池添謙一
| 池添謙一 | |
|---|---|
2009年6月28日
宝塚記念優勝時のインタビュー |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 滋賀県 |
| 生年月日 | 1979年7月23日(32歳) |
| 身長 | 162cm |
| 体重 | 50.0kg |
| 血液型 | O型 |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | JRA |
| 所属厩舎 | フリー |
| 初免許年 | 1998年 |
| 免許区分 | 平地 |
| 経歴 | |
| 所属 | 鶴留明雄(1998.3.1 - 2001.9.30)→ フリー(2001.10.1 -) |
池添 謙一(いけぞえ けんいち、1979年7月23日 - )とは日本中央競馬会(JRA)栗東所属の騎手である。
目次 |
[編集] 来歴
武豊に憧れて競馬学校に入り、14期生として1998年にデビュー。初騎乗は同年3月1日、阪神競馬第2競走のナチュラルカラーで12頭立ての6着だった。初勝利は同年3月14日の中京競馬第1競走でタヤスソシアルに騎乗してのものであった。この年にトウショウオリオンで北九州記念を制するなど38勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を受賞した。
以前は海外遠征も積極的に行う騎手で2001年7月13日、ドーヴィル競馬場第4レースのHATHAARIでフランス初騎乗を果たした(18頭立ての着外)。このレースは武豊が騎乗予定であったが、前のレースで落馬負傷したため、翌日にデビュー予定であった池添に騎乗依頼があったもので、池添は見学に来ているため馬具を持ってきておらず、武やオリビエ・ペリエから馬具を借りてレースに臨んだ。
2002年4月7日、桜花賞でアローキャリーに騎乗、単勝13番人気の低評価を覆し初のGI勝利を挙げる。
デュランダルとのコンビでスプリンターズステークス(2003年)やマイルチャンピオンシップ(2003年、2004年)を制覇。またスイープトウショウとのコンビで秋華賞(2004年)と宝塚記念(2005年)、エリザベス女王杯(2005年)を制した。
2007年9月9日に史上73人目となるJRA通算500勝を達成した。また、同年12月2日の第59回阪神ジュベナイルフィリーズをトールポピーで制覇しJpnI勝利を収めた。
2008年5月25日、優駿牝馬(オークス)をトールポピーで制覇し、自身9度目のGI(JpnI)勝利を収めた。しかしこのレースでは、最後の直線走路で急に内側に斜行し、走行妨害に至らない危険騎乗をしたものとして開催2日間の騎乗停止処分をJRA裁定委員会より受けた(トールポピーに降着処分は科されてはいない)。この降着無しで騎乗停止という裁定に対しては、多くの競馬ファンや評論家から疑問の声があがった。このような騎乗停止処分を受けるほどの斜行をしたにも関わらず、審議中にウィニングランを行ったほか、ガッツポーズや投げキッスなどの派手なパフォーマンスを行った。もっとも、当人は他馬に影響を与えたことに気づいていなかったようで、勝利騎手インタビューでは「他の馬に迷惑をかけてしまって」と青ざめた表情で話していた。
2009年12月27日、第54回有馬記念をドリームジャーニーで制覇。同年の6月28日に開催された宝塚記念も同馬で制覇しているため、自身初となる春秋グランプリ制覇も成し遂げる。
2011年4月24日、オルフェーヴルに騎乗し皐月賞で優勝。初の牡馬クラシック競走制覇となった。同年5月29日には、オルフェーヴルで日本ダービー優勝、牡馬クラシック二冠を達成した。デビュー14年目、7度目の挑戦でダービージョッキーの座についた。同年10月2日、カレンチャンでスプリンターズステークス優勝。同馬を重賞4連勝でGI制覇に導くとともに、自身初となる3週連続重賞制覇を達成した。また同日、同年の札幌開催全日程が終了し、初の札幌リーディングを獲得した(18勝)。同年10月23日、単勝オッズ1.4倍の圧倒的人気を背負ったオルフェーヴルで菊花賞も制し牡馬クラシック三冠を達成。オルフェーヴルを史上7頭目の三冠馬へと導いた。これにより史上最年少三冠ジョッキー(32歳3カ月1日)となったが、ゴール後、同馬が外ラチに向かって逸走し振り落とされるという珍事もあった。この菊花賞制覇をもって史上6人目となる5大クラシック競走完全制覇の偉業達成となった。同年11月20日、エイシンアポロンでマイルチャンピオンシップに出走。同馬に騎乗予定だった田辺騎手の騎乗停止に伴い、前年の皐月賞以来のコンビ結成となったが、内枠を利して流れに乗ると見事先頭で駆け抜けた。同年12月25日、6年ぶりのクリスマスグランプリとなった有馬記念をファン投票2位、単勝1番人気のオルフェーヴルで制覇。ナリタブライアン以来17年ぶりとなる3歳4冠を達成した。この勝利により年間GI6勝目(タイ記録)、重賞14勝目を飾り、最高の形で飛躍の年を締めくくった。
2012年1月5日から6日にかけて、ドバイのメイダン競馬場で行われたメイダンマスターズ国際騎手チャンピオンシップに参戦。第2戦である6日の第3レースではストリートアクトに騎乗し、中団やや後方の追走から向正面で一気に位置取りを上げ第3コーナーで先頭に立つとそのまま押し切り、海外初勝利および当年の初勝利を挙げた。ちなみにこの勝利はメイダン競馬場での日本人騎手初勝利でもある[1]。
[編集] 家族
父はJRAの元騎手で現調教師の池添兼雄。父の厩舎の主戦騎手としての騎乗も多い。父は騎手時代には障害競走を中心に騎乗し、重賞も制するなど障害の名手の一人であったが、子の謙一はデビュー以来一度も障害戦への騎乗がないまま、障害免許を返上している。
弟は父の厩舎に所属する調教助手の池添学。妹はバレット(=騎手の助手に相当するもの)を務めている。
[編集] 人物
- 勝利するとよくガッツポーズをする騎手である。
- 初のGI勝利となった2002年の桜花賞では、テレビ中継の勝利騎手インタビューや表彰式の馬上で号泣した。スイープトウショウで秋華賞を勝利したときにはデビュー時の所属厩舎である鶴留明雄の管理する馬での初GI勝利ということもあってかまた涙を流した。2009年の有馬記念優勝のときには中山競馬場内に池添コールが沸き起こり、念願のグランプリ制覇に感極まって、ここでも号泣した。さらに、2011年の日本ダービー優勝の際にも、ウイニングランやテレビ中継のインタビュー中に涙を見せた。
- 本人曰く「太りにくい体質」のため、他の騎手の多くが負担重量の関係で減量に苦しむ中、ほとんど減量の必要がないという。「サウナに入りながら『ガリガリ君』を食べるのが楽しみ」とのことだが、同じサウナで他の騎手が汗取りを行っている中で食べるため、1期先輩の武幸四郎によく怒られている[2]。
- 顔が落語家の月亭八方の息子である月亭八光に似ているとも言われるが、本人は雑誌のインタビューにおいて、「調子がいい時は周囲から『堂本剛や櫻井翔に似ている』と言われることがある」と答えている[3]。
[編集] 代表騎乗馬
スイープトウショウに手こずったというエピソードが数多くある。2005年の天皇賞(秋)では本馬場入場時に同馬が全く動こうとせず、返し馬を中止して係員がスタート地点まで引っ張っていき、池添がこれを追いかけていくという珍事もあった。
- ヤマカツスズラン(2001年クイーンステークス、2002年マーメイドステークス、全日本サラブレッドカップ)
- アローキャリー(2002年桜花賞)
- デュランダル(2003年スプリンターズステークス、2003年・2004年マイルチャンピオンシップ)
- スイープトウショウ(2004年チューリップ賞、秋華賞、2005年宝塚記念、エリザベス女王杯、2006年京都大賞典)
- シーイズトウショウ(2004年・2005年函館スプリントステークス、2006年CBC賞、セントウルステークス)
- プライドキム(2004年兵庫ジュニアグランプリ、全日本2歳優駿)
- トールポピー(2007年阪神ジュベナイルフィリーズ、2008年優駿牝馬)
- ドリームジャーニー(2008年小倉記念、朝日チャレンジカップ、2009年大阪杯、宝塚記念、有馬記念)
- オルフェーヴル(2011年中央競馬クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)、スプリングステークス、神戸新聞杯、 有馬記念)
- カレンチャン(2011年阪神牝馬ステークス、函館スプリントステークス、キーンランドカップ、スプリンターズステークス)
- エイシンアポロン(2009年京王杯2歳ステークス、2011年マイルチャンピオンシップ)
[編集] 騎乗成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1998年3月1日 | 1回阪神2日2R | 4歳未勝利 | ナチュラルカラー | 12頭 | 10 | 6着 |
| 初勝利 | 1998年3月14日 | 1回中京5日1R | 4歳未勝利 | タヤスソシアル | 12頭 | 1 | 1着 |
| 重賞初騎乗・初勝利 | 1998年7月26日 | 4回阪神4日11R | 北九州記念 | トウショウオリオン | 14頭 | 12 | 1着 |
| GI初騎乗 | 2000年10月15日 | 4回京都4日11R | 秋華賞 | ヤマカツスズラン | 18頭 | 7 | 2着 |
| GI初勝利 | 2002年4月7日 | 2回阪神6日11R | 桜花賞 | アローキャリー | 18頭 | 13 | 1着 |
| 海外初勝利 | 2012年1月6日 | ドバイ/メイダン3R | メイダンマスターズ第2戦 | ストリートアクト | 12頭 | - | 1着 |
| 年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | 表彰 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998年 | 38 | 31 | 52 | 522 | .073 | .132 | .232 | JRA賞(最多勝利新人騎手)、関西放送記者クラブ賞 |
| 1999年 | 27 | 29 | 37 | 412 | .066 | .136 | .226 | |
| 2000年 | 40 | 34 | 38 | 422 | .095 | .175 | .265 | フェアプレー賞(関西) |
| 2001年 | 62 | 51 | 62 | 579 | .107 | .195 | .302 | フェアプレー賞(関西) |
| 2002年 | 79 | 59 | 51 | 689 | .115 | .200 | .274 | |
| 2003年 | 53 | 63 | 58 | 692 | .077 | .168 | .251 | フェアプレー賞(関西) |
| 2004年 | 54 | 69 | 38 | 660 | .097 | .202 | .259 | |
| 2005年 | 58 | 59 | 53 | 639 | .091 | .183 | .266 | |
| 2006年 | 44 | 41 | 55 | 584 | .075 | .146 | .240 | 中京競馬記者クラブ賞 |
| 2007年 | 62 | 60 | 48 | 638 | .097 | .191 | .266 | |
| 2008年 | 49 | 57 | 57 | 603 | .081 | .176 | .270 | |
| 2009年 | 48 | 59 | 50 | 579 | .083 | .185 | .271 | |
| 2010年 | 73 | 83 | 81 | 734 | .099 | .213 | .323 | |
| 中央 | 697 | 695 | 680 | 7753 | .090 | .180 | .267 | |
| 地方 | 15 | 18 | 19 | 186 | .081 | .177 | .280 |
[編集] メディア出演
- 『武豊TV!』および『武豊TV!II』では、「教えて豊さん」のコーナーでナビゲーターを担当している。
[編集] その他
- 騎乗時の帽子の紐は赤を使用。
- 2005年と2006年の夏競馬において、2年連続で2回小倉5日目第7競走で落馬するという珍記録を持っている。『武豊TV!』での発言によると2005年は鎖骨骨折、2006年は意識不明で病院に運ばれるという結果を引き起こしたため、2007年は小倉に参戦することをやめようか本気で考えていた[4]。その後は夏競馬では北海道シリーズ(札幌・函館)を中心に騎乗し、2007年の2回小倉5日目(7月28日)は函館に参戦した。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||