アンドリュー・ギルバート=スコット

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アンドリュー・ギルバート=スコット(Andrew Gilbert-Scott、1958年7月11日 - )は、イギリスの元レーシングドライバー。引退後はレーシングドライバーのマネージメントをしており、佐藤琢磨の専属マネージャーとなった。

全日本F3000フォーミュラ・ニッポン全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などに長く参戦歴がある。フォーミュラ・ニッポンのドライバー時代、インタビューで「自動車メーカーのモーガンとゆかりがある」と述べている。

略歴[編集]

1981年にフォーミュラ・フォードに参戦し四輪レースデビュー。1986年に国際F3000にステップアップ。

1987年に来日しトムスよりJSPCに参戦したほか、1988年には全日本F3選手権にも参戦。1989年には一度欧州に戻り国際F3000選手権に参戦した(~1991年)。1991年オフにはF1のウィリアムズのテストドライバーの候補にも挙げられたが[1]、その席はデイモン・ヒルが射止めたため、スコットは1992年に再び来日してステラインターナショナルと契約。同チームから全日本F3000・全日本ツーリングカー選手権に参戦。ツーリングカーでは、1993年に中谷明彦と共に2クラスのチャンピオンを獲得した。以後1997年まで全日本F3000→フォーミュラ・ニッポンに参戦した。

1992年の全日本F3000第4戦(鈴鹿サーキット)では、前年までステラに所属していた小河等と接触、両者ともに1コーナー奥のウォールに激突し、小河と巻き込まれたカメラマンの桜井一英が死亡した。

1990年代後半になると、現役ドライバーとしての活動の傍ら他のレーシングドライバーのマネジメントも手がけるようになり、2000年から佐藤琢磨のマネージャーに就任[2]。以後は佐藤の専属マネージャーとして度々メディアに登場した。

レース戦績[編集]

イギリス・フォーミュラ3選手権[3][編集]

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1984年 マーレー・テイラー・レーシング VW A SIL
4
THR
3
SIL
13
ZOL
DNS
THR
3
THR
Ret
DON
8
SIL 8位 17
リチャード・トロット・レーシング トヨタ SNE
6
DON OUL
Ret
SIL SPA ZAN BRH
7
THR
デイブ・プライス・レーシング VW SIL
3
1985年 チャック・マッカッシー・レーシング A SIL THR SIL THR DON ZOL THR THR
5
SIL
13
BRH
9
SIL
Ret
DON
Ret
SNE
Ret
OUL
DSQ
SIL
10
SPA
6
ZAN
7
SIL
3
11位 7

イギリス・フォーミュラ3000[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1989年 エディ・ジョーダン・レーシング BRH
1
THR
3
OUL
1
DON
3
BRH
Ret
SNE
1
SIL
2
OUL
3
BRH
Ret
2位 45

国際F3000選手権[編集]

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1986年 BSオートモーティヴ Ltd. ローラ・T86/50 コスワースDFV SIL
Ret
VLL
Ret
PAU
DNQ
SPA
16
IMO
DNQ
MUG
15
PER
17
ÖST
DNQ
BIR
Ret
BUG
Ret
JAR
Ret
NC 0
1989年 GAモータースポーツ マーチ・89B ジャッド SIL VLL PAU JER PER BRH BIR SPA BUG DIJ
3
15位 4
1990年 レイトンハウス・レーシング レイトンハウス・90B コスワースDFV DON
Ret
SIL
12
PAU
DNQ
JER
10
MNZ
Ret
PER
Ret
HOC
13
NC 0
アポマトックス レイナード・90D コスワースDFV BRH
10
BIR
7
BUG
11
NOG
13
1991年 ロニ・モータースポーツ ラルト・RT23 コスワースDFV VLL PAU JER MUG PER
DNQ
HOC
11
BRH SPA BUG NOG NC 0

全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン[編集]

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1989年 TEAM KYGNUS TONEN with R&D SUZ FSW MIN
13
SUZ SUG FSW SUZ
NC
SUZ
10
NC 0
1992年 ステラインターナショナル SUZ
7
FSW
Ret
MIN
7
SUZ
4
AUT
4
SUG
6
FSW
11
FSW
8
SUZ
2
FSW
4
FSW
12
9位 16
1993年 SUZ
5
FSW
6
MIN
Ret
SUZ
4
AUT
C
SUG
8
FSW
C
FSW
Ret
SUZ
Ret
FSW
9
SUZ
3
8位 10
1994年 SUZ
13
FSW
1
MIN
2
SUZ
Ret
SUG
2
FSW
1
SUZ
3
FSW
5
FSW
1
SUZ
Ret
2位 45
1995年 SUZ
8
FSW
C
MIN
Ret
SUZ
11
SUG
6
FSW
1
TOK
8
FSW
6
SUZ
6
7位 12
1996年 神奈川クリニック STELLAR SUZ
Ret
MIN
Ret
FSW
7
TOK
15
SUZ
Ret
SUG
4
FSW
Ret
MIN
7
SUZ
Ret
FSW
5
13位 5
1997年 STP STELLAR SUZ MIN FSW SUZ
12
SUG FSW
Ret
MIN TRM FSW
14
SUZ NC 0

ル・マン24時間レース[編集]

チーム コ・ドライバー クラス 周回 総合順位 クラス順位
1989年 イギリスの旗 シルクカット・ジャガー
イギリスの旗 トム・ウォーキンショー・レーシング
フランスの旗 パトリック・タンベイ
オランダの旗 ヤン・ラマース
ジャガー・XJR-9 LM C1 380 4位 4位
1997年 イギリスの旗 ガルフ・チーム・ダビドフ
イギリスの旗 GTCレーシング
イギリスの旗 レイ・ベルム
日本の旗 関谷正徳
マクラーレン・F1 GTR GT1 326 DNF DNF

全日本ツーリングカー選手権(JTC)[編集]

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1988年 BMW・M3 JTC-2 SUZ NIS SEN
6
TSU
Ret
SUG
4
FSW
6
1991年 Auto Tech recing JTC-2 SUG SUZ TSU
3
SEN AUT FSW
7
1992年 JTC-2 AID
7
AUT
2
SUG
3
SUZ
2
MIN
2
TSU
5
SEN
1
FSW
Ret
5位 85
1993年 JTC-2 MIN
1
AUT
1
SUG
1
SUZ
1
AID
2
TSU
2
TOK
1
SEN
6
FSW
NC
1位 134

全日本ツーリングカー選手権(JTCC)[編集]

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994年 BMW・318i OAR1
7
OAR2
4
SUG1
5
SUG2
Ret
TOK1
Ret
TOK2
11
SUZ1
11
SUZ2
10
MIN1
9
MIN2
6
TAI1
8
TAI2
Ret
TSU1
6
TSU2
12
SEN1
16
SEN2
15
FSW1
Ret
FSW2
Ret
9位 33
1995年 マツダ・ファミリア FSW1 FSW2 SUG1 SUG2 TOK1 TOK2 SUZ1 SUZ2 MIN1 MIN2 TAI1
18
TAI2
16
SEN1
Ret
SEN2
Ret
NC 0
マツダ・ランティス FSW1
Ret
FSW2
Ret

脚注[編集]

  1. ^ ウイリアムズがヒルとテスト契約か? 他の候補としてアーバイン、A.G.スコット、マッカーシー、ベイリーも候補 GPX Off-Season Special 30頁 山海堂 1991年2月8日発行
  2. ^ 「ぶれない」佐藤琢磨が語る仕事-2 - 朝日求人ウェブ
  3. ^ Formula 3 1984 - Race Index - Great Britain”. www.the-fastlane.co.uk. 2020年12月26日閲覧。

外部リンク[編集]