阿部薫 (ドラマー)

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阿部 薫(あべ かおる、1959年1月11日 - )は、日本ドラマースタジオ・ミュージシャン写真家東京都港区出身。男性。

人物・来歴[編集]

3歳まで父の働く新橋の会社兼寮で暮らし、後に神奈川県へ移住。父はクラシックギターを弾いていたこともあり、クラシックのレコードが耳に入って音楽に親しむ環境にて育つ。父親の影響でギターを弾くようになり、中学3年生の頃、テレビでエルビス・プレスリーハワイの衛星中継を観て、ロニー・タットに影響を受け、友人宅にあったドラムセットという物に初めて触れ、幼い頃からベンチャーズモンキーズ、プレスリーのレコードを聴きながら、菜箸を持って鍋や鍋蓋を叩くまねをしていたせいか無難に叩ける。 高校入学と同時に両親にドラムセットを買ってもらい、以来ドラムに没頭、高校時代には体育会系のクラブを転々とし、ギター部に入る。 高校卒業後、大学進学も就職する気もなく、楽器店でアルバイトしていたが、1979年に、知人であった青山純山下達郎のバンドメンバーであったため紹介され、山下の「RIDE ON TOUR」のドラム・ローディーとして業界入り。以後、数多くのサポートドラマー、レコーディングを務めている。その傍ら、幼少時代から写真、カメラを趣味としており、椎名へきる木根尚登及川光博などの会報、カレンダーなどの撮影もしている。及川とのコラボレーションで作られた詩集「うたかた。」に写真を提供している。また、ツアー・ドキュメントDVDなどの制作もしている。

ツアーサポート、レコーディング参加[編集]

エピソード[編集]

  • 中学2年生のとき、福岡県から元読売ジャイアンツ監督の原辰徳が、父親の東海大相模高校野球部監督就任により、転校してきて同級生になる。
  • 愛称は「べーあん」。「べーやん」と間違って呼ばれることもあるが 「あべ」を、業界用語のように逆に読んだ呼び方なので「べーあん」が正しい。もっとも本人はどちらでもいいと思っている。ちなみに、主にTM NETWORKのメンバー(主に宇都宮隆)及びサポート・メンバーから「ベー」とも呼ばれることもあった。さらに、Winkの2人からは「あべっち」と呼ばれていたという。
  • TM NETWORKとの関わりは深く、村田和人のサポートで小室哲哉と知り合ったのがきっかけ。TM NETWORKのデビューのきっかけとなったフレッシュサウンズコンテストで、サポート・ドラムを務めている。基本的に目立ちたがりの性格であり、TMNEXPOツアーの1コーナーの中では 2曲ボーカルを担当した。このツアー終了後、メタルパビリオン、フォークパビリオンの部分だけを再現したイベントがライブハウスで開催され、1時間以上ボーカルを務めた。
  • そのTM NETWORKではCAROLツアーからサポートメンバーとして加入、それまで担当していたドラムの山田亘がサポートを離れたため、小室哲哉が彼に白羽の矢を立てた。当時、レコーディングでロンドンにいた小室が、メンバー間での会話中、久しく会っていなかった阿部の話題が上がり、近況確認を兼ね、ロンドンから国際電話をして依頼をしたが、電話がかかってきた時は深夜3時で、彼は寝ぼけた状態でツアー参加を即答したというエピソードがある。
  • 松本孝弘とはTM NETWORKのサポートで知り合い、彼の実力を高く評価した松本はB'zのアルバム『BREAK THROUGH』のレコーディングやツアーでも参加を依頼し、RISKYツアーにも参加を強く希望したが、彼はTMNの『RHYTHM RED』ツアーに参加することが決まっていた。さらに合間を縫ってWink槇原敬之のライブにも参加しており、どうしてもスケジュールが合わない。松本はTMとの恩義を優先し、彼の参加を断念したといわれている。
  • 以前あるアーティストのライブで、最初の数曲はバラードが続き出番がなかったため彼は居眠りをしてしまい、目が覚めたときは自分が入る部分を過ぎてしまっており、慌ててコソコソ叩き出して上手く誤魔化した、というエピソードもある。
  • 1997年には、東芝EMIからソロシングル「Night Eyes 〜タフィの瞳〜」、アルバム『心に太陽』をリリースしている。このアルバムのキャッチコピーは、「TMファミリー最後の小物」。これは 同じサポートメンバーだった葛城哲哉がソロデビューした際のキャッチコピー「TMファミリー最後の大物」を受けたものである。

外部リンク[編集]

先代:
-
B'zLIVE-GYMドラマー
初代
次代:
田中一光