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少年雑誌

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少年倶楽部

少年雑誌(しょうねんざっし)とは、少年層を読者に想定した日本雑誌ジャンルである。19世紀末に「少年」を題名に冠した雑誌が生まれ、少女雑誌の成立を機にその対比として男子向け雑誌のイメージが確立、1950年代から1960年代にかけて漫画雑誌化が進む。

概要

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17世紀から18世紀にかけてヨーロッパを中心に児童向けの逐次刊行物の出版が始まり、成人向け雑誌と児童雑誌が分化していく[1][2]。草創期の児童雑誌は男女を問わず年少の読者を対象としたものだったが、19世紀に入ると、イギリスで1879年に『ボーイズ・オウン・ペーパー』、1880年に『ガールズ・オウン・ペーパー』が創刊するなど、男子・女子を意味する言葉を冠した雑誌が現れる[3]

日本では1888年に創刊した『少年園』が日本初の総合的少年雑誌といわれているが、同誌も女子読者を排除しておらず、他誌も含め1890年代までは雑誌単位で読者を性別で区別することはなかった[4][5]。1895年に『少年世界』の誌内に女子読者向けコーナーが設けられ、これを発展させる形で1906年に『少女世界』が創刊されるなど、少女雑誌というジャンルが成立していくと、女子読者が少なくなった少年雑誌の誌面構成は男子寄りになっていく[4][5]明治末期から大正初期(1900年代から1910年代)には、女子読者を対象とした少女雑誌の対比として男子読者を対象とした少年雑誌とのイメージが確立していく[6][7]。また、この時期に幼児・少年・青年と若年層内での区別も進んでいく[6]

1914年に大日本雄弁会(講談社の前身)が創刊した『少年倶楽部』は発刊の言葉で「男子らしき男子」というフレーズを用いており、「怪人二十面相」などの小説、「のらくろ」や「冒険ダン吉」といった漫画を掲載したほか、飛行艇などの紙製模型を付録にするなどして男子からの人気を獲得し、大正から昭和初期にかけての少年雑誌の代表例となる[5][8]。また、大日本雄弁会は野間清治の指揮の下で、小学生から中学生を中心読者とした少年雑誌『少年倶楽部』、義務教育を終えた層向けの大衆雑誌『キング』と年齢階層別の雑誌展開を進めていく[9]

第二次世界大戦後は、少年雑誌の週刊化と漫画雑誌化が進み、1959年に講談社が『週刊少年マガジン』を創刊すると、戦前の少年雑誌の代表格だった『少年倶楽部』も同誌に統合される形で1962年に終刊する[10][11]。また、週刊少年マガジンと同年には小学館が『週刊少年サンデー』を創刊、1960年代のうちに少年画報社が『週刊少年キング』、秋田書店が『週刊少年チャンピオン』、集英社が『週刊少年ジャンプ』と週刊漫画雑誌を相次いで創刊し、五大誌時代を形成していく[12]。1980年代に入ると、1982年に『週刊少年キング』が休刊する一方で、1989年に『週刊少年ジャンプ』が発行部数500万部を記録するなど週刊漫画雑誌間の競争も激化していく[13][14]

少年雑誌に掲載される少年漫画の人気が高まるとともに成人読者や女子読者も獲得していき、1981年に毎日新聞が実施した読書世論調査では小学生から高校生までの女子にも少年雑誌の読者が一定数いることが確認できる[14][15]。1981年に『週刊少年ジャンプ』で連載が開始した「キャプテン翼」など女性人気の高さから社会現象となる作品も現れ、少年漫画の読者層は広がりを見せる[16]

内容の変化

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明治初期に創刊した『穎才新誌』や『学庭捨芳録』などの作文雑誌の影響を受け、草創期の少年雑誌は読者投稿の比重が大きく、『少年園』でも懸賞作文企画が人気を呼び、読者投稿の掲載に特化した雑誌も出版される[7][17]。また、当時の立身出世主義と結びついた学校案内や科学教養に関する記事が多く掲載された[7][17]

1891年に巖谷小波が日本初の児童小説とも評される「こがね丸」を発表して以降は児童文学の創作も盛んとなり、これらを積極的に掲載した『少年世界』が人気を獲得する[18]。また、押川春浪の成功によって冒険小説という作品ジャンルが成立し、吉川英治江戸川乱歩などの作品が各誌に掲載され、明治末期から昭和初期にかけて大衆児童文学の黄金期を築く[18][19]。1930年代以降は、1931年に『少年倶楽部』で田川水泡が「のらくろ」の連載を開始するなど、誌面に占める漫画の比率が高まっていく[20]

第二次世界大戦後は、戦後復興期に赤本漫画が流行、1950年代から1960年代にかけて週刊漫画雑誌の創刊が相次ぐ[12][20]。また、1958年に『鉄腕アトム』のアニメ放送が開始すると、少年雑誌に掲載された人気作品のアニメ化という流れも生まれ、キャラクタービジネスの展開が本格化していく[12][21]。1990年代以降は「ドラゴンクエスト」などのテレビゲームとの関係も深まっていく[16]

広告媒体として

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少年雑誌は、その草創期から広告媒体としても活用されており、『穎才新誌』にも書籍の広告が掲載されているほか、1900年代には痩せ薬などの美容商品の広告も確認できる[22][23]。明治末期には出版社を介した通信販売(代理販売)も一般的になり、昭和に入ると「どりこの」のような出版社主導の商品広告も現れる[24][25]

また、1960年代以降、雑誌掲載作品のアニメ展開が進むと、作品内のキャラクターとタイアップした玩具や菓子のコマーシャルが定着するなど、キャラクターそのものにも広告価値が見出されていく[26][27]

日本の主な少年雑誌

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週刊少年雑誌

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児童向け雑誌

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脚注

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  1. ^ 『大日本百科事典 第8』小学館、1969年、624-626頁。doi:10.11501/2525990 
  2. ^ 福田清人、原昌『児童文学概論』建帛社、1971年、206-224頁。doi:10.11501/12443277 
  3. ^ 牟田有紀子 (2019). “国境を越えるGirlhood:Girl’s Own Paperの場合”. Seijo CGS Working Paper Series (成城大学グローカル研究センター) (15): 21-29. https://seijo.repo.nii.ac.jp/records/5748. 
  4. ^ a b 山戸依子 (2006). “日本的「少女趣味」の誕生:「少女」の共同体とその欲望”. 表現文化 (大阪市立大学) 1: 107-130. https://ocu-omu.repo.nii.ac.jp/records/2006478. 
  5. ^ a b c 浜崎廣『雑誌の死に方 生き物としての雑誌その生態学』出版ニュース社、1998年、29-43頁。ISBN 9784785200794 
  6. ^ a b 滑川道夫『児童文化論』東京堂出版、1970年、92-94頁。doi:10.11501/12043191 
  7. ^ a b c 佐藤(佐久間)りか (2005). “〈少女〉読者の誕生 性・年齢カテゴリーの近代”. メディア史研究 (メディア史研究会) 19: 17-41. 
  8. ^ 桑原三郎『少年倶楽部の頃:昭和前期の児童文学』慶応通信、1987年、100-115頁。doi:10.11501/12461539 
  9. ^ 加藤謙一『少年倶楽部時代:編集長の回想』講談社、1968年、46-48頁。doi:10.11501/2933441 
  10. ^ 上笙一郎『日本児童文学の思想』国土社、1976年、190-192頁。doi:10.11501/12461466 
  11. ^ 『本の問答300選』出版ニュース社、1969年、182頁。doi:10.11501/12234879 
  12. ^ a b c 小島明、廣畑一雄、清水正三郎『子どもの中のテレビ』国土社、1983年、109-110頁。doi:10.11501/12275185 
  13. ^ 『時事年鑑 昭和60年版』時事通信社、1984年、233-234頁。doi:10.11501/12405262 
  14. ^ a b 米沢嘉博「マンガ文化用語の解説」『現代用語の基礎知識 1990年版』自由国民社、1990年、74-78頁。doi:10.11501/12446577 
  15. ^ 『読書世論調査 1982年版』毎日新聞社広告局、1982年、135-140頁。doi:10.11501/12276932 
  16. ^ a b いけうちしのぶ「コミック市場の変容」『エイティーズ:八〇年代全検証 いま何がおきているのか』河出書房新社、1990年、186-199頁。doi:10.11501/13315297 
  17. ^ a b 木村小舟『少年文学史 明治篇 上巻 改訂増補』童話春秋社、1949年、62-112頁。doi:10.11501/1705972 
  18. ^ a b 久松潜一 編『日本文学史6 増補新版』至文堂、1977年、970-979頁。doi:10.11501/12450913 
  19. ^ 佐藤忠男『子どものアイドル』文化出版局、1980年、69-72頁。doi:10.11501/12038691 
  20. ^ a b 菅忠道『児童文化の現代史』大月書店、1968年、49-63頁。doi:10.11501/3040513 
  21. ^ 土屋新太郎『キャラクタービジネス:その構造と戦略』キネマ旬報社、1995年、77-78頁。doi:10.11501/13112195 
  22. ^ 東京アートディレクターズクラブ 編『日本の広告美術:明治・大正・昭和 第2 (新聞広告・雑誌広告)』美術出版社、1967年、16頁。doi:10.11501/2469105 
  23. ^ 『「美少年の系譜」展:少年雑誌に見る美意識の変遷 解説書』弥生美術館、1991年、15頁。doi:10.11501/13315342 
  24. ^ 『日本の通信・カタログ販売:歴史とケーススタディ』流通産業研究所、1977年、84-86頁。doi:10.11501/12024189 
  25. ^ 内川芳美 編『日本広告発達史 上』電通、1976年、341頁。doi:10.11501/12024442 
  26. ^ 内川芳美 編『日本広告発達史 下』電通、1980年、283-284頁。doi:10.11501/12020569 
  27. ^ 安田卓矢『コマーシャル・キャラクター:制作テクニックと効果的な展開法』誠文堂新光社、1975年、106-108頁。doi:10.11501/12025262 

関連項目

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