阪急2300系電車

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阪急2300系電車
準急運用の表示幕車2315F (2007年4月 南茨木駅 - 茨木市駅間)
準急運用の表示幕車2315F
(2007年4月 南茨木駅 - 茨木市駅間)
基本情報
運用者 阪急電鉄
製造所 ナニワ工機
製造年 1960年 - 1967年
製造数 78両
運用開始 1960年
運用終了 2015年3月22日
投入先 京都線
主要諸元
編成 7両(京都線)
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s (45km/hまで)
車両定員 座席54・立席86(先頭車)
座席54・立席96(中間車化改造車)
座席60・立席90(2330形・前期型)
座席52・立席98(2330形・後期型)
座席42・立席108(2380形)
全長 19,000 mm
全幅 2,808 mm
全高 4,015 mm (冷房改造後)
4,120 mm (2300形・冷房改造後)
車体 普通鋼
主電動機 東洋電機製造TDK812-A直流複巻電動機
主電動機出力 150 kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 84:16(5.25)
編成出力 2,400 kW (4M3T)
制御方式 抵抗制御(製造当初)
界磁チョッパ制御(更新車)
電機子チョッパ制御(C#2311、C#2331のみ)
制御装置 ES755A(製造当初)
ES773(更新車)
RG608(C#2311、C#2331のみ)
制動装置 回生制動併用電磁直通ブレーキ
HSC-R
保安装置 AF軌道回路方式ATS
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第1回(1961年
ローレル賞受賞車両

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阪急2300系電車(はんきゅう2300けいでんしゃ)は、1960年に登場した阪急電鉄京都線用の電車通勤形電車)である。当時の最新技術による回生ブレーキ定速運転の機能を備え、神宝線の2000系とともに「オートカー」「人工頭脳電車」とも呼ばれた。

概要[編集]

初代ローレル賞プレート(2000と異なり台座なしの車体直付け、1984.1.2梅田にて撮影)

2300系は、1960年(昭和35年)に神宝線用の2000系の姉妹車として登場した。2000系は架線電圧が直流600Vで電装品が東京芝浦電気製であるのに対し、京都線の2300系は当初より直流1,500V対応で、新京阪鉄道時代からの慣例で東洋電機製造製の電装品を使用している。車体の基本デザインは2013年平成25年)から製造が開始された1300系にも受け継がれている。

1961年(昭和36年)には、2000系とともに鉄道友の会の第1回ローレル賞を受賞した。

本項では解説の便宜上、梅田方先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:2315以下7両編成=2315F)する。

車体[編集]

2300系の車内
2300系の車内
初期タイプの車両のフレーム付き側窓
初期タイプの車両のフレーム付き側窓

阪急標準車体寸法を採用し、2000系と共通で直線主体の簡素なスタイルを持つ全金属製車体を備える。正面形状は三面折妻、車体長は運転台側が100mm長くなり18,400mmとなった。客用扉は1,300mm幅の両開き扉を阪急で初採用、換気装置は別製作のモニター屋根を載せて簡素化を図った[1]。貫通路は1,080mm幅の広幅貫通路が用いられていたが、1964年以降製造の中間車では通常貫通扉付きの狭幅貫通路を採用した。

側窓は、ワンタッチで開閉可能な1段下降式のユニット窓である。操作性の良さとともに、アルミ合金の窓枠とマルーンの車体色との取り合わせが極めて好評であり[2]、以降の新造車両でも半世紀にわたり踏襲されている[1]。窓構造は当初はフレームサッシュ形状で、昭和38年度以後の製作車はフレームレス方式が採用されている[注 1]

側面には、電照式の列車種別表示器や車外放送装置が設けられた[1]

車内は内張りにマホガニー木目のメラミン化粧板(アルミデコラ)を採用、木質感を保ちつつ不燃化と完全無塗装化を図った[1]。座席はロングシートで、座面のモケットはゴールデンオリーブ色、素材にアンゴラヤギの毛を使用、毛足4.5mmのテレンプを用い、優れた座り心地を提供した[1]

阪急伝統のマルーン塗装や木目調の内装を受け継ぎつつ、現在まで続くデザインを確立した。

主要機器[編集]

走行機器[編集]

制御器は東洋電機製造製ES-755Aで、電動カム軸制御器による抵抗制御と分巻界磁制御で構成される。分巻界磁電流の調整は、分巻界磁と直列接続した227段の界磁抵抗器(FR)の端子を円筒状に配し、その上をサーボモーターで駆動する接触子を移動することで行い、抵抗値を変更する[3]。このサーボモーターの制御をトランジスタを用いた増幅器で行うのが2300系の最大の特徴である[4]

定速度運転機能は50・65・80・90・100・105km/hと中高速域の6段階に指令可能であった。

十三駅 - 梅田駅間で直流600Vの宝塚線を走行するのに備えて、電圧転換器も装備していた[4]

主電動機は出力150kWの複巻補償巻線付き直流電動機である東洋電機製造製TDK-812-A[注 2]を採用し、これを1両分4個で永久直列接続にして使用された。駆動方式は中空軸平行カルダン、歯数比は84:16 (5.25) で、その後の京都線の標準となる[5]。なお、起動加速度は2.8km/h/s(45km/hまで)である。

ブレーキ電磁直通ブレーキで、回生ブレーキ併用のHSC-Rである[6]。当初は回生ブレーキを優先し、電動車の回生ブレーキの不足分を付随車の空気ブレーキで補う方式を採用したが、後に各車がブレーキ力を負担する方式に変更した[6]

台車[編集]

台車は同時期新造の2000系と同様に住友金属工業製のアルストーム・リンク金属ばね台車を標準とし、電動車は住友金属FS333を、制御車および付随車は住友金属FS33をそれぞれ使用した。車輪径はFS333が高性能車標準の860mm、FS33が小径の762mmである[5]。1962年製造車以降はミンデンドイツ式金属ばね台車を採用し、電動車は住友金属FS345を、制御車および付随車は住友金属FS45をそれぞれ使用した。

また、一部の車両で汽車製造製の1自由度系軸箱梁式台車(エコノミカルトラック)が試験的に装着された。1961年・1962年にはKS-65AとKS-65Bが、1963年には軸箱支持部を改良したKS-71AとKS-71Bが試用されている[4]

台車形式と車番は以下のとおり[5]

  • KS-65A(2305 - 2307、2311、2331)
  • KS-65B(2355 - 2357、2361)
  • KS-71A(2310、2320、2340)
  • KS-71B(2360、2370)

集電装置[編集]

パンタグラフは東洋電機製造PT-42-Lを採用した。離線による回生失効を防止するため、Mc車に2基搭載する[7]

1962年に2330形を組み込むMc-M-Tcの3両編成が増備された際は、電動車の隣接による架線の集中的な押し上げを防止するため、中間電動車2330形のパンタグラフを制御車2350形に設置して間隔を確保した。2330形は将来の付随車増結と電動車の間隔確保を見越して、パンタグラフの搭載準備がなされていた[5]1966年に製造された2330形2341 - 2343の3両は、パンタグラフ2基搭載で竣工した[8][9]

その後、Mc車のパンタグラフ2基でもM車への給電や回生制動に支障がないことが確認されたため、2330形のパンタグラフは早い時期に、2350形のパンタグラフも1967年に撤去された[8][10]。パンタグラフ搭載の2361以降の制御車は一時期、2360形と呼ぶこともあった[5]

形式[編集]

以下の4形式78両が1960年から1967年にかけてナニワ工機で製作された。中間電動車2330形は1962年、中間付随車2380形は1966年からの追加製造である。

2300形 (Mc)
2301 - 2328(28両)
梅田方制御電動車。
2350形 (Tc)
2351 - 2378(28両)
河原町方制御車。
2330形 (M)
2331 - 2346(16両)
中間電動車。
2380形 (T)
2391 - 2396(6両)
付随車。

中間電動車は30番台の2330形、中間付随車は80番台の2380形に区分されており、運転台の有無を問わず動力の有無のみで区分した2000系・2100系列とは対照的に、整然とした番号体系となっている[11]

製造[編集]

電動車と付随車によるMc-Tcの2両編成を基本とし、当初は2両編成を2本併結した4両編成で運用された。1960年 - 1961年製造車はアルストムリンク式台車のFS333、FS33を採用した。

1961年・1962年製造車では、エコノミカル台車も試用された。*マーク付きはエコノミカル台車を装着。

← 大阪
京都 →
竣工
Mc Tc Mc Tc
2301 2351 2302 2352 1960年11月[1]
2303 2353 2304 2354 1961年12月[5]
2305* 2355* 2306* 2356* 1961年度[3]

1962年には中間電動車の2330形が登場し、3両編成を組成した。台車もミンデンドイツ台車のFS345・FS45を本格的に採用した。

← 大阪
京都 →
竣工
Mc Tc Mc Tc
2307* 2357* 2308 2358 1962年10月[5]
Mc M Tc
2311* 2331* 2361* 1962年10月[5]
2312 2332 2362
2313 2333 2363

1963年には、大宮 - 河原町間の延伸と千里山線の新千里山延伸に伴い、Mc-Tc+Mc-M-Tcの5両編成7本とMc-Tcの2両編成1本を増備した[8]。*マーク付きはエコノミカル台車を装着。河原町延伸に合わせて増発された特急にも充当されたが、ロングシート車では旅客サービスが好ましくないことから、翌1964年より2扉クロスシートの特急車2800系が新造されている[8]

← 大阪
京都 →
竣工
Mc Tc Mc M Tc
2309 2359 2314 2334 2364 1963年4月[5]
2321 2371 2315 2335 2365
2322 2372 2316 2336 2366 1963年5月[5]
2323 2373 2317 2337 2367
2324 2374 2318 2338 2368 1963年6月[5]
2325 2375 2319 2339 2369
2310* 2360* 2320* 2340* 2370* 1963年7月[5]
Mc Tc
2326 2376 1963年7月[5]

1964年からは特急車の2800系を増備していたが、1966年からは2300系の電動車2330形と付随車2380形による中間車ユニットを増備、1967年には2両編成2本を導入した。中間車は2321-2371から2326-2376までの6本に編入し、Mc-T-M-Tcの4両ユニットを組成した[8]。2380形の2381 - 2390は欠番となっている[12]

混雑緩和のため座席定員が少なくなり、先頭車は6人減の48人、中間車は8人減の52人となった[12]。側窓は神宝線の3000系・3100系などと同一仕様のフレームレス方式となった[12]。T車とM車の間の貫通路は風の吹き抜けを防ぐため狭幅となり、引き戸が設置された[12]

← 大阪
京都 →
竣工
T M
2391 2341 1966年11月[12]
2392 2342
2393 2343
2394 2344 1967年6月[12]
2395 2345
2396 2346
← 大阪
京都 →
竣工
Mc Tc Mc Tc
2327 2377 2328 2378 1967年7月[12]

主な改造[編集]

冷房化改造[編集]

冷房改造・非表示幕の2301F(2005年3月19日、桂)

1978年より冷房化改造が実施された[13][14]。冷房装置は10,500kcal/h×3基(東芝RPU-3003)の集約分散式で、電源用に120kVAの大容量MGをユニット毎に1基ずつ設置[15]、従来の小容量MGは撤去された。2308では補助電源装置にSIV(SVH120-456形)が試験搭載された[15]。冷房化は1981年に終了している[16]

電動車の車軸径は120mmに強化[17]、2300形の大阪方パンタグラフは前位寄りに約700mm移設された[13][注 3]。また、2300形以外にパンタグラフを搭載する可能性がなくなったため、パンタグラフ非搭載車全車の屋根上機器配置が同一に統一された[注 4]

制御器更新[編集]

新造から20年が経過すると、制御装置の経年劣化や部品の入手困難が目立つようになったことから、冷房化に並行して制御装置の更新も行われた[14]7300系と同様の界磁チョッパ制御(東洋電機製造ES773)となり、定速運転機能は廃止された[17]

電動車は大部分がMM'ユニットの1C8M方式となったが、一部は従来の1C4M方式のまま更新されている。2327・2328は1C4M・1C8M両用となった[16]。2305・2307は後年の7両編成化に伴う2800系電動車(2831・2841)の編入に際して1C4Mから1C8Mに切り替えられた[18]

2311-2331はAFEチョッパ制御(RG608)の試験車となった[12]

車両の管理上、一部車両では改番が行われた。新旧対照は以下のとおり[17]

  • 2303-2353 → 2304-2354
  • 2304-2354 → 2303-2353
  • 2308-2358 → 2310-2360
  • 2310-2360 → 2308-2358

長編成化に伴う編成の固定化が進み、以下の車両で中間運転台の撤去と乗務員扉の埋め込みが実施された[17]

  • Mc→Mo - 2302、2304(旧番2303)、2310(旧番2308)、2312、2314、2320、2322、2324、2326、2328
  • Tc→To - 2351、2353(旧番2354)、2355、2357、2359、2361、2363、2365、2371、2373、2375、2377

空気バネ車は金属バネ車との混結を避けるため、MM'ユニットの固定編成となった[17]。2306・2308(旧番2310)の2両は運転台を撤去したM'o車となり、主制御器やパンタグラフなどを撤去し、コンプレッサー、補助電源装置等を搭載した。

貫通路改造[編集]

4両ユニットではMc-T-M-TcからMc-M'-T-Tcへの組み換えを行い、妻面の引き戸の位置の分散により風の吹き抜けの阻止が図られた[17]。広幅貫通路と狭幅貫通路を幌で連結する際はアダプタを設置して接続し、表示幕設置車はアダプタを廃した狭幅貫通路への改造も実施されている[16]

冷房改造後の各車の貫通路の状況を示す[16]。表記は便宜上のもので、車両番号はいずれも改番後。

  • 先 - 先頭部、運転台撤去車を含む場合は(撤)を付記
  • 広 - 新造時より広幅
  • 狭戸 - 新造時より狭幅・引き戸付き
  • 広ア - 新造時は広幅、アダプタ設置
  • 狭改戸 - 新造時は広幅、狭幅引き戸設置
  • 狭改幕 - 新造時は広幅、表示幕改造時に引き戸なし狭幅化
  • 広ア幕 - 新造時は広幅、表示幕改造時にアダプタ設置
形式 大阪方 京都方 車両番号
2300形 先(撤) 広ア 2301 - 2310・2327・2328
2311・2313・2315・2317・2319
先(撤) 狭改戸 2312・2314・2316・2318・2320
先(撤) 狭改幕 2321 - 2326
2350形 狭改戸 先(撤) 2351 - 2361・2363・2365・2367・2369・2377・2378
2362・2364・2366・2368
広ア幕 2370
狭改幕 先(撤) 2371 - 2376
2330形 広ア 2331
広ア 2332
狭改幕 2333・2335・2337・2339
狭改幕 2334・2336・2338
狭改幕 広ア幕 2340
狭戸 2341 - 2346
2380形 狭戸 2391 - 2396

表示幕設置[編集]

1986年から1989年にかけて、本線運用の7両編成7本を対象に種別・行先表示幕が設置された[12]。尾灯や標識灯は窓下に移され、側面は従来の種別表示灯を撤去して種別・行先一体の表示幕を新設、表示灯の跡は埋められた[16]。中間組込の先頭車の正面には設置されていない。

京都線に幅広車体の車両が増加したことから、車体とホームの隙間を埋めるため、非表示幕車を含む全車両の客用扉にステップが設置された[注 5]。これにより最大幅が2,808mmとなり、神宝線への入線が不可能となった[8]

台車の振替[編集]

エコノミカル台車の空気ばねは振動吸収が不十分で乗り心地の向上には至らず、保守にも手間が掛かることから、金属バネ台車への振替が実施された[10]。振替には2800系の廃車発生品のFS345・FS45[10]、およびFS324が用いられた。2305・2306・2308・2311の4両はKS65台車で残された。

保安装置更新[編集]

2006年からはATS更新が行われている。同時に非常ブレーキの改造を行った。

近年においては、先頭に出ている2300形・2350形のエアホース、ジャンパ栓受け、2350形の電らん箱が撤去されている。また、コンプレッサーを2330形・2350形に搭載していた旧式のD3NHA形から大容量のHB2000形へと換装、2350形へ集約搭載された(中間T車代用の2355には未搭載)。2300形の中間運転台残存車2316・2318においては、マスコン、ブレーキ弁等の運転関係機器が完全に撤去されている(事実上の運転台撤去車化)。

運用[編集]

勇退ヘッドマークを掲げた2301F(2005年9月)

当初は2300形-2350形の2両編成で登場し、2両 - 4両編成で使用されたが、その後輸送力増強で3両編成、4両編成が登場した。2両・3両・4両のユニットの組み合わせで2両編成から最大8両編成の柔軟な組成が可能で、特急車の2800系の登場までは特急にも使用されていた。堺筋線開業前は天神橋駅までの運用実績があった。建設中の東海道新幹線と併走する区間の高架化工事で新幹線の線路を走行した実績もある[19]

1969年の地下鉄堺筋線との乗り入れ開始に備えて3300系が大量増備されると、京都線に必要以上の車両数が在籍することとなった。そのため、全線共通車体の2300系を昇圧完了後の神戸線の輸送力増強に活用し、車両需給の調整を図ることとなり、2300系は1969年1月より最大で6両編成5本の30両が神戸線に転属した[12][注 6]。神戸線では4両編成から最大8両編成で運用され、2300系の8両編成運用は神戸線が先行する形となった[8]。神戸本線から山陽電気鉄道須磨浦公園駅のほか、今津線でも運用された[注 7]日本万国博覧会の期間中の「EXPO直通」で神戸線から京都線に直通した実績もある。京都線の輸送力増強と神宝線への新型車両の投入に伴い、2300系は1971年11月までに全車が京都線に復帰した。以後の神宝線への入線実績はない。

1972年の京都線特急・急行の8連運転開始に際しては、2300系も8両編成4本を組成の上で充当された。その後の5300系8両編成や6300系の登場に伴い、2300系の8両編成は1978年11月に消滅している[13]。冷房化改造開始後の1980年8月には普通の6連運転を開始、1982年9月には普通の7連運転が開始され、2800系の2884・2885が編入された[20]

1986年からは嵐山線用に2301F・2303F・2309Fが4両編成×3本に組み替えられ1987年までに1300系を置き換えた[21]。1991年・1992年の2800系嵐山線転用により2303と2309は一度本線に戻るが、1995年に2800系が現役を引退したため3年ほどで嵐山線へ復帰している[21]

本線系統では1990年代で6両・7両編成が京都本線・千里線(北千里駅 - 淡路駅間)の普通準急快速のほか梅田 - 嵐山間の臨時急行(梅嵐急行)などで使用されていたが、2001年3月の改正で6両編成の運用が消滅、7両編成が再び一般の急行や行楽期の臨時特急「いい古都エクスプレス」に使用され、2007年のダイヤ改正で急行に代わり設定された準急にも充当された。

2005年の9300系増備に伴い2300系表示幕車7連の内2323F・2319Fを4連化、嵐山線の非表示幕車置き換えが開始された。2323は7月19日から嵐山線に転属し[22]2303が運用を離脱。2301Fは9月23日に勇退イベントが開催され、10月19日に運用を終了、翌20日から入れ替わる形で2319Fが運用を開始した。この時点で残存する2309は京都線系統最後の非表示幕車両となった。

2009年4月2日から嵐山線に6300系が投入され、嵐山線用の2300系は4月1日付けで運行終了・現役から退いた[23]

2014年からは1300系への置き換えが開始され、2300系は2015年3月限りで完全に引退することが発表された[24]2月20日より2313Fに引退記念の装飾を施し両先頭部に特製ヘッドマークを掲出、1992年以前の旧社章もステッカーで復元された[25]3月20日をもって定期運用を終了[26]3月22日正雀駅 - 河原町駅間でさよなら運転が行われ2300系は55年間の現役生活に幕を下ろした[27]

廃車[編集]

早期に編成自体が消滅した2000系と異なり、近年まで全車が在籍していたが、AFEチョッパ車の2311は2300系で最も早く2001年に廃車となり[15]、2331は電装解除された。

続いて2001年1月には最後の2800系組み込み編成であった2305Fが、そして2003年春には阪急最後の本線用表示幕非装備編成の2307Fが運用を離脱し、いずれの車両もその後廃車となった。これにより本線用表示幕非装備編成は消滅した。

2005年の9300系の増備と2300系表示幕車の嵐山線転用に伴い、2303Fの4両と2323Fの中間3両(2373・2314・2334)の計7両が2005年8月18日付で廃車となった[28]。続いて2301Fの中間2両(2302・2351)と2319Fの中間3両(2339・2369・2324)、2307Fの残存車で休車となっていた2307の計6両が2005年12月15日付で廃車となっている[28]

2009年の6300系の嵐山線転用、また本線の7連運用減少に伴い、2009年5月28日付で2319Fの4両が、2010年4月23日付で嵐山線用4連の2309F、2323Fの計8両、本線用の2317Fの7両の15両が廃車となった[29]

2014年からの1300系の増備に伴い、2014年6月13日付で2321F、2015年1月19日付で2325Fが廃車となった。2300系は2015年3月1日現在で2313F・2315Fと休車の2301Fが在籍していたが[21]、2315Fの7両は2015年4月24日付で廃車[30]、最後まで運用された2313Fの7両は2015年6月4日付で廃車となっている[30]

その後も正雀工場に保存されている2301-2352の2両が車籍を有していたが、2016年2月29日付で2両とも廃車となり[30]、2300系は形式消滅した。

保存車[編集]

2301・2352の2両が正雀工場に動態保存されている。2016年に廃車となり、保存車として旧社章を復元するなどの整備が行われた[31]。2016年秋のレールウェイフェスティバルでは、車内を公開してのヘッドマーク展示が行われた[32]

このほか、2311の運転台部分が兵庫県三田市の個人宅に保存されている。

編成表[編集]

中間組込先頭車は運転台のある側にcの文字を、運転台撤去車は撤去側にoの文字を付している。

冷房化完了時[編集]

1981年8月1日現在[13]

← 梅田
河原町 →
備考
Mc To Mo M' T Tc
2301 2351 o o 2322 2342 2392 2372
2303 2353 o o 2324 2344 2394 2374
2309 2359 o o 2326 2346 2396 2376
Mc M' T To Mo Tc
2321 2341 2391 2371 o o 2310 2360
2323 2343 2393 2373 o o 2304 2354
2325 2345 2395 2375 o o 2302 2302
Mc Tc Mo To M'o Tc
2305 2378 c o 2328 2355 o o 2306 2356
Mc To Mc To M'o Tc
2307 2377 o c 2327 2357 o o 2308 2358
Mc M' To Mo M' Tc
2311 2331 2361 o o 2320 2340 2370
2313 2333 2363 o o 2314 2344 2364
Mc M' Tc Mo M' Tc
2319 2339 2369 c o 2312 2332 2362
Mc M' To Mc M' Tc
2315 2335 2365 o c 2316 2336 2366
Mc M' Tc Mc M' Tc
2317 2337 2367 c c 2318 2338 2368

表示幕設置時[編集]

1989年10月1日現在[16]

梅田
表示幕設置
Mc M' To Mo M' T Tc
2313 2333 2363 o o 2322 2342 2392 2372 1986年12月
Mc M' To Mo M' To Tc
2315 2335 2365 o o 2320 2340 2355 o 2370 1989年9月
Mc M' Tc Mo M' T Tc
2317 2337 2367 c o 2326 2346 2396 2376 1986年12月
2319 2339 2369 c o 2324 2344 2394 2374 1987年3月
Mc M' T To Mc M' Tc
2321 2341 2391 2371 o c 2316 2336 2366 1987年12月
2325 2345 2395 2375 o c 2318 2338 2368 1988年3月
Mc M' T To Mo M' Tc
2323 2343 2393 2373 o o 2314 2334 2364 1987年9月
← 梅田
河原町 →
表示幕設置
Mc M' T To Mo M' Tc
2311 2331 2884 2361 o o 2312 2332 2362 未施工
← 梅田
河原町 →
表示幕設置
Mc Tc Mo M'o T Tc
2305 2378 c o 2328 o 2306 2885 2356 未施工
Mc To Mc To M'o Tc
2307 2377 o c 2327 2357 o o 2308 2358 未施工
嵐山
表示幕設置
Mc To Mo Tc
2301 2351 o o 2302 2352 未施工
2303 2353 o o 2304 2354 未施工
2309 2359 o o 2310 2360 未施工

1999年[編集]

1999年10月1日現在[33]

梅田
備考
Mc M' To Mc M' T Tc
2305 2831 2377 o c 2327 2841 2885 2378
Mc M' To Mo M' T Tc
2313 2333 2363 o o 2322 2342 2392 2372 表示幕車
Mc M' To Mo M' To Tc
2315 2335 2365 o o 2320 2340 2355 o 2370 表示幕車
Mc M' Tc Mo M' T Tc
2317 2337 2367 c o 2326 2346 2396 2376 表示幕車
2319 2339 2369 c o 2324 2344 2394 2374 表示幕車
Mc M' T To Mc M' Tc
2321 2341 2391 2371 o c 2316 2336 2366 表示幕車
2325 2345 2395 2375 o c 2318 2338 2368 表示幕車
Mc M' T To Mo M' Tc
2323 2343 2393 2373 o o 2314 2334 2364 表示幕車
梅田
備考
Mc M'o Tc Mo M'o Tc
2307 o 2308 2358 c o 2328 o 2306 2356
Mc M' To Mo M' Tc
2311 2331 2361 o o 2312 2332 2362
嵐山
備考
Mc To Mo Tc
2301 2351 o o 2302 2352
2303 2353 o o 2304 2354
2309 2359 o o 2310 2360
To
2357 o 休車

2002年[編集]

2002年4月1日現在[14]

← 梅田
河原町 →
備考
Mc M'o Tc Mo M' T Tc
2307 o 2308 2358 c o 2312 2332 2331 2356
Mc M' To Mo M' T Tc
2313 2333 2363 o o 2322 2342 2392 2372 表示幕車
Mc M' To Mo M' To Tc
2315 2335 2365 o o 2320 2340 2355 o 2370 表示幕車
Mc M' Tc Mo M' T Tc
2317 2337 2367 c o 2326 2346 2396 2376 表示幕車
2319 2339 2369 c o 2324 2344 2394 2374 表示幕車
Mc M' T To Mc M' Tc
2321 2341 2391 2371 o c 2316 2336 2366 表示幕車
2325 2345 2395 2375 o c 2318 2338 2368 表示幕車
Mc M' T To Mo M' Tc
2323 2343 2393 2373 o o 2314 2334 2364 表示幕車
← 桂
嵐山 →
備考
Mc To Mo Tc
2301 2351 o o 2302 2352
2303 2353 o o 2304 2354
2309 2359 o o 2310 2360
← 梅田
備考
Mc
c 2305
c 2327
Mo
o 2328
To
2357 o
Tc
2362 c
2378 c

2006年[編集]

2006年4月1日現在[34]

梅田
備考
Mc M' To Mo M' T Tc
2313 2333 2363 o o 2322 2342 2392 2372
Mc M' To Mo M' To Tc
2315 2335 2365 o o 2320 2340 2355 o 2370
Mc M' Tc Mo M' T Tc
2317 2337 2367 c o 2326 2346 2396 2376
Mc M' T To Mc M' Tc
2321 2341 2391 2371 o c 2316 2336 2366
2325 2345 2395 2375 o c 2318 2338 2368
嵐山
備考
Mc M T Tc
2319 2344 2394 2374
2323 2343 2393 2364
Mc To Mo Tc
2309 2359 o o 2310 2360 非表示幕車
← 梅田
備考
Mc Tc
2301 2352 非表示幕車

2015年[編集]

2015年3月1日現在[21]

梅田
備考
Mc M' To Mo M' T Tc
2313 2333 2363 o o 2322 2342 2392 2372
Mc M' To Mo M' To Tc
2315 2335 2365 o o 2320 2340 2355 o 2370
← 梅田
備考
Mc Tc
2301 2352 非表示幕車

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 窓ガラスを下降させた時には、前者の場合、サッシュ上端左右部分が窓ユニットに合わせ丸く落ち込んでいる形状で、窓最下降時の開口面積も以後のものより大きくなっている。
  2. ^ 1時間定格回転数1,350rpm、最高許容回転数4,800rpm、最弱界磁率20%。
  3. ^ レイルロード発行「サイドビュー阪急.2」の側面撮影写真から比較が可能である。
  4. ^ 冷房搭載で先行した2800系では、パンタグラフ2基搭載の2800形にRPU-2202Aを3基搭載、冷房能力の不足の際は中間の2830形にパンタグラフを1基移設可能なよう考慮していた。
  5. ^ 2800系も2300系への組込車にドアステップが設けられた。
  6. ^ この際、標識板掛けを車体側のL字金具の先端に、神宝線の標識板の逆L字金具を差し込む袋を設けて、神宝線タイプと当時の京都線タイプの両方に対応したものに改造した。装着すると神宝線タイプでは標識板がやや上寄りとなっていた。その後の冷房改造時には標識板の統一が完了していたことから、神宝線タイプに再改造されている。
  7. ^ 線内普通列車のほか、梅田直通の上り準急・阪神競馬場観客輸送対応の仁川駅発着臨時急行にも使用。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 山口益生『阪急電車』123頁。
  2. ^ 山口益生『阪急電車』122頁。
  3. ^ a b 篠原丞「阪急電鉄2300系のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2003年1月号、82頁。
  4. ^ a b c 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、102頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 山口益生『阪急電車』125頁。
  6. ^ a b 山口益生『阪急電車』124頁。
  7. ^ 『鉄道ジャーナル』2006年1月号、122頁。
  8. ^ a b c d e f g 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、103頁。
  9. ^ 『関西の鉄道 No.56 特集 阪急電鉄PartVIII 京都線・千里線』、関西鉄道研究会、2009年、p43。
  10. ^ a b c 『鉄道ジャーナル』2006年1月号、123頁。
  11. ^ 山口益生『阪急電車』163頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j 山口益生『阪急電車』126頁。
  13. ^ a b c d 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、104頁。
  14. ^ a b c 篠原丞「阪急電鉄2300系のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2003年1月号、86頁。
  15. ^ a b c 『鉄道ジャーナル』2006年1月号、124頁。
  16. ^ a b c d e f 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、105頁。
  17. ^ a b c d e f 山口益生『阪急電車』127頁。
  18. ^ 阪急電鉄・諸河久『カラーブックス 日本の私鉄 阪急』保育社、1998年。98頁。
  19. ^ 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、101頁。
  20. ^ 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、100頁。
  21. ^ a b c d 篠原丞「阪急2300系の55年」『鉄道ファン』2015年5月号、107頁。
  22. ^ RAILWAY TOPICS「阪急9300系の増備で嵐山線2300系4連を置換え」『鉄道ジャーナル』2005年11月号、鉄道ジャーナル社、101頁。
  23. ^ 阪急嵐山線用の2300系,運転を終了 鉄道ニュース、2009年4月3日
  24. ^ 第1回 鉄道友の会ローレルを受賞した車両がついに引退!阪急電鉄公式HP
  25. ^ 阪急,2300系引退記念装飾列車を運転 鉄道ニュース、2015年2月21日
  26. ^ 阪急2300系の定期運用が終了 鉄道ニュース、2015年3月21日
  27. ^ “阪急『2300系さよなら運転ツアー』開催”. 鉄道ファン. (2015年3月23日). http://railf.jp/news/2015/03/23/170000.html 2015年12月20日閲覧。 
  28. ^ a b ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表 '06年版』2006年、122-125頁。
  29. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表 2011』交通新聞社、2011年、187頁。
  30. ^ a b c ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表 2016』交通新聞社、2016年、199頁。
  31. ^ 高間恒雄「阪急電鉄の車両動向2017」『鉄道ファン』2017年8月号、80頁。
  32. ^ 『秋の阪急レールウェイフェスティバル2016』開催 鉄道ニュース、2016年10月30日
  33. ^ 『HANKYU MAROON WORLD 阪急電車のすべて』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年、141頁。
  34. ^ ジェー・アール・アール編『私鉄車両編成表 '06年版』2006年、127頁。

参考文献[編集]

  • 山口益生『阪急電車』JTBパブリッシング、2012年。ISBN 4533086985
  • 東京工業大学鉄道研究部「電鉄 往年の名車をクローズアップ 21 阪急電鉄2300系」、『鉄道ジャーナル』2006年1月号、鉄道ジャーナル社。120-124頁。
  • 篠原丞「阪急電鉄2300系のあゆみ」、『鉄道ピクトリアル』2003年1月号(特集 私鉄高性能車の半世紀)。80-87頁。
  • 篠原丞「阪急2300系の55年」、『鉄道ファン』2015年5月号、交友社。100-107頁。

外部リンク[編集]