三田市
| さんだし 三田市 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
|
| |||||
| |||||
| 国 |
| ||||
| 地方 | 近畿地方 | ||||
| 都道府県 | 兵庫県 | ||||
| 団体コード | 28219-7 | ||||
| 法人番号 | 8000020282197 | ||||
| 面積 |
210.32km2 | ||||
| 総人口 |
111,512人 [編集] (推計人口、2018年10月1日) | ||||
| 人口密度 | 530人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 神戸市、宝塚市、三木市、加東市、篠山市、川辺郡猪名川町 | ||||
| 市の木 | アカマツ | ||||
| 市の花 | サツキ | ||||
| マスコット | キッピー | ||||
| 三田市役所 | |||||
| 市長 | 森哲男 | ||||
| 所在地 |
〒669-1595 兵庫県三田市三輪二丁目1番1号 北緯34度53分22.4秒東経135度13分31.4秒座標: 北緯34度53分22.4秒 東経135度13分31.4秒 | ||||
| 外部リンク | 三田市ホームページ | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
三田市(さんだし)は、兵庫県の市。阪神北県民局管轄区域。本項では市制前の名称である三田町(さんだちょう)についても述べる。
摂津国が丹波国・播磨国と国境を接している阪神地域の北側に位置している。「阪神地域」と称される地域のうちでは豊かな自然が残っている田園都市である。
目次
地理[編集]
兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置する。かつては田園風景の広がる典型的な農村の様相を呈していたが、1980年代からの大規模住宅団地の開発と、JR福知山線の複線電化の利便性向上により大阪・神戸の衛星都市として急激な発展を遂げた。どちらかといえば大阪市との結びつきが強い。今日では農村と都市の二つの顔を併せ持つ田園都市となっている。瀬戸内海式気候に属すると言われるが、内陸部に位置するため気温の寒暖差は比較的大きい。市内に標高最高地点はは峰山の697m、最低標高地点は116mであり、市内の北部や東部は山岳地帯である。
山[編集]
- 有馬富士 374m
- 羽束山 528m
- 大船山 653m
- 虚空蔵山 592m
- 三国ヶ岳 648m
- 愛宕山 648m
- 千丈寺山 589m
- 峰山697m、
- 扶美ヶ岳 666m
- 峯ヶ岳 659m
- 愛宕山 648m
- 昼ヶ岳 595m
- 奥山 580m
- 烏ヶ岳 528m
河川・湖沼[編集]
人口[編集]
1958年10月1日に市制施行時に初めて統計を取った時の人口は32673人であり、兵庫県での市で一番人口が少ない自治体であった。市制施行後も人口は横ばいであり、1985年10月1日の調査まで3万人台で推移していた。しかし、大阪のベッドタウンとして、北摂三田ニュータウン開発が始まったことにより、人口が急激に増加し、1985年に4万人、1990年に6万人、1991年に7万人、1993年に8万人、1996年には10万人を突破し、右肩上がりに急激に増加し、兵庫県はおろか10年連続日本一の人口増加率を記録した[2][3][4]。1999年10月1日の調査では11万395人になったが、その後は人口増加率が緩やかになり、現在では11万4000人前後で推移している[4]。2004年に人口が増加から減少に転じたが、2008年からは増加に再び転じピークを迎え、人口が約11万5000人になった。その後は微減している[4]。また、ニュータウン内に市内の人口の半分以上が居住している[5][6][7]。
- 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.57%増の114,220人であり、増減率は県下41市町中8位、49行政区域中12位。
| 三田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 三田市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 三田市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
三田市(に相当する地域)の人口の推移![]() ► | |
| 総務省統計局 国勢調査より | |
面積[編集]
1989年までは211.90km21990年から1993年までは210.34km2、1994年からは現在の面積である210.22km2になった[1]。
気象[編集]
| 三田の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 °C (°F) | 7.6 (45.7) |
8.3 (46.9) |
12.1 (53.8) |
18.6 (65.5) |
23.1 (73.6) |
26.4 (79.5) |
30.0 (86) |
31.6 (88.9) |
27.2 (81) |
21.4 (70.5) |
15.7 (60.3) |
10.3 (50.5) |
19.4 (66.9) |
| 日平均気温 °C (°F) | 2.3 (36.1) |
3.0 (37.4) |
6.5 (43.7) |
12.3 (54.1) |
17.2 (63) |
21.4 (70.5) |
25.2 (77.4) |
26.2 (79.2) |
22.1 (71.8) |
15.6 (60.1) |
9.7 (49.5) |
4.5 (40.1) |
13.8 (56.8) |
| 平均最低気温 °C (°F) | −2.4 (27.7) |
−2.0 (28.4) |
0.9 (33.6) |
5.9 (42.6) |
11.2 (52.2) |
16.8 (62.2) |
21.3 (70.3) |
22.0 (71.6) |
17.8 (64) |
10.5 (50.9) |
4.2 (39.6) |
−0.6 (30.9) |
8.8 (47.8) |
| 降水量 mm (inch) | 39.4 (1.551) |
54.8 (2.157) |
96.8 (3.811) |
99.5 (3.917) |
136.9 (5.39) |
176.4 (6.945) |
155.1 (6.106) |
114.3 (4.5) |
150.9 (5.941) |
109.1 (4.295) |
67.1 (2.642) |
39.6 (1.559) |
1,239.9 (48.815) |
| 平均降水日数 (≥ 1.0 mm) | 5.9 | 6.9 | 10.7 | 9.6 | 10.6 | 11.4 | 10.8 | 8.0 | 10.3 | 8.6 | 6.8 | 6.1 | 105.8 |
| 平均月間日照時間 | 125.4 | 120.2 | 145.4 | 173.3 | 170.3 | 136.1 | 148.6 | 189.9 | 144.2 | 158.6 | 140.4 | 135.5 | 1,781.5 |
| 出典: 気象庁 | |||||||||||||
隣接している自治体・行政区[編集]
大阪市への通勤率は13.8%、神戸市への通勤率は12.3%である(いずれも平成22年国勢調査)。
歴史[編集]
古代[編集]
三田盆地は旧石器時代から、人々が暮らした痕跡がある。2万5千年前の遺跡である広野地区の溝口遺跡からはナイフ形石器、石鏃などが発掘されている。ニュータウン開発で発見されたけやき台の有鼻遺跡や平方遺跡は弥生時代中期の遺跡で、ここからは畿内最古の鉄剣や鉄斧などの鉄器類や竪穴式住居跡などが発掘されている。古墳時代には武庫川と青野川が合流する流域は須恵器の産地となっていたようで、本庄地区の東仲古墳 、沢山1号墳など石室を持った古墳とともに須恵器の窯跡が発掘されており、「末(すえ)」という地名は今も残っている。これは三田市の北西に隣接する篠山市今田地区で生産されている立杭焼(丹波焼)の起源の一つと考えられている。また、青野川とともに青野ダムを形成する黒川沿いの小野地区にある伊勢貝遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落の遺構が発掘される複合遺跡である。このように市域には時代ごとに遺跡や古墳が多くあり、古代から連綿と人々の暮らしが続いていることがわかる。
中世[編集]
現在の市街地エリアに町が形成されたのは7・8世紀頃からと考えられる。三田地区・三輪地区一帯は7世紀以前から日本最古の神社と言われる大和国一ノ宮である大神神社の荘園となっており、大和国城上郡の松山氏が荘官として管理し通称「松山の庄」と呼ばれていた。668年(天智天皇7年)に金心寺が建立されると武庫川より南西部に門前町が形成され、金心寺周辺を三田と呼ぶようになる。
北東部の三輪地区はその後も大神神社の荘園であったが、14世紀の松山彈正が荘官の時、荘園制度が崩れ武装の必要性が生じ、有馬郡の三輪明神信仰の聖地となっていた丸山に城を築くと同時に三輪神社の社殿を奉納する。これにより三輪地区でも門前町を形成していき、武庫川を挟んで金心寺と三輪神社の門前町が融合する形で有馬郡の中心地へと発展していく。
平安時代から鎌倉時代にかけて市域の各地には多くの荘園が作られ、地頭である豪族が桑原城、貴志城、大原城などの小さな山城を築いて統治していた。このように三田市にはいろいろな歴史が刻まれている。
三田藩[編集]
室町時代に播磨国守護だった赤松則村(円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎片家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。
なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩の青木氏1万2千石の所領で、1896年(明治29年)に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していた。
近代[編集]
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により三田県となり後に兵庫県に編入。
- 1879年(明治12年) 三田町に有馬郡2町12ヶ村の郡役所設置。
- 1899年(明治32年) 阪鶴鉄道(後の国鉄、現・JR西日本福知山線)開通。三田駅、広野駅、相野駅、藍本駅が開業。
- 1912年(明治45年)旧制三田中学校(現・三田学園)開校。
- 1915年(大正4年) 有馬鉄道(後の国鉄有馬線)開通。
- 1928年(昭和3年) 神戸有馬電気鉄道(現・神戸電鉄)三田線開通。三田駅、横山駅が開業。
- 1929年(昭和4年) 神戸有馬電気鉄道三田線 三田本町駅が開業。
- 1943年(昭和18年) 国鉄有馬線休止(そのまま事実上の廃止)。
現代[編集]
- 1956年(昭和31年)12月7日 現在の市章である町章を制定する[2][8][9][10]。
- 1958年(昭和33年)7月1日 単独市制を実施、三田市が誕生する(兵庫県下20番目の市)[11]。
- 1965年(昭和40年)9月30日 福祉都市宣言を制定する[12]。
- 1967年(昭和42年) 三田学園高等学校が選抜高等学校野球大会初出場を決める。
- 1968年(昭和43年) 北摂ニュータウン・青野ダム開発計画発表。
- 1968年(昭和43年) 市花・市木を制定する[2]。
- 1968年(昭和43年)6月29日 市旗を制定する[13]。
- 1973年(昭和48年) 北摂ニュータウン起工。
- 1974年(昭和49年) 中央公民館落成。
- 1975年(昭和50年) 市立全校園で完全給食化。
- 1978年(昭和53年) 第1回・三田まつり開催。
- 1981年(昭和56年) 北摂ニュータウン(南地区)入居開始。
- 1982年(昭和57年) 北摂ニュータウン(翌年、北摂三田ニュータウンに改称)街開き。
- 1985年(昭和60年) マスコットを決める[2]。
- 1986年(昭和61年) 国鉄(現・JR西日本)福知山線全線電化。宝塚〜新三田間複線化。新三田駅が開業。 兵庫県立北摂三田高等学校開校式(ニュータウン初の県立高校)。
- 1987年(昭和62年) 北摂三田テクノパーク操業開始。
- 1988年(昭和63年) 近畿自動車道舞鶴線(現・舞鶴若狭自動車道)三田西IC、中国自動車道 神戸三田ICが開通。高速バス(福知山高速線)運転開始。
- 1989年(平成元年) 福知山線に快速電車が設定。
- 1990年(平成2年) 六甲北有料道路が開通。三田市立図書館開館。
- 1991年(平成3年) 神戸電鉄公園都市線 横山 - フラワータウン間開通。
- 1992年(平成4年) 兵庫県立人と自然の博物館が開館。
- 1993年(平成5年) 兵庫県立三田西陵高等学校開校式。人口増加率が県下で10年連続1位(全国では6年連続1位)
- 1994年(平成6年) 高平ふるさと交流センター開館。三田幹線が全線開通。
- 1995年(平成7年) 関西学院大学神戸三田キャンパス開設。 三田市民病院(新庁舎)開院。フラワータウン市民センター開館。
- 1996年(平成8年) 神戸電鉄公園都市線 フラワータウン - ウッディタウン中央間開通。人口10万人突破。広野市民センター開館。
- 1997年(平成9年) JR西日本福知山線 新三田〜篠山口間複線化。人口増加率10年連続日本一。
- 1998年(平成10年) トライやる・ウィークを初めて実施。福知山高速線廃止。
- 1999年(平成11年) 新三田駅前立体駐輪・駐車場が供用開始。
- 2000年(平成12年) 藍市民センター開館。センチュリーパーク(三田ウッディタウンサティなど)が営業開始。
- 2001年(平成13年) 市街地循環バスの試験運行開始(神姫バスが運行受託)
- 2002年(平成14年) 兵庫県立三田祥雲館高等学校開校式。
- 2003年(平成15年) Honey FM(ハニーエフエム)が本放送開始。放送局は弥生が丘のフローラ88。
- 2004年(平成16年)3月 三田市ツーリズム振興指針を策定する[14]。
- 2004年(平成16年)4月1日 湊川女子高等学校が男女共学化し、三田松聖高等学校に名称変更。
- 2005年(平成17年)3月6日 三田ツーリズムを開催する[14][15]。
- 2005年(平成17年) 三田駅前一番館「キッピーモール」開業。
- 2005年(平成17年) ウッディタウン市民センター開館。
- 2005年(平成17年) 全国育樹祭が兵庫県で開催。皇太子徳仁親王が市内訪問。
- 2006年(平成18年) 行革断行プラン公表。のじぎく兵庫国体開催(ハンドボール女子、軟式野球)
- 2007年(平成19年) 三田市総合文化センター(愛称:郷の音ホール)開館。同時に三田市民会館閉館。
- 2008年(平成20年)7月1日 三田市制50周年。
- 2012年(平成24年)3月 三田まちづくり憲章を制定する[7]。
- 2015年(平成27年)1月13日 市役所新庁舎が供用開始。
行政区画の変遷[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、有馬郡三田・三田屋敷町・三田村・寺村および下深田村の飛地の区域をもって三田町が発足。
- 1943年(昭和18年)12月20日 - 有馬郡三田町が貴志村の一部(下深田・上深田・池尻・貴志)を編入。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 有馬郡三田町が三輪町・広野村・小野村・高平村と合併し、改めて三田町が発足。
- 1957年(昭和32年)7月18日 - 有馬郡三田町が相野町を編入。
- 1958年(昭和33年)7月1日 - 有馬郡三田町が市制施行して三田市となる。
行政[編集]
歴代市長[編集]
- 西藤五郎(1958年8月 - 1967年8月)
- 赤尾茂(1967年8月 - 1971年8月)
- 岡崎元次(1971年8月 - 1979年8月)
- 塔下真次(1979年8月 - 1999年8月)
- 岡田義弘(1999年8月 - 2007年8月)
- 竹内英昭(2007年8月 - 2015年8月)
- 森哲男(2015年8月 - )
立法[編集]
市議会[編集]
- 定数:22名
- 任期:2012年(平成24年)10月23日〜2016年(平成28年)10月22日
- 議長:松岡信生(公明党、4期)
- 副議長:森本政直(盟政会、2期)
| 会派名 | 議席数 | 議員名(◎は幹事長、代表) |
|---|---|---|
| 市民の会(立憲・国民・無所属) | 5 | ◎家代岡桂子、坂本三郎、檜田充、美藤和広、西上俊彦 |
| 新政みらい・維新 | 4 | ◎厚地弘行、田中一良、佐貫尚子、多宮健二 |
| 日本共産党三田市議団 | 4 | ◎長谷川美樹、中田初美、國永紀子、長尾明憲 |
| 盟政会 | 4 | ◎今北義明、森本政直、福田秀章、田中秀典 |
| 公明党 | 3 | ◎平野菅子、松岡信生、大西雅子 |
| 無会派 | 2 | 前中敏弘、北本節代 |
※2016年(平成28年)4月1日現在。
兵庫県議会(三田市選挙区)[編集]
- 定数:2名
- 任期:2015年(平成27年)6月11日〜2019年(平成31年)6月10日
| 氏名 | 会派名 | 当選回数 |
|---|---|---|
| 野間洋志 | 自由民主党 | 4 |
| 関口正人 | 維新の会 | 1 |
地域[編集]
町名・大字名[編集]
- 市内では三田・三輪・広野・小野・高平・藍・本庄・フラワー・ウッディ・カルチャーの10地区に分ける[4]。
文化施設[編集]
|
医療施設[編集]
- 三田市民病院
- 国立病院機構兵庫中央病院
- 平島医院
- あさはら歯科
- おかもと小児科
経済団体[編集]
経済[編集]
産業[編集]
- 主な産業:農業(三田米、山田錦、母子茶、松茸)・酪農・畜産(三田牛)
- 北摂三田テクノパーク
- 三田工業団地
金融[編集]
市内の主な企業[編集]
本拠を置く企業[編集]
- トキトレーディング[16][17]
- パティシエ エス コヤマ[18]
- 日乃本食産[19]
- 日立オートモーティブシステムズ[17]
- 伏見[17]
- 戎産業[17][20]
- アスコエンジニアリング[17]
- リュウビシステム[21]
支店・営業所・工場を置く企業[編集]
- モリタ 三田工場
- 三菱電機 三田製作所
- 沢井製薬 三田工場(ジェネリック医薬品)
- アイリスオーヤマ 三田工場・関西支店・兵庫営業所・大阪営業所(プラスチック製品)
- 共和薬品工業 三田工場・リサーチセンター(ジェネリック医薬品)
- パトライト 三田工場(パトカー、救急車、非常停止表示などの回転灯:ほぼシェア100%)
- レンゴー 三田工場(段ボール等製造)
- 日本ピラー三田工場(パッキン・メカニカルシール製造)
- 神姫バス三田営業所
- 株式会社 ベルシステム24
- 新興化成(テクノ工場)
市内の主な商業施設[編集]
- キッピーモール
姉妹都市・提携都市[編集]
日本国内
日本国外
教育[編集]
大学[編集]
- 関西学院大学神戸三田キャンパス
短期大学[編集]
高等学校[編集]
中学校[編集]
小学校[編集]
|
特別支援学校[編集]
交通[編集]
鉄道[編集]
市の代表駅として中心的な役割を担っているのは、三田駅(西日本旅客鉄道・神戸電鉄)である。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 神戸電鉄
バス[編集]
優等路線としては、市の中心部や住宅地と新神戸駅・神戸三宮・神戸空港を高速道路経由で結ぶ特急三ノ宮線があり、神戸方面も短時間で結ばれている。朝ラッシュ時は10分間隔で運行されており、JR線や神戸電鉄線と競合関係にある。
道路[編集]
- 高速道路
- 国道
- 有料道路
- 六甲北有料道路(北神バイパス)
- 都道府県道
北摂三田ニュータウン[編集]
三田市は1980年代からの北摂三田ニュータウン(フラワータウン・ウッディタウン・カルチャータウン・北摂三田テクノパークの4団地で構成)開発を軸に発展してきた。これらの都市開発は多摩や千里の問題点を改善して計画され、事業に長期間かけたのが特長である。開発面積の合計は1,200haにも及ぶ。さらに、これらの開発が呼び水となり市内では民間主導の開発が活発化した。ゴルフ場跡地やニュータウン近隣の山林造成などで宅地を開発するとともに、ニュータウンにならい○○タウンと称して分譲され、三田市が1988年から1997年まで10年連続で人口増加率日本一となる一因ともなった。2006年11月時点のニュータウンの人口は三田市人口のほぼ半数にあたる56,521人。2010年11月現在では58,721人となっている。
なお、北摂三田ニュータウンの既設4団地と、神戸市域の藤原台地区および北神戸第1〜3地区(神戸リサーチパーク)の4団地を足した計8団地は、総面積2,000haにおよぶ神戸三田国際公園都市と称される。
市内の主なニュータウン[編集]
名所・旧跡・観光スポット[編集]
- 花山院菩提寺 - 西国三十三所番外
- 貴志城跡
- 三田城跡(三田陣屋跡)
- 下田中城
- 旧九鬼家住宅
- 妙三寺 - 三好達治が幼少の頃過ごした
- 福島大池
- 虚空蔵山 (兵庫県):初日の出で有名
- 羽束山
- 千丈寺山
- 高売布神社(本殿は国の重要文化財)
- 御霊神社(本殿は国の重要文化財)
- 住吉神社(本殿は国の重要文化財)
- 永沢寺と花菖蒲園
- 三田天満神社
- 金心寺(三田城御下屋敷黒門が移築されている)
- 心月院(白洲次郎・正子、三田藩主九鬼家の菩提寺)
- 弥勒寺(正式名は玉皇山弥勒寺、天道の神様を祀る仏教寺院)
- 青野ダム
祭事・催事[編集]
出身有名人[編集]
- 藍田真一(シンガーソングライター)
- いときん(ET-KING)(ミュージシャン)[22]
- 小林春彦(講演家、コラムニスト、作家、読者モデル、DO-IT Japan第一期生)
- 九鬼隆一(文部官僚、帝国博物館総長、九鬼周造の父)
- 大岡仁[22]
- 川本幸民(蘭学者)
- 近田怜王(プロ野球選手・元福岡ソフトバンクホークス)
- 元良勇次郎(心理学者)
- 田中成明(法哲学者)
- 佐藤勇(宮城県栗原市長、合併後初代・現市長)
- 玉岡金太(レフェリー)
- 白洲退蔵(実業家、白洲次郎の祖父)
- 丸元大成(プロボクサー)
- 下山定則(初代国鉄総裁、下山事件参照)
- 横山エンタツ(漫才師)
- 増田倫子(桜 (お笑いコンビ)、吉本の若手芸人)
- 伊勢孝夫(元プロ野球選手)
- 榛名由梨(元宝塚歌劇団月組・花組男役トップスター)[22]
- 橘与四郎(スペインコルーニャ市に定住する日本人画家)
- 林佳祐(ヴィッセル神戸)[22]
- 坂井秀至(棋士)[22]
備考[編集]
郵便番号は以下の通りである。
- 三田郵便局:669-13XX〜15XX
兵庫県の「三田」市と東京都の「三田」[編集]
東京都港区には同じ漢字で三田(みた)と言う地名があるので、注意が必要である。三田市には東京三菱銀行三田支店、東京の三田にはUFJ銀行三田支店が存在したが、2006年1月の三菱東京UFJ銀行発足時、三田市の支店はひらがなの「さんだ支店」となった。三井住友銀行では東京の三田に所在する支店を「三田通支店」として重複を避けている。
その他[編集]
- 三田市の公立の幼稚園・小学校・中学校では給食の配給がなされており、地元産の米や野菜を中心に食材として提供している。
- 三田市の上水道は主に青野ダムを水源としており三田浄水場を経て市域に供給されている。周辺環境の保護のため、千丈寺湖の環境を守る条例を2002年から施行している。
- 北摂三田高等学校や北摂三田テクノパークのよう「北摂」と冠称で地域名称が付与される場合がある。
- 2004年に、市内の3700万年前の地層から炭獣の化石が発見された。(サンダタンジュウ)。
- 市内のテレビ放送は、地上アナログ放送時代は大阪府の生駒山から発せられる電波が六甲山系に遮られ難視聴地域であったため、民間のケーブルテレビが発達し多くの世帯はケーブルテレビを通じて視聴していたが、地上デジタル放送に移管後は近畿広域圏の放送は西宮市山口町の丸山山上(378m)にある西宮山口中継局から送信されており、ニュータウンや市街地であれば通常に電波受信が可能となっている。但し、テレビ大阪は大阪府の生駒山のTV塔からの送信だけであり、その電波が受信できる世帯に限り視聴可能である。ケーブルテレビ運営会社もネットサービスなどを充実させており、電波状況や住環境に合わせて選択もできる。
参考文献[編集]
- 『図典 日本の市町村章』 小学館辞典編集部、小学館、2007年1月10日、初版第1刷。ISBN 4095263113。
- 中川幸也 『シリーズ人間とシンボル第2号「都市の旗と紋章」』 中川ケミカル、1987年10月11日。
- 望月政治 『都章道章府章県章市章のすべて』 日本出版貿易株式会社、1973年7月7日。
- 『兵庫県の難読地名がわかる本』 神戸新聞総合出版センター・編、のじぎく文庫、2006年12月28日、第一冊発行。ISBN 4-343-00382-5。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c “平成23年版三田市統計書”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “三田市の概要”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ 兵庫 難読 p145
- ^ a b c d “三田市の状況を知る”. 三田市. 2013年4月28日閲覧。
- ^ “人口 2012年5月末現在”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ “昭和33年〜平成20年 三田市の歴史”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “ポケット統計三田”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ 図典 日本の市町村章 p160
- ^ 都章道章府章県章市章のすべて p425
- ^ 都市の旗と紋章 p46
- ^ “町を市とする処分”. 三田市例規集. 2012年6月10日閲覧。
- ^ “福祉都市宣言”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ “三田市旗を制定”. 三田市例規集. 2012年6月10日閲覧。
- ^ a b “三田ツーリズム宣言 PDF”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ “三田ツーリズム宣言”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
- ^ トキトレーディング公式サイト
- ^ a b c d e IPROS製造業
- ^ パティシエ エス コヤマ公式サイト
- ^ 日乃本食産公式サイト
- ^ 戎産業公式サイト
- ^ リュウビシステム公式サイト
- ^ a b c d e “三田から羽ばたく”. 三田市. 2015年10月21日閲覧。
外部リンク[編集]
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