後藤浩輝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
後藤浩輝
Hiroki-Goto20111009.jpg
2011年京都大賞典表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県相模原市
(現:神奈川県相模原市中央区
出生は神奈川県横浜市
生年月日 1974年3月19日
死没 2015年2月27日(満40歳没)
身長 157cm
体重 50kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー
初免許年 1992年
免許区分 平地
騎手引退日 2015年2月26日(死亡)
経歴
所属 美浦・伊藤正徳(1992.3 - 1995.5)
美浦・フリー(1995.5 - 2015.2.26)
テンプレートを表示

後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 - 2015年2月27日[1])は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属していた元騎手。またテレビでの芸能活動のためオスカープロモーションにも所属していた。逝去時の妻はタレント湯原麻利絵[2]

経歴[編集]

デビューからクラシックレース制覇まで[編集]

1992年に美浦の伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー。初騎乗は1992年3月1日中山競馬第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった。初勝利は同年4月4日の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった。

1994年福島記念にて騎乗したシルクグレイッシュ重賞初勝利。同馬は先輩である小野次郎が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの負担重量で騎乗できる一流騎手が空いていなかったためである。大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。

1995年にフリーの騎手となる。翌1996年にはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市カルダー競馬場を拠点に半年間の武者修行に出て、158戦7勝の成績を残す。アメリカから帰国した1997年以降は成績を伸ばし、1998年には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)。

1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ[3]、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる前代未聞の不祥事を起こした。JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり[3]、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった[4]12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間(実効6日間)の騎乗停止処分を受ける。

2000年には、年末の最後まで岡部幸雄横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。関東リーディングは2位、また初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たす。ちなみにダイヤモンドステークスユーセイトップランに騎乗して東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である。ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。

2002年6月2日安田記念アドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬GI初勝利。このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。2006年11月25日ジャパンカップダートアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。

2007年9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった。

2010年6月6日安田記念ショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。

2011年5月22日エリンコート優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた。

首の怪我との闘い[編集]

2012年5月6日、シゲルスダチに騎乗したNHKマイルカップにて、最後の直線コースでマウントシャスタが内側へ急激に斜行した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院にて「頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷」と診断された[5]。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが[6]、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた[7]ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する[8]。その後しばらく復帰の目処が立たず、『ウイニング競馬』(テレビ東京)や『みんなのKEIBA』(フジテレビ)のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。

2013年10月5日に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、10月14日に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯でエスポワールシチーに騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした。

しかし2014年4月27日の東京競馬第10競走にて、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い休養を余儀なくされる。一時は引退を考えたが、競馬メディアでの仕事と並行しリハビリを続け11月22日に復帰[9]。2014年11月24日の東京5レースで復帰後初勝利を挙げた際にはスタンドの観客から拍手が沸き起こった[10]2015年2月21日にはダイヤモンドステークスで落馬したものの大事には至らず、翌2月22日には京都競馬場に移動して2勝を挙げていた。 [11]

突然の死[編集]

京都でのレース後は23日に栃木県のリハビリ病院に向かい体のメンテナンスに努め[12]、木曜日には土日合わせて15鞍の競馬騎乗が発表され、夜には自身のFacebookを更新していた[13]。しかし、2015年2月27日午前8時頃、茨城県稲敷郡阿見町にある自宅の脱衣所で首を吊っている状態で死亡しているのが、妻の麻利絵により発見された。満40歳没。牛久署の調べでは、事件性はなく、首吊り自殺と見られている[14][15]

人物[編集]

  • 騎乗時の帽子の紐は白を使用。
  • 少年時代に空手体操を習っていて、それらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。
  • 騎手の場合、親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全くコネクションはなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。
  • 渡辺美奈代の大ファンで、中学時代は親衛隊に入っていた。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っているとのこと。
  • レース終了後のイベントに力を入れていた。後藤がイベントに参加する際には「日本騎手クラブ ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多かった。ただし、「ファンサービス委員会委員長」は後藤の自称であり、実際にそのような委員会は日本騎手クラブに存在しない[16]。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。
    • 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
      当日行われた毎日王冠終了後、当日東京競馬場で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであったボブ・サップも参加した。4組は、ハゲ・おさげなどのカツラで分けていた。後藤とともにVTR収録で西田雄一郎騎手が活躍した。
    • 2006年5月または6月頃に実施(2回東京、3回東京):後藤浩輝プロデューストークショー
      毎週2、3名の騎手を呼んでトークを行った。彼らに絵を描かせる企画もあった。
    • 2009年12月27日、2010年12月26日:『Dream Climax グランドフィナーレ ジョッキートーク感謝祭 2009』、『ジョッキー忘年会』
    毎年有馬記念当日にフィナーレを飾るイベントが行われるが、2009年・2010年は後藤プロデュースによるものだった。中山競馬場パドックの中央にこたつを置き、参加者全員どてらを着て日本酒ビールサッポロビール黒ラベル有馬記念缶)を飲みながら騎手がトークするものだった。
    2009年の参加者は池添謙一武豊内田博幸三浦皇成鈴木淑子井崎脩五郎であり、特に三浦は約1週間前の12月19日に20歳の誕生日を迎えたばかりで、公の場で初めての飲酒となった。
    2010年の参加者はミルコ・デムーロ横山典弘、内田博幸、福永祐一、池添謙一、鈴木淑子、井崎脩五郎であった。武豊も参加予定であったが、当日騎乗予定だった有馬記念のローズキングダム疝痛で出走を取り消し、当日は5Rで騎乗が終了してしまった為、後藤への置き手紙を残して不参加となった。
  • 2007年9月12日千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテマリーンズ北海道日本ハムファイターズの試合開始前に始球式を行った。背番号510番のロッテのホームユニフォーム下半身白鳥を装着し投球を行った(イメージとしては志村けん東村山音頭の格好)。
  • 生前に仲の良かった騎手は福永祐一、吉田隼人。特に隼人とは競馬ファン向けのイベントに一緒に出演したことがあるぐらいの仲である[17]
  • 2009年フジテレビ系の『みんなのケイバ』でも同年の抱負として「若い芽を潰す」というスローガンを残している。これは三浦皇成松岡正海らの台頭に危機感を抱いての発言であるとされている[18]
  • 2010年10月7日から2011年10月28日までtwitterをやっていた。競馬開催日(主に土曜・日曜)以外でもファンから寄せられる質問に返信したりと頻繁に更新していた。

不祥事・事故[編集]

  • 1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、いわゆる「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は#経歴を参照)。
  • 2012年、NHKマイルカップ(2回東京6日11R)の最後の直線で岩田騎手騎乗のマウントシャスタ号に接触し、重傷を負った。2年後の2014年にも同じ2回東京開催(第2日10R)で岩田騎手の馬に接触し落馬している。

騎乗成績[編集]

成績内容 日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1992年3月1日 2回中山2日1R 4歳未勝利 エンシュードラゴン 16頭 3 6着
初勝利 1992年4月4日 3回中山3日4R 4歳未勝利 タイガーリリー 13頭 11 1着
重賞初騎乗 1993年2月21日 1回小倉8日11R 小倉大賞典 オシバナ 16頭 11 15着
重賞初勝利 1994年11月20日 3回福島8日11R 福島記念 シルクグレイッシュ 14頭 10 1着
GI初騎乗 1997年5月11日 2回東京8日11R NHKマイルカップ タイキギャラクシー 18頭 10 16着
GI初勝利 2002年6月2日 4回東京6日11R 安田記念 アドマイヤコジーン 18頭 7 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1992年 12 11 14 181 .066 .127 .204
1993年 19 30 20 274 .069 .179 .252
1994年 14 15 16 219 .064 .132 .205
1995年 21 32 29 332 .063 .160 .247
1996年 6 13 11 155 .039 .123 .194
1997年 46 54 32 475 .097 .211 .278
1998年 63 52 74 649 .097 .177 .291
1999年 61 59 51 478 .128 .251 .358
2000年 101 86 69 727 .139 .257 .352
2001年 94 83 70 749 .126 .236 .330
2002年 81 73 74 644 .126 .239 .354
2003年 82 86 62 670 .122 .251 .343
2004年 101 98 74 812 .124 .245 .336
2005年 87 103 68 730 .119 .260 .353
2006年 107 83 85 832 .129 .228 .331
2007年 116 102 74 858 .135 .254 .340
2008年 107 88 84 819 .131 .238 .341
2009年 74 87 82 839 .088 .192 .290
2010年 95 80 81 804 .118 .218 .318
2011年 62 70 60 679 .091 .194 .283
2012年 30 30 34 321 .093 .187 .293
2013年 23 13 20 199 .116 .181 .281
2014年 34 44 36 388 .088 .201 .294
2015年 11 13 13 115 .096 .208 .322
中央 1447 1405 1233 12949 .112 .220 .315
地方 63 64 59 482 .131 .263 .386

主な騎乗馬[編集]

※GI級競走優勝馬のみ記載。

受賞歴[編集]

マスメディア出演[編集]

テレビ[編集]

CM[編集]

出版物[編集]

  • 意外に大変。(東邦出版
  • 後藤チョップ(廣済堂
  • 後藤浩輝の“戯言”(東邦出版)

ディスコグラフィ[編集]

1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー。曲はテレビ東京土曜競馬中継』のエンディングテーマに採用された。同年8月には田中勝春松永幹夫蛯名正義藤田伸二四位洋文と「J6」なるユニットで「Destination」(作詞:大江千里、作曲:井上大輔)を歌った。

シングル
  1. 遥かな君に
  2. 虹色の風で
  3. 遥かな君に
  • Destination(テイチク)

コラム[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 訃報 後藤 浩輝騎手 逝去:JRA
  2. ^ 後藤騎手結婚、都内で結婚披露パーティー サンケイスポーツ 2010年5月11日閲覧
  3. ^ a b 日刊スポーツ』1999年8月21日付24頁「中央競馬 後藤浩輝騎手が同僚の吉田豊騎手に対し暴行 今日から騎乗停止に」
  4. ^ ニュースぷらざ「後藤騎手4カ月の騎乗停止処分」(競馬道Online競馬ブックコーナー)
  5. ^ 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第6日(5月6日(日))(JRAニュース)
  6. ^ 後藤騎手、4ヶ月ぶりに戦列復帰 (netkeiba.comニュース)
  7. ^ “後藤浩輝騎手、頚椎骨折から復帰も…また落馬ヒヤリ”. スポーツニッポン新聞社. (2012年9月9日). http://megalodon.jp/2012-0919-1128-37/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/09/kiji/K20120909004074070.html 2012年9月19日閲覧。 
  8. ^ “後藤 春と同じ頸椎骨折「原因は現段階で不明」”. スポーツニッポン新聞社. (2012年9月19日). http://megalodon.jp/2012-0919-1128-18/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/19/kiji/K20120919004144320.html 2012年9月19日閲覧。 
  9. ^ 後藤22日復帰 4月に頸椎骨折、一時は「もう駄目だと諦めた」 スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧
  10. ^ 【東京5R新馬戦】後藤うれしい復帰後初勝利、カボスチャン抜け出しV スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧
  11. ^ [1]JRA
  12. ^ “後藤騎手「これから頑張る」と前向きだった…所属事務所マネ明かす”. スポーツニッポン. (2015年2月27日). http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/27/kiji/K20150227009882390.html 2015年2月27日閲覧。 
  13. ^ “後藤浩輝騎手、自宅で首つり自殺 何が…前日明るくFB更新”. スポーツニッポン. (2015年2月27日). http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/27/kiji/K20150227009882010.html 2015年2月27日閲覧。 
  14. ^ “現役トップジョッキー後藤浩輝騎手が自殺”. サンケイスポーツ. (2015年2月27日). http://race.sanspo.com/keiba/news/20150227/etc15022710540007-n1.html 2015年2月27日閲覧。 
  15. ^ “後藤浩輝騎手、自殺か…JRA通算1447勝”. 読売新聞. (2015年2月27日). http://www.yomiuri.co.jp/national/20150227-OYT1T50079.html 2015年2月28日閲覧。 
  16. ^ “自称ファンサービス委員長…後藤騎手”. 日刊スポーツ. (2015年2月28日). http://www.nikkansports.com/race/news/1440188.html 2015年2月28日閲覧。 
  17. ^ JRA騎手ディナー&トークショーなど。
  18. ^ 競馬最強の法則』2011年7月号
  19. ^ 日本テレビでは2月20・27日放送。まさかのタメ年トークバラエティー!ビックラコイタ箱|2015/02/20(金)放送2015/02/27(金)放送 TVでた蔵

関連項目[編集]

外部リンク[編集]