後藤浩輝

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後藤浩輝
Hiroki-Goto20111009.jpg
2011年京都大賞典表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県相模原市
(現:神奈川県相模原市中央区
出生は神奈川県横浜市
生年月日 1974年3月19日(40歳)
身長 157cm
体重 50kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー
初免許年 1992年
免許区分 平地
経歴
所属 美浦・伊藤正徳(1992.3 - 1995.5)
美浦・フリー(1995.5 -)
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後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手。またテレビでの芸能活動のためオスカープロモーションにも所属。現在の妻はタレント湯原麻利絵[1]

経歴[編集]

1992年に美浦の伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー。初騎乗は1992年3月1日中山競馬第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった。初勝利は同年4月4日の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった。

1994年福島記念にて騎乗したシルクグレイッシュ重賞初勝利。同馬は先輩である小野次郎が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの負担重量で騎乗できる一流騎手が空いていなかったためである。大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。

1995年にフリーの騎手となる。翌1996年にはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市カルダー競馬場を拠点に半年間の武者修行に出て、158戦7勝の成績を残す。アメリカから帰国した1997年以降は成績を伸ばし、1998年には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)。

1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ[2]、翌日のスポーツ新聞のトップ記事となる前代未聞の不祥事を起こした。JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり[2]、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった[3]12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間(実効6日間)の騎乗停止処分を受ける。

2000年には、年末の最後まで岡部幸雄横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には102勝)をマーク。関東リーディングは2位、また初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たす。ちなみにダイヤモンドステークスユーセイトップランに騎乗して東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である。ゴールドティアラに騎乗し統一GI競走・マイルチャンピオンシップ南部杯を制し、統一GIながらも自身初のGI制覇となる。

2002年6月2日安田記念アドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬GI初勝利。このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。2006年11月25日ジャパンカップダートアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。

2007年9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った。11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場にてJRA通算1000勝を達成。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった。

2010年6月6日安田記念ショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。

2011年5月22日エリンコート優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた。

2012年5月6日、シゲルスダチに騎乗したNHKマイルカップにて、最後の直線コースでマウントシャスタが内側へ急激に斜行した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院にて「頚椎骨折の疑い、頚髄不全損傷」と診断された[4]。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが[5]、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた[6]ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する[7]。その後しばらく復帰の目処が立たず、『ウイニング競馬』(テレビ東京)や『みんなのKEIBA』(フジテレビ)のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。

2013年10月5日に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、10月14日に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯でエスポワールシチーに騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした。

しかし2014年4月27日の東京競馬第10競走にて、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い休養を余儀なくされる。一時は引退を考えたが、競馬メディアでの仕事と並行しリハビリを続け11月22日に復帰[8]。24日の東京5レースで復帰後初勝利を挙げた際にはスタンドの観客から拍手が沸き起こった[9]

人物[編集]

  • 騎乗時の帽子の紐は白を使用。
  • 少年時代に空手体操を習っていて、それらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。
  • 騎手の場合、親や親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全く「コネクション」(縁故)はなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。
  • レース後の勝利インタビューにはさまざまな小ネタを披露している
  • 渡辺美奈代の大ファンで、中学時代は親衛隊に入っていた。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っているとのこと。
  • ホワイトベッセルに騎乗したとき、女性のファンから“白馬の王子様”と言う声援もありましたよと記者に聞かされると「僕は腹黒いから似合わないですね」とジョークを飛ばしたという。
  • 減量騎手時代、『さんまのナンでもダービー』でポニーにちょんまげの格好で乗り、落馬をしたことがある。
  • レース終了後のイベントに力を入れている。後藤がイベントに参加する際には「日本騎手クラブ ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多い(ただし実際にそのような委員会が存在するかは不明)。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。
    • 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
      当日行われた毎日王冠終了後、当日東京競馬場で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであったボブ・サップも参加した。4組は、ハゲ・おさげなどのカツラで分けていた。後藤とともに、VTR収録で西田雄一郎騎手が活躍した。
    • 2006年5月または6月頃に実施(2回東京、3回東京):後藤浩輝プロデューストークショー
      毎週2、3名の騎手を呼んでトークを行った。彼らに絵を描かせる企画もあった。
    • 2009年12月27日、2010年12月26日:『Dream Climax グランドフィナーレ ジョッキートーク感謝祭 2009』、『ジョッキー忘年会』
毎年有馬記念当日にフィナーレを飾るイベントが行われるが、2009年・2010年は後藤プロデュースによるものだった。中山競馬場パドックの中央にこたつを置き、参加者全員どてらを着て日本酒ビールサッポロビール黒ラベル有馬記念缶)を飲みながら騎手がトークするものだった。
2009年の参加者は池添謙一武豊内田博幸三浦皇成鈴木淑子井崎脩五郎であり、特に三浦は約1週間前の12月19日に20歳の誕生日を迎えたばかりで、公の場で初めての飲酒となった。
2010年の参加者はミルコ・デムーロ横山典弘、内田博幸、福永祐一、池添謙一、鈴木淑子、井崎脩五郎であった。武豊も参加予定であったが、当日騎乗予定だった有馬記念のローズキングダム疝痛で出走を取り消し、当日は5Rで騎乗が終了してしまった為、後藤への置き手紙を残して不参加となった。

不祥事・トラブル[編集]

  • 1999年5月4日新潟県営競馬の豊栄記念の競走終了後(騎乗馬カツノリズム、11頭中3番人気4着)、検量室内に侵入した観客の中年男性にいきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と怒鳴りつけられ、殴り掛かられた。観客は取り押さえられ競馬場より退場され、一切の入場禁止となった。
  • 1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、いわゆる「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は#経歴を参照)。
  • 2000年5月7日福島競馬場にて、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。アサヒウイニングを管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。
  • 2006年5月14日東京競馬場ヴィクトリアマイル終了後の検量室前で、激昂した調教師の谷原義明から、手にしていたレーシングプログラムで背中を叩かれた。この競走では谷原が管理するオーゴンサンデーに騎乗したが(18頭中15番人気13着、優勝馬とは1.0秒差)、「後方から追い込みの競馬をするように」という師の指示を破り、レース途中から仕掛ける騎乗をしたためと言われている。
  • 2008年3月1日、アーリントンカップにおいて、休み明けのお手馬アポロドルチェ(12頭中3番人気、堀井雅広厩舎所属)に騎乗し優勝馬から0.8秒差の9着に敗れた。レース後に「まだ走れる状態ではありません」とコメント。微妙なニュアンスながら陣営批判と判断され、以降、同馬には一度も騎乗していない。

この様に他者を巻き込んだり他者に巻き込まれるトラブル舌禍の影が付きまとう一面を持ち合わせている。特に「木刀事件」は凶器で暴行し相手を一方的に負傷させ騎乗変更を発生させるという、競走の公正確保をも揺るがす[12]重大な不祥事として競馬界全般に大変な衝撃を与えた出来事であった。これで付いたダーティーなイメージは長期に渡って払拭できず、これ以降の後藤自身の騎乗馬の質・数量両面への影響なども含めて、様々な意味で後々まで尾を引き続けることになってしまっている。 2012年、NHKマイルカップの最後の直線で岩田騎手騎乗のマウントシャスタ号に接触し、重傷を負った。2年後の2014年にも同じ東京開催で岩田騎手の馬に接触し落馬している。

騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1992年3月1日 2回中山2日1R 4歳未勝利 エンシュードラゴン 16頭 3 6着
初勝利 1992年4月4日 3回中山3日4R 4歳未勝利 タイガーリリー 13頭 11 1着
重賞初騎乗 1993年2月21日 1回小倉8日11R 小倉大賞典 オシバナ 16頭 11 15着
重賞初勝利 1994年11月20日 3回福島8日11R 福島記念 シルクグレイッシュ 14頭 10 1着
GI初騎乗 1997年5月11日 2回東京8日11R NHKマイルカップ タイキギャラクシー 18頭 10 16着
GI初勝利 2002年6月2日 4回東京6日11R 安田記念 アドマイヤコジーン 18頭 7 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1992年 12 11 14 181 .066 .127 .204
1993年 19 30 20 274 .069 .179 .252
1994年 14 15 16 219 .064 .132 .205
1995年 21 32 29 332 .063 .160 .247
1996年 6 13 11 155 .039 .123 .194
1997年 46 54 32 475 .097 .211 .278
1998年 63 52 74 649 .097 .177 .291
1999年 61 59 51 478 .128 .251 .358
2000年 101 86 69 727 .139 .257 .352
2001年 94 83 70 749 .126 .236 .330
2002年 81 73 74 644 .126 .239 .354
2003年 82 86 62 670 .122 .251 .343
2004年 101 98 74 812 .124 .245 .336
2005年 87 103 68 730 .119 .260 .353
2006年 107 83 85 832 .129 .228 .331
2007年 116 102 74 858 .135 .254 .340
2008年 107 88 84 819 .131 .238 .341
2009年 74 87 82 839 .088 .192 .290
2010年 95 80 81 804 .118 .218 .318
2011年 62 70 60 679 .091 .194 .283
中央 1349 1305 1130 11926 .113 .223 .317
地方 63 64 59 482 .131 .263 .386

主な騎乗馬[編集]

※ GI級競走優勝馬のみ記載。

マスメディア出演[編集]

テレビ[編集]

CM[編集]

出版物[編集]

  • 意外に大変。(東邦出版
  • 後藤チョップ(廣済堂
  • 後藤浩輝の“戯言”(東邦出版)

ディスコグラフィ[編集]

1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー。曲はテレビ東京土曜競馬中継』のエンディングテーマに採用された。同年8月には田中勝春松永幹夫蛯名正義藤田伸二四位洋文と「J6」なるユニットで「Destination」(作詞:大江千里、作曲:井上大輔)を歌った。

シングル

  1. 遥かな君に
  2. 虹色の風で
  3. 遥かな君に
  • Destination(テイチク)

コラム[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 後藤騎手結婚、都内で結婚披露パーティー サンケイスポーツ 2010年5月11日閲覧
  2. ^ a b 日刊スポーツ』1999年8月21日付24頁「中央競馬 後藤浩輝騎手が同僚の吉田豊騎手に対し暴行 今日から騎乗停止に」
  3. ^ ニュースぷらざ「後藤騎手4カ月の騎乗停止処分」(競馬道Online競馬ブックコーナー)
  4. ^ 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第6日(5月6日(日))(JRAニュース)
  5. ^ 後藤騎手、4ヶ月ぶりに戦列復帰 (netkeiba.comニュース)
  6. ^ “後藤浩輝騎手、頚椎骨折から復帰も…また落馬ヒヤリ”. スポーツニッポン新聞社. (2012年9月9日). http://megalodon.jp/2012-0919-1128-37/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/09/kiji/K20120909004074070.html 2012年9月19日閲覧。 
  7. ^ “後藤 春と同じ頸椎骨折「原因は現段階で不明」”. スポーツニッポン新聞社. (2012年9月19日). http://megalodon.jp/2012-0919-1128-18/www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/09/19/kiji/K20120919004144320.html 2012年9月19日閲覧。 
  8. ^ 後藤22日復帰 4月に頸椎骨折、一時は「もう駄目だと諦めた」スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧
  9. ^ 【東京5R新馬戦】後藤うれしい復帰後初勝利、カボスチャン抜け出しVスポニチアネックス 2014年11月24日閲覧
  10. ^ JRA騎手ディナー&トークショーなど。
  11. ^ 競馬最強の法則2011年7月号
  12. ^ 処分理由として日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号が適用されており、これは「競馬の公正確保について業務上の注意義務を負う者として相応しくない非行のあった者」という事由である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]