岸田繁

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岸田 繁
別名 シゲール、きっしー
生誕 (1976-04-27) 1976年4月27日(42歳)
出身地 日本の旗 日本 京都府京都市北区
学歴 立命館大学産業社会学部
ジャンル ロックオルタナティブ・ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
ギタリスト
担当楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ピアノ
キーボード
シンセサイザー
ブルースハープ
バンジョー
マンドリン
プログラミング
活動期間 1996年 -
レーベル SPEEDSTAR RECORDS
事務所 BAD NEWS
共同作業者 くるり
著名使用楽器
フェンダー・ストラトキャスター
フェンダー・テレキャスター
ギブソン・SG
リッケンバッカー・360
リッケンバッカー・360/12
ダンエレクトロ・59-DC
ザ・フービートルズエリック・サティ

岸田 繁(きしだ しげる、1976年4月27日 - )は日本ミュージシャンロックバンドくるりボーカリストギタリストで同バンドのフロントマンである。

来歴[編集]

1976年京都府京都市北区に生まれる。岸田家は代々仏具製作業だったが、養子だった曽祖父が東山区本町でパン屋を始めて成功し、大地主となった一族[1]広告代理店勤務の父親の昭夫がクラシック好きであったため、幼少の頃からクラシックなどに親しんでいた。小学校時代は走るのは速かったが、球技などが苦手で目立たない子供だったと語っている。身長が低いことにもコンプレックスをもっていたとのこと。音楽面では京都市交響楽団の公演を父親とともに見に行くこともあったという。小学校6年生のとき、通っていた学習塾いじめに遭いそれがきっかけで私立中学の受験を決意する。地元では、女の子には好かれていたという。

立命館中学校時代からロックなどにも興味を持ち始める。ビートルズボブ・マーリーヤードバーズなどの古典ロックやソウルに親しむ一方、ラジオで掛かっていたヒット曲やクラブ・ミュージックにも傾倒していたという。特に音楽教育を受けることのなかった岸田だが、この頃ガットギターの練習を始め、学校の音楽教師に勧められた古典和声の勉強を始めた。また、レッド・ツェッペリンなどをコピーしながらギターを修得していったという。

高校2年生の頃から同級生と洋楽ロックのコピーバンドを結成しギタリストとして参加する一方、4トラックのMTRで自宅録音に熱中し、作曲やギターの腕を磨いていったという。高校3年生の時に佐藤征史と出会い、ロックバンドを結成しオリジナル曲をレパートリーにしていったという。

1995年立命館大学産業社会学部に入学。同時に大学の音楽サークルである「ロックコミューン」に入部する。そこで森信行大村達身と出会い、紆余曲折を経て佐藤、森とともにバンド活動を開始する。1996年9月、アマチュアバンドコンテストに出演するためバンド名を「くるり」と命名し正式に結成。見事優勝し、活動を本格化させる。

1997年7月、第1回フジロックフェスティバルを観覧。台風が直撃し色々とひどい目にあったが、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンフー・ファイターズの演奏を観て刺激を受けたメンバーは、その直後のレコーディングでバンドとしての転機を迎えることになる。インディー・レーベルのディレクターを介して知り合ったシュガーフィールズ原朋信の自宅でのレコーディングだが、レコーディング時に原からアンアーバー (Anarborの曲を聴かされ、感銘を受けて後の代表曲である『東京』を作り上げ、11月にBad News Recordsよりインディーズ1stミニアルバムもしもし』、2ndミニアルバム『ファンデリア』を矢継ぎ早にリリースする一方、ライブを中心に話題を集め、1998年10月に佐久間正英の手により再録された『東京』をリリースしメジャーデビューした。1999年4月、メジャー1stアルバムである『さよならストレンジャー』をリリース。以後、くるりのボーカリスト、ソングライター、ギタリストとして現在も活動している。

2004年から京都大学の学生だったドラマー、川本真太郎とともに京都出身バンドを中心とした音楽イベント、みやこ音楽祭を開催。毎年くるりとして出演している以外に、2005年には堀江博久とともに「Theかまどうま/エレクトリック・カマドウマ」名義でも出演している。

2011年公開の映画まほろ駅前多田便利軒』で音楽を担当し、同映画のサウンドトラックで初めてソロ名義の作品を発表した(主題歌「キャメル」と「まほろ駅前多田便利軒」はくるり名義)。作品は東欧風のブラス・アレンジや弦楽四重奏など、ジャズやクラシック音楽への接近が散見出来るもので、近年の岸田の作風を感じさせるものとなっている。

2007年ウィーンでのレコーディングなどを契機にクラシック音楽への興味が深まった岸田は、日本国内のロック・ミュージシャンとしては異例のオーケストラ作品を書きおろす。2016年には京都市交響楽団の委嘱で「交響曲第1番」を作曲、広上淳一の指揮で初演された。

他にも、2017年末、指揮者の佐渡裕による一万人の第九に書き下ろした『ほんの小さな出来事のためのファンファーレ』や、TOYOTAの企業広告向けに書き下ろした『管弦楽のためのシチリア風舞曲』など、数多くの管弦楽作品を手掛けるようになった。2018年12月には新たに制作した二作目となる交響曲「交響曲第2番」を初演予定。

管弦楽作品、映画劇伴以外のソロ作品としては、JR東日本とのタイアップ・シングルで、山下達郎を想起させるアカペラ・クワイヤー曲『そばを食べれば』や、中川敬のカヴァー曲『潮の道』などがある。

2015年には奥田民生伊藤大地とともにロックバンド、サンフジンズを結成し、アルバム制作、全国ツアーも行なった。

2016年京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授に就任。2017年からは拠点を京都に戻し、2018年からは同大学の特任教授に就任している。

人物[編集]

自他共に認める筋金入りの鉄道ファンであり、自身の楽曲の詞の中に鉄道を登場させたり鉄道をモチーフにした楽曲も多数ある。鉄道雑誌『レイルマガジン』にもコラムを連載していた時期があった。テレビ朝日系『タモリ倶楽部』のタモリ電車クラブゴールド会員。同番組では、車両の床に耳をつけ、モーター音を聴くなどしている(中でも「モーターの中の冷却ファン音が堪らない」とのこと)。岸田の「赤い電車」は、当時の京浜急行電鉄からの依頼で作成された。

熱烈なカープ(広島東洋カープ)ファンとしても知られ、過去に始球式やゲスト解説、2018年には日本シリーズ試合前の国歌独唱も行なった。

本人曰く便器マニアでもあり、流れる音を聞いただけで型番がわかる。

音楽的嗜好は幅広い。特にザ・フービートルズなどの60年代のUKロックやブルー・アイド・ソウル、ジャズやクラシック、ワールドミュージックに至るまで様々な要素を自身の作曲に取り入れている。フジファブリック志村正彦は「岸田さんはブラジルの音楽を沢山知っているから、音楽談義・話が通じる。」と日記にて語っている。

主な作品[編集]

その他[編集]

プレイスタイル[編集]

  • 岸田のプレイスタイルはロー・ポジションでのバッキングを多用するというものであるが、開放弦を交えたテンション・コードや変則チューニング(DADGADなど)を駆使し、複雑な和声や特徴的なコードワークを交えながら演奏する一方、シンプルなブルース・ロック風のプレイを聴くこともできる。また、アコースティック・ギターやアイリッシュ・ブズーキなども演奏することが多い。
  • 主に使用しているギターはストラトキャスターギブソン・SGリッケンバッカー・360など。カポタストを使用する際はリッケンバッカーグレッチ、半音下げや一音下げの場合はテレキャスターと使い分けている。アコースティックギターはギブソン社製のものを使用。初期の頃はレスポールも使用していた。ストラトキャスターは佐藤の父から借りたものを大学時代から長年使用している。[3]
  • ギターアンプはハイワットマッチレスヴォックスなどを使い分けていたが、近年はヴォックスの他にCARRを使用している。
  • 特にアルバム「アンテナ」前後の頃はほとんどアンプとギターだけで音作りをし(そのため上記のギター以外にも12弦ギターやバンジョーなど多数所持している)、エフェクターはノイズを得るためにレコーディングの際に使用するのみと語っていた。その後の音源やライブではエフェクターもしばしば使用している。
  • 過去にはライブやレコーディング時に打ち込み系の曲でPro ToolsCDJの前に立つ事もあったり、近年ではハンドマイクでステージに立つこともある。なお、Pro-Toolsでのプログラミングや編集、作編曲も行なっている。

出演[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ NHKファミリーヒストリー 岸田繁』2015年1月23日
  2. ^ くるり岸田繁「みんなのうた」にカンガルーの曲提供、歌唱も担当”. 音楽ナタリー (2015年12月11日). 2015年12月11日閲覧。
  3. ^ バンドスコア「ベスト オブ くるり」

外部リンク[編集]