井端弘和
読売ジャイアンツ 一軍内野守備走塁コーチ #82 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市川崎区 |
生年月日 | 1975年5月12日(48歳) |
身長 体重 |
173 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト5位 |
初出場 | 1998年9月8日 |
最終出場 | 2015年10月17日 |
年俸 | 5,500万円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2003年(アジア予選) |
WBC | 2013年 |
この表について
|
井端 弘和(いばた ひろかず、1975年5月12日 - )は、神奈川県川崎市川崎区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。妻は、元テレビ朝日アナウンサーの河野明子。2013年のWBCでは、2次ラウンドMVP、WBCベストナインに選ばれた。 通算安打数は、1912安打で、日本プロ野球名球会の入会基準まであと88本だった。中日時代は、同僚の荒木雅博と、共に「アライバ」の愛称で親しまれた。
経歴
プロ入り前
川崎市立川中島中学校時代までは投手、堀越高等学校時代、2年時に第64回選抜高等学校野球大会、3年時に第75回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後亜細亜大学に進学。東都大学リーグ1部リーグ通算81試合出場、269打数78安打、打率.290、4本塁打、33打点。3季連続ベストナインに選ばれた。2部リーグ通算11試合出場、48打数14安打、打率.291、1本塁打、5打点。
1997年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。
中日時代
一年目の1998年は一軍で18試合に出場したが、二年目の1999年は一軍出場なし。2000年から試合終盤の守備固め・代走、またはレギュラーとして出場機会を増やしていく。翌2001年から全試合出場し、遊撃手のレギュラーに定着した。
2002年には初のベストナインを受賞、オフには背番号6へと変更。2004年には選手会長に就任し、チームの柱としてリーグ優勝に貢献した。また、自身2度目となるベストナイン(以降、2007年までに4年連続)、更に自身初の打率3割と、ゴールデングラブ賞を受賞した。2005年には規定打席到達者中12球団トップの得点圏打率を残すなど、勝負強さを見せた。
国際大会での日本代表経験は、2001年に台湾で開催されたIBAFワールドカップ(4位)を皮切りに、2002年キューバで開催されたIBAFインターコンチネンタルカップ(準々決勝リーグ敗退)出場。2003年アテネオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権では長嶋ジャパンの一員として優勝し、2007年の北京オリンピック予選では2大会連続での本戦出場権獲得に貢献した。一方で、2006年および2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではメンバーに入らなかった[1]。
2008年8月3日にFA権を取得するも、その日の中日スポーツ朝刊で残留を宣言[2]、2008年12月16日に球団史上最長の5年契約を結ぶ[3]。オフの12月22日、テレビ朝日アナウンサー河野明子と結婚した。
2009年の初めグアムに自主トレに行った際に目の腫れや痛みを訴え、帰国後の医師による診断で上皮角膜ヘルペスによるものだと判明した。[4]肩の故障もあり二塁手にコンバートされる予定であったが、井端本人の調整が目の不調により遅れたことに加え、代わって遊撃手を務める予定であった荒木雅博が開幕直前に足を痛めたことで見送られた[5]。調整は遅れていたもののシーズンでは主に1番打者として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を達成。12月3日には社団法人日本プロ野球選手会の理事長に就任した(2013年12月に退任)。
2010年は予定通り二塁手にコンバート、またチーム方針により6番の打順を任されることが多かった。6月5日の対ロッテ戦で、1500本安打を達成した[6]。6月11日に登録抹消。7月15日に一度一軍復帰するも、途中出場3試合のみで7月25日に再び登録抹消。復帰は10月2日の最終戦になった。離脱の理由は眼病によるもので、ボールがぼやけて見える不調が生じこの年は144試合中53試合しか出場できなかった[4]。長期離脱により2000年以来の規定打席未到達、前年まで6年連続で受賞していたゴールデングラブ賞も逃し、二塁のレギュラーポジションも堂上直倫に明け渡した。11月26日には減額制限一杯となる40パーセントダウン(3億円→1億8千万円・推定)で契約更改を行う[7]など、不本意なシーズンとなった。治療を続けていた目に回復の兆しが見られず痛みが続いていたため、このシーズンには引退も考えていた[4]。
2011年7月26日、第一子となる長男が誕生する。打撃面ではプロ入り後で最低の成績に終わった。9月1日にはNPBから反ドーピング規則違反の処分を受けるが、これは目の治療のために使用していた薬物の許可期限切れに伴う継続申請を怠っていた中日球団の過失によるところが大きいと認定され、最も軽いけん責処分となっている[8]。
2012年、開幕戦から6番打者として起用されていたが、シーズン中盤からは5番を務めた。守備面では再び遊撃手に戻り、荒木も元の二塁手に再コンバートされた。最終的に打率.284を残し、3年ぶりにゴールデングラブ賞を受賞した。オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[9]代表入りした[10]。12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[11]候補入りした[12]。
2013年2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され[13]代表入りした[14][15]。背番号は「3」だった。ブラジル戦で同点打、チャイニーズタイペイ戦では9回二死から同点打を放ち、打率.556と決勝ラウンドに進出した全選手の中で最も高い打率を記録した。指名打者としても出場し、東京ラウンドのMVPを獲得、大会ベストナインの指名打者部門にも選出された[16]。特に2次ラウンドの台湾戦の同点適時打については「一生忘れない」と語った[17]。
シーズン公式戦では不振が続き、100試合出場で打率.236、1本塁打に終わり、シーズン後は年俸減額限度額を越える大幅減俸の提示を受け、秋季キャンプ初日には1人だけ不参加など態度を硬化させた[18]。11月4日に球団から来季の契約が結ばれない事が発表された[19]。
11月26日に読売ジャイアンツとの契約の合意が発表され[20]、12月3日に入団会見を行った。背番号は2[21]。
巨人時代
2013年12月13日、第2子となる長女誕生。 巨人移籍1年目の2014年は、脚に不安を抱える片岡治大に次ぐ二塁手など、主に内野の守備要員として試合に出場している。また、片岡が連戦の疲れを考慮して休養する際は二塁手でスタメン出場し、正遊撃手の坂本勇人が故障等で先発出場ができない際には遊撃手として先発している。 7月6日に濱田からホームランを打ち、古巣の中日ドラゴンズから移籍第一号を放った。シーズン終盤やCSでは打撃不振の片岡に代わり先発出場が多くなり、出場試合は100試合を割り込んだものの、09年以来5年ぶりにシーズン3本塁打を記録した。CSでは第2戦の7回にシーズン中得意とした岩田稔から2ラン本塁打を放つが、チームの勝利には結びつかなった。また、チームもストレートの4連敗でCS敗退してしまった。
2015年は開幕スタメンで出場し、序盤はレギュラーとしても出場していた。6月12日、第3子となる次女誕生。最終的に片岡の故障離脱もあって98試合に出場したが、10月24日、読売巨人軍球団事務所で記者会見を行い、同級生の高橋由伸の監督就任に伴って今季限りで現役を引退することを表明[22]。日本プロ野球名球会の入会基準である通算2000本安打まであと88本(通算安打数1912本)を残しながら[23]、高橋からの引退報告を電話で聞き「彼より長くやることはないと思っていた。電話をもらい、すぐに辞めようと思った」と決断したことを会見で明かした[24]。10月27日には、2016年からの一軍内野守備走塁コーチ就任が発表され[25]、11月5日に日本野球機構(NPB)より任意引退公示された[26]。「名球会入りと2000安打を達成すればいいのか」とも思えたため、両方とも未練はなかったという。
選手としての特徴
守備・走塁
プロ入り当初は外野を守ることもあったが、2001年から遊撃手のレギュラーに定着。荒木雅博とは守備で二遊間、打順で1・2番を組むことから「アライバ」というコンビ名で呼ばれる。外野に抜けようかという打球を荒木が捕球したのち、無理に自ら一塁に送球せず井端にトスして送球を委ねるというプレーを始めとした数々の芸術的な守備を見せ[27]、荒木と共に2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。2010年からは年齢的な負担を考慮して二塁手にコンバートされ、荒木と守備位置の入れ替えを行った。2012年からはこの年から監督に就任した高木守道の「井端は(二塁を守っている時は)気持ちが吹っ切れてなかったし、荒木も肩に不安があるから」という意見と井端本人が遊撃手を希望したことにより、再び守備位置を入れ替えることになり[28]、この年は守備イニング1000以上の遊撃手で両リーグ2位となるUZR15.9を記録した[29]。
走塁面でもシーズン20盗塁以上を三度記録し、右打者ながら一塁到達3.98秒を記録するスピードを誇るが[27]、大半は4秒台前半-6秒台前半とムラが大きい[30]。また盗塁の成功率も通算で62%と低い。
打撃
打撃では、2011年までは主に2番打者として起用され、荒木が不調の場合は井端が1番に入ることもあった。また、監督の方針により3番、5番、6番などの打順を任されることもあった。柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする[31]。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い[32]。
2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残し、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年も打率.285を記録するなど左投手を得意としている。空振りは少なく[33]、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え[32]、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他[34]、ファウル打ちは球界屈指の技術を誇る[31]。
人物
趣味はボートレース。年末年始には、愛知県にあるBOAT RACE蒲郡でトークショーに出演するのがここ数年の恒例行事となっている。ボートレーサーの中では原田幸哉と仲が良い[35]。
2004年から毎年、出身校である川崎市立川中島小学校で開催される「井端祭り」に参加し、子ども達との交流を図っている。2006年から川崎市の野球少年のために「井端弘和杯[36]」を主催している。
2012年よりスパイクをミズノからアシックスにしたが、ミズノとアンバサダー契約をしているため自腹で購入してもらってるとアシックスの担当者は語っている。ちなみに井端が要望したのは「痛くないスパイク」である。
SKE48の木下有希子、高柳明音は井端のファンだと公言している(いずれも中日時代。木下 [37]、高柳 [38])。2013年4月16日の中日スポーツで対談が実現している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | 中日 | 18 | 60 | 49 | 2 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | 1 | 8 | 0 | .245 | .339 | .265 | .605 |
2000 | 92 | 270 | 242 | 35 | 74 | 7 | 0 | 3 | 90 | 16 | 6 | 8 | 8 | 2 | 16 | 0 | 2 | 22 | 1 | .306 | .351 | .372 | .723 | |
2001 | 140 | 625 | 531 | 53 | 139 | 25 | 3 | 1 | 173 | 32 | 14 | 12 | 37 | 2 | 49 | 2 | 6 | 60 | 10 | .262 | .330 | .326 | .656 | |
2002 | 135 | 596 | 531 | 67 | 154 | 25 | 1 | 4 | 193 | 25 | 6 | 9 | 6 | 0 | 53 | 1 | 6 | 77 | 11 | .290 | .361 | .363 | .724 | |
2003 | 105 | 447 | 386 | 44 | 103 | 14 | 0 | 5 | 132 | 27 | 5 | 3 | 30 | 1 | 28 | 0 | 2 | 50 | 9 | .267 | .319 | .342 | .661 | |
2004 | 138 | 642 | 562 | 81 | 170 | 30 | 2 | 6 | 222 | 57 | 21 | 10 | 18 | 3 | 54 | 0 | 5 | 74 | 16 | .302 | .367 | .395 | .762 | |
2005 | 146 | 659 | 560 | 87 | 181 | 22 | 5 | 6 | 231 | 63 | 22 | 8 | 19 | 2 | 72 | 3 | 6 | 77 | 11 | .323 | .405 | .412 | .817 | |
2006 | 146 | 666 | 573 | 97 | 162 | 19 | 2 | 8 | 209 | 48 | 17 | 12 | 27 | 1 | 61 | 0 | 4 | 72 | 13 | .283 | .355 | .365 | .720 | |
2007 | 144 | 665 | 588 | 87 | 174 | 34 | 4 | 5 | 231 | 45 | 23 | 6 | 8 | 1 | 63 | 1 | 5 | 74 | 13 | .296 | .368 | .393 | .761 | |
2008 | 106 | 466 | 408 | 51 | 113 | 16 | 3 | 5 | 150 | 23 | 8 | 3 | 16 | 2 | 37 | 1 | 3 | 56 | 7 | .277 | .340 | .368 | .708 | |
2009 | 144 | 657 | 569 | 80 | 174 | 24 | 2 | 5 | 217 | 39 | 13 | 7 | 8 | 2 | 72 | 0 | 6 | 66 | 13 | .306 | .388 | .381 | .770 | |
2010 | 53 | 212 | 180 | 18 | 47 | 6 | 0 | 0 | 53 | 16 | 0 | 0 | 6 | 2 | 21 | 1 | 3 | 28 | 13 | .261 | .345 | .294 | .639 | |
2011 | 104 | 434 | 376 | 28 | 88 | 9 | 1 | 1 | 102 | 29 | 3 | 3 | 31 | 2 | 25 | 1 | 0 | 53 | 10 | .234 | .280 | .271 | .551 | |
2012 | 140 | 553 | 489 | 35 | 139 | 17 | 0 | 2 | 162 | 35 | 4 | 4 | 8 | 1 | 52 | 2 | 3 | 58 | 14 | .284 | .356 | .331 | .687 | |
2013 | 100 | 376 | 326 | 30 | 77 | 9 | 0 | 1 | 89 | 18 | 0 | 2 | 8 | 0 | 38 | 0 | 4 | 51 | 13 | .236 | .323 | .273 | .596 | |
2014 | 巨人 | 87 | 187 | 164 | 16 | 42 | 3 | 0 | 3 | 54 | 16 | 0 | 0 | 4 | 1 | 18 | 0 | 0 | 24 | 11 | .256 | .328 | .329 | .657 |
2015 | 98 | 321 | 269 | 20 | 63 | 9 | 0 | 1 | 75 | 19 | 3 | 3 | 10 | 2 | 37 | 0 | 3 | 36 | 4 | .234 | .331 | .279 | .610 | |
NPB:17年 | 1896 | 7836 | 6803 | 831 | 1912 | 270 | 23 | 56 | 2396 | 410 | 149 | 90 | 248 | 24 | 702 | 12 | 59 | 886 | 169 | .281 | .352 | .352 | .706 |
- 2015年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
WBCでの成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本 | 6 | 23 | 18 | 6 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 0 | .556 | .652 | .611 | 1.263 |
出場:1回 | 6 | 23 | 18 | 6 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 0 | .556 | .652 | .611 | 1.263 |
日米野球での成績
年 度 |
チ ー ム |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | NPB | 6 | 13 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | .100 | .100 | .231 | .331 |
出場:1回 | 6 | 13 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | .100 | .100 | .231 | .331 |
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | |||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1998 | - | 6 | 5 | 10 | 1 | 2 | .938 | - | 12 | 23 | 34 | 0 | 10 | 1.000 | - | |||||||||||||||
2000 | - | 23 | 15 | 22 | 0 | 7 | 1.000 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 51 | 70 | 122 | 5 | 16 | .975 | 21 | 18 | 0 | 1 | 0 | .947 | |||||
2001 | - | 15 | 9 | 10 | 0 | 3 | 1.000 | - | 134 | 193 | 381 | 4 | 66 | .993 | 11 | 16 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
2002 | - | - | - | 134 | 237 | 387 | 6 | 69 | .990 | - | ||||||||||||||||||||
2003 | - | - | - | 104 | 150 | 319 | 2 | 62 | .996 | - | ||||||||||||||||||||
2004 | - | - | - | 138 | 213 | 472 | 4 | 90 | .994 | - | ||||||||||||||||||||
2005 | - | - | - | 146 | 204 | 480 | 5 | 97 | .993 | - | ||||||||||||||||||||
2006 | - | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 146 | 242 | 475 | 4 | 77 | .994 | - | |||||||||||||||
2007 | - | - | - | 144 | 222 | 465 | 6 | 97 | .991 | - | ||||||||||||||||||||
2008 | - | - | - | 106 | 139 | 311 | 8 | 50 | .983 | - | ||||||||||||||||||||
2009 | - | - | - | 144 | 218 | 477 | 8 | 92 | .989 | - | ||||||||||||||||||||
2010 | - | 45 | 114 | 114 | 1 | 27 | .996 | - | 8 | 15 | 18 | 2 | 1 | .943 | - | |||||||||||||||
2011 | - | 102 | 260 | 328 | 5 | 54 | .992 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | |||||||||||||||
2012 | - | - | - | 140 | 186 | 450 | 4 | 94 | .994 | - | ||||||||||||||||||||
2013 | - | 2 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | 93 | 118 | 248 | 6 | 40 | .984 | - | |||||||||||||||
2014 | 14 | 36 | 2 | 0 | 7 | 1.000 | 42 | 84 | 84 | 1 | 21 | .994 | 16 | 4 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | 14 | 9 | 18 | 0 | 4 | 1.000 | - | |||||
2015 | 26 | 154 | 10 | 1 | 9 | .994 | 33 | 63 | 55 | 1 | 10 | .992 | 39 | 23 | 35 | 2 | 2 | .967 | 11 | 11 | 28 | 1 | 4 | .975 | - | |||||
通算 | 40 | 190 | 12 | 1 | 16 | .995 | 268 | 551 | 626 | 9 | 124 | .992 | 61 | 30 | 47 | 2 | 3 | .975 | 1525 | 2250 | 4685 | 65 | 869 | .991 | 32 | 34 | 2 | 1 | 0 | .973 |
- 2015年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- NPB
- ベストナイン:5回 (2002年、2004年 - 2007年)
- ゴールデングラブ賞:7回 (2004年 - 2009年、2012年)
- オールスターゲーム優秀選手賞:1回 (2007年第2戦)
- オールスターゲーム・ベストバッター賞:1回 (2009年第2戦、イチロー(オリックス・ブルーウェーブ)、内川聖一(横浜ベイスターズ)に次ぐ5打席連続安打)
- アジアシリーズMVP:1回 (2007年)
- 月間サヨナラ賞:1回(2015年6月)
- 日本代表
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:1998年9月8日、対阪神タイガース23回戦(ナゴヤドーム)、7番・遊撃手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏にダレル・メイから投手ゴロ
- 初安打・初打点:同上、3回裏にダレル・メイから中前2点適時打
- 初犠打:1998年9月15日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、5回表に川崎憲次郎から投手前犠打
- 初盗塁:1998年9月17日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、1回表に二盗(投手:山部太、捕手:古田敦也)
- 初本塁打:2000年6月8日、対ヤクルトスワローズ9回戦(明治神宮野球場)、1回表にドナルド・レモンから左越ソロ
- 節目の記録
- 1000本安打:2007年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に藤井秀悟から左中間二塁打 ※史上243人目
- 1000試合出場:2007年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(ナゴヤドーム)、3番・遊撃手で先発出場 ※史上419人目
- 1500本安打:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に吉見祐治から右中間へ適時二塁打 ※史上105人目
- 200犠打:2011年9月1日、対阪神タイガース18回戦(ナゴヤドーム)、6回裏にジェイソン・スタンリッジから投手前犠打 ※史上32人目(高木守道と並ぶ通算犠打の球団タイ記録)
- 1500試合出場:2012年5月3日、対阪神タイガース6回戦(ナゴヤドーム)、6番・遊撃手で先発出場 ※史上174人目
- その他の記録
背番号
- 中日ドラゴンズ
- 48 (1998年 - 2002年)
- 6 (2003年 - 2013年)
- 読売ジャイアンツ
- 2 (2014年 - 2015年)
- 82 (2016年 - )
- 3 (2013年)
登場曲
- 「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」ザ・ビートルズ(2009・2010年)
- 「あとひとつ」FUNKY MONKEY BABYS(2011年 - 2015年)
代表歴
関連情報
メディア出演
- ラジオ
- 久野誠のドラゴンズワールド、宮部和裕のドラゴンズEXPRESS(CBCラジオ。週一回程度電話出演。主に月曜日)
- CM
- 広告
- コラム
- 井端弘和の一の野球
- 不定期更新。同僚の岩瀬仁紀(岩瀬仁紀の人生野球)とともに中日スポーツの携帯サイト「ドラゴンズ情報」内で、「現状レポート」とファンからの質問に答える「なんでもQ&A」(質問は同じページで受付中)・井端からのメッセージ動画(ダウンロードが必要)のほか、井端オリジナルコンテンツとして「マイブーム」(ただし更新頻度は他の3つと比べると少ない)で構成されている。
- その他
著書
- 『土壇場力:悔しさと憧れが無限の力を生み出す』(竹書房、2013年7月)
- 『勝負強さ』(角川oneテーマ21、2013年7月)
- 『守備の力』(光文社新書、2014年12月)
関連書籍
- 『プロ野球の名脇役』(二宮清純著、光文社新書、2014年4月、ISBN 9784334037925)
脚注
- ^ “WBC初参加 37歳井端がキーマン!”. 日刊スポーツ. (2012年11月7日) 2013年3月10日閲覧。
- ^ 中日スポーツ:井端は残留します きょうFA権取得:ドラニュース(CHUNICHI Web)(2009年6月10日閲覧)
- ^ 中日スポーツ:井端、ドラ史上最長の5年契約 33歳「生涯竜」宣言に球団もジ~ン:ドラニュース(CHUNICHI Web)(2009年6月10日閲覧)
- ^ a b c “中日・井端 眼病克服に「私の角膜移植を…」夫人の献身愛”. 女性自身 (2013年4月4日). 2015年5月20日閲覧。
- ^ スポニチ 2009年4月1日 中日・荒木、井端、黄金の二遊間コンバートお預け(2009年4月8日閲覧)
- ^ 中日・井端が1500安打 史上105人目サンケイスポーツ 2010年6月5日(2010年10月12日閲覧)
- ^ 制限いっぱい減俸 中日 井端「何もやってないので」スポニチアネックス 2010年11月26日
- ^ アンチ・ドーピング規則違反に対する制裁の通知 2011年9月1日
- ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
- ^ 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
- ^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
- ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
- ^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
- ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
- ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
- ^ “前田健、井端がベストナイン=ドミニカ共和国からは5人”. 時事通信社. (2013年3月21日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ “井端、台湾戦「一生忘れない」”. nikkansports.com. (2013年3月20日) 2013年3月21日閲覧。
- ^ 中日 井端と来季契約せず WBCベストナインに事実上の「戦力外」スポーツニッポン2013年11月4日配信
- ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2014年11月4日配信
- ^ 巨人、井端獲得を発表 二塁手強化、右の代打としても期待スポーツニッポン2013年11月26日配信
- ^ 井端が巨人入団会見「ここで全うしたい」強い意気込み 背番号は2スポーツニッポン2013年12月3日配信
- ^ 井端弘和選手が現役引退を発表-由伸監督誕生で決断。いい野球人生でした - 読売巨人軍公式サイト(2015年10月24日)
- ^ 個人年度別成績 【井端弘和 (読売ジャイアンツ)】 - 2015年10月24日閲覧
- ^ “巨人の井端引退「由伸より長くやることはない」”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2015年10月24日) 2015年10月24日閲覧。
- ^ 来季の一、二軍コーチングスタッフについて - 読売巨人軍公式サイト(2015年10月27日)
- ^ 2015年度 任意引退選手 - 2015年11月5日閲覧
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2009』アスペクトムック、2009年、452-453頁頁。ISBN 978-4-7572-1628-0。
- ^ 「落合色」から「高木色」に…中日毎日新聞、2012年2月1日
- ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』水曜社、2013年、37頁頁。ISBN 978-4-88065-319-8。
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2007』アスペクトムック、2007年、248-249頁頁。ISBN 978-4-7572-1338-8。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2008』アスペクトムック、2008年、72-73頁頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、72-73頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 小関順二、泉直樹、荒井太郎『プロ野球スカウティングレポート2006』アスペクトムック、2006年、254-255頁頁。ISBN 978-4-7572-1246-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、111頁頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『中日ドラゴンズ井端弘和選手・原田幸哉選手トークショー& サイン会』 - 蒲郡競艇・2007年1月16日
- ^ 井端弘和杯|学童野球大会
- ^ 「中日ドラゴンズ♪」 - SKE48公式ブログ(2011年3月1日)
- ^ 「ちゅり。*♪o(゜◇゜)d{ある1通のメールが。」 - SKE48オフィシャルブログ(2011年11月5日)
- ^ イオン オールスターシリーズ2004 日米野球 チーム・個人成績(NPBオールスターチーム) 2014年11月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 井端弘和 - NPB.jp 日本野球機構
- Hirokazu Ibata - BASEBALL-REFERENCE.COM