新三河鉄道

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新三河鉄道
Shin-Mikawa logomark.svg
Shin-Mikawa Railway.JPG
赤塚電停(後の青柳町電停)付近
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
愛知県名古屋市中区広路町字安田68[1]
設立 1927年昭和2年)9月11日[2]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業、他[1]
代表者 社長 神谷伝兵衛 (2代目)[1]
資本金 840,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)4月1日現在[1]
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路線概略図 

市買収(1937年3月)直前の軌道線


uABZgr
左/名古屋市電千早線千早町電停
右/名古屋市電:栄町線千種駅前電停
STRq
umKRZo
鉄道省中央本線千種駅
↓名古屋市電:覚王山線
uSTR
0.0 千早電停
uSTR
本線
uBHF uHST
0.5 吹上電停 右/北畑電停
uBHF uSTR
0.9 古井ノ坂電停
ueBHF uSTR
1.1 千種電停 -1925
uSTR uSTR+l
0.7* 今池電停
uSTR uBHF uSTRl
0.3* 野輪電停 名古屋市電:覚王山線→
uABZg+l
支線
uBHF
1.4
0.0*
大久手電停
uBHF
1.9 赤塚電停
uBHF
本社前電停
uBHF
2.5 安田電停
uBHF
2.8 弁天裏電停
uBHF
3.2 川名電停
uBHF
3.6 中山電停
uBHF
4.1 杁中電停
uBHF
4.4 池ノ端電停
uBHF
4.7 半僧坊前電停
uBHF
4.8 興正寺前電停
uKBHFxe
5.3
0.0*
八事電停
墓地線 -1931
uexKBHFe
0.5* 東八事電停 -1931

新三河鉄道株式会社(しんみかわてつどう)は、かつて愛知県名古屋市において路面電車バスの運営を行っていた企業株式会社)である。

概要[編集]

名古屋市の市電は、1898年(明治31年)に開業した私鉄名古屋電気鉄道を前身とし、1922年(大正11年)に同社が有していた市内線を市営化したことで成立した。しかしこの名古屋電気鉄道とは別に、路面電車を運営していた事業者も市内にいくつか存在した。それらは、昭和期に入って別途市営化され、名古屋市電の一部となっている。この新三河鉄道もその一つである。

新三河鉄道の前身の愛知馬車鉄道[3](名古屋電気鉄道の前身とは別)は、飯田街道国道153号)上を走る馬車鉄道1907年(明治40年)に開業させた。1910年(明治43年)には早くも路線を狭隘な飯田街道から北側の新道(後の安田通)経由に付け替えて電車化し、社名は尾張電気軌道となり、愛称として「八事電車」と呼ばれるようにはなった。また、1912年(大正元年)には「八事遊園地」を建設。しかし、市の端の方を走る電車の乗客は少なく経営不振が続き、車両や施設の整備もままならない有様となっていた。

昭和に入って、八事 - 挙母(後の豊田市)間の地方鉄道敷設を目指していた新三河鉄道が尾張電気軌道に興味を示すと社長の江口理三郎[4]は本業の土地業は好調であるため、赤字の八事電車と始めたばかりのバス事業を売却し会社を解散した[5]。しかし新三河鉄道のもとでも経営が好転することはなく、1937年(昭和12年)には市に買収され、八事電車は名古屋市電の八事線となり、バスは名古屋市営バスの一部となった。

市営化されたときには軌道設備の荒廃がひどく、更新するには新規開業とほとんど同様の資金を要する有様であったといわれ、一時はトロリーバス(無軌道電車)への転換も検討された(名古屋市営トロリーバスも参照)。しかし結局は更新の上で残すことが決定し、他路線との接続も図られた。1944年(昭和19年)には戦時体制による路線整理で千早町 - 大久手間が撤去された。この路線は路線図では矢場町まで通じていたが、中央本線の踏切で分断されていて乗り換えを要したうえ、路線のあった道路が戦後若宮大通となったため復活しなかった。一方、同社が保有していた路線の一部(今池 - 大久手 - 安田車庫前)は、1974年(昭和49年)の市電全廃時まで存続した。

また、新三河鉄道が有していた免許は親会社の三河鉄道を経て名古屋鉄道に継承され、その後市内区間については名古屋市交通局の手で建設されることになった。1978年(昭和53年)10月1日八事 - 赤池間が市営地下鉄鶴舞線として、1979年(昭和54年)7月29日には赤池 - 豊田市間が名鉄豊田線として、それぞれ開業を見ている。

なお未成線に終わった東海道電気鉄道知立以西の免許が「東八事」起点となっていたのは、新三河鉄道の存在があったためである。

沿革[編集]

  • 1904年(明治37年)10月24日 - 軌道特許状下付[6]
  • 1908年(明治41年)8月31日 :- 愛知馬車鉄道により、千種(千種町古井、現・千種区千種一丁目) - 八事(御器所村広路字石坂、現・昭和区広路町字石坂)間に馬車鉄道開業[6]
  • 1910年(明治43年)10月 - 尾張電気軌道に社名変更。
  • 1912年(明治45年)
    • 4月21日 - 路面電車化、千早 - 大久手 - 興正寺前間 (4.8km)が開業。
    • 5月25日 - 大久手 - 今池間 (0.7km) の支線が開業。
    • 9月 - 興正寺前 - 八事間 (0.5km) 開業。
  • 1915年(大正4年)6月23日 - 市営八事霊園の完成に伴い、八事 - 東八事(霊園入口)間に軌道が新設され、を運ぶ「霊柩電車」が運行されるようになる。
  • 1925年(大正14年)7月16日 - 保有していた東区千種町字瓦前25 - 中区千早町2丁目22 - 中区矢場町五ノ切41間の特許のうち、千早町 - 矢場町間を名古屋市に譲渡[7](残存区間は同年10月22日失効[8])。譲渡区間は、1930年(昭和5年)5月に名古屋市電の千早線として開業している。
  • 1926年(大正15年)10月9日 - 新三河鉄道に対し鉄道免許状下付(西加茂郡挙母町-名古屋市東区東大曽根町間、愛知郡天白村-名古屋市中区広路町間)[9]
  • 1927年(昭和2年)9月11日 - 三河鉄道の系列会社として、八事 - 挙母間の路線敷設を目指し、新三河鉄道設立(取締役神谷伝兵衛伊原五郎兵衛ほか)[2]
  • 1929年(昭和4年)
    • 1月 - 尾張電気軌道がバス事業を開始。
    • 6月1日 - 新三河鉄道が尾張電気軌道を買収、同社の運営となる[1]
  • 1931年(昭和6年)11月25日 - 八事 - 東八事間廃止公告[10]
  • 1935年(昭和10年)8月7日 - 鉄道免許失効(1926年10月9日免許 愛知郡天白村植田-名古屋市東区東大曽根町間 指定ノ期限マテニ工事ニ着手セサルタメ)[11]
  • 1937年(昭和12年)

鉄道事業[編集]

保有路線[編集]

路線データ[編集]

1930年8月当時

  • 路線:
    • 本線:千早 - 大久手 - 八事間 5.3km
    • 支線:大久手 - 今池間 0.7km
    • 墓地線:八事 - 東八事間 0.5km
  • 軌間:1067mm
  • 電圧:直流600V
  • 運賃:区間制

運行概要[編集]

  • 本線・支線
    • 運行時間:6:00から23:00
    • 所要時間:千早 - 八事間20分、大久手 - 今池間3分
  • 墓地線
    • 運行時間:

汽車時間表 第六巻第十号(1930年10月)より

停留場一覧[編集]

愛知馬車鉄道時代[編集]
千種(後の古井坂) - 石仏 - 塩付 - 弁天 - 妙見 - 招魂社 - 八事
尾張電気軌道時代(1923年頃)[編集]
本線
千早 - 吹上 - 古井坂 - 大久手 - 赤塚 - 安田 - 川名 - 中山 - 杁中 - 池之端 - 興正寺前 - 八事
墓地線
八事 - 東八事
支線
大久手 - 野輪 - 今池

接続路線[編集]

保有車両[編集]

1937年(昭和12年)3月に市営化時、新三河鉄道の電車12両と貨車6両が名古屋市に継承された。多くが市営化直後に廃車されたが、一部は数年間使用され続けた。

新三河鉄道が保有していた電車は46人乗りの大型単車である。オープンデッキ構造ではなく、屋根はダブルルーフを採用し、外観は名古屋市電の単車に類似していたがやや大型であった。前面窓は3枚、側面窓は8枚である。集電装置にはトロリーポールを使用していた。市営化後の1937年9月27日付で、6両(車両番号は11, 13, 14, 18, 19, 20)が廃車され、2両(車両番号は16, 17)が秋保電気軌道(後の秋保電気鉄道)へ売却された。比較的状態の良かった4両は16~19号に車両番号を変更され、しばらく使用された。19号は戦後の1950年(昭和25年)3月14日付で、16~18号は1951年(昭和26年)10月18日付で廃車されたという記録があるが、1941年(昭和16年)度に定員46人の大型単車は消滅している。

バス事業[編集]

バス事業は、名古屋市営バス創業より1年早い、尾張電気軌道時代の1929年(昭和4年)1月に開始された。主要路線は矢場町 - 八事間、矢場町 - 呼続間、熱田駅 - 八事間の3つで、そのほかに5つの連絡系統を運行していた[13]。なお、ほとんどの区間で名古屋市営バスが並行運転をしていた。市営化された際、40台のバスが名古屋市に引き継がれた。

また、郊外バスの運行も行っており、矢場町 - 知立間の停留場名が記載された乗車券が残っている。ただし、郊外のバス路線は名古屋市に継承されていない。

輸送・収支実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1908 64,110 2,399 1,830 569 247
1909 168,894 6,603 5,464 1,139 28 1,159
1910 180,258 8,159 7,297 862
1911 174,602 9,537 8,138 1,399
1912 195,094 16,141 13,534 2,607 1,280 689
1913 377,301 20,844 19,532 1,312 副業354利子85 329
1914 393,579 20,706 23,772 ▲ 3,066 土地家屋622利子59 土地家屋1,319 258
1915 388,825 19,827 18,115 1,712 土地家屋396利子25 土地家屋826
1916 365,547 19,533 17,752 1,781 521 270
1917 439,568 23,418 20,810 2,608 土地家屋722 251 4,548
1918 443,980 28,316 32,732 ▲ 4,416 1,207 397
1919 830,282 46,962 42,364 4,598 43,376 1,234
1920 823,874 4,413 64,837 50,377 14,460 副業42,376利子8,804 51,180 13,274
1921 857,147 1,846 77,296 51,489 25,807
1922 954,596 1,013 78,667 57,151 21,516
1923 1,006,187 3,505 82,693 53,944 28,749 27,152 4,643 228
1924 1,230,034 1,340 92,696 64,540 28,156 52,466 5,265
1925 1,454,998 1,881 105,955 72,655 33,300 36,078 他事業5,626償却金110
1926 2,007,480 122,646 88,338 34,308 32,572 償却金532 532
1927 2,735,966 120,161 95,376 24,785 35,578 償却金96 586
1928 2,734,840 132,408 112,266 20,142 土地家屋遊園地24,622 638
1929 1,086,561 28,179 36,650 ▲ 8,471 雑損及自動車6,557 933
1929 1,647,383 93,704 53,845 39,859 自動車443 雑損償却金利子36,024
1930 3,040,761 120,248 69,043 51,205 自動車6,176 償却金29,246 28,135
1931 3,027,211 109,908 62,321 47,587 自動車2,374 21,696 28,265
1932 2,618,120 91,837 51,249 40,588 自動車及償却金12,229 28,359
1933 2,614,061 88,108 60,302 27,806 自動車391 28,197
1934 2,443,956 81,432 59,648 21,784 自動車21,688 償却金20,932 22,540
1935 2,542,123 82,220 54,595 27,625 自動車21,075 償却金31,846 16,854
1936 2,552,591 84,839 54,700 30,139 自動車14,064 償却金27,217 16,986
1937 498,440 18,692 25,320 ▲ 6,628 自動車23,578 4,839
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
  • 1929年度は尾張電気と新三河併記

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 第36回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治40年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『人事興信録. 第8版(昭和3年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 小川功『企業破綻と金融破綻』330頁
  6. ^ a b 『鉄道院年報. 明治42年度 軌道之部』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「鉄道敷設権譲渡」『官報』 1925年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「軌道特許失効」『官報』 1925年10月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 11月25日許可「軌道運輸営業廃止実施」『官報』1931年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1935年8月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 2月27日許可「軌道譲渡」『官報』1937年3月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 1934年時点『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • 愛知郡役所『愛知郡誌』愛知郡役所、1923年。
  • 名古屋市交通局編『市営五十年史』名古屋市交通局、1972年。
  • 名古屋市交通局編『名古屋を走って77年 市電写真集』名古屋市交通局、1974年。
  • なごや市電整備史編集委員会編『なごや市電整備史』路面電車全廃記念事業委員会、1974年。
  • 鈴木兵庫編集『名古屋市電買収以前の各私鉄私バスの乗車券』鈴木兵庫、1988年。
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8