ポスト団塊ジュニア

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ポスト団塊ジュニア(ポストだんかいジュニア)とは、日本の団塊ジュニアと呼称される世代の後に生まれた世代のこと。1975年生まれから1981年生まれを指し、「団塊ジュニアの後に生まれた世代」と、「ポスト団塊の世代の子供世代」の2つの意味がある。

概説[編集]

「ポスト団塊ジュニア」と呼ばれる1975年から1981年までに生まれた世代は、1990年代後半から2000年代前半にかけてのインターネットが普及した時期に社会人となった。しかし、少年期の時代背景は、1970年代後半生まれと1980年代初頭生まれの世代とでは、大きな断層が見られる。これは、「冷戦という“長い安定期”の終わり」「冷戦後という“短い周期で変化する世界”の始まり」である1989年(日本では昭和から平成に元号が変更)を、何歳の時に体感したかによって異なるからである。

1980年代初頭生まれの世代は、「10歳の時点で冷戦が終わっていた」世代であり、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が発生した1995年当時はまだ義務教育期間中という世代で、高校時代からネットや携帯電話に親しみ、女性はコギャル文化やお姉系などの新しい文化を形成し、概ね1990年代後半においての青少年文化の担い手となった世代である。

一方で、1970年代後半生まれの世代は、概ね「小学校時代はまだ冷戦時代」であり、阪神・淡路大震災などが発生した1995年頃には既に義務教育を終えており、少年期にはファミコンなどに象徴される1980年代の青少年文化の中で育つなど、青少年文化としては団塊ジュニア(1970年代前半生まれ)の延長線上に位置しているが、大学時代にネットや携帯電話の普及が拡大した世代でもあった。

成長過程[編集]

誕生[編集]

ポスト団塊ジュニアは戦後30年を経た安定成長期に生まれた世代であり、「冷戦の中弛み」が顕わになった時期に生まれた。この時期を象徴する出来事として、政治ではロッキード事件1976年)、娯楽では王貞治の756本ホームラン(1977年)、少年の世界では校内暴力の頻発(1980年前後)が挙げられる。

親世代は、戦後混乱期から1950年代前半に生まれた世代(団塊の世代しらけ世代断層の世代)に相当する。親世代は高度経済成長の恩恵を多大に受けて育った世代であり、1975年1980年の生涯未婚率も僅か2%であった[1](「一億総中流」も参照)。つまり、「結婚子持ちが当たり前、結婚子持ちで一人前」という風潮が強いという事であり、裏返すと、子供の権利という意識が希薄で、育児に不適格な者でも結婚子持ちができた時代だったと言える。この時代を象徴する作品として、『ドラえもん』(1979年アニメ化)や『あばれはっちゃく』(1979年~1985年)など暴力や暴言で子供を抑圧する「毒親」を描いた作品が代表的である。

この世代は出生数が急激に減少していった年代でもあり、1975年生まれが約190万人だったのに対し、1979年は約164万人にまで減少している。

学生時代[編集]

ポスト団塊ジュニアの学生時代は、ポスト団塊ジュニアの前半(1970年代後半生まれ)と後半(1980年代初頭生まれ)でかなり異なっている。ただ、教育面については1980年の学習指導要領で学んだ世代であり、広義のゆとり教育を受けた世代であると言える。

前半生まれ(1970年代後半生まれ)
後半生まれ(1980年代初頭生まれ)
  • 小学校入学の時期はバブル景気の最中であった。しかし、小学校時代にバブル景気もソビエト連邦も崩壊し、就職氷河期の序章、「リストラ」と称した整理解雇ブームの勃発、1955年体制の崩壊(1993年8月9日)など、冷戦体制が崩壊してアメリカ型社会に変わり始める中で、小学校時代から中学校時代までを過ごした。この就職氷河期とアメリカ型社会の到来を象徴するテレビドラマとして、『家なき子』(1994年)が代表的である。
  • 高校入学の時期は、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件などが起こった1995年を境にいわゆる「コギャル文化」が一斉に開き、同時にMicrosoft Windows 95の登場によって、本格的なIT社会が到来した時代であった。しかし、一方では「アメリカ型社会に変えよ」という動きが増強して、雇用環境が年々悪化していった。
学習指導要領

学生時代中に教育や休日の変化に直面した人がいる世代である。教育の変化としては、1980年代に行われていたゆとり教育(ゆとりカリキュラム)から、「ゆとりの時間」や新学力観を取り入れた、新しい教育を受けたゆとり世代でもある。休日の変化としては、祝日法の改正、学習指導要領の改正、1992年9月12日以降の第二土曜日の休み、1995年4月22日以降の第四土曜日の休みなどである。そのため義務教育期間中に、1977年度生まれ以降は、第二土曜日の休みを経験し、1978年度生まれ以後は、学習指導要領が変わり、新学力観を体験した。この世代は「分数のできない大学生」といった著書が出るなど、一流大学でも分数や二次方程式ができないと学力の低下が指摘された世代でもある。

1979年度生まれ以降は、1985年の祝日法の改正で、5月4日国民の休日となったため[2]、小学校入学時点で既に5月4日が休みとなっていた。さらに、1976年度生まれが中学校を卒業するまでは、全国の多くの中学校で男子中学生への丸刈り強制が行われていたが、1979年度生まれが中学校に入学する1990年代には、男子中学生への丸刈り強制が廃止されるなど、校則管理教育の緩和が見られるようになった。

大学受験時代[編集]

大学受験は、少子化の影響で[3]、倍率が高かった団塊ジュニア世代とは異なり、ポスト団塊ジュニア世代(特に1980年代初頭生まれ)では徐々に緩和されていった[4]

受験人数の減少だけでなく、偏差値の変化[5][6][7][8][9]、短大の大学改組に伴う大学の増加等もあり、大学入試はより易しくなっていった時代であった。

就職期[編集]

少年期にソビエト連邦の崩壊1991年大晦日)に遭遇した為、社会主義が唾棄され、アメリカ型の無規制資本主義新自由主義)が称賛される中で就職時期を迎え、「失われた20年」と呼ばれる就職氷河期に遭遇した。この為、「就職氷河期世代」「ロストジェネレーションロスジェネ)」とも呼ばれる結果になった。小渕恵三政権や小泉純一郎政権による雇用敵視(1999年産業再生法と派遣業種原則自由化、2003年の製造業への派遣労働解禁)によって非正規雇用に落とされ、2008年世界同時不況による「派遣切り」に遭遇した人々も、同じ2008年に秋葉原通り魔事件を起こした非正規工員も、就職活動そのものを断念したために失業者から外される「非労働力人口」が多い人々も、この世代である。

現に、2014年3月31日の有効求人倍率は正社員だけで0.65倍なのに対して、小渕政権と小泉政権に当たる1999年~2003年の3月31日の有効求人倍率は、非正社員を入れても半分か0.60倍くらいしかなく(→下記の表3と表5を参照);1999年~2001年の2月末日は1年以上失業者の総数が70万人超や80万人超である(→下記表2)。

「超氷河期」と呼ばれた2000年を見ると、1975年~1981年生まれが該当する15歳~24歳の失業率は、外の世代よりも格段に高い。2000年1月31日時点の失業率は、全体が4.7%なのに対して、1975年~1981年生まれが該当する15歳~24歳の男性が8.7%、15歳~24歳の女性が6.5%にまで上昇した[10]。同じく2000年3月31日時点の失業率も、25歳~34歳が5.8%なのに対して、15歳~24歳が11.3%に達した[11]

2000年4月28日に発表された労働力調査によると、いわゆる就職浪人(既卒・新卒の未就職者)の数が、2000年2月29日時点で12万人に対して、2000年3月31日時点で32万人であり、2000年3月に発生した就職浪人が20万人に達した[12]。前後の就職浪人数も、1999年2月28日時点で13万人→1999年3月31日時点で30万人(1999年3月に17万人発生)[13]2001年2月28日時点で13万人→2001年3月31日時点で29万人(2001年3月に16万人発生)[14]という多さであり;1999年~2001年の2月末日時点の15歳~24歳の失業者数は60万人を超えた(→下記表2)。

秋葉原通り魔事件と世界同時不況が起こった2008年と、その翌年2009年には「派遣切り」が頻発したが、この足掛け2年間を見ても、1975年~1981年生まれが該当する28歳~34歳の失業者数は顕著である。2010年2月22日に発表された労働力調査によると、2008年2009年の3ヶ月以上失業者数を比べると、1975年~1981年生まれが該当する28歳~34歳は、2008年が42万人(全体は166万人)に対して、2009年は57万人(全体は214万人)にまで増加した[15]

そして、2010年代も一貫して、1975年~1981年生まれの世代は迫害され続け、40歳を過ぎても非正規雇用を強制される「非正規ミドル」になっている。2015年7月~9月に実施された労働力調査によると、非正規雇用である理由を「正規雇用の職が無いから」と答えた35歳~44歳(1971年~1980年生まれ)の男性は45.2%に昇っており、男女を合わせた35歳~44歳の被傭者約1330万人の中で非正規社員は約390万人に昇る[16]。これに先んじて2014年7月に実施された労働力調査も同様で、「正規雇用の職が無いから」と答えた「不本意プレカリアート」は、35歳~44歳(1970年代生まれ)の男女が71万人で19.2%、25歳~34歳(1980年代生まれ)の男女が75万人で26.9%に上る[17]。この調査において、2014年7月31日時点で非正規雇用の総数は1939万人で、全労働者数の37%に上った。

雇用と失業の各年比較[編集]

表1 出生期と就職期の月間失業者数(基本データ)
測定日 時期 完全失業者数 完全失業率 有効求人倍率
1980年2月29日(金曜日) 出生期 111万人 1.78% 0.78倍
1990年2月28日(水曜日) 少年期 142万人 2.1% 1.37倍
2000年2月29日(火曜日) 就職期 327万人 4.9% 0.52倍
2010年2月28日(日曜日) 30歳前後 324万人 4.9% 0.47倍
2015年2月28日(土曜日) 35歳前後 226万人 3.5% 1.15倍
  • 朝日新聞 1980年3月28日付夕刊2頁、1990年3月31日付8頁、2000年3月31日付夕刊1頁、2010年3月30日付夕刊12頁;毎日新聞 2015年3月27日付夕刊12頁より。
表2 15歳~24歳の月間失業者数
測定日 全体の
完全失業者数
15歳~24歳の
完全失業者数
就職浪人 全体の
1年以上失業者数
15歳~24歳の
1年以上失業者数
1984年2月29日(水曜日) 171万人 37万人 6万人 24万人 3万人
1985年2月28日(木曜日) 164万人 35万人 5万人 21万人 1万人
1990年2月28日(水曜日) 142万人 38万人 6万人 27万人 4万人
1994年2月28日(月曜日) 194万人 45万人 5万人 32万人 5万人
1995年2月28日(火曜日) 199万人 49万人 7万人 36万人 6万人
1996年2月29日(木曜日) 224万人 59万人 9万人 44万人 6万人
1997年2月28日(金曜日) 230万人 55万人 9万人 48万人 10万人
1998年2月28日(土曜日) 246万人 58万人 7万人 51万人 8万人
1999年2月28日(日曜日) 313万人 70万人 13万人 70万人 10万人
1999年3月31日(水曜日) 339万人 - 30万人 - -
2000年2月29日(火曜日) 327万人 66万人 12万人 82万人 14万人
2000年3月31日(金曜日) 349万人 - 32万人 - -
2001年2月28日(水曜日) 318万人 63万人 13万人 83万人 10万人
2001年3月31日(土曜日) 343万人 - 29万人 - -
  • 労働省、総務省 労働力特別調査 毎年2月末日測定、1984年~2001年。「年齢・男女別完全失業者数」を参照。
  • 朝日新聞 1999年4月30日付夕刊1頁、2000年4月28日付夕刊1頁・夕刊27頁、2001年4月27日付夕刊1頁。
表3 15歳~24歳の月間失業率
測定日 15歳~24歳の失業率 全体の失業率 完全失業者数 有効求人倍率
1995年3月31日(金曜日) 7.5% 3.0% 219万人 0.66倍
1996年3月31日(日曜日) 8.1% 3.1% 229万人 0.67倍
1997年3月31日(月曜日) - 3.2% 234万人 0.73倍
1998年3月31日(火曜日) 9.2% 3.9% 277万人 0.58倍
1999年3月31日(水曜日) 男11.7%、女10.2% 4.8% 339万人 0.49倍
2000年3月31日(金曜日) 11.3% 4.9% 349万人 0.53倍
2001年1月31日(水曜日) 男10.2%、女7.8% 4.9% 317万人 0.65倍
2001年3月31日(土曜日) - 4.7% 343万人 0.61倍
2002年3月31日(日曜日) - 4.9% 379万人 0.51倍
2003年3月31日(月曜日) 13.2% 5.4% 384万人 0.60倍
2004年3月31日(水曜日) 11.8% 4.7% 333万人 0.77倍
  • 朝日新聞 1995年4月28日付夕刊2頁、1996年4月30日付夕刊1頁、1997年5月2日付夕刊1頁、1998年4月28日付夕刊1頁、1999年4月30日付夕刊1頁、2000年4月28日付夕刊1頁・夕刊27頁、2001年3月2日付夕刊1頁、2002年4月26日付夕刊1頁、2003年4月25日付夕刊2頁、2004年4月30日付夕刊1頁より。
表4 非正規雇用の年齢別割合
測定日 15歳~24歳 25歳~34歳
1990年2月28日(水曜日) 9.4% 11.7%
1995年2月28日(火曜日) 12.9% 11.8%
2000年2月29日(火曜日) 約23.2% 約15.8%
2005年平均 34.2% 24.3%
2010年平均 30.7% 25.8%
表5 正社員の月間有効求人倍率
測定日 正社員の有効求人倍率 全体の有効求人倍率 完全失業者数 完全失業率
2006年3月31日(金曜日) 0.64倍 1.01倍 289万人 4.1%
2008年3月31日(月曜日) 0.60倍 0.95倍 268万人 3.8%
2009年3月31日(火曜日) 0.32倍 0.52倍 335万人 4.8%
2010年3月31日(水曜日) 0.28倍 0.49倍 350万人 5.0%
2011年1月31日(月曜日) 0.40倍 0.61倍 309万人 4.9%
2014年3月31日(月曜日) 0.65倍 1.07倍 236万人 3.6%
  • 朝日新聞 2006年4月28日付夕刊1頁、2008年4月30日付夕刊2頁、2009年5月1日付夕刊1頁、2010年4月30日付夕刊1頁、2011年3月1日付夕刊8頁、2014年5月2日付夕刊2頁より。

高卒の就職問題[編集]

1997年卒業者(1978年度生まれ)と1999年卒業者(1980年度生まれ)を比較すると、「定職に就いている」が43.7%から24.9%に減り、「アルバイトで働いている」が28.5%から47.8%に増加した[18]。また、団塊ジュニア世代までは高卒女子の主な就職先であった、事務・販売系(百貨店や金融機関など)の正社員の高卒求人は、1997年以後になると皆無に近いという状況になり、高卒で就職を希望する普通科・商業科の女子らに甚大なダメージを与えた。

しかし、就職難を背景に大半が大学・短大・専門学校へと進学し、高卒で就職する者が20%程度まで減ったため、高卒の就職問題はあまりクローズアップされなかった。大晦日時点の高校生の就職内定率も、1999年大晦日が71.3%、2000年大晦日が72.8%、2001年大晦日は67.8%という低さであった[19]

短大卒・大卒の就職問題[編集]

短大卒や大卒の就職活動状況も惨憺たる状況であった。就職氷河期の真っ只中で、採用をしない企業も多く、1997年アジア通貨危機以後、特に2000年(現役の1977年度生まれが大卒)前後は「超氷河期」とも言われた。

他には、1997年には就職協定が廃止され就職活動が変化し、1999年末には派遣の一般事務職解禁により、一般事務職を希望した学生は、正社員から派遣に切り替える企業の都合により、一般事務職で正社員になるのが困難になった。大学新卒者の就職率を見ると、1998年(現役の1975年度生まれが大卒)の就職率は66.6%となっていたが、2003年(現役の1980年度生まれが大卒)には、55.1%と就職率の統計をとり始めて以来過去最低を記録した[20]。そのような状況で就職活動を行う大卒浪人生はさらに厳しい状況となった[21]

また、理系ほど内定率が高くない文系大卒は[22]、理系よりも厳しい状況であった。

大学院卒・医歯獣医学部卒の就職問題[編集]

大学で就職が困難であったこともあり、大学院は理系を中心に12%まで上昇した[23]。理系の場合、修士で就職するものは特に就職難に見舞われることは無かった。これは理系離れが深刻にも関わらず、技術職需要が活発であるためである(理工系大卒や高専卒も同様である)。ポスト団塊ジュニア世代の中で理工系大卒、理工系修士卒、高専卒だけがまともな就職活動をしたと言えるグループかもしれない(ただし、理系でも生物系などは日本のバイオ産業が不振なために就職は芳しくない)。

文系の院卒は修士・博士・博士満期退学を問わず数は多くないが、深刻であり「高学歴ワーキングプア」を多数生み出してしまうこととなった。理系の場合であっても、博士後期へ多数進学したのが団塊ジュニア世代からの特徴であるが、彼らは不安定な任期付き研究員などで職を得るも、契約終了とともに無職となるケースが多発した。

次に6年養成の医・歯・獣医学部卒である。医師の就職は安定したままであるが、問題は歯学部卒と獣医学部卒である。歯科医師獣医師が過剰のため、歯科医師であるにも関わらず、年収が300万台という現実が多発した。獣医師も同じである。歯科診療所はコンビニエンスストアよりも数が多いとされ、結果的にワーキングプアに陥る者も多くなった。ペットクリニックも同様である[24]

就職後・青年期[編集]

ポスト団塊ジュニア世代で何とか正規職員になれたものの希望通りの就職ができなかった者は、職歴を活かして「第二新卒」「20代」を武器に、2006年 - 2008年に転職市場で「リベンジ就職活動」を行い、それに成功して年収を増やした者もいる。しかし、こうした者は幸運かつ僅少であり、転職活動によって年収が減ったケースも少なくなく、更には転職活動が頓挫して正社員から派遣やアルバイトなど非正社員(プレカリアート)に転落した者も多い。『2005年版 労働経済白書』によれば非正規雇用から→非正規雇用となるものが39%、正規雇用から→正規雇用のままが34%、正規雇用から→非正規雇用となるものが21%、非正規雇用から→正規雇用となるものが17%という結果となった。一旦非正規職員となった者は非正規雇用間での就職が多いこと、非正規雇用から正規職員になるものよりも非正規雇用に転落する者が多いという結果となった。

若年者(15歳-34歳)の非正規職員の数は内閣府調査で2001年の段階で417万人(21.2%)、2006年総務省の調査で26%に達した。(この数字に関しては「希望格差社会」など労働問題や家族問題に関する本を参照のこと。なお、厚生労働省の数字は派遣や契約社員の数をカウントしていないので除外することとした。)

又、この1975年~1984年生まれの世代は、独身や厭婚(結婚そのものが嫌い)が市民権を得るに至った世代でもある。非正規雇用を理由に独身でいる者、よしんば正規雇用であっても厭婚を理由に独身でいる者など、様々である。20代を小泉純一郎政権による非正規雇用増大と「勝ち組」「負け組」の分化(「聖域なき構造改革」と称したアメリカ型社会への改造)に巻き込まれたため、小泉政権下の2005年の時点で25歳~29歳(1976年1980年生まれ)の未婚率は男71.4%、女59.0%で、結婚ができない者も多く、受難が続いていることが推定され[25]2010年時点でも30歳~34歳(1976年~1980年生まれ)の未婚率は男46.5%、女33.3%、25歳~29歳(1981年1985年生まれ)の未婚率は男71.1%、女59.9%であった。

将来の生活に対する不安も大きいため、結婚しても子供を作らない人も少なくない。生活防衛のために独身を選ぶ者、子を養育できるだけの経済力を得る見込みがないため独身を続ける者が増えており、「毒親が嫌で離れたいにも拘らず、非正規雇用で別居できない」といった親との同居壮年未婚者(35歳~44歳)も増大している。世界同時不況が起こった2008年の時点で250万人、15%以上である[26]。手短に言うと、「毒親 + 小泉改革 = 負け組」になっている。

この1975年~1981年生まれの世代は、20代を小泉改革に巻き込まれたため、結婚子持ちは「子供を負け組にしたくない」と念じる少数だけに限られるようになり、子供世代は「現代には、のび太ほどドジな子は、そういない」[27]と呼ばれるほど水準が上がっている。このような、「子供を負け組にしたくない」「結婚子持ちは少数の限られた者だけがする行為」という価値観や時代を象徴する作品として、『妖怪ウォッチ』(2014年アニメ化)が代表的である[28]。そして、幸運にも結婚子育てに漕ぎ着けた女性たちは、共働きの為に保育園に子供を預けたいにも拘わらず、保育園不足が問題化している。これを象徴する出来事が、2016年2月15日の「保育園落ちた日本死ね」ブログである。また、これらの「保育園落ちた日本死ね」ブログと『妖怪ウォッチ』の人物設定が支持される背景や、憲法24条(家族条項)が忽略されてきた背景として、菅野完は「政治も社会も、『女・子供』の話題(女性の権利、子供の権利など)に無関心だ」という点を指摘している[29][30]

壮年期(31~45歳)[編集]

2006年以降、ポスト団塊ジュニアが壮年期(31~45歳)に突入した。

1997年ごろの30代前半男性の所得分布の最頻値は500-699万円帯であったものが、2007年に調べでは300万円-399万円帯が最頻値と、収入が激減しているという結果が出た[31][32]

厚生労働省は、2011年の『労働経済白書』で、1970年代後半生まれのポスト団塊ジュニアの男性は、他世代に比べて非正規雇用から抜け出せない人の割合が高く、この世代の若者に非正規拡大の歪みが集中したと分析し[33]ている。

中年期(45~64歳)(予測)[編集]

2020年以降、ポスト団塊ジュニアが中年期(45~64歳)に突入する。

年収700万以上の給与所得者は平成23年国税庁調査で17%まで落ち込んでいる。この数字は団塊ジュニアが50代になった時、アッパーミドルにすらほとんどの人がなれないことを意味する(男性の賃金カーブのピークは50代前半である)。急激な勢いで所得は下落し続けている。デフレーション経済が20年も続いたためである。年功序列の賃金体系は既に解体されつつあり、ほとんどのポスト団塊ジュニアは50歳になっても現在と変わらないレベルの収入にとどまることになる。

1990年代後半以降、日本人の所得中央値は年々低下し、2008年には1998年に比べ100万円以上低い448万円となった。なお、経団連シンクタンク2012年に「このままいけば2030年頃には日本は先進国の座から転落する」という予測をまとめており[34]、ポスト団塊ジュニアが中年期となるころは日本の経済水準が中進国のレベルとなっている可能性がある。

ポスト団塊ジュニアの文化[編集]

1970年代後半生まれの小学校時代は、概ね校内暴力が社会問題化した時代から、バブル景気が進展した時期に相当する。小学生の時期はまだ昭和年間すなわち冷戦時代であった(特に1977年4月2日~1978年4月1日生まれは、冷戦が終わって初めて(1990年に)小学校を卒業した世代である)。そして、バブル景気末期から崩壊期(1991年 - 1993年)の頃には中学生か高校生であった。中学時代から大学時代には、ポケベルが流行し、ジュリアナ東京の開店やJリーグ開幕など、バブルの余韻が残る時期だった。

また、彼らが中高生の時代は、テレビの歌番組の衰退もあり、アイドル冬の時代と呼ばれた時期でもあった。その一方で彼らが小学校高学年の頃より『三宅裕司のいかすバンド天国』によるイカ天ブームが巻き起こり、より特徴的なヴィジュアルやミュージック・シーンを持つ「アーティスティックなミュージシャン」が注目されるようになる。そんな特徴的な音楽が注目されやすくなった事を背景としてアイドル冬の時代に対してその空隙を埋めるようにヴィジュアル系ダンス・ミュージックに注目が集まるようになった。特にダンス・ミュージックのシーンからは、その音楽性を前面に押し出した小室ファミリーが登場して人気を集めた。この世代が大学生くらいの頃になるとゲームセンターにおいてはコナミBEMANIシリーズ、特に「drummania」や「Dance Dance Revolution」が人気を集めた。また、20代の頃は『浅草橋ヤング洋品店』の企画から発生したモーニング娘。の登場を発端とするハロプロ系アイドルの全盛期でもあった。

一方で、1980年代前半生まれだと、小学校入学の時期がバブル景気の時期であり(特に1983年4月2日生まれ以降は、冷戦が終わった後に小学校に入学した)、小学校高学年は失われた20年に突入した時期である。ジュリアナ東京の開店やJリーグ開幕など、バブルの余韻が残る時期は、この小学校時代に当たる。そして、中学校時代から高校時代にかけての時期に、Windows95の登場とインターネット社会が到来し、ポケモンハロプロが盛況を起こした。

スポーツに関しては前世代までは『巨人の星』やその後を追ったフォロワー作品の影響によって「町内会レベルで結成されたスポーツ少年団ソフトボールから始まり高校野球を経てプロ野球で活躍する事が最大の花形」として子ども文化に根付いていたものが、野球を中心とした体制によるスポ根作品の限界が来た事によって、他のスポーツにもメディアの目が向けられるようになり「若者の野球離れ」の本格的な前兆を見せる事になる。サッカーにおける『キャプテン翼』や『がんばれ!キッカーズ』のヒットと「Jリーグ開幕」はその大きな象徴のひとつだが、他にもバスケットボールでも『SLAM DUNK』人気に伴う米国NBAへの注目の高まりと、そこから火が付いたアメリカン・ストリートカルチャーの初期流入が起こり、そこを軸としてスケートボード人気が起こった。柔道でも『YAWARA!』などに見られるように、スポーツのフィーチャー作品が注目を浴び他の多くのスポーツでも同様の事例が多く見られ、子どもたちが少年期・青春期から知覚し触れる事のできるスポーツの選択肢がこの世代において一気に多様化した。

ファッション[編集]

ポスト団塊ジュニアは服飾文化の成熟化の中で育ち、日本独自の若者服の文化を生んだ世代であった。小中学生時代はバブル景気に差し掛かった時期で、DCブランドを着る小学生が現れるなど、ジュニアファッションの流れが生まれ始めた。

1990年代前半は、1970年代後半生まれは中学~高校在学、1980年代初頭生まれは小学校時代に重なる。この時代で一世を風靡した特徴的ファッションとしては、男子では、Gショックブーム、スウォッチブーム(女子の間でも)、MA-1などのフライトジャケットブーム、ネルシャツなどの古着、ナイキのエアシューズ、サーフブランドシャツなどが支持を受けていた。サーフシャツに関しては、多くがサーフィンとは縁のない若者が着用していたりし、彼らは丘サーファーなどと総称されていた。

風変わりなところでは、当時のJリーグ開幕に合わせて、男女とも腕に多数のミサンガを巻き付けるスタイルが、あるいは、ミネラルウォーターのペットボトルに水を入れて首に下げる(最終的には玄関に置き「猫除け」として使われるようになった)。ベルトの余った部分を敢えて、リングに通さず下に垂らしておく。ジーンズ、チノパンなどのパンツを腰ではく、いわゆる「ダボパン」「腰パン」というようなファッションも一部浸透していた。 ネルシャツ、フライトジャケット、Gショックなどの当時定番アイテムは、1990年代に流行した若者向けドラマに出演していた木村拓哉などの人気俳優、当時一世を風靡した歌番組HEY×3に出演していた浜田雅功、ダボパンについては当時流行していたMCATやEAST END+YURIなどヒップホップ系ミュージシャンの影響も無視することはできない。

ダボパンについては、当時私服通学が許可されていない制服着用義務がある学校でさえ、スラックスなどを腰から着用する男子が続出し、校則問題を揺るがすことにもなった。

日焼けした肌、長髪など、当時の反町隆史、竹野内豊らがけん引した「ワイルド」と呼ばれるスタイルが一定の支持を受けつつも、対照的に「フェミ男」と呼ばれる中性的な女性的なファッション趣向を好む男子も1990年代中盤一定数存在しており、ウェーブがかったパーマを当てたカラーヘア、タイトな柄シャツやパンツに身を包む事を好み、当時、野島伸司脚本ドラマで一時代を築いた、いしだ壱成、黒夢の清春、当時若者の間で絶大な支持を受けていたバラエティー番組、めちゃイケに出演している武田真治などが主なファッションアイコンであった。

女子の間では、バーバリー、ベネトンなどのブランド支持を受け、高校にバーバリーのマフラーやベネトンのトートバッグ等を愛用する女子が多数存在した。また、このひとつ前の世代、バブル期の若者ファッションに繋がる、ゴージャスな服装も好まれる傾向があったが、スウェードのようなベーシックな生地と共に、フェイクファーなどを首に巻いたりなど、豪奢なものにとらわれないファッションを構築したのは、前世代とは一線を画した。

男子はエンジニアブーツ、キャンプブーツなどのローカットからミドルカットのブーツが、女子はハイカットのブーツが人気を博した。特に、女子のブーツはヒールが10cm以上だったり、厚底のブーツなど極端なシルエットのブーツも支持を得た。前半世代のファッションアイコンとしては、やはり安室奈美恵の存在が非常に大きかった。ほぼ彼女らと同世代ということも手伝い、彼女の表現したファッションはそのまま当時の女子に波及していった。 ブーツと同様にカジュアルなスニーカー系も、同様の人気を博し、1990年代前半までは、ナイキからバスケット選手であるマイケルジョーダン特製モデルが毎年のようにリリースされ、特に人気が高くプレミアもついた。その流れを受け継ぎ、ナイキはソール部分にエアクッションを挿入し、それを透明化することで視覚的に華のあるデザインとし、1990年代中盤、空前のナイキエアシューズブームを引き起こす。学生らはこれらの商品を求め、また着用せず収集のみに徹するコレクターも出現した。他に、リーボック、アディダス、ニューバランス等のスニーカーも人気を集めた。

ソックスにおいては、1990年代中盤以降、女子中高生の間で、ルーズソックスと呼ばれるスタイルが大流行し、校則が許せる範囲内の学校であれば大部分の女子がこのスタイルを取り入れていた。校則が厳しい学校であっても、登下校時に履き替える者も現れるなど、この流行に学校側は手を焼くことになるほどの社会現象となった。

髪型においては、茶髪が一気にファッションの一つとして浸透しはじめ、ドラッグストアなどで様々な色とりどりのブリーチ剤、ヘアカラーが出揃うことになり、また併せて1990年代あたりから、マツモトキヨシなどの大手ドラッグストアも台頭しはじめることになった。 1990年代前半は吉田栄作、浅野温子などの人気俳優女優の影響から、サラサラヘアブームが流行し、男女の間で浸透。サラサラ成分をうたう様々なヘアスタイルリング剤が登場。1990年代中期は、木村拓哉、江口洋介、豊川悦司、竹野内豊などの影響を受けて、ロンゲと呼ばれる長髪ブームが男子の間で流行。肩までかかるくらいの長髪であることがオシャレで、ちょっと不良なモテ要素として確立されていた。それに並行して整髪剤でオールバックにし、後ろ髪を少し跳ねさせるなどのヘアスタイルも一部男子で支持を受けていた。

他方、1990年代中期から後半にかけて、小麦色の肌にすることが男女の間で流行になり、それは次第に夏に限らず春夏秋冬、一年を通して小麦色の肌であることが求められ、市街地では「日焼けサロン」と呼ばれる多数のサンタンマシン(日焼けマシン)が設置された施設が人気を博し、街は日焼けした若者で溢れかえった。その後、その程度が顕著になり、小麦色を通りこして真っ黒になった女子が続出し、彼女らは「ガングロ女子」と総称されるようになった。が、以後、このブームは衰え、街の日焼けサロンも店を畳むことになった。

メイクアップとしては、それまで眉毛は自毛のまま、さほど手を加えない事が主流だったが、1990年代前半からは、手を加える事が主流になり、眉毛をほとんど落として、改めて眉をペンで書くという今に至る流行を確立したのも1990年代中期の女性、女子であった。

1990年代後半、1980年代初頭生まれは高校に進学し、ギャルファッション・ストリートファッションB系・ルーズカジュアル・裏原宿系といった新しいファッションの担い手となった。このころ生まれた日本の若者服の枠組みは、基本的にそのまま2010年代前半まで続いたが、2014年頃にはギャル系雑誌の廃刊が相次ぐなど完全に衰退した。

1990年代後半は、ポスト団塊ジュニア前半世代後半世代に関わらず、女子の間ではキャミソールと呼ばれる服装がブームになった。夏場になるとこのファッションに身を包む女子が続出した。今を以てしても、露出はかなりある服装が支持を受けていた。

1990年代後半に入ると、デフレ傾向からユニクロをはじめとする低価格ブランドの浸透が進み、若者の間で安価におしゃれを楽しむ習慣が普及した。こうしてファッションの多様化・成熟化が完全に定着した。

おもちゃ・玩具[編集]

1970年代後半生まれの男子の間で主にブームになったおもちゃとして、1980年代前半のチョロQブーム、キン肉マン消しゴムブームなどが挙げられる。そして1980年代後半には、空前のビックリマンチョコシールブームやラーメンバーシールブームを筆頭に、怪獣メカであるゾイドブーム、田宮模型(現・タミヤ)のミニ四駆ブームは、当時この世代の男子層の間で空前のブームとなった。

これらの中では、ビックリマンチョコとミニ四駆が一際大きなブームとなり、ビックリマンアイスで旧シールが復刻するまでは、初期のヘッドシールと呼ばれるキラキラシールは珍重され、また小学生でありながら、チョコは箱買い、大人買いしたり、チョコを食べずに捨てシールのみ収得するという少年まで現れ、社会問題となった。

ミニ四駆は、前世代において人気を博したスーパーカープラモデルラジコンカーなどと比べると、本体車両価格が600円と比較的安価で小学生の手に入りやすく、接着剤も使わない「スナップキット」であるために組み立て自体は容易であるため、その入手の容易性と簡便さが子どもたちのニーズにマッチして爆発的な好評を得た。登場当初はラジコンカーの代替としての位置にいたミニ四駆だったが『ダッシュ!四駆郎』などのミニ四駆漫画がメディア展開されるようになると、現実車両やラジコンカーには無いオリジナル(架空)の車体が登場するようになり、ミニ四駆そのものがひとつのコンテンツとして成長していった。またモーター、ベアリングやタイヤ、ホイールを変えて気軽にチューナップ、パワーアップできる要素が少年を引きつけ、1980年代後半には一大ブームとなった。全国的に様々なレースが催され、少年たちのミニ四駆を試す場所が用意されていた。

この1970年代後半生まれの世代は、テレビゲームも黎明期から体験しており、任天堂ファミリーコンピューター(ファミコン)やNECPCエンジンは初期のソフトから馴染みのある世代である。1980年代後半はファミコンの一大ブームとなった時代であり、特に1985年に登場したスーパーマリオブラザーズ1986年から始まったドラゴンクエスト1987年から始まったファイナルファンタジーの各ブームは、1970年代後半生まれの少年たちを興奮の渦へ巻き込んだ。特に1988年のドラゴンクエストIIIの発売日にはカメラ店などで長蛇の行列となり、当時の小中学生が学校を休んでまで買いに行ったり、また購入者を狙った恐喝事件やひったくり事件が発生するなど社会問題ともなった。

さらにこの世代が中学生になるとゲームボーイ(初代)の登場によりゲームギアなどが出されゲームウォッチ以来の携帯型ゲームブームが到来。「いつでもどこでも好きなゲームができる」ようになり、いわゆる「ゲーム文化」が急速に構築され浸透した。その一方で家庭用ゲーム機はスーパーファミコンの時代に入り『ストリートファイターII』の爆発的な人気に伴い格ゲーブームが到来した。以降、高校生になるとプレイステーション(初代。PS1)とセガサターンニンテンドウ643DOがシェアの覇権を狙って奪い合う次世代機ブームが起こる一方で同時期の女子高生を中心とした爆発的な第一次たまごっちブームが社会現象となり、青年期にはいるとゲームセンターでは上述した体感ゲームのブームおよび家庭では高校生時代に慣れ親しんだ機種の上位機種であるプレイステーション2ドリームキャスト、壮年期にはいるとNintendo Wiiと、成長と同時にゲーム機の進化を体感し続けた世代ともいえる。

自動車・ドライブ[編集]

1990年代は、車に関心がある若者も多い時代であった。ポスト団塊ジュニアが免許を取得し自動車に乗り始めた1990年代中盤〜後半の自動車業界といえば、ハイソカーなどデートカーのブームは既に終焉していたが、ガソリン価格もまだ安く、マツダ・RX-7三菱・ランサーエボリューション三菱・GTOトヨタ・スープラ日産・スカイラインGT-Rホンダ・シビックタイプRなど、国産メーカー各社はハイパワーのスポーツカー(当然、2000年代以降の基準では悪燃費である)を次々に投入していた。しかし、まだ大学生や専門学校生あるいは新社会人であったポスト団塊ジュニアのクルマ好きの多くは当然これらの新車を購入することはできず、バブル期の前後に発売されたモデルを中古車として手にして、週末や平日の夜のドライブを楽しんだ。また若者にも手が出る廉価な軽自動車にも、スズキ・アルト(ワークス)やダイハツ・ミラ(アバンツァートX4・X2)、スバル・ヴィヴィオ(RX-R)などホットハッチのグレードが用意され人気を博していた。

1990年代はRVブームの時代であり、ミニバンワゴンのユーザー層は子育てファミリーから若者にまで広がった。日産・キューブホンダ・S-MXホンダ・CR-Vは高い実用性と趣味性を両立させていたことから若者を中心に幅広い年齢層に爆発的に売れ、トールワゴン及びクロスオーバーSUVというジャンルを定着させた。

平成12年排出ガス規制が施行される2000年を境にスポーツ志向のモデルは一気に減少し、RVブームも落ち着いて、実用性と燃費重視の軽トールワゴンハイブリッドカーが売れ筋となっていくが、小泉構造改革に伴う若年層の所得の減少によって、2000年代中頃に若者の車離れが顕在化するまでは、(首都圏や関西圏ですらも)車中心の生活を送る若者も多く、車に仲間と乗り合わせてレジャーや買い物に出かけるという(公共交通が貧弱な地方では2010年代現在も一般的な)ライフスタイルが大都市圏の若者の間でもよく見受けられた。ナンパなども車を介して行われる事も珍しくなかった。

制服[編集]

真性団塊ジュニアと呼ばれる1970年代後半生まれ世代は、中高の制服面においても、大きな転換点を迎えた世代であった。つまり、昭和期以来それまでベーシックユニフォームであった、学ラン&セーラー服というスタイルから、男女共にブレザーというスタイルを徐々に浸透させていた世代である。特に、私学校あるいは、公立校でも新設されたばかりの新しい中高では、この潮流にすぐに対応しはじめた。 背景としては、後者の制服の方が、スタイルやデザインに多様性を持たせる事ができ、おしゃれに敏感であった当時の若者達の支持を得やすかったこと。また、学ラン、セーラー服だと、不良生徒が制服を変形させるようなことも、ブレザースタイルを導入することでそれを幾分回避させることができることもあった。

と、それは同時に、セーラー服で長いスカートを着用することが、学ランでリーゼントやパンチパーマ、裏刺繍等をすることがダサイという価値観に結び付き、ブレザーで、丈の短いスカート、ルーズソックスを着用する、オールバックヘアなどをしつつ、Yシャツの裾はスラックスから出し、腰パンで崩して着用する等、制服に対しての考え方、立ち位置も徐々に変化しだしたのも特徴的であった。

漫画・アニメ等[編集]

1970年代後半生まれに当たる真性団塊ジュニア世代において、熱心にアニメを視聴していた頃は、彼らの小学校時代であった1980年代が中心となる。またテレビネットワークも2000年代以降ほど整備はされておらず、地方ではクロスネット局も多かった。そのため地方局における早朝および夕方のローカルセールス枠においては『巨人の星』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『タイムボカンシリーズ』などに代表される過去に都市圏で好評を博したアニメ作品の地方再放送も頻繁に行われていた時代であり、この世代において地方で育った者の幼少期においては前世代の作品においても触れる機会も多かったと言える。一方で、この時期は都市部から郊外地にかけてレンタルビデオ店が増加した時代にもあたり、この事によって過去の作品やマニア向けビデオ作品の視聴が容易になった時代でもある。

これらの事から、この世代はおたくにおける世代分類で言うところの「オタク第二世代の後期」から「オタク第三世代の中核」にあたる。この世代以降は前世代までと比べれば漫画・アニメ・ゲームなどを代表するアキバ系オタクカルチャーに対する意識は「成長しても側にあるのが当たり前」という認識の元にあり、こうした意識の元に大人文化と子ども文化の認識融合が進むこととなり、成長してもアニメや漫画などを嗜む者が増え、前世代からさらに、アニメや漫画のメイン購読層の推移が進んだ世代と言える。

1970年代後半生まれの男子層から特に人気を博していたアニメに『キン肉マン』『ハイスクール奇面組』『聖闘士星矢』『Dr.スランプ アラレちゃん』『ドラゴンボール』『キャプテン翼』『シティーハンター』『SLAM DUNK』『機動戦士Ζガンダム』などが挙げられ、こうした作品(前出の挙例で言えば『Zガンダム』以外の作品)の原作を多く抱えた『週刊少年ジャンプ』は黄金期を迎えた。これらの多くのアニメにおいては、当時子供たちの最大の玩具であったファミリーコンピュータと連動する形で、次々に主要アニメをテーマとしたファミコンソフトが1980年代中盤に登場した。この中では、特に『ドラゴンボール』の人気が一際高く『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』原作者でもあり『ドラゴンクエストシリーズ』のモンスターデザインを手がけた鳥山明に対しての思い入れが強い世代である。また前世代とのジャンクション的に『うる星やつら』『らんま1/2』『めぞん一刻』などの高橋留美子作品に対する人気と、それに伴う同者への思い入れも強く影響を残している世代である。また、少女向け作品は全国放送されることが少なかったためこれらの作品の一部は女子層にも人気があった。

この世代の幼少期は劇画青年漫画の最初の隆盛を越えた上で、その影響を受け前世代における「少年向け週刊誌」(『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』など)の購読対象年齢層が自然発生的に上昇していったため、その原点回帰として児童漫画が見直された時期にあたり、それを象徴するように1977年小学館から『月刊コロコロコミック』が創刊され、第一次の黄金期を迎えた。それを追うように1981年講談社から『コミックボンボン』が創刊される。両雑誌において『コロコロコミック』側は前述の『ドラえもん』を中核としてタミヤRCカー・ミニ四駆・ビックリマン・ファミコンの情報を、『コミックボンボン』側はガンダムシリーズをはじめとするサンライズバンダイの提携作品を中核とした、ラーメンばぁガンプラカードダス赤塚不二夫作品・水木しげる作品の情報を、それぞれに独自の提携情報として扱い、これを前面に押し出して当時の子どもたちの人気を二分した。当時の『コロコロコミック』から生み出されたコンテンツとして小林よしのりの『おぼっちゃまくん』やのむらしんぼの『つるピカハゲ丸』などが、『コミックボンボン』からのコンテンツとして『GO! レスラー軍団』や『SDガンダム / 騎士ガンダム』などが送り出された。特に『おぼっちゃまくん』に関しては、子どもが好む下ネタ駄洒落言葉遊びとして用いた茶魔語を、主人公が用いる言葉として採用して子どもたちにブレイクするも、これが団塊世代およびポスト団塊世代を中心とした親世代の不興を強く買い物議を醸した。

また上述した「購読対象年齢層の上昇」に伴う漫画・アニメの購読年齢層の上昇普遍化によって、当時ゾーニングが未熟だった漫画業界は前世代より有害コミック騒動に晒されていた。ポスト団塊ジュニアの児童漫画・少年漫画の基礎購読時代は、同時にこの騒動の展開の後期にあたる。そのため1990年代前期までは漫画業界と親団体の衝突が、たびたび問題となっていた。

女子層からは、1980年代中期に『スタジオぴえろ制作の魔法少女シリーズ』作品が人気を集め『クリィーミーマミ』『ペルシャ』『マジカルエミ』『パステルユミ』等当時歴代の主人公が使用していた変身アイテムなどを当時の少女達は購入し、模倣する光景もみられた。一方で1978年室山まゆみの『あさりちゃん』が始まり、これもまた最終的には世紀を跨いで発表され続けた全100巻のロングランヒットとなった。1989年には『東映不思議コメディーシリーズ』が『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』以降、美少女路線に舵を切ることで少女需要を内包した作品群となり1990年には同シリーズから『美少女仮面ポワトリン』が登場して好評を得た。また、1980年代中期~1990年代前期はりぼんなかよし等の小中学生向け少女漫画雑誌が部数を伸ばした頃であり『ときめきトゥナイト』『姫ちゃんのリボン』(りぼん)『美少女戦士セーラームーン』『魔法騎士レイアース』(なかよし)などが人気を博した。

この世代だけに限った事ではないが、藤子不二雄作品も引き続きこの世代の子供達に人気を博し『ドラえもん』(F)を筆頭に『オバケのQ太郎』『パーマン』(これらはF)『怪物くん』『忍者ハットリくん』(これらはA)などのリメイク作品のみならず『プロゴルファー猿』『ウルトラB』(これらはA)『キテレツ大百科』『チンプイ』(これらはF)などの新規作品も人気を獲得した。また、幼年層から高齢層まで幅広く受け入れられているスタジオジブリ作品においても、幼少期からリアルタイムに映画館に足を運んで見ており、ファミリー層向けアニメとして日本アニメーションの『世界名作劇場シリーズ』も前世代から引き続き一定の支持を得ていた。

1990年からは、アニメ『ちびまる子ちゃん』(さくらももこ)ブームが起こった。家族全員で視聴できるコミカルな内容であり、当時中学生に上がるか上がらないかの世代の生徒らも、十分楽しめる内容であり、このアニメで使用された主題歌、B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」は、空前の大ヒットを記録した。

1980年代は、まだアニソンというジャンルは確立されていなかったが、この頃のアニメ主題歌は、ノリがよい曲も多く、ドラゴンボールの「摩訶不思議アドベンチャー」、聖闘士星矢「ペガサス幻想」「ソルジャードリーム」、キャプテン翼「冬のライオン」、タッチタッチ」等、未だこの世代のカラオケ定番曲として愛される傾向にある。

その一方で1990年代におけるアニメブーム、上述した『美少女戦士セーラームーン』や『新世紀エヴァンゲリオン』の登場と台頭、それに伴うセカイ系作品やハーレムアニメに代表される深夜アニメの勃興、さらにはレンタルビデオの登場によって身近になったビデオ作品をテレビ用にリメイクした『機動警察パトレイバー』『天地無用!』『バトルアスリーテス 大運動会』『神秘の世界エルハザード』などの登場、さらには「角川スニーカー文庫」「富士見ファンタジア文庫」「電撃文庫」の創刊による角川系ライトノベルの本格的な登場とそのメディアミックスに伴う『スレイヤーズ!』『ゴクドーくん漫遊記』『魔術士オーフェン』『セイバーマリオネット』の登場など、それらによる旧世代(主には、この世代が小学生時代に慣れ親しんだ1980年代のアニメ作品)の作風の否定と淘汰を、いわゆる精神的な成長に対して再影響を受けやすい思春期・青春期にあたる中高大学時代に受けて過ごしたのも、この世代の特徴と言える。

ネット・ケータイ[編集]

携帯電話PHSインターネットの普及が始まった時期は1990年代中盤のころである。1970年代後半生まれは、高校卒業以後の大学時代や専門学校時代にインターネットと接触し、「つながり世代」と呼ばれることもある[35]。なお、1999年NTTドコモiモード登場によって、高校生 - 大学生期には『ケータイ』は主役のツールとなっていた。

コギャル[編集]

20世紀末に高校生であり、コギャル文化を形成した女性を「コギャル」と呼び、ルーズソックスプリクラなどを流行させた。コギャル文化は2000年から急速に衰退するが、コギャル文化を担ったこの世代の一部は大学生・OLなどによる「お姉系」として、引き続き流行の担い手として君臨し続けることとなった。

1990年代後半には、コギャル世代の一部の者が、ファッションや携帯電話代や交際費などの遊ぶ金欲しさに、テレホンクラブで主に中高年男性相手の「援助交際」と言う名の売春行為を行ったことが、メディアで盛んに取り上げられたが、ほとんどのコギャルはファッションを真似ていただけで援助交際に関わっていた者は少数であった。

ポスト団塊ジュニアと非正規雇用[編集]

 : ポスト団塊ジュニアを含む年齢階級
 : 年齢階級の最大値

年代別非正規雇用の比率[36]
15-24歳※ 25-34歳 35-44歳 45-54歳 55-64歳 65歳以上
2002年 29.7 20.5 24.7 27.8 37.5 62.1
2003年 32.1 21.5 25.4 28.8 38.3 63.1
2004年 33.3 23.3 26.4 29 39.8 65.8
2005年 34.2 24.3 26.6 30 40.8 67.5
2006年 33.1 25.2 27.4 30.3 40.8 67
2007年 31.2 25.8 27.2 30.6 40.9 67.3
2008年 32 25.6 27.9 30.5 43 68.6
2009年 30 25.7 27 30.6 42.8 67.1
2010年 30.4 25.9 27.4 30.7 44.2 68.9
2011年 <32.3> <26.4> <28.0> <30.9> <46.4> <69.6>
2012年 31.2 26.5 27.6 31.4 46.2 68.8
2013年 32.3 27.4 29 32.2 47.8 71.5
2014年 30.7 28 29.6 32.7 48.3 73.1

※在学中は除く
・2011年の数値は東日本大震災の影響により正確な値を調べることができなかったため補完的に推計した値(2010年国勢調査基準)となっている。

脚注[編集]

  1. ^ 社会実情データ図録 年齢別未婚率の推移
  2. ^ 2007年以降、5月4日はみどりの日となっている。
  3. ^ 2002年 人口動態統計の年間推計 1973年生まれが約209万に対して、1979年生まれは151万人にまで減少している。
  4. ^ 大学入試の基礎知識 近年の受験環境 志願者数については1993年(1974年度生まれが現役)は121万人であったが、1999年(1980年度生まれが現役)には88万人になった。入学率についても1990年(1971年度生まれが現役)は62.1%であったが、1999年(1980年度生まれが現役)には80%を超える。
  5. ^ 各種偏差値データ
  6. ^ 代ゼミデータリサーチ1994年1975年生まれ現役受験時) - 各種偏差値データ
  7. ^ 代ゼミデータリサーチ1998年1979年生まれ現役受験時) - 各種偏差値データ
  8. ^ 大学入試センター 志願者数・受験者数等の推移志願者数は、1994年が約53万人、2001年が約59万人であった。
  9. ^ 代ゼミ偏差値では1996年(1977年度生まれが現役)時と1997年(1978年度生まれが現役)以降を比べると急激に私立大学を中心に下落している。
  10. ^ 朝日新聞 2000年2月29日付夕刊2頁
  11. ^ 朝日新聞 2000年4月28日付夕刊27頁
  12. ^ 朝日新聞 2000年4月28日付夕刊1頁、27頁
  13. ^ 朝日新聞 1999年4月30日付夕刊1頁
  14. ^ 朝日新聞 2001年4月27日付夕刊1頁
  15. ^ 朝日新聞 2010年2月23日付9頁
  16. ^ 朝日新聞 2016年2月4日付3頁
  17. ^ 厚生労働省 若年者雇用を取り巻く現状(2014年6月調査) 「非正規雇用労働者の動向などについて」を参照。
  18. ^ しんぶん赤旗 2000年11月4日付8頁
  19. ^ 朝日新聞 2002年2月8日付34頁
  20. ^ e-Stat 学校基本調査
  21. ^ ただし、大卒の就職率には、大卒浪人生は含まれていないので注意が必要である。
  22. ^ 大卒・理系の就職内定率
  23. ^ e-Stat 学校基本調査 2002年度 卒業後の状況調査
  24. ^ 山田昌弘『ワーキングプアの時代』pp65-66.より
  25. ^ 山田昌弘『少子社会日本』pp19-21.
  26. ^ 山田昌弘『ワーキングプアの時代』p51.
  27. ^ ファミ通 2014年4月21日号 日野晃博氏が語る『妖怪ウォッチ』ブームの秘密と今後の野望
  28. ^ 『妖怪ウォッチ』に熱中している少年の世代は、概ね2003年2007年(小泉政権から福田康夫政権の時期)の生まれで、親世代が特に1977年以前生まれである例がしばしば見られる。そして、祖父母世代は1945年(原爆投下、第二次大戦終結)前後に生まれた世代である。なお、1977年~1984年生まれの世代は、『妖怪ウォッチ』と同じく「11歳の小学5年生が主人公で、ドジな子・毒親・意地悪な人物がいない」作品である『キテレツ大百科』がアニメ化された時期に小学校時代を過ごしている。
  29. ^ 菅野完個人サイト 2016年7月1日「なぜメディアは日本会議を報道してこなかったのか」
  30. ^ T-SITE 2016年7月6日「『日本会議の研究』著者に聞く その怖さと強さの秘密」
  31. ^ Jcastニュース35歳で年収300万以下 団塊ジュニアの苦難続き人生
  32. ^ ただし、2007年の時点での30代前半には、団塊ジュニアも含まれる
  33. ^ 1970年代後半生まれ支援を 非正規対策で労働経済白書
  34. ^ 日本、先進国から脱落?…経団連の研究機関予測読売新聞 2012年4月16日
  35. ^ Impress Watch「ネットユーザー白書2006 発売」
  36. ^ 労働力調査 長期時系列データ表10 年齢階級,雇用形態別雇用者数

参考文献[編集]

関連項目[編集]