鳥山明

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鳥山 明
生誕 (1955-04-05) 1955年4月5日(69歳)
日本の旗 日本 愛知県名古屋市
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
デザイナー
活動期間 1978年 -
ジャンル 少年漫画
代表作Dr.スランプ
ドラゴンボール
受賞 第27回小学館漫画賞少年少女部門(『Dr.スランプ』)
第4回文化庁メディア芸術祭インタラクティブ部門大賞(『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』)
第40回アングレーム国際漫画祭40周年記念特別賞
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鳥山 明(とりやま あきら、1955年4月5日 - )は、日本漫画家デザイナー愛知県名古屋市出身[1]、同県清須市在住(合併前は清洲町)[2][3]。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。妻は漫画家のみかみなち。

概要

1978年に『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期に渡り鳥山原作のアニメが放映されていた。

『Dr.スランプ』で第27回小学館漫画賞少年少女部門受賞。『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』で2000年文化庁メディア芸術祭デジタルアート・インタラクティブ部門大賞受賞。『ドラゴンボール』で2006年日本のメディア芸術100選マンガ部門3位選出。2013年に開催された第40回アングレーム国際漫画祭では、40周年記念特別賞を受賞している[4]

漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。

1980年から90年代の「(週刊少年)ジャンプ黄金時代」を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している[5]

『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』は2015年現在でも、コマーシャルに起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。

来歴

幼少時代

初代担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが両親ともにのんびり屋の性格で、夕食代にも事欠く時でも代わりにと2人でワルツを踊るような人だった。鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた[6]。当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持ったといい[7]、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している[8]。また、妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた[9]

尊敬していたという漫画家は手塚治虫ウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた[10]。一番影響を受けたのはディズニーアニメであり[11]、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた[12]

幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた[13]。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校デザイン科に進学した。高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかったという。1974年に同校を卒業。

デビューまでの経緯

高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い広告関係のデザイン会社にデザイナーとして就職したが、レタリング作業が仕事のメインになり嫌気が差して約2年半ほど経った1977年3月[要出典]に退職。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができてムダではなかった」と述べている[14]

退職後1年間はアルバイトでイラストを手掛けていた[8]が、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品『アワワワールド』を投稿する[11][15]。投稿したのはギャグ漫画だが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分だったため[16]

投稿した作品は入賞には及ばないものの[17]、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ[18]「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした[19]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており[18]、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。

鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ[20]

デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した[11]。「鳥山明」という名前は愛知県には数軒しか存在せず、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たため、冗談で水田二期作(みずたにきさく)というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた[21]。本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したことだという[11]

Dr.スランプの連載

1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、アンケート結果は最下位であり[22]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。鳥嶋に促されて描いた1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする女性を主人公とした作品だったが、評判が良かったため『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった。

1980年に『Dr.スランプ』の連載を開始。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた[23]。これが功を奏して人気作となり、1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化され、最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になる[24]など大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している[25]

ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り[26]、第6巻は初版220万部を記録した[26]

連載1年目は、睡眠は3日に1回[27]、最高記録となる6日連続徹夜[11]、ペン入れの記憶がない回がある[28]などと多忙を極めた。

ドラゴンボールの連載

アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3ヶ月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ[11]、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であり、アンケートで反響も無く人気は低迷していた[11]が、格闘大会天下一武道会で人気が出たのをきっかけに、次々に登場する強敵・難敵との戦闘をメインに据えたシリアスな物語となることで人気を獲得し、1986年から1997年まで放送されたTVアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した[29]

ドラゴンクエスト

ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を元にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように(堀井のラフ絵では、スライムはドロドロの液体状のモンスターで、目も口もない)自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。なお専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。

鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという[12]

その後の活動

『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する[30]。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。

また、2003年には絵本『天使のトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである[31]

2013年7月から10月まで、週刊少年ジャンプで『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。

画風・作画方法

面倒くさがり
3代目編集者の武田冬門によると、『Dr.スランプ』では一番簡単だからと丸い山に木があるだけの背景にしたという[18]。『ドラゴンボール』では、描くのが大変な市街地などの背景で闘いに入ると爆破させる[32]、もしくはすぐに登場人物を荒野に移動させたり[33]超サイヤ人を金髪にすることでアシスタントのベタ塗りの時間を節約させる、などのエピソードがある[32]。『Dr.スランプ』の途中から『ドラゴンボール』までアシスタントは松山孝司1人しか使っておらず、いつも悟空の髪の毛のベタ塗りに時間を取られていたため、鳥山は「超サイヤ人を登場させたことでアシスタント君との約束をやっと果たすことができた」と語っている[34]
けれど鳥山は2015年に「ボクはいつもそうなんですが、人と話す時、特に収録などされていると余計に面倒だからとか、なんとなくとか、ちょっと格好つけて苦労を悟られないように話してしまうという、つまらないクセがあります。もちろん、そんなに面倒くさがりだったら漫画など描けないし、なんとなく描けるほど漫画家という職業は甘いものではありません。なんてことないようなフリをしていますが、陰ではけっこう頑張っているんです」「ジジイになった今だって、漫画の仕事こそあまりしませんが、わずかな睡眠時間であれこれ頑張っています。それでもなかなか満足できるような仕事はできません。自信のあるような態度も、じつは自分を追い込んでいるだけです。よく言われることではありますが、本当に永遠に勉強だと思っています」と言ってる[35]。そして「また、少しだけ話を大げさに盛ってしまったり、プチ自慢したり、言ってることが変わってしまうのも我ながら感心しませんね。へそまがりなうえに孤独好きで人付き合いの悪い部分は、職業的にプラス部分もあったりするので反省はしませんが、人間的にはどうなんでしょう」と言って「流行に乗るな、とまでは言いませんが、わしの作品について来い!なんていうぐらいの流れに逆らう根性とセンスと個性は、できれば身につけてほしいですね」とアドバイスしてる[35]
かつてのインタビューではマンガ製作の準備・練習が嫌いなことを公言しており、鳥嶋にも鳥山ほど資料を持っていないマンガ家はなかなかいないと言われている[36]。ただし鳥嶋は鳥山のことを「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い」「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている」とも評している[18]
武田によると、インタビューではよく「ペン入れが嫌い」や「ネームがしんどい」と言っているが、実際にはほぼ言わないという[37]
トーンは少なめ
漫画作品では、あまりタッチをつけない均一な線が用いられており、スクリーントーンはあまり使われない。前述のように鳥山は自身のことを非常に面倒臭がりだとしており、トーンを使わないのも、本人は「切ったり貼ったりするのが面倒だから、というより好きではない」と語っている。また、「トーンを切り貼りする作業は漫画を描く作業ではない」とのこと[32]。ただし、トーンが嫌いな訳ではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともある[38]
ネームは描かない
一般的に漫画作品は、ネーム、下描き、ペン入れの工程を経て完成する。鳥山も初期はネームを作成した上で下描きをしていたが、その後はネームを描かずに、下描きから始める製作方法を取るようになった(『Dr.スランプ』の連載中期以降、それを逆手に取ったような描写も見られるようになる)。これは「3度も描くのが面倒」と、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる[32]。2代目担当編集者の近藤裕は「いきなり下描きが上がってくるから、描き直しをさせていいものかどうか」と、戸惑ったという[39]
様々なメカ
作中にロボットや車、バイクなどが多く登場するのも特徴のひとつで、父親がかつてバイクレーサーだった影響もあるとのこと[40]。『Dr.スランプ』では表紙や扉絵に車ばかりを描いていたら、鳥嶋に「いい加減飽きた、この漫画は車が主人公だっけ?」と嫌味を言われたことがある[41]。ただし、構造に詳しいわけではなく、専門用語などは理解できないという[42]。他にも『スター・ウォーズ』など好みのSF映画からの影響が強い。オリジナルのメカを考えるのが一番楽しいときであり、どのように乗り込むのか、どこにエンジンが付いているのかなどをきちんと考えて描いているとのこと[38]
動物好き
脇役に擬人化した動物キャラクターが多いのは、「人間だけだと顔を描き分けるのが大変だから」[43]、「動物好きというということもあるが、基本的に人間より安易にバリエーションが増やせるから。特に犬は人間よりはるかに忠実でピュアなイメージなので多用している」[44]とのこと。多くが人間の言葉を操るなど普通に人間社会に溶け込んでいる。元来が少年時代に「馬やチンパンジーを飼いたい」と親に駄々をこねたほどの動物好きで、犬や猫を始め、ウサギ、鳥類、魚類などの飼育を趣味としている[45]ハイギョの飼育がテーマの短編作品『ハイギョのマヒマヒ』を執筆しており、『Dr.スランプ』にも、村の乱暴者がブンチョウの飼育を通じて更生する、などのエピソードがある。唯一ネズミだけは苦手だったが、子供にせがまれて飼い始めたハムスターの影響で苦手意識が薄れた、と語っている[11]
CGによる制作
『ドラゴンボール』連載終了後にバンダイからMacをもらい、使い方を教えてもらったのをきっかけにデジタル制作を始め[46]、以降は制作過程でCGを用いたものがかなりの割合を占めており、「パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていた」[32]「よくパソコン塗りは味がないなんて言われるが、芸術作品を描いているわけでもないので」[47]とのこと。デジタル化以降のカラーでは、特徴的であったメリハリの利いたアニメ絵のような塗り方から、境界を明確にしないグラデーション塗りに変わっている(特に陰影の塗り方に顕著)。ただしCGを用いるようになった後も『ネコマジン』などの漫画作品は以前と同様に原稿用紙にペン入れしてベタとトーンだけをPCで作業しており、ゲームのデザイン画やイラストを描くときのみペンタブレットを使用している[46]
恋愛マンガ嫌い
ラブコメは読めない、ダメ」と語ったことがあり[36]、ラブコメ好きの鳥嶋が出したアラレとオボッチャマン、あかねと突詰、タロウと鶴燐、悟空とブルマを恋愛させろという指示に対しては頑なに拒否し、千兵衛とみどりの結婚をあっさりと済ませ[48]、ドラゴンボールでも悟空とチチの結婚をあっさりと描いている。
話作りについて
もともと先の展開をじっくりと考えて描くタイプではなく、『ドラゴンボール』では行き当たりばったりで描いていたことが多いとのこと。鳥山自身、自分でもどうなっていくのかわからなくて、なかなかドキドキわくわくして描けて悪くないという。また、悟空が大猿に変身したりサイヤ人だったと設定は当初まったく考えておらず、こういう辻褄合わせは上手いと語っている[49]。『Dr.スランプ』でも、作中で行き当たりばったりで考えていたことをネタにしていた。また、「鉛筆で実際にコマを割って絵や台詞を書いたりして話を進めていくと、頭で考えていた漫画と、ちょっと違ってきてしまうことが僕はよくある」[50]と発言している。
「普通はこう考えるところを逆手にとって面白くできないか」と考えており[51]、へそ曲がりな性格から「天下一武道会で悟空が優勝するんでしょう」と周りに言われてなかなか優勝させなかったり[52]、「ベジータを殺さないで」というファンの意見を聞いてワザと殺したりすることもある[53]。また、『ドラゴンボール』連載初期でも「戦いの場面を増やせば受けるということは分かっていたが、天邪鬼な性格だからシャクに障る」と、すぐに戦いのほうにシフトはしなかった[54]
『ドラゴンボール』の連載については「絵を描いている時よりも話を考えている時の方が仕事にしてはちょっとだけ楽しいかも」「でも後半の方の話は結構無理して考えていたから苦しかった」と語っている[55]

趣味・嗜好

モデルガンプラモデル好き。プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤが毎年主催している1/35フィギュア改造コンテストで複数回入賞。1986年開催の同コンテストでは金賞を受賞している[56]。また愛知県唯一のプラモデルメーカーファインモールドの社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。

歴史・地理方面には疎いらしく、織田信長の死因を知らなかった[57]

「生まれも育ちも名古屋。当然、ドラゴンズファン」[1]と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクターたちが中日ドラゴンズを応援する一幕がみられる。

好きな季節は夏だと語っており、作品の季節感も夏であることが多い。本人いわく「蚊さえいなければ最高」とのこと[58]

女性の髪形ではショートカットが好みで、それは『ドラゴンボール』内では第22回天下一武道会の頃のブルマの髪形に反映されている。

読者からプレゼントされた女性用下着がヤニで黄色くなってしまう[11]ほどのヘビースモーカーであり、多い時は1日で3箱[59][注 1]、締め切り前は100本以上吸うこともある[60]。その一方、酒は苦手でせいぜいビールをコップ1杯程度だという[59]

『Dr.スランプ』の登場キャラクターである空豆ピースケの趣味はサイン集めだが、これは、鳥山の趣味がそのまま反映されたもの[61]。子供たちと一緒に『スーパー戦隊シリーズ』を見ていたところはまり、『ドラゴンボール』に戦隊ヒーローのパロディであるギニュー特戦隊を登場させた[52][62]。戦う時に変身するという超サイヤ人のアイデアも当時子供と一緒に見ていた特撮テレビ番組からヒントを得ている[29]

「自分はテレビで見たウルトラマンに深い感激を受けた。僕自身ウルトラマンが大好きだ」とスターログ1980年11月号のインタビューで語っている。『Dr.スランプ』にも幾度と無くウルトラマンやバルタン星人などのキャラクターを登場させており、ウルトラマンとDr.スランプのコラボ商品の公式サイトのインタビューで当時はルールをよく知らず勢い余って書いたと語っている。

人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。田舎在住であるのも同じ理由からとのこと[63]。1982年に漫画家のみかみなち[注 2]と結婚。出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まりである[64]。「あのセンスと知識にはかなわない」と妻を評している[11]

学生時代、ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』を観るために1日に3回、10日間ほど映画館に通っていた。多感な頃に観た映画のため影響は大きいという。『ドラゴンボール』のタイトルも『燃えよドラゴン』から来ている[65]。結婚後に妻からジャッキー・チェンの映画を薦められて『酔拳』にもハマり、「この2作のどちらかが映画の中で一番ワクワクしたベスト」だと語っている[11]。ジャッキー・チェンの映画を流しながら、漫画を描くこともある[66]

週刊少年ジャンプ1983年32号の企画でシーラカンスを食べた事が有る。

マスコミへの露出

『Dr.スランプ』連載時代は『徹子の部屋』(1983年5月4日放送)に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に荒木飛呂彦とともに登場するなどテレビやラジオ番組には何度か出ており、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』などの単行本にも自身の写真を積極的に載せていた[11]。また、1984年の映画『ゴジラ』にエキストラで参加。本編中では大写しにならなかったが、市販もされた一部ポスターにおける群衆の中に写っている[67]

元々マスコミなどへの露出を好まなかったが『ドラゴンボール』の連載後期には顕著となり[68]、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だから[69]という理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている[注 3]

自画像は『Drスランプ』連載時は普通の人間の顔だったが、のちに擬人化した鳥やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的にガスマスクを着用をしたデフォルメキャラクターとなった。照れくさいという理由による[59]

作品リスト

漫画

長期連載

短期連載・読み切り

1978年から1990年代半ばまでの大半の作品は短編作品集『鳥山明○作劇場』シリーズに収録されている。

  • アワワワールド(1978年)月例ヤングジャンプ賞投稿作品。1983年、ファンクラブ会報誌「BIRD LAND PRESS」の5〜6号に掲載。
  • 謎のレインジャック(1978年)月例ヤングジャンプ賞投稿作品(最終選考作品)。1982年、ファンクラブ会報誌「BIRD LAND PRESS」の3〜4号および『週刊少年ジャンプ増刊号』1983年12月号に掲載。
  • ワンダー・アイランド(『週刊少年ジャンプ』1978年52号)デビュー作。
  • ワンダー・アイランド2 (『少年ジャンプ』1979年1月25日増刊号)
  • 本日のハイライ島(『少年ジャンプ』1979年4月20日増刊号)
  • ギャル刑事トマト(『少年ジャンプ』1979年8月15日増刊号)
  • POLA&ROID(『週刊少年ジャンプ』1981年17号)愛読者賞1位。
  • ESCAPE(『少年ジャンプ』1982年1月増刊号)
  • MAD MATIC (『週刊少年ジャンプ』1982年12号)愛読者賞2位。
  • 鳥山明のヘタッピマンガ研究所 (『フレッシュジャンプ』1982年10月号 - 1984年3月号)原作:さくまあきら
  • PINK(『フレッシュジャンプ』1982年12月号)
  • CHOBIT (『週刊少年ジャンプ』1983年10号)愛読者賞3位。
  • CHOBIT2(『フレッシュジャンプ』1983年6月号)
  • 騎竜少年 其之壱(『フレッシュジャンプ』1983年8月号)
  • 騎竜少年 其之弐(『フレッシュジャンプ』1983年10月号)
  • トンプー大冒険(『週刊少年ジャンプ』1983年52号)
  • Mr.ホー(『週刊少年ジャンプ』1986年49号)
  • LADY RED『スーパージャンプ』創刊2号(週刊少年ジャンプ1987年4月10日増刊号)
  • 剣之介さま(『週刊少年ジャンプ』1987年38号)
  • SONCHOH(『週刊少年ジャンプ』1988年5号)
  • 豆次郎くん(『週刊少年ジャンプ』1988年38号)
  • ROCKY(猫十字社の同人誌『動じん誌』1989年)
  • 空丸くん日本晴れ(『週刊少年ジャンプ』1989年13号)
  • WOLF(画集『鳥山明 the world』1990年)
  • 貯金戦士キャッシュマン(週刊少年ジャンプ増刊『ブイジャンプ』1990年12/12号 - 1991年11/27号)全3話。
  • TRUNKS THE STORY -たったひとりの戦士-(『週刊少年ジャンプ』1992年36・37合併号)
  • DUB&PETER1(『Vジャンプ』1992年11月12日号 - 1993年4月4日号)全4話。
  • GO!GO!ACKMAN(『Vジャンプ』1993年7月号 - 1994年10月号)全11話。
  • 宇宙人ペケ(『週刊少年ジャンプ』1996年37・38合併号、39号)全2話。
  • TOKIMECHA(『週刊少年ジャンプ』1997年3・4合併号 - 7号)全3話。
  • 魔人村のBUBUL(『週刊少年ジャンプ』1997年22・23合併号)
  • COWA!(『週刊少年ジャンプ』1997年48号 - 1998年15号)全14話。
  • カジカ(『週刊少年ジャンプ』1998年32号 - 44号)全12話。
  • ハイギョのマヒマヒ(『週刊少年ジャンプ』1999年4・5合併号)
  • ネコマジンがいるシリーズ(『週刊少年ジャンプ』1999年22・23合併号、37・38合併号)全2話。
  • ヒョータム (『e-ジャンプ[70]』2000年1月18日増刊)
  • SAND LAND(『週刊少年ジャンプ』2000年23号 - 36・37合併号)全14話。
  • ネコマジンZシリーズ(『月刊少年ジャンプ』2001年6月号、2003年9月号、2004年3月号、2005年1月号、2月号)全5話。
  • ネコマジンみけ(『週刊少年ジャンプ』2003年37・38合併号)
  • こちらナメック星ドラゴン公園前派出所(『超こち亀』2006年)秋本治との合作。
  • CROSS EPOCH(『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号)尾田栄一郎との合作。
  • Dr.MASHIRITO ABALEちゃん(『月刊少年ジャンプ』2007年4月号)
  • さちえちゃんグー!!(『ジャンプスクエア』2008年5月号)原作担当で作画は桂正和
  • おいしい島のウーさま(2030マガジン『最終戦略 バイオスフィア』2009年)
  • JIYA -ジヤ-(『週刊ヤングジャンプ』2010年2・3合併号 - 6号)全3話。原作担当で作画は桂正和
  • KINTOKI-金目族のトキ-(『週刊少年ジャンプ』2010年50号)
  • 銀河パトロール ジャコ(『週刊少年ジャンプ』2013年33号 - 44号)全11話。
  • DRAGON BALL- 放たれた運命の子供(コミックス『銀河パトロール ジャコ』2014年4月4日)描き下ろしおまけ漫画。

イラスト集

  • 鳥山明 the world(1990年1月15日発行、集英社)
  • 鳥山明 THE WORLD SPECIAL(1990年9月24日発行、集英社)
  • 鳥山明の世界 AKIRA TORIYAMA EXHIBITION(1993年、1995年増補版発行(全2種)、「鳥山明の世界」展実行委員会)
  • ドラゴンボール大全集 1巻 COMPLETE ILLUSTRATIONS(1995年6月25日発行、集英社)
  • ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ[注 4](1996年12月23日発行、集英社)
  • ドラゴンクエスト25thアニバーサリー モンスター大図鑑[注 5](2012年5月31日発行、スクウェア・エニックス
  • ドラゴンボール超画集(2013年5月9日発売、集英社)

デザイン

コンピュータゲーム

アニメーション

テレビ番組

プラモデル

  • LISA(リーザ)[73](1985年)デザイン、パッケージイラスト、説明書のイラストを担当。
  • ファインモールド「ワールドファイターコレクション」シリーズ全7種[74](1994年)デザイン、パッケージイラスト、説明書のイラストを担当。世界各国の陸軍兵士をリアルに再現した上でコミカルにデフォルメしたプラモデルフィギュア[注 8]

メカデザイン

  • レディ・ビー(1992年)『Vジャンプ』1992年11月22日号のカバー原画としてデザインされた飛行艇。三面図も描き起こし、それを基にバンプレストのスタジオ・デュースによりCGイラストが作られた。後に『空想科学世界ガリバーボーイ』に登場している。

カーデザイン

キャラクターデザイン

イラスト・挿絵

絵本

  • TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ(2003年1月24日発売、集英社)

脚本

作詞

  • 「んちゃんちゃソング」(1981年)『Dr.スランプ アラレちゃん』挿入歌
  • 「クリラ」「ヘリコプター」(1984年)小山茉美のアルバム『ポルカドットマジック』に収録。ジャケットイラストも担当。

寄稿

  • こちら葛飾区亀有公園前派出所』特別寄稿(1993年)『Kamedas』にイラストを寄稿。
  • さくらももこ』と往復書簡でのコラボ作品(1995年)『さくらももこの総天然色満足館』にイラストを寄稿。
  • 『「ミッキー」&「ミニー」生誕70周年記念フェスティバル』展示用イラスト (1998年)当時の『ディズニーファン』にイラスト掲載。
  • 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載25周年紀念 特別寄稿(2001年)『Kamedas2』にイラストを寄稿。
  • ONE PIECE』連載10周年紀念 特別寄稿(2007年)『ONE PIECE 10th Treasures』2007年 9/10号にイラストを寄稿。
  • NARUTO -ナルト-』連載10周年紀念 特別寄稿(2009年)『NARUTO秘伝・皆の書』オフィシャルプレミアムファンBOOKにイラストを2枚寄稿。
  • 桂正和』画業30周年紀念 特別寄稿(2011年)『桂正和 画業30周年記念本「桂大全」』にイラストを2枚寄稿。
  • 浅田弘幸』画業25周年紀念 特別寄稿(2012年)『テガミバチ』14巻小冊子付き特装版にイラストを寄稿。
  • ジョジョの奇妙な冒険』連載25周年紀念 特別寄稿(2012年)『ウルトラジャンプ』2012年10月号付録の冊子「25YEARS WITH JOJO」にイラストを寄稿。
  • ジャイアント・ジャガ・イモムシ、ベビークラーケン(2014年)『トリコ』公式ファンブック 29.5巻に寄稿されたキャラクター。
  • 『NARUTO -ナルト-』展 特別寄稿(2015年)NARUTO展の前売特典『新伝・雷の書』にイラストを寄稿。
  • 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載40周年紀念 特別寄稿(2016年)『週刊少年ジャンプ』2016年7号にイラストを寄稿[75]

その他

  • 激突!4コマ競作バトルロイヤル(1986年)『スーパージャンプ』創刊号に4コマ漫画を2本掲載。
  • BATTLEMAN F-1西ドイツホッケンハイムGP観戦記レポート漫画(1990年)『週刊少年ジャンプ』1990年44号および週刊少年ジャンプ特別編集『F-1 GRAND PRIX 1990』に掲載。
  • モンモンの相撲遊戯(『週刊少年ジャンプ』1992年3・4合併号)つの丸の読み切り漫画。他連載作家と共に協力。
  • 『月刊アーマーモデリング』2009年1月号模型作例「1/35四式軽戦車」製作および記事執筆(模型の車体はファインモールド製、砲塔はタミヤ製)
  • ちかごろのワシ(1995年 - 1996年)全7回。『ドラゴンボール大全集』別冊付録『神龍通信』全7号に描き下ろし漫画を掲載。
  • さいきんのわし(2014年)『最強ジャンプ』2014年7月号に描き下ろし4コマ漫画を掲載。
  • ドラゴンボール30周年スペシャル裏マンガ(2016年)『30th ANNIVERSARY ドラゴンボール 超史集』に描き下ろし漫画を掲載。
  • タレントに頼まれて似顔絵を描いている(品川庄司品川祐次長課長井上聡麒麟川島明千秋[76]jealkbhaderuelsaedieehidekidunchchaosmofto)、ニブンノゴ!の大川知英、じゃぴょん坂口博信など)

TV出演歴

個展開催歴

鳥山明の世界
開催期間 開催場所
1993年12月4日 - 1994年1月30日 神奈川県・川崎市市民ミュージアム
1994年4月9日 - 5月29日 福島県・いわき市立美術館
1994年8月5日 - 9月4日[77] 香川県・高松市美術館
1994年10月22日 - 11月27日 北海道・北海道立旭川美術館
1994年12月22日 - 1995年1月29日 福岡県・ラフォーレミュージアム小倉
1995年4月22日 - 5月21日 東京都・新宿三越美術館
1995年6月6日 - 7月2日 愛知県・名古屋市民ギャラリー
1995年7月20日 - 8月27日 熊本県・熊本県立美術館
1995年7月20日 - 8月27日 東京都・国立西洋美術館
1995年9月14日 - 9月25日[注 9] 兵庫県・神戸阪急ミュージアム
1997年7月27日 - 8月24日[78] 秋田県・増田町まんが美術館
鳥山明 The World of DRAGONBALL[79]
開催期間 開催場所
2013年3月27日 - 4月15日 東京都・日本橋高島屋
2013年4月17日 - 4月23日 大阪府・阪神百貨店梅田本店
2013年7月27日 - 9月1日 愛知県・松坂屋美術館

関連人物

桂正和
鳥山同様に鳥嶋和彦によって才能を見出された一人。鳥山が「恋愛モノ」を苦手にしているのと対照的に桂は「恋愛モノ」を得意にしており、その道の第一人者。鳥山とはデビュー直後から交流があり、『ウイングマン』の作中に「生徒会トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山が登場している。逆に『Dr.スランプ』には、非常な田舎者として桂が登場しており、番外の短編漫画でエピソードが語られている。また、悟空が界王を笑わせる為に使ったギャグは、鳥山が桂に披露したもののバカにされたといわれるものであり、フュージョンのアイディアも桂による、と述べている[80]。1984年に桂が病気療養のため約5ヶ月間『ウィングマン』の連載を中断した際、週1ページの応援作品「がんばれ!桂くん」が連載されたが、鳥山は、タイトルとタイトルバックの似顔絵(病室で寝巻き姿の桂が、元気にウイングマンの変身ポーズを決めている)を寄稿している。桂が『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』連載前に鳥山に相談したところ「主人公を変身させて髪の色を変えてみてはどうか」「戦わせるしかない」と言われ、不安を抱きつつ描いたら鳥山のファンから「(超サイヤ人の)マネをするな」と抗議が来たという[81]
桂、寺田克也竹谷隆之の3名について鳥山いわく「自分からは滅多に誰かに会おうとはしないが、この3人の天才に会うのは悪くない」とのことである[82]。桂とは2008年に『さちえちゃんグー!!』(読切)、2009年には『JIYA -ジヤ-』(短期連載)で共作(原作を鳥山、作画を桂が担当)しており、鳥山は「組むんだったら桂君しかありえない。文句を言ってくれる人は彼くらい」と語っている[83]
尾田栄一郎
1995年の集英社主催のパーティーで徳弘正也に同行し(当時、アシスタントをしていた)、鳥山からイラスト入りのサインを貰ったのが初対面。その後、尾田の希望で鳥山と対談して以降、さまざまな場で交流している。『天才パソコミ塾』(2002年 集英社インターナショナル)でMacを使った漫画の描き方で共演したり、2006年12月には『ONE PIECE』と『ドラゴンボール』のコラボレーション漫画『CROSS EPOCH』(『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号、2006年12月25日発売)を発表した。
岸本斉史
岸本は『NARUTO』の連載が3周年を迎えたらご褒美として、鳥山のサイン色紙を貰うという約束を編集部と取り付けており、実際にサインを手に入れた際には、その喜びを『ジャンプ』の巻末コメントで語っていた。また、ナルトの連載10周年を記念して発売された『NARUTO-ナルト-秘伝・皆の書』では、鳥山がナルトのイラストや、ナルトの格好をした悟空を描いている。
棚園正一
不登校だった13歳の時に自立支援組織から来ていた家庭教師の協力で鳥山明と対面した[84]。棚園は、その実体験を基にした漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』を連載。同作品コミックス(2015年2月27日発売)に鳥山明寄稿による1600字超のコメントが収録されている。また鳥山と棚園は「作品をより面白い漫画にするためには」と言った話し合いを年5回程度のペースで続けている[85]
桑折貴之(お笑いコンビ・じゃぴょん
鳥山明の娘がじゃぴょんの桑折のファンということから、じゃぴょん単独ネタライブの似顔絵、およびチラシを描いたことがある[86][87]。そのことは2008年6月7日放送の『やりすぎコージー・オ〜ガの泉2〜モヤモヤ芸人救済スペシャル〜』で語られた。
大川知英(お笑いトリオ・ニブンノゴ!
『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、一番初めに相談したほどの親友[注 10]
jealkb
鳥山明の娘がjealkbとマキシマムザホルモンのファンであり、jealkbがライブで名古屋に来た時は、仕事で忙しくない限りは参加している[注 11]。上記のじゃぴょんの桑折、ニブンノゴ!の大川もjealkbのメンバーである。またjealkbのメンバーでもある田村淳香那と入籍した際には、結婚祝のイラスト付き色紙を贈っている[注 12]
マキシマムザホルモン
娘と一緒に2012年10月29日に開催されたjealkbとマキシマムザホルモンの対バンライブ「異色薔薇ノ歌合戦」に参加した。その際、鳥山明はマキシマムザホルモンの楽屋に訪れてサインを描いている[注 13]。またライブで歌われた曲「「F」」にインスパイアされて『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のアイデアを閃いた。

担当編集者

アシスタント

アニメーター

中鶴勝祥
「『僕こんなの書いたっけ?』と思えるほど完成度の高いイメージボードを書いてくれる」と話している[88]
山室直儀
孫悟空を書けるのはこの人しかいない」と評している[89]
芦田豊雄
影響を受けたことを公言しており、「影やハイライトの入れ方・カラーの処理の仕方に尊敬を覚えた」と話している[90][91]

脚注

注釈

  1. ^ インタビューでそう答えた当時の愛飲銘柄はキャスター
  2. ^ 1976年にデビューした少女漫画家。1985年に引退している。
  3. ^ ただし例外はあり、1996年の『週刊少年ジャンプ』の映画『ファイナル・プロジェクト』の宣伝記事にてジャッキー・チェンとツーショットの写真が掲載されている。
  4. ^ 奥付のモンスターイラストレーションには鳥山明と並んで中鶴勝祥の名前がある。
  5. ^ 奥付のモンスターイラスト・イメージイラスト製作が「フェイク・デザイン・ワークス」になっており、掲載されているイラストもパソコンで着色し直していたり鳥山明の原画ではない。
  6. ^ 他のアバターデザインは鳥山明の許可を得て開発チームが作っている。
  7. ^ 鳥山が初めてアニメシリーズに脚本の段階から深く関わった作品。鳥山がコミックの原作と違わぬほど書き込んだ台詞入りプロットの中から90%以上のストーリーと台詞が採用されている。「企画の力 森下孝三東映アニメーション取締役副会長 ドラゴンボール"復活"の全貌」『日経エンタテインメント!』2013年5月号No.194、日経BP社、2013年4月4日、22-23頁。
  8. ^ 『ドラゴンボール』「其之五百一 救世主登場!?」のカラー扉絵で、ファインモールドがプラモデル化した「日本陸軍九七式軽装甲車テケ」を描いてミスター・サタンを搭乗させ、その車体にFINE MOLDSと記している。
  9. ^ 当初は1995年3月10日 - 4月19日の開催予定だったが、阪神・淡路大震災の影響で開催延期になった。
  10. ^ 2009年6月11日放送『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で大川が語った。
  11. ^ 2012年11月17日放送のラジオ『ダイスケはん&ナヲのギンギラギンにさりげ肉』で語られた。
  12. ^ 2013年10月7日に田村淳のFacebookでイラスト色紙画像が上げられた。
  13. ^ 2012年10月30日にマキシマムザホルモンのTwitterでサイン画像が上げられた。

出典

  1. ^ a b 『COMIC BOX』「わしの裏話」、1985年11月号。
  2. ^ INLIFE 男の履歴書 鳥山明
  3. ^ 地域情報|一般社団法人 名古屋西法人会 2014年6月24日閲覧。
  4. ^ コミックナタリー - 鳥山明、仏アングレーム国際BD祭で特別賞を受賞 コミックナタリー 2013年2月5日
  5. ^ 『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.282
  6. ^ 『オタク論!』唐沢俊一・岡田斗司夫(著)創出版 2007
  7. ^ 『DRAGON BALL 大全集』6巻「鳥山明的超会見」、P216、集英社、1995年。
  8. ^ a b 『COMIC BOX』「ヒストリー・オブ・鳥山明」、1985年11月号。
  9. ^ 『Dr.スランプ』実話落書き漫画より。
  10. ^ 『Dr.スランプ』11巻、80ページ
  11. ^ a b c d e f g h i j k l ジャンプ・コミック出版編集部編「鳥山明 ON THE ROAD」『ドラゴンボール完全版公式ガイド Dragonball LANDMARK 少年編〜フリーザ編』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2003年12月24日、ISBN 4-08-873478-5、146-159頁。
  12. ^ a b 「AKIRA TORIYAMA」『鳥山明 the world』90-91頁。
  13. ^ 「徹子の部屋」出演時の発言より
    鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その3」『鳥山明○作劇場Vol.2』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1988年3月15日、ISBN 4-08-851469-6、94頁。
  14. ^ 鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その5」『鳥山明○作劇場Vol.2』166頁
  15. ^ 鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その5」『鳥山明○作劇場Vol.2』184頁
  16. ^ サンケイスポーツ特別版『ドラゴンボールZ 復活の「F」新聞』の鳥嶋和彦のコメントより。
  17. ^ 『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』pp.280
  18. ^ a b c d 「神龍通信 第1号 歴代担当者座談会」『ドラゴンボール大全集1巻』別冊付録、集英社、1995年。
  19. ^ 鳥山明「わたしはこうしてマンガ家になってしまった その6」『鳥山明○作劇場Vol.2』184頁。
  20. ^ 鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(2)ワンダー・アイランド2 ギャル刑事トマトをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1983年7月15日、ISBN 4-08-851261-8、36頁。
  21. ^ 『Dr.スランプ』11巻、48ページ
  22. ^ 鳥山明「-あのころは青かった-これをかいていたころのわし(1)ワンダー・アイランドをかいていたころ」『鳥山明○作劇場Vol.1』20頁。
  23. ^ 『Dr.スランプ』16巻、48ページ
  24. ^ amazon.com
  25. ^ 「ずっこけアラレちゃん まじめアトムKO TVアニメホヨヨー人気の秘密」『中日新聞』1981年12月4日夕刊。
  26. ^ a b 「集英社、コミック単行本『Dr.スランプ』絶好調──第6巻初版220万部、業界新」『日経産業新聞』1981年12月21日付、4頁。
  27. ^ 『Dr.スランプ』16巻34ページ
  28. ^ 『Dr.スランプ』9巻作者コメント
  29. ^ a b ジャンプ・コミック出版編集部編「THE SECRET IN Z 知られざる『Z』」『テレビアニメ完全カイド「DRAGONBALL Z」孫悟空伝説』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2003年10月8日、ISBN 4-08-873546-3、198-199頁。
  30. ^ a b ドクタースラン 公式サイト 作品解説
  31. ^ 同誌あとがき
  32. ^ a b c d e ジャンプ・コミック出版編集部編「鳥山明 WITH DRAGON BALL」『ドラゴンボール完全版公式ガイド Dragonball FOREVER 人造人間編〜魔人ブウ編 ALL BOUTS & CHARACTERS』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、2004年5月5日、ISBN 4-08-873702-4、146-155頁。
  33. ^ 渡辺彰則編「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール大全集4巻』集英社、1995年10月9日、ISBN 4-08-782754-2、166頁。
  34. ^ ジャンプ・コミック出版編集部編『DRAGON BALL 超エキサイティングガイド ストーリー編』91頁。
  35. ^ a b 『ジャンプ流! 秘伝ガイド Vol.01 まるごと鳥山明』 集英社、2015年、18頁。
  36. ^ a b 月刊アウト」1982年3月号 52ページ
  37. ^ 『30th Anniversary ドラゴンボール超史集』集英社、2016年1月26日、ISBN 978-4087925050、71頁。
  38. ^ a b 『ドラゴンボール大全集』1巻「鳥山明的超会見」
  39. ^ 「神龍通信 第2号 歴代担当者+鳥山明座談会」『ドラゴンボール大全集2巻』別冊付録、集英社、1995年。
  40. ^ 『Dr.スランプ』14巻、145ページ
  41. ^ 『Dr.スランプ』14巻、作者コメント
  42. ^ 『Dr.スランプ』12巻、作者コメント
  43. ^ 週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』139ページ
  44. ^ 「鳥山明に聞いてみた!2013」『ドラゴンボール超全集1巻』29頁。
  45. ^ 『Dr.スランプ』14巻、62ページ
  46. ^ a b 「鳥山明的超会見」『ドラゴンボール超画集』225頁。
  47. ^ 「鳥山明も振り返ってみたDRAGONBALL!!」『ドラゴンボール超全集4巻』集英社、2013年5月9日、ISBN 4-08-782499-3、348頁。
  48. ^ 『Dr.スランプ』16巻、130ページ
  49. ^ 週刊少年ジャンプ特別編集「巻頭特別袋とじ企画 鳥山明スペシャル」『ドラゴンボールZ アニメ・スペシャル』8-9頁。『鳥山明 満漢全席』1に収録
  50. ^ 「大全集1に掲載されなかった貴重なイラスト達 鳥山明先生の天下一漫画指南!!」『ドラゴンボール大全集7巻』集英社、1996年2月25日、168頁。
  51. ^ 週刊少年ジャンプ特別編集「超アニメ人座談会」『DRAGON BALL Z アニメ・スペシャルII』101頁。
  52. ^ a b 『ドラゴンボール大全集2巻』262-265頁。
  53. ^ 『ドラゴンボール大全集5巻』207頁。
  54. ^ MEN'S NON-NO』2014年1月号、集英社、186頁。
  55. ^ 『ドラゴンボール大全集2巻』13頁。
  56. ^ 「タミヤニュース 人形改造作品集14」1986年
  57. ^ 「月刊アウト」1982年3月号 51-54ページ
  58. ^ 鳥山明『ドラゴンボール 第18巻』集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1989年7月15日、ISBN 978-4-08-851615-8、カバー折り返し・作者コメント
  59. ^ a b c 週刊少年ジャンプ特別編集『DRAGON BALL 冒険SPECIAL』140ページ
  60. ^ 「神龍通信 第4号 仕事道具紹介」『ドラゴンボール大全集4巻』別冊付録、集英社、1995年。
  61. ^ 『Dr.スランプ』11巻、110ページ
  62. ^ 『ドラゴンボール大全集3巻』207ページ
  63. ^ 「神龍通信 第1号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集1巻』別冊付録、集英社、1995年。
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  81. ^ 「神龍通信 第7号」『ドラゴンボール大全集7巻』別冊付録、集英社、1996年。
  82. ^ 「神龍通信 第3号 ちかごろのワシ」『ドラゴンボール大全集3巻』別冊付録、集英社、1995年。
  83. ^ 『桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ』集英社〈ヤングジャンプ・コミックス〉、194頁。
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  87. ^ 1424シアターブラッツ 2015年8月14日
  88. ^ 『DRAGON BALL GTパーフェクトファイル Vol.1』より。
  89. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2013年5月号より。
  90. ^ アニメージュ2006年4月号より。
  91. ^ 『DRAGON BALL大全集』第1巻より。

外部リンク

関連項目