大阪駅
大阪駅 | |
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おおさか Ōsaka | |
所在地 | 大阪市北区梅田三丁目1-1 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
電報略号 | オサ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 6面11線 |
乗車人員 -統計年度- |
394,503人/日(降車客含まず) -2010年- |
開業年月日 | 1874年(明治7年)5月11日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 |
■東海道本線 (JR京都線・JR神戸線・■JR宝塚線) |
キロ程 |
556.4km(東京起点) 京都から42.8 km |
◄*新大阪 (3.8 km) (3.4 km) 塚本*► | |
所属路線 | ■大阪環状線 |
キロ程 | 0.0 km(大阪起点) |
◄天満 (1.6 km) (1.0 km) 福島► | |
乗換 |
梅田駅 - 阪神本線 - 阪急京都本線・神戸本線・宝塚本線 - 地下鉄御堂筋線 西梅田駅(地下鉄四つ橋線) 東梅田駅(地下鉄谷町線) 北新地駅(JR東西線) |
備考 |
直営駅(管理駅) みどりの窓口 有 大阪市内駅(中心駅) |
* 新大阪方面はJR京都線 * 塚本方面はJR神戸線・JR宝塚線 |
大阪駅(おおさかえき)は、大阪府大阪市北区梅田三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
概要
大阪府の代表駅(府庁所在地駅)として第1回近畿の駅百選にも選定されている西日本最大の駅。駅長が配置された直営駅であり、管理駅として東海道本線の塚本駅を管轄している。JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅であり、運賃計算の中心駅となる。また、アーバンネットワークの運行の要衝となる駅で、運行系統の軸をなしている。
大阪市街の北玄関である梅田に位置し、駅前や駅の東側・南側を中心に繁華街が広がっている。
東京・山陽・九州方面への長距離列車については、1964年開業の新大阪駅を発着する東海道・山陽新幹線に地位を譲ったものの、当駅は現在でも北陸方面との特急の始発・終着駅であり、新快速を始めとする京阪神の都市間連絡列車や、信州・北近畿・山陰方面との特急、新潟駅・青森駅・東京駅・札幌駅発着の寝台特急などの在来線特急が発着している。
乗り入れ・接続路線
東海道本線を所属線として[1]、大阪環状線を加えた2路線が乗り入れている。また東海道本線尼崎駅を起点とする福知山線に直通する列車も乗り入れており、普通のみ東海道本線京都方面との相互直通運転を行っている。
JR西日本による独自の愛称路線名として、東海道本線京都方面には「JR京都線」、東海道本線神戸方面には「JR神戸線」、福知山線宝塚方面には「JR宝塚線」がそれぞれ設定されている。これらの路線について、JR西日本の旅客案内では正式名称である「東海道本線」「福知山線」などではなく愛称路線名が使用されている。
このほか、大阪環状線を経由して桜島線(JRゆめ咲線)・関西本線(大和路線)・阪和線に直通する列車も当駅を発着する。
付近には地下鉄や私鉄があるが、大阪駅と名乗っているのはJRのみで、それぞれ次の駅が近接して設けられており、乗り換えることができる。
- JR西日本 JR東西線 - 北新地駅(当駅・北新地駅にかかるJRの乗車制度の特例については、後述およびJR東西線を参照)
- 大阪市営地下鉄
- 阪神電気鉄道本線 - 梅田駅
- 阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線 - 梅田駅
駅構造
ホーム・線路は、高架上に東西に伸びている。以前は7面13線のホームがあったが、2004年より行われている再開発工事に伴い一時期5面10線にまで縮小した後、2009年12月20日より新11番のりばの供用を開始して以降は6面11線となって現在に至る[2]。
改札口は、御堂筋口・南口・中央口・桜橋口・連絡橋口の5か所がある。中央口と桜橋口は、改札内の大半が中2階の乗り換え通路になっている。御堂筋口・中央口・連絡橋口には南北を結ぶ改札外のコンコースがあり、両端に駅の出入口がある。御堂筋南口・御堂筋北口・中央南口・桜橋口には地下街や阪急・阪神・地下鉄の梅田駅につながる階段やエスカレーターがある。
2010年11月1日より橋上駅舎3階の乗り換え専用通路の使用が開始され[3]、2011年4月11日には新しい改札口「連絡橋口」の供用が開始された[4]。
- 駅ビル
- 駅南側に27階建て、高さ122.3メートルの駅ビル「アクティ大阪」から改称した「サウスゲートビルディング」があり、大丸梅田店とホテルグランヴィア大阪が入居している。サウスゲートビルの東側に、再開発工事に伴い駅内の商業施設を移設した、2012年までの期間限定の仮施設である「フロートコート」と、ビルの西側に同じく期間限定の仮施設「トラベルコート」がある。北側にも駅ビル(北ビル)があり飲食店などが入っていたが、ノースゲートビル建設工事のため解体された。
- 駅ナカ
- 御堂筋口には「イーストコートミドー」(EAST COURT mido) があり、高級スーパーのいかりスーパー、カフェのデリカフェ (DELI CAFE) などがある。中央口には「セントラルコート」(CENTRAL COURT) があり、コンビニのデイリーイン・土産物店・飲食店などが並ぶ。改札内にはキヨスクのほか、中央口と桜橋口を結ぶ連絡通路などに、ベーグル店 (BAGEL & BAGEL)、ロールケーキ店(クリオネ)、喫茶店やハートインがある。かつて中央口西側に専門店街「ギャレ大阪」(GARE) があったが、大阪ステーションシティの開業による商業施設の再編により2011年3月31日で閉館(ギャレ大阪の西館は、2011年6月16日に新商業施設「ALBi」として再オープンしている)となった。
- 地下街
- 大規模な地下街が展開する梅田にありながら、地下が存在するエリアは限られている。地下が存在するのはアクティ大阪(大丸梅田店)とそれに沿って東西に延びる専門店街「クロスト」(crost) のみである。南北に駅を横断する地下通路や地下改札は設置されておらず、現在行われている再開発工事でも設置されない。これは軟弱な地盤と、地下水くみ上げによる地盤沈下対策として、1952年(昭和27年)から1964年(昭和39年)に、度重なる改良工事がアンダーピニング工法などにより行われた結果、地下深くの天満層まで200本を超える杭が埋まっているからである[5] 。
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桜橋口
-
南口改札
-
連絡橋口改札
-
連絡橋口コンコース
のりば
のりば番号[6] | 路線 | 行先 |
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1 | ■大阪環状線(内回り) | 西九条・弁天町方面 |
■JRゆめ咲線 | ユニバーサルシティ方面 | |
■大和路線 | 王寺・奈良方面 | |
■阪和線 | 鳳・和歌山方面 | |
■関西空港線 | 関西空港方面 | |
2 | ■大阪環状線(外回り) | 京橋・鶴橋方面 |
3 | ■JR宝塚線・福知山線 | 篠山口・福知山方面 |
特急「こうのとり」 | 福知山・城崎温泉方面 | |
特急「スーパーはくと」 | 鳥取・倉吉方面 | |
■JR神戸線 | 三ノ宮・姫路方面 | |
4 | ■JR宝塚線・福知山線 | 篠山口・福知山方面 |
特急「こうのとり」 | 福知山・城崎温泉方面 | |
■JR神戸線 | 三ノ宮・姫路方面 | |
特急「はまかぜ」 | 城崎温泉・香住方面 | |
5 | ■JR神戸線 | 三ノ宮・姫路方面 |
6 | ■JR宝塚線 | 普通 宝塚・三田方面 |
■JR神戸線 | 三ノ宮・姫路方面 | |
7・8・9 | ■JR京都線 | 新大阪・高槻・京都方面 |
10 | ■JR京都線 | |
特急「びわこエクスプレス」[7] | 米原方面 | |
寝台特急「トワイライトエクスプレス」[8] | 札幌方面 | |
11 | 特急「サンダーバード」 | 金沢・富山方面 |
特急「しなの」[9] | 松本・長野方面 | |
特急「ひだ」[10] | 高山方面 | |
寝台特急「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」[11] | 東京方面 |
ダイヤ
近距離列車
- JR神戸線・京都線
- 日中は1時間あたり新快速・快速がそれぞれ4本と普通が8本発着する。朝ラッシュ時は新快速・快速(当駅止まり含む)がそれぞれ8分間隔と普通が4分間隔で到着する。夕方は新快速が当駅始発を含めて7分半間隔、姫路行き快速(須磨駅・垂水駅・舞子駅は通過)が2本発車する。
- JR宝塚線
- 日中は1時間あたり快速(丹波路快速を含む)・普通(JR京都線直通)がそれぞれ4本発着する[12]。朝晩は本数が多くなり、福知山駅発着の快速も設定されている。当駅始発の普通は塚本駅を通過する。
- 大阪環状線
- 日中時間帯は1時間あたり大阪環状線を一周する普通・大和路快速・関空/紀州路快速がそれぞれ4本発着する[12]。朝晩は本数が多くなる。JRゆめ咲線直通は日中とラッシュ時を除く時間帯に運行されている。
優等列車
当駅は北陸や北日本方面への特急の始発・終着駅として機能している。西行きの特急は「はまかぜ」のみが当駅始発で、それ以外の列車は新幹線への連絡を考慮して新大阪駅や京都駅まで直通する。米原駅・草津駅・京都駅 - 関西空港駅間の特急「はるか」や、京都駅・新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅・紀伊田辺駅・白浜駅・新宮駅間の特急「くろしお」および快速は梅田貨物線を経由するため、当駅には停車しない。また、貨物列車は当駅を通らず北方貨物線や梅田貨物線を経由するが北ヤードの再開発とともに新線に移設し地下に北梅田駅(仮称)を設置する予定である。
- 北陸方面
- 寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪駅 - 札幌駅間)
- 特急「サンダーバード」(大阪駅 - 金沢駅・富山駅・魚津駅・和倉温泉駅間)
- 東海道・中央本線・高山本線方面
- 山陰方面
- 北近畿方面(福知山線経由)
引き上げ線
引き上げ線が大阪環状線ホームの西に2線、東海道本線ホームの東と西にそれぞれ1線ずつ設置されている。大阪環状線の引き上げ線は、当駅止まりの列車の折り返しなどに使用され、東海道本線の引き上げ線はJR京都線の4時台の始発列車および、その次の列車が宮原総合運転所から回送されてくる時と、1時到着の最終列車が宮原総合運転所へ回送される際に、西引き上げ線で折り返す。
ホームの使い分け
JR神戸・京都線については、基本的に普通が6・7番のりば、快速と新快速が5・8番のりばに停車する。ただし、平日朝夕のラッシュ時には新快速の停車ホームが3・4番のりばと9・10番のりばに変わり、平日朝は快速も3番のりばと9・10番のりばを使用する。日中時間帯は、JR宝塚線直通の普通と新快速、神戸方面発着の普通と快速という組み合わせで緩急接続が行われる。
東海道本線上り方面へ向かう特急列車のうち、新大阪行き・京都行き・米原行きの特急(一部)が9・10番のりばを、平日朝のこうのとり2号(新大阪行き)は8番のりばを使用する。北陸方面、東京方面の特急(「サンライズ瀬戸・出雲」号)は11番のりばから発車する。 京都方面からの当駅止まりの特急列車は原則として3・4番のりばに到着するが、夕方ラッシュ時には5番のりばに到着する列車もある。
大阪駅開発プロジェクト
2004年より、大規模改良・再開発事業である「大阪駅開発プロジェクト」が行われている。
再開発エリアは「大阪ステーションシティ」(OSAKA STATION CITY) と名付けられ[13]、広場・通路の整備、ノースゲートビルディングの建設、「アクティ大阪」から改称したサウスゲートビルディングの増築が行われている。店舗面積(三越伊勢丹・大丸・ルクアを合算)で134,000㎡と大規模なものとなり、ららぽーとTOKYO-BAY(千葉県船橋市、115000m²)を抜いて西日本最大、日本第2位の規模を誇る商業施設となる。2011年5月4日にグランドオープンした。
プラットホーム中央部を覆うように弧を描く巨大な片流れの大屋根が設置された。東西長約180m、南北長約100mで、高さは最も高い地点で約50mに達する。一部にガラスが使われ、自然光が差し込む作りである。これに伴って既存のホーム屋根は端部を残して撤去される予定だったが、風に飛ばされた雨が屋根の横から吹き込むことが判明したため[14]、透明なガラス製の屋根を設置することとなった[15]。
また、駅改良工事としてホーム上に建設された人工地盤に新しく橋上駅舎が設置されると共に、8番のりばなどの拡幅による混雑緩和や御堂筋口の中2階通路の廃止によるコンコースのフラット化やエスカレーター増設などのバリアフリー化も図られた。橋上駅舎には新しい改札口「連絡橋口」が設置され、2010年11月1日から暫定的に乗り換え専用通路として使用し[2]、2011年4月11日に供用を開始している[4]。
総事業費は2,100億円に及ぶ[16]。現在の当駅の平均乗降客数は85万人だが、JR西日本では大阪ステーションシティの開業で91万人にまで増えると想定している。また、開業後の当駅の増収効果を鉄道業や流通業、ビルのテナント料収入などで年間725億円と試算され、開業当初は減価償却費などがかさむが、5 - 6年後には利益を生み始めると見積もられている[17]。
-
2007年8月
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2009年6月
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2009年9月
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2010年3月
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2011年4月
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全面開業後
ホームの変更
新北ビルの建設用地を捻出するため、ホームの削減工事が行われた。削減に伴い、7面13線から6面11線となっている。ホーム数削減工事は、2004年5月16日に福知山線方面への快速列車・特急列車の発車や北陸方面からの特急列車が到着していた旧1・2番のりば(現在の3・4番のりば)の使用を停止し、同ホームの工事が行われた[18]。2005年2月27日から同ホームは3・4番のりばに改められると同時に、「環状内回りのりば」「環状外回りのりば」と割り振られていた大阪環状線のホームは1・2番のりばに変更された[19]。その後も順次、各ホームごとに10番のりばまで工事が行われ、一時は5面10線まで縮小された。また、旧6番のりばと旧7番のりばの間にあった留置用の中線は撤去されている。
このホーム数の削減に合わせてホームの改修工事が行われた。主な工事内容は次の通り。
- 御堂筋口の中2階通路の撤去
- エスカレーターの新設
- 階段の改良
- 上屋改良
- 床の張替え(タイルへの変更)
- 橋上駅舎新設の準備工事
ホーム | 改良工事前 | 2004年5月16日 | 2005年2月27日 | 2005年10月16日 | 2006年7月30日 | 2007年4月8日 | 2009年12月22日 |
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環状線ホーム | 内回り 西九条・天王寺方面 |
内回り 西九条・天王寺方面 |
1 西九条・天王寺方面 | ||||
外回り 京橋・鶴橋方面 |
外回り 京橋・鶴橋方面 |
2 京橋・鶴橋方面 | |||||
1号ホーム | 1・2 JR宝塚線・山陰方面特急 |
使用停止 | 3・4 JR宝塚線・山陰方面特急 JR神戸線 姫路方面 | ||||
2号ホーム | 3・4 JR神戸線 姫路方面 |
3・4 JR宝塚線・山陰方面特急 JR神戸線 姫路方面 |
使用停止 | 5・6 JR神戸線 姫路方面 JR宝塚線 普通 | |||
3号ホーム | 5・6 JR神戸線 姫路方面 JR宝塚線 普通 |
5・6 JR神戸線 姫路方面 JR宝塚線 普通 |
使用停止 | 7・8 JR京都線 京都方面 | |||
4号ホーム | 7・8 JR京都線 京都方面 |
7・8 JR京都線 京都方面 |
使用停止 | 9・10 JR京都線 京都方面 北陸方面特急 |
9・10 JR京都線 京都方面 | ||
5号ホーム | 9・10 JR京都線 京都方面 |
9・10 JR京都線 京都方面 |
使用停止 | 11 北陸方面特急 | |||
6号ホーム | 11 北陸路方面特急 |
11 北陸路方面特急 |
撤去 | 撤去 |
旧11番のりばのうち約100mほどは立体駐車場への連絡通路へと転用されたが、ホーム時代の屋根等がほぼ廃止時のままの形で再利用されており往年の面影を残してる。[20]
またホームの改良工事にあわせて、3・4番のりばとホーム前後のポイント改良工事により速度制限が緩和され(30→60km/h)、同様に10番のりば神戸側は50km制限へ、9・11番のりば神戸側も60km/h制限へと緩和された。
平日ラッシュ時はJR神戸線の新快速とJR宝塚線の当駅始発の列車(特急・快速)が同じホームに停車するため、この時間帯の北陸方面からの「サンダーバード」は比較的余裕のある5・6番のりばに到着することが多くなる。
案内サイン
大阪駅の案内サインはJR西日本の標準的な色分けで原則として青地に白抜き文字であったが、改良工事にあわせて変更されている。御堂筋口を中心に黒地に白抜き文字に変更されたが、中央口・桜橋口の中2階からホームに上がる階段の案内は赤茶色地になった。また、ホームへの階段、エスカレーター脇の案内は、従来よりもかなり大きなものが設置されており、遠くからものりば番号が把握しやすくなっている。2010年11月1日より使用できるようになった橋上駅舎では、のりば番号の下にラインカラーが併用されている。また御堂筋口・中央口を皮切りに日本語・英語・中国語・韓国語の4カ国語表示に切り替えられ、ユニバーサルデザインのピクトグラムも導入されている。また新設された橋上駅舎の部分では案内板などでLED照明が採用されている。
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御堂筋口改札周辺の案内サイン
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LEDが採用された案内サイン
駅弁
主な駅弁は下記の通り[21]。現在では淡路屋が駅弁の販売を担当している。
- こだわりおにぎり
- 京風幕の内弁当
- ひっぱりだこ飯
- こてまり
- 京洛紀行
- かぐやの里
- 神戸のステーキ弁当
- あっちっち大阪鶴橋風焼肉重
利用状況
京阪神に存在する駅としては最も利用客が多く、JR西日本の駅としても利用者数は最大である。2011年度においては大阪ステーションシティが開業しており、JR大阪駅の利用者が前年同期比で14%増加したと発表し[22]、大阪駅のリニューアル効果においてお盆期間中の利用が前年比で7%増加した[23]。
年度 | 1日平均 乗車人員 | 出典 | |
---|---|---|---|
総数 | 定期 | ||
1988年(昭和63年) | 326,138 | 206,793 | [24] |
1989年(平成元年) | 368,203 | 215,637 | [25] |
1990年(平成2年) | 400,043 | 228,789 | [26] |
1991年(平成3年) | 414,234 | 239,115 | [27] |
1992年(平成4年) | 430,109 | 249,674 | [28] |
1993年(平成5年) | 437,581 | 255,136 | [29] |
1994年(平成6年) | 444,277 | 259,803 | [30] |
1995年(平成7年) | 477,918 | 275,651 | [31] |
1996年(平成8年) | 475,887 | 274,959 | [32] |
1997年(平成9年) | 439,302 | 256,473 | [33] |
1998年(平成10年) | 429,719 | 248,451 | [34] |
1999年(平成11年) | 425,461 | 243,474 | [35] |
2000年(平成12年) | 424,259 | 241,612 | [36] |
2001年(平成13年) | 430,995 | 241,777 | [37] |
2002年(平成14年) | 419,770 | 239,208 | [38] |
2003年(平成15年) | 425,876 | 240,172 | [39] |
2004年(平成16年) | 426,348 | 240,511 | [40] |
2005年(平成17年) | 425,197 | 239,462 | [41] |
2006年(平成18年) | 423,454 | 237,654 | [42] |
2007年(平成19年) | 425,010 | 236,289 | [43] |
2008年(平成20年) | 422,429 | 233,298 | [44] |
2009年(平成21年) | 401,485 | 225,260 | [45] |
2010年(平成22年) | 394,503 | [46] |
駅周辺
駅周辺は西日本最大の繁華街、オフィス街となっている。
改札を出てすぐの駅構内に、土産物屋やショッピングモール、観光案内所があり、利用者の便宜が図られている。高速バス乗り場やタクシー乗り場、ビジネス街も近いところから、近隣の交通や経済の要となっている駅である。リッツ・カールトンやヒルトンなどの有名ホテルも近い。駅構内の大型施設は以下の通り。
当駅北側には梅田貨物駅があるが、これを廃止して跡地を再開発する計画がある。貨物駅機能は百済駅と吹田操車場跡地(岸辺駅付近)に移転させるとしていて、交渉が難航していた吹田市も計画に同意した。住民による反対運動も決着している。
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サウスゲートビルディング
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ノースゲートビルディング
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大阪駅南側
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大阪駅中央口前のビル群
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大阪駅北側、ノースゲートビルディング建設開始時点
バス
乗車制度の特例
JRの乗り換え駅である北新地駅とは別の駅であるが、JR東西線の京橋駅 - 北新地駅間、または北新地駅 - 尼崎駅間に有効な定期券・回数券では、北新地駅と同一駅扱いとして当駅でも乗り降りできる。また普通乗車券においては、大阪市内発着となる長距離券による両駅間の乗り換えが認められており、尼崎駅以遠(塚口・立花方面)各駅から相互発着となる近距離切符の場合は、当駅からの営業・運賃計算キロで計算する特例がある。
歴史
場所決定の背景
1874年(明治7年)に大阪駅 - 神戸駅間の鉄道開業と共に開業した。当時の駅舎はゴシック風の赤煉瓦造り2階建てで現在地より西の大阪中央郵便局付近に当たる場所にあり、周辺は民家がわずかにあるだけで田圃が広がっていた。駅のある場所は1889年(明治22年)の市制施行時における大阪市域にも含まれず、1897年(明治30年)まで西成郡曽根崎村に属していた。
当初の計画では市街地に近い堂島付近に頭端式で建設される予定であったが、「汽車の火の粉で火事になる」などと住民から猛反対され、当時町外れの梅田に建設されることになったという(鉄道忌避伝説の一種)。
ただ鉄道忌避伝説に基づかない説もある。将来東へ線路が延伸された際に京都駅 - 神戸駅間の直通運転に都合が良いよう、井上勝鉄道長官の指導によって、従前の日本のターミナル駅のような頭端式を採らずに通過式の駅構造にしたため、このような構造になったというものである。これに関しては、鉄道黎明期に頭端式ホームを採用した横浜駅がその後の時勢変化で二度移転を強いられたことからしても、折り返しを要さない東西直通運転を可能にしつつ市街地に駅をできるだけ近づけさせる構造にした大阪駅に、先見の明があったとされることもある。それは、明治末期に山陽鉄道などが国有化された後、西日本各地から東京への直通運転の実現が容易になり、利便性を高めたという点でも大いに役立つこととなった。
開業後の推移
開業当初、大阪駅は「梅田駅」「梅田ステーション」「梅田すてんしょ」などと呼ばれていたが、阪神・阪急や貨物駅の梅田駅が開業すると、次第に大阪駅のことを「梅田駅」などと呼ぶことはなくなった。
当初は貨物輸送の比重が大きく、水運の便を図るため堂島川から駅の南西まで梅田入堀川(堂島入堀川)が開削された。しかし、旅客輸送が次第に増大すると入堀のある狭小な駅前では手狭となり、大阪市電の乗り入れ計画に合わせて十分な駅前広場を確保すべく1905年7月に現在地へ移転された。なお、貨物の取扱いに関しては後に梅田貨物駅が設置された際に全面移管され、梅田入堀川も北東へ延伸された。
1906年に公布された鉄道国有法に基づき主要私鉄が国有化される前は、当駅に官営鉄道(国鉄)の列車のほか、山陽鉄道(今の山陽本線)・阪鶴鉄道(同じく福知山線)・西成鉄道(大阪環状線・桜島線)・関西鉄道(関西本線・大阪環状線など)・南海鉄道(南海本線)といった5つもの私鉄の列車が乗り入れていたことがあった。南海鉄道の列車は、1984年と1993年の2段階で廃止された天王寺線経由で関西鉄道線に乗り入れる形で、山陽鉄道と阪鶴鉄道の列車は官営鉄道へ乗り入れて当駅に達していた。
1934年には大阪市街の踏切の撤去を目的とし、城東線(のちの大阪環状線)と共に大阪駅の高架工事が実施されるが、それに先駆けて1926年に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)が大阪市街の高架化工事を実施し、同社線起点の梅田駅も東海道本線・城東線をまたぐ形で仮設の高架駅となっていたため、高架化に際しては阪急梅田駅を地上駅にする工事も同時に行う必要があり、結果として路線の上下を同時に入れ替えるという大工事を、5月31日から6月1日にかけての一夜で実施することになった(工事についての詳細は阪神急行電鉄#梅田駅付近の変遷を参照)。なおこのとき地上駅となった阪急梅田駅は、後に北へ移設して再び高架駅に戻っている。
1964年に東海道新幹線が開通した際には、既に梅田地区には新たに新幹線用の施設を設けるだけの土地の余裕がほとんどなかったことや(北は阪急梅田駅や梅田貨物駅、南は阪神百貨店など)、将来の山陽新幹線建設を考慮した際に北方貨物線の上の用地を使えるようにした方がいいと考えられたため、大阪の市街地から3kmほど離れた新大阪駅をターミナルとした。
その後、梅田貨物線を使用して京都駅・新大阪駅から和歌山・関西国際空港への直通列車を走らせることになった際には、当駅はそのルート上に駅を設けるには大きく離れていたため通過扱いとなった。将来的な計画としては梅田貨物駅(梅田北ヤード)の再開発に合わせて梅田貨物線のルートを変更した上で地下化し、大阪駅付近に新駅(仮称北梅田駅)を設置するというものがある。
年表
- 1874年(明治7年)
- 1876年(明治9年)7月26日:向日町駅 - 当駅間が開業し、途中駅となる。
- 1889年(明治22年)7月1日:東京駅 - 神戸駅間全通により、東京までの直通運転が行われるようになる。
- 1895年(明治28年)10月17日:大阪鉄道の玉造駅 - 梅田駅間が延伸開業。その終着駅として同線の梅田駅が開業。
- 1898年(明治31年)4月5日:西成鉄道が当駅 - 安治川口駅間を開業させ当駅に乗り入れ。
- 1900年(明治33年)6月6日:関西鉄道による大阪鉄道線承継に合わせ、旧大阪鉄道の梅田駅が当駅に統合。当駅は国有鉄道・関西鉄道・西成鉄道の駅になる。
- 1901年(明治34年)7月:ゴシック風石造りの二代目駅舎完成。最初の駅舎の位置から東の、現在地に移転。
- 1906年(明治39年)12月1日:西成鉄道が国有化され、当駅は国有鉄道と関西鉄道の駅になる。
- 1907年(明治40年)10月1日:関西鉄道が国有化、当駅は国有鉄道の単独駅になる。
- 1908年(明治41年)8月1日:大阪市電気局の大阪市電梅田(大阪駅前)停留場開業。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、東京駅 - 神戸駅間は東海道本線、旧大阪鉄道線は城東線、旧西成鉄道の区間は西成線になる。
- 1928年(昭和3年)12月1日:貨物取扱業務が新設された梅田駅に移管。
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年):二代目駅舎が解体され、仮駅舎建設。
- 1940年(昭和15年)6月:三代目駅舎が2階まで完成し供用開始。当初の予定では5階建てのインターナショナルスタイルの四角いビルであり、中央に5階分の高さの吹き抜けを設け、上層階は1940年東京オリンピックに合わせて鉄道ホテルとして供用される予定だった
- 1943年(昭和18年):三代目駅舎完成(3階建てコンクリート造り)。中央の吹き抜け部分を除き、4・5階部分の鉄骨は切断し軍に供出。
- 1945年(昭和20年)6月1日・6月7日:大阪大空襲により機銃掃射、焼夷弾、爆弾の直撃被害を受け、当分営業を休止する。仮復旧時は上り電車は東構内、下り電車は西構内で折り返し運転を行い、旅客は高架軌道を歩き急造の梯子で電車に乗車した[47]。
- 1953年(昭和28年)9月1日:大阪市営トロリーバス、大阪駅前 - 神崎橋間開業。
- 1957年(昭和32年)3月21日:券売機が設置される[48]。
- 1959年(昭和34年)12月21日:0番のりばが使用開始[49]。
- 1960年(昭和35年)2月1日:座席予約端末装置(マルス1)使用開始[50]。
- 1961年(昭和36年)4月25日:城東線全線と西成線西九条駅 - 当駅間が大阪環状線として開業。
- 1962年(昭和37年)10月1日:11番のりばが使用開始[51]
- 1966年(昭和41年)7月1日:大阪市電 大阪駅前停留場廃止(大阪市電の全廃は1969年)。
- 1969年(昭和44年)10月1日:大阪市営トロリーバス、大阪駅前より撤退(大阪駅前 - 神崎橋、大阪駅前 - 森小路一丁目間廃止)。
- 1970年(昭和45年)3月12日:大阪環状線ホーム(環状1番・環状2番のりば)が使用開始[52]。
- 1979年(昭和54年)12月18日:四代目駅舎の北駅ビル完成[53]。
- 1982年(昭和57年)3月1日:大阪環状線ホームが環状1番・環状2番のりばから、環状内回り・環状外回りのりばに変更[54]。
- 1983年(昭和58年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1991年(平成3年)4月23日:改装が完成。待ち合わせスポット「旅立ちの鐘」除幕。東口を御堂筋口、北口を御堂筋北口、西口を桜橋口と命名。
- 1997年(平成9年):自動改札機が設置される。
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)10月16日:改良工事が本格開始[18]。
- 2011年(平成23年)
- 5月4日:大阪ステーションシティとして開業。
- 5月24日・6月1日:バスターミナルが北口に集約される(大阪市営バスは5月21日から、西日本JRバスは6月1日から)
その他
初代大阪駅舎の駅前には高さ10メートルの時鐘台があり、発車5分前になると鐘を鳴らしていた。この鐘は駅が二代目に改築された時に行方が分からなくなったが、三代目が建築された頃に保線区で逆さ向きにして手洗い鉢にされているのが発見され、急遽回収されたという逸話が残っている。その後、1960年に日本国有鉄道により鉄道記念物に指定され、今は交通科学博物館に保存展示されている。重さ約100kg。 後に大阪駅でもう一つの鐘(重さ28kg)が保管されている事が発覚し、時鐘は二つあったと推測されている[58]。
この鐘は1980年5月から大阪駅北ビルで「旅立ちの鐘」として展示されたが、駅改良工事に伴い2010年11月に撤去された[59]。
1901年の二代目大阪駅舎建設時、正面玄関の左右に銅像の「噴水小僧」が2体設置された。1体は三代目駅舎建設時に移転する際に行方不明になり、もう1体が中央コンコースの人口池に展示され待ち合わせ場所として親しまれていたが、駅改良工事に伴い2004年3月に撤去された[59]。
隣の駅
※特急・急行列車の停車駅は各列車記事を参照のこと。
- 西日本旅客鉄道
- ■JR京都線・■JR神戸線・■JR宝塚線(東海道本線)
- ■大阪環状線
脚注
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年 ISBN 978-4533029806
- ^ a b 大阪駅 新5号ホーム(11番のりば)の使用開始について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年11月19日
- ^ 2010年9月定例社長会見 - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月15日
- ^ a b 2011年1月定例社長会見 - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年1月19日
- ^ 地盤沈下の名残は現在も駅構内にある。線路にまで段差ができてしまったため、「国鉄で最も急な勾配がある駅」とまで言われたこともある。
- ^ 大阪駅|構内図:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012年5月17日閲覧。
- ^ 列車詳細情報|駅時刻表:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012月5月17日閲覧。
- ^ 列車詳細情報|駅時刻表:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012月5月17日閲覧。
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- ^ 列車詳細情報|駅時刻表:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道、2012月5月17日閲覧。
- ^ a b 平成23年春ダイヤ改正について (PDF) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年12月17日
- ^ 大阪駅開発プロジェクトの開発エリアおよびビルの名称・ロゴ決定について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年1月22日
- ^ JR大阪駅、古い屋根外せず 新装大屋根、雨吹き込む - 朝日新聞 2011年5月19日
- ^ 大阪駅ホーム屋根に関わる工事計画などについて - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年7月1日
- ^ ドームと空中回廊の玄関駅、名称「大阪ステーションシティ」 - 産経新聞 2010年1月15日
- ^ JR大阪駅改修で乗降客数は6万人増の91万人へ - 産経イザ!
- ^ a b 大阪駅改良工事の本体工事着手のおしらせ(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2004年4月19日
- ^ a b 2005年1月定例社長会見(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年1月19日
- ^ 通路として残った!郷愁の大阪駅旧11番ホーム - 読売新聞 2011年5月19日
- ^ 『JR時刻表』2010年8月号、交通新聞社、p.241。
- ^ JR大阪駅の利用者14%増 商業施設は一日37万人 JR西日本・佐々木社長 - 産経新聞 2011年5月20日
- ^ お盆期間、JR西日本利用は前年比7%増 - 神戸新聞 2011年8月19日
- ^ 平成2年度大阪府統計年鑑(平成3年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212
- ^ 平成2年度大阪府統計年鑑(平成3年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212
- ^ 平成3年度大阪府統計年鑑(平成4年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212
- ^ 平成4年度大阪府統計年鑑(平成5年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.212
- ^ 平成5年度大阪府統計年鑑(平成6年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194
- ^ 平成6年度大阪府統計年鑑(平成7年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.192
- ^ 平成7年度大阪府統計年鑑(平成8年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194
- ^ 平成8年度大阪府統計年鑑(平成9年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.190
- ^ 平成9年度大阪府統計年鑑(平成10年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194
- ^ 平成10年度大阪府統計年鑑(平成11年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194
- ^ 平成11年度大阪府統計年鑑(平成12年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.194
- ^ 平成12年度大阪府統計年鑑(平成13年3月刊行)運輸及び通信 (PDF) - 大阪府 p.206
- ^ 大阪府統計年鑑(平成14年3月刊行)JR各駅別乗車人員 (Excel) - 大阪府
- ^ 大阪府統計年鑑(平成15年3月刊行)JR各駅別乗車人員 (Excel) - 大阪府
- ^ 大阪府統計年鑑(平成16年3月刊行)JR各駅別乗車人員 (Excel) - 大阪府
- ^ 大阪府統計年鑑(平成17年3月刊行)JR各駅別乗車人員 (Excel) - 大阪府
- ^ 大阪府統計年鑑(平成18年3月刊行)JR各駅別乗車人員 (Excel) - 大阪府
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- ^ 大阪府統計年鑑(平成22年3月刊行)JR各駅別乗車人員 (Excel) - 大阪府
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- ^ データで見るJR西日本2011 - 西日本旅客鉄道、p.76。
- ^ 「旧国鉄大阪駅学徒報国隊『あゝ紅の血は燃ゆる』学徒動員の思い出」p.95「6月1日、7日の大空襲」※復旧の日時は不明
- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.362。
- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.47。
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- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.180。
- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.379。
- ^ 『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.210。
- ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
- ^ a b 2005年2月定例社長会見(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年2月17日
- ^ 時鐘に関しては「大阪駅物語」P187-191
- ^ a b 「噴水小僧」「旅立ちの鐘」 新装大阪駅に居場所なく - 朝日新聞 2011年4月30日
- ^ 丹波路快速はJR京都線と直通運転しない。
- ^ JR宝塚線の快速はJR京都線と直通運転しない。
参考文献
- 『大阪駅物語』朝日新聞大阪本社社会編、弘済出版社、1980年。
- 『大阪駅の歴史』大阪ターミナルビル株式会社、2003年。
- 「旧国鉄大阪駅学徒報国隊『あゝ紅の血は燃ゆる』学徒動員の思い出」旧国鉄大阪駅学徒報国隊合同懇親会編、1993年(関西大学図書館、立命館大学国際平和ミュージアム所蔵)。
関連項目
外部リンク
- 大阪駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- 大阪ステーションシティ
- 捨てられかけた巨大駅 JR大阪駅 - 朝日新聞
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