イナリワン
| イナリワン | |
|---|---|
イナリワンと柴田政人(1990年4月29日)
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| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1984年5月7日(28歳) |
| 死没 | - |
| 父 | ミルジョージ |
| 母 | テイトヤシマ |
| 母の父 | ラークスパー |
| 生国 | |
| 生産 | 山本実儀 |
| 馬主 | 保手浜弘規 |
| 調教師 | 福永二三雄(大井) →鈴木清(美浦北) |
| 厩務員 | 五関保利(美浦) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 25戦12勝 (地方競馬14戦9勝) (中央競馬11戦3勝) |
| 獲得賞金 | 5億932万6000円 |
公営・大井競馬所属時に東京王冠賞と東京大賞典に優勝、1989年に中央競馬へ移籍した後にGI競走で3勝を挙げ、同年のJRA賞年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬に選出された。1980年代後半に勃興した第二次競馬ブーム期において、オグリキャップ、スーパークリークと共に「平成三強」と称された。
※馬齢は、2000年以前に適用されていた旧表記(数え年)で記述する。
目次 |
[編集] 経歴
1984年、北海道門別町の山本牧場に生まれる。幼駒の頃から小柄な馬であったが、非常に身体のバネが強い馬であった[1]。2歳時に大井競馬場所属調教師・福永二三雄[注 1]に見初められ、福永の勧めで保手浜忠弘が購買(名義は保手浜弘規)、その所有馬とされた。その後、千葉県の和光育成牧場で調教が積まれたのち、競走年齢の3歳に達した1986年6月、福永の元に入厩した。
[編集] 戦績
[編集] 大井競馬時代
12月9日、大井競馬場の3歳新馬戦でデビュー。宮浦正行を背に、2着に4馬身差を付けて初戦勝利を挙げる。続いて翌年の正月競馬に登録を行ったが、競走当日、ゲートに頭を強打し、前頭骨打撲で出走を取り消す。大事を取ってそのまま休養に入り、春の目標とした羽田盃、東京ダービーの断念を余儀なくされた。5月に復帰、緒戦の条件戦を2馬身差で勝利すると、以後連勝を重ねる。秋には南関東三冠の最終戦・東京王冠賞に出走、チャンピオンスターに1馬身差を付けて優勝し、重賞初制覇を果たした。年末には船橋競馬場の新設重賞・東京湾カップに勝利。8連勝でシーズンを終えた。
翌1987年、緒戦の金盃は苦手の重馬場となり[注 2]、3着と初の敗戦を喫する。続く帝王賞も当日の降雨で重馬場となり、7着と大敗。その後態勢を立て直すために休養、8月に関東盃で復帰するも、三度の重馬場で5着に終わった。これを受けて再び休養。復帰後の東京記念は3着、笠松に遠征して臨んだ全日本サラブレッドカップでは、当時東海地方の最強馬であったフェートノーザンの2着と、復調を見せた。
保手浜はイナリワンを「芝コースに向く馬」と考え、年末のグランプリ競走・東京大賞典勝利の場合、中央競馬へ移籍する計画が立てられた。迎えた東京大賞典は良馬場となり、アラナスモンタを半馬身抑えて勝利を収める。これにより中央競馬への移籍が正式に決定し、翌1月には美浦トレーニングセンターの鈴木清に移った。以後も福永はアドバイザーとしてイナリワンへの関与を継続する[2]。
[編集] 中央競馬時代
中央移籍後は、まず春の天皇賞を目標に関西に入った。しかし環境の変化に適応できず馬体が細化し、注目を集めた初戦・すばるステークスは4着。続く阪神大賞典はスルーオダイナに進路を塞がれる不利もあり、5着に終わった[注 3]。次走に天皇賞を迎えるに当たり、陣営は移籍後二走に見られた掛かり癖[注 4]を是正するため、癖馬の騎乗に評価の高かった武豊を鞍上に迎えた[3]。体調も戻して迎えた天皇賞当日は4番人気の評価であったが、武の手綱で落ち着いたレース運びを見せる。最後の直線では後続馬を突き放し、5馬身差の圧勝。走破タイム3分18秒8というコースレコードで、移籍後初勝利を天皇賞で挙げた。表彰式ではイナリワンの左右で鈴木と福永が共に轡を取り、優勝レイは福永に贈られた[4]。続く宝塚記念では安田記念優勝馬フレッシュボイスをクビ差退け、GI競走2勝という成績で春のシーズンを終えた。
休養を経て、秋は東京競馬場の毎日王冠から始動。同日開催の京都大賞典で、武が主戦騎手を務めていたスーパークリークが故障休養から復帰。武が同馬への騎乗を選択したため、本競走から柴田政人を鞍上に迎えた。当日は稍重の馬場であったが、「怪物」オグリキャップと直線一杯に競り合い、ハナ差の2着。敗れたものの、その競走内容は史上の名勝負と称えられた[5]。
しかし、この競走の反動から再び体調を崩し[6]、次走の天皇賞(秋)は6着、評価を大きく落としたジャパンカップは11着と精彩を欠いた。しかし徐々に体調を戻し、年末に迎えた有馬記念では、レース最後の直線で武騎乗のスーパークリークをゴール寸前で交わし、2度目のコースレコードとなる2分31秒7で優勝。宝塚記念と合わせ、スピードシンボリ以来29年振りの春秋グランプリ連覇を達成した。この年、GI競走3勝の実績が評価され、翌1月には当年の年度代表馬に選出された。
翌1990年も競走生活を続行したが、緒戦の阪神大賞典は62kgの斤量を背負い4着、天皇賞(春)はスーパークリークとの競り合いに敗れ2着、宝塚記念は荒れた馬場に脚を取られ、4着に終わった。休養後、秋の再起を目指して調整が進められるも、脚部不安を生じてレース出走は叶わず、そのまま引退。有馬記念当日の12月23日、中山競馬場で引退式が執り行われた。
[編集] 引退後
引退後は種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場に繋養された。共に「平成三強」と呼ばれたオグリキャップ、スーパークリークと同年の種牡馬入りであったが、サンデーサイレンスをはじめとする輸入種牡馬の前に、両馬ともども大きな成功を収めることはできなかった。しかし、福永厩舎に入った初年度産駒ツキフクオーが、東京王冠賞親子制覇など大井で活躍。ほかイナリコンコルド(大井記念・東京記念など)、シグナスヒーロー(日経賞2着[注 5]など)といった活躍馬も輩出し、「三強」の中では最も目立った成績を残した。
2004年を限りに種牡馬から引退し、以後は門別町のポニーファームで功労馬として過ごす。2007年には大井で「里帰り」イベントが開催され、東京大賞典以来20年振りに大井競馬場を訪れた[注 6]。翌2008年6月22日には、北広島市の乗馬施設ホースフィールドワッツで行われたイベント「第5回ワッツワンダフルワールド!」に参加。2009年3月より繋養先も北広島に移り、現在は同市内のワンダーファームで繋養されている。
[編集] 特徴・エピソード
日常生活から蹴癖があり、対策として馬房の壁に畳が貼られる[7]など、非常に気性が激しい馬だった。こうした気性から、コースで走る際には極めて強い掛かり癖を見せた[注 7]。武豊が調教で初騎乗した際には、武が手綱をがっしりと抑えながら、これを無視して全速力で2周を走り、「レースでも御し切れないのでは」という不安を抱かせている[3]。小柄ながら力も非常に強く、後年武は、数々の騎乗馬の内で「一番気の強い馬」「一番パワーのあった馬」として本馬の名を挙げている[8]。
一方、騎手との呼吸が合った時に見せる能力は素晴らしかったとされ、武は「良くも悪くも、凄まじい推進力を持った馬でしたね。軽くてコンパクトなボディーに、超ハイパワーのエンジンを積んでいた、という感じ」と評し[9]、柴田政人は「体全体を使うフォームで、体の小ささを感じさせなかった」と述べ、自身が騎乗した内の最強馬に挙げている[10]。また、イナリワンの調教を行った調教助手の堤敏夫は、騎乗した時の印象について「キャンターに入るまでの感触はガクンガクンとしてあまり良くないが、加速してからの乗り味はすごくいい」と述べている[11]。
東京大賞典、東京王冠賞を勝利という実績を掲げて中央入りし、 GIを3勝し年度代表馬にまでなった名馬であったが 中央での11戦において単勝オッズ1番人気には一度もならなかった。
なお、武騎乗で天皇賞(春)と宝塚記念を連勝した際、馬主の保手浜はその功に報いるため、武がかねて希望していた渡米を実現させ、現地で自身の所有馬に騎乗させた。これ以降、武は毎年のアメリカ遠征が叶うようになり、「イナリワンは僕に幸運をプレゼントしてくれた馬だった」との謝辞を送っている[12]。
[編集] 全成績
| 年月日 | レース名 | 格 | 頭数 | 人気 | 着順 | 距離(状態) | タイム | (3F) | 着差 | 騎手 | 斤量 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
| 1986 | 12. | 9 | 大井 | 3歳新馬 | 9 | 1 | 1着 | ダ1000m(良) | 1:03.2 | 4身 | 宮浦正行 | 53 | (シャレーセデス) | ||
| 1987 | 1. | 2 | 大井 | 151万下 | 8 | 取消 | ダ1400m(良) | 宮浦正行 | 54.5 | チャンピオンスター | |||||
| 5. | 20 | 大井 | 155万下 | 8 | 1 | 1着 | ダ1500m(良) | 1:37.2 | 2身 | 宮浦正行 | 54 | (エスペラント) | |||
| 6. | 14 | 大井 | 360万下 | 10 | 1 | 1着 | ダ1600m(良) | 1:45.4 | 1身 | 宮浦正行 | 54 | (ミスターシュウ) | |||
| 6. | 28 | 大井 | ライラック特別 | 12 | 1 | 1着 | ダ1600m(良) | 1:44.1 | 1身 | 宮浦正行 | 54 | (リンドマシーン) | |||
| 8. | 21 | 大井 | りんどう特別 | 10 | 4 | 1着 | ダ1600m(良) | 1:43.2 | 2 1/2身 | 宮浦正行 | 55 | (ニュータカラヒ) | |||
| 9. | 23 | 大井 | トゥインクルエイジ | 8 | 1 | 1着 | ダ1700m(良) | 1:50.0 | 1 1/2身 | 宮浦正行 | 54 | (ハナキリュウ) | |||
| 11. | 11 | 大井 | 東京王冠賞 | 10 | 1 | 1着 | ダ2600m(良) | 2:52.7 | 1身 | 宮浦正行 | 57 | (チャンピオンスター) | |||
| 12. | 28 | 船橋 | 東京湾C | 10 | 1 | 1着 | ダ2000m(良) | 2:10.4 | アタマ | 宮浦正行 | 57 | (マルケンアキーラ) | |||
| 1988 | 3. | 3 | 大井 | 金盃 | 11 | 2 | 3着 | ダ2000m(重) | 2:06.8 | 1.0秒 | 宮浦正行 | 54.5 | チャンピオンスター | ||
| 4. | 13 | 大井 | 帝王賞 | 14 | 2 | 7着 | ダ2000m(重) | 2:08.2 | 1.2秒 | 宮浦正行 | 56 | チャンピオンスター | |||
| 8. | 10 | 大井 | 関東盃 | 10 | 4 | 5着 | ダ1600m(重) | 1:40.9 | 1.5秒 | 宮浦正行 | 54 | イーグルシャトー | |||
| 11. | 2 | 大井 | 東京記念 | 10 | 3 | 3着 | ダ2400m(良) | 2:36.2 | 0.3秒 | 宮浦正行 | 54 | ダッシュホウショウ | |||
| 11. | 23 | 笠松 | 全日本サラブレッドC | 10 | 3 | 2着 | ダ2500m(良) | 2:50.1 | 0.3秒 | 宮浦正行 | 56 | フェートノーザン | |||
| 12. | 29 | 大井 | 東京大賞典 | 12 | 3 | 1着 | ダ3000m(良) | 3:17.3 | 1/2身 | 宮浦正行 | 56 | (アラナスモンタ) | |||
| 1989 | 2. | 11 | 京都 | すばるステークス | 9 | 2 | 4着 | 芝2000m(重) | 2:02.8 | (35.9) | 0.1秒 | 小島太 | 58 | チュニカオー | |
| 3. | 12 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 11 | 2 | 5着 | 芝3000m(良) | 3:07.7 | (35.8) | 0.3秒 | 小島太 | 57 | ナムラモノノフ | |
| 4. | 29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 18 | 4 | 1着 | 芝3200m(良) | R3:18.8 | (36.0) | 5身 | 武豊 | 58 | (ミスターシクレノン) | |
| 6. | 11 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 16 | 2 | 1着 | 芝2200m(良) | 2:14.0 | (37.1) | クビ | 武豊 | 56 | (フレッシュボイス) | |
| 10. | 8 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 8 | 3 | 2着 | 芝1800m(稍) | 1:46.7 | (34.7) | 0.0秒 | 柴田政人 | 59 | オグリキャップ | |
| 10. | 29 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 14 | 4 | 6着 | 芝2000m(良) | 1:59.8 | (34.9) | 0.7秒 | 柴田政人 | 58 | スーパークリーク | |
| 11. | 26 | 東京 | ジャパンC | GI | 15 | 8 | 11着 | 芝2400m(良) | 2:23.8 | (37.0) | 1.6秒 | 柴田政人 | 57 | ホーリックス | |
| 12. | 24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 4 | 1着 | 芝2500m(良) | R2:31.7 | (35.8) | ハナ | 柴田政人 | 56 | (スーパークリーク) | |
| 1990 | 3. | 11 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 6 | 2 | 5着 | 芝3000m(良) | 3:11.3 | (37.4) | 3:11.3 | 柴田政人 | 62 | オースミシャダイ |
| 4. | 29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 12 | 3 | 2着 | 芝3200m(良) | 3:22.0 | (35.9) | 0.1秒 | 柴田政人 | 58 | スーパークリーク | |
| 6. | 10 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 10 | 2 | 4着 | 芝2200m(良) | 2:15.1 | (37.3) | 1.1秒 | 柴田政人 | 56 | オサイチジョージ | |
[編集] 主な産駒
- ツキフクオー(東京王冠賞・親子制覇、アフター5スター賞)
- イナリコンコルド(大井記念、東京記念、金盃)
- シグナスヒーロー(2着 - 日経賞、ステイヤーズステークス、アメリカジョッキークラブカップ、エプソムカップ、七夕賞)
[編集] 血統表
| イナリワンの血統 (ミルリーフ系/Nasrullah4.5×4=15.62%) | |||
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父
*ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
| Lalun | |||
| Milan Mill | Princequillo | ||
| Virginia Water | |||
| Miss Charisma 1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | |
| Fantan | |||
| *マタティナ Matatina |
Grey Sovereign | ||
| Zanzara | |||
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母
テイトヤシマ 1970 鹿毛 |
*ラークスパー Larkspur 1959 栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
| Singing Grass | |||
| Skylarking | Precipitation | ||
| Woodlark | |||
| ヤシマジェット 1960 鹿毛 |
*ソロナウェー Solonaway |
Solferino | |
| Anyway | |||
| ヤシマニシキ | *セフト | ||
| 神正 F-No.5-h | |||
父ミルジョージは地方から中央まで幅広く活躍馬を輩出。イナリワンが年度代表馬を受賞した1989年には、全日本リーディングサイアーを獲得している。母テイトヤシマは仔出しが悪く、イナリワンの出産を最後に繁殖から用途変更となった。直近の近親に活躍馬はいないが、四代母・神正の子に二冠馬ボストニアン、子孫にイナリワンと同時期に活躍したバンブーメモリーがいる。
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ 中央競馬調教師・福永甲の弟、中央競馬騎手顕彰者・福永洋一の兄。
- ^ イナリワンは、走法的に水を含んだコースではバランスを崩し、まともに走れなかった。(『日本名馬物語』p.209)
- ^ スルーオダイナは2位に入線したが失格、騎手の岡部幸雄は騎乗停止となった。(『夢はターフを駆けめぐる5』 p.157)
- ^ 馬が騎手の指示に従わず、ペース配分ができないこと。
- ^ 本競走の1着は最低人気のテンジンショウグンで、7番人気のシグナスヒーローとあわせ記録的な大波乱となった。
- ^ 12月28日開催。当初は8月18日に開催の予定だったが、同時期に関東で馬インフルエンザが流行したため、延期となった。
- ^ 武豊は、イナリワンは激しすぎる気性から折り合いを欠くため、スタート直後から道中常になだめながら乗る必要があると述べている(渡瀬 1992、p333-334)
[編集] 出典
[編集] 参考文献
- 渡瀬夏彦『銀の夢 - オグリキャップに賭けた人々』(講談社、1992年)ISBN 4062052822
- 光栄出版部・編『夢はターフを駆けめぐる5 - 地方出身馬の根性!』(光栄、1994年)ISBN 4877191550
- 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)ISBN 4087831094
- 島田明宏『武豊インタビュー集スペシャル - 名馬編』(廣済堂出版、2007年)ISBN 4331654117
- サラブレ編集部・編『日本名馬物語 - 甦る80年代の熱き伝説』(講談社、2007年)ISBN 4062810964
- 『Sports Graphic Number PLUS - 競馬黄金の蹄跡』(文藝春秋、1999年)ISBN 4160081088
[編集] 外部リンク
- 地方競馬まるごと-地方競馬場所属の名馬たち- イナリワン号
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