川崎憲次郎
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県佐伯市 |
生年月日 | 1971年1月8日(53歳) |
身長 体重 |
180 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト1位 |
初出場 | 1989年5月9日 |
最終出場 | 2004年10月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。妻は堀恵子。
来歴・人物
大分県佐伯市出身。大分県立津久見高等学校3年時の1988年の甲子園大会に春夏連続出場し、いずれもベスト8に進出した。同年ドラフト会議で読売ジャイアンツとヤクルトスワローズが1位指名で競合し、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得した。後に契約金6000万円、年俸480万円(金額は推定)で入団合意した[1]。
1年目の1989年から実力を認められて一軍で先発し4勝(うち1勝は巨人戦での初完封)を挙げた。1990年に12勝(13敗)を挙げ、先発ローテーションに定着する。9月8日の対巨人戦では、吉村禎章に巨人の優勝を決めるサヨナラ本塁打を浴びた[2]。1991年、チーム二位の14勝を挙げチーム11年ぶりのAクラス入りに貢献したが、翌1992年はチームは14年ぶりのリーグ制覇をしたものの、自身は故障でシーズン一軍未登板に終わる。1993年、先発ローテーションに復帰し見事二桁勝利を挙げカムバック賞を受賞、1993年の日本シリーズでは2勝を挙げシリーズMVPに選出された[3]。1995年に可愛かずみとの交際が発覚する[4]。川崎は学生時代から可愛の熱烈なファンで、当時、川崎はマスコミに対しても交際宣言をしている[要出典]。その後は故障によって成績が下降したが、1997年にシュートを覚えて復活。シーズンオフの11月にキャンペーンガール・女優の堀恵子と結婚。1998年に17勝で沢村賞と最多勝を獲得。
2000年シーズン終了後にFA宣言する。MLBのボストン・レッドソックスが獲得の意向を示したが[5]、最終的には星野仙一の呼びかけに応え、4年契約(3年間は年俸2億円、4年目は出来高制)で中日ドラゴンズへ移籍。背番号もエースナンバーである20を引き継いだ(1999年オフにそれまで着用していた宣銅烈が引退したことで1年間空き番号となっていた)。
ヤクルト時代に対巨人戦で好成績を挙げていることから「巨人キラー」として期待されたが、度重なる右肩痛により3年間一軍登板がなかった。その間、2003年のオールスターゲームのファン投票で「川崎祭」と呼ばれるネット上の嫌がらせ騒動に巻き込まれた。これを受け、川崎は6月23日に選手会公式ホームページに「多少のケガを押してプレーしている選手に申し訳ない気持ちでいっぱい。今の状況で出場することはできません。1票、1票を自分への叱咤激励だと思って、1日でも早く一軍で投げられるように頑張ります。」と声明文を掲載した。2004年1月2日、この年から中日の監督に就任した落合博満は川崎に電話し、4月2日の開幕投手を告げる[6]。開幕戦は初回こそ三者凡退に抑えたものの、その後打ち込まれて2回途中で降板。しかし、チームは逆転勝利した。4月30日の対横浜戦で再び先発するも、1死もとれずに5失点で降板し敗戦。結局、その1敗が中日移籍後の最初で最後の成績となった。2011年に監督を退任した落合は退任会見で監督時代一番印象に残った試合について3年間登板のなかった川崎を開幕投手に指名した一戦を挙げた[7]。
チームの優勝が決まった翌日の10月2日に落合から戦力外通告を受けて引退を決意。10月3日の対ヤクルト戦は引退試合として行われ、1回表に3者三振(古田敦也、宮本慎也、岩村明憲)を取る。古田は三振のあと、川崎と抱擁を交わした。試合後に中日・ヤクルト両ナインから胴上げされた。
引退後はテレビ東京(2009年まで)、ニッポン放送(2011年まで)、J SPORTS、フジテレビONE(2010年にゲスト解説として出演)の野球解説者となった。2005年オフに東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した野村克也から投手コーチ就任を打診されたが、川崎は解説者として少し外側から野球を見たいなという気持ちがあって断ったという[8]。また、テレビ愛知のゲスト解説者として、テレビ愛知 ドラゴンズ戦中継 もっと!LIVE2011で解説を務めることもある。2013年からは千葉ロッテマリーンズの一軍ブルペンコーチに就任する[9]。9月4日から体調不良で休養した齊藤明雄に替わりにベンチ担当となり、斉藤が復帰後もベンチを担当した。2014年、10月5日に球団から来季の契約を結ばないことが発表された[10]。2015年からはJ SPORTS解説者。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1989 | ヤクルト | 23 | 13 | 4 | 1 | 0 | 4 | 4 | 1 | -- | .500 | 399 | 98.1 | 81 | 12 | 30 | 1 | 0 | 86 | 4 | 0 | 45 | 43 | 3.94 | 1.13 |
1990 | 29 | 26 | 15 | 4 | 2 | 12 | 13 | 0 | -- | .480 | 850 | 202.1 | 194 | 26 | 73 | 1 | 1 | 154 | 7 | 0 | 97 | 91 | 4.05 | 1.32 | |
1991 | 28 | 26 | 15 | 3 | 1 | 14 | 9 | 1 | -- | .609 | 772 | 191.2 | 159 | 22 | 65 | 2 | 6 | 148 | 4 | 0 | 69 | 62 | 2.91 | 1.17 | |
1993 | 27 | 20 | 5 | 1 | 0 | 10 | 9 | 0 | -- | .526 | 582 | 139.2 | 120 | 13 | 61 | 1 | 0 | 108 | 4 | 0 | 55 | 54 | 3.48 | 1.30 | |
1994 | 20 | 18 | 4 | 0 | 0 | 6 | 9 | 0 | -- | .400 | 514 | 114.2 | 117 | 10 | 52 | 1 | 5 | 67 | 10 | 0 | 69 | 61 | 4.79 | 1.47 | |
1995 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 124 | 29.2 | 28 | 3 | 8 | 1 | 2 | 19 | 0 | 0 | 9 | 6 | 1.82 | 1.21 | |
1996 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 41 | 9.1 | 12 | 2 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.86 | 1.50 | |
1997 | 22 | 19 | 4 | 1 | 1 | 7 | 5 | 0 | -- | .583 | 496 | 116.0 | 118 | 20 | 46 | 2 | 3 | 48 | 8 | 0 | 61 | 54 | 4.19 | 1.41 | |
1998 | 29 | 28 | 9 | 3 | 2 | 17 | 10 | 0 | -- | .630 | 845 | 204.1 | 195 | 22 | 55 | 4 | 3 | 94 | 4 | 0 | 79 | 69 | 3.04 | 1.22 | |
1999 | 24 | 24 | 6 | 2 | 0 | 7 | 11 | 0 | -- | .389 | 705 | 166.0 | 188 | 17 | 41 | 4 | 7 | 79 | 6 | 0 | 71 | 71 | 3.85 | 1.38 | |
2000 | 20 | 20 | 2 | 0 | 0 | 8 | 10 | 0 | -- | .444 | 576 | 137.0 | 136 | 11 | 39 | 3 | 5 | 66 | 2 | 0 | 58 | 54 | 3.55 | 1.28 | |
2004 | 中日 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 18 | 2.1 | 8 | 0 | 3 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 9 | 9 | 34.71 | 4.71 |
通算:12年 | 237 | 202 | 64 | 15 | 6 | 88 | 81 | 2 | -- | .521 | 5922 | 1411.1 | 1356 | 158 | 475 | 20 | 34 | 874 | 49 | 0 | 626 | 578 | 3.69 | 1.30 |
- 各年度の太字はリーグ最高。
タイトル
- 最多勝利投手:1回(1998年)
表彰
記録
- 初登板:1989年5月9日、対阪神タイガース3回戦(明治神宮野球場)、5回表1死に3番手として救援登板、2回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、5回表に和田豊から
- 初先発:1989年5月23日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、5回0/3を7失点(自責点5)で敗戦投手
- 初完投:1989年8月13日、対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)、8回3失点(雨天コールド)
- 初セーブ:1989年8月17日、対阪神タイガース20回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回裏に2番手として救援登板・完了、4回無失点
- 初勝利:1989年9月2日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、7回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1989年9月24日、対読売ジャイアンツ24回戦(明治神宮野球場)
- 1000投球回:1998年7月14日、対阪神タイガース13回戦(明治神宮野球場)、1回表2死目に桧山進次郎を一塁ゴロ併殺で達成 ※史上277人目
- オールスターゲーム出場:4回 (1990年、1991年、1998年、2000年)
背番号
- 17 (1989年 - 2000年)
- 20 (2001年 - 2004年)
- 84 (2013年 - 2014年)
その他
関連情報
著書
単著
- 『野村「ID」野球と落合「オレ流」野球』(KKロングセラーズ:2012年12月) ISBN 978-4-845-42266-1
監修
- 『小・中学生のための最強エース育成バイブル』(ベースボール・マガジン社、2008年9月、ISBN 9784583615554)
- 『少年野球上達パーフェクトマニュアル』(元木大介共監修、ベースボール・マガジン社、2010年5月、ISBN 9784583102603)
関連書籍
- 『プロ野球 戦力外通告を受けた男たちの涙』(美山和也・加藤慶・田口元義共著、宝島SUGOI文庫、2012年5月、ISBN 9784796697262)
出演番組
- テレビ愛知 ドラゴンズ戦中継 もっと!LIVE2011[11]
- 野球好きニュース(2010年 - 2012年)
- ニッポン放送ショウアップナイター[12]
- 全力闘球(テレビ東京、2005年 - 2009年)
- メガスポ!
- neo sports
- SWALLOWS BASEBALL L!VE(2010年6月6日、9月9日にゲスト解説として出演)
- 競馬場の達人(グリーンチャンネル、2015年5月10日)
脚注・出典
- ^ 『朝日新聞』1988年12月4日付朝刊 (14版、27面)
- ^ 川崎は、1989年に吉村が大怪我から復帰した初打席にも投球し、内野ゴロに打ち取っている。
- ^ 『朝日新聞』1993年11月2日付朝刊 (14版、25面)
- ^ 「早世のマドンナたち② 可愛かずみ(3)」『アサ芸+』、徳間書店、2012年7月9日、2013年6月28日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2000年12月3日付朝刊 (14版、19面)
- ^ 森繁和著、参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」講談社、2012年、P54-P55,P58 後に落合は「投手コーチに話をせずに(川崎を)開幕投手を決めたのは、あの一度きりだ」と語っている。落合は川崎の開幕起用理由について「補強なしの全選手横一線のチームに刺激を与えることと、先発投手についての情報の漏洩がないかを確かめること」と後に語っている。
- ^ 中日・落合前監督、一番印象に残ったのは川崎の開幕投手 - 2011年11月22日
- ^ [http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32123?page=2 [虎四ミーティング] 川崎憲次郎(プロ野球解説者)<後編>「“怖さ”の松井と“嫌らしさ”の川相」] - 2012年3月23日
- ^ 川崎憲次郎氏 一軍ブルペンコーチ就任のお知らせ - 2012年10月31日
- ^ コーチとの来季契約についてロッテ球団公式サイト2014年10月5日配信
- ^ テレビ愛知。関東地方の試合を中心として不定期出演だが、年に1度だけ、ナゴヤドーム主催試合で行われる「ゆかたデー」開催日に担当する事が多い(川崎自身も浴衣姿で解説を務めたことがある)。
- ^ 2005年 - 2011年。基本的にセ・パ問わず裏送り中継での出演が中心で、本番を担当するのは年に数試合と非常に少なかった。2011年のシーズンは裏送り・予備のみで本番カードの出演はなかった。中日OBであることから、東海ラジオ ガッツナイターの裏送り制作時は解説者として出演することが多く、テレビ愛知のゲスト解説者でもあることから、テレビ愛知が関東の試合などを中継した翌日などに出演することもある。
関連項目
外部リンク
- 川崎憲次郎 (@kenjiroh17) - X(旧Twitter)