柴田政見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴田政見
2010年大阪杯表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県上北郡上北町
(現・東北町
生年月日 (1946-07-01) 1946年7月1日(77歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 柴田不二男(1965年 - 引退)
初免許年 1965年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1990年2月28日
重賞勝利 9勝
通算勝利 4260戦364勝
調教師情報
初免許年 1990年(1991年開業)[1]
調教師引退日 2015年10月20日
重賞勝利 5勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利 1勝
通算勝利 中央4234戦259勝[2]
地方119戦16勝[3]
経歴
所属 栗東トレーニングセンター
テンプレートを表示

柴田 政見(しばた まさみ、1946年7月1日 - )は日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手。実弟にそれぞれ元騎手の柴田政人(三男)と柴田利秋(四男)がおり、騎手時代は「柴田三兄弟」として知られた[注 1]青森県出身。

来歴[編集]

1946年、青森県上北郡上北町(現・東北町)に、農家の次男として生まれる。叔父に当時騎手であった柴田不二男がおり、実家は不二男の勧めで競走馬生産も兼業していた。中学校2年生のとき、名古屋競馬場で初めて競馬を現地観戦したことをきっかけに騎手を志し、中学卒業後に馬事公苑騎手養成長期課程に第13期生として入所した。

修了後、中京競馬場で調教師に転身していた不二男の厩舎に所属し、1965年に騎手デビュー。当年20勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞(新人賞)を受賞した。翌年にはミスハツライオーで京都牝馬特別を制し、重賞初勝利を挙げる。以後長らく年間20勝前後を挙げる中堅騎手として活動を続けた。1974年10月27日の京都開催では、政見がスカイシーダーでタマツバキ記念(秋)、政人がアイテイシローで京都牝馬特別を制し、史上初の兄弟同日重賞制覇を達成[注 2]。同日勝利ではないが、末弟の利秋も重賞に勝利しており、中央競馬で三兄弟による重賞勝利は他に例がない。

1980年代に入ると年間成績は10勝前後で推移、1987年から1989年はいずれもひと桁勝利に終わった。翌1990年には調教師免許を取得し、同年2月をもって騎手を引退した。通算4260戦364勝・重賞9勝。なお、政人のデビュー以降、それぞれの名前は「柴田見」、「柴田人」と略記されていた。

1991年滋賀県栗東トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。初出走は同年3月9日小倉競馬第9競走のハシエイトで3着、初勝利は同年4月6日京都競馬第2競走に同じくハシエイトで挙げた(延べ2頭目)。騎手は厩舎の主戦騎手と言える和田竜二の他、渡辺薫彦熊沢重文を起用することが多い。

2015年10月20日付けで体調不良により調教師を勇退[4]。通算成績は中央競馬4234戦259勝[2]、地方競馬119戦16勝[3]

騎手成績[編集]

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 355 398 425 3,011 4,179 .085 .180
障害 9 16 13 41 81 .111 .309
364 414 428 3,054 4,260 .085 .183
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1965年3月6日 - ツカダホマレ - - 5着
初勝利 1965年4月10日 - フジハヤト - - 1着
重賞初騎乗 1965年10月10日 アラブ大障害(秋) キヨヒロ 7頭 7 5着
重賞初勝利 1966年11月20日 京都牝馬特別 ミスハツライオー 9頭 5 1着
GI級初騎乗 1969年12月14日 阪神3歳S スズカシルバー 15頭 10 15着

主な騎乗馬[編集]

その他

調教師成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1991年3月9日 2回小倉5日9R アラブスプリントS ハシエイト 11頭 4 3着
初勝利 1991年4月6日 3回京都5日2R アラ系4歳上オープン ハシエイト 11頭 1 1着
重賞初出走 1991年9月22日 3回中京6日11R 神戸新聞杯 オーバーパパグラス 11頭 8 6着
重賞初勝利 2002年10月26日 3回中山7日11R 武蔵野S ダブルハピネス 16頭 4 1着
GI初出走 1993年11月7日 6回京都2日10R 菊花賞 ロイヤルフェロー 18頭 6 10着
GI初勝利 2012年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 マーベラスカイザー 15頭 3 1着

主な管理馬[編集]

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

関連する人物[編集]

出典・注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ “柴田見調教師がJRA200勝達成!!”. 競馬ラボ. (2009年6月28日). http://keibalab.jp/topics/2001/ 2015年10月25日閲覧。 
  2. ^ a b “勇退の柴田調教師、ヤマニンエルフィンは6着”. サンケイスポーツ. (2015年10月19日). http://race.sanspo.com/keiba/news/20151019/etc15101905000002-n1.html 2015年10月24日閲覧。 
  3. ^ a b 柴田見”. 地方競馬全国協会. 2015年10月24日閲覧。
  4. ^ 柴田政見調教師が体調不良のため勇退デイリースポーツ、2015年10月2日
  5. ^ 2015年レース結果 - JBISサーチ  2015年5月6日閲覧

注釈[編集]

  1. ^ 長兄は実家を継いでおり、息子は騎手の柴田善臣、孫は厩務員の柴田健登とオートレース選手の柴田陸樹である。
  2. ^ ほか1997年3月2日に武豊幸四郎兄弟が記録している。

参考文献[編集]