山内得立
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人物情報 | |
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生誕 |
1890年6月12日![]() |
死没 | 1982年9月10日 (92歳) |
出身校 | 京都大学 |
学問 | |
研究分野 | 哲学 |
研究機関 | 京都大学 |
山内 得立(やまうち とくりゅう、1890年6月12日 - 1982年9月19日)は、日本の哲学者。文化功労者。京都大学名誉教授、元京都学芸大学学長。
人物[編集]
奈良県生まれ。旧姓中川。京都帝国大学で西田幾多郎に師事した後、ドイツのフライブルク大学に留学しエトムント・フッサールに師事。留学中に左右田喜一郎の推薦により東京商科大学(後の一橋大学)助教授に就任。後に京都大学教授等を歴任。蔵書や自筆ノートは山内文庫として一橋大学附属図書館に収められている。
著書『旅する人- 芭蕉にふれて』では、人間の特性としてホモ・サピエンス(知る人)、ホモ・ファーベル(作る人)、ホモ・ヴィアトゥール(旅する人)を提唱した[1]。
弟子[編集]
弟子や教え子に馬場啓之助、太田可夫、高橋長太郎、藤井義夫、坂田太郎[2][3]、小島慶三[1]、国分敬治、山田晶、梅原猛がいる。
家族・親族[編集]
長女の美穂子(1935年生まれ。京都大学文学部卒、同大学院修了)は塩野谷祐一(経済学者、文化功労者、一橋大学名誉教授)の妻。
経歴[編集]
- 1914年 京都帝国大学文科大学哲学科卒業
- 1917年 京都高等工芸学校(現:京都工芸繊維大学)教授。
- 1920年 フライブルク大学留学
- 1921年 東京商科大学(現:一橋大学)助教授。
- 1925年 同教授。
- 1929年 京都帝国大学文学部講師(哲学哲学史第4講座)
- 1930年 文学博士号取得(「認識ノ存在論的基礎」)
- 1931年 京都帝国大学文学部教授(哲学哲学史第4講座)。東京商科大学教授併任( - 1943年)
- 1947年 哲学哲学史第1講座教授に転任。
- 1953年 京都大学定年退官、京都学芸大学(現:京都教育大学)学長、京都大学名誉教授
- 1961年 龍谷大学教授
受賞等[編集]
著書[編集]
- 現象学叙説 岩波書店 1929
- 存在の現象形態 岩波書店 1930
- 体系と展相 弘文堂 1937
- 社会的実践 長坂利郎 1937
- 人間のポリス的形成 弘文堂 1939(教養文庫)
- ノモスから運命へ 長坂利郎 1939
- ギリシアの哲学 上中 弘文堂 1944-47。下記が続編
- 西洋文化の三原理 生活社 1946
- 実存の哲学 全国書房 1948
- 存在論史 角川書店 1949(哲学選書)
- 生成・創造・形成 三つの林檎 弘文堂 1950
- 実存と人生の書 創芸社 1952
- 実存と所有 岩波書店 1953
- 新しい道徳の問題点 理想社 1958
- ギリシアの哲学 第3・4・5 弘文堂 1960
- 旅する人 理想社 1963(人生論ブックス)
- 実存と人生 理想社 1965(人生論ブックス)
- 実存の哲学 理想社 1965(哲学全書)
- 意味の形而上学 岩波書店 1967
- ロゴスとレンマ 岩波書店 1974
- 随眠 遺墨集 燈影舎 1983
- 旅する人- 芭蕉にふれて 「燈影撰書11」燈影舎 1987
- 随眠の哲学 岩波書店 1993
- 新版「京都哲学撰書 第22巻」燈影舎 2002。梅原猛解説
翻訳[編集]
- 認識の対象 ハインリッヒ・リッケルト 中川得立訳 岩波書店 1916年、のち岩波文庫。
脚注[編集]
- ^ a b 小島慶三『江戸の産業ルネッサンス』(中公新書、1989年)「はじめに」より。
- ^ 一橋学問の伝統と反省 : 哲学
- ^ 「一橋スピリットの継承」『如水会々報』(2019年10月20日閲覧)