四位洋文

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四位洋文(しい ひろふみ、1972年11月30日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手栗東所属でフリー。血液型はB型、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身。おじに、元騎手の四位満教(しい みちのり)がいる。

目次

[編集] 来歴

馬上で最敬礼する四位洋文(2007年5月27日 東京競馬場)
馬上で最敬礼する四位洋文
(2007年5月27日 東京競馬場)

1991年古川平厩舎からデビュー。同期には藤田伸二らがいる。初騎乗は1991年3月2日中京競馬第2競走のキリシマミズキで、16頭立ての13着だった。初勝利は同年5月19日京都競馬第8競走で、サンラブホーラーに騎乗してのものであった。同期の藤田が1年目から重賞を勝利するなどの華々しい活躍をしていたのとは対照的に、デビューから3年間はあまり目立った成績は挙がらなかった。

4年目の1994年にゴールデンジャックで桜花賞トライアル4歳牝馬特別を制して重賞初勝利。本番の桜花賞では13着に敗れたものの、続く4歳牝馬特別に勝利し、優駿牝馬(オークス)では2着に入るなどの活躍を見せた。この頃から成績も伸びてきて、関西リーディングの上位に名を連ねるようになる。

1996年にはイシノサンデー皐月賞を制し、GI初勝利。同年に古馬牝馬に開放されたエリザベス女王杯ではダンスパートナーに騎乗してこれを制した。

2001年には騎手を引退した的場均の後を受けアグネスデジタルに騎乗、マイルチャンピオンシップ南部杯天皇賞(秋)香港カップを制した。特に天皇賞(秋)はテイエムオペラオーを破る快挙だった。この年は、98勝を挙げ関西リーディングに輝いている。また、アグネスデジタルでは2002年フェブラリーステークスを、2003年には安田記念を勝利した。

2006年2月18日東京競馬第10競走の勝利で、JRA通算1000勝を達成した。

2007年5月27日、第74回東京優駿(日本ダービー)ウオッカで勝利し、日本ダービー初制覇。これは、クリフジ以来64年ぶりとなる牝馬による日本ダービー勝利という快挙であった。また、同年10月21日、第68回菊花賞アサクサキングスで勝利し、三冠競走の全てに勝利した(史上17人目)。また、異なる馬による同一年の日本ダービーと菊花賞制覇は、史上初のことであった。

2008年5月11日の第13回NHKマイルカップおよび同年6月1日の第75回東京優駿をディープスカイで制覇した。特に東京優駿は、前年のウオッカに続く2年連続制覇(史上2人目)であり、牡馬、牝馬の双方での制覇は、史上初のことであった。

[編集] 成績

[編集] GI及びJpnI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)

斜字は交流GI太字は海外GIを指す)

以上JRA・GI12勝(うちJpnI4勝)(海外GI1勝、交流GI1勝)

[編集] 年度別成績

勝利数・連対率 備考
1991年 10勝 (.150)
1992年 24勝 (.192)
1993年 27勝 (.147)
1994年 56勝 (.195)
1995年 64勝 (.247)
1996年 71勝 (.242)
1997年 64勝 (.242)
1998年 85勝 (.288)
1999年 85勝 (.246)
2000年 101勝 (.249)
2001年 98勝 (.277) 関西リーディング1位
2002年 85勝 (.231)
2003年 73勝 (.193)
2004年 74勝 (.239)
2005年 78勝 (.210)
2006年 64勝 (.213)
2007年 62勝 (.183)

以上JRA1121勝、重賞52勝(2007年終了時点)

[編集] 表彰歴

  • JRA優秀騎手賞 - 2000年、2001年
  • JRAフェアプレー賞(関西) - 1999年-2004年、2007年

[編集] エピソード

  • 妻は、元エンドレスギャルズ(9期)の鈴木美帆子。
  • 幼い頃からポニーの競馬に騎乗していた。
  • 競馬学校入学以前、すでに乗馬では全国区の活躍をしていた。
  • その苗字をもじった応援幕がパドックに掛けられる。
  • 競馬雑誌『サラブレ』にて「ジョッキーズ・トーク」なる自らのコーナーをもち、対談とエッセイを執筆している。
  • 若手に対して面倒見がよく慕われており、1000勝達成時のセレモニーでは松岡正海藤岡佑介の両騎手が看板持ちを務めた。
  • 横山典弘と仲が良くサラブレや週刊Gallopで対談を行っている。
  • 2001年の香港カップをアグネスデジタルで制した時の馬上インタビューで、「ラストコーナー、(中略)グッドフィーリング…」と発言。英語が話せないにもかかわらず頑張って単語を並べて話したが、翌日のニュースでは「ジョッキーも英語の勉強をしないといけませんね」と皮肉られた。
  • 2006年宝塚記念では枠番4・馬番4・4番人気のダイワメジャーに騎乗して着順までもが4着という彼の名字の一部分(位)も含め全て4づくしという結果となった。
  • 1999年の函館開催にて、四位の出馬投票を忘れた菊池憲太に対し、教育的指導と称して一方的な暴行を加えていたことが発覚。後日JRAから処分を受けている。
  • 1月から2月の京都競馬と相性が良いのか、平安ステークス1999年から、日経新春杯2002年からそれぞれ3連覇している。この他にも京都記念を3勝、京都金杯を2勝などを挙げている。
  • 2008年1月から週刊プレイボーイで連載(ウオッカはストレートで)を始めた。
  • 2008年のNHKマイルカップ制覇後、検量室前で両手を上げガッツポーズした際、鞍上から振り落とされ右手関節を捻挫。最終第12競走が後藤浩輝に乗り替わりとなった。
  • 2008年の東京優駿(日本ダービー)表彰式後の勝利騎手インタビュー中に、泥酔して「四位、死ね!」と叫ぶ客に対し「うるせぇよおい!」と怒りを示した。JRAは「マナーの悪いファンを制する意味合いがあった」と説明したが、JRAサイト内の動画では、このシーンはカットされている。またファンの間でもこの発言に対して批判的な声が大きい[要出典]
  • 2008年8月30日札幌第1競走で斜行し、騎乗停止4日の処分を受けた。なお、この斜行によって落馬した小林徹弥は右鎖骨遠位端粉砕開放骨折と診断された。

[編集] テレビ出演

[編集] 連載