尾西鉄道デボ100形電車

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モ100形104

尾西鉄道デボ100形電車(びさいてつどうデボ100がたでんしゃ)は、尾西鉄道が1922年に導入した木造両運転台通勤形電車

沿革[編集]

1922年大正11年)にデボ101 - 103が1925年(大正14年)にデボ104-108の計8両が日本車輌製造により新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(旧)名古屋鉄道に吸収合併されたが、本形式は車番・車種記号ともに変化はなかった。その後現・名古屋鉄道(名鉄)設立後にモ100形(初代)と改称されている。

戦後国鉄63系電車初代3700系)導入の見返りにモ101 - 103の3両を菊池電気鉄道(現、熊本電気鉄道)、山陰中央鉄道(後の日ノ丸自動車法勝寺電鉄線一畑電気鉄道広瀬線[1]に譲渡し、名鉄に残存したモ104 - 108の5両は1949年昭和24年)にモ160形161 - 165と改称・改番された。1952年(昭和27年)に尾西線の架線電圧が1500Vに昇圧されると本形式は架線電圧600Vの支線区へ転属し、最終的には全車揖斐線に集結した。廃車1962年(昭和37年)より開始され、最後まで残存したモ163も1964年(昭和39年)4月に廃車されて形式消滅した。

主要諸元[編集]

  • 全長:11,740mm
  • 全幅:2,594mm
  • 全高:4,251mm
  • 自重:16.3t
  • 定員:60人(内座席34人)
  • 電気方式:直流600V(架空電車線方式)
  • 出力:48.5kW×2
  • 台車:ブリル27-MCB-1

脚注[編集]

  1. ^ 山陰中央鉄道ではモ102を広瀬線デハ6、モ103を法勝寺線デハ6(1958年にデハ205に改番)とした。両車とも路線廃止時(広瀬線は1960年、法勝寺線は1967年)まで使用された。

参考文献[編集]

  • 神田功「幻の尾西鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.373
  • 京都大学鉄道研究会「失われた鉄道・軌道を訪ねて 一畑電気鉄道広瀬線」『鉄道ピクトリアル』No.225 1969年6月号
  • 宮崎光雄「日ノ丸自動車を訪ねて」『鉄道ピクトリアル』No.194 1967年3月号
  • 『日車の車輌史図面集-戦前私鉄編上」鉄道史資料保存会、1996年、258頁