矢野幸夫

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矢野 幸夫(やの ゆきお、1917年12月22日 - )は中央競馬美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師で、調教師引退後は馬の整体師となった。

北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。矢野進調教師は養子縁組した弟子である。

目次

[編集] 来歴

1952年、調教師免許を取得し、その後中山競馬場厩舎を開業する。

1978年、美浦トレーニングセンター開設に伴い美浦へ移転する。

1994年、2月で調教師を定年引退する。2月27日には中山競馬場で引退式が行われ、代表してファンに挨拶を行った。調教師通算8002戦946勝。調教師引退後は馬の整体師となり、各地で公演活動などを行った。

[編集] 主な管理馬

[編集] 主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

  • 小野定夫(1955年-1961年 騎手)
  • 新関力(1956年-1958年 騎手)
  • 矢野進(1957年-1971年 騎手、1971年-1973年 調教助手)
  • 油木宣夫(1962年-1985年 騎手)

[編集] エピソード

整体術に興味を持ち、カイロプラクティックの技術を身に付け、これを管理する馬に施していた。不調の馬の骨のズレを調べて木槌で叩いて矯正し、これで立て直したという話は多い。

また、管理馬以外でも1971年に種牡馬として凱旋門賞優勝馬のセントクレスピンが輸入された際、この馬は原因不明のインポテンツになり、治療も効果が上がらず、関係者一同を悩ませる事態が起きたが、これを救った事でも知られる。たまたまセントクレスピンを見物に行った矢野が、馬に触れているうちに背骨に僅かなズレを見つけ、やはり木槌を持ってきてこれを矯正すると、セントクレスピンのインポテンツが治り、交配が可能になったという。

一方、進駐軍の軍人として日本に来ていたアメリカ人の騎手ロバート・アイアノッティを、厩舎所属の騎手として採用し、戦後初の外国人騎手として2年間騎乗させた。アイアノッティ騎手は、短期間の騎乗であり、騎乗回数もそれほど多くはなかったものの、その騎乗技術は、当時の騎手に影響を与えたという。

[編集] 関連項目

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