サクラ
サクラ | |||||||||||||||||||||||||||
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ソメイヨシノの花
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
サクラ(桜) | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Cherry blossom | |||||||||||||||||||||||||||
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サクラ(桜、英訳:Cherry blossom、Japanese cherry、Sakura)は、バラ科サクラ亜科サクラ属(国によってはスモモ属に分類)[1]の落葉広葉樹の総称。一般的に春に桜色と表現される白色や淡紅色から濃紅色の花を咲かせる。サクラはヨーロッパ・西シベリア、日本、中国、米国・カナダ[2]など、主に北半球の温帯に広範囲に自生しているが[3][4]、歴史的に日本文化に馴染みの深い植物であり、その変異しやすい特質から特に日本で花見目的に多くの栽培品種が作出されてきた(#日本における栽培品種と品種改良、#日本人とサクラ)。このうち観賞用として最も多く植えられているのがソメイヨシノである。鑑賞用としてカンザンなど日本由来の多くの栽培品種が世界各国に寄贈されて各地に根付いており(日本花の会、キューガーデン、全米桜祭りなど参照)、英語では桜の花のことを「Cherry blossom」と呼ぶのが一般的であるが、日本文化の影響から「Sakura」と呼ばれることも多くなってきている。
サクラの果実はサクランボまたはチェリーと呼ばれ、世界中で広く食用とされる。日本では、塩や梅酢に漬けた花も食用とされる[5]。
サクラ全般の花言葉は「精神の美」「優美な女性」、西洋では「優れた教育」も追加される[6]。
野生種の分類
サクラ属(狭義のサクラ属)とスモモ属(広義のサクラ属)
サクラ類をサクラ属(Cerasus、ケラスス)に分類するか、スモモ属(Prunus、プルヌス)に分類するか国や時代で相違があり、現在では両方の分類が使われている。ロシア、中国、1992年以降の日本ではヤマザクラやセイヨウミザクラなどサクラのみ約100種をサクラ属(Cerasus)として分類するのが主流である(狭義のサクラ属)。一方で西欧や北米では各種サクラとスモモ、モモ、ウメ、ウワミズザクラなど約400種を一括してスモモ属(Prunus)として分類するのが主流である(広義のサクラ属)。これは比較的サクラ類の多いロシアや中国ではサクラ類を独立した属として分類していたのに対し、伝統的にサクラ類の少ない西欧と北米ではサクラ類をスモモやモモやウメなどと一括して分類していたためである。日本の科学は西欧や北米の基準に合わせる事が多かったため従来はサクラ類をスモモ属(Prunus)としていたが、1992年の東京大学の大場秀章の論文発表以降は、実態に合ったサクラ属(Cerasus)表記が主流である[7]。なお、この「種」とは分類学上の種(species)のことで野生に自生する種のみを指し、種(species)の雑種や種(species)の下位分類の変種(variety)や、全く異なる分類体系となる野生種から開発された栽培品種(cultivar)は種(species)の数に含めないことに留意する必要がある[8]。
西欧と北米式のスモモ属(Prunus)による分類法
スモモ属(Prunus)は約400の野生の種(species)からなるが、主に果実の特徴から5から7の亜属に分類される。サクラ亜属 subg. Cerasus はその一つである。サクラ亜属は節に分かれ、それらは非公式な8群に分かれる[要出典]
このうちサクラ亜属には100の野生の種(species)があり、日本に古来から自生するものとしてはヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、ミヤマザクラ、クマノザクラの10種、もしくはカンヒザクラも加えた11種(species)である[9][10]。日本人は歴史的にこれらの野生種からサトザクラ群に代表される200品種以上(分類によっては600品種[11])の栽培品種を生み出して花見に利用してきたのである[12]。
- サクラ節 sect. Cargentiella (sect. Pseudocerasus)
- ヤマザクラ群 - ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ など
- エドヒガン群 - エドヒガン など
- マメザクラ群 - マメザクラ など
- チョウジザクラ群 - チョウジザクラ など
- カンヒザクラ群 - カンヒザクラ など
- サトザクラグループ(雑種からなる群)
- ミザクラ節 sect. Cerasus
- ミザクラ群 - セイヨウミザクラ など
- ミヤマザクラ節 sect. Phyllomahaleb
- ミヤマザクラ群 - ミヤマザクラ など
- ロボペタルム節 sect. Lobopetalum
- カラミザクラ群 - カラミザクラ など
サクラ属であり、やはり名前に「サクラ」と付くイヌザクラ、ウワミズザクラなどはウワミズザクラ亜属 subg. Padus(もしくはウワミズザクラ属 Padus)であり、サクラ亜属ではない。
かつてはニワザクラ、ユスラウメなどを含むユスラウメ節 sect. Microcerasus もサクラ亜属とされたが、Krüssmann (1978) によりニワウメ亜属 subg. Lithocerasus に分離された。分子系統からは、ニワウメ亜属はサクラ亜属とは別系統であり、しかもスモモ亜属/モモ亜属 Prunus/Amygdalus alliance 内に分散した多系統という結果が出ている[13]。ただし、サクラ亜属をサクラ節 sect. Cerasus(通常のサクラ亜属)とニワウメ節 sect. Lithocerasus(ニワウメ亜属とウワミズザクラ亜属?)に分ける資料もある[14]。
栽培品種と品種改良
サクラは突然変異が多い植物であり、樹形、花期、花と花弁の付き方・数・形・大きさ・色、実の増減、耐候性、病害虫への強靭性などで新しい特性が発現しやすい。このため野生のサクラの中から鑑賞や食用に有用な突然変異した個体や種間雑種で望ましい特性を持った個体を選抜して育成し、これを接ぎ木や挿し木で増殖することで様々な栽培品種が広まっていった。日本では主に、花付きが多く、一輪の中の花弁が多く(八重咲き)、花の色も見栄えがするなどの鑑賞目的で品種改良が進んだのに対し、西欧では実をより有用な食品にするため、実を大きく、収穫量が多くなるような品種改良が行われてきた。
日本における栽培品種と品種改良
日本に自生する野生種のサクラは上記の10種、もしくは11種(species)であり、世界の野生種の全100種(species)から見るとそう多くはない。しかし日本のサクラに関して特筆できるのは、この10もしくは11種の下位分類の変種(variety)以下の分類で約100種の自生種が存在し、古来からこれらの野生種から開発してきた栽培品種(cultivar)が200種以上存在し[12]、分類によっては最大で600種存在すると言われており、世界でも圧倒的に多種多様な栽培品種を開発してきた事である[11]。
日本人はこれら野生の種が他の種と交雑したりしながら誕生した突然変異個体と優良個体を選抜・育成・接ぎ木などで増殖してそれを繰り返すことで、多種の栽培品種を生み出してきた。エドヒガンやヤマザクラ、オオシマザクラなどは比較的に変性を起こしやすい種であり、特にオオシマザクラは成長が速く、花を大量に付け、大輪で、芳香であり、その特徴を好まれて結果として栽培品種の母親となって多くのサトザクラ群を生み出してきた[15][16][17][11]。2014年に発表された森林総合研究所の215の栽培品種のDNA解析結果により、日本のサクラの栽培品種は、エドヒガンから誕生したシダレザクラのように一つの野生種から誕生した存在は稀で、多くがオオシマザクラに多様な野生種が交雑して誕生した種間雑種であることが判明した[18]。なおソメイヨシノはオオシマザクラを親とするが父親なのでサトザクラ群には含めない。ここでは栽培品種のごく一部の代表的な品種をあげる。
- オオシマザクラ系(狭義のサトザクラ群)
- エドヒガン系
- 母種に限定せずカンヒザクラが関わる品種
生態
日本では、ほぼ全土で何らかの種類が生育可能である。様々な自然環境に合わせて多様な種類が生まれており、日本においてもいくつかの固有種が見られる。たとえばソメイヨシノの片親であるオオシマザクラは伊豆大島など、南部暖帯に自生する固有種とされる。日本では少なくとも数百万年前から自生しているとされ、鮮新世の地層とされる三朝層群からムカシヤマザクラの葉の化石が見つかっている[19]。
全てではないが、多くの種に共通して見られる特徴を挙げる。雌雄同株であり、中高木から低木程度の大きさである。若い樹皮は光沢がありカバノキにも似た水平方向の皮目が出来、この部分は細胞に隙間が生じて呼吸孔になっている。古くなると皮目が消えて表面から徐々に細かく風化していく。葉の形は楕円形であり、枝に互生し、葉の縁はギザギザ(鋸歯)になっている。葉に薄い細毛が生えるものも少なくない。葉は秋になると紅葉する。根は浅く水平に広がり、ここから新たな茎(ひこばえ)がしばしば生え、不定根も良く発生する。
サクラは木を傷つけるとそこから腐りやすい性質を持つ。昔は剪定した部分の消毒も難しかったため、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺もある。このため、花見の宴会でサクラの木を折る観光客の被害によってサクラが弱ってしまうこともある。しかし適切な剪定は可能である。本来、特に自生種は病害にも害虫にもそれほど弱くはないが、人為的に集中して植えられている場合や人工的に作られた品種はこれらに弱くなる場合もある。
古木として知られる桜も多い。日本三大桜がいずれも樹齢千年を超える老古木となっているほか、五大桜も古木が多く、内神代桜は樹齢が1800年を超えているとされる。それ以外にも有名で長寿の一本桜が多く存在する[20]。
花
- 花弁の色
サクラの花弁の色は一般的に白色から濃い紅色までのグラデーションの範囲にあり、例外的に黄色のウコンや緑色のギョイコウなどがある。この紅色系の発色はアントシアニンという色素によるものであり、紅葉や若葉の赤系の色もアントシアニンの作用である。アントシアニンの合成には低温と紫外線が必要なため、温暖な地域や年、屋内での育成は白色が強い花弁となりやすい。そのため、クローンであり同じ特質のソメイヨシノでも、温度環境の地域差により西日本より東北の個体の方が紅色が濃いと言われたり、温暖化による年差により昔と比べて白くなっていると言われがちである。また開花から散るまでの色の変化もアントシアニンの密度の変化によるものであり、つぼみの紅色は開化と共にアントシアニンの密度が薄くなって花弁が白くなっていき、散り際には花弁で新たに合成されたアントシアニンが花弁や雄蕊やめしべの基部に集まって赤くなっていく[21]。
- 花弁の数
花を観賞する栽培品種として好まれたため様々な姿の花が見られ、花びらの数は五枚から百数十枚まで幅広い。サクラに限らないが用語を挙げる。花弁が五枚までのものを一重、五枚から十枚のものを半八重、十枚以上の花弁を持つものを八重といいサクラの場合はヤエザクラと称している。また、花弁が非常に多く、一枚一枚が細長い場合、菊咲きと称する。さらに萼、花弁、雄蕊の中にさらに萼、花弁、雄蕊のある二重構造のものも見られ、これは段咲きと呼ばれる。花弁の枚数の増え方には雄蕊が花弁に変化するものと、花弁や雄蕊そのものが倍数加する変化が見られる[22]。
- 花の付き方と見分け方
西欧と北米の分類法ではサクラと同じスモモ属となるモモやウメは花柄が短く枝から直接生えているかのように咲くが、サクラとスモモはこれらと違って長い花柄を持っており枝から離れて垂れ下がるようにして咲く。さらにスモモの特徴として前年に葉が有った葉痕の基部に2つか3つの冬芽がつくが、サクラは1つの冬芽が付き、これが花の集合体となる花序となり、この点でサクラと近縁の植物の見分けが可能である。さらにサクラの中の種を見分けるには、個体差があって見分けにくい花弁よりも、種ごとの差異が大きく見分けやすい萼や花序の形態に注目する必要がある[23]。
- 開花期
開花期は種や地域によるばらつきが大きい。日本においては1月、沖縄県のカンヒザクラを皮切りに咲き始め、東京ではまずカンザクラなどのカンヒザクラを由来とする早咲きの栽培品種が咲き、ソメイヨシノが咲いた後の4月中旬以降にヤエザクラが咲く。北海道のオオヤマザクラは5月に花を咲かせ、標高2000m以上ではタカネザクラが7月に花を咲かす。
日本の代表的な品種のソメイヨシノでは、開花から満開まで1週間で、満開から散るまで1週間、花の見頃は悪天で早まらなければ満開前後の1週間程度である。ソメイヨシノはクローンであるため同じ環境にさらされる同地では個体ごとの差異がほぼなく、ほぼ一斉に咲き一斉に散る。なおソメイヨシノが爆発的に植えられる前の江戸時代までの日本では、遺伝的に個体差のあるヤマザクラや多様な栽培品種が花見の主流であったため、個体ごと、種ごとに少しづつ次々と咲いていくサクラを長い期間をかけて鑑賞していくという花見のスタイルであった[24]。
サクラには花と葉が同時に展開する種が多くあるが、日本の野生種の中ではエドヒガンが例外的に葉が展開する前に花が咲く特質を持っており、エドヒガンから誕生した栽培品種のソメイヨシノやシダレザクラもこの特質を受け継いでいる。エドヒガンは他の多くの野生サクラや昆虫の活動期より少し前に花を咲かせるが、他に開花している種が少ないため効率的に虫をおびき寄せることができ、これが生存戦略となっている[25]。なお、花が散る頃に葉が混ざって生えた状態から初夏過ぎまでを葉桜と呼ぶ。
サクラは花芽を作ると葉で休眠ホルモンを作って休眠する。その後に休眠解除(休眠打破)して再び開花するには、一般的に5℃程度の低温刺激が望ましく、低温時間の積算とその後の気温の上昇が必要である。この工程は一般的には冬から春にかけて行われることが多いが、秋に何らかの影響で葉がなくなった場合などに休眠ホルモンが足りず、寒い日を2 - 3日経てその後小春日和になるとこの条件を満たしてしまい狂い咲きが起きる。このように異常な個体の狂い咲きとは別に、毎年春に加えて秋から冬にかけて花を咲かせるジュウガツザクラやフユザクラなどの二季咲きの品種もある[26]。
サクラが以前に比べ若干早く咲く現象も見られている。これには休眠解除の一要素である気温の上昇が、地球温暖化の影響により春の早いうちに到来していることや、都市部でのヒートアイランド現象も影響している。また、九州では桜前線(ソメイヨシノ基準)が、普通とは逆に南下する例も現れた。これは温暖化によりソメイヨシノにとっては冬が暖かくなりすぎた九州南部では、休眠解除の一要素である低温刺激とその積算時間の条件を満たすまでに日数がかかり開花が遅れているからである[27]。これらは季節学的な自然環境の変化を端的に表す指標にもなっている。
花の蜜
サクラの花からは蜜が出ているため、サクラの花が咲く時期にはスズメ、メジロ、ヒヨドリなどの鳥類が見られる[28]。メジロは嘴を花に入れて蜜を吸うことが多いが、スズメは嘴が太くて短いため花の横から穴をあけて蜜を吸うことが多い[28]。
日本人とサクラ
花見と栽培品種開発の歴史
日本においてはサクラは、関心の対象として特別な地位を占める花である。
日本では固有種を含んだ分類学上の10もしくは11種(species)の基本の野生種を基に[9][10][注釈 1]、これらの変種(variety)以下の分類を合わせて100種以上の自生種があり、さらにこれらから育成された栽培品種(cultivar)が200種以上あり[12]、分類によっては600種ともいわれる品種が確認されている[11]。なおこのうち100品種余りは北海道松前町由来のマツマエハヤザキなどを掛け合わせるなどしてベニユタカなどの多品種を生み出した浅利政俊が作出したものである[29][30]。
日本では果実(サクランボ)を食用とするほか、花や葉の塩漬けも食品などに利用されるが、特に平安時代の国風文化の影響以降に、桜は観賞用途(花見)で花の代名詞のような特別な位置を占めるようになった。当初は鑑賞の対象とされる代表的な品種は野生に自生するヤマザクラであった。これに加えて、花弁の数や色、花の付け方などの観点から見栄えが良かったり突然変異の珍しい特徴を持つ野生の個体を何世代にもわたって選抜育種し、優れた個体を接ぎ木などの方法で増殖させることで様々な栽培品種が開発されて、花見に利用された。既に平安時代には八重桜が接ぎ木によって増殖されていたらしいことや「しだり櫻」や「糸櫻」などが存在したことが当時の文献に記録されている。また鎌倉時代以降に鎌倉周辺に自生するオオシマザクラが栽培されるようになり、これが京都に持ち込まれたと考えられており、室町時代にオオシマザクラを由来とするフゲンゾウやミクルマガエシ等が生まれた。江戸時代にはオオシマザクラの優れた特質からカンザンなどの多種のサトザクラ群やソメイヨシノ(染井吉野)などが生まれ、河川の整備に伴って、護岸と美観の維持のために柳や桜が積極的に植えられた。江戸時代末期には現代の日本で見られるのと大差のない300を超える多くの品種が存在するようになった[15][16][17][31][22]。
明治時代に入り、大名屋敷の荒廃や文明開化・西洋化のため庭園が取り潰されると同時に、そこに植えられていた数多くの栽培品種の桜が伐採され、植えられるのはソメイヨシノばかりになっていった。これを憂いた駒込の植木・庭園職人の高木孫右衛門は多くの栽培品種の枝を採取し自宅の庭で育てた。これに目を付けた江北地区戸長(後に江北村村長)の清水謙吾が村おこしとして荒川堤に多くの品種による桜並木を作り「五色桜」として評判となり、これを嚆矢として多くの栽培品種が小石川植物園などに保存されることになり、その命脈を保った[32]。
また第二次世界大戦で荒川堤も壊滅的な被害を受けるが、第二次大戦中は埼玉県川口市安行の植木業者の小清水亀之助らが品種の保護に尽力し、戦後の1950年頃には国立遺伝学研究所が、1960年代には多摩森林科学園が小清水らから苗を譲り受け、現在では前者に250系統350個体、後者に500系統1300個体のサクラが植えられて、江戸時代以前からのサトザクラの命脈を保っている。またイギリスの園芸家C・イングラムが保存していたタイハクのように、一度日本で消滅した品種が日本に里帰りすることで、江戸時代以前のサクラの命脈を補完している。戦後の高度経済成長期にはソメイヨシノの植樹が日本全国で爆発的な勢いで進められ、サクラの中で最も多く植えられた栽培品種となっている[32][33]。
今日でもサクラの栽培品種の作出は続けられており、珍しい方法としては、2007年に理化学研究所が世界で初めてサクラの在来品種に重イオンビームを照射して新品種ニシナザオウ(仁科蔵王)を作出することに成功している[34]。
今日、とりわけ多くの栽培品種のサクラが見られる名所としては、松前公園(250品種)、日本国花苑(200品種)、日本花の会結城農場(350種)、造幣局の桜の通り抜け(134品種)などがあげられる。(品種数は野生種と、野生種の雑種と下位分類を含んだ数)
文化・文献におけるサクラの歴史
桜は春の象徴、花の代名詞として和歌、俳句をはじめ文学全般において非常によく使われており、現代でも多くの音楽、文化作品が生み出されている。
古来から桜は穀物の神が宿るとも、稲作神事に関連していたともされ、農業にとり昔から非常に大切なものであった[注釈 2]。また、桜の開花は、他の自然現象と並び、農業開始の指標とされた場合もあり、各地に「田植え桜」や「種まき桜」と呼ばれる木がある(あった)。これは桜の場合も多いが、「桜」と名がついていても桜以外の木の場合もある。
奈良時代の『万葉集』には桜を含む様々な植物が登場するが、中国文化の影響が強かった当時は和歌などで単に「花」といえば唐から伝来したばかりの梅を指していた。万葉集においては梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかった。2019年5月1日からの元号である『令和』も万葉集にある梅花の宴が典拠となっている。
サクラの地位が特別なものとなったのは平安時代であり、国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり「花」と言えば桜を指すようになった。平安時代に編纂された『古今和歌集』の仮名序にある古墳時代の王仁の歌とされる「難波津の咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の「花」は梅であるが、平安時代の歌人である紀友則の歌「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」の「花」は桜である。斎藤正二は、中世の知識階級に手本とされて親しまれた白居易が『白氏文集』の中でサクラに関する詩を27首詠じていることから、日本におけるサクラの格の向上に与えた漢詩の影響について指摘している[35]。嵯峨天皇は桜を愛し、花見を開いたとされている[31]。左近の桜は、元は梅であったとされるが、桜が好きであった仁明天皇が在位期間中に梅が枯れた後に桜に植え替えたとされている[36]。歌人の中でも特に平安時代末期の西行法師が、「花」すなわち桜を愛したことは有名である。彼は吉野の桜を多く歌にしており、特に「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌は有名である。西行はこの歌に詠んだ通り、旧暦二月十六日に入寂したとされる。室町時代には、この西行を題材にした能の西行桜が成立した。
安土桃山時代の豊臣秀吉は醍醐寺に700本の桜を植えさせ、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に近親の者や諸大名を従えて盛大な花見を催したとされ、これは醍醐の花見として有名である。
江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉は、1688年(貞享5年)春、かつて奉公した頃のことなどを思って「さまざまの事おもひ出す桜哉」と句を詠んだ。俳句では単に「花」といえばサクラのことを指し春の季語であり、秋の月、冬の雪とともに「三大季語(「雪月花)」である。「花盛り」「花吹雪」「花散る」「花筏」「花万朶」「花明かり」「花篝」の「花」は桜である。楽においては江戸時代の箏曲や、地歌をはじめとする三味線音楽に多く取り上げられている。一般に「日本古謡」とされる『さくらさくら』は、実は幕末頃に箏の手ほどきとして作られたものである。江戸時代に成立した戯曲の『義経千本桜』では、本来その話の中には桜が登場しないにもかかわらず題名に桜を用いた。
明治時代以降では瀧廉太郎の歌曲『花』などが有名である。長唄『元禄花見踊』も明治以降の作であるがよく知られている。
サクラの開花時期は人口の多くを占める関東以西の平地では3月下旬から4月半ば頃が多く、日本の年度が4月始まりであることや、学校に多くの場合サクラが植えられていることから、現代では人生の転機を彩る花にもなっている。
令和でもサクラはポピュラー音楽、映画、ドラマ、ゲーム、アニメなど様々な作品のモチーフや題材になっている。特に春に発表されるポピュラー音楽では他に比べて桜を扱ったものが多く、これらの歌は桜ソングとして知られている。
日本と日本人の精神性を象徴する花
桜では開花のみならず、散って行く儚さや潔さも、愛玩の対象となっている。古くから桜は、諸行無常といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿ははかない人生を投影する対象である[37]。
江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み、桜が「もののあはれ」などを基調とする日本人の精神の具体的な例えとみなした。また明治時代には新渡戸稲造が「武士道」をサクラと同じ「日本固有の花」と例えた。
このように平安時代や明治以降ではサクラは花のように散る人などの例えにされてきたが、江戸時代はそのようにすぐに花が散ってしまう様は家が長続きしないという想像を抱かせたため、桜を家紋とした武家は少なかった。
日本では国花が法定されておらず、天皇や皇室の象徴する花は菊であるが、特に明治時代以降はサクラが多くの公的機関でシンボルとして用いられており[38]、「事実上の国花」のような扱いを受けている[39][31]。旧日本軍(陸軍・海軍)が桜の意匠を徽章などに積極的に使用したほか、明治時代の「歩兵の本領」や昭和時代「同期の桜」などの軍歌・戦時歌謡の歌詞に「桜」「散る」という表現が多用され、太平洋戦争(大東亜戦争)末期には「桜花」や「桜弾機」など特攻兵器の名称にも使われた。
また、明治時代以降はサクラは日本の象徴として国際親善にも利用されるようになった。全米桜祭りで知られるアメリカ合衆国のポトマック河畔の桜も日米友好のために東京市長の尾崎行雄が寄贈したものである。なお、この返礼として日本にはハナミズキが贈られている[40]。その他の国との間でも友好のために贈ることがある[41][42]。
1967年(昭和42年)以降、百円硬貨の表は桜のデザインである。
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百円硬貨の表面に刻印された桜
人気
桜の人気は平安時代に始まる。説話集『沙石集』(弘安6年(1283年))によると、一条天皇の中宮、藤原彰子(紫式部らの主君)が奈良の興福寺の東円堂にあった八重桜の評判を聞き、皇居の庭に植え替えようと桜を荷車で運び出そうとしたところ、興福寺の僧が「命にかけても運ばせぬ」と行く手をさえぎった。彰子は、僧たちの桜を愛でる心に感じ入って断念し、毎年春に「花の守」を遣わし、宿直をして桜を守るよう命じたという。
桜は春を象徴する花として日本人にはなじみが深く、春本番を告げる役割を果たす。桜の開花予報、開花速報はメディアを賑わすなど、話題・関心の対象としては他の植物を圧倒する。入学式を演出する春の花として多くの学校に植えられている。
各種調査によると日本人の大多数の人たちが桜を好んでいる[43][44][45]。九州から関東での平地では、桜が咲く時期は年度の変わり目に近く、桜の人気は様々な生活の変化の時期であることとも関係する。
花盗人
桜の花の美しさに魅了されて、その枝を手折る者を「花盗人」(はなぬすびと)といい、罪深さと優雅さが同居する行為であることから、実話から虚構まで様々な物語が生まれた。
桜の中でも特に、宮中の正殿である紫宸殿の側にある左近桜(さこんのさくら)の枝を折ることは大罪とされていた[46]。『古今著聞集』巻19が伝える伝説によれば、承元4年(1210年)1月ごろの早朝、歌人の藤原定家が、侍に左近桜の枝を切らせて持ち帰るのを、官人たちが目撃した[46]。振る舞いが風流だったので、官人たちは優雅なことだなあと思ったが、その噂は土御門天皇の耳にまで届いた[46]。土御門は、建春門院伯耆に代詠させて、「なき名ぞと のちにとがむな 八重桜 うつさむ宿は かくれしもせじ」(「後から無実だと主張するなよ。左近桜を移した家を隠すことはできないだろう」)という歌を贈った[46]。定家は返歌して、「くるとあくと 君につかふる 九重や やへさくはなの かげをしぞ 思ふ」(「明けても暮れても一日中、我が君にお仕えしている左近桜。その桜の花の姿を想うことで、私も陛下に忠勤を尽くさせていただきます」)と侘びた、という[46]。
定家の伝説は真偽不明だが、左近桜を折ったことが比較的確実な人物には、14世紀前半、後醍醐天皇の中宮だった西園寺禧子がいる(『新千載和歌集』春下・116[47]および117[48])。ある時、後醍醐が左近桜を鑑賞していると、禧子の部下がやってきて左近桜の枝を折った[47]。驚いた後醍醐は、妻を自分の前に召し出して、「九重の 雲ゐの春の 桜花 秋の宮人 いかでおるらむ」(宮中に咲く左近桜を、秋の宮人(皇后に仕える人)が、どうして折ったのだろうか)と尋ねた[47]。禧子は返歌して、「たをらすは 秋の宮人 いかでかは 雲ゐの春の 花をみるべき」(手折らせたのは、秋の宮(皇后)の私が、宮中の春の桜のように愛しいあなたに、どうしても逢いたかったから)と、後醍醐の気を引くための行為だったことを明らかにし、夫への愛を歌った[48]。
開花予想
日本では桜の開花予想(「桜」と表すが、殆どの予想はソメイヨシノを取り上げている)、いわゆる「桜前線」や、開花や満開の宣言が春に話題となる。開花予想は気象庁が1951年(昭和26年)に関東地方を対象に行ったのを初めとし、2009年(平成21年)まで行われた。2007年(平成19年)から独自の開花予想を行う民間の気象会社が出現し[49]、数社が予想を出すようになったため、2010年(平成22年)から気象庁は開花予想の業務を取り止めて民間に任せ、観測のみを行っている[50]。なお、桜の開花予想は気象業務法の定める予報業務ではなく、許可は要しない[51]。
気象庁では、桜の開花や満開を生物季節現象の1つとして、各地で特定の株を標本木として定めて職員の目視による観測を行っている[52]。標本木は南西諸島はカンヒザクラ、北海道の札幌以東と根室以西はオオヤマザクラ、根室市はチシマザクラ(2011年以降根室市に業務移管)で、それ以外の全国はソメイヨシノであり[52]、東京都など一部を除いて地方気象台の近隣に存在する。標本木の蕾が5輪から6輪ほころびると、「開花」したと発表される[52]。これをマスコミでは「開花宣言」と呼ぶことがある。標本木全体の80%以上のつぼみが開くと、「満開」と発表される[52]。
2009年まで気象庁が行っていた予想方法は、各地点の冬期の気温経過や春期の気温予想等を考慮した各種計算を経て、標本木に対して開花予想日を決定していた。民間気象会社の予想方法も概ねこれに近いが、独自の手法を採り入れて行っているものもある。
気象庁が定める東京のサクラの標本木は、靖国神社境内にある特定のソメイヨシノである。本来標本木がどれであるかは非公開となっているが、東京の標本木については2012年にどの木が標本であるかを公開している。現代日本においてサクラの開花については特に衆目を集める傾向にあり、開花の時期になると、東京管区気象台の職員が観測する風景を、複数のマスコミが取材に訪れる様子がしばしば見られる。
樹木全体から見た開花具合によって咲き始め、三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開、散り始めなどと刻一刻と報道される。このように木々の様子を逐一報道することは、世界から見ても珍しい例である。
用途
花・景観・イベント
日本では桜は花見や観桜など、景観等の人気が高く多くの場所に植えられている。植栽の場合街路樹、公園、庭木、河川敷等に使われることが多い。近年では、サクラは街路樹に用いられている樹種としてイチョウについで2番目に多く、49万本が植えられている[53][54]。道や線路・河川などに沿って植えられることが多く、このようなものを桜並木という。道などの両側に桜が並んでトンネルのような形状になっているものを桜のトンネル(桜トンネル)と呼ぶことがある[55][56]。このように、辺り一面が花景色になることも多い。また、学校の校庭には桜が植えられていることが多い。小学校などの校庭には、児童や生徒の入学時に桜の花が咲いているようにするため、ソメイヨシノに比べて開花期間が長い八重桜を混植することが多い[要出典]。また、古くから桜の花を育てている神社や寺も少なくない。しかし、害虫や病気など手入れが大変で、大きく育つためか、その人気の割には庭木にされることは少ない。
日本では、至る所で花見に使われる木として重要である。花見の習慣とともに、桜の名所も日本全国各地にある。また、神社や寺など桜を持っている団体や地域が「桜祭り」を開いている例も多い。夜の桜を楽しむために、桜のライトアップも各所で行われる。
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東京都国立市の大学通りの桜並木(2018年3月25日撮影)
食用
果実を食用とする品種の3系統は、概ね甘果桜桃(セイヨウミザクラ、Prunus avium)、酸果桜桃(スミノミザクラ、Prunus cerasus)と中国桜桃(カラミザクラ、Prunus pseudocerasus)に分けることができる。
六月から七月にかけて実をつけるオウトウ(サクラの一種)の果実を日本では一般的にサクランボと呼び、栽培されている多くがヨーロッパの甘果桜桃(セイヨウミザクラ)系である。品種としては、佐藤錦の他に、紅秀峰、豊錦、ナポレオン、アメリカンチェリー等が有名である。佐藤錦は、明治より山形県東根市の佐藤栄助によって品種改良され、岡田東作が名づけて世に広めたものである。酸味が強い酸果桜桃(スミノミザクラ)は料理に利用される。中国桜桃(カラミザクラ)は日本であまり栽培されていない。
桜漬けは、一般的に八重桜の花を梅酢と塩で漬けたものである。花(花弁)自体も塩漬けにすると独特のよい香りを放ち、和菓子・あんパンなどの香り付けに使われる他に、祝い事の席で桜湯として振舞われる。桜湯は、花の塩漬け2から3輪に湯を注いだものである。茶碗の中で花びらが開く過程から、祝い事に使われる。婚礼や見合いなどの席では「お茶を濁す」ことを嫌い、お茶を用いずに桜湯を用いることが多い。結納には両家の縁を結ぶという縁起を表し椀あたり2輪が用いられる。
桜の葉は、塩漬けにすることで加水分解酵素が芳香成分(クマリン)に変化しよい香りを放つ。桜葉漬けには多くの場合オオシマザクラが用いられており、伊豆半島南部において生産が盛んであり、シロップ漬けにされることもある。桜餅は、一般的な和菓子の一つであり、桜の葉の塩漬けで包まれた桜色の餅である。春にはこれらの風味を利用した食品なども見られる。
桜の樹液をトラガカントゴムの代わりに利用する例も存在する。
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桜花の塩漬(2011年3月29日撮影)
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桜花の塩漬を湯で戻す(2011年3月29日撮影)
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長命寺桜もち、桜の葉が3枚(2009年3月14日撮影)
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同左、桜もち(2009年3月14日撮影)
木材
木自体は材木として使われる。材としては硬く、湿気には比較的強い。熱伝導率が高いため、触ると冷たく感じる。木目には乏しいが、節の周囲にはメイプルや栃に似た杢目が出ることもある。無垢テーブル板や比較的高級なフローリング材として使用される。彫刻にも用いられる。建築業界や家具業界において安価である樺を樺桜あるいは単に桜と称して一種として流通させることがある。これによる混同を避けるために本来の桜を地桜と呼ぶこともある。材としては樺と桜は全く別物である。
その他
桜の樹皮は水平方向にはがれ、その表面は灰色を帯びて艶があって美しいため、小物入れや茶筒などの細工物(樺細工)や版木に利用される。
オオシマザクラは別名をタキギザクラともいい、この名前からも分かるように以前は燃料用として植樹されており、房総半島や伊豆大島にもこの用途で広がったとされる。
焚いた時の香りが良いため燻製のスモークチップとしてよく用いられる。
樹皮は桜皮(おうひ)という生薬になり、鎮咳、去痰作用がある。また樹皮を薄いピンク色の染色に使用することができる。
管理育成
剪定
桜は「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれるように傷口が傷みやすい。実際、台風や人間により太い枝が折られた後に未処置だと傷口から腐って一気に枯れてしまうこともある。このため、しばしば剪定には不向きとされるが、健全な育成のためには枝を間引く適切な剪定はむしろ必要である。サクラとウメの剪定に関する最大の違いは枝への花の付き方である。枝には1年で数十cm延びる長枝と1cm未満しか伸びない短枝に分かれる。サクラでは長枝には葉芽ばかりがついて短枝に花芽が付く一方で、ウメでは長枝にも花芽を付ける。枝を剪定する際は基本的に短枝が剪定されるので、剪定から数年間は短枝がまだ伸びていないため、サクラは花付きが大きく減少し、ウメは花付きがあまり衰えないという事になる。この剪定後数年間の見栄えの違いにより「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われることになったとも言われている[57][58][36]。
陽当たり・土壌・水遣り
桜は日当たりが良く、水はけがよく、土が固くなく、栄養分のある土壌で良く生育する。桜は樹冠よりさらに根を浅く広く広げるため、街路樹でよくみられるように桜の周りをコンクリートやアスファルトで舗装したり、根本の土を人が踏み固めることで、根に酸素と水と有機物の供給ができなくなり樹勢を削ぐ。特にある程度成長してから根周りが舗装された場合は伸びた根が腐って死んでいき、生育した上部に必要な分だけの十分な酸素と水と養分が供給できなくなり大きく健康を害するため避ける必要がある。また隣接する並木との植樹間隔が狭いと陽当たりや根の発育に悪影響を及ぼすので、品種ごとの大きさにもよるが8mから10mの間隔を開けて植えるのが望ましい。近隣に新築の建造物が出来て陽当たりが悪化すると健康を害するので植える場所には注意が必要である[59]。土壌が舗装や人間により踏み固められていると根頭がんしゅ病やネコブセンチュウ病を誘発し、これらの病気は土壌を汚染する。早いうちであれば土壌改良によって病気を止めることができるが、これらで桜が枯れた場合、何度桜を植えても枯れる場合がある。このため、これらの病気に罹った土壌は加熱殺菌すること、石灰などで消毒すること、土そのものを入れ替えること、桜の枯れた後には数年の間樹木を植えないことなどで対策をとることができる。また、毎年花を咲かせるためには多くの栄養を必要とするので、他の落葉樹と同じく、寒肥により花をより多く咲かせることができる。水はけがよい土壌で良く生育するが乾燥には弱いので夏場には注意する必要がある。
病害虫
本来、特に自生種は病害にも害虫にもそれほど弱くはないが、人為的に集中して植えられている場合や人工的に作られた品種はこれらに弱くなる場合もある。病害虫は桜の密集地では互いに伝染し、集団発生する可能性がある。
桜が多く罹る病気としては根頭がんしゅ病、根瘤線虫病、てんぐ巣病、膏薬病、うどんこ病などがある。
根頭がんしゅ病、根瘤線虫病は根や根の付け根辺りで瘤が発生する病気である。根元の土が踏み固められていると促進される。病気に罹るとすぐ枯れるわけではないが徐々に樹勢が削がれ、桜が弱っていく。これらの病気は病変部位を切り取り、切り取った部分を殺菌し、表面を保護する塗布剤などで保護すること、土壌改良を行うことが有効である。対策を行えば少なくとも病気の進行は抑えられる。
てんぐ巣病は枝に発生し、枝が竹箒状になる病気である。この病変も徐々に桜が弱り、全ての枝に広がると手遅れになりかねない。発見したら、休眠期を待ち、消毒した鋏や鋸で病変部位を切り落とすことが望ましい。切り落とした後は癒合剤などで回復を促し、剪定した枝は焼却、鋏や鋸も切った後すぐに消毒することが必要である。消毒の行われていないはさみを使うとそれを元に移る可能性もあるので気をつけるべきである。菌が原因であるので風通しを良くすることも対策になる。
膏薬病やうどんこ病については水気が多い場所や湿気の多い場所、あるいは病害虫が引き起こす。胴の部分に菌が入ったりキノコができることによって病気になる。病害虫は菌が入るための傷口を作ったり、傷口を広げるのに加担することが多い。風通しを良くすることや水気がたまらないようにすること、病害虫を駆除することによって病気を抑えることができる。
桜によく付く害虫として、2012年(平成24年)以降に顕著な話題となっているのが外来種のクビアカツヤカミキリである。サクラに寄生する同カミキリの大量繁殖と食害の大きさから、各地でサクラ、特にソメイヨシノの大量伐倒に至っており、その被害の深刻さから、2018年1月に同カミキリが環境省より特定外来生物に指定された[60][61][62]。これを受けて埼玉県環境科学国際センターではサクラへ寄生するクビアカツヤカミキリ対策を広く公開している[63]。
他の害虫としてはカイガラムシ、アブラムシ、ハダニ、それにケムシ・イモムシの類ではハマキムシ、コスカシバ、オビカレハ、アメリカシロヒトリ、サクラケンモン、モンクロシャチホコ (w:Phalera flavescens) などが挙げられる。
排気ガスと酸性雨
桜は街路樹として植えられることも多いことなどから車などの排気ガスによって傷められることも多い。山高神代桜では桜を守るために近くを通っていた道路に迂回路が作られた[64]。酸性雨も木を弱める要因になる。
花見客による被害
花見客などによる過剰な根元の土壌の踏みつけは舗装と同じような悪影響を与え、枝折り、火気、ごみの放置、などの行為も桜を傷めつける原因となる。
語源
「サクラ」の語源については以下の説がよく知られる:
- 春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)である。これは天つ神のニニギと木花咲耶姫の婚姻の神話によるものが出どころ。
- 「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされ、元来は花の密生する植物全体を指した。
- 富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる、「コノハナノサクヤビメ(木花之開耶姫)」の「さくや」をとった。
サクラを意味する漢字『櫻』は元はユスラウメを意味する文字だった[65]。『櫻』の字は「首飾りをつけた女性、もしくは首飾りそのもの」を意味する「嬰」に木偏を付けたものであり、ユスラウメの実が実っている様子を指した漢字である。日本にユスラウメが入ってきたのは江戸時代後期頃のため、日本では「櫻」の字はサクラに転用された。
「さくらの日」
日本さくらの会は、1992年(平成4年)に3月27日を「さくらの日」と制定している[66]。
ギャラリー
日本国内
日本国外
種類別
関連語
桜関連:
- 桜の散るさまを例えて花吹雪という。桜吹雪とも。
- うばざくら(姥桜、乳母桜)は、開花時に葉がないことから歯がないを暗喩した桜の通称。または桜には見頃があることから、年配でありながら艶めかしい女性を指す古語。春の季語。
- 「花は桜木(さくらぎ)」:もとは一休宗純の詠んだ歌の単語の一部。→一休宗純
- 電報などの文面で、桜の花は「合格」の意味である。「サクラサク」は合格を、「サクラチル」は不合格の意味に使われた。「合格電報」も参照
樹木ではない「さくら」を含む語:
- 秋桜はコスモスのことを指す。桜に似た花の形からこう呼ばれる。
- 馬肉のことを桜肉という。
- 淡い紅色を「桜色(さくらいろ)」という。
- 和文通話表では、「さ」を送る際に「桜のサ」という。
- 店でのサクラは客寄せのための店が仕込んだ偽の客のことを指す。心理学実験でも使われることがある。
スポーツ
- 「セレッソ大阪-CEREZO OSAKA-」は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。セレッソとはスペイン語でサクラ(大阪市の市木)の意。
- ラグビー日本代表は、エンブレムにサクラを用いていることから、海外では「Cherry Blossoms」「Brave Blossoms」と呼ばれる。
- 桜花賞
地名・人名
桜井、桜田、桜川、桜町、桜坂など、「桜」の語を含む地名は多く見られる。これらの地名は桜の名所や土地に関する由来があるもののほか、瑞祥地名としても見られる。
人名にも桜の付くものは少なくない。桜が入った苗字の時もそうであるが、近年[いつ?]は女性の名前として『さくら』の語が使われることが多い。
音楽
その他
脚注
注釈
出典
- ^ コトバンク‐桜小学館の『大辞泉』の解説に「バラ科サクラ属の落葉高木の総称」と記され、また、三省堂の『大辞林』第三版の解説に「バラ科サクラ属の落葉高木または低木」と記されている。
- ^ 『赤毛のアン』の冒頭にも桜の大木が出てきて、アンは「雪の女王」と名づける。松本侑子『誰も知らない「赤毛のアン」』(集英社)によれば、これはハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『雪の女王』が源泉であり、花言葉が樹は「良き教育」、花は「精神美」で、女主人マリラそのものとしている。
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- ^ “桜の種類”. 財団法人日本さくらの会. 2011年2月1日閲覧。
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参考文献
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- 山田孝雄『櫻史』桜書房、1941年。のち講談社学術文庫、1990年。
関連項目
- 「桜」で始まるページの一覧、「さくら」で始まるページの一覧、「サクラ」で始まるページの一覧
- タイトルに「桜」を含むページの一覧、タイトルに「サクラ」を含むページの一覧、タイトルに「さくら」を含むページの一覧
- サクラの一覧
- 日本さくら名所100選
- 一本桜
- 日本五大桜
- 笹部新太郎
- 桜花
- 玉縄桜
- 公益財団法人日本花の会 - 日本全国の桜の名所づくりや天然記念物指定の銘木の樹勢回復を行っている公益財団法人
外部リンク
- 公益財団法人日本さくらの会
- 公益財団法人日本花の会
- 石川県林業試験場(さくら 品種図鑑) - ウェイバックマシン(2010年2月12日アーカイブ分)
- 桜の博物館
- 遺伝研の桜(国立遺伝学研究所、2019年)
- 多摩森林科学園サクラデータベース(国立研究開発法人森林研究・整備機構)
- 桜の新しい系統保全 ―形質・遺伝子・病害研究に基づく取組― (PDF, 19 MiB) (独立行政法人 森林総合研究所 多摩森林科学園、2013年2月15日、ISBN 978-4-905304-19-7)
- 多摩森林科学園サクラ保存林における30年間のサクラの開花期観測 (PDF, 3.3 MiB) (森林総合研究所研究報告10巻1号、2011年3月、7-48頁、勝木 俊雄、岩本 宏二郎、石井 幸夫 共著、ISSN 0916-4405)