松村又一

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松村 又一(まつむら またいち、1898年明治31年)3月25日 - 1992年平成2年)9月30日)は昭和期の作詞家民謡作家。妻は歌人松村君代。独特の作風から「土の詩人」と評される。

経歴[編集]

奈良県高市郡明日香村出身。 旧制畝傍中学校中退。 若き頃は、家業の農家を継ぐが、その傍ら歌人前田夕暮に師事し、「詩歌」同人としても活躍。 同誌解散後は詩に転じ、詩話会会員となる。 1927年、上京し文筆活動を始める。作詞家として、その才を認められ、コロムビアレコードに入社。 『ツルレコード昭和流行歌物語』(菊池清麿・著/人間社/樹林舎)によれば、コロムビア以外にポリドールビクター、オリエント、タイヘイ、ツル、ニットーなどで作詞をしている。 しかし、なかなかヒット曲には恵まれず、キングレコードに移籍。 1939年上原げんと岡晴夫と組んだ「国境の春」がヒット。 戦後は、林伊佐緒「麗人草の歌」がヒットするが、日本マーキュリーレコードの創設とともに同社に移籍。 野村雪子の初ヒット「初恋ワルツ」や、マーキュリーに移籍してきた岡晴夫の作品、新人の遠藤実が作曲し藤島桓夫が歌って大ヒットした「お月さん今晩わ」、「凧々あがれ」などマーキュリー黄金時代を築き上げた。 その後、東芝レコードの設立と共に移籍した。

詩作も多く手がけ、「日本詩人」、「私達」、「雲」、「詩人連邦」等に発表し、農民詩の草分的存在であった。

詩集には、「畑の午餐」、「野天に歌ふ」、「漂泊へる農夫」、「日本の母」、民謡集に、「一つ蓑」、「風と鶇」がある。

1990年には長年の功績を称え、第32回日本レコード大賞功労賞受賞。

1992年9月30日死去。享年94。

代表作[編集]

  • 『走れトロイカ』(昭和6年10月)[森義八郎作曲、歌:藤山一郎
  • 『想い出のブルース』(昭和13年10月)[服部良一作曲、歌:淡谷のり子
  • 『国境の春』(昭和14年2月)[上原げんと作曲、歌:岡晴夫]
  • 『戦場の母』(昭和14年6月)[守木八郎作曲、歌:岡晴夫]
  • 『戦場撫子』(昭和15年11月)[江口夜詩作曲、歌:青葉笙子
  • 『少年兵を送る歌』(昭和19年3月)[林伊佐緒作曲、歌:鬼俊英井口小夜子宮城しのぶ小西信義谷田信子(富士音盤)]
  • 『麗人草の歌』(昭和24年2月)[加藤光男作曲、歌:林伊佐緒]
  • 『椿咲く径』(昭和29年6月)[豊田一雄作曲、歌:東海林太郎
  • 『初恋ワルツ』(昭和29年9月)[飯田景応作曲、歌:野村雪子]
  • 『夢のフランス航路』(昭和29年9月)[飯田景応作曲、歌:岡晴夫]
  • 『途中下車』(昭和29年9月)[島田逸平作曲、歌:岡晴夫]
  • 『東京の横顔』(昭和29年10月)[飯田景応作曲、歌:岡晴夫]
  • 『若いときァ二度ある』(昭和29年10月)[豊田一雄作曲、歌:岡晴夫]
  • 『ひょっとこ踊り』(昭和31年6月)[飯田景応作曲、歌:鈴村一郎、青葉笙子]
  • 『お月さん今晩は』(昭和32年4月)[遠藤実作曲、歌:藤島桓夫]
  • 『アイヌの子守唄』(昭和32年8月)[島田逸平作曲、歌:東海林太郎]
  • 『アンコなぜ泣く』(昭和32年9月)[遠藤実作曲、歌:藤島桓夫]
  • 『凧々あがれ』(昭和33年2月)[遠藤実作曲、歌:藤島桓夫]
  • 『かつおぶし』(昭和55年5月)[稲沢祐介作曲、歌:さくらと一郎