伊藤史隆

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いとう しりゅう
伊藤 史隆
プロフィール
本名 伊藤 史隆(いとう のぶたか)
愛称 史隆さん、史隆ちゃん
出身地 日本の旗 愛知県名古屋市
生年月日 (1962-10-25) 1962年10月25日(59歳)
最終学歴 神戸大学経済学部
勤務局 朝日放送テレビ
活動期間 1985年 -
ジャンル スポーツ中継報道ニュースキャスター)・演芸
公式サイト アナウンサープロフィール 伊藤史隆
出演番組・活動
出演中 プロ野球中継・高校野球中継・ゴルフ中継
日曜落語 〜なみはや亭〜
伊藤史隆のラジオノオト』など  
出演経歴ABCヤングリクエスト
桂三枝のにゅーすコロンブス
ようこそ!伊藤史隆です
キャスト
伊藤史隆のOn-site RADIO
おはようコールABC

伊藤 史隆(いとう しりゅう、1962年10月25日 - )は、朝日放送テレビ[1](ABCテレビ)のゼネラルアナウンサー(部長待遇)。

来歴・人物[編集]

愛知県名古屋市緑区鳴海町出身。名前の"史隆"については、本名では「のぶたか[2]」と読むが、放送上は音読みの「しりゅう」と名乗っている。

名古屋市立桜台高等学校から、神戸大学経済学部へ進学。高校の同期生に歌人穂村弘やプロゴルファーの塩谷育代、大学の同期生にノーベル賞受賞者の山中伸弥がいる。また、高校時代には天文部で、大学時代には落語研究会に所属。落語研究会では、「拡益亭喜富」(かくえきてい きっぷ:『拡益亭』は江戸落語に取り組む会員が代々名乗る屋号)を名乗っていた。ちなみに、落語家桂吉弥は、落語研究会での後輩に当たる。

大学卒業後の1985年に、岡元昇中邨雄二とともに、アナウンサーとして朝日放送(当時)へ入社した。

本人の弁によれば、当初は特にアナウンサー志望というわけではなく、放送以外の業種の企業での採用も内定していた。しかし、自分から何の挑戦もしないまま内定を得たことで「マリッジブルーのような感覚」に陥ったところ、神戸大学の就職課で朝日放送アナウンサー職の求人票(若干名募集)を発見。その時点でアナウンスの本格的な経験や勉強を一切積んでいなかったにもかかわらず、前述の落語研究会で磨いた話術を頼りにアナウンサー試験へ「挑戦」したところ、岡元・中邨とともに採用された[3][出典無効]

伊藤の採用については、定期採用扱いで先に入社が決まっていた岡元・中邨と違って、当時朝日放送へ在籍していた長沢彰彦アナウンサーの英国放送協会(BBC)への出向に伴う欠員の補充を兼ねていた。伊藤自身は、このような社内事情を知らないまま、最終試験で試験官の乾に向かって「採用されなかったら内定を受けた(前述の)企業に就職する」と公言。それでも「岡元や中邨とは毛色の違う人材も(アナウンサーに)欲しい」という上層部の意向で採用に至ったことから、入社の直後には、乾から直々に「(定期採用扱いの)岡元・中邨をドラフト会議での指名を受けて(朝日放送に)入ったプロ野球選手に例えるなら、(他業種の内定先での就職を公言するほど、アナウンサーへの志望動機が薄いにもかかわらず、『欠員補充』扱いで採用された)お前(当時の伊藤)はドラフト外同然で入ったようなものだ」と言われたという[4][出典無効]

朝日放送への入社後は、スポーツアナウンサーの先輩に当たる因田宏紀や、道上洋三による指導の下でアナウンス技術を研鑽。道上からは、前述した入社までの経緯を踏まえて、「『うまくなろう』と努力しなくてもいいから、他人の心に響くような表現力を磨きなさい」という金言を授かったという[5]。また、「リスナーとして訊いておきたいことを、当意即妙のタイミングで解説者に語らせている」という理由で、入社当時から上司の中村哲夫[5]毎日放送三宅定雄のような野球実況を目指していた。ちなみに、現在の妻と結婚した際には、因田夫妻が仲人として同席している。

1985年10月から1年間は、道上・因田が新人アナウンサー時代に最初のパーソナリティを務めた『ABCヤングリクエスト』(朝日放送ラジオ)で、木曜日の最終パーソナリティを務めた。その後は、野球プロ野球阪神戦や全国高校野球選手権大会)を中心に、ゴルフ日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯)など、主にスポーツ中継で実況・リポーターを担当。1990年から1年半朝日放送テレビで放送された全国ネット番組『桂三枝のにゅーすコロンブス』では、キャスターを務めている。

1997年以降は、大学時代に落語研究会で活動した経験を生かしながら、『日曜落語 〜なみはや亭〜』(朝日放送ラジオ)に席亭(案内役)として出演。2009年7月11日からは、自身初の冠番組『ようこそ!伊藤史隆です』(朝日放送ラジオ)で、メインパーソナリティを務めた。その関係で、2011年9月までの土曜日には、同番組の生放送を終えてからスポーツ実況の現場へ向かうことも多かった。

2011年までは、スポーツ実況を担当するかたわら、同期入社の中邨とともにスポーツアナウンサーの管理業務も担当していた。しかし、同年9月25日に『ABCフレッシュアップベースボール』(朝日放送ラジオ)で中継された阪神対巨人戦(甲子園球場のデーゲーム)での実況担当(解説:吉田義男)を最後に、入社以来25年間携わってきたスポーツの中継現場から一旦退いた。

2011年10月3日からは、平日夕方の関西ローカルニュース番組『キャスト』のメインキャスターに就任。前番組『NEWSゆう+』での保坂和拓小縣裕介に続いて、スポーツアナウンサーからニュースキャスターに転身している(小縣は2012年度からスポーツアナウンサーに復帰)。ただし、同年12月31日までは、『キャスト』を放送しない土曜日に『ようこそ!伊藤史隆です』で引き続きパーソナリティを務めていた。

ちなみに、『ようこそ!伊藤史隆です』を開始するまでは、出張や旅行などで日本国内の45都道府県へ滞在。さらに、同番組の放送期間中に、番組の企画を兼ねて残り2県(大分県群馬県)を訪問した。また、同番組の放送期間中には、スウェーデンから女性の交換留学生を自宅で受け入れていた。

2012年11月25日開催の第2回神戸マラソンで、50歳にして人生初のフルマラソンに挑戦。4時間37分52秒で完走を果たした。

2015年3月27日に、『キャスト』のメインキャスターを勇退[6]。同年4月からは、ゴルフ中継を皮切りに、再びスポーツアナウンサーとして活動している[7]2016年には、朝日放送ラジオで3月28日から月曜日の17時台に『伊藤史隆のOn-site RADIO』(生放送番組)、10月1日から2017年9月30日まで土曜日の17時台に『昭和サウンドトラック』(事前収録による1時間の音楽番組)のパーソナリティを務めている。また、平日の生ワイド番組のパーソナリティが急病などで休演した場合に代役へ起用されることが多く、番組スタッフからは後輩アナウンサーの桂紗綾(入社後にアマチュアの立場で落語家としても活動)と並んで「朝日放送ラジオの代打の神様」と呼ばれているという。

2017年度からは、スポーツアナウンサーとしての活動と並行しながら、プロ野球のオフシーズンを中心に『伊藤史隆のラジオノオト』でラジオパーソナリティとしての活動を本格的に再開。2018年4月から2020年10月までは、「スポーツコメンテーター」という肩書で『おはようコールABC』(ABCテレビ平日早朝の生放送番組)の水曜日にレギュラーで出演していた。アナウンサー歴35年(2020年5月)の時点で道上が語ったところによれば、朝日放送の開局後にアナウンサーの担当ジャンルがスポーツ・報道・演芸(バラエティ)に事実上分かれてから、全てのジャンルの番組をレギュラーで担当したアナウンサーは伊藤が初めてとされる[5]。その一方で、『伊藤史隆のラジオノオト』が年始特別編成で放送を休止していた2020・2021年の元日には、関西地方の他の民放ラジオ局が制作する生放送番組のゲストに招かれている(詳細後述)。

なお、2020年8月5日(水曜日)には、プロ野球のシーズン中でありながら『キャスト』のメインキャスターを5年5ヶ月振りに務めた。澤田有也佳(同番組で月 - 水曜日サブキャスターを務める後輩アナウンサー)に新型コロナウイルスへの感染が同月1日に確認されたことから、澤田と直前(7月下旬)に共演していたレギュラー番組の関係者(伊藤の2代後のメインキャスターで後輩の上田剛彦など)にPCR検査を受診させる方針を朝日放送テレビが決めたことによる暫定措置で、当初は上田などの陰性が完全に確認されるまで水・金曜日に代演を予定していた(月・火・木曜日のメインキャスター代理は堀江政生[8]。しかし、上田などが陰性の確認を経て7日(金曜日)放送分から復帰することが決まったため、実際には5日放送分[9] だけで代演を終了した。

2021年1月11日(月曜日・成人の日)には、同期入社の中邨と共に、「トラッキーズ」という名義でチキンジョージ神戸市中央区ライブハウス)のステージ(年に1日だけ開催される「チキンジョージ新年会 素人演芸会」)へ出演。阪神・淡路大震災(1995年1月17日発災)に関する『ラジオノオト』の企画で2020年1月にチキンジョージを取材したことがきっかけで、チキンジョージ側から出演を打診されたことによる「歌手デビュー」で、『夏の終わりのハーモニー』(井上陽水玉置浩二)と『冬の稲妻』(アリス)を中邨とのデュエットで披露した(伊藤はサイドボーカルを担当)。ちなみに、ABCラジオにおける双方の冠番組(『伊藤史隆のラジオノオト』『サクサク土曜日 中邨雄二です』)では、スタジオでの練習や本番の歌唱音源を放送している[10]

スポーツアナウンサーとしての主な活動[編集]

朝日放送への入社3年目だった1987年8月9日に、第69回全国高等学校野球選手権全国大会2日目第3試合・習志野東筑戦のラジオ中継で野球実況デビュー(延長10回の末に習志野が3 - 2で勝利)。

1990年代に入ってからは、阪神戦の中継や、大きなスポーツイベントで実況する機会が増加。2002年には、JNNJRN系列局の優秀なアナウンサーに贈られるアノンシスト賞(第27回)で、ラジオスポーツ実況部門最優秀賞に加え大賞(グランダ・プレミオ)を受賞した。さらに、高校野球DVD&VHSとして発売している「第85回記念大会記念企画 夏の甲子園・不滅の名勝負 1915-2002」で2巻・5巻・8巻のナレーションを務めている。ちなみに、 阪神タイガースを題材にABCが制作に協力した東宝の実写映画「ミスター・ルーキー」(2002年公開)では、中西清起(出演時点では同局の野球解説者)とともに阪神甲子園球場での実況シーンに出演した。

サッカー中継を担当する機会はほとんどないが、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選では、朝日放送ラジオの取材リポーターとして約1ヶ月間カタールに滞在。日本代表の最終試合であった最終予選のイラク代表戦(1993年10月28日)では、日本代表が勝ってワールドカップへの初出場を決めた場合に、代表監督・選手へのインタビュアーを務めることが決まっていたが、そこで「ドーハの悲劇」を目撃する羽目になった。

『キャスト』メインキャスター時代の2014年5月25日には、朝日放送による阪神対千葉ロッテ戦(甲子園球場のデーゲーム)での阪神応援企画「ファンみんなでガォー祭り!」の一環として、朝日放送テレビのプロ野球中継へ久々に出演。当時同番組の月曜日で共演していた阪神ファンの遠藤章造をゲストに迎えて、副音声で実況を担当した。『キャスト』からの勇退後は、2015年5月3日オリックス福岡ソフトバンク戦ラジオ中継(ABC制作・『RKBエキサイトホークス』向けの裏送り中継)を皮切りに、プロ野球中継での実況を本格的に再開。同年6月20日の阪神対東京ヤクルト戦(甲子園球場のデーゲーム)の実況で『ABCフレッシュアップベースボール』への復帰を果たした。

阪神球団が創設80周年を迎えた2015年には、『球団創設80周年 阪神タイガース総選挙DVD』(阪神コンテンツリンク)の制作に朝日放送・毎日放送が協力したことから、両局を代表するスポーツアナウンサーとして毎日放送の赤木誠と共にナレーターを務めた。その一方で、星野仙一の逝去(2018年1月4日)を受けて朝日放送テレビで同月8日に放送した『虎バン追悼特別番組 ありがとう!星野仙一さん』では、阪神一軍監督時代(2002年2003年)の星野を頻繁に取材した縁で、当時選手や球団職員として星野を支えていた金本知憲平田勝男矢野燿大片岡篤史の対談パートを進行した。

ちなみに、1987年のオフシーズンから1989年までは、当時存在していた近鉄バファローズを主に取材。1988年から近鉄戦の中継で実況やベンチリポートを随時担当していたほか、「10・19」(1988年10月19日に川崎球場で催されたロッテ・オリオンズ近鉄バファローズダブルヘッダー)には、朝日放送(当時)のテレビ・ラジオ中継班にスコアラーとして帯同していた。その縁から、朝日放送ラジオが『 「10.19」~7時間33分の追憶~』(平成30年度芸術祭参加作品として2018年11月18日に本放送)を制作する際に、「10・19」の当事者であった近鉄OBへのインタビュー取材とナビゲーターを担当。この番組は本放送後に、2019年の日本民間放送連盟賞・ラジオ報道部門の優秀賞[11] や、第56回(2018年度)ギャラクシー賞・ラジオ部門の選奨を受賞した[12]。さらに、ベースボール・マガジン社が『俺たちのパシフィック・リーグ 近鉄バファローズ1989』(2021年10月8日発売のムック)を刊行する際には、近鉄担当時代の思い出にまつわるエッセイの執筆を同社から依頼。その依頼に応じて書き下ろした「永遠の『一瞬』。」が、巻頭エッセイとして同誌の6 - 7ページに掲載された。

執筆活動[編集]

落語への造詣が深いことから、1年先輩のアナウンサー・三代澤康司大阪市立大学落語研究会出身)、7年後輩のラジオプロデューサー・戸谷公一関西学院大学文化総部甲山落語研究会出身)、23年後輩のアナウンサー・桂紗綾(2017年頃より参加)と交代で、関西の演芸専門月刊フリーペーパー『よせぴっ。』の「笑うてABC」という欄にてリレーコラムを執筆している。

また、妹尾和夫冠番組が朝日放送→朝日放送ラジオでレギュラー番組として編成されていた時期には、妹尾が主宰している劇団パロディフライの舞台公演用に「架空実況」を収録することがあった。2011年には、マラソン中継での実況経験を基に初めて書き下ろした脚本「ラビット」が、劇団パロディフライ舞台公演番外編「時の旅人 兎」で実際に上演されている。『キャスト』のメインキャスターに転身してからも、2012年4月に上演の「時の旅人 辰」に向けて、尾藤公(故人、元和歌山県立箕島高等学校野球部監督)を題材にした作品「ドラゴンスマイル」の脚本を執筆。同作品では、事前収録による架空実況ながら、久々に実況形式のアナウンスも披露した。

出演番組・作品[編集]

『キャスト』のメインキャスター担当期間中(第94回 - 第96回大会が該当)には出演を休止。2015年第97回大会で復帰すると、2016年第98回大会では、ラジオ中継のタイトルコール・提供読み・告知アナウンスを事前収録で担当している。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で第102回全国高等学校野球選手権大会に代わって2020年甲子園高校野球交流試合(選手権大会に先立って中止された第92回選抜高等学校野球大会への出場内定32校による招待試合)を朝日放送グループで中継した2020年にも、開会式のラジオ中継と一部の試合のテレビ・ラジオ中継で実況を担当。感染防止策の一環で交流試合の開会式(8月10日)に開幕試合の出場校(花咲徳栄大分商)しか参加できないことを踏まえて、開会式の前日(8月9日)に司会を務めた『高校野球スペシャル 届け!この夏の想い』(ラジオでの開幕直前特別番組)では、「模擬開会式」(全32校のベンチ入り選手が甲子園球場へ一堂に集結する設定での架空実況)にも臨んでいた。

テレビ[編集]

ANN系列全国ネットの実況は2010年頃までは阪神×巨人戦の全国ネット実況、2011年までは日本女子プロゴルフ選手権大会 コニカ杯→コニカミノルタ杯[13] を担当(2012年以降、後輩の小縣裕介が担当)。
『キャスト』のメインキャスター就任による休止期間を経て、2015年4月から関西ローカル中心に出演を再開。阪神戦の中継では、同期の中邨とともに、2014年から視覚障害者向け解説放送副音声で年に数回実施)の実況も担当している。

ラジオ[編集]

『キャスト』のメインキャスター担当期間中も出演を継続。2012年からは、毎年1月下旬に実施される上方落語をきく会(朝日放送ラジオ主催の落語会)の生中継で、三代澤と共に席亭を務める。
2020年2月6日・7日放送回の「ムキムキノーサイド劇場」内の企画が、2019年度(第57回)ギャラクシー賞・ラジオ部門の選奨を受賞している[15]
2018年度以降のナイターイン編成でも、平日にNPBのナイトゲームを最初から全く予定していない場合を中心に、『ABCフレッシュアップベースボール 伊藤史隆のラジオノオトversion』として随時放送。2020年には、日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響でNPBレギュラーシーズンの開幕が大幅に遅れていることから、開幕までの期間に『伊藤史隆のプレイボールまで待てない』(3月30日 - 4月10日)や『伊藤史隆のラジオノオトはじめました』(5月12日 - 6月18日)のパーソナリティを急遽任されている。
  • ABCニュース(不定期)
  • 月曜早朝の放送開始、同未明放送休止中の試験電波アナウンス(2016年3月22日 - )、日曜深夜の放送終了アナウンス(2018年4月2日 - )
  • 緊急警報放送試験信号アナウンス(2016年4月以降、毎月第1火曜日早朝)

過去[編集]

テレビ[編集]

当時阪神タイガースの一軍監督を退任したばかりの岡田彰布とともに、青山薫(プロゴルファー)からゴルフのレッスンを受けていた。
星野の阪神一軍監督退任後に朝日放送へ入社した後輩アナウンサーの高野純一川添佳穂が、本編の司会を担当。
スポーツアナウンサーとしての活動と並行しながら、同期入社の中邨(火曜日担当)と共にコメンテーターへ起用。自身の出演日には、「史隆のイットー両断」と称して主にスポーツ関連の解説を担当した。
朝日放送(旧法人)のディレクターとして『てなもんや三度笠』などの人気演芸番組に携わった澤田隆治(2021年5月16日に88歳で永眠)の足跡を追ったドキュメンタリー(令和3年度文化庁芸術祭参加作品)

ラジオ[編集]

最後期パーソナリティの1人として木曜日を担当。当時パーソナリティを務めていた朝日放送のアナウンサーで、朝日放送テレビ設立後の2018年4月以降も現役のアナウンサーとして在籍する人物は伊藤だけである。
レギュラーでは自身初の冠番組だったが、朝日放送報道局の意向で、2012年からニュースキャスターとしての活動にほぼ専念するため終了。
2014年7月4日7月11日(いずれも金曜日)放送分で、髄膜炎の発症・手術で静養した三代澤康司に代わって、メインパーソナリティを担当。2016年12月20日(火曜日)にも、三代澤のインフルエンザ罹患に伴って、パーソナリティ代理を務めた。
プロ野球シーズンには、阪神戦の実況・ベンチリポーターや、阪神関連の取材リポーターとして出演。2015年度までオフシーズン限定で編成していた第2部では、阪神関連の取材リポーターや、期間限定パート(後半戦)内の企画の進行役を務めた[16]
トークコーナーのゲストとしては2014年1月22日(水曜日…14時台「私の通信簿」)、2021年4月22日(木曜日…13時台「征平の、男性アナウンサーもいらっしゃい!」)に出演。
2016年5月19日(木曜日)放送分では、急性心筋梗塞の発症・手術で静養した桑原征平に代わって、メインパーソナリティを担当した。
2021年9月22日まで放送された水曜日13時台の「粋甘流☆美女と野獣NEO」(リスナーの投稿に基づく「出会い頭」方式の大喜利企画)では、「お題」の音源にABCラジオ関係者が起用されるようになった2016年秋以降、伊藤の声色や歌声が4度(起用回数では単独1位)使われた。
初めて「お題」を任されたのは、2018年1月放送分の「」で、替え歌の歌い出しを音源に吹き込んだ。伊藤は初回放送を聴いたところ、出来栄えに納得がいかず、再度録り直したという(初回は、小川恵理子と桑原が続けて歌い易いように伴奏より低いキーで歌ったが、2回目からは伴奏通りのキーに)。
  • 伊藤史隆のOn-site RADIO(ナビゲーター、2016年3月28日 - 2020年9月28日)
  • 昭和サウンドトラック(2016年10月1日 - 2017年9月30日)
昭和40年代 - 60年代に日本で流行したポップス歌謡曲フォークソングを中心に選曲する一方で、『ようこそ!伊藤史隆です』から「今週の伊藤史隆」(放送週の出来事を話すコーナー)を継承。
『武田和歌子のぴたっと。』第2部時代の企画・コーナーを引き継ぐ第1部(18時台)に不定期で出演
パーソナリティの道上・アシスタントの吉田詩織が揃って夏季休暇に入っていた2017年8月7日・8日に、武田訓佳とのコンビで代演。以降も、道上が休演する場合には、パーソナリティ代理を随時任されている。
道上の脳梗塞発症による入院に伴って代演していた2021年10月4日(月曜日)放送分の「スポーツの話題」(プロ野球シーズン中に放送前日の公式戦で阪神が勝利した場合に道上が「六甲おろし」を熱唱することで知られるコーナー)では、前日に『ABCフレッシュアップベースボール』内の中継で実況を担当した阪神対中日ドラゴンズ戦(甲子園)で阪神が「スイープ」(カード3連勝)を果たしたため、「自身の実況音源が放送された後に『六甲おろし』を3番まで歌い切る」という番組史上初の演出が為された。
2017年10月9日(月曜日・体育の日)に市立吹田サッカースタジアムで実施された番組開始40周年記念の公開生放送では、前説と進行を担当。以前の企画で道上が水泳に挑戦した際には、スポーツアナウンサーとして実況を任された。
朝日放送ラジオと同じJRN加盟局の北海道放送でも、2020年1月1日の21:00 - 21:55に放送。
スペシャルウィークの特別企画として、放送中に朝日放送本社内の階段で実施した「森脇健児ひとり感謝祭! 福島一丁目階段ミニマラソン」で、中邨と共に実況リポートを担当。
「スペシャルゲスト」として、石井亮次(放送時点ではCBCテレビのアナウンサー)と共に14時台の「パイセンがやってきた!スペシャル」に出演。

以下の番組は、『伊藤史隆のラジオノオト』をきっかけにゲストで出演したKiss FM KOBEの生放送番組(出演に至る経緯は当該項で詳述)。

『ラジオノオト』の本番前(16時台前半)に、サプライズゲストとして登場。
「トライ!コベルコスティーラーズ」(当日から午前9時台の前半で放送を開始したジャパンラグビートップリーグ神戸製鋼コベルコスティーラーズの情報コーナー)以降のパートからエンディングまで出演。

映画[編集]

テレビ朝日アナウンサーの久保田直子メ〜テレアナウンサーの佐藤裕二とともに、ゲスト声優出演。

DVD[編集]

  • 球団創設80周年 阪神タイガース総選挙DVD 決定!!ファンが選んだベストメンバーと“あの瞬間”(2015年) - 前述

エッセイ[編集]

実況を担当した主な試合[編集]

1994年から2002年まで「全日本大学女子駅伝」ではABC放送センターの総合実況を担当した。

2001年度(2002年放送)まで「全国社会人ラグビーフットボール大会」では決勝戦が近鉄花園ラグビー場で行われる年度の実況を担当した。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 2018年4月1日に旧・朝日放送(朝日放送グループホールディングス)の認定放送持株会社化に伴い、アナウンサーは全員、朝日放送テレビ所属となった。
  2. ^ 2014年1月22日放送の『桑原征平粋も甘いも』14時台「私の通信簿」コーナーにゲスト出演した際に発言(桑原が、大学卒業を控えた頃の伊藤の家族会議を想像し、親の台詞として「しりゅう…」とつぶやいた後「本名"ふみたか"やの?」と伊藤に質問したことを受けて)。
  3. ^ 2009年10月17日に朝日放送ラジオで放送された特別番組『ようこそ!伊藤史隆です 自己紹介です!』などより。
  4. ^ 2016年5月19日放送の『桑原征平粋も甘いも』14時台「私は忘れない」コーナーで、朝日放送入社までの経緯を紹介した際に自身で告白。
  5. ^ a b c ABCラジオ『道上洋三の健康道場』2020年5月16日放送分アーカイブ音源
  6. ^ 浦川アナ「おは朝」卒業!「キャスト」で関西夕方ニュース戦争参戦(『スポーツニッポン2015年2月10日付記事)
  7. ^ スポーツアナウンサーだった枝松順一が2014年11月にスポーツ局へ異動したり、岩本計介が2015年4月改編から『おはよう朝日です』(朝日放送テレビ平日早朝の生放送番組)のメインキャスターに就任したりしたことを背景に活動を再開(伊藤・浦川泰幸・岩本とで三角コンバートという格好に)。再開後は、スポーツ中継での実況・リポートに加えて、『キャスト』で共演していた後輩アナウンサー・北條瑛祐への実況研修を担当。
  8. ^ ABCが番組出演者変更、局アナ感染踏まえ検査強化(『日刊スポーツ2020年8月2日付記事)
  9. ^ 同日は『おはようコールABC』に通常通り出演した一方で、『キャスト』はプロ野球中継のため18時台の放送がなかった。
  10. ^ 『伊藤史隆のラジオノオト』Facebook公式アカウントで2021年1月13日に公開された記事を参照。「トラッキーズ」という名義で出演したのは、伊藤・中邨が朝日放送(当時)へ入社した1985年に、阪神タイガース最初の公式マスコットキャラクターが登場したことに由来する(1987年7月18日に一般公募で「トラッキー」と命名)。
  11. ^ 2019年日本民間放送連盟賞 ラジオ報道部門
  12. ^ 第56回(2018年度)ギャラクシー賞受賞作
  13. ^ 2003年に改称。
  14. ^ 2017年2月11日(土曜日・建国記念の日)にはラジオで『昭和サウンドトラック』を放送中にテレビのニュース(『スーパーJチャンネル』内)を担当した。
  15. ^ 「第57回ギャラクシー賞」ラジオ部門においてABCラジオの番組が入賞!(朝日放送ラジオ2020年7月2日付ニュースリリース)
  16. ^ 2015年度は、50代のベテランアナウンサーが進行を担当する方針の「吉田義男のあの人は今 元・プロ野球選手名鑑」がある水曜日と、かつてのラグビー実況経験を買われて「ムキムキ!!ノーサイド劇場」がある金曜日に多く出演。

外部リンク[編集]

先代:
(番組開始前につき無し)
キャスト メインキャスター
初代:2011.10.3 - 2015.3.27
次代:
浦川泰幸
2015.3.30 - 2017.12.28