天皇賞
天皇賞(てんのうしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が年2回(春・秋)開催する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正賞は天皇賞・日本馬主協会連合会会長賞。
本稿では、春に京都競馬場(創設時は鳴尾競馬場)で開催される本競走を天皇賞(春)、秋に東京競馬場に開催される本競走を天皇賞(秋)とし、天皇賞(春)を「春の競走」、天皇賞(秋)を「秋の競走」と表現する。
歴史
本競走は1905年に創設された帝室御賞典を前身としている。1937年に日本競馬会が創設され、それまで各競馬場(札幌・函館・福島・東京(・池上・目黒)・横濱・鳴尾・小倉(三萩野・北方))でコース(芝・土[1])・距離も異なる条件で施行されていたものを阪神・東京の年2回施行とし同年秋の競走を改めて第1回帝室御賞典として施行した。
1937年秋は2600メートル、1938年春は2700メートルで施行されたが1938年秋から英国のロイヤルアスコットレースミーティングで施行するゴールドカップを範して芝3200メートルの長距離競走に変更されている。1984年から秋の競走については芝2000メートルに変更され、現在に至る。
優勝賜杯について御賞典(菊花御紋付銀製花盛器)が宮内省(現:宮内庁)から優勝馬の馬主に下賜されていたが1941年からは太平洋戦争(戦時中)に伴う貴金属資源の不足により御賞典と言えども時代の背景には勝てず「競馬恩賞」と書かれた菊花御紋入りの木製の楯が代わりに下賜(優勝馬主に対しての持ち回り賞品)されるようになり、競馬関係者からは天皇楯と呼ばれた。これが楯が天皇賞の略称として使われる所以である。優勝馬主は表彰式で天皇盾を賜る際は白手袋を着用することが慣例になっている。
第二次世界大戦終結後は天皇賞を再び下賜されるよう調整したが、1947年の春の競走には間に合わず平和賞として施行。天皇賞が再下賜されるようになった秋の競走で、ようやく「第16回天皇賞(秋)」として開催した。
中央競馬が誇る伝統と格式がある八大競走の2競走でかつては日本一の競走馬を決める競走でもあり優勝馬及び関係者には最高の名誉が与えられ、天皇賞で1回優勝した競走馬は再度出走して負けた場合は天皇賞馬としての威厳を下げてしまうため1980年までは再度の天皇賞への出走は認められない「勝ち抜け制度」があった(この制度は1950年まで中山大障害にもあった)。
また長年クラシック三冠と同様に優秀な国内産種牡馬・繁殖牝馬を選定するという観点から国内産馬で尚且つ牡馬・牝馬のみしか出走できないことになっていたが、競馬の国際化などを踏まえ段階を追ってそれらが見直され2005年から国際競走に指定されそれに伴い外国産馬の出走頭数制限が廃止された。また2008年から騸馬(去勢牡馬)にも出走門戸が開放された。
天皇賞(春)と天皇賞(秋)は別々の競走ではなく同じ「天皇賞」が続けて年2回行われている競走であるため、開催回数はそのまま順番に続けて表記されていく。
天覧競馬
「エンペラーズカップ100年記念」(1905年の「帝室御賞典」からの100年を記念)と題された2005年の第132回競走において、明治天皇による1899年の行幸以来106年ぶりとなる今上天皇・皇后の天覧競馬が実現した。
これに伴い当日の東京競馬場の競走数を当初予定の12から11に減らし、本競走を第10競走として施行。競走前に天皇・皇后は場内の競馬博物館で「エンペラーズカップ100年記念 栄光の天皇賞展」を鑑賞された。競走後に勝利騎手の松永幹夫が貴賓席に対して馬上から最敬礼を行ったが、これは騎乗馬が故障した場合を除き競走後にコース内で騎手が下馬することは禁止されているためである。
本来は前年の2004年に日本中央競馬会創設50周年記念競走として施行された第130回競走において天覧競馬が予定されていたが同年10月23日に発生した新潟県中越地震の被害を考慮して取り止めとなった経緯があり、2年越しの実現となった。現在、東京競馬場の正門近くのローズガーデンに「行幸啓記念碑」がある。
今上天皇・皇后は皇太子・皇太子妃時代の1987年にも、天皇賞施行50周年を記念して行われた第96回競走(優勝馬:ニッポーテイオー)を台覧している。
負担重量
- 定量で春季は4歳以上58kg、牝馬2kg減。秋季は3歳56kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減である。
- 第1~3回は馬齢重量。第4~13回は4歳58kg・5歳以上60kg・牝馬1.5kg減。第15、16回は牡馬60kg・牝馬2kg減。第17~25回は4歳58kg・5歳以上60kg・牝馬2kg減。第26回は牡馬58kg・牝馬2kg減。春季の第27~135回は牡馬58kg・牝馬56kg。秋季の第28~94回は牡馬58kg・牝馬56kgだった。
以下は天皇賞(春)と天皇賞(秋)に分けて記述する。
天皇賞(春)
天皇賞(春) | |
---|---|
第145回天皇賞(春) | |
主催者 | 日本中央競馬会 |
競馬場 | 京都競馬場 |
創設 | 1938年5月15日 |
距離 | 芝芝・外3200m |
格付け | GI |
賞金 |
1着賞金1億3200万円 賞金総額2億5120万円 |
出走条件 |
サラブレッド系4歳以上(国際)(指定) 出走資格も参照 |
負担重量 | 定量(58kg、牝馬2kg減) |
天皇賞(春)(てんのうしょうはる)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の芝3200メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正式名称は「天皇賞」であるが開催時期からJRAが「天皇賞(春)」と表記しており競馬ファンや競馬関係者の間では「春の天皇賞」「春天」「春の盾」と呼ばれ、また京都競馬場で行われることから「淀の盾」とも呼ばれている。
概要
1938年に4歳(現3歳)以上の牡馬・牝馬(外国産馬含む)限定の定量の重賞競走帝室御賞典(春)として開催。春の競走としての第1回は鳴尾競馬場の土2700メートルで施行された。
1939年からは施行距離を芝3200メートルに出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。1944年は太平洋戦争(戦時中)の影響により阪神競馬場が海軍に接収されたため、施行場を現在の京都競馬場の芝3200メートルの能力検定競走として施行。1945年は太平洋戦争の影響で開催中止となり1946年は開催されず1947年は宮内庁からの天皇賞の下賜の調整が遅れたことにより「平和賞」の名称で施行され、1948年から再び宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称が「天皇賞(春)」に変更された。
1957年より当時の昭和天皇の誕生日である4月29日の開催となり、日曜日以外に行われることのある大レースとなり昭和天皇が崩御するまで続いた。ただし1989年は既に日程が決まっていた為にそのまま4月29日開催となり、翌1990年以後はゴールデンウィーク期間中の日曜日開催に変更された。但し1990年は4月29日が日曜日だった為、実質的には4月29日開催は1990年まで続いた。なお1972年は前年からの馬インフルエンザ騒動の余波で施行日程が大幅に順延となったこと、および1974年は厩務員ストライキで開催日程が順延となった関係でいずれも4月29日に開催されなかった。
1965・1970・1980・1994年は阪神競馬場の芝3200メートルで施行。1972年からは前年における活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなり、1981年から勝ち抜け制度が廃止され天皇賞に1度優勝した競走馬も再び出走が可能になり1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされた。
1995年からは指定競走に指定され阪神大賞典・日経賞・大阪杯で2着以内に入賞した地方所属の競走馬にも出走資格が与えられ、2000年からは外国産馬の活躍による出走枠の見直しの一環により総収得金額順上位2頭(フルゲート18枠に満たない場合は4頭)まで出走可能になり2004年からは外国産馬の出走枠が4枠に拡大され2005年からは国際競走に指定、外国産馬の出走枠制限が撤廃され外国調教馬が5頭まで出走可能になった。
中央競馬で最も長い距離で施行される平地のGI競走で、日本競馬会時代から長年芝3200メートルで施行されてきた。だが近代競馬におけるスピード化に伴い本競走の施行距離を芝2400メートルにする短縮化の意見も日本中央競馬会(JRA)から出されたが[要出典]、当面は現行の距離で施行されている。有力古馬の中には本競走に出走せず鳴尾記念(2011年までは金鯱賞)や安田記念を経て宝塚記念を目指す場合や、海外遠征でドバイミーティング・チャンピオンズマイル・クイーンエリザベス2世カップ・シンガポール航空インターナショナルカップ等のアジアの国際GI競走へ出走する場合もある。
優勝馬には多くの名馬が名を連ねており、その殆どが当レース以外のGI(級)競走を勝利している。
2008年より騸馬は出走可能となっている。また、海外主要長距離GIとの連携の観点から2008年よりオーストラリア最大のレースであるGIメルボルンカップの前年度(オーストラリアは8月~7月を1シーズンとしているため、オーストラリアの基準では同一シーズン)の優勝馬を招待することを決定。これ以前にも2003・2004・2005年メルボルンカップ優勝馬のMakybe Divaが2005年に出走しているが、この時は招待馬ではなかった。また、このレースの優勝馬は同年のメルボルンカップへの優先出走権が与えられている。
現在の優勝レイは紫地に金文字である。配色自体は秋施行のものと同じだが、開催競馬場における発注業者の違いから春秋でデザインが大きく異なる。
2009年度における、当競走当日の京都競馬場の開門時刻は午前7時30分であった。
出走資格
- 原則サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。
- レーティング順位の上位5頭に対しては優先出走が認められる(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)。
- その他の競走馬は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
- 地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名 | 格付 | 施行競馬場 | 施行距離 | 必要な着順 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
阪神大賞典 | GII | 阪神競馬場 | 芝3000m | 1・2着 | 本競走のステップ競走指定 |
日経賞 | GII | 中山競馬場 | 芝2500m | ||
大阪杯 | GII | 阪神競馬場 | 芝2000m |
コース
コースは京都競馬場の芝外回り3200メートル。向正面の真ん中辺りから発走。いわゆる「淀の坂」を2度駆け上がるため、折り合い・スタミナや持久力が要求される。加えて近代競馬では高速馬場に対応できる瞬発力とスピードも強く求められている。また長距離戦ということでペース配分や仕掛けのタイミングが重要であり、さらには騎手同士の駆け引きも結果を大きく左右するものであり騎手の技量も試されるレースであると言える。
賞金
- グレード制が施行された第89回(1984年)以降
回(施行年) | 総額賞金 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 |
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第89回(1984年) | 1億4,250万円 | 7,500万円 | 3,000万円 | 1,900万円 | 1,100万円 | 750万円 |
第91回(1985年) | 1億4,880万円 | 7,800万円 | 3,100万円 | 2,000万円 | 1,200万円 | 780万円 |
第93回(1986年) | 1億5,200万円 | 8,000万円 | 3,200万円 | 800万円 | ||
第95回(1987年) | 1億6,150万円 | 8,500万円 | 3,400万円 | 2,100万円 | 1,300万円 | 850万円 |
第97回(1988年) | 1億8,050万円 | 9,500万円 | 3,800万円 | 2,400万円 | 1,400万円 | 950万円 |
第99回(1989年) | 1億9,000万円 | 1億円 | 4,000万円 | 2,500万円 | 1,500万円 | 1,000万円 |
第101回(1990年) | 2億1,000万円 | 1億1,000万円 | 4,400万円 | 2,800万円 | 1,700万円 | 1,100万円 |
第103回(1991年) | 2億2,800万円 | 1億2,000万円 | 4,800万円 | 3,000万円 | 1,800万円 | 1,200万円 |
第105回(1992年) | 2億4,800万円 | 1億3,000万円 | 5,200万円 | 3,300万円 | 2,000万円 | 1300万円 |
第107回(1993年) | ||||||
第109回(1994年) | ||||||
第111回(1995年) | 2億5,120万円 | 1億3,200万円 | 5,300万円 | 3,300万円 | 2,000万円 | 1,320万円 |
第113回(1996年) | ||||||
第115回(1997年) | ||||||
第117回(1998年) | ||||||
第119回(1999年) | ||||||
第121回(2000年) | ||||||
第123回(2001年) | ||||||
第125回(2002年) | ||||||
第127回(2003年) | ||||||
第129回(2004年) | ||||||
第131回(2005年) | ||||||
第133回(2006年) | ||||||
第135回(2007年) | ||||||
第137回(2008年) | ||||||
第139回(2009年) | ||||||
第141回(2010年) | ||||||
第143回(2011年) | ||||||
第145回(2012年) |
歴史
- 1938年 - 鳴尾競馬場の土2700メートルの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の馬齢重量の重賞競走「帝室御賞典(春)」として創設。
- 1939年
- 施行距離を3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上牡馬・牝馬に変更。
- 負担重量を「馬齢重量」から「定量」に変更(負担斤量は5歳(現4歳)は牡馬58キロ・牝馬56.5キロ、6歳(現5歳)以上は牡馬60キロ・牝馬58.5キロに設定)。
- 1944年 - 太平洋戦争の影響で能力検定競走として京都競馬場の芝3200メートルで施行。
- 1945年 - 太平洋戦争の影響で施行中止。
- 1946年 - 施行せず。
- 1947年
- 宮内庁との天皇賞の下賜調整が遅れた事により「平和賞」の名称で施行。
- 負担斤量を5歳(現4歳)、6歳(現5歳)以上とも牡馬60キロ・牝馬58キロに変更。
- 1948年
- 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(春)」に変更。
- 5歳(4歳)の負担斤量を牡馬58キロ・牝馬56キロに変更。
- 1953年
- 6歳(現5歳)以上の負担斤量を5歳(現4歳)と同じく、牡馬58キロ・牝馬56キロに変更。
- レダが牝馬として史上唯一の春の天皇賞制覇。
- 1957年 - この年から昭和天皇の誕生日である4月29日に開催。
- 1960年 - 前年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
- 1965年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200メートルで施行。
- 1970年 - 阪神競馬場の芝3200メートルで施行。
- 1972年
- 前年の活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
- 流行性の馬インフルエンザの影響で5月に順延開催。
- 1974年 - 厩務員ストライキの影響で5月に順延開催。
- 1979年 - 当競走で史上最多の21頭が出走。
- 1980年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200メートルで施行。
- 1981年 - 勝ち抜け制度(天皇賞優勝馬の出走制限)を廃止。
- 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
- 1987年 - 2位入線のニシノライデンが進路妨害により失格。
- 1990年
- 開催日が変更され4月29日固定から日曜日に変更される。
- スーパークリークが前年秋制覇と合わせて史上2頭目の天皇賞連覇。
- 1991年 - メジロマックイーンが史上初の親子三代天皇賞制覇を達成。
- 1992年
- 1994年 - 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200メートルで施行。
- 1995年
- 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開かれる。
- ライスシャワーが2頭目の春2勝。
- 2000年 - 外国産馬の出走枠を2頭(条件付4頭)設ける。
- 2001年
- 2004年 - 外国産馬の出走枠を4頭に拡大。
- 2005年
- 国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。マカイビーディーヴァが外国調教馬として出走第1号となる。
- 安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
- 外国産馬の出走枠制限を撤廃。
- 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、外国調教馬の出走枠を9頭に拡大。
- 2008年
- 2009年
- 当年のみ、JRAプレミアムレースの対象競走となる。
- 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(当競走施行当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第10競走に変更。
- 2010年
- クレイグ・ウィリアムズが外国人騎手として初めて春の天皇賞を制覇。
- 11位入線のトーセンクラウンが進路妨害により18着に降着。
- 2011年
- 2012年
歴代優勝馬
国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 | 施行日 | 調教国・優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
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第2回 | 1938年5月15日 | ハセパーク | 牡5 | 2:53 1/5 | 金者斤奉 | 門倉恒雄 | |
第4回 | 1939年5月14日 | スゲヌマ | 牡4 | 3:31 0/5 | 伊藤正四郎 | 小山内重蔵 | 千明賢治 |
第6回 | 1940年5月19日 | トキノチカラ | 牡4 | 3:25 2/5 | 岩下密政 | 田中和一郎 | 菊池寛 |
第8回 | 1941年4月27日 | マルタケ | 牡5 | 3:25 4/5 | 清水茂次 | 榎壽逸 | |
第10回 | 1942年4月19日 | ミナミモア | 牡4 | 3:25 1/5 | 佐藤邦雄 | 東原玉造 | 池得次 |
第12回 | 1943年4月11日 | グランドライト | 牡4 | 3:28 1/5 | 阿部正太郎 | 田中和一郎 | 加藤雄策 |
第14回 | 1944年5月28日 | ヒロサクラ | 牡4 | 3:29 0/5 | 渋川久作 | 鶴丸広太郎 | |
第15回 | 1947年5月11日 | オーライト | 牡4 | 3:34 1/5 | 元石正雄 | 伊藤勝吉 | 伊藤由五郎 |
第17回 | 1948年5月16日 | シーマー | 牡4 | 3:25 3/5 | 長浜彦三郎 | 新堂捨蔵 | 島田幸次郎 |
第19回 | 1949年4月29日 | ミハルオー | 牡4 | 3:26 3/5 | 土門健司 | 久保田金造 | 石川了吉 |
第21回 | 1950年6月 4日 | オーエンス | 牡4 | 3:34 3/5 | 土門健司 | 松田由太郎 | 桶谷辰造 |
第23回 | 1951年5月 5日 | タカクラヤマ | 牡4 | 3:24 3/5 | 橋田俊三 | 伊藤正四郎 | 平島五郎 |
第25回 | 1952年5月 3日 | ミツハタ | 牡4 | 3:23 1/5 | 渡辺正人 | 矢野幸夫 | 河野信一 |
第27回 | 1953年5月 5日 | レダ | 牝4 | 3:24 2/5 | 佐藤勇 | 武田文吾 | 熊谷新太郎 |
第29回 | 1954年5月16日 | ハクリヨウ | 牡4 | 3:24 2/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 西博 |
第31回 | 1955年4月29日 | タカオー | 牡4 | 3:22 3/5 | 古山良司 | 上村大治郎 | 高須銀次郎 |
第33回 | 1956年4月15日 | メイヂヒカリ | 牡4 | 3:22 3/5 | 蛯名武五郎 | 藤本冨良 | 新田松江 |
第35回 | 1957年4月29日 | キタノオー | 牡4 | 3:21 3/5 | 勝尾竹男 | 久保田金造 | 田中留治 |
第37回 | 1958年4月29日 | オンワードゼア | 牡4 | 3:23 4/5 | 野平好男 | 二本柳俊夫 | 樫山純三 |
第39回 | 1959年4月29日 | トサオー | 牡4 | 3:23 1/5 | 野平祐二 | 松山吉三郎 | 溝本儀三男 |
第41回 | 1960年4月29日 | クリペロ | 牡5 | 3:25.0 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 栗林友二 |
第43回 | 1961年4月29日 | ヤマニンモアー | 牡4 | 3:22.6 | 浅見国一 | 藤本冨良 | 土井宏二 |
第45回 | 1962年4月29日 | オンスロート | 牡5 | 3:27.6 | 山岡忞 | 中村広 | 田村喜志 |
第47回 | 1963年4月29日 | コレヒサ | 牡4 | 3:22.5 | 森安重勝 | 尾形藤吉 | 千明康 |
第49回 | 1964年4月29日 | ヒカルポーラ | 牡5 | 3:26.8 | 高橋成忠 | 佐藤勇 | 坪田喜之助 |
第51回 | 1965年4月29日 | アサホコ | 牡5 | 3:27.1 | 加賀武見 | 藤本冨良 | 手塚栄一 |
第53回 | 1966年4月29日 | ハクズイコウ | 牡5 | 3:19.4 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 西博 |
第55回 | 1967年4月29日 | スピードシンボリ | 牡4 | 3:24.2 | 野平祐二 | 野平省三 | 和田共弘 |
第57回 | 1968年4月29日 | ヒカルタカイ | 牡4 | 3:24.6 | 野平祐二 | 藤本冨良 | 長山善健 |
第59回 | 1969年4月29日 | タケシバオー | 牡4 | 3:29.1 | 古山良司 | 三井末太郎 | 小畑正雄 |
第61回 | 1970年4月29日 | リキエイカン | 牡4 | 3:25.8 | 高橋成忠 | 柏谷富衛 | 水上力夫 |
第63回 | 1971年4月29日 | メジロムサシ | 牡4 | 3:33.5 | 横山富雄 | 大久保末吉 | メジロ商事(株) |
第65回 | 1972年5月 7日 | ベルワイド | 牡4 | 3:20.4 | 加賀武見 | 阿部正太郎 | 鈴木賢一 |
第67回 | 1973年4月29日 | タイテエム | 牡4 | 3:25.0 | 須貝彦三 | 橋田俊三 | (有)名鯛興業 |
第69回 | 1974年5月 5日 | タケホープ | 牡4 | 3:22.6 | 嶋田功 | 稲葉幸夫 | 近藤たけ |
第71回 | 1975年4月29日 | イチフジイサミ | 牡5 | 3:22.1 | 郷原洋行 | 松永光雄 | 保坂勇 |
第73回 | 1976年4月29日 | エリモジョージ | 牡4 | 3:27.4 | 福永洋一 | 大久保正陽 | 山本慎一 |
第75回 | 1977年4月29日 | テンポイント | 牡4 | 3:21.7 | 鹿戸明 | 小川佐助 | 高田久成 |
第77回 | 1978年4月29日 | グリーングラス | 牡5 | 3:20.8 | 岡部幸雄 | 中野隆良 | 半沢吉四郎 |
第79回 | 1979年4月29日 | カシュウチカラ | 牡6 | 3:20.2 | 郷原洋行 | 矢倉玉男 | 吉田権三郎 |
第81回 | 1980年4月29日 | ニチドウタロー | 牡4 | 3:18.7 | 村本善之 | 坂田正行 | 山田敏夫 |
第83回 | 1981年4月29日 | カツラノハイセイコ | 牡5 | 3:20.6 | 河内洋 | 庄野穂積 | 桂土地(株) |
第85回 | 1982年4月29日 | モンテプリンス | 牡5 | 3:19.2 | 吉永正人 | 松山吉三郎 | 毛利喜八 |
第87回 | 1983年4月29日 | アンバーシャダイ | 牡6 | 3:22.3 | 加藤和宏 | 二本柳俊夫 | 吉田善哉 |
第89回 | 1984年4月29日 | モンテファスト | 牡6 | 3:22.3 | 吉永正人 | 松山吉三郎 | 毛利喜八 |
第91回 | 1985年4月29日 | シンボリルドルフ | 牡4 | 3:20.4 | 岡部幸雄 | 野平祐二 | 和田農林(有) |
第93回 | 1986年4月29日 | クシロキング | 牡4 | 3:25.4 | 岡部幸雄 | 中野隆良 | 阿部昭 |
第95回 | 1987年4月29日 | ミホシンザン | 牡5 | 3:20.4 | 柴田政人 | 田中朋次郎 | 堤勘時 |
第97回 | 1988年4月29日 | タマモクロス | 牡4 | 3:21.8 | 南井克巳 | 小原伊佐美 | タマモ(株) |
第99回 | 1989年4月29日 | イナリワン | 牡5 | 3:18.8 | 武豊 | 鈴木清 | 保手浜弘規 |
第101回 | 1990年4月29日 | スーパークリーク | 牡5 | 3:21.9 | 武豊 | 伊藤修司 | 木倉誠 |
第103回 | 1991年4月28日 | メジロマックイーン | 牡4 | 3:18.8 | 武豊 | 池江泰郎 | メジロ商事(株) |
第105回 | 1992年4月26日 | メジロマックイーン | 牡5 | 3:20.0 | 武豊 | 池江泰郎 | メジロ商事(株) |
第107回 | 1993年4月25日 | ライスシャワー | 牡4 | 3:17.1 | 的場均 | 飯塚好次 | 栗林英雄 |
第109回 | 1994年4月24日 | ビワハヤヒデ | 牡4 | 3:22.6 | 岡部幸雄 | 浜田光正 | (有)ビワ |
第111回 | 1995年4月23日 | ライスシャワー | 牡6 | 3:19.9 | 的場均 | 飯塚好次 | 栗林英雄 |
第113回 | 1996年4月21日 | サクラローレル | 牡5 | 3:17.8 | 横山典弘 | 境勝太郎 | (株)さくらコマース |
第115回 | 1997年4月27日 | マヤノトップガン | 牡5 | 3:14.4 | 田原成貴 | 坂口正大 | 田所祐 |
第117回 | 1998年5月 3日 | メジロブライト | 牡4 | 3:23.6 | 河内洋 | 浅見秀一 | (有)メジロ牧場 |
第119回 | 1999年5月 2日 | スペシャルウィーク | 牡4 | 3:15.3 | 武豊 | 白井寿昭 | 臼田浩義 |
第121回 | 2000年4月30日 | テイエムオペラオー | 牡4 | 3:17.6 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 |
第123回 | 2001年4月29日 | テイエムオペラオー | 牡5 | 3:16.2 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 |
第125回 | 2002年4月28日 | マンハッタンカフェ | 牡4 | 3:19.5 | 蛯名正義 | 小島太 | 西川清 |
第127回 | 2003年5月 4日 | ヒシミラクル | 牡4 | 3:17.0 | 角田晃一 | 佐山優 | 阿部雅一郎 |
第129回 | 2004年5月 2日 | イングランディーレ | 牡5 | 3:18.4 | 横山典弘 | 清水美波 | 吉田千津 |
第131回 | 2005年5月 1日 | スズカマンボ | 牡4 | 3:16.5 | 安藤勝己 | 橋田満 | 永井啓弐 |
第133回 | 2006年4月30日 | ディープインパクト | 牡4 | 3:13.4 | 武豊 | 池江泰郎 | 金子真人ホールディングス(株) |
第135回 | 2007年4月29日 | メイショウサムソン | 牡4 | 3:14.1 | 石橋守 | 高橋成忠 | 松本好雄 |
第137回 | 2008年5月 4日 | アドマイヤジュピタ | 牡5 | 3:15.1 | 岩田康誠 | 友道康夫 | 近藤利一 |
第139回 | 2009年5月 3日 | マイネルキッツ | 牡6 | 3:14.4 | 松岡正海 | 国枝栄 | (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン |
第141回 | 2010年5月 2日 | ジャガーメイル | 牡6 | 3:15.7 | C.ウィリアムズ | 堀宣行 | 吉田和美 |
第143回 | 2011年5月 1日 | ヒルノダムール | 牡4 | 3:20.6 | 藤田伸二 | 昆貢 | 蛭川正文 |
第145回 | 2012年4月29日 | ビートブラック | 牡5 | 3:13.8 | 石橋脩 | 中村均 | 前田幸治 |
その他
馬連が導入された1992年以降、フルゲート18頭で出走したときに1番人気が勝てないどころか連対していないジンクスがある。1番人気になった馬と着順、勝ち馬の人気を下表にまとめた。
フルゲート発走年 | 1番人気となった馬 | 着順 | 勝ち馬 | 人気 |
---|---|---|---|---|
1995年 | エアダブリン | 5着 | ライスシャワー | 4番人気 |
2003年 | ダイタクバートラム | 3着 | ヒシミラクル | 7番人気 |
2004年 | リンカーン | 13着 | イングランディーレ | 10番人気 |
2005年 | リンカーン | 6着 | スズカマンボ | 13番人気 |
2009年 | アサクサキングス | 9着 | マイネルキッツ | 12番人気 |
2010年 | フォゲッタブル | 6着 | ジャガーメイル | 2番人気 |
2011年 | トゥザグローリー | 13着 | ヒルノダムール | 7番人気 |
2012年 | オルフェーヴル | 11着 | ビートブラック | 14番人気 |
天皇賞(秋)
天皇賞(秋) | |
---|---|
第144回天皇賞(秋) | |
主催者 | 日本中央競馬会 |
競馬場 | 東京競馬場 |
創設 | 1937年12月3日 |
距離 | 芝芝2000m |
格付け | GI |
賞金 |
1着賞金1億3200万円 賞金総額2億5120万円 |
出走条件 |
サラブレッド系3歳以上(国際)(指定) 出走資格も参照 |
負担重量 | 定量(3歳56kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減) |
天皇賞(秋)(てんのうしょうあき)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2000メートルで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正式名称は「天皇賞」であるが開催時期からJRAが「天皇賞(秋)」と表記しており競馬ファンや競馬関係者の間では「秋の天皇賞」「秋天」「秋の盾」と呼ばれ、また東京競馬場で行われることから「府中の盾」とも呼ばれている。
概要
1937年に4歳(現3歳)以上の牡馬・牝馬(外国産馬含む)限定の定量の重賞競走帝室御賞典(秋)として開催。秋の競走としての第1回は東京競馬場の芝2600メートルで施行され、古馬の最強馬決定戦として位置付けられた。
1938年からは施行距離を芝3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。1944・1945年の2年間は太平洋戦争の影響で開催中止となり1946年は開催されず、1947年からは再び宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称が「天皇賞(秋)」に変更された。
1967年は東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200メートルで施行。1971年からは6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬の出走ができなくなった。
1981年からジャパンカップの新設に伴い10月に施行が早められ、また勝ち抜け制度が廃止され天皇賞に1度優勝した競走馬も再び出走が可能になった。
1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされジャパンカップとの連戦が難しいという声に応えるためと天皇賞(春)との差別化を図る目的から、施行距離を芝2000メートルに変更。これによりジャパンカップへのステップレース及び中距離の最強馬決定戦として位置付けられる事になった。ただしこの変更は計画当時は競馬ファンや一部競馬サークルからの反対もあった[3]。
1987年からは出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更され、また天皇賞50周年を記念して当年のみ「天皇賞競走施行50周年記念」の副称が付けられて施行された。1995年からは指定競走に指定となり、オールカマー・毎日王冠・京都大賞典で2着以内に入賞した地方所属の競走馬にも出走資格が与えられた。
2000年からは秋の古馬三冠制度施行によりジャパンカップ・有馬記念と共に三冠競走とされ、この年から3競走を全て優勝した馬に褒賞金が設けられるようになった。また外国産馬の活躍による出走枠の見直しの一環により総収得金額順上位2頭まで出走可能になったが[4]、2002年からはフルゲートにならなかった場合に限り4頭まで出走できるようになった。2004年からは外国産馬の出走枠が5頭に拡大し2005年からは国際競走に指定され、外国産馬の出走枠制限が撤廃され外国調教馬が5頭まで出走可能になった。
2002年は東京競馬場の改修工事に伴い中山競馬場の芝2000メートルで施行。2004年は「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称が付けられて施行。当年のみ天覧競馬でもあったことから「エンペラーズカップ100年記念」の副称が付けられて施行された。2008年には天皇賞(春)と同様、せん馬も出走可能になった。
春の天皇賞が古馬の芝3200メートルで施行するのとは違い3歳(旧4歳)以上で更に現代競馬では主流ともいえる芝2000メートルで施行される事からマイラーからステイヤーまで多くの有力馬が出走し、ジャパンカップや有馬記念を凌ぐ豪華なメンバーが揃う事が多々ある。また3歳(旧4歳)馬もクラシック登録なしでも出走可能であることや馬の疲労や距離適性を考慮してレースを選択するという近代競馬の価値観の流れから菊花賞の芝3000メートルの距離を嫌い出走してくる傾向が増えている。ほかにもマイルチャンピオンシップ等、短距離路線へのステップとして出走したマイラー競走馬が好走する傾向がありマイルGI優勝馬が優勝することもある。またエリザベス女王杯の古馬開放後は牝馬の出走頭数が少なくなったもののウオッカやブエナビスタなど牡馬と互角以上の実績を持つ牝馬が出走してくる傾向にあり、ここを優勝した牝馬はいずれも秋古馬三冠路線を歩んでいる。
距離短縮前は第52回でシンザンが1番人気で優勝した後、1番人気が18連敗したこともあった。距離短縮後は第96回でニッポーテイオーが1番人気で優勝した後、第122回でテイエムオペラオーが優勝するまで1番人気が12連敗し、その間には第104回で1位入線した1番人気メジロマックイーンが進路妨害で最下位(18着)降着処分を受け、第118回では圧倒的1番人気に支持されたサイレンススズカが3コーナーの大欅向こう側過ぎで粉砕骨折を発症し予後不良となるなどの悲劇も起こっている。しかし2000年以降、テイエムオペラオー以外に第128回(シンボリクリスエス)、第130回(ゼンノロブロイ)、第136回(メイショウサムソン)、第138回(ウオッカ)、第142回(ブエナビスタ)と1番人気の馬が5回勝っている。
種牡馬又は繁殖牝馬選定競走の位置付けにある為騸馬は出走できなかったが、2008年より出走可能となる。
現在の優勝レイは紫地に金文字である。配色自体は春施行のものと同じだが、開催競馬場における発注業者の違いから春秋でデザインが大きく異なる。
2008年度における、当競走当日の東京競馬場の開門時刻は午前7時55分であった。
出走資格
- 原則サラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬及び外国調教馬(9頭まで)、出走枠は18頭まで。
- レーティング順位の上位5頭に対しては優先出走が認められる(2012年より。牡馬・セン馬は110ポンド、牝馬は106ポンド以上であることが条件)。
- その他の競走馬は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI(JpnI)競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる。
- 地方競馬所属馬は以下の競走のいずれかで所定の成績をあげると本競走に出走できる。
競走名 | 格付 | 施行競馬場 | 施行距離 | 必要な着順 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
オールカマー | GII | 中山競馬場 | 芝・外2200m | 1・2着 | 本競走のステップ競走指定 |
毎日王冠 | GII | 東京競馬場 | 芝1800m | ||
京都大賞典 | GII | 京都競馬場 | 芝・外2400m |
コース
東京競馬場の芝2000メートルで第1コーナーのポケットの奥から発走。スタートから第2コーナーまでの距離が短くコーナーの曲率半径も小さいため、外枠(特に大外枠)に入った競走馬はスタート後にロスをしやすい。2003年に第2コーナー及びポケットの形態が改修されたもののコース形態全体としては依然としてスタートから第2コーナーまで約118メートルしかなく、このため外を大きく回らされることによる距離損をしたくない外枠の馬と馬群の中や後方を走らされることを嫌う内枠の馬がゴチャつきやすいため騎手始め関係者からはコースに対し苦言が出ていた。改装前の1991年には外枠にいたメジロマックイーンがスタート後に内側へ斜行し1位入線も18着に降着処分になったという経緯がある。特に大外枠発走の馬は大変な不利だとされており、2000メートル施行後に大外枠で優勝したのは1986年のサクラユタカオーが大外16番枠で勝った例(この年は出走16頭)と2003年にシンボリクリスエスが大外18番枠で勝った例の2回だけである。
また、かつて第3コーナー入口付近から発走していた芝3200メートルコースでも「府中のコースと距離適性が無いと人気馬でも負ける」とされており、天馬・トウショウボーイが敗れた例や逆にプリテイキャストが距離適性を生かした大逃げで波乱を起こした例はその典型である。芝2000メートルに短縮されてからは距離適性が及ぼす影響は小さくなったが、府中のコースを苦にする馬は相変わらず凡戦している。
大レースは枠順による有利不利が起こらない条件で行うべきであると考えていた大川慶次郎は生前このような状況を予測して3200メートルから2000メートルに短縮される際に最後まで反対意見を唱え、その後も中山競馬場で施行することを主張していた。
賞金
- グレード制が施行された第90回(1984年)以降
回(施行年) | 総額賞金 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 |
---|---|---|---|---|---|---|
第90回(1984年) | 1億4,250万円 | 7,500万円 | 3,000万円 | 1,900万円 | 1,100万円 | 750万円 |
第92回(1985年) | 1億4,880万円 | 7,800万円 | 3,100万円 | 2,000万円 | 1,200万円 | 780万円 |
第94回(1986年) | 1億5,200万円 | 8,000万円 | 3,200万円 | 800万円 | ||
第96回(1987年) | 1億6,150万円 | 8,500万円 | 3,400万円 | 2,100万円 | 1,300万円 | 850万円 |
第98回(1988年) | 1億8,050万円 | 9,500万円 | 3,800万円 | 2,400万円 | 1,400万円 | 950万円 |
第100回(1989年) | 1億9,530万円 | 1億300万円 | 4,100万円 | 2,600万円 | 1,500万円 | 1,030万円 |
第102回(1990年) | 2億1,000万円 | 1億1,000万円 | 4,400万円 | 2,800万円 | 1,700万円 | 1,100万円 |
第104回(1991年) | 2億2,800万円 | 1億2,000万円 | 4,800万円 | 3,000万円 | 1,800万円 | 1,200万円 |
第106回(1992年) | 2億4,800万円 | 1億3,000万円 | 5,200万円 | 3,300万円 | 2,000万円 | 1300万円 |
第108回(1993年) | ||||||
第110回(1994年) | ||||||
第112回(1995年) | 2億5,120万円 | 1億3,200万円 | 5,300万円 | 3,300万円 | 2,000万円 | 1,320万円 |
第114回(1996年) | ||||||
第116回(1997年) | ||||||
第118回(1998年) | ||||||
第120回(1999年) | ||||||
第122回(2000年) | ||||||
第124回(2001年) | ||||||
第126回(2002年) | ||||||
第128回(2003年) | ||||||
第130回(2004年) | ||||||
第132回(2005年) | ||||||
第134回(2006年) | ||||||
第136回(2007年) | ||||||
第138回(2008年) | ||||||
第140回(2009年) | ||||||
第142回(2010年) | ||||||
第144回(2011年) | ||||||
第146回(2012年) |
歴史
- 1937年 - 東京競馬場の芝2600メートルの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の定量の重賞競走「帝室御賞典(秋)」として創設。
- 1938年 - 施行距離を芝3200メートルに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。
- 1944年 - 太平洋戦争の影響で施行中止。
- 1945年 - 太平洋戦争の影響で施行中止。
- 1946年 - 施行せず。
- 1947年 - 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(秋)」に変更。
- 1950年
- 1951年 - 保田隆芳が騎手として史上初の3連覇。
- 1953年 - 日本テレビによってテレビ中継され、民放としては日本初の競馬のテレビ中継となった。
- 1954年 - オパールオーキツトが外国産馬として史上初の制覇。
- 1957年 - 保田隆芳が騎手として2度目の連覇。
- 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
- 1967年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200メートルで施行。
- 1971年 - 活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
- 1973年 - 1番人気ハクホオショウがスタート直後に競走中止。
- 1978年 - テンメイが優勝し、母:トウメイ(1971年優勝馬)に次ぐ初の母子制覇。
- 1981年 - 勝ち抜け制度(春の天皇賞の歴史の項を参照)を廃止。
- 1984年
- グレード制施行によりGIに格付け。
- 施行距離を芝2000メートルに変更。
- 1987年
- 出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更。
- 天皇賞競走施行50周年記念の副称が当年のみ付く。
- 1988年 - タマモクロスが当年春制覇と合わせて史上初の天皇賞春秋連覇・天皇賞2勝目。
- 1989年 - 天皇賞の開催回数が100回を迎える(春と秋の合算)。
- 1991年 - 1位入線のメジロマックイーンが進路妨害により18着に降着。
- 1995年 - 指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬にも門戸が開かれる。
- 1998年 - 圧倒的1番人気のサイレンススズカが第4コーナー手前で故障、競走中止。
- 1999年 - スペシャルウィークが当年春制覇と合わせて3頭目の天皇賞連覇(同一年では2頭目)・5頭目の天皇賞2勝目。
- 2000年
- 外国産馬の出走枠を2頭(条件付4頭)設ける。
- 秋の古馬GI報奨金制度の第1戦に指定。
- テイエムオペラオーが当年春制覇と合わせて4頭目の天皇賞連覇(同一年では3頭目)・6頭目の天皇賞2勝目。
- 2001年
- 2002年 - 東京競馬場の馬場改修工事により中山競馬場の芝2000メートルで施行。
- 2003年
- シンボリクリスエスが史上初の秋連覇。7頭目の天皇賞2勝目を挙げ、中山、東京の両方の開催地で制覇。
- オリビエ・ペリエが外国人騎手として史上初の秋の天皇賞を制覇。
- 2004年
- 2005年
- エンペラーズカップ100年記念の副称が当年のみ付く。
- 国際競走に指定され、外国調教馬は5頭まで出走可能となる。
- 外国産馬の出走枠制限を撤廃。
- 今上天皇・皇后美智子が臨席、106年ぶりの天覧競馬。
- この年に限り全11競走制で行われ、当競走は第10競走として施行された。
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 当年のみ、JRAプレミアムレースの対象競走となる。
- カンパニーが8歳馬として史上初となる中央競馬の平地GI競走を制覇。
- 2010年 - 15位入線のジャガーメイルが進路妨害により18着に降着。
- 2011年 - トーセンジョーダンが1:56.1の芝2000メートル日本レコードで優勝。
- 2012年
- 近代競馬150周年記念の副称を付けて施行。
- JRA2連福対象競走に指定。
- 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走を認める。
歴代優勝馬
国際競走となった2005年以降は優勝馬の国旗を表記する。
回数 | 施行日 | 調教国・優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1937年12月 3日 | ハツピーマイト | 牡3 | 2:48 1/5 | 新井朋次郎 | 秋山辰治 | 竹中久蔵 |
第3回 | 1938年11月 3日 | ヒサトモ | 牝4 | 3:35 2/5 | 中島時一 | 宮崎信太郎 | |
第5回 | 1939年11月 | 3日テツモン | 牡4 | 3:24 4/5 | 保田隆芳 | 尾形景造 | 松山隆郎 |
第7回 | 1940年11月17日 | ロツキーモアー | 牡4 | 3:27 1/5 | 小西喜蔵 | 田中和一郎 | 真藤慎太郎 |
第9回 | 1941年11月 2日 | エステイツ | 牡4 | 3:24 3/5 | 田中康三 | 尾形景造 | 川内安忠 |
第11回 | 1942年11月 1日 | ニパトア | 牝4 | 3:34 4/5 | 新屋幸吉 | 清水茂次 | 山本文吾 |
第13回 | 1943年11月 7日 | クリヒカリ | 牡4 | 3:26 3/5 | 小西喜蔵 | 田中和一郎 | 栗林友二 |
第16回 | 1947年10月17日 | トヨウメ | 牡4 | 3:44 2/5 | 小林善衛 | 鈴木信太郎 | 中村正行 |
第18回 | 1948年11月23日 | カツフジ | 牡5 | 3:30 0/5 | 近藤武夫 | 伊藤勝吉 | 伊藤由五郎 |
第20回 | 1949年11月 | 3日ニユーフオード | 牡4 | 3:25 1/5 | 保田隆芳 | 小川佐助 | 吉木三郎 |
第22回 | 1950年11月 | 3日ヤシマドオター | 牝4 | 3:28 0/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 小林庄平 |
第24回 | 1951年11月11日 | ハタカゼ | 牡4 | 3:24 0/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 癸生川善松 |
第26回 | 1952年11月16日 | トラツクオー | 牡4 | 3:24 4/5 | 小林稔 | 久保田金造 | 岩本政一 |
第28回 | 1953年11月15日 | クインナルビー | 牝4 | 3:23 0/5 | 境勝太郎 | 石門虎吉 | 高橋虎男 |
第30回 | 1954年11月21日 | オパールオーキツト | 牝4 | 3:33 2/5 | 中村広 | 稲葉幸夫 | 三坂成行 |
第32回 | 1955年11月20日 | ダイナナホウシユウ | 牡4 | 3:24 4/5 | 上田三千夫 | 上田武司 | 上田清次郎 |
第34回 | 1956年11月25日 | ミツドフアーム | 牡5 | 3:22 3/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 草柳留三 |
第36回 | 1957年11月23日 | ハクチカラ | 牡4 | 3:29 3/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 西博 |
第38回 | 1958年11月23日 | セルローズ | 牝4 | 3:24 4/5 | 石毛善衛 | 柴田恒治郎 | 戸谷佐治 |
第40回 | 1959年11月23日 | ガーネツト | 牝4 | 3:24.5 | 伊藤竹男 | 稗田敏男 | 畑江五郎 |
第42回 | 1960年11月23日 | オーテモン | 牡5 | 3:27.1 | 野平好男 | 田中和夫 | 永田雅一 |
第44回 | 1961年11月23日 | タカマガハラ | 牡4 | 3.25.8 | 加賀武見 | 小西喜蔵 | 平井太郎 |
第46回 | 1962年11月23日 | クリヒデ | 牝4 | 3:27.4 | 森安弘明 | 大久保房松 | 栗林友二 |
第48回 | 1963年11月23日 | リユウフオーレル | 牡4 | 3:22.7 | 宮本悳 | 橋本正晴 | 三好笑子 |
第50回 | 1964年11月23日 | ヤマトキヨウダイ | 牡4 | 3:21.7 | 梶与四松 | 稲葉幸夫 | 門井みち |
第52回 | 1965年11月23日 | シンザン | 牡4 | 3:22.7 | 栗田勝 | 武田文吾 | 橋元幸吉 |
第54回 | 1966年11月 | 3日コレヒデ | 牡4 | 3:24.2 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 千明康 |
第56回 | 1967年11月23日 | カブトシロー | 牡5 | 3:25.5 | 久保田秀次郎 | 久保田彦之 | (有)志賀 |
第58回 | 1968年11月23日 | ニットエイト | 牡4 | 3:20.3 | 森安弘明 | 矢倉玉男 | 太田和芳郎 |
第60回 | 1969年11月30日 | メジロタイヨウ | 牡5 | 3:33.0 | 横山富雄 | 八木沢勝美 | 北野豊吉 |
第62回 | 1970年11月29日 | メジロアサマ | 牡4 | 3:24.8 | 池上昌弘 | 保田隆芳 | 北野豊吉 |
第64回 | 1971年11月28日 | トウメイ | 牝5 | 3:23.7 | 清水英次 | 坂田正行 | 近藤克夫 |
第66回 | 1972年11月26日 | ヤマニンウエーブ | 牡5 | 3:23.7 | 福永洋一 | 中村覚之助 | 土井宏二 |
第68回 | 1973年11月25日 | タニノチカラ | 牡4 | 3:22.7 | 田島日出雄 | 島崎宏 | 谷水雄三 |
第70回 | 1974年11月24日 | カミノテシオ | 牡4 | 3:22.4 | 加賀武見 | 高橋英夫 | 保手浜正康 |
第72回 | 1975年11月23日 | フジノパーシア | 牡4 | 3:28.8 | 大崎昭一 | 柴田寛 | 真田繁次、高橋金次 |
第74回 | 1976年11月28日 | アイフル | 牡5 | 3:20.6 | 嶋田功 | 仲住芳雄 | 藤本義昭 |
第76回 | 1977年11月27日 | ホクトボーイ | 牡4 | 3:22.5 | 久保敏文 | 久保道雄 | 森滋 |
第78回 | 1978年11月26日 | テンメイ | 牡4 | 3:21.4 | 清水英次 | 坂田正行 | 近藤克夫 |
第80回 | 1979年11月25日 | スリージャイアンツ | 牡4 | 3:33.5 | 郷原洋行 | 境勝太郎 | 松岡正雄 他2名 |
第82回 | 1980年11月23日 | プリテイキャスト | 牝5 | 3:28.1 | 柴田政人 | 石栗龍雄 | 高田久成 |
第84回 | 1981年10月25日 | ホウヨウボーイ | 牡6 | 3:18.9 | 加藤和宏 | 二本柳俊夫 | 古川嘉治 |
第86回 | 1982年10月31日 | メジロティターン | 牡4 | 3:17.9 | 伊藤正徳 | 尾形盛次 | メジロ商事(株) |
第88回 | 1983年10月30日 | キョウエイプロミス | 牡6 | 3:22.7 | 柴田政人 | 高松邦男 | 松岡正雄 |
第90回 | 1984年10月28日 | ミスターシービー | 牡4 | 1:59.3 | 吉永正人 | 松山康久 | (株)丸沼温泉ホテル |
第92回 | 1985年10月27日 | ギャロップダイナ | 牡5 | 1:58.7 | 根本康広 | 矢野進 | (有)社台レースホース |
第94回 | 1986年10月26日 | サクラユタカオー | 牡4 | 1:58.3 | 小島太 | 境勝太郎 | (株)さくらコマース |
第96回 | 1987年11月 | 1日ニッポーテイオー | 牡4 | 1:59.7 | 郷原洋行 | 久保田金造 | 山石祐一 |
第98回 | 1988年10月30日 | タマモクロス | 牡4 | 1:58.8 | 南井克巳 | 小原伊佐美 | タマモ(株) |
第100回 | 1989年10月29日 | スーパークリーク | 牡4 | 1:59.1 | 武豊 | 伊藤修司 | 木倉誠 |
第102回 | 1990年10月28日 | ヤエノムテキ | 牡5 | 1:58.2 | 岡部幸雄 | 荻野光男 | (有)富士 |
第104回 | 1991年10月27日 | プレクラスニー[aki 1] | 牡4 | 2:03.9 | 江田照男 | 矢野照正 | 田島栄二郎 |
第106回 | 1992年11月 | 1日レッツゴーターキン | 牡5 | 1:58.6 | 大崎昭一 | 橋口弘次郎 | (株)日本ダイナースクラブ |
第108回 | 1993年10月31日 | ヤマニンゼファー | 牡5 | 1:58.9 | 柴田善臣 | 栗田博憲 | 土井肇 |
第110回 | 1994年10月30日 | ネーハイシーザー | 牡4 | 1:58.6 | 塩村克己 | 布施正 | (株)大丸企業 |
第112回 | 1995年10月29日 | サクラチトセオー | 牡5 | 1:58.8 | 小島太 | 境勝太郎 | (株)さくらコマース |
第114回 | 1996年10月27日 | バブルガムフェロー | 牡3 | 1:58.7 | 蛯名正義 | 藤沢和雄 | (有)社台レースホース |
第116回 | 1997年10月26日 | エアグルーヴ | 牝4 | 1:59.0 | 武豊 | 伊藤雄二 | (株)ラッキーフィールド |
第118回 | 1998年11月 | 1日オフサイドトラップ | 牡7 | 1:59.3 | 柴田善臣 | 加藤修甫 | 渡邊隆 |
第120回 | 1999年10月31日 | スペシャルウィーク | 牡4 | 1:58.0 | 武豊 | 白井寿昭 | 臼田浩義 |
第122回 | 2000年10月29日 | テイエムオペラオー | 牡4 | 1:59.9 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 |
第124回 | 2001年10月28日 | アグネスデジタル | 牡4 | 2:02.0 | 四位洋文 | 白井寿昭 | 渡辺孝男 |
第126回 | 2002年10月27日 | シンボリクリスエス | 牡3 | 1:58.5 | 岡部幸雄 | 藤沢和雄 | シンボリ牧場 |
第128回 | 2003年11月 | 2日シンボリクリスエス | 牡4 | 1:58.0 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | シンボリ牧場 |
第130回 | 2004年10月31日 | ゼンノロブロイ | 牡4 | 1:58.9 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | 大迫忍 |
第132回 | 2005年10月30日 | ヘヴンリーロマンス | 牝5 | 2:00.1 | 松永幹夫 | 山本正司 | (有)ノースヒルズマネジメント |
第134回 | 2006年10月29日 | ダイワメジャー | 牡5 | 1:58.8 | 安藤勝己 | 上原博之 | 大城敬三 |
第136回 | 2007年10月28日 | メイショウサムソン | 牡4 | 1:58.4 | 武豊 | 高橋成忠 | 松本好雄 |
第138回 | 2008年11月 | 2日ウオッカ | 牝4 | 1:57.2 | 武豊 | 角居勝彦 | 谷水雄三 |
第140回 | 2009年11月 | 1日カンパニー | 牡8 | 1:57.2 | 横山典弘 | 音無秀孝 | 近藤英子 |
第142回 | 2010年10月31日 | ブエナビスタ | 牝4 | 1:58.2 | C.スミヨン | 松田博資 | (有)サンデーレーシング |
第144回 | 2011年10月30日 | トーセンジョーダン | 牡5 | 1:56.1 | N.ピンナ | 池江泰寿 | 島川隆哉 |
- ^ メジロマックイーンが1位で入線したがスタート直後に斜行、最下位(18位)入線のプレジデントシチーの進路を妨害したとして審議の結果、最下位(18着)に降着処分、2位に入線したプレクラスニーが繰り上がりで1着優勝となった(参考:メジロマックイーンの走破時計 2:02.9)。
記録
本項において「連覇」とは、「春→秋」または「秋→春」と連勝する事を指す。
- 天皇賞(春)
- 勝馬投票券最高売上げ - 453億1664万8800円(第115回優勝馬マヤノトップガン)
- レースレコード - 3:13.4(第133回優勝馬ディープインパクト)
- 2着との最大着差 - 大差(17馬身・第57回優勝馬ヒカルタカイ)
- 単勝最高支持率 - 75.3%(第133回ディープインパクト・単勝1.1倍)
- 天皇賞(秋)芝2000メートル変更後
- レースレコード - 1:56.1(第144回優勝馬トーセンジョーダン、芝2000メートルの日本レコードでもある)
- 2着との最大着差 - 5馬身(第96回優勝馬ニッポーテイオー)
- 2着との最小着差 - 2センチメートル (第138回優勝馬ウオッカ - 2着ダイワスカーレット)
- 最高齢勝利 - 8歳(第140回優勝馬カンパニー)
- 春秋通算
- 最多勝騎手 - 11勝 武豊(春6勝:第99~105回 4連覇、第119、133回 秋5勝:第100、116、120、136、138回)
- 最多勝調教師 - 11勝 尾形藤吉(春4勝:第29、41、47、53回 秋7勝:第5、9、22、24、34、36、54回)
- 4場で勝利騎手 - 岡部幸雄(京都:第77回、東京:第102回、阪神:第109回、中山:第126回)
天皇賞の(春・秋)連覇
競走馬
勝ち抜け制度が廃止された1981年以降に5頭が春・秋両競走の制覇をしている。またテイエムオペラオーは春・秋・春と天皇賞3連覇を成し遂げた。
馬名 | 性齢 | 優勝回 | |
---|---|---|---|
1 | タマモクロス | 牡4 | 春・第97回 秋・第98回 |
2 | スーパークリーク | 牡4 牡5 |
秋・第100回 春・第101回 |
3 | スペシャルウィーク | 牡4 | 春・第119回 秋・第120回 |
4 | テイエムオペラオー | 牡4 | 春・第121回 秋・第122回 |
牡5 | 春・第123回 | ||
5 | メイショウサムソン | 牡4 | 春・第135回 秋・第136回 |
騎手
創設年から6人、7例の天皇賞(春・秋)連覇があり、武豊・和田竜二は春・秋・春の3連覇を成し遂げている。
名前 | 騎乗馬 | 優勝回 | |
---|---|---|---|
1 | 保田隆芳 | ハクズイコウ コレヒデ |
春・第53回 秋・第54回 |
2 | 郷原洋行 | カシュウチカラ スリージャイアンツ |
春・第79回 秋・第80回 |
3 | 吉永正人 | モンテファスト ミスターシービー |
春・第89回 秋・第90回 |
4 | 南井克巳 | タマモクロス | 春・第97回 秋・第98回 |
5 | 武豊 | イナリワン | 春・第99回 |
スーパークリーク | 秋・第100回 春・第101回 | ||
6 | 武豊 | スペシャルウィーク | 春・第119回 秋・第120回 |
7 | 和田竜二 | テイエムオペラオー | 春・第121回 秋・第122回 春・第123回 |
調教師
創設年から8人、9例の天皇賞(春・秋)連覇があり、岩元市三は春・秋・春の3連覇を成し遂げている。
名前 | 管理優勝馬 | 優勝回 | |
---|---|---|---|
1 | 田中和一郎 | トキノチカラ ロツキーモアー |
春・第6回 秋・第7回 |
2 | グランドライト クリヒカリ |
春・第12回 秋・第13回 | |
3 | 尾形藤吉 | ハクズイコウ コレヒデ |
春・第53回 秋・第54回 |
4 | 小原伊佐美 | タマモクロス | 春・第97回 秋・第98回 |
5 | 伊藤修司 | スーパークリーク | 秋・第100回 春・第101回 |
6 | 境勝太郎 | サクラチトセオー サクラローレル |
秋・第112回 春・第113回 |
7 | 白井寿昭 | スペシャルウィーク | 春・第119回 秋・第120回 |
8 | 岩元市三 | テイエムオペラオー | 春・第121回 秋・第122回 春・第123回 |
9 | 高橋成忠 | メイショウサムソン | 春・第135回 秋・第136回 |
連覇ではないが複数回優勝した競走馬
馬名 | 性齢 | 優勝回 | |
---|---|---|---|
1 | メジロマックイーン | 牡4 | 春・第103回 |
牡5 | 春・第105回 | ||
2 | ライスシャワー | 牡4 | 春・第107回 |
牡6 | 春・第111回 | ||
3 | シンボリクリスエス | 牡3 | 秋・第126回 |
牡4 | 秋・第128回 |
父仔制覇
過去に7組の父仔制覇の例があり、メジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーンは親仔三代天皇賞制覇をしている。6組目のスペシャルウィーク ・ブエナビスタのみ父と娘で、それ以外は父と息子の組み合わせである。
組 | 父馬名 | 優勝回 | 仔馬名 | 優勝回 |
---|---|---|---|---|
1組目 | シーマー | 春・第17回 | タカオー | 春・第31回 |
2組目 | シーマー | 春・第17回 | ダイナナホウシユウ | 秋・第32回 |
3組目 | メジロアサマ | 秋・第62回 | メジロティターン | 秋・第86回 |
4組目 | シンザン | 秋・第52回 | ミホシンザン | 春・第95回 |
5組目 | メジロティターン | 秋・第86回 | メジロマックイーン | 春・第103回 春・第105回 |
6組目 | スペシャルウィーク | 春・第119回 秋・第120回 |
ブエナビスタ | 秋・第142回 |
7組目 | マンハッタンカフェ | 春・第125回 | ヒルノダムール | 春・第143回 |
母仔制覇
過去にトウメイ・テンメイのみが母仔天皇賞制覇を達成している。
組 | 母馬名 | 優勝回 | 仔馬名 | 優勝回 |
---|---|---|---|---|
1組目 | トウメイ | 秋・第64回 | テンメイ | 秋・第78回 |
兄弟制覇
過去に4組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。
組 | 兄馬名 | 優勝回 | 弟馬名 | 優勝回 | 母馬名 |
---|---|---|---|---|---|
1組目 | クリペロ | 春・第41回 | クリヒデ | 秋・第46回 | ケンタツキー |
2組目 | コレヒサ | 春・第47回 | コレヒデ | 秋・第54回 | コリオプシス |
3組目 | フジノパーシア | 秋・第72回 | スリージャイアンツ | 秋・第80回 | チエクイン |
4組目 | モンテプリンス | 春・第85回 | モンテファスト | 春・第89回 | モンテオーカン |
脚注
関連項目
天皇賞(春)
天皇賞(秋)
外部リンク
- 以上はJRA公式サイト「今週の注目レース」から