FANKS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

FANKS(ファンクス)とはもともとは、TM NETWORK(TMN)のファン及び、TM NETWORKの音楽ジャンルを指す名称であったが、現在は、TM NETWORK(TMN)のファンの名称として使われている。

概要[編集]

FUNKPUNKFANSを語源としている造語1986年4月21日発売のシングルCome on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)」で初めて提唱された。そして、同曲をリードシングルとするアルバム「GORILLA」においては、FANKSの中に“Powerful and Tenderness”というキーワードを込めている。

その後、FANKSは『TM NETWORK TOUR '86 FANKS DYNA☆MIX』、『TM NETWORK TOUR '87 FANKS! BANG THE GONG』、『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』とライブツアーのタイトルに使われ、彼らの初のベスト・アルバムは「ファンへのお中元」の意味を込めて『Gift for Fanks』と名づけられており、1987年末発売のアルバム「humansystem」まではFANKSという言葉を積極的に使用していた。

その後、1988年に入り、TM NETWORKはFANKSに代わり、T-MUE-NEEDSという言葉をコンセプトに掲げた。T-MUE-NEEDSは「TMを必要とする人々の総称」を意味し、TMTmutation(超出し続けることによって脱皮、変化する)のMUE、必要とするという意味のNEEDSを合わせた言葉である。FANKSと同様ツアータイトル『T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK』に使用されたが、定着しなかった。

1989年小室哲哉が「FANKS!!'89」というコンセプトを提示。リミックスアルバム(彼らはリプロダクション・アルバムと呼んでいる)『DRESS』を製作する。また、彼らが当時パーソナリティーとして出演したラジオ番組は『TM NETWORK Come on FANKS!』というタイトルであり、FANKSという言葉を再度使い始めた。

1990年のTMNへのリニューアルを前後として、このFANKSという言葉を彼らは提示することはなくなった。TMNの音楽性が急激に変化したためか、ジャンルの意味でのFANKSという言葉は死語となり、TM NETWORK/TMNのファンを意味する言葉として残った。TMN時代だけでなく、1999年のTM NETWORKの再始動の時もFANKSを提示せず、2000年発売のシングル『MESSAGE』、アルバム『Major Turn-Round』においてはTM-Internet-workをキーワードとした。

しかし、彼らのブレイクした時期に提示したキーワードであり、その後も彼らのアルバムや楽曲の歌詞、ツアータイトル、ライブビデオのタイトルに使われたため、このFANKSという言葉はT-MUE-NEEDSや TM-Internet-workといった他のキーワードと異なり、現在でもTM NETWORKのファンを指す言葉として使われている。 2004年の結成20周年においては、発売のファン投票のベスト・アルバムは『Welcome to the FANKS!』と名づけられた。

主な有名人FANKS[編集]

  • 椎名慶治(SURFACE
  • 綾小路翔(氣志團
  • 岸田繁くるり) - Twitter等で「80年代のTMがいなかったら今の自分はいない」と発言している。
  • 深田恭子 - アルバムTMN BLACKを好きなアルバムにインタビューで挙げている。
  • 佐藤藍子
  • 小渕優子- 父親で当時総理大臣だった小渕恵三が沖縄サミットで小室を起用したのは娘がTMのファンだったため。
  • 観月ありさ - 小室哲哉とのタッグのきっかけは、本人がTM NETWORKのファンだったため。
  • 坂本美雨 - 初めての出会いは高円寺新星堂で7歳の時にTM NETWORKのポスターを見て一目惚れしてからとの事。[1] その時に初めて買ったCDが「JUST ONE VICTORY (たったひとつの勝利)」だった。当時は父親である坂本龍一には内緒で隠れて聴いていた。
  • RAM RIDER - 小室哲哉が在学していたという理由だけで、早稲田大学に入学した。好きなアルバムは「DRESS」。
  • shinnosuke(SOUL'd OUT) - 文化祭でTM NETWORKとaccessをコピーしていた。
  • 石坂翔太 - 宇都宮隆が所属するエム・トレスの取締役であり、元TM NETWORKのスタッフだった石坂健一郎氏の息子。その為、子供の頃からTM NETWORKのライブにも行った事がある。その縁もあって小室哲哉に見出されたという形でユニット・Purple Daysでデビューとなった。
  • nishi-ken - 自身のファーストシンセは小室が大々的に関わっていたYAMAHAのシンセサイザー「EOS B900」。宇都宮隆のソロプロジェクトでは、サウンドプロデュースやキーボーディストとしてアルバムやライブに参加している。
  • kiyoJanne Da Arc) - ザ・ベストテンで「Self Control (方舟に曳かれて)」を聞いて衝撃を受け、楽器屋に毎日通ってシンセサイザーを触っていた。学生時代はYAMAHAのEOSでTM NETWORKのコピーを一人でやって楽しんでいた。
  • 住吉美紀 - 2012年の日本武道館ライブにいったことやファンクラブにも入っていて大ファンであったことを本人のブログで明かしている。[2]
  • 田辺晋太郎 - 元 Changin' My Life メンバー。
  • 澤野弘之 - 高校時代にTM NETWORKや小室のプロデュースする楽曲を聞いており、自身の音楽のルーツだと度々インタビューで語っている。
  • 駒田健吾 - 初めて買ったCDが「CAROL」。自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組にTMが出演した際は、TMに対する想いを熱く語った。
  • ミト(クラムボン) - 自身が音楽家になろうと思ったきっかけであると語っている。
  • 野本かりあ - 父親が買ってきたCDの中に偶然TMのアルバムがあったのがきっかけ。TMオンリーのクラブイベントなどにもDJとして参加している。
  • ピエール中野凛として時雨)- 少年時代に『BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)』を聴いて衝撃を受けた。音楽をカッコいいものだと意識した最初の曲がTMだったと語っている。
  • 日村勇紀バナナマン) - お笑い番組やバラエティ番組などで「Get Wild」のメロディーラインを度々この曲をピアノやキーボード等で弾いている。また、バナナマンの相方の設楽統いわく、TM NETWORKや小室哲哉以外の楽曲はほとんど聴かないというほどのTM NETWORKフリークであると公言している。
  • やしきたかじん
  • ヒャダイン

脚注[編集]

[ヘルプ]