ジュリアン・ベイリー

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ジュリアン・ベイリー
Julian Bailey 1991 USA.jpg
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
出身地 同・ウールウィッチ
生年月日 1961年10月9日(52歳)
F1での経歴
所属チーム ティレル,ロータス
活動時期 1988,1991
出走回数 20 (7スタート)
優勝回数 0
通算獲得ポイント 1
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1988年サンマリノGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1991年サンマリノGP
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ジュリアン・ベイリーJulian Bailey, 1961年10月9日 - )は、イギリスの元レーシングドライバー

来歴[編集]

1980年フォーミュラ・フォードでレースデビューし、1982年ブランズハッチで行われたフォーミュラ・フォード・フェスティバルで総合優勝を成し遂げ、1983年にはフォーミュラ・フォード2000に転向し、2年連続チャンピオンに輝いている。1985年からイギリスF3選手権に参戦し、ランキング6位を記録。1987年には国際F3000に参戦し、第7戦ブランズハッチでは初優勝をマークしている。この活躍からティレルのオーナー・ケン・ティレルの目に留まり、1988年にティレルからレギュラードライバーに抜擢されることになった。

F1[編集]

1988年[編集]

ティレルから念願のF1デビューとなったが、この年に開発したティレル・017はダウンフォース不足に悩まされ、決勝に進出したのはわずか6回・無得点に終わり、チームメイトのジョナサン・パーマーに対して2勝14敗と大きく負け越した。シーズン終了後、一時F1から離れ、日産からスポーツカーレースに参戦した。

1991年[編集]

スポーツカーレース参戦後、ロータスと契約し、3年ぶりのF1復帰を果たす。だがこの時のロータスはメインスポンサーなしと、チーム存続が危ぶまれている状況だったが、3年前にデビュー戦となったサンマリノグランプリで6位入賞を果たす(余談だがチームメイトのミカ・ハッキネンも5位入賞し、チームとしては唯一のダブル入賞となる)。第4戦終了後にジョニー・ハーバートにシートを譲り、F1から退いた。

その後[編集]

1993年にはトヨタからイギリスツーリングカー選手権2000年にはリスター・ストームからFIA GT選手権に参戦し、見事シリーズチャンピオンに輝いた。

現在はドライバーから引退し、ESPNのF1中継ゲスト解説者として活動中。

成績[編集]

年r 所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1988 ティレル 017 BRA
DNQ
SMR
Ret
MON
DNQ
MEX
DNQ
CAN
Ret
DET
9
FRA
DNQ
GBR
10
GER
DNQ
HUN
DNQ
BEL
DNQ
ITA
12
POR
DNQ
ESP
DNQ
JPN
14
AUS
DNQ
NC 0
1991 ロータス 102B USA
DNQ
BRA
DNQ
SMR
6
MON
DNQ
CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN
AUS 18位 1

関連項目[編集]