奈良県立畝傍高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
奈良県立畝傍高等学校
奈良県立畝傍高等学校.JPG
過去の名称 奈良県尋常中学校畝傍分校
奈良県畝傍中学校
奈良県立畝傍中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 奈良県の旗奈良県
学区 全県一学区
併合学校 奈良県立耳成高等学校
校訓 至誠・至善・堅忍・力行
設立年月日 1896年(明治29年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制(全日制課程)
3学期制(定時制課程)
高校コード 29112K
所在地 634-0078
奈良県橿原市八木町3-13-2
北緯34度30分33.9秒東経135度47分57秒
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

奈良県立畝傍高等学校(ならけんりつ うねびこうとうがっこう、英語標記:Nara Prefectural Unebi Senior High School)は、奈良県橿原市八木町に所在する公立高等学校。通称「畝高(うねこう)」。

設置課程・学科[編集]

  • 全日制・定時制とも一般選抜のみ。
    • 全日制課程 普通科
      • 3年制。1学年あたり10学級約400名、合計約1,200名[1]
      • 50分×6時限授業の時間割となっている[2][3]。年3学期制[2][3]
      • 1年次は全員共通の課程、2年次で文型と理型に分かれ、3年次ではさらに文型が文Iコース・文IIコース、理型が理Iコース(理系学部への進学コース)・理IIコース(医療・看護学部への進学コース)に分かれる[2][4]
    • 定時制課程 普通科
      • 夜間。4年制。2015年(平成27年)度の生徒数は4学年合計で57名[1]

概要[編集]

歴史[編集]

1896年明治29年)奈良県尋常中学校奈良県立郡山高等学校の前身)畝傍分校として開校[5][2]1899年(明治32年)に独立して奈良県畝傍中学校となる[5][2]1948年昭和23年)の学制改革により、新制の奈良県立畝傍高等学校となった(4月時点では男子校、同年9月より男女共学[5][2]2006年平成18年)に創立110周年記念式典を開催した[5][2]

その他[編集]

  • 校訓
    • 「至誠・至善・堅忍・力行」[6](読み:しせい・しぜん[7]・けんにん・りょっこう[8])旧制中学時代の1906年(明治39年)に制定された。
  • 校章
    • 左右に羽を広げる金鵄をモチーフに図案化したもので[6]、中央に「高」の文字を置いている。畝傍高校の校章は当初、金鵄だけであったが、耳成高等学校との統合後、2005年(平成17年)に旧・耳成高等学校の樫の校章と組み合わされ、現校章となった。
  • 校歌
  • 制服
    • 全日制課程 男子の冬服は黒の学生服(学ラン)、女子の冬服は濃紺色のブレザーリボン着用。定時制課程に制服はない。
  • 同窓会
    • 校章にちなみ「金鵄会」(きんしかい)と称している。なお旧・耳成高等学校の同窓会は統合されておらず、「奈良県立耳成高等学校同窓会(Miminashi21)」として別個に存在している[10]

沿革[編集]

旧制中学校時代[編集]

  • 1896年(明治29年)
  • 1897年(明治30年)5月5日 - 新校舎が完成。
  • 1899年(明治32年)4月1日 - 奈良県尋常中学校から分離し、「奈良県畝傍中学校」と改称。奈良県尋常中学校は奈良県郡山中学校に改称。
  • 1901年(明治34年)6月21日 - 「奈良県立畝傍中学校」と改称(県の後に「立」を置く)。
  • 1933年(昭和8年)10月25日 - 現在地に本館校舎が完成し、移転を完了。
  • 1941年(昭和16年)8月 - 第27回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園大会の前身)に出場予定であったが、日華事変激化で大会は中止。幻の大会となる。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
  • 1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行の前倒しが決定し、4年生と5年生の合同卒業式を挙行。
      • 中等学校令施行以前の入学生(1941年(昭和16年)入学生と1942年(昭和17年)入学生)にも修業年限4年(従来の5年制から1年短縮)が適用された。
    • 4月1日 - 本館校舎を海軍経理学校へ提供し、中学校は晩成国民学校(現・橿原市立晩成小学校)の校舎を借用して設置する。
      • 学校での授業が停止される。ただし勤労動員等は継続される。
    • 8月15日 - 終戦。
    • 9月1日 - 終戦および海軍経理学校の解散により、本校舎に戻って授業を再開。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻される(4年修了時点で卒業することもできた)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
    • 旧制中学校の募集を停止する。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 旧制中学校3・4年修了者は旧制中学校にそのまま在籍し、4・5年生となった。

新制高等学校時代[編集]

  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校奈良県立畝傍高等学校」(男子校)が発足。
      • 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校は新制高校に継承され(名称: 奈良県立畝傍高等学校併設中学校)、1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
      • 施設・校地はすべて旧制中学校から継承される。
    • 9月1日 - 高校三原則に基づく公立高校再編により、総合制の「奈良県立畝傍高等学校」(男女共学)が発足。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1951年(昭和26年)11月 - 昭和天皇が来校(校庭が高市郡奉迎場となったため)。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 校歌を制定。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 図書館が完成。
  • 1958年(昭和33年)11月19日 - 講堂を増築。
  • 1960年(昭和35年)5月17日 - プールが完成。
  • 1967年(昭和42年)1月20日 - 新体育館が完成。
  • 1969年(昭和44年)12月31日 - 鉄筋コンクリート造4階ての建特別教室新館が完成。
  • 1976年(昭和51年)11月3日 - 創立80周年を記念して金鵄会館(同窓会館)が完成。
  • 1986年(昭和61年)11月3日 - 創立90周年を記念して新南館、史料館、図書室が完成。
  • 1989年(平成元年)8月21日 - 格技場、体育研究室、更衣室、部室新築工事、ハンドボールコート、テニスコートを新設。
  • 1990年(平成2年)8月31日 - 校舎の大規模改修工事が完了。
  • 1996年(平成8年)
    • 9月24日 - 文化創造館が完成。
    • 10月31日 - 第二史料館が完成。
    • 11月2日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 奈良県立耳成高等学校を統合(耳成の読みは「みみなし」)。
  • 2005年(平成17年)12月16日 - 新校章を制定。
  • 2007年(平成19年)3月 - 野球部が第79回選抜高等学校野球大会21世紀枠近畿地区代表に選出される。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 奈良県立高田高等学校の定時制課程を統合。
  • 2012年(平成24年)4月20日 - 校舎本館の北館・南館・渡廊下と倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録される[11][12]
  • 2014年(平成26年)3月28日 - 文部科学省より、2014年度(平成26年度)のスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定される[13][14]

旧・奈良県立耳成高等学校[編集]

  • 1983年(昭和58年)4月1日 - 橿原市常盤町に「奈良県立耳成高等学校」が開校。全日制課程普通科を設置。
    • 校訓「敬愛、力行、創造」
    • 校章は樫の6枚葉を背景に「高」の文字。
    • 校歌の作詞は栢木喜一、作曲は中嶋英俊による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「耳成高校」が登場する。
  • 1995年(平成7年)12月 - 第74回全国高等学校サッカー選手権大会に奈良県代表として出場(初)。
  • 2000年(平成12年)12月 - 第79回全国高等学校サッカー選手権大会に奈良県代表として出場(2度目)。
  • 2004年(平成16年)4月1日 - 奈良県立畝傍高等学校への統合のため、生徒募集を停止。ただし経過措置として在校生が卒業するまで学校は存続[15]
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 閉校。

校地の変遷[編集]

  • 旧校地
    • 1933年(昭和8年)以前の旧・所在地は、元スーパー・ヤマトー八木店(旧ニチイ八木店(閉店))およびその東向かいに相当。
  • 現校地
    • 現在の所在地は、藤原京旧跡上に立地している(藤原京の規模については諸説があるが、近年の考古学的発掘により、その規模の大きさが証明されつつある)。三条大路(「横大路」)西二坊大路(「下ツ道」)東入ルにほぼ相当する。なお、この両大路の交差点は「札の辻」と呼ばれるが、近畿風景街道協議会(国土交通省内)により「日本文化のクロスロード」として「日本風景街道」の近畿第1号に選出されている。
  • 旧・耳成高校の校地跡
    • 2009年平成21年)まで全国高等学校総合体育大会の開催準備及び大会運営本部関連施設として活用された。2013年(平成25年)奈良県農業協同組合による農産物直売所を中核とした複合施設「JAならけんファーマーズマーケット まほろばキッチン」となった。中南和地域の奈良県庁出先機関の再配置計画により、元校舎は改修されて奈良県橿原総合庁舎となり、2015年(平成27年)1月より業務を開始した[16]。また屋上には庭園が設置され、2015年(平成27年)3月より一般開放された[17][18]

校舎[編集]

現校舎(本館―北館と南館から成る)は旧制中学時代より使用されているもので、1933年昭和8年)に完成。建築にあたっては、建国神話の土地柄にふさわしい校舎にするため、当時の奈良県は建築費として破格の予算を計上した。寺師通尚岩﨑平太郎(当時・奈良県土木課営繕係建築技手、のちに奈良県下初の民間建築設計事務所を開設)の設計で、帝冠様式を思わせる仏教様式が引用的に採用されている[19]日本建築学会より美的建築物として「日本近代建築二千」に選出されており、2012年(平成24年)4月20日に校舎本館の北館・南館・渡廊下と倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録された[11][12]。奈良県が実施した県立高校校舎の耐震診断で、本館が耐震補強の必要ない「A1」と判定されている。耐震改修も適宜施されている[20]。校舎・教室・設備はすべて全日制・定時制が共用している。定時制専用校舎・教室はない。

  • 校長室
    • かつて「御真影」と「教育勅語」謄本を保管していた金庫(「奉安庫」)が現存する。また貴賓室(現在は小会議室)も設けられた。
  • 文化創造館
    • 1996年(平成8年)に完成。地上3階建て。可動式座席(462席)を備え、学校行事に限らず広く一般に開放される。

学校行事[編集]

全日制課程[編集]

3学期制

(出典:[2]

  • 4月 - 入学式
  • 5月 - 体育大会、校外学習
  • 6月 - 音楽鑑賞会
  • 7月 - 人権芸術鑑賞会
  • 8月 - 大学見学会、SSH連携校研究講座
  • 9月 - 畝高祭(文化祭)
  • 10月 - 球技大会、修学旅行
  • 11月 - 古典芸術鑑賞会
  • 12月 - 文化部発表会、文化講演会
  • 1月 - 新春かるた大会
  • 2月 - Seminar for U
  • 3月 - 卒業式、人権教育学習会

定時制課程[編集]

3学期制

  • 1学期
    • 4月 - 入学式、新入生オリエンテーション、対面式、個人面談
    • 5月 - スポーツテスト、中間考査
    • 6月 - 人権講演会、安全教育講話
    • 7月 - 期末考査、三者面談、学力補充講座、面接マナー講習会
    • 8月 - 進学就職補習
  • 2学期
    • 9月 - 個人面談、文化映画会、ボウリング大会
    • 10月 - 中間考査、人権学習会
    • 11月 - 文化祭
    • 12月 - 期期末考査、学力補充講座、実力養成講座
  • 3学期
    • 1月 - 人権学習会、生徒会役員改選、4年学年末考査
    • 2月 - 1~3年学年末考査
    • 3月 - 卒業式

部活動[編集]

全日制課程[編集]

(出典:[21]

定時制課程[編集]

  • 文化部
  • 体育部
    • バドミントン部
    • 野球部
    • 陸上部

エピソード[編集]

戦時中の海軍経理学校への校舎貸与[編集]

戦時中の旧制中学校[編集]

  • 第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)の時点でも他の多くの学校とは異なり、勝利のためには敵の言語を知ることが不可欠と考えられていたため、「敵国語」とみなされていた英語の授業が週に12時間、行われていた[23]
  • 旧制中学校時代、教員の質が非常に高かったこともあり、多くの教員が戦後の学制改革時に大学教員として引き抜かれた[24]

舞台となった作品[編集]

著名な出身者[編集]

文学・思想・芸術・宗教[編集]

社会活動[編集]

政治[編集]

経済[編集]

学術・教育[編集]

官僚・軍人[編集]

芸能・スポーツ[編集]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 学校要覧”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 平成26年入学案内”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  3. ^ a b 畝高Q&A”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  4. ^ 教育課程”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  5. ^ a b c d 沿革概要”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  6. ^ a b c 校章・校訓・校旗・校歌”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  7. ^ 「しいぜん」とも。
  8. ^ 「りきこう」、「りっこう」とも。
  9. ^ 宿毛歴史館/宿毛人物史/北見志保子
  10. ^ 奈良県立耳成高等学校同窓会ウェブサイト
  11. ^ a b 文化庁報道発表「登録有形文化財(建造物)の登録について」 (PDF)
  12. ^ a b 4/20畝傍高校、登録文化財に
  13. ^ 平成26年度スーパーグローバルハイスクールの指定について”. 文部科学省 (2014年3月28日). 2015年5月10日閲覧。
  14. ^ スーパーグローバルハイスクール指定校一覧”. 文部科学省. 2015年5月10日閲覧。
  15. ^ 奈良県立高等学校等設置条例改正の概要 - 奈良県ウェブサイト
  16. ^ 新しく橿原総合庁舎を設置しました”. 奈良県ファシリティマネジメント室. 2015年8月3日閲覧。
  17. ^ 橿原総合庁舎屋上庭園がオープンします”. 奈良県総務部ファシリティマネジメント室. 2015年8月3日閲覧。
  18. ^ 橿原総合庁舎屋上庭園開園記念式典オープニングイベントの開催について”. 奈良県総務部ファシリティマネジメント室. 2015年8月3日閲覧。
  19. ^ 「『岩崎平太郎』という建築家の発見」(川島智生、2004年、(社)奈良まちづくりセンターHP)、川島智生『岩﨑平太郎の仕事――武田五一・亀岡末吉とともに』淡交社、2011年、122頁。
  20. ^ 『奈良新聞』、2010年6月9日。
  21. ^ 部活動”. 奈良県立畝傍高等学校. 2015年6月8日閲覧。
  22. ^ 「追憶奈良空(大和海軍航空隊の想いで)」(播金収、2003年、『まほろば』vol.17〔通巻94号〕)
  23. ^ 「追憶奈良空(大和海軍航空隊の想いで)」
  24. ^ 吉見良三『空ニモ書カン――保田與重郎の生涯』淡交社、1998年、50頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]