三浦皇成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
三浦皇成
Kosei-Miura20110423.jpg
2011年フローラS表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都練馬区
生年月日 1989年12月19日(25歳)
身長 162cm
体重 46kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・河野通文(2008.3.1- 2009.10.29)
美浦・フリー(2009.10.30- 2012.2.29)
美浦・鹿戸雄一(2012.3.1 -)
初免許年 2008年
免許区分 平地
テンプレートを表示

三浦 皇成(みうら こうせい、1989年12月19日 - )は日本中央競馬会美浦トレーニングセンター所属の騎手

来歴[編集]

5歳の時に大井競馬場でのポニー試乗イベントで、騎手の格好をしてポニーに乗ったことがきっかけで騎手を目指すようになり、5歳から騎手を目指してトレーニングを始めるようになる。器械体操トランポリン水泳キックボクシング剣道など多くのスポーツを経験する。2009年5月17日に放送された「ジャンクSPORTS」では、7歳にして腹筋が割れている写真が紹介された。

2003年全日本ジュニア馬場馬術大会ではファイナルに進出する。2004年に日本中央競馬会競馬学校の入学試験に合格。2005年4月より同校へ第24期生として入学した。なお同期入学には後述する大江原圭伊藤工真平野優など8人入学していた。

2008年2月12日に同校を卒業した。同日に行われた卒業記念模擬レースではジーガーユタカオーに騎乗して2着で、同日の謝恩会では「スポーツマン大賞」を受賞した。卒業時の同期には大江原圭と伊藤工真がいる。この年の卒業者で騎手になった数は3人で、競馬学校史上最も少ない人数となった[1]2月14日、2008年度JRA騎手免許試験に合格し3月1日付で騎手免許を交付、同年の新人騎手は前述の2人に加え地方競馬より移籍の内田博幸鷹野宏史がいる。

特に競馬サークルでの縁故のない三浦に河野厩舎への所属を提案したのは競馬学校教官の蓑田早人である。

2008年[編集]

3月1日に中山競馬場で行われた第1競走で中央競馬初騎乗、自厩舎のモエレロングランに騎乗して3番人気で6着。同期の伊藤、さらに内田・鷹野もこの競走で中央競馬初騎乗を果たしており1着は内田だった。同日第10競走の潮来特別を自厩舎のフェニコーンに騎乗して6番人気で勝利、デビュー当日の3戦目で初勝利を挙げた。なお3戦目での特別競走勝利は、1994年植野貴也と並んで最速タイ。

4月20日福島競馬場において、1日全12競走への騎乗を達成。また5月2425日には新潟競馬場においてJRA史上4人目の1節における全24競走完全騎乗を達成した。両記録はJRA競馬学校卒業生新人騎手では史上初である。

8月10日に行われた第40回函館2歳ステークスフィフスペトルに騎乗して優勝し、デビュー5ヶ月目で重賞競走を制覇。

9月21日の札幌競馬で通算59勝とした。これで加賀武見1960年に58勝)を抜き、デビュー年の勝利数で歴代2位となった。9月28日に騎乗機会8連続連対を達成した。なお最多記録は武豊2002年)、安藤勝己2005年)、岩田康誠2012年)が持つ9連続連対。

10月5日に行われたスプリンターズステークスプレミアムボックスにてGI初騎乗を最速で果たす(結果は14着)。

10月11日の東京競馬場第2レースでマイネルクロッシュに騎乗してデビューからの騎乗回数が555回となり、武豊が持っていた新人騎手年間最多騎乗回数の554回を超えた。過去に新人騎手で500鞍以上の騎乗を行ったのは武豊(1987年、554回)、福永祐一1996年、518回)、池添謙一1998年、522回)の3人。

また同日のメインレース・ペルセウスステークスでバンブーエールに騎乗して勝利し、武豊の持つ新人年間最多勝記録(69勝)に並んだ。そして10月25日の福島競馬場第1競走2歳未勝利(芝1200m)で所属の河野厩舎アドバンスヘイローに騎乗して70勝目をあげ、新人年間最多勝記録を更新した。

札幌競馬場の第2回開催において13勝をマークして開催リーディングを獲得。また福島競馬場第3回開催において14勝を挙げ中舘英二と勝利数で並んだが2着の差で上回り開催リーディングを獲得した。

2009年[編集]

2月7日東京競馬場第4競走でインフィニットエアに騎乗して1着となり、JRA通算100勝を達成した。2月8日に通算101勝を挙げたため規定により2月14日から減量騎手ではなくなる。デビュー1年未満で減量騎手でなくなるのはJRA史上初。

9月12日、英国のフォスラス競馬場で行われたトートスポートドットコムハンデキャップで海外初騎乗。ロイヤルダイアモンドに騎乗し優勝。海外初騎乗初勝利を果たした。

10月30日、河野厩舎を離れ、フリーに転向。

2010年[編集]

1月11日、第1回中山競馬第4競走の3歳新馬戦(ダート1800メートル)で、ノボプロジェクトに騎乗した際、第4コーナーで斜行し隣の馬が転倒、それが引き金となり中央競馬史上最多である9頭が落馬[2]する事故を引き起こし失格となる。今回の件で開催日4日間の騎乗停止の処分を受けた。その後騎乗停止明け翌週の2月6日小倉大賞典でマイネルスターリーに騎乗するが、斜行により再度開催日4日間の騎乗停止処分を受ける。

6月15日-8月8日の日本の夏競馬期間には、2009年に引き続き英国での騎乗を行った。

9月25日2回札幌5日目1Rサラ2歳牝未勝利・リアライズノユメで1着となり、現役では56人目となるJRA通算200勝を達成した。2008年3月1日のデビューから2年6か月25日での200勝は、武豊(2年0か月4日)に次ぐ、史上2番目のスピード記録となった。

11月7日自身のブログでほしのあきとの交際を発表。

2011年[編集]

9月25日、交際・婚約していたほしのと入籍した。

12月19日、22歳の誕生日にほしのとの披露宴を都内のホテルで競馬界、財界、芸能界の各界の著名人600人が招待された。徳光和夫の司会で衣装は神田うのScena D'uno、ティアラ(2億円)、総額2億5千万円以上の派手婚はマスコミを一切シャットアウトした中で行われた。招待客は新郎の友人のセロ伊藤英明、武豊、深田恭子、神田うの、紗栄子DAIGO熊田曜子スザンヌSMAP、Mr.Childrenの桜井和寿らのお祝い映像メッセージが寄せられた。

2012年[編集]

3月1日より、鹿戸雄一厩舎の所属となる。

6月9日~9月2日北海道開催(函館、札幌)を27勝で北海道リーディングを獲得

2013年[編集]

平成25年度においては、これまで有していた障害騎手免許を更新しなかったため、3月1日より平地免許のみとなる。なお、障害競走への出走はデビュー以来一度もなかった。

2014年[編集]

11月6日ディアドムス北海道2歳優駿を勝ち、ダートグレード競走初勝利を果たすと[3]12月17日には同じくディアドムスに騎乗して全日本2歳優駿を勝ち、JpnI競走初勝利を果たした[4]

記録[編集]

年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2008年 91 74 58 783 .116 .211 .285
2009年 78 80 86 858 .091 .184 .284
2010年 46 51 53 643 .072 .151 .233
2011年 67 63 64 843 .079 .154 .230
2012年 77 89 80 923 .083 .180 .267
2013年 63 67 61 831 .076 .156 .230
中央 430 438 408 5000 .086 .174 .255
地方 5 1 0 42 .119 .143 .143
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 2008年3月1日 2回中山1日1R 3歳未勝利 モエレロングラン 16頭 3 6着
初勝利 2008年3月1日 2回中山1日10R 潮来特別 フェニコーン 13頭 6 1着
重賞初騎乗 2008年3月16日 2回中山6日11R 中山牝馬S マルノマンハッタン 16頭 16 16着
重賞初勝利 2008年8月10日 2回函館8日9R 函館2歳S フィフスペトル 14頭 2 1着
GI初騎乗 2008年10月4日 4回中山8日11R スプリンターズS プレミアムボックス 16頭 10 14着

初騎乗 2008年6月10日 3回船橋2日9R プリティシューズ特別 オンワードカメリア 11頭 6 11着
初勝利 2009年6月11日 3回船橋4日3R JRA認定競走 スマートジョーカー 7頭 1 1着
重賞初騎乗
JpnI初騎乗
2008年12月17日 10回川崎3日10R 全日本2歳優駿 リスペクトキャット 12頭 5 7着
重賞初勝利 2014年11月6日 15回門別3日10R 北海道2歳優駿 ディアドムス 12頭 3 1着
JpnI初勝利 2014年12月17日 10回川崎3日11R 全日本2歳優駿 ディアドムス 14頭 3 1着

主な騎乗馬[編集]

表彰[編集]

新人記録[編集]

  • 新人騎手1日全12競走騎乗[6](2008年4月20日 福島競馬場。JRA競馬学校卒業生では史上初)
  • 新人騎手1週全24競走騎乗[6](2008年5月24・25日 新潟競馬場。JRA競馬学校卒業生では史上初。新人に限らない記録ではJRA史上4人目[7]
  • 騎乗機会8連続連対(2008年9月28日 札幌競馬場)
  • 同一競馬場1開催新人最多勝記録(2008年第3回福島競馬開催での14勝)
  • 新人年間最多騎乗783回(2008年)
  • 新人年間最多勝91勝(2008年)
  • 最速100勝(2009年2月7日東京競馬場第4R、デビューより11か月7日。従来の記録は武豊の1年1か月16日)

新人勝利史上最速記録[編集]

  • 20勝達成(2008年5月24日 新潟競馬場第5R、従来の記録は福永祐一が記録した6月8日
  • 30勝達成(2008年7月5日 函館競馬場第1R、従来の記録は福永祐一が記録した7月13日
  • 40勝達成(2008年8月3日 函館競馬場第2R、従来の記録は武豊が記録した8月29日
  • 50勝達成(2008年8月24日 札幌競馬場第2R、従来の記録は武豊が記録した10月3日
  • 60勝達成(2008年9月27日 札幌競馬場第12R、従来の記録は武豊が記録した12月5日
  • 70勝達成(2008年10月25日 福島競馬場第1R、新人騎手最多勝記録更新)

テレビ出演[編集]

CM出演[編集]

エピソード[編集]

  • 2009年11月13日、天皇即位二十周年記念式典皇居豊明殿での宮中茶会に出席した。
  • 座右の銘は「気魄」、目標とする騎手は田中勝春クリストフ・ルメール
  • 小学5年生のとき、電車で1人の女性の孫娘に席を譲った。その女性は「オメガ」の冠号で知られる馬主の原禮子であった。原は右手を怪我していながらも席を譲る三浦に感心し、話をすると三浦が騎手を目指していると知った。そこで原は自分の所有馬がプリントされているQUOカードを渡し、将来騎手になったら乗ってくれるように言った。このときに三浦は自分の名前を伝えていなかったが、その後騎手となり原のもとに挨拶に行くと、原は驚くと同時に三浦のバックアップをすることを約束した。初めて重賞を制したフィフスペトルを管理する加藤征弘に三浦を紹介したのは原である[8]
  • デビュー週での落馬事故で、騎乗していたアドマイヤベッカムの馬主である近藤利一が馬の故障(落馬の原因)を知り、「人はどうでもええ!馬はどうなっとるんや!」と非情な発言したことにより師匠の河野が激怒[9]、河野厩舎に預託されていた近藤の4頭の馬は別厩舎に移った。その後、近藤利一の所有馬には乗った記録はない。
  • 大関・稀勢の里と親交がある。
  • 2010年1月11日に1レースにおける落馬数としては史上最多となる「9頭落馬事故」を起こした。この日の皇成は、もし一般人だったら成人式に参加するはずだった日である。結果として1着で入選するも失格。挙句に4日間の騎乗停止処分を受けるという、本人にとって最悪な「成人の日」となってしまった。

脚注[編集]

  1. ^ 平野優も同期入学しているが、一時休学していた関係で2010年3月にデビューした。その関係で24期生ではない(JRA競馬学校卒業式の写真では平野は公式に26期生扱いとなっている)。
  2. ^ 従来の記録は1964年10月31日中山競馬第11競走と1977年11月5日京都競馬第9競走の7頭。参考
  3. ^ 【北海道2歳優駿】北の大地でディアドムスがV - 予想王TV@SANSPO.COM 2014-11-07閲覧
  4. ^ 【全日本2歳優駿】連勝でディアドムスが2歳砂王! - 予想王TV@SANSPO.COM 2014-12-17閲覧 なお、全日本2歳優駿のグレードは国際グレードの「GI」ではなく、日本独自のグレードである「JpnI」だが、日本では両者が一括りにされることも多い。そのため出典のように、三浦のこの勝利は「GI初勝利」と扱われることもある。詳しくは競馬の競走格付けを参照のこと。
  5. ^ 三浦皇成 初の函館リーディングジョッキーに - 2014年7月21日 東スポWeb(2014年8月26日閲覧)
  6. ^ a b いずれの記録も障害競走に騎乗せず記録した。これらの記録は中央主場では土・日の競走のうち1競走または2競走障害競走が組まれるため、障害競走が実施されないいわゆる第三場開催で記録されやすい。また、かつては分割競走が実施されており、分割競走の双方に騎乗することは難しいため記録の達成自体が困難であった。
  7. ^ これまで藤田伸二柴山雄一中舘英二が記録している。柴山雄一は新人騎手での記録であるが競馬学校卒業生ではない。
  8. ^ 三浦皇成の秘話【1】7年前の“出会い”が導いた初重賞”. スポーツニッポン (2008年10月27日). 2008年11月17日閲覧。
  9. ^ 清水成駿のメルマガ・競馬春秋2008年5月22日号より

関連項目[編集]

外部リンク[編集]