アイドル
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日本の文化におけるアイドルとは、主に10代から20代にかけての、特に魅力的で可愛い(アルファベットで「kawaii」と各国語化)と看做され、例えばポップス歌手、脇役・端役などの役者、TVタレント、雑誌や広告などで掲載・頒布される写真モデルなどとして数ヵ月から数年の期間、継続的にマスメディアに登場する者のことである。しかしながら、全ての若い芸能人が「アイドル」と認識されているという訳でもなく、多くのロックミュージシャンに代表されるように反抗的なイメージを育てたいと望む若い芸能人が「アイドル」とのレッテル貼り(ラベリング)を拒む例も見られる。
アイドルという言葉
元来偶像を表す「idol」[1] の 意味が発展・変化し「若い人気者」としての意味が成立したのは、アメリカで1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のルディ・ヴァリーが先駆けとされ、1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれ、熱狂的な人気で社会現象まで引き起こしたフランク・シナトラによって完全に確立した[要出典]。この流れの中で1950年代のエルヴィス・プレスリーも、1960年代のビートルズもデビュー時はアイドルとして認知されていた[2]。
※本来、英語の「idol」は「崇拝の対象」という意味であるから、音楽アーティストに対して使われる場合「崇拝の対象に達するレベルの才能があるアーティスト」という意味である(つまり、そのニュアンスは最近の日本語「神なアーティスト」に近い)[要出典]。
よって、英語圏では、現在もプレスリーやビートルズは、その熱狂的なファン、最大限の評価を与えるリスナーにとっては「idol」である[要出典]。このことは、例えば米テレビ番組『アメリカン・アイドル』(American Idol)の内容がいわゆる日本語的な意味の「アイドル発掘番組」ではないことからも理解頂けるであろう[要出典]。日本語の「アイドル」は、英語で言う「teen idol」のことである[要出典]。
この経過から日本においては、主に外国について使われる言葉であり[3]、人気芸能人は一般的に「スター」、テレビの普及していない時代の日本の芸能界の主力は映画で各映画会社のニューフェース制度もあり人気若手芸能人はほぼ映画俳優であり、一世を風靡した加山雄三・吉永小百合・浜田光夫などは特に「青春スター」と呼ばれていた。(映画の中のみでなら、1938年の松竹映画「愛染かつら」で使用された例がある)。本格的なテレビ時代の到来と日本の映画産業全体の斜陽化や1966年に人気絶頂のビートルズの来日公演が実現し、これをきっかけとしてザ・スパイダース・ザ・タイガース・ザ・テンプターズなどのグループ・サウンズブームが巻き起こって行く過程で、徐々に「青春スター」の呼称は廃れ、アイドルの呼称に取って代わられていった[4]。
さらに1969年のグループ・サウンズの衰退を受けて登場した1970年代のアイドルの時代に至って、未成熟な可愛らしさや身近な親しみやすさに愛着を示す日本的美意識を取り入れながら独自のアイドル像を創りあげ、1980年代には市民権を得た[5]。
現在アイドルという言葉は、あるコミュニティにおいて人気のある者を指す言葉として用いられる場合がある[要出典]。名詞的に「学校のアイドル」、「職場のアイドル」などと呼ばれるもの、また同様の形容詞的表現として「アイドル的人気のある人」、「○○ではアイドル並み」といった範囲限定使用がそれである[要出典]。
概要
1970年代までの日本では、若年層に向けた歌謡曲を歌う清純派歌手(アイドル歌手)を「カワイ子ちゃん歌手」と呼称する場合が多かった[要出典]。現代的な若手タレントを生み出す原動力となったのが、1970年代以降の日本テレビ系列のオーディション番組スター誕生!やCBSソニー主催のミス・セブンティーンコンテストやホリプロタレントスカウトキャラバンである[要出典]。スター誕生!からは1970年代のピンク・レディーや山口百恵などの1970年代~80年代のスターを多数輩出し、ミス・セブンティーンコンテストからは1980年代の松田聖子やおニャン子クラブ(国生さゆり、工藤静香など)を輩出し、アイドルブームの下地となった[要出典]。1980年代に入り松田聖子・田原俊彦・近藤真彦・小泉今日子・中森明菜[6]などの若年層向けの歌謡ポップスをメインとするタレントが活躍を始め、「アイドル」という言葉が完全に定着した。しかし1980年代後半頃からの第二次バンドブームの影響もあり、アイドル歌謡が中心であったアイドルブームは衰退した[要出典]。
現在(1990年代半ば以降)では、女性アイドルの分類が細分化されており、アイドル歌手だけではなく、映画やドラマなどで女優活動に重点を置く「アイドル女優」、アニメやゲームなどの声優活動に重点を置く「アイドル声優」、男性誌グラビアで水着姿などを披露する活動が中心の「グラビアアイドル」、ライブでのパフォーマンスを中心に活動する「ライブアイドル」、バラエティ番組への出演を活動のメインとする「バラエティアイドル」などジャンルも多様化し、これらを総合的に「アイドル」と呼ぶのが一般的である[要出典]。アイドル歌手以外のアイドルをアイドルとみなさない考えであっても、伝統的な清純性をセールスポイントとしているグラビアアイドルはアイドルと呼ばれる[要出典]。ソロが中心であった女性アイドルは近年はグループ化が進んでいる[要出典]。男性アイドルにおいてはより早くからグループ化が進んでおり、グループからのソロ活動を除く男性ソロアイドルはほとんど存在しない[要出典]。 欧米においてはフランス語の発音がアイドル調の楽曲に合致する[要出典]ことなどから、フランスで女性アイドル歌謡が盛んである[要出典]。
おニャン子クラブ、モーニング娘、AKB48などの多人数グループが1980年代から2013年現在に至るまで存在することもあって、アイドルの人数を性別に分けると女性の方が比較的多い。女性アイドルは年齢層が若いことか、女子アイドルとも呼ばれる[要出典](男子女子の「子」は子供を意味するわけではないが、字面のイメージから、低年齢層で使用されることが多い[要出典])。
女性アイドルの多様化
1980年代中頃までは、アイドルは手が届かない庶民の憧れの存在(スター。お姫様・王女様)であったが、フジテレビ系番組「夕やけニャンニャン」に出演していた「おニャン子クラブ」は、高校のクラスメイトのような親しみ易さを前面に打ち出し、従来のアイドル像を覆した[要出典]。
また、当時のアイドルと言えば、歌手・俳優・グラビアなど多岐に渡るジャンルで活動した者が多く、事務所の方針などで水着にならないアイドルは若干いたが、歌手デビューしないアイドルは極めて稀であった[要出典]。
1980年代終盤に入ると、山瀬まみ・井森美幸・森口博子・島崎和歌子・松本明子・松居直美などが、キャラを生かしてテレビのバラエティ番組で活躍しはじめ、バラエティアイドルを略した「バラドル」と呼ばれた。
1990年代に入ると、イエローキャブ所属のかとうれいこ・細川ふみえなどがグラビアアイドルとして活躍した。1970年代にアグネス・ラムが同様の活躍をしたことはあったが、大勢のグラビアアイドルが活躍するようになったのは彼女たちの影響が大きい[要出典]。
また、従来はアイドルとは見なされなかった女子アナ・女性声優・「特撮ヒロイン」(「平成仮面ライダーシリーズ」・「スーパー戦隊シリーズ」・「ウルトラマンシリーズ」など特撮ヒーローもののヒロイン(善玉側・悪玉側を問わない)役の女優・グラビアアイドル)が支持を集めた[要出典]ほか、15歳以下のアイドルを指すチャイドル(U-15アイドル・ジュニアアイドル)・ヌードグラビア専門のヌードル・若手演歌歌手の演ドルなどの新たな造語が生まれた。また内田有紀・広末涼子・深田恭子などの女優業をメインとするアイドル女優が活躍する[要出典]。こうしてアイドルの細分化が進み、歌手としての成功は、アイドルとしての成功に必要不可欠ではなくなった[要出典]。
更にサブカルチャーの充実と嗜好の細分化にあわせ様様な分野のアイドルが生まれるようになり落ドル・鉄ドル・ロボドル・ミリドル・株ドル・魚ドル・農ドルなどと名乗るアイドル、浅尾美和・浅田真央・上村愛子・オグシオ(小椋久美子・潮田玲子)・福原愛・メグカナ(栗原恵・大山加奈)など、スポーツにおけるアイドルも出現し話題を集めている(知名度の低い種目においてはアイドルを作って話題を集める事も行なわれている)[要出典]。
日本でのアイドル隆盛期は、不況の期間とほぼ完全に一致しているという分析がある[7]。
女性アイドルの歴史
アイドル以前
語源的には1960年代まで、女性歌手や女優に対する「アイドル」という語はあまり使用されていない[要出典]。美空ひばりや吉永小百合などの人気の少女歌手や少女女優は、一般的に「子役スター」或いは「青春スター」と呼ばれていた[要出典]。また、現在におけるアイドルユニットに相当する[要出典]「三人娘」(美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ)、「スパーク(ナベプロ)三人娘」(中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり)が人気を博した。
フランス映画の日本語題名『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開され、出演のシルヴィ・ヴァルタンやミレーヌ・ドモンジョなど身近とは言えない映画界や芸能界など、いわゆる若い可愛い女性を憧れも伴い「アイドル」として呼ぶことが広がり始めた[要出典]。
1970年代のアイドル
- 1970年デビュー……吉沢京子など。
- 1971年デビュー……天地真理・小柳ルミ子・南沙織など。
- 1972年デビュー……麻丘めぐみ・アグネス・チャン・森昌子など。
- 1973年デビュー……浅田美代子・桜田淳子・山口百恵・キャンディーズなど。
- 1974年デビュー……浅野ゆう子・林寛子・木之内みどり・伊藤咲子・太田裕美・松本ちえこ・相本久美子・リンリン・ランランなど。
- 1975年デビュー……岡田奈々・岩崎宏美・ザ・リリーズなど。
- 1976年デビュー……ピンクレディーなど。
- 1977年デビュー……榊原郁恵・大場久美子・高田みづえ・清水由貴子・荒木由美子・香坂みゆき・五十嵐夕紀・アグネス・ラムなど。
- 1978年デビュー……石野真子・トライアングル・石川ひとみなど。
- 1979年デビュー……能瀬慶子・倉田まり子・井上望・比企理恵・BIBIなど。
一般的に、アイドルという名称が使用されるようになったのは1970年代前半であり、カラーテレビの本格運用・普及の時期である。アイドル発生にはアイドルの重要要素である「色」が映像に加わったという時代背景があった[要出典]。また、1972年の沖縄返還により、冬季においても屋外での水着グラビア撮影が国内で行うことが可能になった[要出典]。1970年代初頭に南沙織・天地真理・小柳ルミ子(この頃、南、天地、小柳が「新三人娘」と呼ばれた)・麻丘めぐみなどがデビューし活躍する。また高視聴率ドラマの主要キャラクターだった岡崎友紀・吉沢京子などが活躍する。これらの少女タレントに対し、「子役スター」に代わって「ジャリタレ」という言葉が業界で使われるようになった[要出典]。一方で、1971年の『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場した南沙織が司会者の水前寺清子から“ティーンのアイドル”と紹介されており[要出典]、この時点で「アイドル」という言葉が既に当時の音楽番組[8] の中で使用されている。
その後、アグネス・チャン、浅田美代子、スター誕生!出身の桜田淳子、山口百恵などがデビューし、彼女らが活躍し始めた頃から「アイドル」という呼称が芸能人・タレントの総称として一般化するようになる[要出典]((現在用いられているような清純派芸能人という意味合いではない[要出典])。更にキャンディーズ、ピンク・レディーといったアイドルグループも登場し、彼女などが親衛隊の組織化、ステージパフォーマンス、フリルやレースで飾られた白色系のステージドレス、今日のオタ芸の前身となるコールなど、いわゆるステレオタイプなアイドル像を創り出した[要出典]。また、「花の中三トリオ」(森昌子・桜田淳子・山口百恵)以降、タレントの低年齢化が進んだ(天地真理のデビューは20歳)[要出典]。
1970年代前半のアイドルの主なキャッチフレーズは以下の通りである。
- 天地真理……あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫。
- 南沙織……南の島からきたシンシア。
- アグネス・チャン……香港から来た真珠。
- 桜田淳子……そよ風の天使。
- 山口百恵……大きなソニー、大きな新人。
- 岩崎宏美……天まで響け。
- 浅野ゆう子……ジャンプするカモシカ[要出典]。
1970年代後半に入ると松任谷由実、中島みゆき、竹内まりやなどのニューミュージック(のちのJ-POP)歌手がヒットチャートを賑わすようになった。竹内まりやはデビュー当初はアイドル的な売出し方をされたこともあった。一方で、1この時期にデビューした榊原郁恵・大場久美子・石野真子などといった正統派アイドルは人気・知名度が高くてもレコードセールスは同時期の山口百恵・キャンディーズ・ピンクレディーなどに及ばず、また音楽面で他ジャンルに押される傾向にあった[要出典]。。
1970年代後半は期待感を数字で表現したキャッチフレーズが付けられるようになった。
1980年代のアイドル
1980年代は女性アイドルの黄金時代であった[9]。 正統派の松田聖子を筆頭に、それに続く小泉今日子から、出現当時は邪道とされたおニャン子クラブまでさまざまなタイプの女性アイドル(グループ)が現れた。女性アイドルのプロデュース手法などは、この時代に確立されたものである[要出典]。
1980年代前半は、1980年デビューの松田聖子を初め、1982年デビューの小泉今日子などがそれに続き、多数のアイドルが生まれた。松田聖子、小泉今日子などは2013年現在も第一線で活躍している。
1980年代アイドル全盛期の中でも、アイドルの当たり年は一般に、1980年・1982年・1984年・1985年と言われている。1986~1987年はおニャン子クラブメンバーのソロ・ユニットデビューが相次いだ。[要出典]。
- 1980年デビュー……松田聖子・河合奈保子・三原順子(現・じゅん子)・岩崎良美・柏原芳恵(デビュー当時はよしえ)など。
- 1981年デビュー……薬師丸ひろ子(1978年から女優として活躍しているが、初歌唱は1981年)など。
- 1982年デビュー……小泉今日子・中森明菜・松本伊代・早見優・石川秀美・堀ちえみなど。
- 1983年デビュー……原田知世(女優デビューは前年の1982年)など。
- 1984年デビュー……菊池桃子・岡田有希子・長山洋子・荻野目洋子・倉沢淳美など。
- 1985年デビュー……おニャン子クラブ(グループとして初歌唱)・中山美穂・本田美奈子・斉藤由貴・南野陽子・浅香唯など。
- 1986年デビュー……酒井法子(歌手デビューは翌年の1987年)、おニャン子クラブから国生さゆり・渡辺満里奈など。
- 1987年デビュー……おニャン子クラブから工藤静香(夕やけニャンニャン放送終了とほぼ同時期)など。
80年代後半は工藤静香・中山美穂・南野陽子・浅香唯の4人が「アイドル四天王」と呼ばれ、目立った活躍を見せた。 しかし、1980年代終盤に入るとバンドブームの煽りを受けてロックやJ-POPバンドが台頭するようになり、またゴールデンタイムにおける歌番組の相次ぐ終了により、活躍の場を失ったアイドル歌手は凋落し始めていく。それと並行して、松本明子・井森美幸・森口博子・山瀬まみなどお笑い芸人顔負けの個性を表に出したバラエティアイドル(バラドル)が登場した。
1990年代のアイドル
従来の「歌手」から、テレビCMや雑誌のグラビアなど、ビジュアルを主体とした「モデル」型、豊満なバスト(巨乳)を売りとした「グラビアアイドル」が新たなアイドル像を形成した[要出典]。「モデル」型では「3M」(宮沢りえ・観月ありさ・牧瀬里穂)がテレビCMで人気を博し、「グラビアアイドル」ではかとうれいこ・細川ふみえ・山田まりや・C.C.ガールズ・シェイプUPガールズなどが雑誌グラビアを足がかりに、テレビCMやバラエティ番組へと進出していくようになった。後半からはかつてアイドル歌手、アイドル女優を多数生み出してきたホリプロなどの大手事務所もグラビア市場に参入しグラビアアイドルが市民権を得る。
1988年頃から1993年頃にかけては、それまでの歌手活動を中心とする女性アイドルはWink(相田翔子など)が活躍、他はフジテレビでおニャン子クラブの後継的な存在の乙女塾(永作博美やCoCoなど)やテレビ朝日の桜っ子クラブさくら組(菅野美穂など)の台頭が目立った[要出典]ものの、テレビの歌番組の衰退とともに“プロのアイドル”の時代は終わり[要出典]、「アイドル冬の時代(または「アイドル氷河期」)」[10]に入る(決定打となったのが1986年に起きた岡田有希子の自殺であるとする評論もある[11])。またこの時代以降若手女性タレントが自らをアイドルと名乗ることが一部を除きタブー化していった[要出典]。
上述のバラドル台頭後、バラエティ番組に出演する際に体を張る、積極的にヨゴレ役になるなど、芸人並みのリアクションを見せるアイドルが増えてゆく[要出典]。それまでのアイドルは基本的に「歌手」という扱いでありコントに参加することがあっても痛い目に遭う、リアクションを受けるといったことは皆無であり、それらはお笑いタレントやコメディエンヌ的要素の強い歌手(研ナオコなど)の役割であった[要出典]。特に「とんねるずのみなさんのおかげです」では前述の「3M」をはじめとした人気アイドルが積極的に水被り、粉まみれ、ハリセンで叩かれるなどのイジられ行為が毎回のように行われていた[要出典]。
1990年代中頃は小室哲哉プロデュースにより華原朋美や篠原涼子などのアイドルもしくはアイドル出身者(いわゆる小室ファミリー)や安室奈美恵・SPEEDなどの沖縄アクターズスクール勢などがヒットを連発した。その後R&Bやヒップホップなどのクラブミュージックと競存する形となった。
1990年代後半になるとテレビ東京の番組『ASAYAN』のオーディションにおいてデビューが決まった鈴木あみやモーニング娘。が台頭し、そのモーニング娘。を中心としたつんくプロデュースの歌手集団ハロー!プロジェクト勢が人気を得た。
1990年代中頃から声優界でアイドル的な声優(いわゆる「アイドル声優」)が増えた。
CSやDVDメディアの発達により表現媒体が多様化し、それによりアイドルの性格も大きく変わる。女優・バラドル・グラビアアイドル・女子アナ・レースクイーン・スポーツタレント・チャイドル・お菓子系アイドル・TV特撮のヒロイン・ライブアイドル・AV女優などアイドルは様々なジャンルに分散していった[要出典]。
2000年代のアイドル
歌手という正統派のアイドルの系譜は、この頃になるともはやアイドルとしてではなくアーティストという在り方で登場した[要出典]。ただし旧来型のアイドルとは異なり、歌唱力・作詞(作曲)力、声優系の場合はこれらにプラスして声質と演技力・同性の支持が必須条件として求められるようになった[要出典]。それと同時にアイドルの概念は周辺化し、グラビアアイドルや女性タレントなどがアイドルシーンの中心となって活躍。アイドル輩出の土壌は多様化した[要出典]。インターネットが普及したことにより「アイドル」という言葉やその位置づけは誹謗・中傷(言葉の暴力)に晒されることが多くなり、口コミを重視したプロモーションにおいて扱いはより複雑化しておりむしろ不利益に働く場面が増えている。従来はアイドルと定義されるはずのタレントが、そのように評されるのを固辞するといった現象も見られるようになった(平山あやなど)[要出典]。
2000年代前半から終盤にかけて、モーニング娘。・松浦亜弥・Berryz工房・℃-uteなど多くのアイドルが所属するハロー!プロジェクト勢をはじめ、浜崎あゆみや中島美嘉など、歌唱力とルックスとを兼ね備えた[要出典]J-POP歌手らも人気を集めた。また、2000年代中盤から後半では、グラビア経験のある上戸彩・長澤まさみ・新垣結衣・堀北真希らがアイドル女優として、同じくグラビア出身の中川翔子・小倉優子・若槻千夏・ほしのあきなどがバラドルとして台頭し知名度を上げた(新垣と小倉はCDも出している)[要出典]。また、2000年代終盤はクイズ番組(クイズ!ヘキサゴンII)などで無知を売りにする里田まい・スザンヌ・木下優樹菜をはじめ、南明奈・misonoなどヘキサゴンファミリーが人気を集めた。
「Perfume」が、テクノポップスのダンスユニットとして、音楽活動から人気を獲得する一方で、国際的に音楽活動をしてきた少女時代やKARAが来日するなど、音楽方面で人気を得て台頭するK-POPアイドルが増えた。バラエティーより先に、音楽方面での人気を築いた点は、男性アイドルの東方神起・EXILE・嵐と共通している。
2000年代後半には、AKB48が頭角を現わし始めた。秋葉原に専用劇場をもち、「会いに行けるアイドル」として、クラスメイトの女の子的な親近感を売りに、ファンと直接触れ合えるイベントなどでアキバ系のみならず若者に人気を得て、2007年暮れにはNHK紅白歌合戦(第58回)への出場をも果たした。
2010年代のアイドル
AKB48のブレイクにより、その姉妹グループSKE48・NMB48・HKT48・SDN48なども続々と誕生。老舗[要出典]のハロー!プロジェクトからスマイレージ、フジテレビの企画から誕生した2000年代から活動を続けるアイドリング!!!、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZ・私立恵比寿中学、エイベックス所属のSUPER☆GiRLS・東京女子流、MAXやSPEEDの妹分Fairies、EXILEの妹分E-girlsなどの他、9nine・bump.y・PASSPO☆・乃木坂46など芸能大手プロダクション各社から多数のアイドルグループが次々と誕生した。これにより一層競争が激しくなり、アイドル戦国時代と呼ばれるようになった[要出典]。
アイドルグループが増えたことで、何組かのグループが事務所の枠を超えて同じ公演に出演するTOKYO IDOL FESTIVALを始めとしたアイドルフェスティバル的な公演も徐々に増え[12]、アイドル同士の交流が増えている。こうしたイベントに、近年増加したローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる地域密着型のアイドルも多く出演するようになった。グループアイドルが数多くデビューし盛り上がるなか、その一方でソロアイドルは真野恵里菜・吉川友などがいたものの層は薄くなり、グループアイドルに比べ数が少なくなっている[要出典]。
他に少女時代やKARAの日本での成功により、4minute・2NE1・T-ARA・AFTERSCHOOL・レインボーなど韓国のアイドルグループも続々と日本でデビューした(同様にAKB48のシステムも輸出され、インドネシアでJKT48、中国でSNH48が動き出している)。
また、雑誌媒体のグラビアをAKB48が多く占めるようになり、グラビアアイドルの露出する場が少なくなっているといった声もある[13]。
男性アイドルの歴史
日本での男性アイドルは1950年代の映画全盛期には東宝や日活のニューフェイス、50年代後半から1960年代前半にかけては日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、60年代後半にはグループサウンズのメンバー、1970年代は新御三家など折々の時代に即したショービジネスの中で多くのスターアイドルが登場した。1980年代以降は特にジャニーズ事務所所属の歌手ユニットが人気を博し、1990年代初めにはそのジャニーズアイドルがバラエティタレントとしても活躍。また木村拓哉などは俳優としても成功した。ジャニーズ全盛の中、ヴィジョンファクトリー系所属のDA PUMP・w-inds.なども人気を得た。近年は韓国出身の歌手ユニットが次々と日本でデビューしている。
1960年代の男性アイドル
石原裕次郎が日活映画や歌で活躍し、1960年代には御三家と呼ばれた橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦が現在で言うアイドル的人気を博したが、当時は「アイドル」という言葉が生まれる前であった。1960年代前半にスリーファンキーズや、現在もジャニーズ事務所のあおい輝彦などがデビューし、男性アイドルグループの礎を築いた。さらに、1960年代後半にはグループ・サウンズのブームがあり、ザ・スパイダース(かまやつひろし・堺正章・井上順など)やザ・タイガース(沢田研二など)の人気はアイドルと呼べるものであった[要出典]。
1970年代の男性アイドル
徐々にアイドルという言葉が使われ出した頃に登場したのが新御三家(郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎)で、3人とも主に歌手として活動を行った。さらに、ザ・タイガースの事実上の解散後、ソロあるいはバンドとして活動を続けた沢田研二もザ・ベストテンなどの歌番組の常連として人気を保った。70年代には他にもフォーリーブス(ジャニーズ事務所所属の男性アイドルの先駆)・フィンガー5(兄妹5人組。人気絶頂期にはメインボーカルの晃(四男)にアイドル的人気が集まった、男女混合アイドルグループと解すこともできる)などの男性アイドルグループが輩出した[要出典]。この時代の男性アイドルのイメージとしてよく使われたのが「白馬に乗った王子様」であり、女性アイドル同様の、手の届かない別世界の存在(=スター)として記号化されることが多かった[要出典]。
1980年代の男性アイドル
1979年に放映された3年B組金八先生に生徒役として出演したジャニーズ事務所のたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)が80年代に入ってレコードデビューし、田原、近藤は次々とヒットを飛ばすようになった。同事務所はその後もシブがき隊(本木雅弘、薬丸裕英・布川敏和)・少年隊(東山紀之他)など人気グループを次々と世に送り出した。しかし、女性アイドルと同じく1980年代末期からの「アイドル冬の時代」の影響を避けることができなかった[要出典]。高橋良明は子役を経てアイドルとして人気を博したが、1989年1月に交通事故により16歳で夭折した[要出典]。
1990年代の男性アイドル
1990年代前半までは光GENJI以外のアイドル歌手は殆ど不振であった。1990年代中盤以降、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が顕著であったSMAP、さらにKinKi Kids・TOKIO・V6など、後続するジャニーズユニットも人気を得た。歌手活動とともに自身が冠となったバラエティ番組にも出演した。
2000年代の男性アイドル
2000年以降、ヴォーカル&ダンス・ユニットとして培った実力に加え新メンバー加入や多方面活動によりアイドル性を備えたEXILE、国際的人気で二大潮流を巻き起こしている韓国出身の東方神起、BIGBANGなど、バラエティーからでなく、音楽方面から人気を博すアイドルが再び台頭した。2000年代後半、親近感が特徴的な嵐が、音楽方面と個人活動から人気を博しバラエティー分野でも台頭した。近年では、クイズ番組で「おバカ」アイドルとして新たなアイドルの個性を見出した羞恥心、ヴィジョンファクトリー系に加え、新たな勢力の台頭もみられている。ドラマや舞台に特化し従来の男性アイドルグループとは一線を画したイケメン俳優ブームが起こっている[要出典]。その中でも水嶋ヒロ・佐藤健などの「平成仮面ライダーシリーズ」出身組はブレイクした。D-BOYSメンバー、そして「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞しデビューした小池徹平・溝端淳平などが活躍している。
2010年代の男性アイドル
2010年以降、東方神起・BIGBANGに続き、超新星・2PM・FTislandなどの韓国のK-POP男性アイドルが相次いで日本デビューしている。
アイドルのファン
アイドルのコンサートやイベントなどでは派手な法被やグッズを身に着けた親衛隊と呼ばれるファンが見られる。従来は女性アイドルには男性ファンが、男性アイドルには女性ファンが多かったが、近年では女性アイドルと同年代の女性ファンも増えている。所属事務所が会報を発行する公式ファンクラブを開設していることも多いが、1990年代以降は情報化社会の到来によりアイドルの情報の入手が容易になっており、個人情報防衛への意識も高まってきたことから以前に比べ会員数は減少しており、ファンクラブを開設しない事務所や携帯サイト上でのみ開設し利用料を徴収するケースも増えている。近年はブログやSNS、Twitterなどが公式なツールとして使用されている。また、ファンの間では様々な専門用語が飛び交っている[14]。
雑誌の表紙
小学館の学年別学習雑誌の表紙は、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。それ以前は子供の写真か、写真技術が未発達なうちは子供を描いた水彩画が用いられていた。明治時代の少年雑誌では、グラビアに政治家の写真が使用されていたことと対照的である。
関連項目
- アイドルを探せ
- 女性アイドルグループ
- 男性アイドルグループ
- アキバ系アイドル
- アイドル声優
- オナドル
- 巨乳アイドル
- ネットアイドル
- バーチャルアイドル
- バラエティーアイドル
- ローカルアイドル
- ロリータアイドル
- ジュニアアイドル
- 癒し系アイドル
- お菓子系アイドル
- ライブアイドル
- ナマドル
- エンドル
- グラビアアイドル
- アイドル歌謡曲
- THE IDOLM@STER(バンダイナムコゲームスが発売するアイドル育成シミュレーションゲーム SUPER☆GiRLSはこの手法を「マイドル」で現実のプロデュースに取り入れている)
- 日本現代芸能史
- 芸能
- 芸能人
- セレブリティ
- おたく
- 姫
- 王子
文献情報
- 青木一郎[15]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
- 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)
- 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、NAID 110002940787。
- 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、43-58頁、NAID 110006159892。
- 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[3]
- 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927
出典・脚注
- ^ 偶像・崇拝される人や物。人気者。哲学ではidola(イドラ:ラテン語で偶像の意味)。フランシスベーコンの用語で実在の正しい把握を妨げ、無知と偏見の原因となるような要因のこと(大辞林第二版 [1][2])。偶像崇拝idolatry、偶像化(崇拝)するidolization
- ^ ビートルズ日本公演プログラム
- ^ YOUNGヤング 1964年4月号
- ^ 別冊キネマ旬報 1968年10月号
- ^ 「アイドル工学」 P.69
- ^ 80年代初頭にデビューしたアイドル歌手のうち、シングル売上において他の者にダブルスコア以上の差をつけた5名。(2012年6月29日放送のテレビ朝日系列『ミュージックステーション』)
- ^ アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 月刊チャージャー2005年12月号
- ^ 東京宝塚劇場で行われた1971年大晦日の『第22回NHK紅白歌合戦』は視聴率78.1%を記録した。
- ^ Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion(ポップアイドル現象は分散し消滅する) 松谷実、ジャパンタイムス2009年8月25日
- ^ この時代にアイドルだった世代は「氷河期世代」(団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア)とも丁度重なる。
- ^ ミュージックマガジン社『遺作 ミュージシャンの死とラスト・アルバム』、岡田のページより
- ^ 総勢40組以上!品川を熱く盛り上げたアイドルフェス大成功
- ^ グラビアアイドルたちが宣言!「AKB48には負けたくない!」小松彩夏の発言より
- ^ 知っているとどこかで使える!? アイドル現場の専門用語!マイナビニュース2012年10月13日
- ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去