長友佑都

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長友 佑都
名前
愛称 ユウト、ナガ[注 1]、モトリーノ[注 2]
カタカナ ナガトモ ユウト
ラテン文字 NAGATOMO Yuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-09-12) 1986年9月12日(37歳)
出身地 愛媛県西条市
身長 170cm[5]
体重 68kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテル・ミラノ
ポジション DF(SB) / MF(WB)
背番号 55
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2010
2010-2011
2011-
日本の旗 FC東京
イタリアの旗 ACチェゼーナ
イタリアの旗 インテル・ミラノ
72 (5)
16 (0)
48 (4)
代表歴2
2008- 日本の旗 日本 47 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月14日現在。
2. 2012年6月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 - )は、愛媛県西条市出身のプロサッカー選手セリエAインテルナツィオナーレ・ミラノ所属。ポジションはディフェンダー(サイドバック)。日本代表

来歴

生い立ち

スポーツ一家に生まれ、母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手吉田達雄。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実大叔父にあたる。父方の祖父も明治大学出身の元ラガーマン。

小学校1年生時にサッカーを始め、6年次に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けるも落選[6]。西条市立北中学校時代に恩師である井上博に出会い[7]、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベースが作られた[6][7][8]。サッカーの強豪東福岡高校では、森重潤也のもと2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが[8][9]、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず、進学先の明治大学政治経済学部[10]には指定校推薦で入学した。高校時代の同級生には近藤徹志ラグビー日本代表豊田将万などがいる。

明治大学時代

2005年、明治大学サッカー部入部直後に椎間板ヘルニアを発症し、試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。この時期、サッカーができないストレスでパチンコなど遊興に溺れた日々もあったが、実姉や大学の同窓生の叱咤激励もあってこれを乗り越えることができたと語っている。大学2年次の2006年にサイドハーフから右サイドバックにコンバートされた。明治大学所属時の神川明彦監督は長友を右サイドバックにコンバートさせた理由について、フィジカルの強さ、走力、攻撃の完結力を生かすためであると語っている[11][8][注 3]。3バックで臨む際にはセンターバックを務めたこともあった[13]。ここから急速に頭角を現し、全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出された。同学年には藤田優人林陵平橋本晃司などがいた。

2007年3月に行われたFC東京との練習試合におけるFWのリチェーリとのマッチアップが当時の原博実監督など東京関係者の関心を引き[14]、5月から特別指定選手としてFC東京の練習に参加[15]。7月8日のナビスコカップ準々決勝の対横浜FM戦で途中起用され公式戦デビューを果たす。さらにU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出[注 4]。右サイドバックで出場し、突破からの先制点に加えてPKを獲得するなどの活躍を見せた。

FC東京時代

大学卒業を待たずしてプロに進むことを決意し、2008年に在学したままサッカー部を退部してFC東京と正式契約を結んだ[17]。大学を1年残して退部し東京とのプロ契約を決断した理由の一つに、「女手一人で自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」事を挙げている[18]。3月8日、リーグ開幕戦の神戸戦から、前年までのレギュラーだった金沢浄らを押しのけてスタメン出場を果たす。5月3日、第10節大宮戦でJリーグ初得点を決めた。東京加入後の主ポジションは左サイドバックであったが[19]、同年後半、当時の監督城福浩は、東京のその時点でのチーム状況や対戦相手の選手の特長によって、右サイドバックを主としていた徳永悠平と長友を左右入れ替えて起用した[20]

同年5月には岡田武史監督率いる日本代表に初招集され、5月24日のキリンカップコートジボワール戦にフル出場して代表初キャップを記録。11月13日のキリンチャレンジカップシリア戦では先制のミドルシュートを決め代表初得点を記録した。また、同年の北京オリンピック日本代表に選出され[21]本大会にも出場したが、チームはグループリーグ3戦全敗に終わり、後に「余裕がなかった」「思い通りのプレーはできなかった」と語っている[22]

2009年からは土斐﨑浩一フィジカルコーチとともにアップダウンの質の向上を目指し走法の改良に着手[23]。運動量と、強靭なフィジカルを活かしたスピード感のあるプレーに磨きをかけた。同年12月に日本代表の特別講師を務めた川本和久からは、代表選手の中で唯一長友だけが「文句なし」のランニングフォームであると評価された[24][7]。同年後半からは攻撃の駒としてサイドハーフに上がり、サイドバックには椋原健太らが投入されるという起用法も見られ[25]、東京のナビスコカップ優勝に貢献するなど、ユーティリティー性を発揮し、この年のJリーグベストイレブンにも選出された。

2010年6月に開催された2010 FIFAワールドカップでは、全4試合に左サイドバックでフル出場を果たした。グループリーグ第1戦のカメルーン戦ではサミュエル・エトオを徹底マークし完封、第2戦のオランダ戦においては途中出場したエルイェロ・エリアのポジションに合わせて右サイドバックにポジションチェンジするなどエースキラーとして活躍し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。同大会から国際サッカー連盟(FIFA)が導入したレーザー計測によると、長友のトップスピードは第1戦(カメルーン)では時速30.13キロ[26]、第2戦(オランダ)では同26.70キロ[27]と、両試合共に対戦相手を含めて最速を記録した[注 5]。また、この活躍により地元の愛媛県から愛媛県文化・スポーツ賞を授与された [30]

7月14日、ワールドカップでの活躍が評価され、セリエAに20シーズンぶりに昇格したACチェゼーナへ買い取りオプション付きでのレンタル移籍が決定。退団セレモニーの際は「みなさんと別れるつもりはありません。世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです」と涙ながらに語り、東京サポーターから拍手でイタリアに送り出された[31]

ACチェゼーナ時代

チェゼーナ時代

チェゼーナでは自ら希望した背番号5番を譲り受け[32]、左サイドバックとして開幕戦(対ローマ戦)からフル出場。マッシモ・フィッカデンティ監督からは「長友は左右どちらもいいが、ポゼッションとビジョンの点では左の方がいい」と評され[33]、試合に応じ両サイドで起用(試合展開によっては前線に入る)され、11月21日の第13節パレルモ戦ではチェゼーナ加入以来初となるアシストを決めた[34]。その後、12月18日の第17節カリアリ戦までフィールドプレーヤーではチーム唯一の全試合フル出場を続け、ロレンツォ・ミノッティ強化部長からは「(長友は)とてもいいプレーをキープしており、人間的にも素晴らしくロッカールームを団結させる存在」と高く評価された[35]。また、本人もセリエAでの経験から、トップレベルの相手に対する間合いの取り方を体得し、走力、フィジカルの更なる向上の手応えを掴んだと語っている[36]

2011年1月に開催されたAFCアジアカップ2011では全6試合にフル出場(日本代表では長友と今野泰幸のみ)し、決勝のオーストラリア戦では試合途中に左サイドバックから左サイドハーフにポジションを上げて、李忠成の決勝点をアシストするなど日本代表のアジア制覇に貢献した[37]

インテル時代

2011年1月31日、移籍金約2億円でチェゼーナへ完全移籍し[38]、さらに冬の移籍市場の最終日となった同日、ダビデ・サントンとのトレードで、インテルへのシーズン終了までのレンタルが決定した[39][40][41]。背番号は55番[注 6]。2月6日、セリエA第24節のローマ戦でインテルでのデビューを飾り、3月6日の第28節ジェノア戦にてセリエA初得点を決めた。3月15日、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメント1回戦2ndレグバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場で日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場を果たし、アウェーでの勝利に貢献[43]。準々決勝では内田篤人が所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決を演じ、2ndレグでは両チーム最長の走行距離を記録し[44][45]、地元紙から高評価を得たものの[46][45]、チームはここで敗退。5月22日のリーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた。5月29日、シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝のパレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にした。

2011-12シーズンの始動日となった7月1日、5年契約でインテルへの完全移籍が発表された[47][48]12月10日の第15節フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催)ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴールを挙げ、12月21日レッチェ戦では2アシストの活躍を見せた。2011-12シーズンのインテルは不振により、2度の監督交代があり、交代当初は起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した。

プレースタイル

豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。俊敏性に優れ、1対1に強く上背はないが、大型FWにも競り負けないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つ。効果的ドリブル、思い切りの良い飛び出し、そして相手の隙を突いて放つミドルシュートも大きな武器である。守備の文化があるイタリアに渡ったことでカバーリングやポジショニングにも磨きがかかった[49][50][51]

試合中での献身的なプレーや走行距離に裏付けされた運動量によって、長友がボールを持って走り出すと観客席から大きな歓声が起きることも珍しくない。イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ』では長友について「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評している[52]

エピソード

  • 明治大学在学中に教職課程にも通った。卒業論文のテーマは「イギリス文化研究」[53]
  • 明治大学時代、怪我で試合に出場ができなかった頃の長友の叩く応援太鼓はスタンドの話題となり[54]鹿島のサポーター集団IN.FIGHTから勧誘を受けるほどだった[55]
  • U-22代表に選考されたきっかけは、2007年1月初旬に明大の神川監督が同大の1年後輩であり当時U-22代表のコーチを勤めていた江尻篤彦に「どうしても見て欲しい選手がいるので、だまされたと思って一度(長友の)プレーを見に来て欲しい」と連絡し、総理大臣杯準々決勝を江尻が視察に訪れたことがきっかけとなった[56]。神川は「(後輩の)江尻がコーチでなければ電話はできなかった。直接話せる人がそういう立場にいることはなかなかないし、運命だった」と語っている。
  • 2010年2月、FC東京がキャンプ地としている宮崎県都城市の特派大使に任命された[57]。同市は、父方の祖父の出身地でもあり、名前の「佑」もここから付けられた。5月には、既にFC東京選手会および城福監督が口蹄疫被害への義援金を同市に提供していたが、個人としても義援金を提供[58]
  • 地元愛媛県の久万高原天体観測館職員中村彰正は、自ら発見した小惑星(登録番号158241)に『Yutonagatomo』と命名している[59]
  • セリエA初得点を決めた時にハビエル・サネッティと披露したお辞儀のパフォーマンスは地元紙で大きく報じられた[60]。このお辞儀は元々、長友がインテルの練習で行っているもので、いまでは長友がお辞儀をすると観客もお辞儀を返すほど有名になった。
  • インテル移籍後の2011年4月30日、アウェーのチェゼーナ戦では、チェゼーナに在籍していたシーズン前半で16試合にフル出場しチームに多大な貢献を与えたという理由で、、試合前にチェゼーナのマンチーニ副会長から特別表彰のトロフィーが贈られた[61]。また2011年12月18日のアウェー戦でも試合開始前にチェゼーナサポーターから「ユウト」コールが上がり長友もこれにお辞儀で応えるなど、わずか半年間の在籍だったにも拘らずチェゼーナとはクラブ、サポーター両者共に非常に良好な関係を保っている[62]
  • インテルでのチームメートであるヴェスレイ・スナイデルとは公私共に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった[63]。またキャプテンのサネッティは長友について「ユウトはたまたまインテルでポジションを手に入れたわけではない」とサッカー選手として評価しながらも、「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだ。かわいすぎるよ! あんなにチームのフィーリングとマッチする選手って、滅多に居ないんじゃないかな。だからみんなから好かれてるんだよ」と語っている[64]
  • インテルの会長マッシモ・モラッティはチームで最もフレンドリーな選手に長友を挙げ、「チームのマスコットとなり、 震災の影響を感じさせず明るく振舞っている」と評価している[65]。チームの合宿でも他の選手から「同じ部屋にいると楽しめる」という理由で同室を希望する声が殺到したり[66]、新シーズンに向けたイベントでは5000人のサポーターをチャントで煽り盛り上げるなど[67]、卓越したコミュニケーション能力が注目されている。
  • 2011年5月にはピッチ内外でエレガンスとフェアプレーを示した選手としてサネッティらと共に「サン・シーロ・ジェントルマン賞」を受賞した[68]
  • 自身初の著書「日本男児」が、2011年6月6日付のオリコン本ランキングで、スポーツ選手としては初となる売上1位を獲得した[69]
  • 2011年7月、一般人女性と交際中であることを公表[70]
  • 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した『2011年度世界のディフェンダートップ5』の一人に選ばれた[71]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴
  • 2008年 - 2011年1月 日本の旗 FC東京
  • 2011年1月 - 6月 イタリアの旗 ACチェゼーナ
  • 2011年7月 - 現 在 イタリアの旗 インテル

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2006 明治大 12 - - - 1 0 1 0
2007 2 - - 1 0 1 0
2007 FC東京 36 J1 0 0 1 0 - 1 0
2008 5 29 3 3 0 3 0 35 3
2009 31 1 4 1 1 0 36 2
2010 12 1 1 0 - 13 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2010-11 チェゼーナ 5 セリエA 16 0 0 0 - 16 0
インテル 55 13 2 3 0 - 16 2
2011-12 35 2 1 0 - 36 2
通算 日本 J1 72 5 9 1 6 0 87 6
日本 - - 2 0 2 0
イタリア セリエA 64 4 4 0 - 68 4
総通算 136 9 13 1 8 0 157 10
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFAUEFA CL
2010-11 インテル 55 3 0
2011-12 7 0
通算 UEFA 10 0

経歴

タイトル

クラブ

代表

個人

アマチュア時代
プロ時代

代表歴

日本代表での長友

試合数

  • 国際Aマッチ 47試合 3得点 (2008年 - )


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 7 1
2009 11 2
2010 16 0
2011 10 0
2012 3 0
通算 47 3

ゴール

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2008年11月13日 日本神戸 シリアの旗 シリア ○3-1 キリンチャレンジカップ2008
2. 2009年05月31日 日本、東京 ベルギーの旗 ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009
3. 2009年10月08日 日本、静岡 香港の旗 香港 ○6-0 アジアカップ2011 予選

書籍

執筆書籍

関連書籍

出演

CM

日本
』長友 春篇 (2012年) - ももいろクローバーZと共演
イタリア
  • インテル・チャンネル (2011年)

テレビ・ラジオ

PV

  • Miss Monday 「Run The World -意思あるところに道あり-」 (2011年)

脚注

注釈
  1. ^ チェゼーナの元同僚、エマヌエレ・ジャッケリーニ[1]インテルの元同僚、マルコ・マテラッツィ[2]など。
  2. ^ 「MOTORINO」。イタリア語で「原動機付自転車」を指す[3][4]
  3. ^ 一方で、クロスの精度や攻撃のオプションのパターンには課題が残るとしていた[12]
  4. ^ U-22日本代表は二次予選第5戦終了時点でアジア最終予選進出を決めていたため、第6戦のマレーシア戦は消化試合となっており、この試合に限っては主力メンバーの大半が入れ替ったセカンドチームとなっていた[16]
  5. ^ 第3戦(対デンマーク)ではクリスティアン・エリクセンが同28.72キロを[28]、決勝トーナメント1回戦(対パラグアイ)では本田圭佑が同29.43キロを記録しており及ばず[29]
  6. ^ 「いつも5番を着けていたが、デヤン・スタンコビッチが使っていたので、55番を希望した」とコメントしている[42][3]
出典
  1. ^ チェゼーナ時代の同僚が長友を称賛「長友は素晴らしいクオリティーを持っている」 サッカーキング、2011.04.28
  2. ^ …….BEN ARRIVATO NAGA……W IL GIAPPONE !!!!!! 2011.02.09
  3. ^ a b 【イタリア】「長友はミニバイクだ」とサネッティは言った web Sportiva、2011.02.11
  4. ^ 【イタリア】今日も練習場ではマテラッツィが長友につきまとう web Sportiva、2011.02.26
  5. ^ 長友佑都プロフィール GUAPOオフィシャルブログ 2010.02.25
  6. ^ a b 長友23歳「天職」証明の日「エトー止めて世界驚かせる」 asahi.com、2010.06.14
  7. ^ a b c 挑む23選手:サッカー・W杯日本代表/9 DF・長友佑都 毎日新聞、2010.05.26
  8. ^ a b c OCNスポーツ・インサイドストーリー vol.9 “負けじ魂”で代表まで上り詰めた 長友佑都のちょっと「逞しい話」 (元川悦子) OCNスポーツ 2010.09.15
  9. ^ Sports Graphic Number 775 長友佑都 「不屈」文藝春秋、2011年3月24日、26-32頁。 
  10. ^ サッカー部OB・長友佑都氏がサッカーW杯日本代表に選出されました”. 明治大学 (2010年5月10日). 2012年6月1日閲覧。
  11. ^ 2010年1月31日放送「FOOTBALL DX
  12. ^ FORZA SHIKOKU 長友佑都 第3回「サイドバックという新たな道」 SPORTS COMMUNICATIONS、2007年11月
  13. ^ CB長友『東京ダービー』に秘策!! 東京中日スポーツ、2008.04.11
  14. ^ 長友帰国「原さんに恩返し」 日刊スポーツ、2010.08.30
  15. ^ 長友佑都選手(明治大学)「JFA・Jリーグ特別指定選手」承認のお知らせ FC東京 2007.05.02
  16. ^ 若手選手たちが持つ、金メダル以上の価値。 Number Web、2010.12.12
  17. ^ 長友佑都選手(明治大学)来季新加入内定のお知らせ FC東京オフィシャルウェブサイト、2007.12.19
  18. ^ 週刊サッカーダイジェスト 2008年Jリーグ選手名鑑 100頁
  19. ^ 城福浩のヒトとチームを鍛えるサッカー小論 インテル移籍の第一歩となったコンバート 日経ビジネスONLINE、2011.7.21
  20. ^ 長友 安田とガチンコ勝負だ チームで初の右SB起用 東京中日スポーツ、2008.07.16
  21. ^ 第29回オリンピック競技大会(2008/北京)サッカー男子メンバーに 長友佑都選手、梶山陽平選手選出のお知らせ FC東京オフィシャルウェブサイト、2008.07.14
  22. ^ <反骨心が支えたW杯への道> 長友佑都 「挫折から這い上がったサイドバック」 Number Web、2010.06.08
  23. ^ 長友佑都が特殊な走法を身に付け、「戦えるサイドバック」に変身! Number Web、2009.09.28
  24. ^ 「SOCCER ウイークリー」 読売新聞朝刊、2010年8月3日付紙面
  25. ^ 東京長友が左MFで1点&アシスト/J1 日刊スポーツ、2009.09.27
  26. ^ Player Statistics JPN (PDF) FIFA.com
  27. ^ Player Statistics JPN (PDF) FIFA.com
  28. ^ Player Statistics DEN (PDF) FIFA.com
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  32. ^ 長友選手「ゴリラの『5』だしね(笑)。信じて待ちます」 エル・ゴラッソ web版 BLOGOLA 2010.07.15
  33. ^ 長友12戦連続フル出場も…チェゼーナ惜敗 スポーツニッポン、2010.11.15
  34. ^ 初アシストの長友、チームトップの高評価 ワールドサッカーキング、2010.11.22
  35. ^ ザックお願い!! 長友招集しないで…チェゼーナ強化部長が懇願”. スポーツ報知 (2010年11月30日). 2010年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月10日閲覧。
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  62. ^ 伊紙は長友の積極的な仕掛けを評価「3試合連続ゴールへ果敢に挑んだ」SOCCER KING、2011.12.19
  63. ^ 長友がスナイデルの自宅でクラシコを観戦、ビッグイヤーを手にする記念ショットも ワールドサッカーキング、2011.04.28
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関連項目

外部リンク