加藤和宏 (JRA)

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加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手である。北海道出身。JRA所属の騎手加藤士津八は息子。

高崎競馬場に所属していた騎手加藤和宏同姓同名の別人である[1]

目次

[編集] 来歴

1956年、北海道夕張市に生まれる。小学2年生の時に父親の家業の関係で、馬産が盛んな浦河町に移り住んだが、少年期は特別に騎手を志してはいなかった[2]。中学3年生の時、調教師の二本柳俊夫が騎手候補生を探していた関係で、近所の牧場が小柄で運動神経に優れた加藤を紹介する[3]。これを受け、中学校卒業後の1972年、馬事公苑騎手養成長期課程に第22期生として入所した。同期生には根本康広佐々木晶三などがいる。

[編集] 騎手時代

騎手課程修了後の1975年に騎手免許を取得し、二本柳厩舎所属でデビュー。初年度は4勝に終わったが、2年目から徐々に勝利数を増やし、中堅騎手として定着。1980年、厩舎所属馬ホウヨウボーイに騎乗して日経賞を制し、重賞初勝利を挙げる。同年末には同馬で有馬記念も制し、八大競走初制覇も果たした。以後も二本柳厩舎の主戦騎手としてシャダイアイバーで優駿牝馬、アンバーシャダイ天皇賞(春)などを制した。1985年の東京優駿(日本ダービー)はシリウスシンボリに騎乗、それまでに紆余曲折があったが、1番人気に応えて優勝を果たし、優勝騎手インタビューでは「ゆかりちゃん、やったよ!」と、前年に結婚した妻の名を叫んで話題となった[4]。また、口取り式では息子の士津八を抱いて写真撮影に臨んでいる。

1989年、二本柳厩舎を離れ、フリーとなる。以後勝利数が30勝前後で安定、1993年のエリザベス女王杯では、ホクトベガに騎乗して二冠牝馬ベガ等を退け、「ベガはベガでもホクトベガ」の実況で知られる波乱を起こした。

しかし2000年代以降は成績が下降線を辿る。2003年に息子・士津八の騎手デビューで親子騎手となったが、2005年に調教師免許を取得し、同年に騎手を引退した。通算6476戦604勝(数字は中央競馬のみ)。厩舎所属時代は、二本柳の方針から他厩舎の馬に騎乗することが極端に少なく、フリーとなって以後は騎乗馬を集める営業力に欠けたとも言われる。このため、「腕の割に勝利数が少ない」という意見もあった[5]

[編集] 調教師時代

2005年、美浦トレーニングセンターに厩舎を開業。初出走は同年5月28日東京競馬第4競走のビクトリアスで3着。初勝利は同年10月29日東京競馬第1競走のアリマエクセレントで、延べ54頭目であった。重賞での勝利はまだない。2007年には第1回ジョッキーマスターズの出場騎手に名を連ね、シャダイアイバーの服色で参戦し4着という結果を残した。

[編集] シリウスシンボリと加藤

シリウスシンボリの馬主であった和田共弘は、クラシックを前に、それまでのレースで進路妨害による失格や、騎乗ミスでの敗戦があった加藤から、岡部幸雄への乗り替わりを求めた。しかし二本柳は「加藤はミスをしておらず、気性難のシリウスを上手く乗りこなしている」と主張し、これを拒否する。これを受けて和田はシリウスを畠山重則厩舎へ転厩させるが、これが同馬の日常の世話を続けた厩務員に対しても酷薄な仕打ちであるとして、厩務員組合が和田を糾弾する事態となった。折衝の末にシリウスは二本柳厩舎に戻り、「若葉ステークスは岡部、日本ダービーは加藤」という妥協案で合意した。ダービー優勝によって円満解決になると思われたが、この後シリウスシンボリは菊花賞に向かわず、約2年にわたって欧州遠征を行った。この遠征では加藤は騎乗していない。

[編集] 通算成績

[編集] 騎手成績

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 601 542 594 4,725 6,462 .093 .177
障害 3 0 0 14 17 .214 .214
603 542 594 4,736 6,476 .093 .178

[編集] 主な騎乗馬

※括弧内は加藤騎乗時の優勝重賞競走。

[編集] 出典・脚注

  1. ^ 1999年の日経賞では、中央の加藤和宏がシグナスヒーローに、高崎の加藤和宏がリキアイフルパワーに騎乗し、同一競走、しかも重賞競走で2人の「加藤和宏」が騎乗するという非常に珍しい記録となった(シグナスヒーロー5着、リキアイフルパワー6着)。
  2. ^ 木村 263頁。
  3. ^ 加藤は中学時代に体操部に所属し、地域で指折りの選手であった。(木村 262頁)
  4. ^ これは加藤が好きなボクシング映画『ロッキー2』で、世界王者となった主人公がリング上で恋人の名を叫ぶラストシーンを意識したものだった。(木村 268頁。)
  5. ^ 『競馬騎手読本』47-48頁。

[編集] 参考文献

先代:
岡部幸雄
日本ダービー優勝騎手
1985年
次代:
増沢末夫