三田市

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さんだし
三田市
Sanda montage.JPG
Flag of Sanda, Hyogo.svg
三田市旗
Symbol of Sanda, Hyogo.svg
三田市章
市旗:1968年昭和43年)6月29日制定
市章:1956年昭和31年)12月7日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
団体コード 28219-7
法人番号 8000020282197
面積 210.32km2
総人口 112,362
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 534人/km2
隣接自治体 神戸市宝塚市三木市加東市
篠山市川辺郡猪名川町
市の木 アカマツ
市の花 サツキ
マスコット キッピー
三田市役所
所在地 669-1595
兵庫県三田市三輪二丁目1番1号
北緯34度53分22.4秒東経135度13分31.4秒座標: 北緯34度53分22.4秒 東経135度13分31.4秒
三田市役所 (2015年以降の本庁舎 2016/01/16撮影)

三田市役所(2014年までの本庁舎)
外部リンク 三田市ホームページ

三田市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

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三田市(さんだし)は、兵庫県。本項では市制前の名称である三田町(さんだちょう)についても述べる。

概要[編集]

地理[編集]

六甲山地の北側に広がる農業地帯

[3]

三田市の中心部
天神から市役所方向を望む
三田市の山間部
永沢寺で撮影

兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置する。かつては田園風景の広がる典型的な農村の様相を呈していたが、1980年代からの大規模住宅団地の開発と、JR福知山線の複線電化の利便性向上により大阪神戸衛星都市として急激な発展を遂げた。どちらかといえば大阪市との結びつきが強い。今日では農村と都市の二つの顔を併せ持つ田園都市となっている。瀬戸内海式気候に属すると言われるが、内陸部に位置するため気温の寒暖差は比較的大きい。市内に標高最高地点はは峰山の697m、最低標高地点は116mであり、市内の北部や東部は山岳地帯である。

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河川・湖沼[編集]

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人口[編集]

  • 1958年10月1日に市制施行時に初めて統計を取った時の人口は32673人であり、兵庫県での市で一番人口が少ない自治体であった。市制施行後も人口は横ばいであり、1985年10月1日の調査まで3万人台で推移していた。しかし、大阪のベッドタウンとして、北摂三田ニュータウン開発が始まったことにより、人口が急激に増加し、1985年に4万人、1990年に6万人、1991年に7万人、1993年に8万人、1996年には10万人を突破し、右肩上がりに急激に増加し、兵庫県はおろか10年連続日本一の人口増加率を記録した[4]1999年10月1日の調査では11万395人になったが、その後は人口増加率が緩やかになり、現在では11万4000人前後で推移している[4]2004年に人口が増加から減少に転じたが、2008年からは増加に再び転じピークを迎えた。現在は人口が約11万5000人になり、その後は微減している[4]。また、ニュータウン内に市内の人口の半分以上が居住している[5][6][7]
  • 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.57%増の114,220人であり、増減率は県下41市町中8位、49行政区域中12位。
Demography28219.svg
三田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 三田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 三田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
三田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 33,090人
1975年 35,261人
1980年 36,529人
1985年 40,716人
1990年 64,560人
1995年 96,279人
2000年 111,737人
2005年 113,572人
2010年 114,220人
総務省統計局 国勢調査より

面積[編集]

気象[編集]

三田の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 7.6
(45.7)
8.3
(46.9)
12.1
(53.8)
18.6
(65.5)
23.1
(73.6)
26.4
(79.5)
30.0
(86)
31.6
(88.9)
27.2
(81)
21.4
(70.5)
15.7
(60.3)
10.3
(50.5)
19.4
(66.9)
平均最低気温 °C (°F) −2.4
(27.7)
−2.0
(28.4)
0.9
(33.6)
5.9
(42.6)
11.2
(52.2)
16.8
(62.2)
21.3
(70.3)
22.0
(71.6)
17.8
(64)
10.5
(50.9)
4.2
(39.6)
−0.6
(30.9)
8.8
(47.8)
降水量 mm (inch) 39.4
(1.551)
54.8
(2.157)
96.8
(3.811)
99.5
(3.917)
136.9
(5.39)
176.4
(6.945)
155.1
(6.106)
114.3
(4.5)
150.9
(5.941)
109.1
(4.295)
67.1
(2.642)
39.6
(1.559)
1,239.9
(48.815)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 5.9 6.9 10.7 9.6 10.6 11.4 10.8 8.0 10.3 8.6 6.8 6.1 105.8
平均月間日照時間 125.4 120.2 145.4 173.3 170.3 136.1 148.6 189.9 144.2 158.6 140.4 135.5 1,781.5
出典: 気象庁

隣接している自治体・行政区[編集]

大阪市への通勤率は13.8%、神戸市への通勤率は12.3%である(いずれも平成22年国勢調査)。

歴史[編集]

古代[編集]

三田盆地は旧石器時代から、人々が暮らした痕跡がある。2万5千年前の遺跡である広野地区の溝口遺跡からはナイフ形石器、石鏃などが発掘されている。ニュータウン開発で発見されたけやき台の有鼻遺跡平方遺跡弥生時代中期の遺跡で、ここからは畿内最古の鉄剣や鉄斧などの鉄器類や竪穴式住居跡などが発掘されている。古墳時代には武庫川と青野川が合流する流域は須恵器の産地となっていたようで、本庄地区の東仲古墳沢山1号墳など石室を持った古墳とともに須恵器の窯跡が発掘されており、「末(すえ)」という地名は今も残っている。これは三田市の北西に隣接する篠山市今田地区で生産されている立杭焼(丹波焼)の起源の一つと考えられている。また、青野川とともに青野ダムを形成する黒川沿いの小野地区にある伊勢貝遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落の遺構が発掘される複合遺跡である。このように市域には時代ごとに遺跡や古墳が多くあり、古代から連綿と人々の暮らしが続いていることがわかる。

中世[編集]

現在の市街地エリアに町が形成されたのは7・8世紀頃からと考えられる。三田地区・三輪地区一帯は7世紀以前から日本最古の神社と言われる大和国一ノ宮である大神神社の荘園となっており、大和国城上郡松山氏荘官として管理し通称「松山の庄」と呼ばれていた。668年天智天皇7年)に金心寺が建立されると武庫川より南西部に門前町が形成され、金心寺周辺を三田と呼ぶようになる。この「三田」という地名に関しては、金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内から「当地一帯を松山の庄と号す。 これを金心寺三福田により三田と改む」という文字が見つかっており、そこに由来するといわれている。この三福田とは、「敬田(人を敬う心の田)」「恩田(恩を忘れない心の田)」「悲田(困っている人を助ける心の田)」のことといわれる。

北東部の三輪地区はその後も大神神社の荘園であったが、14世紀の松山彈正が荘官の時、荘園制度が崩れ武装の必要性が生じ、有馬郡の三輪明神信仰の聖地となっていた丸山に城を築くと同時に三輪神社の社殿を奉納する。これにより三輪地区でも門前町を形成していき、武庫川を挟んで金心寺と三輪神社の門前町が融合する形で有馬郡の中心地へと発展していく。

平安時代から鎌倉時代にかけて市域の各地には多くの荘園が作られ、地頭である豪族が桑原城貴志城大原城などの小さな山城を築いて統治していた。このように三田市にはいろいろな歴史が刻まれている。

三田藩[編集]

室町時代に播磨国守護だった赤松則村(円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎堅家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。

なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩青木氏1万2千石の所領で、1896年(明治29年)に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していた。

近代[編集]

有馬郡時代の三田周辺地図「有馬郡全図」 出典:有馬郡誌

現代[編集]

1974年度現在の三田市街地
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

行政区画の変遷[編集]

行政[編集]

兵庫県三田庁舎

歴代市長[編集]

  1. 西藤五郎(1958年8月 - 1967年8月)
  2. 赤尾茂(1967年8月 - 1971年8月)
  3. 岡崎元次(1971年8月 - 1979年8月)
  4. 塔下真次(1979年8月 - 1999年8月)
  5. 岡田義弘(1999年8月 - 2007年8月)
  6. 竹内英昭(2007年8月 - 2015年8月)
  7. 森哲男(2015年8月 - )

立法[編集]

市議会[編集]

  • 定数:22名
  • 任期:2012年(平成24年)10月23日〜2016年(平成28年)10月22日
  • 議長:松岡信生(公明党、4期)
  • 副議長:森本政直(盟政会、2期)
会派名 議席数 議員名(◎は幹事長、代表)
市民の会 5 ◎家代岡桂子、坂本三郎、檜田充、美藤和広、西上俊彦
新政みらい・維新 4 ◎厚地弘行、田中一良、佐貫尚子、多宮健二
日本共産党三田市議団 4 ◎長谷川美樹、中田初美、國永紀子、長尾明憲
盟政会 4 ◎今北義明、森本政直、福田秀章、田中秀典
公明党 3 ◎平野菅子、松岡信生、大西雅子
無会派 2 前中敏弘、北本節代

※2016年(平成28年)4月1日現在。

兵庫県議会(三田市選挙区)[編集]

  • 定数:2名
  • 任期:2015年(平成27年)6月11日〜2019年(平成31年)6月10日
氏名 会派名 当選回数
野間洋志 自由民主党 4
関口正人 維新の会 1

地域[編集]

町名・大字名[編集]

三田地区の街並み
相生町で撮影
藍地区の街並み
大川瀬で撮影
  • 市内では三田・三輪・広野・小野・高平・藍・本庄・フラワー・ウッディ・カルチャーの10地区に分ける[4]

文化施設[編集]

  • 藍市民センター
  • 野外活動センター
  • 三田市立図書館
  • 城山公園
  • 総合福祉保健センター
  • 郷の音ホール 総合文化センター
  • 多世代交流館 ふらっと
郷の音ホール 総合文化センター

医療施設[編集]

経済団体[編集]

経済[編集]

産業

市内の主な企業

市内の主な商業施設

  • キッピーモール
兵庫県三田市 三田駅前 キッピーモールの写真

姉妹都市・提携都市[編集]

日本国内

日本国外

教育[編集]

大学[編集]

短期大学[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

  • 三田市立広野小学校
  • 三田市立高平小学校
  • 三田市立三田小学校
  • 三田市立三輪小学校
  • 三田市立志手原小学校
  • 三田市立小野小学校
  • 三田市立松が丘小学校

特別支援学校[編集]

交通[編集]

三田駅

鉄道[編集]

市の代表駅として中心的な役割を担っているのは、三田駅西日本旅客鉄道神戸電鉄)である。

バス[編集]

優等路線としては、市の中心部や住宅地と新神戸駅・神戸三宮・神戸空港を高速道路経由で結ぶ特急三ノ宮線があり、神戸方面も短時間で結ばれている。朝ラッシュ時は10分間隔で運行されており、JR線や神戸電鉄線と競合関係にある。

道路[編集]

三田市中心部を縦断する国道176号
中町で撮影

北摂三田ニュータウン[編集]

三田市は1980年代からの北摂三田ニュータウンフラワータウンウッディタウンカルチャータウン北摂三田テクノパークの4団地で構成)開発を軸に発展してきた。これらの都市開発は多摩千里の問題点を改善して計画され、事業に長期間かけたのが特長である。開発面積の合計は1,200haにも及ぶ。さらに、これらの開発が呼び水となり市内では民間主導の開発が活発化した。ゴルフ場跡地やニュータウン近隣の山林造成などで宅地を開発するとともに、ニュータウンにならい○○タウンと称して分譲され、三田市が1988年から1997年まで10年連続で人口増加率日本一となる一因ともなった。2006年11月時点のニュータウンの人口は三田市人口のほぼ半数にあたる56,521人。2010年11月現在では58,721人となっている。

なお、北摂三田ニュータウンの既設4団地と、神戸市域の藤原台地区および北神戸第1〜3地区(神戸リサーチパーク)の4団地を足した計8団地は、総面積2,000haにおよぶ神戸三田国際公園都市と称される。

市内の主なニュータウン[編集]

フラワータウンの街並み

名所・旧跡・観光スポット[編集]

御霊神社
旧九鬼家住宅

祭事・催事[編集]

出身有名人[編集]

備考[編集]

郵便番号は以下の通りである。

兵庫県の「三田」市と東京都の「三田」[編集]

東京都港区には同じ漢字で三田みた)と言う地名があるので、注意が必要である。三田市には東京三菱銀行三田支店、東京の三田にはUFJ銀行三田支店が存在したが、2006年1月の三菱東京UFJ銀行発足時、三田市の支店はひらがなの「さんだ支店」となった。三井住友銀行では東京の三田に所在する支店を「三田通支店」として重複を避けている。

その他[編集]

  • 三田市の公立の幼稚園・小学校・中学校では給食の配給がなされており、地元産の米や野菜を中心に食材として提供している。
  • 三田市の上水道は主に青野ダムを水源としており三田浄水場を経て市域に供給されている。周辺環境の保護のため、千丈寺湖の環境を守る条例を2002年から施行している。
  • 北摂三田高等学校や北摂三田テクノパークのよう「北摂」と冠称で地域名称が付与される場合がある。
  • 2004年に、市内の3700万年前の地層から炭獣の化石が発見された。(サンダタンジュウ)。
  • 市内のテレビ放送は、地上アナログ放送時代は大阪府の生駒山から発せられる電波が六甲山系に遮られ難視聴地域であったため、民間のケーブルテレビが発達し多くの世帯はケーブルテレビを通じて視聴していたが、地上デジタル放送に移管後は近畿広域圏の放送は西宮市山口町の丸山山上(378m)にある西宮山口中継局から送信されており、ニュータウンや市街地であれば通常に電波受信が可能となっている。但し、テレビ大阪大阪府生駒山のTV塔からの送信だけであり、その電波が受信できる世帯に限り視聴可能である。ケーブルテレビ運営会社もネットサービスなどを充実させており、電波状況や住環境に合わせて選択もできる。

参考文献[編集]

  • 『図典 日本の市町村章』 小学館辞典編集部、小学館2007年1月10日、初版第1刷。ISBN 4095263113
  • 中川幸也 『シリーズ人間とシンボル第2号「都市の旗と紋章」』 中川ケミカル、1987年10月11日
  • 望月政治 『都章道章府章県章市章のすべて』 日本出版貿易株式会社、1973年7月7日
  • 『兵庫県の難読地名がわかる本』 神戸新聞総合出版センター・編、のじぎく文庫、2006年12月28日、第一冊発行。ISBN 4-343-00382-5

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 三田市の概要”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  2. ^ 兵庫 難読 p145
  3. ^ a b c 平成23年版三田市統計書”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  4. ^ a b c d 三田市の状況を知る”. 三田市. 2013年4月28日閲覧。
  5. ^ 人口 2012年5月末現在”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  6. ^ 昭和33年〜平成20年 三田市の歴史”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  7. ^ a b c d e f ポケット統計三田”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  8. ^ 図典 日本の市町村章 p160
  9. ^ 都章道章府章県章市章のすべて p425
  10. ^ 都市の旗と紋章 p46
  11. ^ 町を市とする処分”. 三田市例規集. 2012年6月10日閲覧。
  12. ^ 福祉都市宣言”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  13. ^ 三田市旗を制定”. 三田市例規集. 2012年6月10日閲覧。
  14. ^ a b 三田ツーリズム宣言 PDF”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  15. ^ 三田ツーリズム宣言”. 三田市. 2012年6月10日閲覧。
  16. ^ a b c d e 三田から羽ばたく”. 三田市. 2015年10月21日閲覧。

外部リンク[編集]