凱旋門賞
| 凱旋門賞 Prix de l'Arc de Triomphe |
|
|---|---|
第90回凱旋門賞
|
|
| 開催地 | ロンシャン競馬場 |
| 施行時期 | 10月第1日曜日 |
| 格付け | G1 |
| 1着賞金 | 2,285,600ユーロ |
| 賞金総額 | 400万ユーロ |
| 距離 | 芝2400m |
| 出走条件 | サラブレッド3歳以上牡馬・牝馬 |
| 負担重量 | 3歳56kg、4歳以上59.5kg、牝馬1.5kg減 |
| 第1回施行日 | 1920年10月3日 |
凱旋門賞(がいせんもんしょう、仏:Prix de l'Arc de Triomphe)とはフランスのフランスギャロが毎年10月の第1日曜日(ロンシャンウィークエンド2日目)にロンシャン競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞(グループ1)競走である。略してアルクまたはアーク(Arc)と呼ばれる。国際的に著名なスポーツの催しである。
目次 |
[編集] 概要
1920年に第一次世界大戦後に衰退したフランス競馬再興を掲げかつての大レースであるパリ大賞典に匹敵する大レース創設を目指しパン・ヨーロッパ(欧州一)、パン・ワールド(世界一)を目標として誕生した国際競走である。ヨーロッパのみならず世界中のホースマンがダービーステークスやケンタッキーダービーと並び憧れ、勝利を目標とする世界最高峰の競走の1つとして名を馳せている。
ヨーロッパでの競馬シーズンの終盤に開催されることから、その年のヨーロッパ各地の活躍馬が一堂に会するヨーロッパチャンピオン決定戦として実に長い間その地位を保っている。同じような位置づけの競走であるイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスはヨーロッパ上半期のチャンピオン決定戦となっているが、凱旋門賞のほうは各国のダービーなどを勝ってきた3歳馬が参加することでより高い価値を有している(日本に当てはめると、その年の総決算であるということで有馬記念と各国のチャンピオン級が集まるということでジャパンカップと両方を合わせたようなものである)。
全体ではドバイワールドカップ、ジャパンカップに次いで世界で3番目の賞金額であり、2008年に芝の競走ではジャパンカップを上回り世界一総額賞金の高い競走になった(これによりジャパンカップは賞金額では世界3番目のレースとなった)。しかし、2010年以後はユーロ安の影響によりジャパンカップの総額賞金を下回っている。
日本でも抜群に知名度や人気の高い競走で日本の馬が海外遠征をする場合も凱旋門賞を目指す場合が多く、日本国内で最上級の活躍をした競走馬が1960年代後半からしばしば参戦している。
なお、欧州以外の国で調教を受けた馬が優勝したことはない(欧州調教師の管理下でのUAE調教馬の優勝例はある)。欧州馬以外の最高着順は日本から出走したエルコンドルパサー、ナカヤマフェスタとニュージーランドから出走したBalmerino(バルメリーノ)の2着である。
[編集] 解説
同競走の出走条件は3歳以上の牡馬・牝馬で、騸(せん)馬には出走資格がない[1]。これは同競走が繁殖馬の選定の競走と定められているためである。
負担重量は3歳牡馬は56kg、4歳以上の牡馬は59.5kg、牝馬1.5kg減と定められており(1995年以降)、3歳馬と古馬との斤量差が同時期の日本より0.5kg大きくなっている。
1着賞金は228万5,600ユーロ、総賞金額は400万ユーロである(同じヨーロッパの大レースであるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの1着賞金は43万UKポンド)。2008年よりスポンサーがそれまでのルシアン・バリエール(フランスの代表的な高級ホテルグループ)からカタール・レーシング&エクエストリアンクラブとなり、2007年の総額賞金の2倍にあたる400万ユーロが総額賞金となった。これによりドバイワールドカップに次ぐ総額賞金の高い競走となり、芝の競走ではジャパンカップを上回り世界一総額賞金の高い競走になった(ただし、2011年現在はユーロ安の影響によりジャパンカップを下回る)。
1着賞金228万5600ユーロ、2着賞金91万4400ユーロ、3着賞金45万7200ユーロ、4着賞金22万8400ユーロ、5着賞金11万4400ユーロと定められている。フルゲートは20頭。
凱旋門賞当日はロンシャンウィークエンドと呼ばれる国際競走デーが開催され同レースをメインに7つのGI競走が施行される。
[編集] 傾向
2011年までの90回中、地元の3歳馬の優勝が43回とほぼ半数を占めており近年に限っても1992年より2011年までの20年間に10勝を挙げているようにフランス調教の3歳馬が優位となっている[2][3]。
近年のフランス競馬の高速化に伴い好時計で優勝する事が相次いでいるが、一方で硬すぎる[4]馬場に対する批判も少なくない。フランスの馬場はイギリスの競馬場の馬場に比べると硬く、イギリスの競馬よりスピードが必要であるといわれている。そのため、イギリスのクラシックレースやキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制覇した馬の最後の難関とされている。近年ダービーステークス優勝馬のニューアプローチも凱旋門賞を回避している。しかし硬いとは言っても日本やアメリカ、イタリアなどの馬場に比べればかなり重い馬場である。
[編集] 海外での評価
2000年から2009年までの10年間のうち凱旋門賞優勝馬がヨーロッパ年度代表馬に選出されたのは5回と必ずしもその年の「ヨーロッパチャンピオン決定戦」と見なされるとは限らない[5]が、他の競走と比較してその機会は多い[6]。
一方、2008年に賞金総額が200万ユーロから倍になる前の、特に21世紀以降においては世界の趨勢として種牡馬になる際に高額賞金の競走が多くなってきていた2000mの中距離戦や1600mのマイル戦、アメリカ合衆国のダート戦などが重視される傾向が強くなってきており[7][8][9]こうした競走での賞金獲得や適性を示して種牡馬価値を高めるなどのため、一部の陣営が凱旋門賞を回避[10]し出走馬のレベル低下が顕著で、2005~2007年に至ってはサーパーシーなどヨーロッパにおいて名を馳せていたビッグネームがことごとく出走を回避しヨーロッパチャンピオン決定戦などとは到底呼べない「ただのG1レース」と呼ぶべき有様となってしまった[11]。
スポンサーを務めるカタール競馬馬事クラブによると、早ければ2018年までに賞金総額が530万ユーロまで引き上げられる[12]。
[編集] 馬券の売り上げ
長引く不況の影響からか2010年におけるフランス国内における売り上げは低迷し、インターネットを通じた香港からの馬券購入によって助けられかろうじて収益を維持している状態である[13]。
[編集] 日本での評価
日本では必ずしもヨーロッパで高い評価を得られた場合でなくとも凱旋門賞の優勝馬には大きな注目が集まり1959年以降、2008年までに15頭が種馬として輸入されている(1年間のみのリース種牡馬1頭、牝馬1頭を含む)。特に1988年以降は10年間で6頭が種牡馬として日本に輸入される人気だった。
これらのうち1959年優勝のセントクレスピンや1986年優勝のダンシングブレーヴは種牡馬としての重大な欠陥[14]をもって輸入されたが、日本での治療により種牡馬能力を回復して八大競走優勝馬を複数出すほどの好成績を残した。最良の成績を残したのは1988年優勝のトニービンで、1994年に日本の種牡馬チャンピオンとなった。また、1994年優勝のカーネギーは日本と南半球を行き来するシャトル種牡馬となってオセアニアで活躍馬を輩出している。また牝馬の優勝馬はサンサンがただ1頭輸入され、重賞勝ち馬2頭を産んでいる。
一方、ラインゴールド、プリンスロイヤルのように不振だったものもおり中でも1995年優勝のラムタラは44億円と言う巨額のシンジケートが組まれて輸入されたものの大きく期待に反する種牡馬成績に終わった。このラムタラのほかボンモー、キャロルハウス、エリシオ、マリエンバードが再輸出された。トピオはもっぱら三冠馬ミスターシービーの母の父として名を残すにとどまっている。
2006年にディープインパクトが挑戦した際には日本の放送史上初めて、地上波での海外競馬の生中継がNHKによって行われた。
[編集] 歴史
「凱旋門賞」という名称の競走は1890年以前から春に敗者限定競走として行われていた。一方、10月初めには「ナンテール賞」(Prix de Nanterre)という売却競走[15]が行われていた。そこでこの「ナンテール賞」を廃止し、「凱旋門賞」を改めて新設の国際競走として秋に施行されるようになった(後に「ナンテール賞」は春に施行される3歳限定の競走として改めて創設された)。第一次世界大戦の勝利を記念した「戦勝賞」(Prix de Victoire)にしようという案もあった。
- 1920年 - フランス競馬再興を掲げ創設。
- 1922年 - Ksar(クサール)が史上初の連覇。
- 1925年 - 1位入線のCadum(カダム)進路妨害により2着降着、Massine(マシーヌ)が繰り上がり優勝。
- 1932年 - Motrico(モトリコ)が一昨年に続き同レース2勝目を挙げる。
- 1937年 - Corrida(コリーダ)が牝馬として史上初の連覇。
- 1939年 - 第二次世界大戦により開催中止。
- 1940年 - 前年同様に開催中止。
- 1941年 - 凱旋門賞史上最少の7頭立てのレースとなる。
- 1943年 - ル・トランブレー競馬場の芝2300mで代替開催。
- 1944年 - 前年同様にル・トランブレー競馬場の芝2300mで代替開催。
- 1949年 - 賞金額がパリ大賞典を抜いてフランス最高額となる。
- 1951年 - Tantieme(タンティエーム)が3頭目の連覇を達成。
- 1956年 - イタリアのRibot(リボー)が4頭目の連覇。
- 1959年 - 1位同時入線のMidnight Sun(ミッドナイトサン)進路妨害により2着降着、同時入線のSaint Crespin(セントクレスピン)が優勝。
- 1965年 - Sea-Bird(シーバード)が凱旋門賞史上最高の6馬身差の圧勝。
- 1967年 - 凱旋門賞史上最多の30頭立てのレースとなる。
- 1970年 - 無敗の11連勝中のイギリスクラシック三冠馬Nijinsky(ニジンスキー)がSassafras(ササフラ)に敗れる。
- 1971年 - Mill Reef(ミルリーフ)が史上初のヨーロッパ三冠を達成。
- 1975年 - 最低人気のドイツ調教馬Star Appeal(シュターアピール、スターアピール)が後方一気で優勝、4番手以内先行抜け出しのセオリーを破る。
- 1977年 - ニュージーランド調教馬のBalmerino(バルメリーノ)が2着と健闘。
- 1978年 - Alleged(アレッジド)が5頭目の連覇。
- 1983年 - 史上初めて牝馬が1~4着までを独占、5年連続で牝馬が優勝。
- 1985年 - 1位入線のSagace(サガス)、2位入線のRainbow Quest(レインボウクエスト)の進路を妨害し2着降着、Rainbow Questが繰り上がり優勝。
- 1987年 - パット・エデリーが騎手として史上初の3連覇。
- 1994年 - 1980年の優勝馬Detroit(デトロワ)の子、Carnegie(カーネギー)が優勝、史上初の母子制覇。
- 1995年 - Lammtarra(ラムタラ)が4戦無敗でヨーロッパ三冠を達成。
- 1997年 - Peintre Celebre(パントレセレブル)がコースレコード2:24.60で圧勝。
- 1998年 - オリビエ・ペリエが騎手として2人目の3連覇を達成。
- 2001年 - Sakhee(サキー)が1965年のSea-Bird(シーバード)と並ぶ6馬身差で圧勝。
- 2003年 - ワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップに参加。
- 2006年 - 3位入線のディープインパクトが使用禁止薬物検出(当時の日本では禁止薬物ではなかった、後に日本でも禁止薬物になった)により史上初の失格。
- 2008年 - Zarkava(ザルカヴァ)がSagamix(サガミックス)以来10年ぶりに無敗で優勝。
- 2009年 - 1993年の優勝馬Urban Sea(アーバンシー)の息子Sea the Stars(シーザスターズ)が優勝、史上2頭目の母子制覇。
- 2010年 - 7位入線のPlanteur(プラントゥール)が2頭の進路を妨害したためレース史上2度目の失格。
- 2013年 - ロンシャン競馬場の馬場のオールウェザー化などの大規模改修工事による閉場の影響でシャンティイ競馬場で代替開催予定[16]。
[編集] 歴代優勝馬
| 回数 | 施行日 | 調教国・優勝馬 | 日本語読み | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第1回 | 1920年10月3日 | コムリッド | 牡3 | 2:39.00 | F.ブロック | P.ギルピン | |
| 第2回 | 1921年10月9日 | クサール | 牡3 | 2:32.96 | G.スターン | W.ウォールトン | |
| 第3回 | 1922年10月8日 | クサール | 牡4 | 2:38.78 | F.ブロック | W.ウォールトン | |
| 第4回 | 1923年10月7日 | パース | 牡3 | 2:38.26 | F.オニール | J.クロフォード | |
| 第5回 | 1924年10月5日 | マシーヌ | 牡4 | 2:40.98 | A.シャープ | E.カニントン | |
| 第6回 | 1925年10月4日 | プリオリ | 牡3 | 2:33.96 | M.アルマン | P.カーター | |
| 第7回 | 1926年10月3日 | ビリビ | 牡3 | 2:32.96 | D.トルテローロ | J.トルテローロ | |
| 第8回 | 1927年10月9日 | モンタリスマン | 牡3 | 2:32.90 | C.サンブラ | F.カーター | |
| 第9回 | 1928年10月7日 | カンタル | 牡3 | 2:38.98 | A.エスリン | R.カーヴァー | |
| 第10回 | 1929年10月6日 | オルテッロ | 牡3 | 2:42.94 | P.カプリオーリ | W.カルテル | |
| 第11回 | 1930年10月5日 | モトリコ | 牡5 | 2:44.98 | M.フリュインショルツ | M.ドクイセン | |
| 第12回 | 1931年10月4日 | パールキャップ | 牝3 | 2:38.96 | C.サンブラ | F.カーター | |
| 第13回 | 1932年10月9日 | モトリコ | 牡7 | 2:44.66 | M.フリュインショルツ | M.ドクイセン | |
| 第14回 | 1933年10月8日 | クラポム | 牡3 | 2:41.76 | P.カプリオーリ | F.レゴーリ | |
| 第15回 | 1934年10月7日 | ブラントーム | 牡3 | 2:41.82 | C.ブイヨン | L.ロベール | |
| 第16回 | 1935年10月6日 | サモス | 牝3 | 2:42.64 | W.シブリット | F.カーター | |
| 第17回 | 1936年10月4日 | コリーダ | 牝4 | 2:38.72 | C.エリオット | J.ワッツ | |
| 第18回 | 1937年10月3日 | コリーダ | 牝5 | 2:33.88 | C.エリオット | J.ワッツ | |
| 第19回 | 1938年10月9日 | エクレールオーショコラ | 牡3 | 2:39.82 | C.ブイヨン | L.ロベール | |
| 第20回 | 1941年10月5日 | ルパシャ | 牡3 | 2:38.26 | P.フランコロン | J.カニントン | |
| 第21回 | 1942年10月4日 | ジェベル | 牡5 | 2:37.96 | J.ドワイヤベール | C.サンブラ | |
| 第22回 | 1943年10月3日 | ヴェルソ | 牡3 | 2:23.2 | G.デュフォレ | C.クルー | |
| 第23回 | 1944年10月22日 | アルダン | 牡3 | 2:35.0 | J.ドワイヤベール | C.サンブラ | |
| 第24回 | 1945年9月30日 | ニケローラ | 牡3 | 2:34.82 | W.ジョンストン | R.ペラ | |
| 第25回 | 1946年10月6日 | カラカラ | 牡4 | 2:33.32 | C.エリオット | C.サンブラ | |
| 第26回 | 1947年10月5日 | ルパイヨン | 牡5 | 2:33.42 | F.ロケッティ | W.ヘッド | |
| 第27回 | 1948年10月3日 | ミゴリ | 牡4 | 2:31.60 | C.スマーク | F.バターズ | |
| 第28回 | 1949年10月9日 | コロネーション | 牝3 | 2:33.22 | R.ポワンスレ | C.サンブラ | |
| 第29回 | 1950年10月8日 | タンティエーム | 牡3 | 2:34.22 | J.ドワイヤベール | F.マテ | |
| 第30回 | 1951年10月7日 | タンティエーム | 牡4 | 2;32.84 | J.ドワイヤベール | F.マテ | |
| 第31回 | 1952年10月5日 | ヌッチョ | 牡4 | 2:39.84 | R.ポワンスレ | A.ヘッド | |
| 第32回 | 1953年10月4日 | ラソレリーナ | 牝3 | 2:31.82 | M.ラローン | E.ポレ | |
| 第33回 | 1954年10月3日 | シカボーイ | 牡3 | 2:36.34 | W.ジョンストン | P.ペラ | |
| 第34回 | 1955年10月9日 | リボー | 牡3 | 2:35.68 | E.カミーチ | U.ペンコ | |
| 第35回 | 1956年10月7日 | リボー | 牡4 | 2:34.76 | E.カミーチ | U.ペンコ | |
| 第36回 | 1957年10月6日 | オロソ | 牡4 | 2:33.42 | S.ブーランジェ | D.レスカル | |
| 第37回 | 1958年10月5日 | バリーモス | 牡4 | 2:37.91 | A.ブリースリー | M.V.オブライエン | |
| 第38回 | 1959年10月4日 | セントクレスピン | 牡3 | 2:33.30 | G.ムーア | A.ヘッド | |
| 第39回 | 1960年10月9日 | ピュイッサンシェフ | 牡3 | 2:43.96 | M.ガルシア | C.バーソロミュー | |
| 第40回 | 1961年10月8日 | モルヴェド | 牡3 | 2:38.44 | E.カミーチ | A.マッギ | |
| 第41回 | 1962年10月7日 | ソルティコフ | 牡3 | 2:30.94 | M.デパルマ | R.ペラ | |
| 第42回 | 1963年10月6日 | エクスビュリ | 牡4 | 2:34.98 | J.ドフォルジュ | G.ワトソン | |
| 第43回 | 1964年10月4日 | プリンスロイヤル | 牡3 | 2:35.50 | R.ポワンスレ | G.ブリッジラン | |
| 第44回 | 1965年10月3日 | シーバード | 牡3 | 2:35.52 | T.グレノン | C.ポレ | |
| 第45回 | 1966年10月9日 | ボンモー | 牡3 | 2:39.8 | F.ヘッド | W.ヘッド | |
| 第46回 | 1967年10月8日 | トピオ | 牡3 | 2:38.2 | W.パイアーズ | C.バーソロミュー Jr | |
| 第47回 | 1968年10月6日 | ヴェイグリーノーブル | 牡3 | 2:35.2 | W.ウィリアムソン | E.ポレ | |
| 第48回 | 1969年10月5日 | レヴモス | 牡4 | 2:29.0 | W.ウィリアムソン | S.マグラー | |
| 第49回 | 1970年10月4日 | ササフラ | 牡3 | 2:29.7 | Y.サンマルタン | F.マテ | |
| 第50回 | 1971年10月3日 | ミルリーフ | 牡3 | 2:28.3 | G.ルイス | I.ボールディング | |
| 第51回 | 1972年10月8日 | サンサン | 牝3 | 2:28.3 | F.ヘッド | A.ペナ | |
| 第52回 | 1973年10月7日 | ラインゴールド | 牡4 | 2:35.8 | L.ピゴット | B.ヒルズ | |
| 第53回 | 1974年10月6日 | アレフランス | 牝4 | 2:36.9 | Y.サンマルタン | A.ペナ | |
| 第54回 | 1975年10月5日 | シュターアピール | 牡5 | 2:33.6 | G.スターキー | T.グリーパー | |
| 第55回 | 1976年10月3日 | イヴァンジカ | 牝4 | 2:39.4 | F.ヘッド | A.ヘッド | |
| 第56回 | 1977年10月2日 | アレッジド | 牡3 | 2:30.6 | L.ピゴット | M.V.オブライエン | |
| 第57回 | 1978年10月1日 | アレッジド | 牡4 | 2:36.5 | L.ピゴット | M.V.オブライエン | |
| 第58回 | 1979年10月7日 | スリートロイカス | 牝3 | 2:28.9 | F.ヘッド | C.ヘッド | |
| 第59回 | 1980年10月5日 | デトロワ | 牝3 | 2:28.0 | P.J.エデリー | C.ヘッド | |
| 第60回 | 1981年10月4日 | ゴールドリヴァー | 牝4 | 2:35.2 | G.ムーア | A.ヘッド | |
| 第61回 | 1982年10月3日 | アキイダ | 牝3 | 2:37.0 | Y.サンマルタン | F.マテ | |
| 第62回 | 1983年10月2日 | オールアロング | 牝4 | 2:28.1 | W.スウィンバーン | P.ビアンコーヌ | |
| 第63回 | 1984年10月7日 | サガス | 牡4 | 2:39.1 | E.サンマルタン | P.ビアンコーヌ | |
| 第64回 | 1985年10月6日 | レインボウクエスト | 牡4 | 2:29.5 | P.J.エデリー | J.ツリー | |
| 第65回 | 1986年10月5日 | ダンシングブレーヴ | 牡3 | 2:27.7 | P.J.エデリー | G.ハーウッド | |
| 第66回 | 1987年10月4日 | トランポリーノ | 牡3 | 2:26.3 | P.J.エデリー | A.ファーブル | |
| 第67回 | 1988年10月2日 | トニービン | 牡5 | 2:37.3 | J.リード | L.カミーチ | |
| 第68回 | 1989年10月8日 | キャロルハウス | 牡4 | 2:30.8 | M.キネーン | M.ジャーヴィス | |
| 第69回 | 1990年10月7日 | ソーマレズ | 牡3 | 2:29.8 | G.モッセ | N.クレマン | |
| 第70回 | 1991年10月6日 | スアーヴダンサー | 牡3 | 2:31.4 | C.アスムッセン | J.ハモンド | |
| 第71回 | 1992年10月4日 | スボーティカ | 牡4 | 2:39.0 | T.ジャルネ | A.ファーブル | |
| 第72回 | 1993年10月3日 | アーバンシー | 牝4 | 2:37.9 | E.サンマルタン | J.レボルド | |
| 第73回 | 1994年10月2日 | カーネギー | 牡3 | 2:31.1 | T.ジャルネ | A.ファーブル | |
| 第74回 | 1995年10月1日 | ラムタラ | 牡3 | 2:31.8 | L.デットーリ | S.ビン・スルール | |
| 第75回 | 1996年10月6日 | エリシオ | 牡3 | 2:29.9 | O.ペリエ | E.ルルーシュ | |
| 第76回 | 1997年10月5日 | パントレセレブル | 牡3 | 2:24.6 | O.ペリエ | A.ファーブル | |
| 第77回 | 1998年10月4日 | サガミックス | 牡3 | 2:34.5 | O.ペリエ | A.ファーブル | |
| 第78回 | 1999年10月3日 | モンジュー | 牡3 | 2:38.5 | M.キネーン | J.ハモンド | |
| 第79回 | 2000年10月1日 | シンダー | 牡3 | 2:25.8 | J.ムルタ | J.オックス | |
| 第80回 | 2001年10月7日 | サキー | 牡4 | 2:36.1 | L.デットーリ | S.ビン・スルール | |
| 第81回 | 2002年10月6日 | マリエンバード | 牡5 | 2:26.7 | L.デットーリ | S.ビン・スルール | |
| 第82回 | 2003年10月5日 | ダラカニ | 牡3 | 2:32.3 | C.スミヨン | A.ロワイエ=デュプレ | |
| 第83回 | 2004年10月3日 | バゴ | 牡3 | 2:25.0 | T.ジレ | J.ピース | |
| 第84回 | 2005年10月2日 | ハリケーンラン | 牡3 | 2:27.4 | K.ファロン | A.ファーブル | |
| 第85回 | 2006年10月1日 | レイルリンク | 牡3 | 2:26.3 | S.パスキエ | A.ファーブル | |
| 第86回 | 2007年10月7日 | ディラントーマス | 牡4 | 2:28.5 | K.ファロン | A.オブライエン | |
| 第87回 | 2008年10月5日 | ザルカヴァ | 牝3 | 2:28.8 | C.スミヨン | A.ロワイエ・デュプレ | |
| 第88回 | 2009年10月4日 | シーザスターズ | 牡3 | 2:26.3 | M.キネーン | J.オックス | |
| 第89回 | 2010年10月3日 | ワークフォース | 牡3 | 2:35.3 | R.ムーア | M.スタウト | |
| 第90回 | 2011年10月2日 | デインドリーム | 牝3 | 2:24.49 | A.シュタルケ | P.シールゲン |
[編集] 日本調教馬の成績
世界最高峰の競走の一つということもあり、日本からも2011年までに11頭の日本調教馬が遠征した。中でも1999年にはアメリカ産の日本調教馬であるエルコンドルパサーが、2010年にはナカヤマフェスタがそれぞれ2着に入っている。2006年には前年の日本牡馬クラシック三冠を無敗で制覇したディープインパクトが出走し3位に入ったが、その後ディープインパクトから禁止薬物が検出され失格処分となった(対象となったイプラトロピウムはフランスでも日本でも認められている気管支治療薬。レース時に体内から抜けていればよい。また人間の陸上競技でも禁止されていない)。
| 回数 | 施行日 | 参戦馬名 | アルファベット表記 | 性齢 | 騎手名 | 管理調教師 | 着順 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第48回 | 1969年10月5日 | スピードシンボリ | Speed Symboli | 牡6 | 野平祐二 | 野平省三 | 着外(11着以下) |
| 第51回 | 1972年10月8日 | メジロムサシ | Mejiro Musashi | 牡5 | 野平祐二 | 大久保末吉 | 18着 |
| 第65回 | 1986年10月8日 | シリウスシンボリ | Sirius Symboli | 牡4 | M.フィリッペロン | 二本柳俊夫 | 14着 |
| 第78回 | 1999年10月3日 | エルコンドルパサー | El Condor Pasa | 牡4 | 蛯名正義 | 二ノ宮敬宇 | 2着 |
| 第81回 | 2002年10月6日 | マンハッタンカフェ | Manhattan Cafe | 牡4 | 蛯名正義 | 小島太 | 13着 |
| 第83回 | 2004年10月3日 | タップダンスシチー | Tap Dance City | 牡7 | 佐藤哲三 | 佐々木晶三 | 17着 |
| 第85回 | 2006年10月1日 | ディープインパクト | Deep Impact | 牡4 | 武豊 | 池江泰郎 | 失格(3位入線) |
| 第87回 | 2008年10月5日 | メイショウサムソン | Meisho Samson | 牡5 | 武豊 | 高橋成忠 | 10着 |
| 第89回 | 2010年10月3日 | ナカヤマフェスタ | Nakayama Festa | 牡4 | 蛯名正義 | 二ノ宮敬宇 | 2着 |
| ヴィクトワールピサ | Victoire Pisa | 牡3 | 武豊 | 角居勝彦 | 7着(8位入線) | ||
| 第90回 | 2011年10月2日 | ヒルノダムール | Hiruno D'Amour | 牡4 | 藤田伸二 | 昆貢 | 10着 |
| ナカヤマフェスタ | Nakayama Festa | 牡5 | 蛯名正義 | 二ノ宮敬宇 | 11着 |
- スピードシンボリの着順は各所で「10着」と表記されている事も多いが、実際の10着馬はZborである(11着以下は公式記録が残されていないため「着外」の扱いとなっている)。
- ヴィクトワールピサは8位で入線したが、7位入線のプラントゥールが失格となったため7着に繰り上げられた。
[編集] 日本人騎手の成績
日本調教馬以外での騎乗成績
| 回数 | 施行日 | 騎乗馬名 | アルファベット表記 | 性齢 | 騎手名 | 管理調教師 | 着順 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第69回 | 1990年10月7日 | アサティス | Assatis | 牡3 | 柴田政人 | G.Harwood | 12着 |
| 第73回 | 1994年10月2日 | ホワイトマズル | White Muzzle | 牡4 | 武豊 | P.Chapple-Hyam | 6着 |
| 第73回 | 1994年10月2日 | ダンシェンヌ | Dancienne | 牝4 | 岡部幸雄 | E.Lellouche | 20着 |
| 第80回 | 2001年10月7日 | サガシティ | Sagacity | 牡3 | 武豊 | A.Fabre | 3着 |
[編集] 主な記録
[編集] 最多勝利
- 騎手(4勝)
- ジャック・ドワイヤベール(1942年、1944年、1950年、1951年)
- フレディ・ヘッド(1966年、1972年、1976年、1979年)
- イヴ・サンマルタン(1970年、1974年、1982年、1984年)
- パット・エデリー(1980年、1985年~1987年)
- 調教師(7勝)
- アンドレ・ファーブル(1987年、1992年、1994年、1997年、1998年、2005年、2006年)
[編集] その他
- レースレコード 2:24.49(第90回優勝馬・デインドリーム)
[編集] 主なステップレース
- フランス国内
- アイルランド
- アイリッシュチャンピオンステークス (Irish Champion Stakes) G1 3歳以上 芝10f
- ドイツ
- バーデン大賞 (Grosser Preis von Baden) G1 3歳以上 芝2400m
[編集] その他
[編集] 日本におけるテレビ中継
日本におけるテレビ中継権は長らくNHKが持っていたが、衛星テレビジョンで後日放送するような扱いだった。しかし1999年、エルコンドルパサーが出走したことにより初めての生中継に踏み切った。2006年、ディープインパクトが出走したことにより地上波生中継に踏み切った。衛星テレビだけでなく、総合テレビでも全国に向けて放送された。2007年以降は再び後日放送となっている。
2007年から、民放で長く競馬中継に積極的に取り組んでいた関西テレビ放送が中継権を取得。しかしこのため放送は関西ローカルとなった。ただ、関西テレビの中継は放送時間の関係により生中継ではなくレース1〜2時間後の録画放送となっている[17]。
なおBSテレビの中継権に関しては農林水産省の関連団体が運営するグリーンチャンネルが有しており、加入視聴者向けに中継している。CSでは2010年からフジテレビTWOでも「みんなのフランスKEIBA」と題して中継放送を行っている。また2011年は同年から競馬中継が始まったBS11で『うまナビ!イレブン』の枠を拡大、当競走の生中継を挿入することが決まっている。
[編集] 注釈
- ^ このため1999年より2005年まで存在したワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップに参加できなかったが、2003年に本競走の主催元のフランスギャロや当時のスポンサーであるルシアン・バリエールの訴えにより加入が認められた。
- ^ エルコンドルパサーが2着に敗れた際には地元メディアから「2頭チャンピオンが存在した」と評価され、ディープインパクトが3着に敗れた(後に失格)際に馬主の金子真人が同レースを3歳馬のスターをつくるためのレースであると発言した。
- ^ http://www.jairs.jp/contents/w_news/2010/22/3.html
- ^ 一般に芝の種類や刈り方、水分含有量等により馬場の状態は変化するがその基準は各国まちまちである。
- ^ ただし、凱旋門賞が「2400m戦線における欧州チャンピオン決定戦」という名目で行われるのに対し、カルティエ賞年度代表馬はすべての距離カテゴリを総括した上での欧州チャンピオンを決定することを目的としているため、この2つを比較する場合は注意が必要である。かつてほど低価値とは見なされなくなったマイル路線やスプリント路線で顕著な活躍した馬がいた場合、凱旋門賞優勝馬の年度代表馬受賞は当然困難になる。
- ^ カルティエ賞創設以来20年間では凱旋門賞優勝馬が年度代表馬になったのは7頭。
- ^ 岡部幸雄も2008年の天皇賞・秋の解説で、「いまの世界では、(2000mのレースが)いちばん重要視されているレースなんですよね」と語っている。
- ^ 古くから、イギリスの2000ギニーや1000ギニーの出走馬はそのままダービーやオークスへの出走を目指すのが当たり前とされてきた。しかし現在では2000ギニーや1000ギニーの優勝馬でさえも二冠を目指さず生涯マイル路線へ進む例が増えている。このことも、マイル戦の価値が上がっていることの一つの裏付けである。なお、イギリスクラシック二冠を達成する馬は通常マイル路線ではなく中距離路線を進むが、このことは現在でも変わっておらず、ニューアプローチやシーザスターズもその傾向に沿う。
- ^ 北米のサラブレッド生産規模は欧州に比べてはるかに大きく、したがって北米における種牡馬需要は欧州におけるそれよりも何倍も大きい。欧州馬が北米で種牡馬入りする際は北米のダートに実績があるほうが有利である。
- ^ ガリレオ、アラムシャー、ファルブラヴ、スラマニ、ネイエフ、エレクトロキューショニストなど。イギリスのチャンピオンステークスや、アメリカのブリーダーズカップへ向かうことがあった。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ セントクレスピンはインポテンツ、ダンシングブレーヴはマリー病だった。
- ^ 優勝馬が競売(セリ)に出される条件で行われる競走
- ^ ロンシャン競馬場、2012年凱旋門賞後に改築のため一時閉場 - ジャパン・スタッドブック・インターナショナル「海外競馬ニュース」 2011年10月30日閲覧
- ^ 凱旋門賞の発走時間がフジテレビ系列の全国ネット番組(新堂本兄弟、FNNニュース)の放送時間帯にあたるため。
[編集] 関連項目
- エトワール凱旋門 - 本競走の名称の由来となる建築物
- ドバイワールドカップ - 世界の大競走の1つ
- ダービーステークス - 世界の大競走の1つ。エプソムダービー
- キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス - 世界の大競走の1つ
- ブリーダーズカップ・クラシック - 世界の大競走の1つ
- アイリッシュチャンピオンステークス - アイルランドの最強馬決定戦
- ブリーダーズカップ・ターフ - アメリカの芝の最強馬決定戦
- 香港カップ - 中華人民共和国(香港)の最強馬決定戦
- アメリカ賞 - フランス競馬最大の繋駕速歩競走
[編集] 外部リンク
- Site Officiel du Qatar Prix de l'Arc de Triomphe - 凱旋門賞のオフィシャルサイト
- France Galop - フランス競馬の統括団体
|
||||||||||||||
|
|||||