反対している[22][23]。
婚外子の相続差別関連
- 婚外子(非嫡出子)の相続差別について最高裁判所が民法の規定を違憲と判断したことに関し、差別を解消するよう関連法を改正すべき、と述べている[24]一方で、この判決について「ものすごく悔しい」などと述べた[25][26]。
従軍慰安婦関連
表現規制推進
- 内閣府所管の「青少年健全育成推進委員会」から有害指定を受けたイラストやテキストなどを削除しなければ1年以下の懲役刑を科すという「青少年有害情報規制法案」を作成した[28]。
- 同児童ポルノ禁止法改正案の請願を国会に複数提出した[29][30]。
- 漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案の請願を国会に複数提出した[31][32]。
- 国会で、バイオレンス映画やホラー映画のDVDソフトの販売を国レベルで規制することを検討する趣旨の発言をした[33]。
TPP
- 日本のTPP参加には反対の立場を取る[9]。2013年3月9日、宇都宮市で講演し、TPPに関し、現段階では国内への影響が不明確な点、6項目(国民皆保険を守る、食品の安全基準を守る等)が満たされない限り、交渉が妥結しても党として批准は困難と述べた[34]。
政治資金問題
- 2003年、高市は同事業を推進する「与党関西国際空港推進議員連盟」に所属しているにもかかわらず、関西国際空港の二期工事を受注する業者から514万円の政治献金を受けた、としんぶん赤旗に指摘された[35]。
- 2007年、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、自らの資金管理団体と自身が支部長を務める政党支部が同居していることで、両団体あわせて2245万円もの「事務所費」を計上し、その中で約1770万円の使途が不透明だと批判された[36]。
- 2009年、ゼネコン熊谷組の「ダミー献金団体」である「都市開発研究会」から、高市の「新時代政策研究会」に対し100万円の献金があった、と日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に報道された[37]。
人材派遣会社との関係と派遣労働に対する考え
- 高市の事務所には、派遣会社パソナから継続的にスタッフが派遣されているが、高市の資金管理団体や政党支部の政治資金収支報告書にはパソナとの具体的な金銭上のやりとりを示す記載は一切ないと指摘された[38][39]。これらは、事実上企業からの寄付行為に該当し、「裏献金」の可能性が拭い切れないという指摘がなされている[39][40]。高市は、パソナの南部靖之代表が有識者として出席した「若者・女性活躍推進フォーラム」の席上にて、「柔軟な雇用インフラを作るための規制の見直しが必要」と述べ、「派遣業界は契約がしっかりしている」、「こちらの都合で契約を打ち切らざるを得ない場合も安心して使える」などと述べた[39][41]。
エピソード
- 柳沢伯夫(当時厚生労働大臣)が2007年1月に「産む機械は数が限られているから」との発言を行った際には、「私は子供を授かれない体なので、機械なら不良品になってしまう」と批判した[42]。
- 靖国神社のA級戦犯分祀及び国立追悼施設の建設に反対している。サンデープロジェクト(2002年8月18日放送)で満州事変と日中戦争を「自衛のための戦争だった」「セキュリティーの戦争だった」などと肯定的な見解を述べ、侵略性を否定した。これに対し司会の田原総一朗は非常に激しい口調で高市を非難した。翌週、田原は行き過ぎた表現については謝罪したが、「あなたのような下品で無知な人にバッジ(=議員記章)つけて靖国のことを語ってもらいたくない」と述べた[43]。
- 2007年7月、高市のSP(警護官)で警視庁警護課警部補が、JR総武線錦糸町―新小岩駅間を走行中の電車内で女子大学生の尻を触ったとして、東京都迷惑防止条例違反容疑で逮捕された。目撃者を突き飛ばし、背中などに軽傷を負わせた傷害容疑でも追送検された[44]。
人物
所属団体・議員連盟
- 創生「日本」(副会長)
- 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(幹事長代理)
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局次長)
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)
- 再チャレンジ支援議員連盟
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日本会議国会議員懇談会
- 自民党トラック輸送振興議員連盟
- 日本の水源林を守る議員勉強会
著書
- アズ・ア・タックスペイヤー ―政治家よ、こちらに顔を向けなさい―
- アメリカ大統領の権力のすべて
- アメリカの代議士たち
- 30歳のバースディ ―その朝、おんなの何かが変わる―
- 高市早苗のぶっとび永田町日記
- サッチャーからの提言・新しい日本(共著)
- 21世紀日本の繁栄譜(共著)
- 小沢民主党は信用できるか(編著)
関連項目
脚注
- ^ 『噂の眞相』1994年2月号「評論家から代議士になった高市早苗の”正体”」
- ^ a b 週刊現代1993年9月4日号
- ^ a b 石沢哲治『日本の文化人』噂の眞相1998年7月号別冊
- ^ 小林よしのり「希望の国 日本」167頁(飛鳥新社)
- ^ “全閣僚が終戦記念日の靖国参拝見送り”. 産経新聞. (2007年8月10日) 2010年5月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 阿比留瑠比 (2007年8月12日). “全閣僚が靖国参拝見送り「終戦記念日」異常な事態”. 産経新聞
- ^ 櫻井よしこ「「福田総理」で日本は20年の時を失う」『SAPIO』2007年10月10日号、小学館、10頁。
- ^ 「地下原発」の検討再開
- ^ a b “2012衆院選 奈良2区 高市早苗”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年5月30日閲覧。
- ^ 佐藤正久の出身地は福島県である。
- ^ “高市氏「原発事故で死者なし」発言 与野党から批判噴出”. 東京新聞. (2013年6月19日) 2013年7月8日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “自民・福島県連が高市氏に発言撤回を要求”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2013年6月19日) 2013年7月8日閲覧。
- ^ “高市氏、原発発言を撤回 自民福島県連は党本部に抗議文”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年6月19日) 2013年7月8日閲覧。
- ^ “在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人”. 産経新聞. (2010年3月11日) 2010年10月30日閲覧。
- ^ ”第174回国会衆議院外務委員会第3号会議録”, 高市早苗議員質疑, 2010年(平成22年)3月10日.
- ^ 外務省情報文化局 『外務省発表集(外務省発表集および公表資料集)』第十号, 昭和三十五年(1960年)二月, p. 51-54. 「(三) アジア、豪州関係 1.在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について 記事資料 昭和三十四年七月十一日」 OCLC 1790171
- ^ 同外務省資料については、「【外務省発表】戦時徴用わずか245人。自由意志で在日」, やまと新聞社, 10-03-23.でも参照することができる。
- ^ 2010年1月14日の日本外国特派員協会にて
- ^ 米兵不祥事と日米地位協定見直し論
- ^ 本人コラム
- ^ 夫婦別姓:高市氏「通称併記で」 自民党内の論議開始へ - 毎日新聞 - JChere中国ニュース速報
- ^ 世界日報 平成24年12月26日
- ^ 民法&戸籍法改悪阻止シリーズ①:千葉法務大臣が準備中の法案概要
- ^ 「自民政調会長、婚外子差別で法改正を 違憲判断受け」日本経済新聞、2013年10月24日
- ^ 週刊ゲンダイ 2013年11月2日
- ^ HUFFPOST SOCIETY 2013年11月5日
- ^ しんぶん赤旗 2013年1月6日
- ^ 【第23回】ネット規制にばく進する自民党 「有害情報」を流せば懲役刑もダイアモンド・オンライン 町田徹の“眼” 2008年4月4日
- ^ 請願情報 第177回国会 2613 青少年健全育成のため児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の早期改正を求めることに関する請願衆議院
- ^ 請願情報 第177回国会 2463 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の早期改正を求めることに関する請願衆議院
- ^ 請願情報 第169回国会 3212 青少年健全育成のための有害図書類・有害情報規制に関する法整備を求めることに関する請願衆議院
- ^ 請願情報 第180回国会 955 青少年健全育成基本法の制定に関する請願衆議院
- ^ 衆議院会議録情報 第166回国会 決算行政監視委員会第一分科会 第2号 第2号 平成19年4月24日
- ^ 高市氏、TPP試算「信ぴょう性に期待できるものでない」(TBSニュース)[リンク切れ]
- ^ しんぶん赤旗、2003年1月29日
- ^ 「政治とカネ」疑惑まみれの自民 “身体検査”合格の閣僚いなくなる?! 事務所費いまだ説明なし しんぶん赤旗、2007年8月18日
- ^ しんぶん赤旗、2009年6月1日
- ^ “なぜ隠す…高市早苗政調会長にパソナとの不透明な金銭関係”. 日刊ゲンダイ. 日刊現代. p. 2 (2014年6月3日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ a b c “派遣大手パソナからスタッフ 高市政調会長事務所に常駐 人件費の詳細不明 説明責任は”. しんぶん赤旗. 日本共産党中央委員会 (2014年6月26日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ “なぜ隠す…高市早苗政調会長にパソナとの不透明な金銭関係”. 日刊ゲンダイ. 日刊現代. p. 3 (2014年6月3日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ “なぜ隠す…高市早苗政調会長にパソナとの不透明な金銭関係”. 日刊ゲンダイ. 日刊現代. p. 1 (2014年6月3日). 2014年7月6日閲覧。
- ^ “高市「私は不良品」と不快感…柳沢「産む機械」発言”. ZAKZAK. (2007年1月30日)
- ^ 田原総一朗さんへの反論
- ^ 「逮捕の高市早苗氏担当SP、停職処分受け辞職」毎日新聞 2007年7月23日
- ^ 高市早苗(たかいちさなえ) : プロフィール - プライベートで嬉しかったこと(赤の網掛け部分)。
- ^ “6閣僚に「9条守れ」 天理教平和の会、信者に要請”. しんぶん赤旗. (2007年4月9日) 2010年5月25日閲覧。
外部リンク
議会 | ||
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先代 新設 |
衆議院文部科学委員長 2001年 - 2002年 |
次代 河村建夫 |
党職 | ||
先代 甘利明 |
自由民主党政務調査会長 第55代:2012年 - |
次代 現職 |
公職 | ||
先代 新藤義孝・中野正志 古屋圭司・大島慶久 |
経済産業副大臣 吉川貴盛、西川太一郎と共同 2008年 - 2009年 2002年 - 2003年 |
次代 増子輝彦・池田元久 坂本剛二・泉信也 |
先代 松田岩夫 |
特命担当大臣(科学技術政策) 第6代:2006年 - 2007年 |
次代 岸田文雄 |
先代 松田岩夫 |
特命担当大臣(食品安全) 第7代:2006年 - 2007年 |
次代 泉信也 |
先代 猪口邦子 |
特命担当大臣(少子化・男女共同参画) 第2代:2006年 - 2007年 |
次代 上川陽子(分割) |
先代 創設 |
特命担当大臣(イノベーション) 初代:2006年 - 2007年 |
次代 廃止 |