名鉄100系電車

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名鉄100系電車
(200系)
豊田線を走行する100系
豊田線を走行する100系
基本情報
運用者 名古屋鉄道
製造所 日本車輌製造
製造年 1978年 - 1994年
製造数 11編成66両
運用開始 1979年1月
主要諸元
編成 4両編成(1993年8月まで)
6両編成(1993年8月以降)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 100 km/h[1](名鉄線内)
75 km/h[1](地下鉄線内)
起動加速度 3.0 km/h/s[2]
減速度(常用) 3.5 km/h/s[2]
減速度(非常) 4.0 km/h/s[2]
車両定員 編成表を参照
自重 編成表を参照
全長 20,000 mm
全幅 2,730 mm
全高 4,140 mm (集電装置付き)
3,880 mm (集電装置なし)
車体 普通鋼
台車 住友金属工業 FS398A
住友金属工業 FS398B
住友金属工業 SS126D
住友金属工業 SS026D
主電動機 東洋電機製造 TDK-8200A
東洋電機製造 TDK-8201A
東洋電機製造 TDK-6380A
主電動機出力 100kW ×4基 / 両(TKD-8200A・TDK-8201A)
170kW × 4基 / 両(TDK-6380A)
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式[1]
中実軸平行カルダン駆動方式(TDタイプ)[3]
歯車比 85:14=6.07[1]
制御方式 抵抗制御(1・2次車)
界磁添加励磁制御(3・4次車)
VVVFインバータ制御(5次車以降)
制御装置 三菱電機 ABFM-138-15MDHA[4](電動カム軸式弱め界磁付直並列抵抗制御)[注釈 1]
三菱電機 ABFM-138-15MRH[6](回生ブレーキ付界磁添加励磁制御)[注釈 2]
三菱電機 MAP174-15V38[3](VVVFインバータ制御)[注釈 3]
制動装置 発電ブレーキ(回生ブレーキ)併用電磁直通ブレーキ(HSC-D)
保安装置 M式ATS車内信号ATC
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第20回(1980年
ローレル賞受賞車両

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名鉄100系電車(めいてつ100けいでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1979年から運用している通勤型電車である。

名古屋市営地下鉄鶴舞線との相互直通運転のために導入された車両で、名鉄が製造した車両としては初となる20m4扉ロングシートの電車である[8][注釈 4]1980年には鉄道友の会よりローレル賞受賞車両に選出された[10]。当初は4両編成で製造されたが、地下鉄直通運転の本格化に伴い6両編成に増強された。

本項では、同様の車体で制御方式が変更された増備車である200系についても記述する。また、特定の編成について記す場合は、豊田線内で豊田市向きの先頭車の車両番号をもって編成呼称とする(例:豊田市向き先頭車の車両番号がク111の編成であれば「111編成」)。

登場の経緯[編集]

名鉄豊田線は、名鉄の前身のうちの1社である新三河鉄道1926年10月に免許を受けた、挙母(当時)と大曽根を結ぶ鉄道敷設計画に端を発する[11]。その後、新三河鉄道の保有していた敷設の権利は1937年に三河鉄道に継承され[11]、その三河鉄道も1941年に名古屋鉄道に合併となった[11]が、本格的な工事は行われないままであった[11]

1950年代以降の高度成長期の中、豊田市は自動車産業の隆盛により人口が急増していた[11]が、名古屋市から豊田市方面に至る地域には鉄道がなく、道路交通が主体となっていた[11]。また、名古屋都市圏においては、自動車の急激な増加による路面交通の混雑により、通勤輸送の逼迫や交通公害の発生による都市交通問題が深刻なものとなっていた[12]。このため、運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会の名古屋圏部会は、1972年に既設路線を含めて総延長139kmの路線網を答申した[13]が、この中に名古屋市と豊田市を結ぶ鉄道が含まれていた[11]。この都市交通審議会の答申を受け、名鉄では新三河鉄道から継承された免許区間のうち、地下鉄3号線と競合する八事と赤池の間の権利を名古屋市に譲渡した[11]上で、赤池と豊田市の間については名鉄が建設し、車両や設備の規格をあわせて相互直通運転を行うことになった[11]

一方、名鉄では自社区間の通勤車両として1976年6000系を登場させていたが、この6000系では両開き3扉の通勤用車両でありながら居住性向上という観点から固定クロスシートを採用していた[14]。しかし、名古屋市営地下鉄との相互乗り入れにあたり、相互直通運転に使用する車両の規格は統一することとしており、豊田線と地下鉄を直通運転する車両は全長20m・4扉ロングシートという前提条件があった[14]。そこで、名鉄では「機能一点張り」というイメージをなくすべく、「機能は通勤型であるが乗車感覚は特急型」という基本方針を打ち出した[14]

こうした経過の後、地下鉄への直通運転に使用する車両として登場したのが100系である。

車両概要[編集]

100系は4両編成で登場し、1993年8月からは中間車を増備して6両編成となった。増備時期によって制御方式は抵抗制御から界磁添加励磁制御VVVFインバータ制御と変化しているが、形式は変更されていない(211 - 214編成は100系200番台として増備された)。最終増備車については全車両がVVVFインバータ制御車両となり、形式が200系に変更された。また、抵抗制御を搭載していた111 - 115編成は、増備の中間車を除く4両がIGBT-VVVF化され、JR東海313系と同じ音質のドアチャイムが装備され、つり革が三角形に交換された(111編成の中間2両は丸形)。

100系・200系は、系列中に6形式ずつが存在する。なお、車両の向きについては豊田線・鶴舞線内を基準としており、三河線内では他の形式とは逆向きとなる。

モ110形
100系の編成において豊田市側の先頭車となる制御電動車 (Mc1) 。ただし、111 - 115は制御車(Tc)。
モ120形
100系の編成において中間に組み込まれる電動車 (M2) 。
モ130形
100系の編成において中間に組み込まれる電動車 (M1) 。ただし、131 - 135は付随車(T)。
モ140形
100系の編成において上小田井側の先頭車となる制御電動車 (Mc2) 。
サ150形
100系の編成において中間に組み込まれる付随車 (T) 。
モ160形
100系の編成において中間に組み込まれる電動車(M) 。
ク210形
200系の編成において豊田市側の先頭車となる制御車 (Tc) 。
モ220形
200系の編成において中間に組み込まれる電動車 (M) 。
サ230形
200系の編成において中間に組み込まれる付随車 (T) 。
モ240形
200系の編成において上小田井側の先頭車となる制御電動車 (Mc) 。
サ250形
200系の編成において中間に組み込まれる付随車 (T') 。
モ260形
200系の編成において中間に組み込まれる電動車(M') 。

本節では以下、登場当時の仕様を基本として記述し、更新による変更については沿革で後述する。編成については、編成表を参照のこと。

車体[編集]

全長20,000mm[2]、車体長19,300mm[2]で、車体幅は2,730mmである[2]。車体は全て普通鋼製で[15]、レール上面から床面までの高さは1,150mmである[15]

客用扉は幅1,300mm・高さ1,808mmの両開き扉を4箇所に配した[15]。側面窓は幅1,750mm・高さ850mmの固定窓1枚とし[16]、厚さ3mm+3mmの複層合わせガラスを使用した[16]。戸袋窓は設けられていない[2]

前面は6000系と5500系を合わせた上で近代的な感覚にまとめることを意図した[2]もので、平面ガラスで構成されたパノラミックウィンドウとした[16]上で、窓の中継ぎ柱を黒色とすることで1枚ガラスに見えるように配慮した[17]。高運転台構造を採用しており[16]、窓下にはステンレスエッチング加工による飾り帯を設け[2]、流動感を持たせるとともに側面窓高さとの調和を図った[2]。幕式行先表示器は前面の貫通扉上に設けられ[16]、6000系よりもサイズを拡大した[17]ほか、名鉄では初めて側面にも行先表示器が設けられた[16]

車体の塗装デザインはスカーレット1色である[2]

内装[編集]

座席は前述の通り全てロングシートである。座席の表地の色はスカーレットとし[17]、シルバーシートの背もたれのみブルー系統の色を使用した[16]。また、1人分を区分するためにキルティング模様を入れることによって、1人あたりの着席区分を明確化した[17]ほか、座席端部には肘掛を設けている[2]。また、側面窓のカーテンは茶色形の横縞模様の横引カーテンとした[17]が、ロングシート車両で横引カーテンが採用されるのは初めてである[16]。着席した乗客にとってカーテンが邪魔にならないように、窓キセ厚み内にカーテンが納まる位置にカーテンレールを設けている[18]。カーテン掛けは布の掛け帯ではなくアルミ鋳物製とし[17]、ここにカーテンを挟み込む構造とした[18]

車内通路には吊手を設置した[19]。吊手の本数は、先頭車が108本・中間車が114本で[19]、ドア部分の通路上部には握り棒を設けた[19]

室内の内張りは、天井が白色のメラミン樹脂アルミ化粧板を[17]、側壁は縦縞模様のメラミン樹脂化粧鋼板を使用した[2]。床面は中央部をワインレッド・両脇を薄茶色とすることにより、赤い絨毯が敷いてあるような感覚をねらった[2]

主要機器[編集]

電装品等[編集]

電動台車 FS398A

6000系で実績のある機器を使用することによって、安定した性能や保守の便を図った[18]

制御装置は、三菱電機製の主制御器であるABFM-138-15MDHA形を採用した[20]。1台の制御器で8基の電動機の制御を行う方式 (1C8M) の多段制御装置で[18]、制御段数は、力行が起動1段・直列16段・並列8段・弱め界磁4段で[21]、制動は17段である[21]。ただし、地下鉄線内では弱め界磁は3段までしか使用しない[21]

主電動機については、東洋電機製造製の直流直巻補極補償巻線付電動機のTDK-8200A形が採用された[21]。100系では全車電動車方式としたことから、主電動機の出力は100kWとした[18]。駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式で、歯数比は85:14=6.07である[21]制動装置(ブレーキ)については、発電ブレーキ併用のHSC-D形電磁直通ブレーキが採用された[22]

台車は、6000系で使用実績のある住友金属工業製のS形ミンデン式のFS398A形空気バネ台車が採用された[20]。基礎制動装置はクラスプ式(両抱え式)で、固定軸距は2,100mmである[17]

その他機器[編集]

運転台。機器配置は地下鉄車両と統一されている。

乗務員室は、ATC・誘導無線など地下鉄直通運転に必要な機器を搭載するため6000系より若干広くした[17]ほか、主なスイッチや表示灯の位置は地下鉄の車両と統一を図った[23]ため、運転台の機器配置は6000系とは大幅に変更された[20]

冷房装置は、10,500kcal/hの能力を有するRPU-3004形を1両につき3台を搭載した[22]ほか、ラインフローファンを先頭車では9台、中間車では10台設けた[22]。補助電源装置は、出力60kVAのCLG-326-N1形電動発電機を装備した[22]

集電装置はモ120形・モ140形にPT4214-A-M形菱枠型パンタグラフを設けた[2]

連結器は先頭部分が簡易密着連結器で[1]、中間は棒連結器である[1]

増備途上での変更点[編集]

1978年12月までに製造(100系1次車)
  • 100系1次車は1978年12月までに、4両編成2本が製造された[8]
1979年6月製造(100系2次車)
  • 4両編成3本が増備された[24]。乗務員室背面の仕切り壁の位置・寸法・支持方式が変更された[25]
1989年4月製造(100系3次車)
  • 4両編成1本が増備された[6]。この時の増備車からは回生ブレーキを付加した界磁添加励磁制御を採用[24]、制御装置は三菱電機の主制御器であるABFM-138-15MRH形を採用した[6]。台車はブレーキシリンダ径が変更されたことに伴いFS398B形に変更され[7]、耐雪ブレーキを付加した[6]。補助電源装置は出力60kVAのSVH70-447B形GTOインバータ装置に変更され[6]、集電装置もステンレスパイプを使用したPT4212S-A-M形に変更[6]、冷房装置もRPU-3004AJ形となった[6]。また、車体床面は40mm下げられ、レール上面から床面までの高さは1,110mmとなった[24]ほか、客室内は平天井に変更[7]、座席は座り心地の改善のため形状が変更された[6]。そのほか、側面の行き先表示器の面積も拡大された[24]ほか、自動放送装置を当初より搭載した[7]
1991年4月製造(100系4次車)
  • 4両編成4本が増備された[26]犬山線と鶴舞線の相互直通用に製造された[6]が、直通運転開始までは犬山線・名古屋本線・常滑線で暫定使用するために仕様変更が行われ[26]、形式は変わらないが車両番号は200番台となった[24]。主要な機器は3次車と同様である[7]が、4次車では制御段数の増加が行われた[6]ほか、4両編成を2本連結した8両編成での運行を可能にするため、元空気溜め管・直通管・ジャンパ栓(27芯・48芯)の新設が行われ[26]、乗務員室には「自車締切」「他車締切」のスイッチが追加された[26]。また、内装も一部変更され、床面が6750系2次車と同様、紫系濃淡の配色に変更された[24]
100系4次車の内装。配色が6750系2次車と同様のものになっている。
5次車で採用されたボルスタレス台車(付随台車 SS026D)
1993年4-7月製造(100系5次車)
  • 豊田線・犬山線と鶴舞線の相互直通運転開始に際し、輸送力増強のため、編成中央に2両(電動車・付随車各1両)を増結することになり[6]、100番台の中間車が6編成分・200番台の中間車が4編成分製造された[27]。この時の増備車両は名鉄では初のVVVFインバータ制御となり[7]、制御装置は三菱電機のインバータ制御器であるMAP174-15V38形を採用し[6]、他の制御方式の車両と特性をあわせる制御を行っている[27]主電動機については、東洋電機製造製の三相かご形誘導電動機のTDK-6380A形(出力170kW)が採用された[7]。台車はボルスタレス台車に変更され、電動台車はSS126D形・付随台車はSS026D形を採用した[6]
1994年7月製造(200系)
  • 運用増強として6両編成1本が製造された[27]。この編成では全ての車両がVVVFインバータ制御となり[7]、各車両の形式も200番台となった[6]が、車両番号は100系200番台の続き番号で[27]、名鉄社内では「100系6次車」として扱われる[6]。主電動機は三菱電機のMB5059A形(出力170kW)で[6]、耐雪ブレーキと滑走防止装置を製造当初より装備した[27]。客室内では乗務員室直後に車椅子スペースが設けられた[7]ほか、車内貫通路上部にLED式の案内表示装置を設置[6]、車外放送装置も装備した[27]。また、前面の飾り帯にあった名鉄の社紋は廃止した[7]

沿革[編集]

運用開始[編集]

1978年12月に1次車として2編成が入線し[16]、1979年1月から主に三河線知立駅から豊田市駅までの区間において運用を開始した[14]。100系の入線にあたり、三河線の猿投駅構内に猿投検車区が新設された[23][28]ため、一部の列車は猿投駅まで運用された[14]。同年7月29日には豊田線が開業し[28]、2次車と合わせて5編成が豊田線と地下鉄鶴舞線の直通運転に投入された[29]。100系の車内見付は、試乗に来た報道関係者から「喫茶店みたい」とも評された[30]。一方、抵抗制御であったため、床下の抵抗器の放熱によって床面が熱くなってしまうことがあった[31]。翌1980年には鉄道友の会からローレル賞を受賞、開業1周年となる1980年7月29日には豊田市駅で記念式典が開かれた[10]

しばらくは大きな動きはなかったが、1989年には輸送力増強のため、3次車として回生ブレーキを採用した1編成が増備された[6]

犬山線・常滑線での暫定運用[編集]

一方、1990年ごろになると犬山線の朝ラッシュ時の混雑はかなり激しくなっており、これを打開する対策として犬山線と地下鉄鶴舞線の直通運転のための工事が行われていた[32]。しかし、工事の進捗は芳しいものではなく、早急な混雑緩和対策が求められていた[32]。ここで名鉄は、標準的な通勤車両である6000系・6500系・6800系よりも全長が長く収容力の大きい20m4扉車の100系に着目[32]、本来は犬山線と地下鉄鶴舞線の直通運転が開始された時点で増備するべきだった100系を先行増備し、犬山線に投入することになった[32]

これによって増備された100系4次車は4編成が導入された[26]が、犬山線では4両編成を2本連結した8両編成での運用を行うことになり、一部仕様が変更されたことから車両番号は200番台となった[26]。1991年4月14日から犬山線の最混雑列車に8両編成で投入、それ以外の時間帯は名古屋本線常滑線・犬山線・広見線の普通列車に運用された[26]。20m車が8両編成で運用されるのは名鉄ではこれが初めてであった[26]が、100系の方向幕には名古屋本線・常滑線の駅名は入っていなかった[26]ため、運用時には行先表示板・種別板が使用された[26]

6両編成化[編集]

犬山線の地下鉄鶴舞線直通に対応する工事はその後も進められ、1993年8月から直通運転が開始されることになった[33]が、これに伴い、地下鉄鶴舞線の全列車を4両編成から6両編成に増強することとなった[33]

このため、100系も全編成が6両編成化されることになり、各編成に中間車を2両増結するための車両が5次車として増備された[33]が、この5次車では名鉄では初採用となるVVVFインバータ制御を導入した[27]。まず既に豊田線で運用されていた車両が順次6両編成化され、犬山線で最混雑列車に使用されていた車両についても、代替車両として3500系を投入し[32]、6両編成化の上で豊田線に転属となった[33]

同年8月12日から犬山線と地下鉄鶴舞線の直通運転が開始され[34]、翌1994年には上小田井駅構内の折り返し設備が完成したことから、同年4月から直通運転が本格化することになった[7]。このために100系6次車として6両編成が1本増備された[6]が、この編成は6両ともVVVFインバータ制御となり[6]、形式も200系に変更された[6]

その後は犬山線・豊田線および地下鉄鶴舞線で運用されているが、定期検査時には名古屋本線を走行することがある[35]。また、2000年9月の東海豪雨によって車両不足が発生した際には、211編成が4両編成化されて各務原線三柿野駅から名古屋本線豊明駅までの区間で1週間程度、運用された[27]

制御装置の更新[編集]

電動台車 SS165D

VVVFインバータ制御車に使用されていたボルスタレス台車のうち、電動台車のSS126D形台車については、2001年11月から台車枠の補強工事が行われ[7]、その後2004年6月から8月にかけて強度を高めたSS165D形台車に交換された[7]。また、2003年11月には車体連結部の転落防止幌設置が行われた[27]

2011年度から2013年度にかけて抵抗制御車が順次IGBT-VVVF化されることになり[36]、2011年度に111編成[37]、2012年度に112・113編成[38][39]、2013年度に114・115編成がIGBT-VVVFインバータ制御に更新改造された[40][41]。これにより、100系は全車両が回生ブレーキを装備する車両となった[5]

編成表[編集]

2016年5月1日時点の編成。

凡例
Tc …制御車、 Mc …制御電動車、M …電動車、T…付随車
CON・VVVF…制御装置、MG・SIV…補助電源装置、CP…電動空気圧縮機、PT…集電装置

100系[編集]

← 豊田市
犬山 →
製造次数 備考
形式 モ110 モ120 サ150 モ160 モ130 モ140
Meitetsu 100 series 051.JPG Meitetsu 100 series 052.JPG Meitetsu 100 series 053.JPG Meitetsu 100 series 054.JPG Meitetsu 100 series 055.JPG Meitetsu 100 series 056.JPG
区分 Mc1 M2 T M M1 Mc2
車両番号 111(Tc) 121 151 161 131(T) 141 1次車 2011年、2012年に特別整備(サ150、モ160は除く)
112(Tc) 122 152 162 132(T) 142
113(Tc) 123 153 163 133(T) 143 2次車 2012年、2013年に特別整備(サ150、モ160は除く)
114(Tc) 124 154 164 134(T) 144
115(Tc) 125 155 165 135(T) 145
116 126 156 166 136 146 3次車
211 221 251 261 231 241 4次車
212 222 252 262 232 242
213 223 253 263 233 243
214 224 254 264 234 244
搭載機器 MG,CP CON(一部VVVF),PT SIV,CP VVVF,PT MG,CP CON(一部VVVF),PT
定員 130 140 148 148 140 130

200系[編集]

← 豊田市
犬山 →
製造次数
形式 ク210 モ220 サ250 モ260 サ230 モ240
区分 Tc M T' M' T Mc
車両番号 215 225 255 265 235 245 6次車
搭載機器 SIV,CP VVVF,PT SIV,CP VVVF,PT SIV,CP VVVF,PT
定員 138 148 148 148 148 138

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1次車・2次車で採用、登場当時から2013年度まで[5]
  2. ^ 3次車・4次車で採用[6][7]
  3. ^ 5次車以降で採用[6]
  4. ^ 20m4扉車自体は、終戦直後に当時の運輸省から国鉄63系電車の割当を受けて入線した初代3700系が存在する[9]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 鉄道ピクトリアル 通巻359号 柚原誠『名鉄豊田線用100系新造車概要』 (1979) p.41
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  3. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻624号 外山勝彦『私鉄車両めぐり (154) 名古屋鉄道』 (1996) p.210
  4. ^ 白井良和『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 (1985) p.171
  5. ^ a b 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 31号 柚原誠『1970年〰80年代 名鉄の車両開発を顧みて』 (2015) p.11
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 鉄道ピクトリアル 通巻624号 外山勝彦『私鉄車両めぐり (154) 名古屋鉄道』 (1996) p.209
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 鉄道ピクトリアル 通巻816号 外山勝彦『名古屋鉄道現有車両プロフィール2009』 (2009) p.303
  8. ^ a b 鉄道ピクトリアル 通巻624号 外山勝彦『私鉄車両めぐり (154) 名古屋鉄道』 (1996) p.208
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  10. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻163号 清水武『名古屋鉄道 沿革と現状』 (1980) p.67
  11. ^ a b c d e f g h i 鉄道ピクトリアル 通巻370号 山下武『豊田新線の計画と建設について』 (1979) p.15
  12. ^ 鉄道ジャーナル 通巻163号 立木昭二『名古屋の都市交通と地下鉄』 (1980) p.33
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  14. ^ a b c d e 鉄道ピクトリアル 通巻370号 柚原誠『豊田線用100系車両の概要』 (1979) p.73
  15. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 通巻359号 柚原誠『名鉄豊田線用100系新造車概要』 (1979) p.42
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  18. ^ a b c d e 鉄道ピクトリアル 通巻370号 柚原誠『豊田線用100系車両の概要』 (1979) p.75
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参考文献[編集]

書籍[編集]

雑誌記事[編集]

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  • 立木昭二「名古屋の都市交通と地下鉄」、『鉄道ジャーナル』第163号、鉄道ジャーナル社、1980年9月、 30-34頁。
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  • 外山勝彦「名古屋鉄道現有車両プロフィール2005」、『鉄道ピクトリアル』第771号、電気車研究会、2006年1月、 203-252頁。
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  • 藤野政明、渡辺英彦「私鉄車両めぐり (115) 名古屋鉄道」、『鉄道ピクトリアル』第370号、電気車研究会、1979年12月、 92-109頁。
  • 山下武「豊田新線の計画と建設について」、『鉄道ピクトリアル』第370号、電気車研究会、1979年12月、 15-19頁。
  • 柚原誠「名鉄豊田線用100系新造車概要」、『鉄道ピクトリアル』第359号、電気車研究会、1979年3月、 41-46頁。
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  • 吉田文人「私鉄車両めぐり (133) 名古屋鉄道」、『鉄道ピクトリアル』第473号、電気車研究会、1986年12月、 185-198頁。
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  • 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第321号、鉄道ジャーナル社、1993年7月、 98-107頁。
  • 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第324号、鉄道ジャーナル社、1993年10月、 106-115頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]