花火

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諏訪湖祭湖上花火大会
打ち上げ花火
Fireworks closer view[訳語疑問点]
の風物詩 花火大会(兵庫県滝野町夏祭り

花火(はなび)は、火薬金属の粉末を混ぜて包んだもので、火を付け、燃焼・破裂時の音や火花の色、形状などを鑑賞する。火花に色をつけるために金属の炎色反応を利用しており、混ぜ合わせる金属の種類によってさまざまな色合いの火花を出すことができる。原則として野外で使用する。

多くの場合は火薬が爆発・燃焼した時に飛び散る火の粉の色や形を楽しむが、ロケット花火やへび花火、パラシュート花火のように、火薬の燃焼以外を楽しむものもある。

日本では、の夜の風物詩とされている。一部の自治体では大規模な花火の打ち揚げを「花火大会」と称して行っている。大会の時期は7、8月に集中している。花火大会のほか、イベントなどの開催を告げるため、また、祝砲のかわりにも使われる。

英語では、fireworksという。近年は「華火」の字を当て字として使用している例も稀にある。

花火の種類

日本では、大きく分け、取り扱いや打ち上げに許可が必要な大型の打上花火(法令上の用語は煙火)と、玩具店などで販売され、家庭などで消費される小型のおもちゃ花火(法令上の用語は玩具花火)に分けられる。花火玩具は誰でも使用できるが、打上花火(煙火)の点火作業を行うことが出来るのは、日本煙火協会が発行する「煙火消費保安手帳」を所持した煙火消費従事者に限られるため、(後述の音物も含め)一般の者は使用することが出来ない。

法令上は、花火と煙火は異なるが、煙火は一般的な用語でないため、本項目内では花火に統一する。日本煙火協会ウェブサイト内でも、一般向けの表記は「花火」にほぼ統一されている。

打上花火

鹿児島市、かごしま錦江湾サマーナイト大花火大会
お台場レインボー花火
佐倉の花火

火薬を球状に成形した「星」を詰めた紙製の球体「玉」を打ち上げる花火である。上方を向いた円筒の底に発射薬を敷きその上に玉を置き打ち上げに備える。打ち上げは「投げ込み」と呼ぶ火種を円筒上方の射出口から投げ入れて発射薬に点火する。打ち上げと同時に玉から出ている導火線に引火し、玉は所定の高さまで上昇しながら導火線が燃え玉内部の割火薬に到達し玉が破裂し星に引火・飛散する。玉の大きさ(花火の高さ)によって発射薬の量と導火線の長さが調整・選定される。玉の破裂後、星には光の尾を引きながら燃焼するもの、落下途中で破裂するもの、色が変化するものなど様々なタイプがある。玉の内部に星を均一に詰めることが重要であるが、詳細な技術は花火師の秘伝とされる。

現在[いつ?]の打上花火の主流は、打ち揚げ時に光が同心円状に広がるものが多く、花火玉そのものの形も球形をしている。これに対し、初期の花火は打ち揚げても円状にはならず、花火そのものの形も円筒形のものが多かった。円筒形の花火は、球形に比べ、火薬量などを増やすことができ、華やかな光や色を出すことが可能であるが、破裂途中で色の変化をさせることは困難だとされる。かつて、日本の花火も同心円状に広がるものの製造は困難で、一部の武家花火師のみの秘伝とされていたといわれるが、明治期に鍵屋十二代目弥兵衛が技術を取得し、以後、円形の花火が多く作られるようになったとされる。

打上花火は昼花火、夜花火に分けられるが、タイプとして大きく、「割物」、「ポカ物」、「型物」などに分類される。

割物
代表的な打上花火で、破裂したときに星が球状に飛散する。中でも星がの花のように尾を引いて広がるものを「菊物」、尾を引かないものを牡丹に喩えて「ボタン物」とよぶ。また、二重の球状に広がるものを「芯物」という。
ポカ物
星が飛散しない。ランダムな方向に星が飛んでいく「蜂」などがある。
型物
割物の変形で、土星などの形に星が飛散する。
音物
俗に「のろし」「合図花火」等と呼ばれているもの。運動会など様々なイベントの開催の合図に使用されている。3回連続で音が鳴る「3段雷」と5回鳴る「5段雷」が主に使われている。
袋物・吊物など
和紙など薄紙で袋状に作った人形や、パラシュートに吊った煙玉・旗などがゆっくりと落ちてくる昼花火。特定条件下以外の打ち上げが禁止されている。「袋物」は花火師の平山甚太が1883年にアメリカで特許を取得しているが、これが日本人がアメリカで取得した初の特許である[1]

伝統的に打上花火の「玉」の大きさはであらわされる。直径約6.06cmの二寸玉(2号玉)から直径約60.6cmの二尺玉(20号玉)、さらに三尺玉(30号玉)、四尺玉(40号玉)まである。二尺玉は直径約500m程度、世界最大といわれている四尺玉は直径約800m程度まで広がる。ただし、この号数表記は打ち揚げ筒(内側)の太さであって、実際の花火玉の直径はこれよりも若干小さくなる。具体的には、20号玉の直径は60cmではなく約57cmである。また、最近[いつ?]開発された世界最小の打ち上げ花火は、玉の直径1cm、打ちあげる距離は2m。ただし、まだ開発段階のため、実用化されていない。

世界の果てまでイッテQ!』の企画で、開花時の直径が推定1kmになる花火玉(四尺三寸大千輪)を作り打ち上げた。しかし、花火玉自体が重過ぎたために上昇せず水中で爆発、失敗に終わった。

代表的な打上花火である「割物」の鑑賞のポイントとして以下のようなものがある。

  • 玉の座りがしっかりしているか。玉が昇りつめた点で開いていることを「玉の座りがしっかりしている」という。きれいに広がるための重要なポイントである。
  • 盆が取れているか。星が盆のように真ん丸に見えているか。
  • 消え口が揃っているか。星の色が一斉に変化し、一斉に消えているかである。ただし、わざと消え口をずらしている花火もある。
  • 星がまんべんなく広がり、歯抜けになっていないか。
  • 星の発色が良く、はっきりとした色が出ているか。さらに、星をどのように配色するかは花火師の個性が発揮される重要なポイントである。

仕掛花火

市島川裾祭のナイアガラ(丹波市市島町竹田川

複数の花火を利用するなど作為的に仕掛けを施した花火。

枠仕掛
速火線で連結した焔管(えんかん)を、木や鉄パイプ等で文字や絵を型どった枠上に並べて配置し、点火によって焔管が一斉に燃焼することにより、数分程度文字を浮かび上がらせるもの。
網仕掛(ナイアガラ)
速火線で連結した焔管を数から数十メートルに渡り一列に吊し、点火によって焔管から火の粉が一斉に流れ落ちるもの。一部花火大会では2000mに及ぶものも存在する。ナイアガラ滝から。
スターマイン
速射連発花火。打上花火の玉や、星、笛等を順序よく配置し、速火線で連結し、高速で次々と連続して打ち揚げるもの。枠仕掛けの最後に裏打ちとして使用されることもある。主に2号玉(約6cm)から4号玉(約14cm)の玉が用いられる。これらの制御にパソコンや電子式リレーを多用しているものは「デジタルスターマイン」などと呼ぶことがある。
立火仕掛
星を連発で打ち揚げる「乱玉」、筒に詰めた火薬により火の粉を噴出させる「噴水」(別名「三国」)の二種がある。「噴水」のうち、手持ちや抱えたまま噴出させるものは「手筒」という。
車花火
円盤等の周りに火薬を詰めた筒を配置し、火薬の噴射推進力により円盤を回転させ、火の粉を円状に噴出させるもの。
流星(龍勢)、ロケット
竹筒等に火薬を詰めた筒を取り付け、火薬の噴射推進力により、上空へ打ち出すもの。
ケーブル花火
ロケットをロープで吊し、火薬の噴射推進力によりロープに沿って走るもの。枠仕掛の点火用に使用されることもある。
海上自爆
花火を打ち上げるのではなく、海上に浮かべた筏などの台舟に「玉」を設置し、遠隔操作で点火するものである。本来、球形に展開する花火が海面上でしか開かず下半分は海面に映ったものとなるが、遠方から見るとあたかも普通の花火のように見える。湖上でも行われる。近年[いつ?]の遠隔操作技術の向上により、各地で見られるようになった。

おもちゃ花火

駄菓子屋で売られている玩具花火 (三浦市にて)

かつては玩具花火とも呼ばれたが、日本煙火協会での表記はこちらに統一されている。購入や使用に免許が不要な花火の総称で、線香花火のような手で持つものが代表的なものであるが、小型ではあっても打上花火になっていて、筒があって上空で破裂するものも存在する。日本では日本煙火協会が出荷品の検査を行っており、合格したものには「SFマーク」がつけられる。

手持ち玩具花火。ホームセンターなどで手軽に入手可能。

おもちゃ屋などで単品で発売されることも多いが、大抵は一つの種類の数本入りから複数種類の花火100本くらいを詰め合わせにしたものが、晩春から初秋にかけてスーパーマーケットホームセンター駄菓子屋などで売られている。

帰省旅行の際、旅先で使うために出発前に購入したり、使い切れなかった花火を自宅に持ち帰ったりすることがあるが、花火を携行して交通機関を利用する場合、持ち込みに禁止や制限があるので注意を要する。航空機を利用して旅行する場合、安全上の理由から少量であっても機内への持込みも受託手荷物の取り扱いも出来ない[2]。列車・バスを利用する場合、少量の持ち込みはできるが、持ち込める量に制限がある[3]。また、宅配便での発送はできない[4]

ねずみ花火
炎を吹き出すタイプのひも状の花火を、円形に組んだもの。火を点けて炎が吹き出すと重心に対して回転を与える向きの力がかかるため、地面に置かれた場合、高速に回転してその勢いで地面をはい回る。円形の炎がシュシュッと音を立ててはい回る様がネズミに喩えられたためにこの名がある。最後にパンとはじけるような仕掛けを施されたものが一般的。最近[いつ?]は使い方が分からない人が多く、やけどをする人も珍しくないようである。
コマ花火
ねずみ花火の応用型で、本体が独楽(こま)状になっている。ねずみ花火よりも高速に回転できるため、うなるような音を立てて地面上で回転する。
UFO花火
コマ花火の応用系。扇風機の様な小型のフィンがついているため回転と同時にフィンに風を受け上昇する。平らな所に置かないと予想しない方向に飛んだりするので、注意が必要。
線香花火
線香花火
日本の夏の情緒を代表する花火である。こよりや細い竹ひごの先端に火薬を付けた花火。火を付けると火薬が丸くなり、小さな火花を散らすようになる。燃え方に様々な名前が付いている。現在[いつ?]でも開発が行われている。最も長く安定させて燃えさせるには45度の角度に傾けた方が良いとも言われている。
ロケット花火
打ち揚げ式の花火。などを発射台にする。打ち揚げ後破裂するものと破裂しないもの、曳光の有るもの無いものがある。破裂しない物の場合は打ち揚げ時の大きな音を出すように改良されているものが多い。燃えカスが回収できないという問題があるため、海岸での使用を禁止している自治体も存在する。
こうもり花火
基本的にはロケット花火と変わらないが、コウモリのような羽がついており、真上に急上昇、柄が無いなどの特徴がある。地方によって名称の違いあり。
パラシュート花火(袋物)
打上花火の一種で、昼花火の一種でもある。上空で破裂した玉の中に袋が入っており、万国旗やパラシュートが降りてくる仕組み。おもちゃ花火で小さなものが若干生産されている。1931年に細谷火工(現在[いつ?]ホソヤエンタープライズの名で花火部門が独立)によって製造されたものが始まりとされる。電線にひっかかるなどの障害が生じるため、打ち上げの際には注意が必要。
噴出花火
紙製の筒から火花を噴水のように吹き上げるもの。この手の花火に花火メーカーが「ドラゴン」と銘打っているものが多いことからドラゴン花火とも。[要出典]地面に置いて、導火線に点火して使う。手持ち用として小パイプほどの太さに改良されたものもあるが、無論人に向けてはならない。
発破
長さ数センチの小型の花火。多くの場合複数の爆竹が導火線によって結びつけられており連続して爆発するようになっている。花火としての歴史は古く、もっとも古い種類の花火とする説もある。中国系文化圏では、旧正月などを祝うために使われる。別名、ダイナマイト。
クラッカー
長さ10cm程度の小型花火。発破同様、音を楽しむ花火であるが発破とは異なり単体で使用する。導火線は無く、代わりに筒の先端に有る火薬が導火線の役目を果たしている。点火後5秒程度で破裂する。
蛇花火
火をつけるとヘビのように燃えかすが伸びる花火。色は黒。地方によって名称の違いあり。
煙花火(煙玉)
球体をしたもの(玉のはさまざま)。花火の一種。火をつけるとその名のとおり煙を吹く。殆どが色の付いた煙を出す。もっぱら花火の使われ方より、その特性から悪戯などに使われるのが非常に多い。地方によって名称の違いあり。
癇癪玉(かんしゃくだま)
踏んだり、物に当てたりするとがなる。パチンコなどで飛ばすことが多い。クラッカーボールと呼ぶ場合もある。
これを大型化したものが、異常時に線路上にセットし、列車が通過すると爆音を発して緊急停止を促す信号雷管である。
紙火薬
遊戯銃、あるいは陸上競技のスタート用のピストルなどに使用され、火薬部分に打撃が加わると発火し、火花と破裂音を放つ。小粒な火薬を赤い巻紙に等間隔で配置したものを巻玉火薬、ミシン目の入った赤色または黄色のシートにやや大きめの火薬を配置したものを平玉火薬と呼ぶ。大量にまとめて使われる危険性があるため、後述のキャップ火薬の普及により淘汰されつつある。
キャップ火薬
キャップ火薬
主に遊戯銃に使用される、プラスチック製のキャップに紙火薬同様の火薬を詰めたもの。過剰装てんなどのおそれがなく、紙火薬より取り扱いが容易かつ発火も確実である。特にモデルガンに使用されるものは、作動を確実にするために厳密に調整されており、価格も高い。種類は、直径5mmと7mmの2種類ある。

炎の色

炎色反応を用いて多種多様な色を花火に持たせることができる(第352回筑後川花火大会

原子励起した時に電子が外側の軌道に移り、元の軌道に戻る時に放出されるエネルギーに応じた色の光を放出する炎色反応を応用している。添加される元素はアルカリ金属、アルカリ土類金属が多く用いられる。

歴史

紀元前3世紀中国爆竹が使用されたのが起源だという説もあるが、最初期の花火は6世紀、中国で火薬が使われるようになるのとほぼ同時期に作られはじめたと考えられている。ただし、10世紀まで花火は存在しなかったという主張もあるが、いずれにしても発明の地は中国であったとされる。最初期のものは、例えばロケット花火に似たものを敵陣に打ち込んで火事を起こしたり相手を威嚇したりといった、武器との区別がはっきりしないものもあった。

ヨーロッパでの歴史

ヨーロッパに伝わったのは13世紀以降で、初期のものは祝砲の音を大きくしたり、煙に色などがつくようにしたものだったと考えられる。ヨーロッパでの主な生産地はイタリアで、火薬と花火製造がさかんに行われた。この時代、ヨーロッパの花火は主に王侯貴族のものであり、王の権力を誇示するため王が催すイベントなどで揚げられた。ロケットを除く打上花火はイタリアで開発されたという説もある。

16世紀になるとイングランドで花火の技術が大きく進歩する。1532年ヘンリー8世は王室軍隊の花火師を徴用するための規則を定め、戴冠式や王室の結婚式誕生日などでテムズ川で水上花火を楽しんだという記録がある。

また17世紀になるとポーランドスウェーデンデンマークなどに花火学校が設立され、体系的な知識を有す専門的な花火師集団が形成されていった。イングランドのジェームズ1世はデンマークから技術者を招聘し、娘エリザベスの結婚式を花火で盛大に祝った。また1672年にはウリッジ兵器廠に花火研究所が設立され、1683年には花火に関するテキストが刊行されるなど、花火技術は漸次発展していった。

日本での歴史

歌川広重『名所江戸百景』に描かれた19世紀中頃の両国花火

日本において花火の初使用が、いつ、どこで、どんな機会に行われたのかは定かでない。

古い記録としては、室町時代の公家万里小路時房の日記『建内記(建聖院内府記)』の1447年5月5日文安4年3月21日)条に、浄華院における法事の後に境内にて「唐人」が花火と考えられる「風流事」を行ったという記事が見えている。そこでは、竹で枠を作り、火で「薄・桔梗・仙翁花・水車」などの形を表現したもの、火が縄を伝って行き来するといったものや、「鼠」と称し火を付けると「走廻」るもの、手に持って火を付けると空中を「流星」のように飛ぶもの、などが披露されたという。時房は「希代之火術也」と賞賛し、褒美を与えている。

この時代は足利義満の死後途絶えていた日明貿易足利義教によって再開されており、花火も大陸から持ち込まれていたことがわかる。

16世紀鉄砲伝来以降は日本でも花火が製造されるようになったとされているが、以後も宣教師や「唐人」といった外国人の手による花火の記録が多く見られる。1582年4月14日天正10年3月22日)にポルトガル人のイエズス会宣教師が現在の大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録(『イエズス会日本年報』『フロイス日本史』)や、伊達政宗が居城の米沢城で、1589年8月17日(天正17年7月7日)夜、「大唐人」による花火を見物したというもの(『貞山公治家記録』、『伊達天正日記』など)、1613年徳川家康駿府城内で外国人の行った花火を見物したという記事(『駿府政事録』)などがある(但し政宗の記事は元禄頃の編纂資料によるものであり、家康の記事と酷似するなど問題が指摘されている)。

こうした外国人による花火の技術を学び日本でも独自に花火が作られたと考えられるが、その最初はよくわかっていない。1585年に、現在の栃木県栃木市で、皆川山城守佐竹衆が戦のなぐさみに花火を立てたという説もあるが、戦の最中に当時貴重だった火薬をそのようなことに使うはずがないという主張もされている。

太田牛一著『信長公記』巻十四に見える1581年2月18日(天正9年正月15日)のところに「御爆竹の事」に見える「御爆竹」を花火の爆竹であるとし、安土城下で爆竹(花火の一種)の製作されたと考える説もあるが、これは竹を燃やして音を立てる小正月の催しの一つとして少なくとも鎌倉時代から行われているものであり、火薬を使用した花火であったかどうかは即断できない。

ただし、この頃には鉄砲に使用する需要から火薬の大量生産がおこなわれるようになっており、日本独自の花火の製作も行われていたことであろう。

『駿府政事録』『宮中秘策』『武徳編年集成』等の書物によれば現代の花火に繋がる花火を一番初めに見たのは徳川家康とされる。1613年8月、英国人ジョン・セーリスが国王ジェームズ1世の国書をたずさえ正式な使者として駿府城を訪れた際、花火を見せたとされる。徳川発祥の地である岡崎を中心とした三河地方は江戸時代、徳川幕府によって唯一火薬の製造・貯蔵を公式に許可されていた土地である。そのような歴史もあり花火は昔から岡崎を中心とした三河地方に普及発達し、全国に三河花火の名をほしいままにした。その名残か現在においても三河・遠州地方周辺は全国的にみて煙火の製造業や問屋が多く集積している。

江戸時代になり、戦がなくなると、花火を専門に扱う火薬屋が登場した。1648年には幕府隅田川以外での花火の禁止の触れを出しており、花火は当時から人気があったとされる。当時のものは、おもちゃ花火であったと考えられる。1712年頃出版された『和漢三才図会』(寺島良安著、江戸時代の図入り百科事典)には、鼠花火、狼煙花火[5]などが紹介されている。

慶案元年(1648年)、寛文5年(1665年)、寛文10年(1670年)などにも花火禁止令がだされ、江戸中では、花火は全く行われないようになり、漸次地方へ移っていった。打ち上げ事故がおき、禁令がだされるということを繰り返したようである。

2013年時点で現存する日本で最も古い花火業者は、東京(当時の江戸)の宗家花火鍵屋であり、1659年に初代弥兵衛がおもちゃ花火を売り出した。

鍵屋初代弥兵衛は大和国篠原(奈良県吉野郡)出身であり、幼少の頃から花火作りに長けていたと言う。1659年、江戸に出てきた弥兵衛は葦の中にを入れた玩具花火を売り出した。弥兵衛はその後研究を続け、両国横山町に店を構え、「鍵屋」を屋号として代々世襲するようになった。

その後大型花火の研究を進め、1717年には水神祭りに合わせて献上花火を打ち上げている。1733年畿内を中心に飢饉に見舞われ、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われている。

鍵屋と並んで江戸の花火を代表したのが玉屋である。玉屋は六台目の鍵屋の手代であった清吉が1810年に暖簾分けをし、市兵衛と改名の上、両国広小路吉川町に店を構えたのが始まりである[6]

このように鍵屋、玉屋の二大花火師の時代を迎えるようになった江戸では、両国の川開きは、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持つようになった。「たーまーやー」「かーぎーやー」というかけ声が生み出された[7]。当時の浮世絵を見ると玉屋の花火は多く描かれており、また「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情(じょう)なし」(「情」と鍵屋の「錠」をかけている)という歌や「玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい」という川柳が残っていることからも、玉屋の人気が鍵屋をしのいでいたと考えられる。しかし1843年5月16日天保14年4月17日)、玉屋から失火、店のみならず半町(約1500坪)ほどの町並みを焼くという騒動があった。当時失火は重罪と定められており、また偶然将軍家慶東照宮参拝出立の前夜であったことから厳しい処分が下され、玉屋は闕所(財産没収)、市兵衛は江戸お構い(追放)となってしまい、僅か一代で家名断絶となってしまった。

当時は、鍵屋のような花火専門業者の花火は町人花火と呼ばれた。このほか、大名らが配下の火薬職人らに命じ、競って隅田川で花火を揚げたという。これらの花火は武家花火と呼ばれる。特に、火薬製造が規制されなかった尾張藩紀州藩水戸藩の3つの徳川御三家の花火は御三家花火と呼ばれ、江戸町人らに人気があった。また仙台の伊達家の武家花火も、伊達政宗以来の豪放な藩風を反映させ、仙台河岸の花火として江戸町人の人気を得、見物人が大挙押しかけ、藩邸近くの萬年橋の欄干が折れるという事故まで発生している。武家花火は、戦に用いる信号弾のようなものが進化したもので、狼煙花火と呼ばれ、いわば垂直方向に着目した花火であり、色や形を楽しむ仕掛け花火を中心とした、いわば平面に特化した町人花火とは方向性が異なった。この方向の違いを共に取り入れたのが現代の日本の花火技術である。

日本煙火芸術協会創立者で煙火に関する書物を数多く著した花火師の武藤輝彦(1921年 - 2002年)によれば、打揚花火は、1751年に開発されたとされている。それ以前の花火は、煙や炎が噴き出す花火であったと考えられている。

鍵屋は第二次世界大戦期に十三代天野太道が花火製造を取りやめ、2013年現在は打ち上げ専業業者となっている。

花火に関しては特に江戸での記録が多く残っているが、これ以外の地方で花火が製造されなかったわけではない。特に、外国と交易のあった九州と、長野愛知などでは、江戸時代から花火が作られていた。特に、三河国岡崎地方(愛知県岡崎市付近)は徳川家康の出身地ということで、火薬に関する規制が緩やかであり、江戸時代から町人が競って花火を製造した。2013年現在も岡崎周辺におもちゃ花火問屋が多いのはこの名残だといわれる。これ以外の日本国内での花火の主な産地は長野県、新潟県秋田県茨城県で、徳川家にゆかりのある地方が多い。

明治時代になると、海外から塩素酸カリウムアルミニウムマグネシウム炭酸ストロンチウム硝酸バリウムといった多くの薬品が輸入され、それまで出せなかった色を出すことができるようになったばかりか、明るさも大きく変化した。これらの物質の輸入開始は1879年から1887年にかけて段階的に行われ、日本の花火の形は大きく変化した。これ以前の技術で作られた花火を和火、これ以後のものを洋火と言い分けることもある。

新たな薬品によって多彩な色彩を持つ鮮やかな花火が誕生した反面、化学薬品に対する知識不足から相当な事故が発生したのも明治時代である。特に塩素酸カリウムは他の酸性薬品と混合すると不安定になり、僅かな衝撃でも爆発する危険性が高まる性質を有しており、和火時代の酸化剤として使用していた硝石と同様に扱った場合重大な事故を招く結果となった。

多彩な色彩を持った洋火を大規模に打ち上げた記録としては、1889年2月11日大日本帝国憲法発布の祝賀行事で、二重橋から打ち上げたものである。

それまで、花火の製造は打ち揚げには何の免許も規制も存在しなかったが、1910年に許可制となった。これ以前の地方の花火は、農家などが趣味で製造しているものが多かったが、この後、化学知識を駆使する必要から花火師の専業化が進むことになる。

大正期には発光剤としてのマグネシウムアルミニウムなどの金属粉が登場し、夜空により鮮やかに大輪の華を咲かせられるようになり、また塩素酸カリウムに鶏冠石を混合した赤爆を編み出し、大きな発音効果を有す花火が完成していった。

このように順調に技術を発展させていった花火であるが、昭和に入り戦火が拡大する世界情勢で停滞期を迎えることになる。花火製造は禁止はされないかわりに高い物品税がかけられたが、それでも当初は出征兵士壮行の花火や、英霊を迎える慰霊花火など、慰霊祭や戦勝祈願の花火が上げられていた。しかし戦火の拡大により隅田川川開きの花火大会も1937年に中止となった。そんな中、花火製造業者は防空演習で使用する発煙筒や焼夷筒(焼夷弾の音を再現する)を製造していた。

敗戦後は1945年9月長野市諏訪神社で花火が揚げられるが、翌10月連合国軍総司令部 (GHQ)により火薬製造が禁じられた。しかし、1946年7月4日には、各地のアメリカ軍基地で日本業者がアメリカ独立祭の打ち揚げ花火を揚げ、戦後初の花火大会として1946年9月29日30日土浦市で開催された第14回全国煙火競技大会(後に土浦全国花火競技大会となる)、1947年の新憲法施行記念で皇居前広場(皇居前広場では最後の花火打ち上げとなった)などが行われた。

日本の花火製造業者の粘り強い説得により、1948年にはGHQが在庫花火の消費を許可、これを受け両国花火組合主催、読売新聞社が後援、丸玉屋小勝煙火店が単独で打ち上げる、両国川開きの花火大会が1948年8月1日に復活した。この時は打ち上げ許可量僅か600発であったが、平和な時代の大輪の華に70万人の観客があった(『両国川開年表』)。

敗戦後はおもちゃ花火を含め、日本の花火は海外に多く輸出されたが、2013年現在は中国からの輸入量の方が多く、輸出は激減している。多くの花火業者は、2013年現在でも地元に根付いた零細・中小企業であり、技術を親の手から子の手へと伝える世襲制をとっている。

経済

消費季節

日本では、花火の消費は夏に集中しており、そのほかの季節は需要が少ない。これは、花火が川開きに使用されていた名残だといわれている。一方、諸外国では冬をピークに年間を通じて消費されており、日本でも2000年代以降では、自治体の緊縮財政などで消費が伸び悩んでいる打ち上げ花火を中心に、年間を通した小口での販売を行う業者が出てきている。

価格

花火の種類、複雑さ、花火師により価格が大きく異なるが、一般的な打ち上げ花火の一発あたりの相場は

  • 3号玉が約3,400円
  • 5号玉が約1万円
  • 10号玉が約6万円
  • 20号玉が約55万円
  • 正三尺玉が約150万円
  • 正四尺玉が約260万円

となっている。

伝統花火

主に歴史のある花火を紹介する。この中には手筒花火の様に地方公演も行うなど地域交流の1つともなっているものもある。

松下流綱火(茨城県つくばみらい市
別名をからくり人形仕掛花火ともいう。1603年小張藩主となった松下重綱が戦勝祝いなど陣中で行ったのが始まりとされる。江戸時代になると火難除けと五穀豊穣を祈って愛宕神社に奉納するようになった。
小張松下流綱火は民族芸能の人形芝居と花火を組み合わせた珍しい行事であり、高さ10m程度の柱を3本立て、3本の大綱を中心に綱を張り巡らし、人形を操作するための櫓を組み、お囃子に合わせて人形を操りながら仕掛け花火で人形の姿を照らすというものである。
上演外題は源平盛衰記桃太郎安珍清姫日高川場などであり、お囃子も松下以外にも、巫女舞、繰こみ、三番臾など外題によって様々である。
人形は外題により上演ごとに藁を束ねたものを使用する。また仕掛け花火の火薬の調合は、1807年の文書『万華火本』が現存[いつ?]しており、それに従った製法が守られている。
高岡流綱火(茨城県つくばみらい市)
「綱火」は、あやつり人形と仕掛花火を結合させ、空中に張り巡らせた綱を操作し、お囃子に合わせて人形をあやつるもので、別名をあやつり人形仕掛花火とも言う。その歴史は古く慶長年間から続いており、それを中止すると村内は不幸に見舞われると言われている。
この綱火の起源について確かな記録は残っていないが、慶長年間の愛宕神社祭礼当日、黒蜘蛛と赤蜘蛛の空中での巣作りをみて、その動作から暗示を得て、藁で人形を作り、空中で演技をさせるようになったという。
その後このあやつり人形にたいまつや提灯をつけるようになり、火薬の伝来とともに花火の製造技術を研究し、人形に取り付け神社に奉納し、村内の安全を祈願したといわれる。現在[いつ?]は高岡地区に住む長男だけで組織される更進団により伝統が守られている。
秩父龍勢花火(埼玉県秩父市
天正年間に始まったといわれる秩父市下吉田、椋神社秋の大祭に奉納される手造りの花火。長さ約15mのロケット花火が300 - 500mの高さまで打ち上げる。
三河手筒花火(愛知県豊橋市東三河
直径約10cm、長さは70-80cmの青竹の節をくりぬき、周囲を麻縄で巻きつけた手筒を使用した花火である。氏神に奉納する前日に内部には火薬をたたき詰め、奉納の当日は若衆が脇腹に抱えて点火する。すると炎が時には10メートルを超えて噴出すという勇壮なものである。
手力雄煙火(岐阜県長森)
毎年5月、9月、11月に方策を祈って手力雄命(たぢからおのみこと。手力男命とも)に奉納する花火である。神輿に取り付けた手筒花火や、舞火、滝花火などの種類がある。
流星(滋賀県米原市・近江他)
関ヶ原の戦いの際、関ヶ原から石田三成が本陣を構えた佐和山まで狼煙花火で連絡を取っていたのを真似て今日に伝えたと言われている。
流星で使用されているのは日本の伝統的な黒色火薬であるが、集落ごとに配合が異なり流派を形成している。
篠田の花火(滋賀県近江八幡市
江戸中期に起源を持つ花火である。硝石と明礬を配合した上で糊を加え、板に絵や文字を描き、それを櫓に取り付けて火を放つというものである。
成羽愛宕神社奉納花火(岡山県成羽)
1704年成羽領主の山崎義方が愛宕神社の勧請のための奉納花火を催したことに由来する花火大会である。

花火大会一覧

日本の花火大会一覧を参照。

日本の制度

法規制

演劇や映画などで演出や効果の一環として流される煙(スモーク)や、パーティーなどで音とともに紙テープなどが飛ぶクラッカーも、法令上、花火(煙火)に含まれる。

火薬類取締法
製造から消費までが規制されている。打上花火を揚げるには、各都道府県知事による煙火消費許可が必要であり、申請には一般人から俗に花火師と呼ばれる煙火店所属の技能認定証明である日本煙火協会発行の煙火消費保安手帳を保持した「煙火打揚従事者」を記載する。一定量以下の消費であれば許可は必要ないものの、玩具煙火でない限り各自治体に対し消費届けを提出する事になっている。一般人の取り扱いは不可能に近い。
消防法
危険物の扱いを受ける。
航空法
打ち上げる花火が到達する空域によっては、打ち上げが禁止される場合、または打ち上げる場合に事前に国土交通大臣への届出が必要な場合がある(制限表面も参照)。

花火の日

戦後、花火が解禁された1948年8月1日の記念に、東京本所厩橋で大規模な花火爆発事故の起きた1955年8月1日の追悼、世界最大ともいわれる教祖祭PL花火芸術の開催日8月1日の記念を兼ね、花火の日が8月1日に制定された(1967年制定)。このほか両国川開きが旧暦5月28日であったことから、5月28日も花火の日となっている。

花火の事故

花火の事故としては、花火工場における製造過程での事故と花火大会における実演時の事故とに大きく分けられる。花火大会における事故は、花火の危険性だけでなく、群集事故など多くの観客が集まるために起こりうる事故を防ぐために事前にさまざまな予防措置が運営側によって施されるようになっているが、まだまだ防ぎ切れていない。また、家庭で行なわれる花火でも、火薬の危険性を十分認識していない児童が遊戯の主体であるため、取り扱い時の不注意や、ふざけて人、動物、物に向けるなど危険な行為を行なう[8]ことによって、事故を起こしがちである。また、遊戯後の火の不始末による火災の危険性もある。

家庭、公園等の個人で花火をするときは、バケツなどに水を汲むなどしていつでも消火できる環境にして遊び、燃え尽きた後の花火はきちんと水で消火を行い、十分に鎮火したことを確認したあと処理すること。また、小さい子供だけ等の成人した管理者が不在ので花火をするのは避けること。不発の花火(特に打ち上げ花火のものは「黒玉」と呼称される)には再発火や爆発の危険があり、水に漬けるなどの処置が必要となるので放置、管理を行う。

従来から花火の事故は多くあったが、統計が残っているのは1950年代ごろからである。1950年代から1960年代にかけては花火工場の爆発事故が多く、毎年10人以上の死者が出ていた時代もあった。多くは花火工場が爆発し従業員が死亡するというものだったが、近隣の建造物や一般人の生命に危害を及ぼしたものもあり、これらの事故により花火製造に関する規制は徐々に厳しくなった。ただし、安全な種類の火薬を用い、保管量を守れば、そのような事故の大部分は防げたはずだという主張もある。

国によっては花火の爆音が銃声と混同されかねないことから、記念日以外は花火の使用を禁止していることもある。

花火が直接の原因の事故

日本の旗 玩具問屋爆発事故
1955年8月1日
東京都墨田区厩橋で、おもちゃ花火問屋が爆発。死者18人。
日本の旗 東京宝塚劇場火災
1958年
無許可で演出のために使われた花火が引火。劇団員3人が死亡。以後劇場での花火の使用に厳しい規制がかけられる。特に東京都では全面禁止となった(1985年に一部規制緩和)。
日本の旗 上郷村花火工場爆発事故
1959年5月29日
長野県下伊那郡上郷村(現・飯田市)で死者7人を出した事故。花火工場に近接した小学校校庭で体操をしていた小学6年女子児童1人が爆風で死亡。花火製造への規制が強化される一因となる。
日本の旗 横浜花火大会爆発事故
1989年8月2日
山下公園前海上の台船で打ち揚げていた花火の火が、他の打ち上げ前の花火に引火し花火玉325個が爆発。花火師2人が焼死、負傷者7人。
日本の旗 茨城県守谷町花火工場爆発事故
1992年6月16日
煙火製造工場内倉庫、薬品庫で爆発が発生、工場内で3人死亡、負傷者58人。
オランダの旗 エンスヘーデ花火保管倉庫爆発事故
2000年5月13日
オランダエンスヘーデにあった花火保管倉庫に保管されていた100tの中国製花火が爆発し、街にオランダ史上第二次世界大戦以来と言われる壊滅的被害を与えた。20人以上死亡、900人以上負傷、1,000人が住居を失った。被害総額8,900万ドル[9]
日本の旗 北海道の女児死亡事故
2002年8月
第53回勝毎花火大会で、二尺玉花火の破片 (3.4kg) が観客席に落下、小学3年生が直撃を受けて死亡。この事故を受けて、北海道は安全距離基準を改定した。
日本の旗 鹿児島県南国花火製造所爆発事故
2003年4月11日
煙火製造工場内の配合所、火薬類一時置場を含む複数箇所で爆発が発生、10人死亡。この事故により法令が改正され、雷薬などの配合工程において導電性のある器具の使用義務が定められたほか、この工程における停滞量・人数が従来より縮小され、原材料に使われる金属の保管場所は危険区域外へ設置しなければならなくなった。
中華人民共和国の旗 中国赤峰市での爆発事故
2012年1月10日
中国内モンゴル自治区赤峰市元宝山区で、野外販売中の花火に実演として点火したところ、売り物に引火し爆発した。5人が死亡、8人が負傷[10]
中華人民共和国の旗 中国杭州市での爆発事故
2012年10月13日
中国浙江省杭州市での第14回西湖国際博覧会中国語版開幕イベントの花火大会で、花火が暴発し、観客100人以上が負傷した(報道時点で死者はなし)[11]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国での暴発事故
2012年7月4日
アメリカ合衆国サンディエゴの独立記念日花火大会で、コンピュータのプログラムミスにより、2万発を17分かけて打ち上げるはずの花火が15秒で全て打ち上げてしまった。死者・負傷者はなし。
ナイジェリアの旗 ナイジェリアでの爆発事故
2012年12月26日
ナイジェリア最大の都市ラゴスの人口密集地にある花火保管庫で大規模な火災と爆発が起こった。少なくとも1人が死亡、30人が負傷した[12]

花火大会での群集事故

日本の旗 両国橋落下事故
1879年8月10日
両国川開きの際、車の通る間だけ空いているほど混み合う見物人により、両国橋欄干が崩れ、見物人たちが川に転落、花火は途中中止となる。死傷者数十人に上る惨事となった[13]
日本の旗 萬代橋事件
1948年8月23日
新潟まつり」の前身にあたる「川開き」の花火大会の際、打ち上がり始めたスターマインを見ようと、観衆が一斉に萬代橋下流側の欄干に殺到し欄干が落下、約100人の観衆が信濃川に転落。死者11人、重軽傷者29人。これ以降、花火大会の際には萬代橋を含む信濃川に架かる橋梁上での立ち止まっての花火見物は禁止されている。
日本の旗 明石花火大会歩道橋事故
2001年7月21日
花火大会の観客が歩道橋で群集雪崩を起こし、死者11人・負傷者247人の大惨事に。警察・自治体の警備や対応の不備が浮き彫りになる(大蔵海岸#事故も参照のこと)。

花火が関連する作品

書籍

音楽

映画・TVドラマ

舞台

ゲーム

参考文献

脚注

注釈

出典

  1. ^ 明治期の花火が横浜に里帰り[リンク切れ]
  2. ^ おあずけ・機内へのお持込に制限がある手荷物 | 安全・運航情報 | JAL企業サイトANA国内線手荷物について
  3. ^ たとえばJR東海では東海旅客鉄道株式会社旅客営業規則 別表第4号 (PDF) にて列車に持ち込めない危険品を定めており、適用除外の物品に「がん具煙火、競技用紙雷管及びその他のがん具用軽火工品で、容器・荷造ともの重量が1キログラム以内のもの。」とあり、これを上回る量は持ち込めない。他の鉄道事業者でも類似する規則をそれぞれ定めている。バスの場合は、旅客自動車運送事業運輸規則第52条2項により100グラムを超える量の持ち込みを禁じている。
  4. ^ ヤマト運輸の宅急便の例花火はゆうパックで送れますか?。なお、一般向けおもちゃ花火を通信販売する業者の扱いについては不明。
  5. ^ 狼煙花火
  6. ^ 『江戸東京地名辞典』(講談社学術文庫)。
  7. ^ “打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法と聞くが、現在のようにひと晩に二万発も打ち上がるとあっては、そんな声の掛け方も無理であろう。享保十八(一七三三)年の両国での花火大会はせいぜい二十発程度だったという”中日新聞「中日春秋」(2014年7月28日)。
  8. ^ 花火を尻に挟んで大やけど、パーティーの余興でAFPBB.News 2012年07月30日]
  9. ^ 失敗事例データベース
  10. ^ 花火爆発 5人死亡、8人けが 中国内モンゴル - livedoorニュース
  11. ^ 花火大会で花火爆発、100人ケガ 中国 - 日テレNEWS24
  12. ^ ナイジェリアの花火倉庫で大規模な爆発 - AFPBB News
  13. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション2016/3/27閲覧

関連項目

外部リンク