佐々岡真司
広島東洋カープ コーチ #88 | |
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2015年8月29日 阪神鳴尾浜球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 島根県那賀郡金城町(現・浜田市) |
生年月日 | 1967年8月26日(56歳) |
身長 体重 |
185 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト1位 |
初出場 | 1990年4月12日 |
最終出場 | 2007年10月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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佐々岡 真司(ささおか しんじ、1967年8月26日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
プロ入り前
町立雲城小学校3年で野球を始め、町立金城中学校では内野手であった。 島根県立浜田商業高等学校2年時に投手に転向。以来、県内屈指の投手として注目を集めたが、夏の甲子園・春のセンバツには共に縁がなかった(3年時(1985年)には、夏の甲子園島根県予選にてベスト4の成績を残している)。
卒業後は、NTT中国野球部に入部。ソウルオリンピック代表にこそ選ばれなかったものの、アマチュア時代から既に、そのスライダーの切れ味はプロでも通用すると言われていた。1989年の第60回都市対抗野球大会には、三菱重工広島の補強選手として出場した。同年のプロ野球ドラフト会議で希望球団だった広島東洋カープから1位指名を受け、入団する。
プロ入り後
プロ1年目の1990年、4月12日に初登板初先発を初勝利で飾り、スライダーを武器に二桁勝利・二桁セーブを挙げ、当時の日本プロ野球新記録となる17試合連続セーブポイントも記録するなど、投手陣の主軸として活躍。8月14日の対中日ドラゴンズ戦では郭源治からサヨナラ本塁打を放っている。しかし、史上初の新人で最優秀救援投手に輝いた与田剛に阻まれ、新人王の獲得はならなかったが、セントラル・リーグ会長特別賞が贈られている。なお、初登板初勝利はドラフト制導入以後に限れば球団初、ドラフト導入以前を含めても38年ぶり3人目の快挙だった[1]。現在でも佐々岡を含めて9人しか記録していない[2]。
1991年は先発に専念。シーズンを通して17勝・防御率2.44を挙げ、最多勝利、最優秀防御率の二冠に輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献すると共に、シーズンMVP、沢村賞、ベストナイン(最優秀投手)を獲得。この年、4月25日の阪神タイガース戦の3回から5月11日の中日ドラゴンズ戦の7回まで、4試合にかけて30イニング連続無失点の球団新記録を達成(2009年に大竹寛が更新)。また、10月23日の西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦(広島市民球場)で先発し、8回一死まで無安打無得点に抑えた。
1992年、12勝を挙げ、プロ入り以来3年連続2桁勝利を記録するが、翌1993年には連続2桁勝利が途切れ、この年のセ・リーグ最多敗を記録している。
1994年、オールスター前までは先発と中継ぎを掛け持っていたが、シーズン後半からはチームの事情によりリリーフへ転向。抑えの大野豊と共に投手陣を支えた。1995年、プロ入り6年目で初の開幕投手を務め、勝利投手となる。この年もシーズン当初は先発だったが、抑えの大野が不調に陥り先発に転向したため、再度リリーフに転向。
1996年、 プロ入り後初めて、シーズンを通して抑えに定着。最速152km/hのストレートと縦に大きく割れる独特のカーブを武器に活躍し、自己最多の23セーブを記録。前年は先発、同年はリリーフとして2年連続で開幕戦の勝利投手となる。6月26日から6月30日にかけて、5日連続セーブの新記録を達成。7月23日のオールスター第三戦の9回に登板、堀幸一、小久保裕紀、ブリトーを3者連続見逃し三振に仕留めて優秀選手賞を受賞。 11月に行われた日米野球では第1戦と第3戦にリリーフで1イニングずつ登板し、第1戦でバリー・ボンズ、アンドレス・ガララーガを、第3戦でイバン・ロドリゲス、ブレイディ・アンダーソン、スティーブ・フィンリーを三振に仕留めた。
1997年、前年に続いて抑えに定着。同年台頭してきた横山竜士と共にリリーフ陣を支えた。
1998年、不振に陥ったため、抑えを小林幹英に譲って先発に再転向したが先発でも満足の行く結果ではなかった。
1999年、新たな球種・シュートを習得して先発として活躍。1991年の17勝に次ぐ15勝を挙げ、リーグトップの13完投・5完封を挙げる。5月8日の対中日ドラゴンズ戦ではノーヒットノーランを達成。
2000年、2度目の開幕投手を務め、勝利投手となる。前年に続いて先発として2桁勝利を記録。
2003年、前年に続いて先発としてスタートしたが、小山田に代わって抑えを務めた新人の永川勝浩が夏場以降失速。これを支えるためにシーズン途中から抑えに再転向。9月14日の対横浜ベイスターズ戦では、日本プロ野球史上6人目となる100勝100Sを達成した。
2004年、中継ぎに転向。永川、大竹寛と共にリリーフとして投手陣を支える。8月以降はチーム事情により先発に再転向。8先発で48回1/3を投げ、防御率1.48と安定感を見せた。
2005年、前年後半の安定感から先発としてスタートするも、結果を残せず6月から二軍に降格、ルーキーイヤー以来となる二軍登板を経験する。一軍復帰後リリーフに転向。リリーフでは安定した投球を見せたが、30試合に登板し1勝、防御率6.33の成績に終わった。この年、出身地の金城町から町民栄誉賞を受賞している。
2006年、前年の野村謙二郎の引退により、チーム最年長選手となる。また、先発投手に再転向。当初は黒田博樹、大竹寛、ショーン・ダグラスの脇役的な扱いだったが、最終的にはチームで唯一シーズン通じてローテーションを守って投げきり、規定投球回数に到達すると共に8勝を挙げた。5月4日には、東京ヤクルトスワローズ戦にて先発100勝目を挙げる。先発100勝かつ100セーブという記録は江夏豊以来史上2人目。39歳での規定回数到達は大野豊に次ぐ球団史上2位の高齢記録であった。
2007年、9月19日に現役引退を表明。10月6日の対横浜最終戦が、佐々岡の引退試合として行われた。10-0と広島が大量リードして迎えた9回表、二死無走者から登板したが、村田修一に高めの球を本塁打にされた。
引退試合を終えた翌日の対ヤクルト最終戦(神宮)では、佐々岡と同じく同年限りで引退し、アマ時代にバッテリーを組んだこともある古田敦也の引退試合にワンポイント登板した。この8回裏二死の対戦で古田を遊ゴロに打ち取り、登板後には古田と固い握手を交わし、花束を贈った。試合後は左翼席へサインボールを投げ込んで東京のファンに別れを告げ「マーティに最後のわがままを聞いてもらった。全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。凄くいい思い出になりました」と感慨に浸っていた。
現役引退後
引退後の2008年からは、中国放送(RCC)の野球解説者として活動。また、2012年まではRCCのネットキー局であるTBSテレビ(JNN系列)・TBSラジオ(JRN系列)の解説者も兼任[3](テレビは基本的に地上波へはRCC発の広島対巨人戦以外出演せず、系列CS放送のTBSニュースバードへ出演)。解説者と並行して、スポーツニッポンの野球評論家も務めている。2013年からTBSテレビ・ラジオとの関係が局契約から中継ごとの本数契約に移行したため、ラジオではそれまで出演していなかったニッポン放送・文化放送及びNRNへ配信する中継にも出演していた。
2014年10月28日、広島の二軍投手コーチ就任が発表された。背番号は88。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1990 | 広島 | 44 | 13 | 6 | 2 | 0 | 13 | 11 | 17 | -- | .542 | 621 | 151.1 | 123 | 15 | 53 | 8 | 6 | 129 | 3 | 0 | 56 | 53 | 3.15 | 1.16 |
1991 | 33 | 31 | 13 | 5 | 0 | 17 | 9 | 0 | -- | .654 | 962 | 240.0 | 186 | 20 | 69 | 2 | 8 | 213 | 4 | 0 | 69 | 65 | 2.44 | 1.06 | |
1992 | 29 | 27 | 7 | 1 | 0 | 12 | 8 | 0 | -- | .600 | 815 | 197.0 | 186 | 14 | 60 | 5 | 4 | 161 | 8 | 1 | 87 | 74 | 3.38 | 1.25 | |
1993 | 30 | 28 | 7 | 1 | 1 | 5 | 17 | 0 | -- | .227 | 793 | 183.0 | 206 | 21 | 58 | 1 | 5 | 124 | 6 | 0 | 93 | 88 | 4.33 | 1.44 | |
1994 | 41 | 14 | 2 | 1 | 0 | 7 | 9 | 6 | -- | .438 | 547 | 130.2 | 129 | 15 | 27 | 1 | 4 | 93 | 1 | 0 | 51 | 48 | 3.31 | 1.19 | |
1995 | 44 | 12 | 2 | 0 | 0 | 7 | 7 | 17 | -- | .500 | 525 | 127.0 | 108 | 10 | 39 | 4 | 5 | 110 | 3 | 0 | 47 | 43 | 3.05 | 1.16 | |
1996 | 49 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 7 | 23 | -- | .417 | 270 | 69.0 | 54 | 5 | 14 | 1 | 3 | 71 | 2 | 0 | 13 | 13 | 1.70 | 0.99 | |
1997 | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 21 | -- | .500 | 243 | 57.2 | 54 | 5 | 20 | 3 | 2 | 64 | 3 | 0 | 19 | 17 | 2.65 | 1.28 | |
1998 | 29 | 16 | 1 | 0 | 0 | 5 | 11 | 6 | -- | .313 | 491 | 121.0 | 113 | 17 | 25 | 1 | 3 | 96 | 3 | 1 | 54 | 51 | 3.79 | 1.14 | |
1999 | 26 | 26 | 13 | 5 | 1 | 15 | 8 | 0 | -- | .652 | 787 | 190.0 | 181 | 17 | 43 | 4 | 4 | 150 | 0 | 0 | 73 | 69 | 3.27 | 1.18 | |
2000 | 21 | 21 | 5 | 1 | 1 | 10 | 6 | 0 | -- | .625 | 602 | 142.2 | 154 | 18 | 29 | 1 | 1 | 94 | 2 | 0 | 71 | 63 | 3.97 | 1.28 | |
2001 | 32 | 17 | 7 | 0 | 1 | 7 | 10 | 7 | -- | .412 | 588 | 140.1 | 154 | 16 | 31 | 4 | 3 | 92 | 2 | 0 | 61 | 56 | 3.59 | 1.32 | |
2002 | 25 | 25 | 2 | 1 | 2 | 8 | 9 | 0 | -- | .471 | 647 | 153.2 | 167 | 13 | 32 | 1 | 1 | 127 | 0 | 0 | 76 | 59 | 3.46 | 1.30 | |
2003 | 29 | 17 | 1 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6 | -- | .500 | 467 | 110.1 | 122 | 20 | 25 | 2 | 5 | 81 | 0 | 0 | 64 | 60 | 4.89 | 1.33 | |
2004 | 30 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 3 | -- | .300 | 351 | 81.1 | 98 | 6 | 17 | 1 | 3 | 61 | 0 | 0 | 38 | 35 | 3.87 | 1.41 | |
2005 | 30 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 4 | .143 | 246 | 54.0 | 75 | 14 | 19 | 0 | 0 | 37 | 2 | 0 | 44 | 38 | 6.33 | 1.74 | |
2006 | 27 | 27 | 0 | 0 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 619 | 149.2 | 155 | 24 | 29 | 4 | 5 | 82 | 2 | 0 | 77 | 68 | 4.09 | 1.23 | |
2007 | 12 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 1 | .222 | 215 | 45.2 | 75 | 9 | 5 | 0 | 4 | 21 | 0 | 0 | 34 | 33 | 6.50 | 1.75 | |
通算:18年 | 570 | 303 | 66 | 17 | 6 | 138 | 153 | 106 | 5 | .474 | 9789 | 2344.1 | 2340 | 259 | 595 | 43 | 66 | 1806 | 41 | 2 | 1027 | 933 | 3.58 | 1.25 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- ベストナイン:1回 (1991年)
- 最優秀投手:1回 (1991年)
- MVP:1回 (1991年)
- 沢村賞:1回 (1991年)
- セ・リーグ会長特別賞:1回 (1990年)
- オールスター優秀選手賞:1回 (1996年第3戦)
- 月間MVP:6回 (1990年9月、1991年5月、1991年9月、1996年6月、1999年5月、2000年4月)
- 最優秀JCB・MEP賞:1回 (1991年)
- 優秀JCB・MEP賞:2回 (1990年、1999年)
- 特別功労賞:(2007年)
記録
- 初記録(投手記録)
- 初登板・初先発・初勝利・初完投勝利:1990年4月12日、対横浜大洋ホエールズ3回戦(横浜スタジアム)、9回2失点
- 初奪三振:同上、3回裏に谷繁元信から
- 初セーブ:1990年5月9日、対ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、7回裏に2番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初完封勝利:1990年9月18日、対横浜大洋ホエールズ24回戦(横浜スタジアム)
- 初ホールド:2005年7月30日、対横浜ベイスターズ12回戦(広島市民球場)、7回表に5番手で救援登板、1回無失点
- 初記録(打撃記録)
- 初安打:1990年4月18日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤ球場)、3回表に山本昌から
- 初打点:同上、7回表に山本昌から2点適時二塁打
- 初本塁打:1990年8月14日、対中日ドラゴンズ19回戦(広島市民球場)、9回裏に郭源治からサヨナラソロ
- 節目の記録
- 1000投球回:1995年8月29日、対阪神タイガース22回戦(阪神甲子園球場) ※史上264人目
- 1000奪三振:1998年7月5日、対阪神タイガース13回戦(広島市民球場)、7回表に新庄剛志から ※史上102人目
- 1500投球回:2000年4月28日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、3回裏2死目に石井琢朗を遊飛で達成 ※史上146人目
- 100勝:2000年6月16日、対横浜ベイスターズ11回戦(横浜スタジアム)、完封勝利 ※史上115人目
- 1500奪三振:2002年9月4日、対阪神タイガース23回戦(広島市民球場)、8回表に片岡篤史から ※史上45人目
- 2000投球回:2003年8月24日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤドーム)、1回裏3死目に平松一宏を三振で達成 ※史上82人目
- 100セーブ:2003年9月14日、対横浜ベイスターズ23回戦(広島市民球場)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上16人目(100勝100セーブは史上6人目)
- 500試合登板:2004年9月24日、対ヤクルトスワローズ26回戦(広島市民球場)、先発登板で6回2失点 ※史上75人目
- 先発100勝100セーブ:2006年5月4日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、先発登板で6回無失点 ※史上2人目(過去に江夏豊が記録)
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:6回 (1990年、1991年、1996年、1999年、2000年、2001年)
- 30イニング連続無失点:1991年4月25日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)の3回裏~5月11日、対中日ドラゴンズ6回戦(ナゴヤ球場)の7回裏
- 5日連続セーブ:1996年6月26日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤ球場)~6月30日、対読売ジャイアンツ15回戦(広島市民球場)
- ノーヒットノーラン:1999年5月8日、対中日ドラゴンズ8回戦(広島市民球場) ※史上67人目(1死球のみ、無四球は1948年の真田重蔵、1995年のテリー・ブロス以来3人目)
背番号
- 18 (1990年 - 2007年)
- 88 (2015年 - )
主な出演番組
- プロ野球中継(解説者)
- 侍プロ野球(TBS系列。RCCテレビ制作の広島戦およびTBSテレビ制作TBSニュースバード→TBSチャンネル・BS-TBS放送のDeNA対広島戦に出演)
- RCCカープナイター/RCCカープデーゲーム中継(RCCラジオ)
- エキサイトベースボール(TBSラジオ。DeNA対広島戦のRCCラジオ向け裏送り中継および予備からの昇格時のみの出演)
- ホリデーインタビュー(NHK総合テレビ。2010年2月11日)
- サンデーモーニング(TBSテレビ。2011年7月10日)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 佐々岡真司 - NPB.jp 日本野球機構