バイエルン・ミュンヘン

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バイエルン・ミュンヘン
Logo FC Bayern München.svg
原語表記 FC Bayern München
愛称 Der FCB
Die Bayern(バーアリアンズ)
Stern des Südens(南の星)
Die Roten(赤)
クラブカラー
創設年 1900年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
ホームタウン ミュンヘン
ホームスタジアム アリアンツ・アレーナ
収容人数 71,000
代表者 ドイツの旗 カール=ハインツ・ルンメニゲ
監督 スペインの旗 ジョゼップ・グアルディオラ
ホームカラー
アウェイカラー
Champions League
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FCバイエルン・ミュンヘンe.V. (ドイツ語: Fußball-Club Bayern München e.V.) は、ドイツバイエルン州ミュンヘンに本拠地を置くスポーツクラブである。サッカー部門が最も良く知られており、ドイツサッカー1部のブンデスリーガに所属している。ドイツサッカー史上最も成功したクラブであり、これまでに国内リーグを25回、カップ戦を17回制している(共に最多記録)[1]

UEFAチャンピオンズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグにおいてもドイツ国内では最多となる合計5度の優勝を果たしているほか、2014年の時点で5クラブのみであるビッグイヤーの永久保持が認められているクラブの一つでもある。ブンデスリーガ発足の初年度から参加したクラブではないが、ブンデスリーガ参戦以降は一度も1部リーグから降格したことがない。ホームスタジアムアリアンツ・アレーナであり、2004-05シーズンまではミュンヘン・オリンピアシュタディオンをホームスタジアムとしていた。

概要[編集]

FCバイエルンは1900年にフランツ・ヨーンに率いられた11名のサッカー選手によって創設された[2]。1932年に初めて全国タイトルを獲得したが[3]1963年のブンデスリーガ発足時には参加クラブに選ばれなかった[4]。クラブは1970年代中頃にフランツ・ベッケンバウアーのキャプテンシーの下で黄金期を迎え、ヨーロピアンカップ3連覇(1974-76)を果たした。これまで、バイエルンはヨーロピアンカップ/UEFAチャンピオンズリーグ決勝に10度進出しており、ごく最近では2013年のチャンピオンズリーグを制し、国内タイトルと合わせて3冠を達成した。また、UEFAカップを1回、UEFAカップウィナーズカップを1回、UEFAスーパーカップを1回、FIFAクラブワールドカップを1回、インターコンチネンタルカップを2回制しており、国際的に最も成功した欧州クラブの1つである。

伝統的なローカルライバルTSV1860ミュンヘン1.FCニュルンベルクである(バヴァリアン・ダービーを参照)。今現在のライバルはボルシア・ドルトムントであり、両者の対戦はDer Classiker(The Classic)とも呼ばれている。

バイエルン・ミュンヘンのマークはバイエルン王国バイエルン州の旗に使用されているヴィッテルスバッハ家の白銀のフュージリー(地)に青のロズンジ(菱)をベンドワイズ(斜め)に並べた紋章を基にしている。

2005-06シーズンの開始時から、バイエルンはアリアンツ・アレーナにおいてホームゲームを開催している。それ以前は、ミュンヘン・オリンピアシュタディオンを33年間本拠地としていた。チームカラーは赤色と白色、チームクレストは白色と青色のバイエルンの旗の示している[5]。モットーは>>Mia san mia<<(ミア・ザン・ミア)でバイエルン語で「我らは我ら」であり>>Mia san *****<<(我々は*****である)からなる16条のモットーがある[6][7][8]。クラブの会員は22万3985人で、会員数では世界で2番目のスポーツクラブである(1位はポルトガルのベンフィカ[9]。また、公式に登録されたファンクラブが3576あり、26万2077人の会員がいる[10]。クラブにはサッカー以外にもチェスハンドボールバスケットボール体操スキットルズ卓球審判員、シニアサッカー部門があり、1100名以上の活発な会員がいる[11]

FCバイエルンは2013年12月現在で、UEFAUクラブランキングで2位[12]IFFHSのクラブワールドランキングで1位である[13]

2012-13シーズンのクラブ収入は4億3120万ユーロと算定されており、レアル・マドリードFCバルセロナに次ぐ世界第3位である[14]。また、クラブ創立以来借金をしたことがなく、2014年には世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて、18億5000万ドルと算出されており、ブンデスリーガで第1位、世界ではレアル・マドリード、FCバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドFCに次ぐ第4位と評価されている[15]。胸スポンサーはドイツテレコム

元会長のフランツ・ベッケンバウアー、現代表取締役のカール=ハインツ・ルンメニゲ、前会長のウリ・ヘーネスをはじめ、ゲルト・ミュラーローター・マテウスユルゲン・クリンスマンアンドレアス・ブレーメオリバー・カーンなど、ドイツサッカー史に残るビッグネームの多くが所属したクラブであり、創設から主将を務めたのはマルク・ファン・ボメルを除き全員がドイツ人選手である。

歴史[編集]

1960年代まで[編集]

1900年、ミュンヘンのスポーツクラブに所属していたサッカーファンのメンバーによって作られたチームがクラブの起源である。

1926年に南ドイツ・チャンピオンシップで優勝し、1932年にはドイツ・チャンピオンシップで優勝を果たした。

ブンデスリーガ発足時の初年度参加は逃したが、1965-66シーズンにはDFBポカール優勝、1966-67シーズンにはDFBポカール連覇とUEFAカップウィナーズカップ優勝を、1968-69シーズンはブンデスリーガ優勝をそれぞれ達成した。

1970年代[編集]

この頃からフランツ・ベッケンバウアーゲルト・ミュラーウリ・ヘーネス、といった選手たちが大活躍した。1971-72シーズンから1973-74シーズンにはブンデスリーガ3連覇を、1973-74シーズンから1975-76シーズンにかけてはUEFAチャンピオンズカップを3連覇した。

1980年代[編集]

この頃は、1980年バロンドール受賞のカール=ハインツ・ルンメニゲ や ローター・マテウスアンドレアス・ブレーメシュテファン・ロイターユルゲン・コーラーといった若手の台頭もあり、1984-85シーズンから1986-87シーズンにブンデスリーガ3連覇を達成。さらに1988-89シーズン、1989-90シーズンにもブンデスリーガ2連覇を達成した。

1990年代[編集]

1993-94シーズンはブンデスリーガ優勝、1995-96シーズンにはUEFAカップを達成。1996-97シーズンはブンデスリーガ優勝、1997-98シーズンはDFBポカール優勝を達成。

1998-99シーズンはオットマー・ヒッツフェルトが監督に就任。1998年夏の移籍市場ではシュテファン・エッフェンベルクらを獲得。ブンデスリーガ優勝を果たすも、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝でマンチェスター・ユナイテッドFCと対戦し、後半ロスタイムに逆転負けを喫して準優勝に終わった。この敗戦はカンプ・ノウの悲劇とも呼ばれる。

1999-2000シーズンは、ブンデスリーガ2連覇とDFBポカールで優勝した。

2000年代[編集]

2000-01シーズンはブンデスリーガ3連覇とUEFAチャンピオンズリーグで優勝。2001-02シーズンはインターコンチネンタルカップ優勝を果たす。2002-03シーズンはブンデスリーガとDFBポカールにて優勝する。2003-04シーズンはトビアス・ラウ、ロイ・マカーイマルティン・デミチェリスを補強。前シーズン同様独走での優勝が予想されたが、メーメット・ショルが5試合の出場に留まり、ウィリー・サニョルロベルト・コヴァチサミュエル・オセイ・クフォーといった最終ラインのキーマンが離脱と復帰を繰り返し、ミヒャエル・バラックも7ゴールと13アシストと結果こそ残すも疲労と慢性的な故障を抱えながらのプレーに終始。セバスティアン・ダイスラーも過度のストレスとガールフレンドのハイリスク妊娠による鬱病で入院する等、まさに野戦病院状態。それは地元ミュンヘン・オリンピアシュタディオンの試合に1-3で敗れ、優勝を攫われる屈辱を味わったヴェルダー・ブレーメン相手には1分け1敗、3位のバイエル・レバークーゼンには1勝1分け、4位でフィリップ・ラームを放出したVfBシュトゥットガルト、当時万年降格候補と呼ばれながら5位に大躍進したVfLボーフムとはそれぞれ1勝1敗とここ一番の勝負強さには定評のあるチームが上位陣との直接対決で勝ち越せなかった事からも証明される様に本来の調子からほど遠いパフォーマンスに終始。DFBカップでは当時2部だったアレマニア・アーヘンに敗れベスト8敗退。UEFAチャンピオンズリーグでは対戦前は当時8勝4敗でと相性が良く、ホームアンドアウェーの公式戦では必ず1つはものにしていたレアル・マドリードに初めて2試合共勝てずに2戦合計1-2(第1レグ1-1)でベスト16敗退無冠。そのシーズンの33節終了後、6シーズンの間チームを率いたヒッツフェルトが任を解かれた。

その後、フェリックス・マガトが監督に就任し、2004-05シーズンと2005-06シーズンにブンデスリーガとDFBポカールをそれぞれ2連覇した。しかし、2006-07シーズンはチェルシーに移籍したバラックの穴を埋められず、11シーズンぶりにシーズン途中で監督を交代してヒッツフェルトが監督に就任したものの3季ぶりの無冠に終わっただけでなく、UEFAチャンピオンズリーグの出場権を12シーズンぶりに逃してしまった。2007年夏の移籍市場ではルカ・トーニミロスラフ・クローゼらと共にフランク・リベリーをブンデスリーガ史上最高額の2500万ユーロで獲得。2列目から3列目の選手が次々と前線に飛び出す超攻撃的サッカーで開幕から8勝2分けとロケットスタートを切った事で勢いを増し尚且つリーグ史上最少の22失点と鉄壁の守備を武器にブンデスリーガは2位のブレーメンに勝ち点10の差をつけて3節残して2年ぶり21回目の優勝。DFBポカールも6試合のうち3試合が延長戦に持ち込まれる接戦を演じるも2年ぶり14回目の優勝。2007-08シーズンは1995-96シーズンに優勝し12シーズンぶりに出場するUEFAカップとの3冠も期待されたが、UEFAカップの準決勝でロシア・プレミアリーグで当時下位に沈んでいたFCゼニト・サンクトペテルブルクに2戦合計1-5(特にサンクトペテルブルクで0-4で敗戦)と決勝進出は確実と思われた2試合で大敗を喫する失態を演じ、2年ぶりに達成した国内の2冠も後味の悪さを残すシーズンとなってしまった。なおこのシーズンでオリバー・カーンが現役を引退した。

2008-09シーズン、地元開催の2006年ワールドカップドイツを3位に導いたとはいえ、監督歴はドイツ代表を2年間率いただけで、クラブチームで指揮を執った経験のない右も左もわからない言わば新米のユルゲン・クリンスマンが監督に就任。ワールドカップドイツ代表の教え子で12年間ブレーメン一筋だったティム・ボロウスキ、そのワールドカップで優勝したイタリア代表のマッシモ・オッド等を補強。スピーディーでアグレッシブな攻撃サッカーを標榜するも、3バックと4バックを試していた最終ラインが前掛かりになるアンバランスなスタイルの皺寄せも受けて過去10シーズンで最低の42失点と伝統的な強みだった守備が崩壊。一度も首位に立つ事が無いという屈辱を味わいシーズン終了を待たずにクリンスマンは解任され、ユップ・ハインケスが監督に就任するも無冠に終わった。2009-10シーズン、ルイ・ファン・ハールが監督に就任。2009年夏の移籍市場ではイヴィツァ・オリッチアリエン・ロッベンらと共にマリオ・ゴメスを、またもブンデスリーガ史上最高額を更新する3000万ユーロで獲得すると同時にホルガー・バトシュトゥバーダヴィド・アラバ等を下部組織から昇格させる。ブンデスリーガは攻撃的ミッドフィールダーのバスティアン・シュバインシュタイガーをボランチにした事が功を奏したのに加え、トーマス・ミュラーがブレイクしリーグ戦の9連勝(14節のハノーファー96戦から22節のボルシア・ドルトムント戦)を含む公式戦19試合連続無敗(8節のケルン戦から26節のフライブルク戦)の快進撃でリーグ最多の72得点とシャルケ04と共にリーグ最少タイ31失点で2年ぶり22回目の優勝DFBポカールもトーナメントを通して僅か3失点で2年ぶり15回目の優勝。自身9年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ決勝ではイタリア王者・インテルミラノに敗れ準優勝に終わる。なお、2009年にフランツ・ベッケンバウアーが会長職を退き、会長職にウリ・ヘーネスが、ゼネラルマネージャーにクリスティアン・ネルリンガーが就任した。

2010年代[編集]

2012-13シーズンの欧州CL決勝、ドルトムント戦のスターティングメンバー。

2010-11シーズンは10季ぶりにDFLスーパーカップにて優勝。2010年の夏の移籍市場では特に目立った獲得選手はなく、下部組織出身のトニ・クロースを呼び戻したぐらいで2冠を達成した2009-10シーズンのメンバーをベースにシーズンに臨んだが、弱点とみなされていたディフェンス陣の補強を拒否したのに加え、2011年冬の移籍市場でクラブ史上初の外国人主将に就任し、南アフリカワールドカップオランダの決勝進出に貢献したマルク・ファン・ボメルを放出するファン・ハールの独善的な方策とロッベンとリベリー(ロッベリ)が怪我でフル稼動出来なかったのが響き、28得点で得点王に輝いたマリオ・ゴメスの奮闘も実らずブンデスリーガは3位。チャンピオンズリーグでは世界王者・インテルミラノにラウンドオブ16で敗退。DFBポカールでは、シャルケに準決勝で敗れた。

2011-12シーズンはユップ・ハインケスが監督に就任し、2011年夏の移籍市場ではマヌエル・ノイアーラフィーニャジェローム・ボアテングらを計4100万ユーロで獲得するも、同シーズンはボルシア・ドルトムントやこのシーズンからUEFAチャンピオンズリーグの出場権枠が4に増え[16]、その恩恵を受けたボルシア・メンヒェングラートバッハダブルを喫した(ホーム・アウェー共に敗れる事)のも含めて格下のチームに取り零す癖が解消されなかったブンデスリーガ、2年ぶりに決勝に進出したDFBポカールではいずれもドルトムントの後塵を拝し、地元開催の決勝で迎えたUEFAチャンピオンズリーグでは、チェルシーと対戦。後半38分にミュラーが挙げたゴールで先制するも、5分後にディディエ・ドログバにコーナーキックで決められて同点。延長前半5分にPKを獲得するもロッベンがチェコ代表の守護神ペトル・チェフに止められて延長戦でもケリをつけられずPK戦に持ち込まれた末にチェルシーの1人目ファン・マヌエル・マタをノイアーがセーブするも4人目のイビチャ・オリッチ、副主将のシュバインシュタイガーがチェフにセーブされ2人目以降全て成功したチェルシーに敗れ、全てのコンペティションで準優勝に終わった。

2012年夏の移籍市場ではダンテマリオ・マンジュキッチジェルダン・シャキリらと合わせて、2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグファイナリスト・アスレティック・ビルバオからハビ・マルティネスを4000万ユーロ(当時の日本円で約48億円)というブンデスリーガ史上最高額の移籍金で獲得。2012-13シーズンはハインケスが、「大事なのはチーム全体の守備だ」と口酸っぱく言い続け、守備意識の低いロッベリが献身的なディフェンスを披露する様になったのが守備力の向上に繋がり、ミュラーの復活も相まって史上最速28節終了時点でのリーグ優勝を達成。それだけでなく、2011-12シーズンのドルトムントが保持していた81を上回る史上最多91の勝ち点、開幕8連勝、シーズン中の14連勝(第18節のグロイター・フュルト戦から第31節のフライブルク戦)、ブンデスリーガ史上最多の98得点と2007-08シーズンに打ち立てた21を上回るブンデスリーガ史上最少の18失点、2位に勝ち点25をつけてのリーグ優勝も史上最多記録となる等、記録ずくめのシーズンとなった。UEFAチャンピオンズリーグでは、リーグ2位となったドルトムントを下して優勝、その約1週間後のDFBポカールも優勝し、ドイツ勢として史上初のトレブルを達成した。

2013-14シーズン、ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。2013年夏の移籍市場ではマリオ・ゲッツェティアゴ・アルカンタラらを獲得。同シーズンはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ2013を制し、2013年を5冠(DFLスーパーカップ以外)で締めくくった、ブンデスリーガでは勇退したハインケスの遺産は継がずにグアルディオラ独特のポゼッションサッカー(ロングボールやクロスを織り交ぜたもの)と、常に数的優位を作る為のゲーゲンプレッシングを武器に2季ぶりの連敗を喫するも、史上最長の19連勝とリーグ無敗記録を53にまで伸ばしたことも含めて2年続けて史上最速で(27節終了時点)優勝した。DFBポカール[17]では決勝でドルトムントを破り2年連続17回目の優勝を果たした。しかし 連覇のかかったUEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝のレアル・マドリード戦で、グアルディオラがバルサ時代に全てのコンペティションで無敗だったアウェーでの第1戦、2003-04シーズン以外は全勝しているホームでの第2戦共に落とし、対戦前の通算成績では11勝7敗と相性の良い相手に5失点を喫し、一切得点を奪えなかっただけでなく、10年ぶりに2試合共勝てずしかも過去レアル・マドリードとの公式戦では初めてとなる2連敗で大会を去った。

2014-15シーズン、2014年夏の移籍市場では2014年1月に在籍4年間で74ゴールを挙げ、ドルトムントのブンデスリーガ連覇(2010-11シーズン、2011-12シーズン)に加え、2011-12シーズンのDFBポカール決勝ではハットトリックを達成してリーグとの2冠に大きく貢献。2013-14シーズンの得点王に輝いたロベルト・レバンドフスキを獲得したのを皮切りに、メディ・ベナティアホセ・マヌエル・レイナ等と共に、2013-14シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ王者・レアル・マドリードへ移籍したクロースとの事実上のトレードシャビ・アロンソも獲得。マルティネスが開幕前に左足の前十字靭帯断裂という大怪我を負った様に常時怪我人が出るも、ブンデスリーガでは開幕からその穴を感じさせない強さで首位を独走し、優勝争いを演じていたVfLヴォルフスブルクが4月26日のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦を落とした為、ブンデスリーガで2013-14シーズン(7試合を残して)、2012-13シーズン(6試合を残して)に次ぐ史上3番目の早さで、1972-73シーズン、2002-03シーズン以来となる4試合を残してのリーグ3連覇を達成。なお優勝を決めたのは、25日のヘルタ・ベルリン戦をものにしたもので、試合をせずにリーグ優勝を決めたのは1988-89シーズン以来25年ぶりである。DFBポカールでは準決勝でドルトムントと対戦。2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ決勝以降PKを蹴っていないのが祟り、ラーム、アロンソ、ゲッツェ、キーパーのノイアーがいずれも失敗する珍事で敗れ、連覇を逃した。UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝で監督の古巣であり、2012-13シーズンに7-0で大勝したFCバルセロナと対戦。ロッベリだけでなく、アラバ、シュバインシュタイガー、前述のマルティネスやバトシュトゥバー等大量の怪我人が出た事に加え、バイエルン史上最年少デビュー記録保持者のピエール・エミール・ホイビュルクアウクスブルクに、シャキリをインテルミラノに放出したツケが怪我人が出た際に選択肢を狭めた形で回り、実際大量の怪我人が出たチャンピオンズリーグの準決勝になってその皺寄せが表れて、1stレグで攻撃陣が機能せず、バルセロナMSNに翻弄され、0-3で敗戦。2ndレグで3-2で勝利するものの合計スコア3-5で敗退し2季連続でスペイン勢に敗れてのベスト4に終わった。

2010年以降、ブンデスリーガで唯一創設時から所属していて降格した事の無いハンブルガーSVを非常に得意としており、6-0(2010-11),5-0(2011-12),9-2(2012-13),3-1(2013-14),8-0(2014-15)と5年連続で圧勝している。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

  • ブンデスリーガ: 25回 Meisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.pngMeisterschale.png
    • 1931-32, 1968-69, 1971-72, 1972-73, 1973-74, 1979-80, 1980-81, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2000-01, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14, 2014-15
  • DFBポカール: 17回 Coppagermania.pngCoppagermania.pngCoppagermania.pngCoppagermania.pngCoppagermania.pngCoppagermania.png
    • 1956-57, 1965-66, 1966-67, 1968-69, 1970-71, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1997-98, 1999-00, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08, 2009-10, 2012-13, 2013-14
  • DFBリーガポカール: 6回
    • 1997, 1998, 1999, 2000, 2004, 2007
  • DFLスーパーカップ: 5回
    • 1983, 1987, 1990, 2010, 2012

国際タイトル[編集]

1973-1974から1975-1976の3連覇した​​チャンピオンズリーグのトロフィー。左端と中央のはレプリカで右端のは永久に与えられた実際のCLのトロフィーです。

過去の成績[編集]

出典[18][19]
シーズン リーグ 試合数 得点 失点 得失点 勝ち点 順位 DFBポカール 欧州カップ 結果 最多得点者 得点数
1971-72 ブンデスリーガ 34 24 7 3 101 38 63 55 優勝 ベスト8 カップウィナーズカップ ベスト4 ゲルト・ミュラー 40
1972-73 ブンデスリーガ 34 25 4 5 93 29 64 54 優勝 ベスト8 UEFAチャンピオンズカップ ベスト8 ゲルト・ミュラー 36
1973-74 ブンデスリーガ 34 20 9 5 95 53 42 49 優勝 ベスト4 UEFAチャンピオンズカップ 優勝 ゲルト・ミュラー 30
1974-75 ブンデスリーガ 34 14 6 14 57 63 -6 34 10位 3回戦敗退 UEFAチャンピオンズカップ 優勝 ゲルト・ミュラー 23
1975-76 ブンデスリーガ 34 15 10 9 72 50 22 40 3位 ベスト4 UEFAチャンピオンズカップ 優勝 ゲルト・ミュラー 23
1976-77 ブンデスリーガ 34 14 9 11 74 65 9 37 7位 ベスト8 UEFAチャンピオンズカップ ベスト8 ゲルト・ミュラー 28
1977-78 ブンデスリーガ 34 11 10 13 62 64 -2 32 12位 3回戦敗退 UEFAカップ 3回戦敗退 ゲルト・ミュラー 24
1978-79 ブンデスリーガ 34 16 8 10 69 46 23 40 4位 2回戦敗退 カール=ハインツ・ルンメニゲ 14
1979-80 ブンデスリーガ 34 22 6 6 84 33 51 50 優勝 3回戦敗退 UEFAカップ ベスト4 カール=ハインツ・ルンメニゲ 26
1980-81 ブンデスリーガ 34 22 9 3 89 41 48 53 優勝 3回戦敗退 UEFAチャンピオンズカップ ベスト4 カール=ハインツ・ルンメニゲ 29
1981-82 ブンデスリーガ 34 20 3 11 77 56 21 43 3位 優勝 UEFAチャンピオンズカップ 準優勝 ディーター・ヘーネス 21
1982-83 ブンデスリーガ 34 17 10 7 74 33 41 44 4位 2回戦敗退 カップウィナーズカップ ベスト8 カール=ハインツ・ルンメニゲ 20
1983-84 ブンデスリーガ 34 20 7 7 84 41 43 47 4位 優勝 UEFAカップ 3回戦敗退 カール=ハインツ・ルンメニゲ 26
1984-85 ブンデスリーガ 34 21 8 5 79 38 41 50 優勝 準優勝 カップウィナーズカップ ベスト4 ローター・マテウス 16
1985-86 ブンデスリーガ 34 21 7 6 82 31 51 49 優勝 優勝 UEFAチャンピオンズカップ ベスト8 ディーター・ヘーネス 15
1986-87 ブンデスリーガ 34 20 13 1 67 31 36 53 優勝 3回戦敗退 UEFAチャンピオンズカップ 準優勝 ローター・マテウス 14
1987-88 ブンデスリーガ 34 22 4 8 83 45 38 48 2位 ベスト8 UEFAチャンピオンズカップ ベスト8 ローター・マテウス 17
1988-89 ブンデスリーガ 34 19 12 3 67 26 41 50 優勝 3回戦敗退 UEFAカップ ベスト4 ローラント・ヴォールファルト 17
1989-90 ブンデスリーガ 34 19 11 4 64 28 36 49 優勝 3回戦敗退 UEFAチャンピオンズカップ ベスト4 ローラント・ヴォールファルト 13
1990-91 ブンデスリーガ 34 18 9 7 74 41 33 45 2位 1回戦敗退 UEFAチャンピオンズカップ ベスト4 ローラント・ヴォールファルト 21
1991-92 ブンデスリーガ 38 13 10 15 59 61 -2 36 10位 1回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退 ローラント・ヴォールファルト 17
1992-93 ブンデスリーガ 34 18 11 5 74 45 29 47 2位 2回戦敗退 ブルーノ・ラッバディア 11
1993-94 ブンデスリーガ 34 17 10 7 68 37 31 44 優勝 4回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退 メーメット・ショル
アドルフォ・バレンシア
11
1994-95 ブンデスリーガ 34 15 13 6 55 41 14 43 6位 1回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト4 クリスティアン・ツィーゲ 12
1995-96 ブンデスリーガ 34 19 5 10 66 46 20 62 2位 2回戦敗退 UEFAカップ 優勝 ユルゲン・クリンスマン 16
1996-97 ブンデスリーガ 34 20 11 3 68 34 34 71 優勝 ベスト8 UEFAカップ 1回戦敗退 ユルゲン・クリンスマン 15
1997-98 ブンデスリーガ 34 19 9 6 69 37 32 66 2位 優勝 チャンピオンズリーグ ベスト8 カルステン・ヤンカー 13
1998-99 ブンデスリーガ 34 24 6 4 76 28 48 78 優勝 準優勝 チャンピオンズリーグ 準優勝 ジオヴァネ・エウベル
カルステン・ヤンカー
13
1999-2000 ブンデスリーガ 34 22 7 5 73 28 45 73 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ ベスト4 ジオヴァネ・エウベル 14
2000-01 ブンデスリーガ 34 19 6 9 62 37 25 63 優勝 2回戦敗退 チャンピオンズリーグ 優勝 ジオヴァネ・エウベル 15
2001-02 ブンデスリーガ 34 20 8 6 62 25 37 68 3位 ベスト4 チャンピオンズリーグ ベスト8 ジオヴァネ・エウベル 17
2002-03 ブンデスリーガ 34 23 6 5 70 25 45 75 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ 1次リーグ敗退 ジオヴァネ・エウベル 21
2003-04 ブンデスリーガ 34 20 8 6 70 39 31 68 2位 ベスト8 チャンピオンズリーグ ベスト16 ロイ・マカーイ 23
2004-05 ブンデスリーガ 34 24 5 5 75 33 42 77 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ ベスト8 ロイ・マカーイ 22
2005-06 ブンデスリーガ 34 22 9 3 67 32 35 75 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ ベスト16 ロイ・マカーイ 17
2006-07 ブンデスリーガ 34 18 6 10 55 40 15 60 4位 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ ベスト8 ロイ・マカーイ 16
2007-08 ブンデスリーガ 34 22 10 2 68 21 47 76 優勝 優勝 UEFAカップ ベスト4 ルカ・トーニ 24
2008-09 ブンデスリーガ 34 20 7 7 71 42 29 67 2位 ベスト8 チャンピオンズリーグ ベスト8 ルカ・トーニ 14
2009-10 ブンデスリーガ 34 20 10 4 72 31 41 70 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ 準優勝 アリエン・ロッベン 16
2010-11 ブンデスリーガ 34 19 8 7 81 40 41 65 3位 ベスト4 チャンピオンズリーグ ベスト16 マリオ・ゴメス 28
2011-12 ブンデスリーガ 34 23 4 7 77 22 55 73 2位 準優勝 チャンピオンズリーグ 準優勝 マリオ・ゴメス 26
2012-13 ブンデスリーガ 34 29 4 1 98 18 80 91 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ 優勝 マリオ・マンジュキッチ 15
2013-14 ブンデスリーガ 34 29 3 2 94 23 71 90 優勝 優勝 チャンピオンズリーグ ベスト4 マリオ・マンジュキッチ 18
2014-15 ブンデスリーガ 34 25 4 5 80 18 62 79 優勝 ベスト4 チャンピオンズリーグ ベスト4 ロベルト・レヴァンドフスキ 17

現所属メンバー[編集]

Soccer.Field Transparant.png

ノイアー
# 1
ラフィーニャ
# 13
ボアテンク
# 17
ベナティア
# 5
アラバ
# 27
X.アロンソ
# 3
シュバインシュタイガー
# 31
ラーム(C)
# 21
ロッベン
# 10
リベリー
# 7
レバンドフスキ
#9
2014年9月1日現在[20]
No. Pos. 選手名
1 ドイツの旗 GK マヌエル・ノイアー
3 スペインの旗 MF シャビ・アロンソ
4 ブラジルの旗 DF ダンテ
5 モロッコの旗 DF メディ・ベナティア (Flag of France.svg)
6 スペインの旗 MF ティアゴ・アルカンタラ (Flag of Brazil.svg)
7 フランスの旗 MF フランク・リベリー
8 スペインの旗 MF ハビ・マルティネス
9 ポーランドの旗 FW ロベルト・レヴァンドフスキ
10 オランダの旗 MF アリエン・ロッベン
13 ブラジルの旗 DF ラフィーニャ
14 ペルーの旗 FW クラウディオ・ピサーロ (Flag of Italy.svg)
16 ドイツの旗 MF ジャンルカ・ガウディーノ
17 ドイツの旗 DF ジェローム・ボアテング
No. Pos. 選手名
18 スペインの旗 DF ファン・ベルナト
19 ドイツの旗 MF マリオ・ゲッツェ
20 ドイツの旗 MF セバスティアン・ローデ
21 ドイツの旗 DF フィリップ・ラーム (Captain sports.svg)
22 ドイツの旗 GK トム・シュターケ
23 スペインの旗 GK ホセ・マヌエル・レイナ
24 ドイツの旗 FW シナン・クルト (Flag of Turkey.svg)
25 ドイツの旗 FW トーマス・ミュラー
27 オーストリアの旗 DF ダヴィド・アラバ
28 ドイツの旗 DF ホルガー・バトシュトゥバー
30 ドイツの旗 MF ミッチェル・ヴァイザー
31 ドイツの旗 MF バスティアン・シュヴァインシュタイガー (副主将)

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
out
No. Pos. 選手名
11 スイスの旗 MF ジェルダン・シャチリ (インテル)
15 ドイツの旗 DF ヤン・キルヒホフ (シャルケ)
No. Pos. 選手名
34 デンマークの旗 MF ピエール・エミール・ホイビュルク (アウクスブルク)
37 アメリカ合衆国の旗 FW ユリアン・グリーン (ハンブルガーSV)

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
ズラトコ・チャイコヴスキ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1963-1968
ブランコ・ゼベツ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1968-1970
ウド・ラテック 西ドイツの旗 西ドイツ 1970-1975
デットマール・クラマー 西ドイツの旗 西ドイツ 1975-1977
ローラーント・ジュラ ハンガリーの旗 ハンガリー 1977-1979
チェルナイ・パール ハンガリーの旗 ハンガリー 1979-1983
ラインハルト・ザフティク(暫定監督) 西ドイツの旗 西ドイツ 1983
ウド・ラテック 西ドイツの旗 西ドイツ 1983-1987
ユップ・ハインケス 西ドイツの旗 西ドイツ 1987-1991
セーレン・レアビー デンマークの旗 デンマーク 1991-1992
エーリッヒ・リベック ドイツの旗 ドイツ 1992-1993
フランツ・ベッケンバウアー (暫定監督) ドイツの旗 ドイツ 1993-1994
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 1994-1995
オットー・レーハーゲル ドイツの旗 ドイツ 1995-1996
フランツ・ベッケンバウアー (暫定監督) ドイツの旗 ドイツ 1996
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 1996-1998
オットマー・ヒッツフェルト ドイツの旗 ドイツ 1998-2004
フェリックス・マガト ドイツの旗 ドイツ 2004-2007
オットマー・ヒッツフェルト ドイツの旗 ドイツ 2007-2008
ユルゲン・クリンスマン ドイツの旗 ドイツ 2008-2009
ユップ・ハインケス (暫定監督) ドイツの旗 ドイツ 2009
ルイス・ファン・ハール オランダの旗 オランダ 2009-2011
アンドリース・ヨンカー (暫定監督) ドイツの旗 ドイツ 2011
ユップ・ハインケス ドイツの旗 ドイツ 2011-2013
ジョゼップ・グアルディオラ スペインの旗 スペイン 2013-

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

その他の部門[編集]

FCバイエルンII[編集]

リザーブチームは、有望な若手選手がトップチームに昇格する前の最終段階として主に機能している。バイエルンIIのコーチはエリック・テン・ハグ、アシスタントコーチはゲルト・ミュラーライナー・ウルリッヒである。1978年からはオーバーリーガ、1994年のレギオナルリーガの発足からはレギオナルリーガ・ズュート(南)に所属していた。2007-08シーズンに新設された3. リーガへの参加資格を得たが、2011年にレギオナルリーガに降格した[21]。これによって1973年以来続いていたプロサッカークラブのセカンドチームが所属できる最高位のリーグへの連続所属記録が途切れた[21]

ジュニアサッカー[編集]

バイエルン・ミュンヘンのジュニアチームは、オーウェン・ハーグリーヴストーマス・ヒッツルスペルガーフィリップ・ラームトーマス・ミュラーバスティアン・シュヴァインシュタイガーを含む欧州の一流サッカー選手を輩出してきた。ジュニア部門は1902年に設立され、ヴェルナー・カーンおよびビョルン・アンデルソンによって運営されている。11チーム、170名を越える選手からなり、最年少は10歳以下である[22]

女子サッカー[編集]

女子サッカー部門の監督はトーマス・ヴェルレが務めており、数名のドイツユース代表の選手がいる。2008-09シーズンは女子ブンデスリーガで2位につけた。女子サッカー部門は1970年に設立され、4チーム90名の選手からなる。優勝は1回(1976年)[23]

その他のスポーツ[編集]

バスケットボール[編集]

1946年設立で、19チームに280名の選手が在籍する。

  • ドイツチャンピオン
    • 1954, 1955
  • ドイツカップ
    • 1968

ボウリング[編集]

1984年設立。4チーム、46選手。

チェス[編集]

1908年設立。8チーム、97選手[24]

  • ヨーロピアン・クラブ・カップ
    • 1992
  • ドイツチャンピオン
    • 1983, 1985, 1986, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993, 1995
  • ドイツ早指しチェスチャンピオン
    • 1984, 1985, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993, 1994, 1995(最多記録)

体操[編集]

1974年設立。1チーム、35選手。

  • ドイツチャンピオン
    • 1983, 1986, 1987, 1988

ハンドボール[編集]

1945年設立。10チーム、3000選手。

卓球[編集]

1946年設立。12チーム、160選手。

審判員[編集]

1919年設立。115名。

シニアサッカー[編集]

2001年設立。5チーム、135選手。

脚注[編集]

  1. ^ Bayern München”. FIFA. 2012年5月10日閲覧。
  2. ^ Schulze-Marmeling, Dietrich (2003) (German). Die Bayern. Die Geschichte des deutschen Rekordmeisters. Die Werkstatt. pp. 17–33. ISBN 3-89533-426-X. 
  3. ^ Success from the Outset”. FC Bayern Munich Official Website (2003年). 2008年8月11日閲覧。
  4. ^ Schulze-Marmeling, Dietrich (2003) (German). Die Bayern. Die Geschichte des deutschen Rekordmeisters. Die Werkstatt. p. 134. ISBN 3-89533-426-X. 
  5. ^ Schulze-Marmeling, Dietrich (2003) (German). Die Bayern. Die Geschichte des deutschen Rekordmeisters. Die Werkstatt. p. 581. ISBN 3-89533-426-X. 
  6. ^ Mia san Mia, los valores del Bayern MunichAl otro lado del Banquillo 2014年8月19日(2015年4月17日閲覧)
  7. ^ FC Bayern München Lovers From All Over The World MIA SAN MIA
  8. ^ FCバイエルン・ミュンヘンのクラブハウスに掲示されているMia san miaの詳細は以下の16か条。
    1. Mia san ein Verein(我々はひとつのクラブである)
    2. Mia san Botschafter(我々は外交使節である)
    3. Mia san Vorbilder(我々は模範となる存在である)
    4. Mia san Tradition(我々には伝統がある)
    5. Mia san Innovation(我々は刷新の精神がある)
    6. Mia san Selbstvertrauen(我々には自信がある)
    7. Mia san grenzenlos(我々には限界はない)
    8. Mia san Fußball(我々にはフットボールがある)
    9. Mia san Respekt(我々は他者への尊重の念がある)
    10. Mia san Freude(我々には喜びがある)
    11. Mia san Treue(我々は全てに忠実である)
    12. Mia san Partner(我々は皆のパートナーである)
    13. Mia san Heimat(我々は皆の故郷である)
    14. Mia san Motor(我々は世界を変える原動力である)
    15. Mia san Verantwortung(我々は社会に責任がある)
    16. Mia san Familie (我々は家族である)
    Mia san mia.(我々は我々である)
  9. ^ [1], 2013-11-13.
  10. ^ Membership boom”. FC Bayern Munich (2013年11月13日). 2013年11月13日閲覧。
  11. ^ Other Sports”. FC Bayern Munich Official Website (2007年). 2008年7月3日閲覧。
  12. ^ UEFA. “Club coefficients 2013/14”. 2014年1月25日閲覧。
  13. ^ Club World Ranking” (2014年1月8日). 2014年1月25日閲覧。
  14. ^ Football Money League 2014 Deloitte 2014年9月2日閲覧。
  15. ^ Soccer Team Value Business of Soccer Forbes 2014年8月現在。
  16. ^ これはUEFAカントリーランキングUEFAが主催する国際大会のUEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップ或いは現在のUEFAヨーロッパリーグの各国出場枠を決める際に、その基準としている国別のランキングで、各国サッカー協会所属クラブの欧州カップ戦における過去5シーズンの成績で決まる事)で3位だったイタリアがミランが優勝した2006-07シーズンも、インテルミラノが優勝した2009-10シーズンも他のチームがベスト4に進出出来なかったのが祟ったのか2006-07シーズンから11.928、10.250、11.375、15.428、11.571で合計60.552だったのに対し、2009-10シーズンまでは4位だったドイツは2008年のシャルケも含めて2006-07シーズンから5年連続でベスト8以上の成績を残し、バイエルンが2009-10シーズンに決勝に進出したのが大きかったのか2006-07シーズンから9.500、13.500、12.687、18.083、15.666で合計69.636と逆転した為である。
  17. ^ FCBがDFBポカール制覇!(FCバイエルン公式サイト日本語版 2014年5月17日 2014年5月18日閲覧)
  18. ^ Standings”. FC Bayern München AG. 2014年8月4日閲覧。
  19. ^ Archive”. Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2014年8月4日閲覧。
  20. ^ Profis”. FC Bayern München AG. 2014年9月1日閲覧。
  21. ^ a b Bye, bye Bayern”. kicker online (2011年4月28日). 2014年4月3日閲覧。
  22. ^ Junior Team” (German). FC Bayern Munich Official Web Site (2008年). 2008年8月11日閲覧。
  23. ^ Women”. FC Bayern Munich Official Website (2005年). 2008年7月7日閲覧。
  24. ^ Other Sports Disciplines Bet on Bayern Muenchen”. 2014年1月21日閲覧。

外部リンク[編集]