柴田善臣

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柴田善臣
Yoshitomi-Shibata20100627.jpg
2010年宝塚記念表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県上北郡東北町
生年月日 1966年7月30日(48歳)
身長 164.0cm
体重 53.0kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー
初免許年 1985年
免許区分 平地
経歴
所属 美浦中野隆良(1985年 - 1993年)
美浦・フリー(1993年 - )
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柴田 善臣(しばた よしとみ、1966年7月30日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の騎手

息子は新人当時は伊藤圭三厩舎に所属し、現在は高橋祥泰厩舎の厩務員である柴田健登[1]調教師柴田政見柴田政人、元騎手の柴田利秋は叔父(善臣の父が長兄)にあたり、元プロ野球選手埼玉西武ライオンズ)の柴田博之は従兄弟(利秋の息子)にあたる。

来歴[編集]

1982年競馬学校の第一期生として入学。1985年に騎手免許を取得し、美浦の中野隆良厩舎所属でデビュー。初騎乗は同年3月9日中山競馬第6競走のイズミサンエイで5着、初勝利は同年4月7日の中山競馬第3競走のイズミサンエイであった。同年は12勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞している。1988年中山牝馬ステークスで、主戦の柏崎正次騎手が斤量50kgでの騎乗ができない為、代打でソウシンホウジュに騎乗し、重賞初勝利を挙げた。

1993年安田記念ヤマニンゼファーに騎乗し、GI初勝利を挙げた。この時期の前後から安定して勝利を重ね、関東の有力騎手として台頭。2001年1月21日には中山第5競走の新馬戦においてティエッチコマンドに騎乗して1着となり、JRA通算1,000勝を達成[2]し、ワールドスーパージョッキーズシリーズも2度制覇(1999年2003年)している。そして、掲示板(5着以内)へ頻繁に入着する堅実な騎乗で3年連続JRAの関東リーディングジョッキー(2002年-2004年)に輝いている。また、夏の新潟福島開催で好成績を残しており、なかでも2002年から2004年にかけて3年連続で新潟リーディングジョッキーに輝いているほか、2001年7月14日の新潟競馬第10競走「NiLS21ステークス」ではツジノワンダーに騎乗して当時の芝2000メートル日本レコードとなる1分56秒4を記録している[3]

一方で、中央GIを8勝していながら、クラシックのGIは未勝利である。また、8勝のうち6勝が東京と中京の左回りの競馬場で、右回りの競馬場では長らく中央GI勝利がなかったが、2010年の宝塚記念ナカヤマフェスタで制し、右回りの競馬場での中央GI初勝利となった。JRA主要競馬場の1つの京都競馬場重賞は長く未勝利であったが、2007年マイネルスケルツィ京都金杯を勝ったことにより、重賞を勝っていない競馬場は函館小倉となった。

2001年から2005年の間は中央GIを勝つことができず、また見せ場も少なかった。しかし2006年高松宮記念で6年振りの中央GI制覇を果たしたのを皮切りに、桜花賞ヴィクトリアマイル優駿牝馬といった牝馬GIの舞台で、人気薄の馬を好走させている。そして、続く東京優駿でも、初騎乗のアドマイヤメインで2着に入った。惜しくもダービージョッキーとなることは出来なかったが、例年のイメージと異なるその姿は、周囲を驚かせるに十分であった。

また2010年は、前述のように宝塚記念で4年ぶりのGI勝利の後、ラジオNIKKEI賞をアロマカフェで、七夕賞を11番人気のドモナラズで勝ち、3週連続重賞勝ちを記録した。その後、2011年12月17日には、中山第11競走のディセンバーステークスにおいてナカヤマナイトに騎乗して1着となり、JRA通算2,000勝を達成した[4]2012年11月11日にはエリザベス女王杯をレインボーダリアで制覇し、自身初となる牝馬GI及び京都競馬場でのGI競走優勝を果たした。

デビュー後、3年間は平地のほか、障害競走にも騎乗していたことがあり、40戦2勝の成績を挙げている。デビューした1985年12月21日中山大障害(秋)にスガノキングで障害重賞初騎乗を果たしている(結果は8頭中7着)。得意ではなかったと回顧しており、自分に向いていないと感じたことや騎乗予定だった馬の事故などがあり、障害免許の更新をしなかった。だが、障害競走に騎乗したことで勉強できたこともあったと語っている[5]

重賞4勝馬ワシントンカラーを始め、管理馬の数多くを柴田に騎乗依頼している調教師の松山康久は、柴田を「騎乗馬の状態判断が的確であり、義理堅く、丁寧なやりとりをしてくれている」と語っているように関係者からの評判も良い。

高橋祥泰厩舎に実習に来た競馬学校2年時の田中博康(現騎手)に、調教の仕方を教えたということもあった。柴田は「常に馬と会話をしながら乗りなさい」と教え、田中はその柴田を「本当に丁寧な調教をされる」と敬意をもって評している。[6]また田中は「先輩騎手から技術を盗めるとしたら、どの騎手のどの部分が欲しい?」といった質問を受けた際も、「善臣さんのレースに行っての折り合いのつけ方」と回答している。[7]

かねてより腰の不安が指摘されていたが、2009年1月4日の中山競馬で9年7か月ぶりの騎乗停止処分を受けたため、それを機会に休養し腰椎ヘルニアの手術を受けた[8]。その後約1か月のリハビリに専念し、2月21日の東京競馬にて復帰、22日にはフェブラリーステークスでナンヨーヒルトップに騎乗した。

2005年3月、岡部幸雄の引退に伴い、かつては叔父の柴田政人も務めていた日本騎手クラブの会長に就任。2010年4月12日に東西役員総会の役員改選で後任の会長に武豊が選出され[9]、同年9月15日付で会長を退任して相談役に就いた[10]

代表騎乗馬[編集]

ホクトヘリオス
柴田が初めて出会った名馬。今でも「ヘリオスに競馬を教わった」旨の発言をすることがある。古馬となってマイル路線に定着後に、柴田とのコンビが結成された。レースぶりは不器用そのもので、いつも後方から追い込む戦法であった。GIIまでは通用したがGIでは足りず、1着馬がゴール板に達する頃に大外から追い込んで掲示板に載る程度の成績であった。最後までGIを勝つことは無かったが、柴田とのコンビでは重賞3勝を挙げる。
ホクトビーナス
ホクトヘリオスの半妹で、兄と同じ中野隆良厩舎の管理馬。1989年のデビュー戦での勝利が、柴田のJRA通算100勝目となった。ダートで2連勝し、同年の桜花賞に出走したが武豊騎乗のシャダイカグラの2着に終わり、後に自著で「今の自分が乗っていれば、勝てた勝負だね。あのときはほんのちょっと、残り3ハロンとまではいかなくても、570メートルくらいで若さが出た。詰めが甘かった」と言うほど悔いの残るものであった。[11]
ヤマニンゼファー
上述に記載。
マチカネタンホイザ
父は名種牡馬ノーザンテースト。母系も数々の名馬を輩出したスターロツチ系のため大変期待されていたが、血統に似合わぬズブさのため、大レースに出走するものの掲示板に載るのがやっとの有様であった。そして『一流半』の烙印を押された所で柴田に手綱が巡り、このコンビでアメリカジョッキークラブカップなど重賞を2勝した。なお、旧6歳(現5歳)秋にはジャパンカップを鼻出血で、有馬記念を蕁麻疹により連続で出走を取り消すという珍事件(いずれも柴田が騎乗する予定であった)を起こした。
タイキフォーチュン
1996年の第1回NHKマイルカップを優勝。勝ちタイム1分32秒6は、2004年キングカメハメハに破られるまでのレースレコード。柴田が騎乗することの多い厩舎の一つである、高橋祥泰厩舎の管理馬。
オフサイドトラップ
サイレンススズカが故障を発生し競走中止となった1998年天皇賞(秋)の優勝馬。ナリタブライアンと同期で、8歳(現・7歳)の天皇賞制覇は史上初であり、当時最年長勝利記録だった[12]
キングヘイロー
1999年東京新聞杯より手綱を取り、2000年高松宮記念を優勝。
ホットシークレット
2001年第115回目黒記念(GII)では、本来逃げ馬であるはずのこの馬を柴田の判断でわざと出遅れさせ、そのまま最後方から追い上げ、レコードタイムで勝利した。
プリエミネンス
1997年生まれのアフリート産駒。川崎関東オークス(統一GIII)を初め、札幌エルムステークス浦和浦和記念(統一GII)など各地の交流重賞8勝すべてを、柴田とのコンビで挙げた。牝馬ながら2002年のJBCクラシックではアドマイヤドンの2着になるなど、男勝りな面も見せ、国内で3年間タフに活躍した。現在はアメリカ繁殖牝馬として過ごしている。
サウスヴィグラス
柴田を主戦騎手とする高橋祥泰厩舎に所属した1996年生まれの外国産馬で、種牡馬エンドスウィープの代表産駒の1頭。7歳時、柴田を背にJBCスプリントを初め重賞8勝を挙げた。
オレハマッテルゼ
柴田にとって6年ぶりの中央GI勝利となった、2006年高松宮記念馬。馬主は個性的な馬名を付けることで有名な小田切有一。馬名の由来は石原裕次郎のヒット曲「俺は待ってるぜ」から。ゴール前で抜け出すと遊ぶ癖があり惜敗することが多かった。マイル戦を中心に使われてきた同馬にとって高松宮記念は初挑戦の1200m戦であったが、前記の癖を掴んでいた柴田は馬を騙す為にあえてマイルでのレース運びをし、見事勝利へ導いた。
マイネルスケルツィ
京都競馬場での初の重賞制覇をもたらした馬。
アサヒライジング
2006年のアネモネステークスより、当時騎乗停止中であった小林淳一から乗り替わりコンビを組む。優駿牝馬ヴィクトリアマイルでもコンビを組んで好走。
ナカヤマフェスタ
2010年のメトロポリタンステークスからコンビを組み、第51回宝塚記念で1番人気のブエナビスタを差し切り優勝。柴田にとって4年ぶりの、そして右回り競馬場では初の中央GI勝利となった。
レインボーダリア
2012年のエリザベス女王杯にこの馬で挑戦し、1番人気のヴィルシーナをゴール前で振り切って優勝。柴田にとっては京都競馬場及び牝馬限定のGI競走初勝利となった。
ジャスタウェイ
2014年第64回安田記念にて、当初の同馬騎乗予定の福永祐一が騎乗停止処分中であったことによる騎乗。グランプリボスを鼻差で退け自身2度目となる安田記念制覇となった。

成績[編集]

年度別騎乗成績[編集]

※勝利数が太字になっている年は関東リーディングジョッキーを獲得したことを意味する。勝利数、重賞勝利数は中央競馬のみ。斜字は統一GIを指し、勝利数、重賞勝利数に含まれない。

年度 勝利数 重賞勝 GI級競走勝利 表彰
1985年 12 0 民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞)
1986年 9 0
1987年 26 0
1988年 50 3
1989年 66 3
1990年 59 3
1991年 37 3
1992年 35 3
1993年 69 4 安田記念ヤマニンゼファー
天皇賞(秋)(ヤマニンゼファー)
1994年 78 1 優秀騎手賞(勝利度数部門)
1995年 87 5 優秀騎手賞(勝率部門・賞金獲得部門)
フェアプレー賞(関東)
1996年 80 6 NHKマイルカップタイキフォーチュン 優秀騎手賞(勝利度数部門)
フェアプレー賞(関東)
1997年 100 3 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)
1998年 109 4 天皇賞(秋)(オフサイドトラップ 優秀騎手賞(勝利度数部門)
1999年 105 6 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2000年 71 4 高松宮記念キングヘイロー フェアプレー賞(関東)
2001年 129 3 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)
2002年 120 7 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
フェアプレー賞(関東)
2003年 119 3 JBCスプリントサウスヴィグラス 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2004年 145 3 ジャパンダートダービーカフェオリンポス 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
2005年 106 3 フェアプレー賞(関東)
2006年 99 4 高松宮記念(オレハマッテルゼ
2007年 58 3 フェアプレー賞(関東)
2008年 56 0 フェアプレー賞(関東)
2009年 46 1
2010年 83 4 宝塚記念ナカヤマフェスタ フェアプレー賞(関東)
2011年 47 4 フェアプレー賞(関東)
2012年 59 2 エリザベス女王杯レインボーダリア フェアプレー賞(関東)
2013年 44 2
2014年 15 1 安田記念ジャスタウェイ)
通算 2106 88
  • 2014年は6月8日現在

日本国外での騎乗成績[編集]

騎乗日 騎乗馬 レース名 距離 着順 開催場
1995年12月10日 ドージマムテキ 香港国際ボウル 芝 1400m 5/14 香港の旗 香港 沙田
2002年3月23日 ホットシークレット ドバイシーマクラシック 芝 2400m 7/15 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ナド・アルシバ
2011年9月11日 ナカヤマナイト ニエル賞 芝 2400m 6/6 フランスの旗 フランス ロンシャン
2011年10月1日 ナカヤマナイト ドラール賞 芝 1950m 10/11 フランスの旗 フランス ロンシャン

初騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1985年3月9日 2回中山5日6R 4歳未勝利 イズミサンエイ 14頭 - 5着
初勝利 1985年4月7日 3回中山6日3R 4歳未勝利 イズミサンエイ 13頭 - 1着
重賞初騎乗 1987年4月26日 2回東京1日11R 京王杯スプリングカップ タイテールポ 18頭 13 15着
重賞初勝利 1988年2月28日 2回東京2日11R 中山牝馬ステークス ソウシンホウジュ 8頭 7 1着
GI初騎乗 1987年5月17日 2回東京8日10R 安田記念 タイテールポ 19頭 13 17着
GI初勝利 1993年5月16日 2回東京8日10R 安田記念 ヤマニンゼファー 16頭 2 1着

エピソード[編集]

競馬が一番の趣味と断言する柴田は、プライベートにおいても趣味の人として知られる。2005年11月にはNHKBSの『にっぽん釣りの旅〜伝統のカモシで誘え 巨大ヒラマサ〜』にゲスト出演するなど、釣りの腕前はプロからも一目置かれている。番組内での釣果はゴマサバマダイのみだったが、後日再挑戦に成功した。[13]

2006年7月には、自分の次男・三男や、釣り仲間の谷中公一調教助手(元騎手)とともに、茨城県日立沖でメバル釣りに挑戦した。柴田は釣りと競馬を重ね合わせた勝負哲学を披露しながら、13匹という最大の釣果を挙げた。そして最後は騎乗馬のオレハマッテルゼを引き合いに出し「こんな楽しい乗船依頼なら、いつでもおれは待ってるぜ」という台詞で締めくくった[14]。これは日刊スポーツの企画であったが、柴田はプライベートでも、7月・8月の新潟競馬開催期間に息子を連れて海へ出かけるなど、子煩悩な一面を見せている。

また「どの釣りが好きか?」との問いに対しては「すべての釣りが好き。川でも海でも磯でも船でも。どんな釣りというより、普段の仕事・生活から離れて、自然の中で釣りに没頭する。その状況自体が好きなんだよね」と答えている。[15]また、釣りなどで使う船を牽引するために牽引免許を取得するほどである[16]

おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!に出演した際には、騎手デビューしてから現在までの趣味の遍歴を、所有していた自動車になぞらえながら明かした [17]。本人によると少なくとも32台の自動車を所有し(但し本人曰く「これでも少なくとも数台は漏れている」と述べている)、自身の趣味である釣り、犬、鷹狩り、カートなど多彩な趣味に合わせてそれぞれに特化した自動車を購入している。2002年に購入したハマーH2の納車日は新しい犬を飼う日に合わせ、色も犬に合わせたほどのこだわりを見せている。 また上記の通り釣りのために牽引免許を取得しているほか、一級船舶免許カート大型二輪免許も保有していることを明らかにしている(当然騎手免許も保有している)。 2013年現在の愛犬は「ジェリタ」という名前であり、ジェリタ専用車としてトヨタ・ハイエースを犬と共に番組に登場させた。同車はキャンピングカー仕様であるが、結局「ホテルまで車で行ってしまい、ワインを飲み、ホテルに泊まってしまう」と述べている。またいつ車が欲しくなってもいいように、バッグに住民票を忍ばせておいていることも明かしている。 さらに「運命の車」として、インターネットで車を見ていた際、可愛がっていたが亡くなってしまった愛犬「アリス」に外見が似ていたランボルギーニ・ガヤルドを「アリスの生まれ変わり」と確信して即座に購入したと述べた。この車も番組に登場させ、運転は小木博明が行い、自身は助手席に乗り、ロケを行いながら同車の解説を行った。 番組の最後の「自身にとって車とは?」という問いに対しては「車は靴ですね。用途によって履き替える」とコメントした。

2009年には、次男の健登が翌年度の競馬学校騎手課程(29期生)に合格したことが発表された[18]。また同年、三男がジョッキーベイビーズの関東地区予選に出場したが最下位に敗れた[19]。翌年の競馬学校入学式では次男が力強く生徒宣誓の大役を務め上げ、騎手会長で来賓として出席した柴田も報道陣からコメントを求められた際には「3年間を耐えられないようじゃダメだし、騎手にもなれない。しっかり頑張って欲しい。」と辛口のエールを送っていたが、その後に向けられた息子との記念写真のカメラの前では相好を崩した[20]。しかし次男は2012年に競馬学校を一度退学した[21]が、2013年度に進路を厩務員課程に変更して再入学し、課程終了後に厩務員として活動するようになった。

動物好きの柴田は猛禽類も愛し、以前はハヤブサの「ピー」を飼っていたが、野生に帰った(逃げられた)為、現在はノスリの「クー」ほか、計2羽の鷹を飼っている(しかし騎手会長職等の多忙さから今は手元にいない)。2010年に月刊誌UMAJINが企画した騎手からの年賀状では、鷹匠としての柴田の姿のみが印刷され、馬はどこにも写っていない。また、夫人が中心ではあるがのブリーディングも手掛け、休日(平日)にはドッグショーにも参加し、自らハンドリングもする。代表格の「ジェリタ」を初め、犬達の名前はバリ島に傾倒する夫人により名付けられ、それぞれインドネシア語に由来する。2006年FCIアジアインターナショナルドッグショーにて愛犬のサルーキー(チタチタ)がBOB(ベストオブブリード)を獲得した。[22]

柴田自身もワインについて造詣が深く、ワインの同好会に参加するほか、自身のブログの中でワインを選ぶ際のポイントや、愛用のワイングラス「ロブマイヤー・バレリーナ」について述べている[23]。さらに趣味は多岐に渡り、2008年秋には当時日本に1台も輸入されていなかったイタリア製の三輪スクータージレラFUOCO500ieを購入したことをブログで取り上げていた[24]。ブログはその後「騎手会長の仕事がかなり忙しくなってきたため」休止していたが、2011年7月12日アメーバブログにて再度開設されている。[25]

2006年6月14日プロ野球千葉ロッテマリーンズ - 横浜ベイスターズ戦では始球式のプレゼンターを務めた。当日は背番号「ヨシトミ」のロッテのユニフォームを着用。競馬(関東のGI)のファンファーレが流れる中、一塁側外野のグラウンド入り口から馬に跨って登場。見事なストレートで空振りを奪ったその始球式は、実況の矢野吉彦アナウンサーが、自分が見た始球式の中でベスト3に入ると絶賛するほどであった[26]。しかし柴田本人は「採点をすれば45点」「もっと速い球を投げられるのに打者に当ててはいけないと自重してしまった」と辛口だった。2008年にも千葉マリンスタジアムでの始球式を行ったが、これは前回のストレートとは異なりワンバウンドであり、本人もあまり満足していなかった。なお、柴田以外では田中勝春後藤浩輝がこの時に投げている。

一番の趣味である本職の騎手稼業では、近年前述した持病の腰痛の悪化により大幅に勝ち星を減らしていたが、腰の手術や騎手会長の重責からの解放などが重なり、2010年には自身初のJRA重賞3週連続制覇など復調の兆しを見せている。腰の痛みはかなりのものだったようで、大好きなゴルフもままならず、2009年1月に騎乗停止処分を受けた日に酒の席であまりの痛みに耐えきれず、店から病院に向かい手術を受けた[27]。手術からの復帰後初のG1勝ちとなった宝塚記念では、入線時に左手を小さく握り喜びを表現しただけで、インタビューでも「忘れたころにやりました」と言葉少なだったものの[28]、G3七夕賞の入線後は派手なガッツポーズを見せ、勝利騎手インタビューでは勝ち馬名のドモナラズにかけ「どうにかなった」と駄洒落を言ってみたり[29]、次走がそれまで自身が騎乗をしたことがない小倉競馬場で行われる小倉記念と知ると「やった、引退前に小倉に行ける」と周りを笑わせるなど[30]、ことのほか饒舌だった。

テレビ出演[編集]

著書[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 柴田健登のTwitter
  2. ^ JRA公式ウェブサイト 騎手名鑑『柴田善臣』表彰暦・記録より
  3. ^ 現在の芝2000メートル日本レコードは2011年10月30日天皇賞(秋)トーセンジョーダンニコラ・ピンナ騎乗)が記録した1分56秒1。
  4. ^ JRA公式ウェブサイト 騎手名鑑『柴田善臣』表彰暦・記録より
  5. ^ 『素顔のままで』P18
  6. ^ netkeiba.com『ホソジュンのステッキなお話 田中博康騎手』より
  7. ^ 競馬最強の法則2009年9月号
  8. ^ 日刊スポーツ 2009年1月8日
  9. ^ ラジオNIKKEI 2010年4月21日付
  10. ^ sanspo.com 2010年9月16日付
  11. ^ 『善臣の仕事』P18
  12. ^ 2009年の天皇賞(秋)で、カンパニーが8歳(旧表記9歳)で勝利し、記録を更新している。
  13. ^ NHKにっぽん釣りの旅 これまでの釣りの旅
  14. ^ 日刊スポーツ 見事!!柴田善サオさばき…沖メバル初挑戦
  15. ^ 柴田善臣騎手公式ミニまぐ! 2008年11月12日
  16. ^ 『素顔のままで』P19
  17. ^ BS日テレ - おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE! │ #50 柴田善臣
  18. ^ 善臣ジュニア、和田のおいっこら8人競馬学校合格(競馬) - スポニチ Sponichi Annex ニュース
  19. ^ 馬事公苑 2009.09.23 第41回愛馬の日
  20. ^ 競馬学校入学式、善臣Jr.力強く生徒宣誓 - SANSPO.COM
  21. ^ 騎手課程第29期生 東京競馬場で模擬レースを開催(JRA公式サイト)には模擬レース参加者には名前を連ねていなかったので、退学したことが検証できる。
  22. ^ イスタナドッグス SHOW(受賞歴のページ)
  23. ^ JRA騎手・柴田善臣公式ブログ「Yoshitomi's Wine cellar」 2008年09月25日
  24. ^ JRA騎手・柴田善臣公式ブログ「Yoshitomi's Wine cellar」 2008年10月02日
  25. ^ セレクトセール - 柴田善臣オフィシャルブログ「わたしのたからもの」2011年7月12日付
  26. ^ 同年6月17日発行、東京スポーツより
  27. ^ 善臣フェスタで4年ぶりG1/宝塚記念、日刊スポーツ 2010年6月28日付記事
  28. ^ 【宝塚記念】柴田善「忘れたころにやりました」、Sponichi Annex 2010年6月27日付記事
  29. ^ 七夕賞勝利騎手インタビュー、JRA 2010年7月12日閲覧
  30. ^ ドモ大外イッキ善臣3週連続V/七夕賞、日刊スポーツ 2010年7月12日付記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]