松浪健四郎
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| 衆議院議員 松浪 健四郎 |
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| 生年月日 | 1946年10月14日(62歳) | ||
| 出生地 | 大阪府泉佐野市 | ||
| 出身校 | 日本大学大学院文学研究科博士課程 単位修得満期退学 |
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| 学位・資格 | 教育学修士(日本大学) | ||
| 前職 | 大学教授 | ||
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所属委員会
内閣役職
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文部科学副大臣 | ||
| 世襲 | 無 兄(大阪府議会議員) 甥:松浪健太(衆議院議員) 長男:松浪登久馬(近畿大学アメリカンフットボール部コーチ) |
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| 選出選挙区 | 大阪府第19区 | ||
| 当選回数 | 3回 | ||
| 所属党派 | 自由民主党(二階グループ) | ||
| 党役職 | |||
| 会館部屋番号 | 第二議員会館720号室 | ||
| ウェブサイト | 松浪健四郎ホームページ | ||
松浪 健四郎(まつなみ けんしろう、1946年10月14日 - )は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。大阪府立佐野高等学校、日本体育大学、日本大学大学院修了。
実の甥松浪健太も衆議院議員。また、実兄の松浪啓一は大阪府議会議員であったが、収賄事件により辞職している。
目次 |
[編集] 概要
大阪府立佐野高等学校、日本体育大学体育学部武道学科卒業。日本大学大学院文学研究科博士課程満期退学。ちょん髷風の髪型がトレードマーク。
アマチュアレスリングの選手権保持者。中東へのレスリング遠征や、1975年から1978年までアフガニスタン国立カブール大学の講師を勤めるなどして、中東諸国のスポーツ関係者とのコネクションを持つ。元専修大学教授。専攻は中央アジア、中東のレスリング研究(スポーツ人類学、スポーツ文化論)。専大レスリング部監督時には、かの長州力(プロレスラー・現リキプロ)や馳浩(元プロレスラー・元文科副大臣)らのオリンピック進出にも多大な影響を及ぼした。長州力・馳浩の恩師である。
1996年に新進党から衆院議員に初当選し、同党解党後は自由党の結党に参加。さらに自由党が分裂すると、自民党との連立継続派で結成された保守党に加わった。
2000年11月、加藤の乱で揺れていた森内閣不信任案決議で保守党を代表して反対討論を行っている最中、民主党議員から野次られたことを理由に、国会の壇上から当時民主党の議員であった永田寿康に目掛けてコップの水を浴びせた(永田氏は暴言を吐いたのは永田氏本人であると主張したが、松浪氏当人は否定)。野次の内容は「おまえ、党首(扇千景)と何発ヤッたんだ」と言ったとされる。水かけの直後、抗議する野党議員が一斉に演壇に押しかけ大騒ぎとなり、あまりの音量に松浪は耳をふさぎながら早口で草稿を読み上げ演壇から降りた。松浪はこの場では議場からの退場の処分を下された。この行為は当時大きな話題となり、後日懲罰委員会より25日間の登院停止を受けた。
この後、複数回にわたり、秘書もしくは自ら地元後援者の葬儀などに対して「衆議院議員 松浪建四郎」と記した線香(1700円相当)や、生花を贈っていた事も発覚。2003年11月9日の総選挙では、逆風の中の選挙となり落選。2004年3月30日、公職選挙法違反の疑いで当時の私設秘書3名と共に書類送検された。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では再び髷(まげ)を結い直し、自由民主党の公認と公明党の支援を受けて小選挙区と比例代表区に重複立候補した結果、小選挙区では前職の長安豊に及ばず落選したが、比例代表近畿ブロックで当選し、国政復帰を果たした。派閥は二階グループに所属し、自民党副幹事長を務めた。
また、2007年5月9日放送の報道ステーションで、国民投票法案をめぐる葉梨康弘自民党衆議院議員の国会答弁を恣意(しい)的に編集したとして、訂正放送を求めた。これに対しテレ朝側はいったんは「虚偽報道ではない」と反論していたが、14日放送の「報ステ」で、「(報道の)表現が不適切で、視聴者に誤った印象を与えかねないところがあった。おわびします」と謝罪した。
2008年8月から、自民党の外交部会長。政府与党の外交政策の取りまとめに奔走する。
2008年11月、泉佐野市内に貼られていた松浪の選挙用ポスターに落書きをしていた82歳の男を松浪自身が羽交い絞めにして、泉佐野署員に引き渡したと報じられた[1]。男性は6年間、選挙区内で松浪氏のポスターに「世界一の●●●」と差別的な落書きを繰り返していた。尚,長男と長女が居り,長男は近畿大学のアメフトのコーチを行っている。
[編集] 暴力団組員及び暴力団関連企業との関係
[編集] 秘書給与肩代わり問題
1997年から98年の11ヶ月間、暴力団組員が会長として実質的に経営する大阪府貝塚市の建設会社に、松浪が私設秘書の給与275万円を肩代わりさせていたとして問題になった[2](しんぶん赤旗、毎日新聞では献金額は250万円となっている)。秘書給与の供与が始まった経緯について、松浪は「応援してほしいと言われ甘えてしまった」、会長は「秘書一人面倒を見てほしいと頼まれた」としている[2]。
この問題について松浪は、会長が暴力団関係者とは知らなかったと主張している。しかし、会長が暴力団組員だと認識した後も2ヶ月間給与を肩代わりさせていた事実[2]や、その後も、98年3月に府営住宅解体工事を巡る談合容疑で会長が逮捕された直後まで、暴力団関係者と認識しながら関係が続いていた事実[2]が判明している。
また、この秘書給与は政治資金規正法上「寄付」として届けなければならないが、松浪は届け出の義務を知りながら、会長との間に公表しないという約束があったので届け出なかったと説明している[3]。更に、秘書給与275万円の他に、この建設会社などの呼びかけで開かれた地元業界団体の当選祝賀会で200万円の寄付を受け取っており、この寄付も秘書給与同様、政治資金収支報告書へ記載していなかった[4]。
この問題は大きく報道され、松浪に辞職を求める声が高まった。これに対し、トレードマークの後ろ髪を切り、オールバックにすることで責任を果たした事をアピールしたが、辞職については拒否した。
この問題について、松浪はのちに自身のホームページで「元暴力団員が人間でないかのような報道ぶりは人権問題」「元暴力団員の妻だった人が大阪市助役に就任すると賛辞を贈るのに、自分への献金は犯罪行為のように扱う」と怒りをあらわにしている。
- 松浪は、97年末頃に知人を通じてこの会長が暴力団関係者だと認識したとしている[2]。
- この会長は、98年7月まで指定暴力団酒梅組系組員。98年3月、府営住宅解体工事を巡る談合容疑で逮捕され、有罪となっている[2]。
[編集] 大阪府警への照会
98年3月、この建設会社幹部4人が逮捕され、会長も非公開で指名手配された。指名手配の4日後、会長から連絡を受けた松浪は、会長が暴力団員だと認識していながら東京都内の喫茶店で面会した。
松浪は、この会長に頼まれて大阪府警に電話を入れ、議員だと名乗った上で事件の状況について質問をしたことが判明した。松浪は「事件のことも、指名手配の事も知らなかった。出頭するよう促した」と説明している。
[編集] 別の酒梅組関連企業からの献金
松浪が代表を務めていた保守新党の政党支部が、2000年〜01年の間に、酒梅組組員と関係の深い大阪府阪南市の廃棄物運搬・処理会社から、計20万円の寄付を受けていた。松浪個人も、別に4万円の寄付を受け取っていた。
[編集] 関係団体
[編集] 著書
- 学術関係
- 「格闘技の文化史」 ベースボール・マガジン社 1993年 ISBN 4583030398
- 「スポーツ・フィールドノート」大修館書店 1995年9月 ISBN 4469263176
- その他
- 「もっとワルになれ―やりたいこともやれないで男といえるか」ごま書房 1992年10月 ISBN 4341015281
- 「ワル」は女でデカくなる―男なら、死ぬ気になって女のケツを追ってみろ ごま書房 1992年12月 ISBN 4341015362
- 「ワル」の行動学―おまえたち、何もできないブタのままで終わっていいのか ごま書房 1993年5月 ISBN 4341015656
- 「冒険しなけりゃ「ワル」じゃない―人と違った道を歩くのが「ワル」流男の鍛え方だ」 ごま書房 1994年11月 ISBN 4341016393
- 「松浪健四郎先生のワルの法則―彼女や上役に一目おかれる“強い男”への道標」 ごま書房 1997年2月 ISBN 4341160478
- 「アフガン褐色の日々」中央公論新社・改版版 2001年5月 ISBN 4122038359
- 共著
- 松浪健四郎・荒木祐次著「身体観の研究 美しい身体と健康(新版)」専修大学出版局 1995年7月 ISBN 4881250744
[編集] 出演
[編集] バラエティ
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)
- 朝まで生テレビ!(テレビ朝日)
- 特捜!芸能ポリスくん(TBS)
- 新春かくし芸大会(1995年1月2日 フジテレビ 審査員)
[編集] ドラマ
- 「あすなろ白書」第1話(1993年10月11日 フジテレビ 大学教授役)
- 松浪の大学での講義風景からドラマが始まる。出番は1分程だったが撮影に丸1日もかかり、監督から続けて出演して欲しいと言われたが断っている。
- 土曜ワイド劇場「温泉 (秘) 大作戦PART6」(2008年8月16日 朝日放送 農夫役・友情出演)

